「う」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「う」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 574 件
簀を易う(さくをかう)
学徳にすぐれている人の死を敬っていう言葉。 「簀」は、寝台の上に敷くむしろ。 中国の孔子の弟子の曽子が、死の間際に大夫用の簀は自分には相応しくないとして質素な簀に変えさせたという故事から。 「易簀」ともいう。
酒は百毒の長(さけはひゃくどくのちょう)
酒には良い点はなにもなくて、毒そのものであるということ。
酒は百薬の長(さけはひゃくやくのちょう)
酒はほどよく飲めばどんな薬より効果があるということ。
白湯を飲むよう(さゆをのむよう)
味もそっけもない様子。
皿嘗めた猫が科を負う(さらなめたねこがとがをおう)
悪事をはたらいた主犯が罰せられず、少しだけ関与した小者が罰せられるたとえ。 皿の上の魚を食べた猫はとっくに逃げてしまい、あとからやって来て皿をなめただけの猫が罪を着せられるとの意から。
三従(さんじゅう)
昔、女性が守るべきとされていた三つの道のこと。生家では父に従い、嫁いでは夫に従い、夫の死後は子に従うということ。
三寸の舌を掉う(さんずんのしたをふるう)
大いに弁舌をふるうこと。
三人知れば世界中(さんにんしればせかいじゅう)
人が三人集まる所で話したことは、秘密にするのはむずかしく、世界中に知れ渡ってしまったのと同じことになるというたとえ。
三拍子揃う(さんびょうしそろう)
必要な三つの条件が揃うこと。また、全ての条件が備わること。「三拍子」は、能楽の囃子で小鼓・大鼓・太鼓などの三種の楽器でとる拍子のこと。
鹿を逐う(しかをおう)
地位や権力を得ようとして争うこと。 「鹿」は帝位の意。転じて、地位や権力のこと。 帝位を得ようとして争うとの意から。 「中原に鹿を逐う」「[[逐鹿*https://kokugo.jitenon.jp/word/p32413]]」ともいう。
鹿を指して馬と言う(しかをさしてうまという)
権力によって間違いや無理を押し通すことのたとえ。 秦の始皇帝の死後、宰相となった趙高が自分の権勢を試すため幼少の皇帝に鹿を馬と言い張って献上した。皇帝は「これは鹿ではないのか?」と臣下たちに尋ねたが、趙高の権勢を恐れた臣下たちは「馬です」と答えたという故事から。 「鹿を馬」「鹿を指して馬と言う(なす)」ともいう。
獅子は兎を撃つに全力を用う(ししはうさぎをうつにぜんりょくをもちう)
実力のあるものは、小さなことにも手を抜かず何事にも全力で向かうということ。
死線をさまよう(しせんをさまよう)
生きるか死ぬかの危険な状態が続くこと。
士族の商法(しぞくのしょうほう)
急に不慣れなことを始めて失敗することのたとえ。明治初期、士族が生計を立てるため慣れない商売に手を出して失敗したことから。
失笑を買う(しっしょうをかう)
愚かな言動をして他人から笑われること。 「失笑」は笑いを堪え切れずに吹き出してしまうこと。
死なぬ子三人、皆孝行(しなぬこさんにん、みなこうこう)
三人の子どもが親より先に死なずに成人してくれたら、これ以上の孝行はないということ。
死なぬものなら子は一人、減らぬものなら金百両(しなぬものならこはひとり、へらぬものならかねひゃくりょう)
必要な物が必要な分だけあれば十分だということ。 もしも使っても減らないのであれば金は百両、死なないのであれば子どもは一人いればよいとの意から。 「死なぬものなら子は一人、減らぬものなら金百両」ともいう。
死に金を使う(しにがねをつかう)
使っても無駄になる金銭の使い方をすること。
死ぬ者貧乏(しぬものびんぼう)
生きてさえいれば、どんな幸運にめぐり合うかもしれないのに、死んでしまってはどうにもならない。死んだ者が一番損だということ。
四の五の言う(しのごのいう)
あれやこれやと不平や不満などの文句を言うこと。
死馬の骨を買う(しばのほねをかう)
すぐれた人材を集めるために、つまらないものでも優遇することのたとえ。 昔、名馬を買うために出かけた使者が大金を払って死んだ名馬の骨を買って帰った。その行動に王は怒ったが、使者は「死んだ馬の骨に大金を投じれば、必ず生きた名馬を売りに来る者が現れるでしょう」と言った。その言葉通り、一年も経たないうちに王のもとに三頭の名馬が集まってきたという故事に基づく。
釈迦に説法、孔子に悟道(しゃかにせっぽう、こうしにごどう)
その道を知り尽くしている人に物事を教える愚かさのたとえ。または、必要のないことを長々しく繰り返し言うこと。 仏教の開祖である釈迦に仏の教えを説いたり、儒教の開祖である孔子に人の道を説いたりするという意味から。 単に「釈迦に説法」ともいう。
娑婆で見た弥次郎(しゃばでみたやじろう)
知っている人間に、知らないふりをすることのたとえ。 ある僧侶が佐渡で土中入定(生きたまま土の中に入り仏になること)すると見せかけて、こっそりと抜け出して越後に渡ったところ、知り合いの彌次郎という男に声をかけられてしまった。初めのうちは知らん顔をしていたが、しらを切り通せなくなり「げにもげにもよく思い合はすれば娑婆で見た弥次郎か」と言ったという笑い話に基づくとされる。 「弥次郎」は、「弥三郎」「弥十郎」などともいう。
沙弥から長老(しゃみからちょうろう)
一足飛びに出世することのたとえ。「沙弥」は仏門に入ったばかりの修行未熟な若い僧、「長老」は徳の高い僧。
秋毫(しゅうごう)
きわめて僅かなことのたとえ。秋に生え変わった獣のきわめて細い毛の意から。
衆望を担う(しゅうぼうをになう)
多くの人からの期待や信頼が集まること。
修羅場(しゅらじょう)
激しい争いや戦争などが行われている場所。もとは仏語で阿修羅(あしゅら)と帝釈天(たいしゃくてん)の闘いの場所。
手腕を振るう(しゅわんをふるう)
物事の解決や処理のためにすぐれた能力や技術を発揮すること。
春秋の筆法(しゅんじゅうのひっぽう)
物事を厳格に批判する態度。また、間接の原因を直接の原因のように言う表現方法。「春秋」は、中国の歴史書で孔子が加筆し、その書き方が厳正だったことから。
背負い投げを食う(しょいなげをくう)
大事な局面で信頼していた人に裏切られて酷い思いをすること。 「背負い投げ」は「せおいなげ」とも読む。
性が合う(しょうがあう)
お互いの気持ちが通じ合うこと。
正直は阿呆の異名(しょうじきはあほうのいみょう)
融通のきかない正直は、世渡りがへたな愚か者のすることであるということ。
正直貧乏、横着栄耀(しょうじきびんぼう、おうちゃくえよう)
正直者はその正直さゆえに貧乏な生活に甘んじているのに対し、押しが強くずる賢い者は成功して栄えるというたとえ。
性に合う(しょうにあう)
そのものが性格や好みに合うこと。
焦眉の急(しょうびのきゅう)
危険が差し迫っていること。また、事態が切迫していること。 「焦眉」は眉毛がこげること。 眉毛がこげるほど近くまで火が迫っているとの意から。 「眉(眉毛)に火がつく」ともいう。
証文が物を言う(しょうもんがものをいう)
いざという時には証文が効果を発揮するということ。
醬油で煮しめたよう(しょうゆでにしめたよう)
布巾や肌着などが、まるで醬油で煮染めたかのように汚れて茶色くなること。
尻を拭う(しりをぬぐう)
他人の失敗や不始末などの後始末をすること。 「尻を拭う」ともいう。
神経を使う(しんけいをつかう)
問題が発生しないように細かいところまで気を配ること。
心中より饅頭(しんじゅうよりまんじゅう)
見栄や体裁よりも、実際の利益を重んじるべきだということ。義理立てして心中するより、饅頭で腹を満たしたほうがいいということから。
薪水の労(しんすいのろう)
炊事などの労働。転じて、人のために骨身を惜しまず働くこと。薪を採り水を汲む苦労の意から。
死んでの長者より生きての貧乏(しんでのちょうじゃよりいきてのびんぼう)
死後に金持ちになるより、貧乏でも生きているほうがよいということ。
信を問う(しんをとう)
相手に自分のことを信用しているか尋ねること。
地獄から火を貰いに来たよう(じごくからひをもらいにきたよう)
やせ衰えてみすぼらしい姿のたとえ。
地獄で仏に会ったよう(じごくでほとけにあったよう)
大変困っているときに、思いがけず手を差し伸べてくれる人が現れることのたとえ。 「地獄で仏に会う」「地獄で仏」ともいう。
自転車操業(じてんしゃそうぎょう)
借金と返済を繰り返しながらどうにか仕事を続けること。また、そのような経営状態。 自転車は止まると倒れるということから。
入木道(じゅぼくどう)
書道のこと。 中国晋の書家王羲之(おうぎし)が書いた文字は筆勢が強く、書かれた板の三分の深さにまで墨が入り込んでいたという故事から。 「にゅうぼくどう」ともいう。
助長(じょちょう)
発展したり成長したりするために力を添えること。
序破急(じょはきゅう)
物事の始めと中と終わりのこと。また、緩急の変化のこと。舞楽や能楽などを構成する三区分の名称から。
粋が身を食う(すいがみをくう)
遊びの道に通じた粋人は、遊興の道にふけって最後は身を滅ぼしてしまうということ。
推敲(すいこう)
唐の詩人、賈島(かとう)が自作の「僧は推す月下の門」という句の「推す」を「敲(たた)く」に改めるかどうか迷ったという故事から。
水道の水で産湯を使う(すいどうのみずでうぶゆをつかう)
江戸っ子が江戸生まれであることを自慢していうことば。江戸には金と労力をかけて作った神田上水と玉川上水があり、この水道水の産湯を使ったということから。
末四十より今の三十(すえしじゅうよりいまのさんじゅう)
将来多く得ることができるよりも、たとえ少なくても今すぐ確実に得たほうがよいということ。 「四十」を「始終」に掛けた言葉。
すかを食う(すかをくう)
期待した通りにならないこと。当てが外れること。 「すか」は「肩透かし」という意味。
筋が違う(すじがちがう)
道理に適わない言動をすること。
鈴を転がすよう(すずをころがすよう)
高く澄んだ美しい声の形容。 多く女性の声について用いる。
鈴を張ったよう(すずをはったよう)
大きく美しい女性の目を言い表す言葉。
酸っぱい葡萄(すっぱいぶどう)
負け惜しみのたとえ。腹を空かせた狐が、木に実った葡萄を取ろうとするが、どうしても取れず「どうせあの葡萄は酸っぱい」と言ったというイソップ物語から。
砂を嚙むよう(すなをかむよう)
味わいや面白味などが少しも感じられないことのたとえ。
擂り粉木で重箱洗う(すりこぎでじゅうばこあらう)
行き届かないことのたとえ。大雑把なことをするたとえ。 「擂り粉木」は、すり鉢で物をするときに用いる先の丸い棒。 先の丸い棒で四角い重箱を洗おうとしても、隅まで洗えないことから。 「連木で重箱を洗う」ともいう。
酢を買う(すをかう)
余計なことをして怒らせること。 または、ある行動を起こすように仕向けること。 「酢を乞う」ともいう。
積悪の余殃(せきあくのよおう)
悪行を重ねてきた家には、報いとして子孫にまで必ず災いがあるということ。 「余殃」は祖先の行った悪事の報いとして受ける災い。 「積悪の余殃」ともいう。
雪駄の裏に灸(せったのうらにきゅう)
長居をする客を早く帰らせるためのおまじない。 「草履に灸」ともいう。
雪隠で饅頭(せっちんでまんじゅう)
空腹を満たすのに場所を選ばないことのたとえ。また、人に隠れて、自分だけこっそりいい思いをすることのたとえ。
雪上に霜を加う(せつじょうにしもをくわう)
十分すぎるほどあるうえに、さらに同じようなものを加えること。 「雪に霜を加える」「雪の上に霜」ともいう。
責めを負う(せめをおう)
自身に責任があると認め、処罰や償いを一人で引き受けること。
千石万石も米五合(せんごくまんごくもこめごごう)
人には必要な物が必要な分だけあれば十分だということ。 千石、万石といった高い俸禄を得ている人でも、一日に食べる米の量は五合にすぎないとの意から。 「千石万石も飯一杯」ともいう。
先陣を争う(せんじんをあらそう)
一番最初に成し遂げようとして、互いに競うこと。 最初に敵陣に攻め込もうとして争うということから。
銭ある時は鬼をも使う(ぜにあるときはおにをもつかう)
金さえあれば、どんな人でも自分の思うままに使うことができるということ。 金があれば、怖い鬼であろうとも思い通りにすることができるとの意から。
双肩に担う(そうけんにになう)
責任をもって重要な任務を受け持つこと。 「双肩」は左右の肩のことで、左右の肩で担ぐという意味から。
総好かんを食う(そうすかんをくう)
関わりのある全ての人から嫌われること。
惻隠の情(そくいんのじょう)
かわいそうに思う気持ち。同情する気持ち。「惻隠」は、相手を哀れむこと。
束脩(そくしゅう)
入門の時、師に贈る謝礼のこと。「脩」は干し肉の意。昔中国で、師に入門するときに束ねた干し肉を持参したことから。
粗相が御意に叶う(そそうがぎょいにかなう)
目上の者には、そそっかしい性格の目下の者がほほえましく見え、そうした者がかえって気に入られるということ。
粗相も時の一興(そそうもときのいっきょう)
失敗も、時によってはその場を和ませるような笑いを誘う一つの面白みであるということ。
その国に入ればその俗に従う(そのくににいればそのぞくにしたがう)
その土地に行ったら、その土地の習慣やしきたりに従うべきであるということ。
傍杖を食う(そばづえをくう)
自分と関係のないことで、思いがけない災難を受けること。 喧嘩している近くにいたために、打ち合っている杖で打たれることから。 「側杖を食う」とも書く。
素封(そほう)
大金持ちのこと。 「素」はむなしいこと、なにもないこと。 「封」は領土のこと。 位や領土はもたないが、多くの財産を持っていること。 「素封家」ともいう。
空を使う(そらをつかう)
知らない振りをすること。とぼけること。または、平気で嘘を言うこと。
算盤が合う(そろばんがあう)
計算の結果が正しいこと。計算が合うこと。 または、収支を計算して収入のほうが多いこと。採算がとれること。