「な」から始まる故事・ことわざ・慣用句
「な」から始まる故事・ことわざ・慣用句 — 239 件
怠け者の節句働き(なまけもののせっくばたらき)
ふだん怠けている者が、世間の人が休む節句などに限ってわざと忙しそうに働くことをあざけっていう言葉。
生禅(なまぜん)
まだ悟っていないのに悟ったつもりになってうぬぼれている禅の修行者を、野ギツネにたとえた言葉。 転じて、生半可な知識で物事を理解したような顔でうぬぼれている人のこと。 「生禅」ともいう。
生唾を飲み込む(なまつばをのみこむ)
目の前にあるものに対して、欲しくてたまらない気持ちになること。 「生唾」は、美味しそうなものなどを見たときに、口の中に自然とたまる唾。
生の声(なまのこえ)
発言する場のない人々の率直な意見や感想のこと。
生兵法は大怪我の基(なまびょうほうはおおけがのもと)
中途半端な知識や技術で物事を行うことはきわめて危険であるというたとえ。 「生兵法」は、未熟な兵法や武術のこと。また、十分身についていない知識や技術のこと。 中途半端に身につけた兵法や武術は、頼りになるどころか、かえって大けがの原因になるとの意から。 「生兵法は大疵(おおきず)の基」ともいう。 「基」は「元」とも書く。
生身を削る(なまみをけずる)
自分の体の肉が削がれるような辛い思いをするさま。
生酔い、本性違わず(なまよい、ほんしょうたがわず)
酒に酔っても、その人の本来の性質は変わらないということ。 「酒飲み」は「生酔い」「上戸」ともいう。
訛りは国の手形(なまりはくにのてがた)
言葉のなまりは通行手形のように、その人の生まれ育った場所を示すということ。 「訛りは国の手形」「方言は国の手形」ともいう。
波風が絶えない(なみかぜがたえない)
絶えず揉め事や争い事がある様子。
波風が立つ(なみかぜがたつ)
それまで平穏だったところから、揉め事や争い事が生じるたとえ。
涙に暮れる(なみだにくれる)
悲しみのため、泣いて日々を過ごすこと。
涙に沈む(なみだにしずむ)
深い悲しみのため、嘆き悲しむこと。
涙に咽ぶ(なみだにむせぶ)
こみ上げてくる涙のために、声を詰まらせながら泣くこと。
涙を誘う(なみだをさそう)
おもわず涙を流してしまうさま。
涙を呑む(なみだをのむ)
泣きたいほどの悔しさや無念さを我慢すること。
涙を振るって(なみだをふるって)
私情を捨てて、相手に対してあえて厳しい態度で接すること。 流れでてくる涙を振り払っての意。
波に千鳥(なみにちどり)
絵になるような取り合わせのよいもののたとえ。
波に乗る(なみにのる)
その時の世の中の流れにうまく合うこと。 調子がよくなり、勢いにのること。
蛞蝓に塩(なめくじにしお)
苦手なものに出会って萎縮してしまうことのたとえ。
嘗めてかかる(なめてかかる)
相手を馬鹿にしたりあなどったりすること。
名も無い(なもない)
名前が知られていないことのたとえ。 また、有名ではないことのたとえ。
習い、性と成る(ならい、せいとなる)
習慣も続けていると、しまいにはその人の生まれつきの性質のようになるということ。
習い性となる(ならいせいとなる)
何度も同じことを繰り返すことで、それが習慣となり、しまいにはその人の生まれつきの性質のようになるということ。
習うは一生(ならうはいっしょう)
人間には学ぶべきことがたくさんあるため、いくつになっても常に学び続ける必要があるという戒め。
習うより慣れよ(ならうよりなれよ)
物事は人に教えられるよりも実際に経験を積んだほうが身につくということ。
奈落の底(ならくのそこ)
底の知れない深い所。また、脱け出すことのできない不幸な境遇のたとえ。「奈落」は、仏教で地獄の意。
成らぬうちが頼み(ならぬうちがたのみ)
物事は、出来上がる前は期待して楽しみにするが、出来上がると気が抜けてしまうということ。また、出来上がるまでは人を頼りにするが、出来上がると頼った相手に知らん顔をするのが世の常だということ。
ならぬ堪忍、するが堪忍(ならぬかんにん、するがかんにん)
これ以上は我慢できないというところを耐え抜くのが、真の忍耐だということ。
並ぶ者がない(ならぶものがない)
一番優れていて、その人に匹敵する者がいないということ。
習わぬ経は読めぬ(ならわぬきょうはよめぬ)
知識や経験のないことは、いくらやれといわれても出来るものではないというたとえ。 習ってもいないお経など、難しくて読めるはずがないとの意から。
鳴り物入り(なりものいり)
大げさに宣伝すること。 「鳴り物」は、歌舞伎で用いられる太鼓や笛などの楽器のこと。
生業は草の種(なりわいはくさのたね)
商売や職業などの暮らしを立てる方法は、草の種のように種類が多いということ。 「商売は草の種」「世渡りは草の種」「世渡りは草の種」「身過ぎは草の種」ともいう。
鳴りを静める(なりをしずめる)
物音や声を立てないように静かにしている。
鳴りを潜める(なりをひそめる)
物音や声を立てないように静かにしている。 また、目立った活動をせずに、じっとしている。
生る木は花から違う(なるきははなからちがう)
すぐれた人物は、子どもの頃から凡人とは違うというたとえ。 よく実のなる木は、花が咲くときからわかるとの意から。 「実を結ぶ木は花より知らるる」「生る木は花から違う」ともいう。
成るは厭なり、思うは成らず(なるはいやなり、おもうはならず)
なかなか物事は思い通りにはいかないというたとえ。 実現しそうなものは気に入らず、反対に気に入ったものはうまくいかないとの意から。 多く、縁談についていう言葉。
成るも成らぬも金次第(なるもならぬもかねしだい)
物事がうまくいくかどうかは、すべて金の力で決まるということ。
成れの果て(なれのはて)
かつては勢いの盛んだった者が、落ちぶれてみじめな姿や状態になること。
縄に掛かる(なわにかかる)
犯人がつかまること。 昔、捕らえた罪人を縄でしばったことから。
縄目の恥(なわめのはじ)
罪人として縄で縛られる恥のこと。
縄目の恥を受ける(なわめのはじをうける)
犯罪者として世間から軽蔑され、辱めを受けること。 罪人として縄で縛られるとの意から。
縄を打つ(なわをうつ)
犯人などを捕まえて縄でしばること。
名を上げる(なをあげる)
名声を獲得すること。有名になること。
名を著す(なをあらわす)
名前が広く世間に知られるようになること。
名を売る(なをうる)
自分の名前が広く世間に知れ渡るように努力すること。
名を得る(なをえる)
すぐれた実績などによって、その分野での名声を得ること。有名になること。
名を惜しむ(なをおしむ)
自分の名誉や名声を大事にすること。 また、他人の名誉や名声に傷がつくのを残念におもうこと。
名を借りる(なをかりる)
口実にしたり、表向きの理由にしたりすること。 また、他人の名義を借りること。
名を汚す(なをけがす)
名誉に反する行為をして、その名誉を傷つけること。
名を捨てて実を取る(なをすててじつをとる)
名誉や名声などの体裁にこだわらず、実際の利益や内容を選ぶこと。 単に「実を取る」ともいう。
名を竹帛に垂る(なをちくはくにたる)
長く歴史に名を残すような功績を上げること。「竹帛」は、竹の札と絹のこと。中国で、紙の発明以前に、これに文字を記したところから書物または歴史の意。「垂る」は、残すという意。
名を連ねる(なをつらねる)
関係者の一員として、自分の名前を並べること。
名を遂げる(なをとげる)
名声を獲得すること。
名を留める(なをとどめる)
後世まで名声を残すこと。名を残すこと。
名を取る(なをとる)
評判や名声を得ること。有名になること。
名を取るより得を取れ(なをとるよりとくをとれ)
名誉や名声を得るより、実際の利益を得るほうがよいということ。
名を成す(なをなす)
名声を獲得すること。有名になること。
名を残す(なをのこす)
後世まで名声を残すこと。
名を辱める(なをはずかしめる)
名誉に反する行為をして、その名誉を傷つけること。
名を馳せる(なをはせる)
世間に広くその名が知られること。
名を広める(なをひろめる)
その名が世間で広く知られるようになるようになること。
南柯の夢(なんかのゆめ)
夢のこと。 または、世の中は夢のようにはかないことのたとえ。 中国の唐の時代、ある男性が槐の木の下で寝ているときに、大槐安国の王の娘と結婚して南柯群の太守となり繁栄と衰退を経験しながら二十年の歳月を過ごす夢を見たという故事から。 「槐安の夢」「槐夢」ともいう。
難癖を付ける(なんくせをつける)
些細なミスや欠点などを取りあげて、あれこれと非難すること。荒さがしをすること。
難産、色に懲りず(なんざん、いろにこりず)
苦しんだことを忘れ、懲りずに同じことを繰り返すことのたとえ。 難産の苦しみに懲りずに、また色事を行うとの意から。
南山の寿(なんざんのじゅ)
事業が栄え続けること。 または、長寿を祝う言葉。 「南山」は中国にある終南山という山のことで、長寿や堅固の象徴とされていることから。
難色を示す(なんしょくをしめす)
相手の提案や行動などに対して、賛成できないという意思を表情や態度で示すこと。
汝自身を知れ(なんじじしんをしれ)
自分が無知であることを自覚せよということ。ギリシャのアポロン神殿に刻まれていた言葉。「自分の分をわきまえよ」という意で解釈されていたが、ソクラテスが「自分自身をよく知ることが基本だ」と解釈したといわれる。
爾に出ずるものは爾に返る(なんじにいずるずるものはなんじにかえる)
自分がやった行いの報いは、よいことでも悪いことでも、いつか自分自身に返ってくるということ。
汝の敵を愛せよ(なんじのてきをあいせよ)
自分に悪意を持ち、迫害してくる相手にこそ、慈愛の心を持って接するのが真の愛だということ。
汝の隣人を愛せよ(なんじのりんじんをあいせよ)
自分自身のことだけ考えずに、まわりの人々にも愛情を持って接しなさいということ。
何でも来い(なんでもこい)
どのような事でも受け入れる自信があるさま。
何でも来いに名人なし(なんでもこいにめいじんなし)
何でも器用にこなす人は、何をさせてもそれなりにやってのけるが、どれも名人といえるほどの腕前ではないということ。
何としても(なんとしても)
たとえどのようなことが起きても。
なんなら茶漬け(なんならちゃづけ)
口先だけのお世辞をいうたとえ。もう帰ろうとしている客に「なんなら茶漬けでも」と口先だけで引き止める言葉。「遠州のなんなら茶漬け」「京のお茶漬け」など各地でいろいろな言い方がある。
何の気なしに(なんのきなしに)
特別に意識することもなく。
何の事は無い(なんのことはない)
特別に重要なことではない。大したことではない。
何のその(なんのその)
たいしたことではない。
なんの糸瓜の皮(なんのへちまのかわ)
まったく気にかけないこと。なんとも思わないこと。 「糸瓜」はつまらないものという意味で用いられることが多く、その皮ほどにも思わないとのことから、まったく気にかけないこと。 「なんの糸瓜の皮」「糸瓜の皮」ともいう。
南風競わず(なんぷうきそわず)
南部の国々の勢いが振るわないこと。 日本では、南北朝時代、南朝の勢力の不振をいった。 「南風」は、南方の風習をうたった歌謡の音調のことで、それが北方の歌謡に負けているとの意から。