「う」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「う」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 574 件
金縛りにあったよう(かなしばりにあったよう)
恐怖などで急に体がこわばって身動きができない様子。 また、借金など金銭に関する都合により自由を奪われている状態のこと。 「金縛り」は、鎖などで縛りつけること。
金が物言う(かねがものいう)
金の力が絶大で、世の中のたいがいの事が金で解決できるということのたとえ。
金なき者は金を使う(かねなきものはかねをつかう)
金持ちは金に執着して金を惜しむが、金のない者は、かえって執着しないで浪費するものだということ。
金を貸せば友を失う(かねをかせばともをうしなう)
金の貸し借りには問題が起こりやすく、親しい友人同士でも金の貸し借りはするべきではないという戒め。
金を食う(かねをくう)
期待されるほどの効果がないにも関わらず、やたらに費用がかさむこと。
壁訴訟(かべそしょう)
相手がいないのに、ひとりで不平をつぶやくこと。また、当てこすりをいうこと。
亀の甲より年の劫(かめのこうよりとしのこう)
年長者の豊富な経験を尊重すべきだということ。 「甲」と「劫」の音が同じであることをかけた言葉。
烏の雌雄(からすのしゆう)
外見だけでは物事の善悪や優劣がつけにくいことのたとえ。また、よく似ていて区別しにくいことのたとえ。 誰が真っ黒な烏の雌と雄を見分けることができるだろうかの意から。 単に「烏の雌雄」ともいう。
烏を鵜に使う(からすをうにつかう)
役に立たない者を、才能が必要とされる重要な地位に置くことのたとえ。 「烏」は、魚をとらない役に立たないもの。 「鵜」は、魚をとる役に立つもの。
借りる八合、済す一升(かりるはちごう、なすいっしょう)
人に物やお金を借りたら、少し多めに返すか、お礼を添えて返すのが常識であるということ。 「済す」は、返済すること。 八合借りたら、一升にして返すべきであるとの意から。
間隙を縫う(かんげきをぬう)
わずかな隙間や暇を見つけ、何かを行うこと。
歓心を買う(かんしんをかう)
相手に気に入られようとして機嫌をとること。 「歓心」は喜ぶ気持ち。
干天の慈雨(かんてんのじう)
待ち望んでいたことが実現することのたとえ。 また、困っている時に助けが現れることのたとえ。 「干天」は日照りのこと。 日照りの時に恵みの雨が降るとの意から。 「干天」は「旱天」とも書く。
嚙んで吐き出すよう(かんではきだすよう)
怒りや不快な気持ちを抑えきれず、無愛想にものをいう様子のたとえ。
堪忍五両、思案十両(かんにんごりょう、しあんじゅうりょう)
世の中を生きていくためには、腹の立つことをじっと我慢し、よく考えて慎重に行動することが大切だということ。 忍耐には五両、熟慮には十両の価値があるとの意から。
堪忍五両、負けて三両(かんにんごりょう、まけてさんりょう)
我慢には大きな値打ちがあるということ。 堪忍には五両の価値があり、たとえ堪忍がやや足りなくても三両の価値があるとの意から。
汗馬の労(かんばのろう)
戦場での功績のこと。また、物事をまとめるために忙しく駆けずり回る苦労のこと。 「汗馬」は馬に汗をかかせることで、馬に汗をかかせるほどの働きとの意から。
骸骨を乞う(がいこつをこう)
主君に辞職を願い出ること。 主君に身を捧げて仕えてきたが、せめて骸骨同然となった身体だけでも返して頂きたいと辞職を願い出たという故事から。 なお、君主から辞職が許されることを「骸骨を賜う」という。
餓鬼も人数(がきもにんずう)
力の弱い者でも多数集まればあなどりがたい力になるということ。「餓鬼」は子どもを罵って言う言葉から転じて弱い者という意。
がったり三両(がったりさんりょう)
何かちょっとしたことが起こるだけも、すぐに費用がかかるということ。 がったりと音がして、物が壊れれば三両の金がかかるとの意から。
利いた風(きいたふう)
よく知らないのに、知ったかぶって生意気な素振りをするさま。
気が合う(きがあう)
互いに物事の考え方や感じ方、好みなどが似ていて付き合いやすいこと。
木七竹八塀十郎(きしちたけはちへいじゅうろう)
木を切るには七月、竹を切るには八月、土塀を塗るのは十月が適しているということ。月はいずれも陰暦で、人名のように語呂をあわせて覚えやすくしたもの。
絹を裂くよう(きぬをさくよう)
非常に甲高くて鋭い叫び声のたとえ。 絹布を裂くとき、高く鋭い音がすることから。
昨日の今日(きのうのきょう)
あまり時間が経っていないことのたとえ。 その出来事があってからまだ一日しか経っていない今日との意から。
昨日は昨日、今日は今日(きのうはきのう、きょうはきょう)
昨日のあったことが、今日もあるわけではない。日々情勢が変わり、昨日と今日は違うということ。
九牛の一毛(きゅうぎゅうのいちもう)
多数の中のわずかな一部分のこと。取るに足りないことのたとえ。 「九牛」は、多くの牛のこと。 多くの牛の中の一本の毛のことから。
笈を負う(きゅうをおう)
故郷を離れて勉学すること。 「笈」は、本を入れて背負う箱。 笈を背負って遠くに勉学に行くとの意から。
杞憂(きゆう)
心配する必要のない事柄について心配すること。取越し苦労。古代中国の杞の人が、天が崩れ落ちはしないかと心配したという故事から。
挙措を失う(きょそをうしなう)
取り乱した行いをすること。「挙措」は、立ち居振る舞いのこと。
気を失う(きをうしなう)
意識がなくなることのたとえ。
気を使う(きをつかう)
周りの人などに配慮しながら、細かいところにまで意識をかたむけること。 「使う」は「遣う」とも書く。
奇を衒う(きをてらう)
わざと変な真似をして人の注意を引こうとすること。
金字塔(きんじとう)
後世に残るような偉大な業績のこと。本来は、金の字の形をした塔の意からピラミッドのこと。
犠牲を払う(ぎせいをはらう)
目的を果たすために、命や大事なものを失ったりすること。
玉斧を乞う(ぎょくふをこう)
人に詩や文章の添削を頼むことのたとえ。「玉斧」は、他人が詩文の添削をすることを、敬っていう言葉。
食い付き馬に乗ったよう(くいつきうまにのったよう)
危険なことをやめることができないたとえ。 食いつく癖のある馬に乗ると、乗っているのも危ないが、降りると馬に食いつかれるので降りられないとの意から。
臭い飯を食う(くさいめしをくう)
刑務所にはいること。 刑務所の飯が臭かったことから。
櫛の歯が欠けたよう(くしのはがかけたよう)
そろって並んでいるはずのものが、ところどころ欠けている様子。
薬より養生(くすりよりようじょう)
病気になって薬に頼るより、普段から養生して健康を保つことが大事だということ。
苦する良かろう楽する悪かろう(くするよかろうらくするわるかろう)
いま苦労すれば将来はよくなり、あとで楽ができるが、いま楽をして遊んで暮らせば、あとで苦労しなければならないということ。
管を以て天を窺う(くだをもっててんをうかがう)
自分の狭い見識で、大きな問題について勝手に判断することたとえ。 「管」は「かん」とも読む。 「管を以て大空を測る」「管の穴から天を覗く」「針の穴から天を覗く」ともいう。
口に合う(くちにあう)
食べ物の味が自分の好みと合っていることのたとえ。
口は重宝(くちはちょうほう)
口は便利なもので、口先だけならなんとでも言えるということ。
口も八丁、手も八丁(くちもはっちょう、てもはっちょう)
しゃべることも腕前も達者なこと。 「八丁」は巧み、達者であること。 単に「手も八丁」とも、また「口八丁手八丁」「手八丁口八丁」ともいう。
口を拭う(くちをぬぐう)
悪いことをしていながら素知らぬふりをすること。 また、知っていながら知らないふりをすること。 盗み食いをした後に、口の周りの汚れを拭いて素知らぬ顔をすることから。
蜘蛛の子を散らすよう(くものこをちらすよう)
大勢の人がいっせいに四方へ逃げるようす。蜘蛛が入っている袋を破ると、たくさんの蜘蛛の子が四方へ散る様子から。
供養より施行(くようよりせぎょう)
死んだ人の供養より、生きている人に施しをするほうが大切だということ。
暗闇の鉄砲(くらやみのてっぽう)
あてずっぽうにやることのたとえ。
食わぬ殺生(くわぬせっしょう)
自分のためにもならないのに無益な殺生をすること。
愚の骨頂(ぐのこっちょう)
この上なく愚かなばからしいこと。
形影相弔う(けいえいあいとむらう)
誰かが来ることもなく、一人で寂しい様子。 「形影」は形と影。 「弔う」はあわれむこと。 自分と自分の影で慰め合うことから孤独の意。
形影相伴う(けいえいあいともなう)
夫婦などがいつも一緒で、仲むつまじい様子。 「形影」は形と影。 「相伴う」は常に一緒にいること。
蛍雪の功(けいせつのこう)
苦労を重ねて勉学に励んだ成果のこと。「蛍雪」は苦労して勉学に励むことで、中国晋の車胤と孫康はともに貧しく、車胤は蛍の光で、孫康は窓の外の雪明りで読書し勉学に励んだという故事から。
怪我の功名(けがのこうみょう)
過ちや災難と思われていたことが、偶然にもよい結果になることのたとえ。 「怪我」は、ここでは過ちや災難のこと。 過ちや災難が生んだ手柄との意から。 「過ちの功名」ともいう。
桁が違う(けたがちがう)
規模や数量などに大きな差があること。かけ離れていること。
犬馬の労(けんばのろう)
他人のために力を尽くして働くことをへりくだっていう言葉。犬や馬程度の苦労や労働の意から。
姸を競う(けんをきそう)
女性たちが美しさを競い合うようす。
月旦評(げったんひょう)
人物の批評や品定めをすること。 「月旦」は、月の初めの日。 後漢の許劭が、いとこの許靖と毎月一日に郷里の人物の批評をしたという故事から。 単に「月旦」ともいう。
下馬評(げばひょう)
その人と直接関わりのない人たちが好き勝手に行う批評や噂。
「下馬」は、下馬先(城門や社寺にある馬を待たせておく所)のこと、下馬先で主人を待つ供の者があれこれ批評をしあったことから。功罪相償う(こうざいあいつぐなう)
功績と罪過がともにあるために、お互いに打ち消されてしまうこと。 また、功績のおかげで罪過が大目に見られること。
浩然の気を養う(こうぜんのきをやしなう)
物事にとらわれない、のびのびとした気持ちをつちかうこと。「浩然の気」は、天地にみなぎっている正しくておおらかな気のこと。
蛟竜、雲雨を得(こうりょう、うんうをう)
能力を発揮する機会の無かった英雄や豪傑が、機会を得て能力を発揮することのたとえ。 「蛟竜」は水中にすむとされる中国古代の想像上の動物。 水中にすむ蛟竜は雲や雨を得ればそれに乗って天に昇り竜になるといわれることから。
告朔の餼羊(こくさくのきよう)
古くからのしきたりは、むやみに廃止すべきではないということ。また、形式ばかりで実質がないしきたりのこと。 「告朔」は、古代中国で、諸侯が天子から受け取った新しい年の暦をいったん祖先の廟に納め、毎月一日に祭事を行い、その月の暦を国内に施行した儀式のこと。 「餼羊」は、その祭事に供えるいけにえの羊。 告朔の意義が廃れて羊を供える儀式だけが残った時、いけにえを廃止しようとしたが、孔子が告朔の儀式が全て廃れてしまうのを惜しんだという故事から。
刻舟(こくしゅう)
古いしきたりや習わしにとらわれて、状況の変化に応じることができない愚かさのたとえ。 中国の楚の人が舟で長江を渡る途中に乗っている舟から剣を落としたため、慌てて舟べりに印をつけて、舟が岸に着いた後に印をつけた場所の川底を捜したという故事から。 「舟に刻(こく)して剣を求む」「剣を落として舟を刻む」「刻舟」ともいう。
黒白を争う(こくびゃくをあらそう)
どちらが正しいかをはっきりさせること。「黒白」は、善悪・是非・正邪の意。
虎口(ここう)
この上なく危険な場所や状態。
心が通う(こころがかよう)
お互いに気持ちを理解しあって、通じあうこと。 「心が通ずる」ともいう。
小姑一人は鬼千匹にむかう(こじゅうとひとりはおにせんびきにむかう)
嫁にとって、小姑一人は鬼千匹にも匹敵するほどやっかいで、扱いにくい存在であるということ。「むかう」は、匹敵するという意。
小爪を拾う(こづめをひろう)
ことば尻を捕えて非難したり口答えをしたりすること。
小股を掬う(こまたをすくう)
相手の隙をねらって自分の利益をはかること。 相手の股の内側を手で掬(すく)ってたおす相撲の技から。 「小股を取る」ともいう。
独楽鼠のよう(こまねずみのよう)
あちこち忙しく動き回る様子。
子ゆえの闇に迷う(こゆえのやみにまよう)
子どもを思うあまり、親が暗闇に迷いこんだように思慮分別がつかなくなるたとえ。
御意見五両、堪忍十両(ごいけんごりょう、かんにんじゅうりょう)
他人の意見をよく聞いて何事にも耐えることが大事だというたとえ。 人の忠告は五両の値打ちがあり、辛いことや怒りを耐え忍ぶことは十両の値打ちがあるということ。
呉下の阿蒙(ごかのあもう)
いつまでたっても昔のままで、少しも進歩のない人のこと。「呉下」は中国の呉地方、「阿」は親しみを表して人名に付ける語。魯粛が呂蒙に再会して、学問の上達の早さに驚き、呉にいた時の阿蒙ではないと言ったという故事から。
御機嫌を伺う(ごきげんをうかがう)
相手の機嫌を損ねないように注意を払ったり、相手から気に入られるように気を遣ったりすること。
最後に笑う者が最もよく笑う(さいごにわらうものがもっともよくわらう)
最初に笑っていた者も最後に泣くこともある。最終の結果が出たあとに笑える者が最高であるということ。
妻子を置く所が故郷(さいしをおくところがこきょう)
故郷を出て来た人がそこで所帯を持ち、妻子のいるその場所を第二の故郷と思って頑張る覚悟をいう。
采配を振るう(さいはいをふるう)
先頭に立って指示をすること。指揮をとること。 「采配」は昔の武将が戦場で兵の指揮をとる時に使った道具。 「采配を振るう」ともいうが、本来は誤用。 「采を振る」「采配を取る」「采柄を握る」
先を争う(さきをあらそう)
他人よりも先になろうとして競い合うこと。