「ろ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ろ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 495 件
蟷螂が斧を以て隆車に向かう(とうろうがおのをもってりゅうしゃにむかう)
弱者が自分の力を考えずに強敵に向かうこと。無謀な行いのたとえ。 「蟷螂」はかまきり、「斧」はここではカマキリの前足こと。 「隆車」は大きな車のこと。 かまきりが前足を上げて、大きな車に立ち向かうとの意から。 単に「蟷螂の斧」ともいう。
とかく浮世は色と酒(とかくうきよはいろとさけ)
なんといってもこの世の楽しみは、色恋と酒であるということ。
とぐろを巻く(とぐろをまく)
数人の人たちが、特に用をするでもなく、ある場所に集まってたむろしている様子。 蛇が体を渦巻き状にしてその場から動かないとの意から。
所構わず(ところかまわず)
他人の迷惑など考えず、どんな場所でも好き勝手に行動する様子。 「所嫌わず」ともいう。
所変われば品変わる(ところかわればしなかわる)
土地が変わると風俗や習慣が違うということ。また、同じ物でも土地によって呼び方や用途が違うものだということ。
所で吠えぬ犬はない(ところでほえぬいぬはない)
自分の住まいで吠えない犬はいないように、弱い者でも自分の縄張りでは威張るということ。
所の神様ありがたからず(ところのかみさまありがたからず)
自分の身近にあり、よく知っているものは、そのありがたみが薄いというたとえ。
所の法には矢は立たぬ(ところのほうにはやはたたぬ)
その土地の定めは、たとえ不合理と思っても、そこにいるかぎりは従うしかないということ。
所を得る(ところをえる)
その人の能力と釣り合いのとれた地位や職に就くこと。
年は寄れども心は寄らぬ(としはよれどもこころはよらぬ)
年はとっても、気力はまだ衰えていないということ。
飛ぶ鳥懐に入る時は狩人も助く(とぶとりふところにいるときはかりゅうどもたすく)
窮地に陥った者が救いを求めてくれば、どんな事情があっても助けるのが人情であるというたとえ。 追いつめられた鳥が自分のふところに飛び込んでくれば、さすがの猟師も殺したりは出来ないということから。
取ろう取ろうで取られる(とろうとろうでとられる)
勝負事などで、勝ちたいという思いばかりが先に立ち、結局は負けてしまうたとえ。
同日の論にあらず(どうじつのろんにあらず)
差がありすぎて、比べものにならない。同じ基準で語ることはできない。
毒薬変じて甘露となる(どくやくへんじてかんろとなる)
有害なものが一転して有益なものになることのたとえ。また、同じ物が使い方によって、毒にも薬にもなることのたとえ。 「毒薬変じて甘露となる」ともいう。
どこの烏も黒さは変わらぬ(どこのからすもくろさはかわらぬ)
どこに行っても、そう目新しいものはないということ。また、どこの国でも人間の本性同じだということ。 「どこの烏も黒い」「どこの鶏も裸足」ともいう。
どっちに転んでも(どっちにころんでも)
予想される二つの結果のどちらでも大きな違いがない様子。
泥のように眠る(どろのようにねむる)
酒に酔ったり、疲れたりして熟睡することのたとえ。
泥棒に追い銭(どろぼうにおいせん)
損をしたうえに、さらに損をすることのたとえ。 泥棒に入られたれたうえに、さらに金銭までやることから。 「泥棒に追い銭」ともいう。
泥棒にも三分の道理(どろぼうにもさんぶのどうり)
どんなことでも、こじつければ理屈はつけられるということ。 盗みは悪いことだが、それを正当化する三分ほどの理屈があるとの意から。 「泥棒にも三分の道理」「盗人にも一理屈」ともいう。
泥棒の逆恨み(どろぼうのさかうらみ)
自分の悪いところは棚に上げて、相手を非難することのたとえ。 泥棒が自分の悪事は棚に上げて、捕まえた人や被害者を恨むとの意から。
泥棒を捕らえて縄を綯う(どろぼうをとらえてなわをなう)
物事が起こったり直前に迫ったりしてから、慌てて準備することのたとえ。 盗人を捕まえてから、泥棒を縛るための縄の準備を始めるとの意から。 「盗人」は「泥棒」、「捕らえて」は「見て」ともいう。 また、「泥棒を捕らえて縄を綯う」を略して「[[泥縄*https://kokugo.jitenon.jp/word/p37603]]」ともいう。
泥を打てば面へはねる(どろをうてばつらへはねる)
悪い行いの報いは必ず自分に返ってくるということ。
泥を被る(どろをかぶる)
損になることが分かった上でその役目を引き受けること。 または、他人の責任を一人で背負うこと。
泥を吐く(どろをはく)
隠していた悪事などを、追及されて白状すること。
どろんを決める(どろんをきめる)
その場からいきなりいなくなること。 「どろん」は芝居などで幽霊が出入りする時の効果音。
泣いて育てて笑うてかかれ(ないてそだててわろうてかかれ)
子育ては苦労が伴うものだが、子どもを立派に育て上げれば、老後にはその子が世話をしてくれ、安らかな余生を送ることができるということ。 また、将来の安楽のために、今の苦労を惜しまずに子育てに励むべきだという教え。
長い物には巻かれろ(ながいものにはまかれろ)
力のある者には反抗せずに、おとなしくしているのが得策だということ。
泣くほど留めても帰れば喜ぶ(なくほどとめてもかえればよろこぶ)
帰る客を泣くように引き止める人でも、帰ってしまえば喜ぶものだということ。
七転び八起き(ななころびやおき)
何度失敗しても諦めずに立ち直ること。また、人生の浮き沈みが激しいことのたとえ。 七度転んで八度起き上がるとの意から。 「[[七転八起(しちてんはっき)*https://yoji.jitenon.jp/yoji/454.html]]」ともいう。
七尋の島に八尋の船を隠す(ななひろのしまにやひろのふねをかくす)
やっても無駄なことのたとえ。 「尋」は長さの単位。 七尋しかない島に八尋の船を隠すとの意から。
習うより慣れろ(ならうよりなれろ)
物事は人に教えられるよりも実際に経験を積んだほうが身につくということ。
名を広める(なをひろめる)
その名が世間で広く知られるようになるようになること。
難産、色に懲りず(なんざん、いろにこりず)
苦しんだことを忘れ、懲りずに同じことを繰り返すことのたとえ。 難産の苦しみに懲りずに、また色事を行うとの意から。
錦の袋に糞を包む(にしきのふくろにふんをつつむ)
外観が立派で中身が見劣りすることのたとえ。
二桃三士を殺す(にとうさんしをころす)
巧妙な計略を用いて人を自滅させることのたとえ。 また、策をめぐらして争わせ、互いに滅びへ導くこと。 中国・春秋時代、斉の景公(けいこう)に仕える三人の勇士、公孫接(こうそんしょう)、田開疆(でんかいきょう)、古冶子(こやし)は、功を誇ってわがままに振る舞い、国の秩序を乱していた。 そこで、宰相の晏嬰(あんし)は、景公に進言して策をめぐらした。 景公は三人を集め、「そなたたちの功績を比べ、功の大きい二人がこの二つの桃を食べよ」と告げた。 三人はそれぞれ自らの功を誇り、二人が桃を取って食べた。 ところが、桃を食べなかった者こそ功が最も大きいことが分かり、桃を取った二人は恥じて自害した。 残された一人も「自分だけが生き残るのは義に反する」と恥じて命を絶ち、三人はそろって自滅した。 こうして、晏嬰は智略のみで三人を排除したという故事から。
女房の悪いは六十年の不作(にょうぼうのわるいはろくじゅうねんのふさく)
悪い妻は夫を一生不幸にしてしまうということ。 悪い妻をもらうと六十年の不作に匹敵するとの意から。
女房は台所から貰え(にょうぼうはだいどころからもらえ)
妻を迎えるなら、自分より格下の家からもらうのがよいということ。 身分の高い家から妻をもらうと、親戚付き合いに苦労したり夫の権威が下がったりする恐れがあるとの意から。 「女房は台所から貰え」「女房は掃き溜めから拾え」「女房は庭から取れ」などともいう。
人間至る処、青山あり(にんげんいたるところ、せいざんあり)
どこで死んでも世の中には自分の骨を埋めるぐらいの場所はあるということ。だから、故郷にこだわらず広い世間に出ておおいに活動すべきだというたとえ。「人間」は、「じんかん」とも読み世の中の意。「青山」は、樹木が青々と茂った山で埋骨にふさわしい土地の意。幕末の僧、月性(げっしょう)の詩から。
抜き足して来るひとに碌な者なし(ぬきあししてくるひとにろくなものなし)
音をさせないように近づく者は、何か後ろ暗い所があるので碌(ろく)な者ではないということ。
猫は虎の心を知らず(ねこはとらのこころをしらず)
つまらない人間には、大人物の心の中はわからないということのたとえ。
猫を殺せば七代祟る(ねこをころせばしちだいたたる)
猫は執念深いので、殺せば子孫七代まで祟りがあるという俗説。
寝ていて転んだ例なし(ねていてころんだためしなし)
何もしなければ失敗することもないということ。
根を下ろす(ねをおろす)
ものごとが受け入れられてしっかりと定着すること。 また、地位などが確固たるものになること。
能書きの読めぬ所に効き目あり(のうがきのよめぬところにききめあり)
効能書きは難解だが、それがかえって効き目があるように感じられる。よくわからないものほど、有難みがあるということのたとえ。また、効能書きの難解さへの皮肉にいう。
暖簾を下ろす(のれんをおろす)
その日の営業活動を終わりにすること。 また、営業をやめること。廃業すること。
這えば立て、立てば歩めの親心(はえばたて、たてばあゆめのおやごころ)
子どものすこやかな成長を楽しみに待つ親の気持ちを言ったことば。
測り難きは人心(はかりがたきはひとごころ)
人の心ほど理解しがたいものはないということ。また、人の心が変わりやすく頼りにならないことにもいう。
白玉楼中の人となる(はくぎょくろうちゅうのひととなる)
文人が死ぬことのたとえ。 「白玉楼」は文人が死後に行くといわれる白玉造りの高楼のことで、その中の人となるとの意から。
白馬非馬論(はくばひばろん)
詭弁やこじつけのこと。 中国、周時代に公孫竜が、「馬」は形に名付けられた概念で「白」は色に名付けられたであるから「馬」と「白馬」は別の概念を表すという論を説いたことから。 「白馬は馬に非ず」「白馬非馬論」ともいう。
箸の転んだもおかしい(はしのころんだもおかしい)
箸が転がるような、些細なことにもよく笑うこと。思春期の娘に対していうことが多い。
始めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣くとも蓋取るな(はじめちょろちょろ、なかぱっぱ、あかごなくともふたとるな)
御飯の上手な炊き方をいったもの。炊き始めは弱火で、中ごろは強火にし、途中で蓋を取ってはいけないということ。
旗色が悪い(はたいろがわるい)
不利な状況にあること。 昔、戦場の軍旗の色を見て状況を判断したことから。
這っても黒豆(はってもくろまめ)
誤りだとわかっていても、主張を押し通そうとすること。 小さな黒い物体を指して黒豆だと言った者が、その黒い物体が這い出したにもかかわらず黒豆だと言い張ることから。
歯亡びて舌存す(はほろびてしたそんす)
剛強なもののほうが案外滅びやすく、柔軟なもののほうが後まで生き残ることのたとえ。 病気の友人を見舞った老子が、友人の歯が抜け落ちているのを見て「歯は堅いため駄目になったが、舌は柔らかいので残った」といったという故事から。
早かろう悪かろう(はやかろうわるかろう)
早く仕上げた仕事は、手落ちが多く雑になりがちだということ。
腹が黒い(はらがくろい)
表向きは善人そうだが、密かに悪いことを考える性格であること。
針の筵(はりのむしろ)
心の休まることのない厳しい状況や場所を指す表現。 針が敷き詰められた敷物の上に座っているかのような緊張感や不快感から来ている言葉。
馬鹿と煙は高いところへ上る(ばかとけむりはたかいところへのぼる)
愚か者はおだてにのりやすいというたとえ。
非学者、論に負けず(ひがくしゃ、ろんにまけず)
無学な者は道理を知らず、がむしゃらに自分の説を主張してなかなか議論に負けない。だから道理のわからない者を相手に議論しても意味がないということ。
低き所に水溜まる(ひくきところにみずたまる)
水が低い所に溜まるように、利益のある所に自然と人が集まるということ。
匹夫も志を奪うべからず(ひっぷもこころざしをうばうべからず)
どんなに身分の低い者でも、意思が堅ければ、誰もその志を変えさせることは出来ないということ。人の志は尊重すべきだということ。「匹夫」は、身分の低い男の意。
人事言わば筵敷け(ひとごといわばむしろしけ)
噂をすれば、その当人が現れることがよくあるから、その人の席を用意しておいたほうがいいということ。軽々しく噂話をするものではないという戒めの言葉。
人の心は面の如し(ひとのこころはおもてのごとし)
人の顔がひとりひとり違うように、人の心もそれぞれ異なるということ。 「人心の同じからざるは其の面の如し」ともいう。
人の心は九分十分(ひとのこころはくぶじゅうぶ)
人間の考えることはどれも似たようなもので、大きな差はないということ。 「人の心は九合十合」「世の中の人の心は九合十合」ともいう。
人は見目よりただ心(ひとはみめよりただこころ)
人は外見の美しさよりも、心の美しいことのほうが大切だということ。 「見目」は見た様子、顔立ちのこと。 単に「見目より心」ともいう。
人を呪わば穴二つ(ひとをのろわばあなふたつ)
人に悪いことをすれば、いつか自分の身にもはね返ってくるというたとえ。 「穴」は、墓穴のこと。 人を呪い殺そうとすれば、いつか自分もその報いで殺されることになるので、二つの墓穴が必要になるとの意から。
人を見たら泥棒と思え(ひとをみたらどろぼうとおもえ)
他人は信用できないので、泥棒と疑ってかかるくらい用心したほうがよいということ。
火のない所に煙は立たぬ(ひのないところにけむりはたたぬ)
火の気がない所に煙が立たないように、根拠がまったくないところに噂は立たない。噂が立つのは、なんらかの根拠があるはずだということ。
百日の労、一日の楽(ひゃくにちのろう、いちにちのらく)
働くばかりではなく、たまには休むほうがよいということ。 百日も働いたら、一日くらいゆっくり休養したほうがよいとの意から。
百年論定まる(ひゃくねんろんさだまる)
物の価値や人の功績などは長い年月が過ぎてから定まるということ。
広い世間を狭くする(ひろいせけんをせまくする)
恥ずかしい行いなどのために、肩身を狭くしてしまうということ。
拾い主は半分(ひろいぬしははんぶん)
人から預かった物は、半分は自分の物だと思ってもかまわないということ。 「預かり半分」「預かり半分の主」「預かり物は半分の主」「預かる物は半分の主」「拾い主は半分」「拾うた者は半分の主」などともいう。
含む所がある(ふくむところがある)
恨みや怒りなどを心の中に隠し持っていること。
袋の鼠(ふくろのねずみ)
どうやっても逃げることができない状態。 「袋の中の鼠」ともいう。
袋の物を探るが如し(ふくろのものをさぐるがごとし)
袋の中の物を探すように、非常に簡単なことのたとえ。 「嚢中」は袋の中。 「袋の物を探るが如し」ともいう。
懐が暖かい(ふところがあたたかい)
手持ちの金銭が多くあること。
懐が寒い(ふところがさむい)
手持ちの金銭が少ないこと。 「懐が寂しい」ともいう。
懐が深い(ふところがふかい)
度量が広いこと。包容力があること。 または、相撲で、胸が広くてまわしが掴みにくいこと。
懐を痛める(ふところをいためる)
必ずしも自分が支払う必要のない費用をあえて自分の金銭で支払うこと。
懐を肥やす(ふところをこやす)
不正をして個人的な利益を得ること。