「しゆ」から始まる故事・ことわざ・慣用句一覧
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ことわざ一覧
衆寡敵せず(しゅうかてきせず)
多人数に対して少人数では、数の力で圧倒されてしまうので勝ち目がないということ。 「衆」は大人数、「寡」は少人数のこと。 「寡は衆に敵せず」ともいう。
習慣は第二の天性なり(しゅうかんはだいにのてんせいなり)
習慣はいつしか深く身について、まるで生まれつきの性質のように日常生活に影響を及ぼすということ。
秋毫(しゅうごう)
きわめて僅かなことのたとえ。秋に生え変わった獣のきわめて細い毛の意から。
衆口、金を鑠かす(しゅうこう、きんをとかす)
多くの人が言った言葉が恐ろしい結果を招くことのたとえ。中傷などの恐ろしさをいう言葉。 「衆口」は、大勢の人の言う言葉。 大勢の言葉には、堅い金属を溶かしてしまうほどの力があるとの意から。
十三日の金曜日(じゅうさんにちのきんようび)
西洋で不吉とされて忌み嫌われる日のこと。キリストが弟子のユダに裏切られた日が十三日の金曜日だった、など俗説はいろいろある。
十七八は藪力(じゅうしちはちはやぶぢから)
男は十七、八歳の頃には、薮竹を引き抜くほどのばか力が出るということ。
宗旨の争い釈迦の恥(しゅうしのあらそいしゃかのはじ)
仏教の教えはすべて釈迦が発しているのだから、宗派間の争いは開祖である釈迦の恥になるということ。宗派間の争いの愚かさをあざけっていう言葉。
終止符を打つ(しゅうしふをうつ)
物事を終わりにすること。「終止符」は、欧文などで文の終わりに打つ符号。
宗旨を変える(しゅうしをかえる)
それまでの主義や主張、趣味、仕事などを別のものにすること。信仰する宗教や宗派を別のものにするということから。
従心(じゅうしん)
七十歳のこと。「七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず」から。
修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)
天下を治めるには、まず自分の心と行いを正しくし、次に家庭を整え、次に国家を治めて天下を平和にすべきだということ。
集大成(しゅうたいせい)
多くのものを集めて一つのものにすること。また、そうしたもの。
醜態を演じる(しゅうたいをえんじる)
人前で恥となる行為や見苦しい行為をすること。
銃弾に倒れる(じゅうだんにたおれる)
銃弾に当たって死ぬこと。
衆知を集める(しゅうちをあつめる)
大勢の知恵や知識をまとめること。または、大勢の意見を聞くこと。
重点を置く(じゅうてんをおく)
あるものを大切だと考え、そこに力を入れること。
十読は一写に如かず(じゅうどくはいちしゃにしかず)
十回読むよりも一回書き写した方が内容をよく理解できるということ。 「十遍読むより一遍写せ」ともいう。
舅の物で相婿もてなす(しゅうとのものであいむこもてなす)
自分のふところは痛めずに、人の物を相手にふるまう、ちゃっかりとした行いのたとえ。「相婿」は姉妹の夫どうしのこと。舅のふるまいで出された料理や酒を、相婿が勧め合う意から。「舅の酒で相婿もてなす」
姑に似た嫁(しゅうとめににたよめ)
嫁は姑に仕込まれているうちに、だんだん姑に似てくるということ。
姑の十七、見た者ない(しゅうとめのじゅうしち、みたものない)
姑は自分の若い頃のことを引き合いに出して嫁に小言を言うが、誰も姑の若い時を知らないので当てにはならないということ。
十年一日の如し(じゅうねんいちじつのごとし)
長い年月が経っても、少しも変わらず同じ状態である様子。 十年経っても、最初の一日と同じであるとの意から。
秋波(しゅうは)
男性をひきつける、女性の色っぽい目つき。色目。流し目。
重箱の隅は杓子で払え(じゅうばこのすみはしゃくしではらえ)
些細な事に必要以上に干渉せずに大目に見るべきということのたとえ。重箱の隅を杓子で払うと隅に残るということから。
重箱の隅を突っつく(じゅうばこのすみをつっつく)
どうでもいいようなつまらない所まで取り上げて、口うるさく言うことのたとえ。 「楊枝で重箱の隅をほじくる」「楊枝で重箱の隅をつつく」「小楊枝で重箱の隅をほじくる」「重箱の隅を突っつく」などともいう。
重箱の隅を楊枝でほじくる(じゅうばこのすみをようじでほじくる)
どうでもいいようなつまらない所まで取り上げて、口うるさく言うことのたとえ。 「楊枝で重箱の隅をほじくる」「楊枝で重箱の隅をつつく」「小楊枝で重箱の隅をほじくる」「重箱の隅を突っつく」などともいう。
秋波を送る(しゅうはをおくる)
女性が相手の気を引こうとして色目を使うこと。「秋波」は美人の涼やかな目もと。また、女性の媚びを含んだ目つきのこと。
愁眉を開く(しゅうびをひらく)
心配事や悩み事がなくなって、安心することのたとえ。 「愁眉」は憂いを含んだ眉のこと。 心配してしかめていた眉を開くとの意から。
十分はこぼれる(じゅうぶんはこぼれる)
容器一杯に水をいれると、ちょっとした揺れでこぼれてしまうように、物事も欲を出しすぎると失敗することがあるので、ほどほどが良いということ。
衆望を担う(しゅうぼうをになう)
多くの人からの期待や信頼が集まること。
衆目の一致する所(しゅうもくのいっちするところ)
大勢の見方や評価などが同じであること。
十目の見る所、十指の指さす所(じゅうもくのみるところ、じっしのゆびさすところ)
多くの人が一致して認めること。 十人の目が見て、十人の指が指し示す所との意から。 「十指の指す所」「十目の視る所、十手の指す所」ともいう。
十目の視る所、十手の指す所(じゅうもくのみるところ、じっしゅのさすところ)
多くの人が一致して認めること。 十人の目が見て、十人の指が指し示す所との意から。 「十指の指す所」「十目の視る所、十手の指す所」ともいう。
柔よく剛を制す(じゅうよくごうをせいす)
弱い者が強い者に勝つことのたとえ。しなやかで柔らかいものは、力だけで押してくる剛強なものの矛先をそらして、結局は勝利を得るということ。
自由を与えよ、しからずんば死を与えよ(じゆうをあたえよ、しからずんばしをあたえよ)
自由のために、死ぬ気で戦うという強い決意を表して、アメリカ独立運動でパトリック・ヘンリーが演説の結びに言った言葉。
獣を逐う者は目に太山を見ず(じゅうをおうものはめにたいざんをみず)
雌雄を決する(しゆうをけっする)
戦って勝敗を決めること。決着をつけること。「雌雄」は、優劣・勝ち負けの意。
衆を頼む(しゅうをたのむ)
人数が多いことを利用して強引に行うこと。
珠玉の瓦礫に在るが如し(しゅぎょくのがれきにあるがごとし)
菽水の歓(しゅくすいのかん)
祝杯を上げる(しゅくはいをあげる)
願いが叶ったり、勝負に勝ったりして喜ぶこと。祝いの席で酒を酌み交わしながら喜ぶという意味から。
菽麦を弁せず(しゅくばくをべんせず)
愚かで物の区別もつかないことのたとえ。 「菽」は豆、「弁ずる」は区別すること。 豆と麦の区別もできないとの意から。
祝融の災い(しゅくゆうのわざわい)
火事の災難のこと。「祝融」は、火をつかさどる神から転じて火事の意。
趣向を凝らす(しゅこうをこらす)
よりよくなるように工夫すること。
豎子教うべし(じゅしおしうべし)
守株(しゅしゅ)
古い習慣や過去の偶然の成功にこだわり、進歩や向上がないことのたとえ。 中国・宋の農民が農作業をしていると、兎が木の切り株にぶつかって死んだ。農民は労せず兎を手に入れることができたその経験以来、農作業をせずに毎日切り株を見張っていたという故事から。 「守株」ともいう。
主従は三世(しゅじゅうはさんぜ)
主従の間柄は、前世・現世・来世の三世にもわたるほど深いということ。
手足となる(しゅそくとなる)
ある人の命令や指示を忠実に守って動くこと。 その人の手や足の代わりになるという意味から。 「手足」は「しゅそく」とも読む。
手足を措く所なし(しゅそくをおくところなし)
安心して身を置く所がないということ。また、不安でたまらないこと。
手段を選ばない(しゅだんをえらばない)
あらゆる方法を使って目的を果たそうとすること。
手中に収める(しゅちゅうにおさめる)
望んでいたものを自分のものにすること。 「掌中に収める」ともいう。
述懐奉公身を持たず(じゅっかいぼうこうみをもたず)
不平、不満を持ちながら働いていても、身が持たないということ。
出家の念仏嫌い(しゅっけのねんぶつぎらい)
もっとも大切なことが嫌いだったり、出来なかったりすることのたとえ。 僧となって仏道を修行する者が念仏を唱えるのが嫌いとの意から。
術中に陥る(じゅっちゅうにおちいる)
相手が仕掛けた計略に引っかかること。 「術中にはまる」ともいう。
術中にはまる(じゅっちゅうにはまる)
相手が仕掛けた計略に引っかかること。 「術中にはまる」ともいう。
出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)
弟子が師より優れていることのたとえ。 藍草から作られた染料の青色が、元となる藍草よりも青く美しいことから。 「出藍の誉れ」ともいう。
手套を脱す(しゅとうをだっす)
秘めていた本来の力を発揮するたとえ。「手套」は、手袋のことで、それを脱ぐということから。
朱に交われば赤くなる(しゅにまじわればあかくなる)
人は交際する相手によって善にも悪にもなるというたとえ。 赤いものに触れると赤くなるように、人も周りの影響を受けるということ。
朱筆を入れる(しゅひつをいれる)
文章を書き加えたり訂正したりすること。添削すること。 「朱」は赤い色の墨のこと。 「朱筆を入れる」ともいう。
入木道(じゅぼくどう)
書道のこと。 中国晋の書家王羲之(おうぎし)が書いた文字は筆勢が強く、書かれた板の三分の深さにまで墨が入り込んでいたという故事から。 「にゅうぼくどう」ともいう。
寿命が縮む(じゅみょうがちぢむ)
激しい恐怖や驚きなどを受けることのたとえ。
修羅場(しゅらじょう)
激しい争いや戦争などが行われている場所。もとは仏語で阿修羅(あしゅら)と帝釈天(たいしゃくてん)の闘いの場所。
修羅場(しゅらじょう)
芝居などで激しい戦いを演じる場面。
手腕を振るう(しゅわんをふるう)
物事の解決や処理のためにすぐれた能力や技術を発揮すること。
朱を入れる(しゅをいれる)
文章を書き加えたり訂正したりすること。添削すること。 「朱」は赤い色の墨のこと。 「朱筆を入れる」ともいう。
朱を注ぐ(しゅをそそぐ)
恥ずかしさや怒りなどで顔が赤くなる様子。 「満面朱を注ぐ」ともいう。
寿を上る(じゅをたてまつる)
春秋高し(しゅんじゅうたかし)
高齢であることのたとえ。「春秋」は、年月・年齢の意。
春秋に富む(しゅんじゅうにとむ)
年が若く、長い将来があること。「春秋」は、年月・年齢の意。
春秋の筆法(しゅんじゅうのひっぽう)
物事を厳格に批判する態度。また、間接の原因を直接の原因のように言う表現方法。「春秋」は、中国の歴史書で孔子が加筆し、その書き方が厳正だったことから。
春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)
おぼろ月夜に花の香りが漂う春の宵のひとときは、千金にも値するほどすばらしいということ。「一刻」はわずかな時間、「千金」は千両・大金の意。
順風に帆を上げる(じゅんぷうにほをあげる)
勢いに乗って物事が順調に進むたとえ。 追い風に帆を揚げれば船は早く進むことから。 「順風に帆を上げる」ともいう。
春眠、暁を覚えず(しゅんみん、あかつきをおぼえず)
春の夜は寝心地がいいので、夜が明けたのにも気付かず、なかなか目が覚めないということ。
舜も人なり吾もまた人なり(しゅんもひとなりわれもまたひとなり)
人は誰でも努力や心がけ次第で立派な人間になれるということ。 「舜」は、中国太古の伝説上の聖天子のこと。五帝の一人。 「吾」は、自分のこと。 舜も自分も同じ人間なのだから、舜に出来たことは自分にも出来るとの意から。
舜も人なり我もまた人なり(しゅんもひとなりわれもまたひとなり)
人は誰でも努力や心がけ次第で立派な人間になれるということ。 「舜」は、中国太古の伝説上の聖天子のこと。五帝の一人。 「吾」は、自分のこと。 舜も自分も同じ人間なのだから、舜に出来たことは自分にも出来るとの意から。