「の」を含む故事・ことわざ・慣用句
「の」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2167 件
犬馬の養い(けんばのやしない)
父母をただ養うだけで、尊敬する気持ちのないこと。 父母を養うのに、ただ衣食の面倒をみるだけで、まるで犬や馬を養うように敬う気持ちがないとの意から。
犬馬の齢(けんばのよわい)
自分の年齢をへりくだっていう言葉。 大きな功績を残すわけでもなく、犬や馬のようにただ重ねただけの年齢との意から。 「犬馬の年」ともいう。
犬馬の労(けんばのろう)
他人のために力を尽くして働くことをへりくだっていう言葉。犬や馬程度の苦労や労働の意から。
堅白同異の弁(けんぱくどういのべん)
こじつけの論理、詭弁のこと。中国戦国時代、趙の公孫竜が説いた論法。 「固くて白い石は、目で見た時に白さはわかるが堅さはわからない。手で触れた時は堅さはわかるが白さはわからない。ゆえに、堅いことと白いことは同時には成り立たない」と論じたものから。
芸が身を助けるほどの不仕合わせ(げいがみをたすけるほどのふしあわせ)
落ちぶれて不幸な生活のたとえ。 生活に余裕があったころに趣味や道楽で習い覚えた芸事で、なんとか生計を立てるような不幸な身の上になってしまうとの意から。
芸は身の仇(げいはみのあだ)
習い覚えた芸事に夢中になり、身を滅ぼすことがあるというたとえ。
下戸と化け物はない(げことばけものはない)
世の中に化け物がいないように、まったく酒の飲めない人間はいないということ。
下戸の肴荒らし(げこのさかなあらし)
酒の飲めない人が、酒の肴を手当たりしだいに食い荒らすこと。
下戸の建てたる蔵もなし(げこのたてたるくらもなし)
酒を飲めない下戸が金を貯めて家を蔵を建てられるわけでもない。財産を残すことと飲酒は関係ないということ。
下戸の手強(げこのてごわ)
酒を飲めない下戸は、酒飲みのように簡単にこちらの話しに乗ってこないから、容易に付け入ることが出来ず厄介だということ。
下種の後思案(げすのあとじあん)
愚かな者は必要なときは考えが浮かばず、事が終わった後に名案が思い浮かぶということ。 「下種の後知恵」ともいう。 また「下種」は「下衆」とも書く。
下種の一寸、のろまの三寸、馬鹿の開けっ放し(げすのいっすん、のろまのさんずん、ばかのあけっぱなし)
戸を閉める時に、下種は一寸閉め残し、のろまな者は三寸閉め残し、愚か者は開けっ放しにしてしまう。戸の閉め方で、その人の品性・性格がわかるということ。
下種の勘ぐり(げすのかんぐり)
品性の卑しい愚かな人間は、何かにつけて邪推するということ。
下種の口に戸は立てられぬ(げすのくちにとはたてられぬ)
品性の卑しい人間は、人の迷惑など考えず勝手なことをいいふらすが、防ぎようがないということ。
下種の逆恨み(げすのさかうらみ)
品性の卑しい人間は、人の親切な忠告も悪口と思い、逆に忠告してくれた人を恨むということ。
下種の謗り食い(げすのそしりぐい)
品性の卑しい人間は、まずいとけちをつけながらも、意地汚くたくさん食べるということ。「謗り食い」は文句を言いながら食べること。
下駄も阿弥陀も同じ木の切れ(げたもあみだもおなじきのきれ)
尊卑の違いはあっても、もとは同じであることのたとえ。また、出発点が同じでも、その人の心がけ次第で後に大きな差が出てくることのたとえ。 足で踏まれる下駄も、人から拝まれる阿弥陀の仏像も、もとは同じ木から作られたものであるとの意から。 「下駄も仏も同じ木の切れ」ともいう。
げらげら笑いのどん腹立て(げらげらわらいのどんばらたて)
大声で笑っていたかと思うと突然腹を立てるような感情の起伏の激しい人のこと。 「どん腹立て」の「どん」は、腹を立てることを強める接頭語。 「げたげた笑いのどん腹立て」ともいう。
現世安穏、後生善処(げんぜあんのん、ごしょうぜんしょ)
法華経を信じる人は、この世では安穏に生活でき、あの世ではよい世界に生まれるということ。
恋に上下の隔てなし(こいにじょうげのへだてなし)
恋愛感情を抱くのに、身分や地位などの上下は関係ないということ。
恋の遺恨と食べ物の遺恨は恐ろしい(こいのいこんとたべもののいこんはおそろしい)
恋愛の恨みと食べ物の恨みは、根深く恐ろしいということ。
恋の鞘当て(こいのさやあて)
ある一人の女性を巡って、二人の男性があらそうこと。 「鞘当て」は、武士がすれ違うときに、お互いの刀の鞘尻が触れたことを咎めて争うこと。
鯉の滝登り(こいのたきのぼり)
立身出世のたとえ。中国の黄河上流にある竜門という急流を登りきった鯉は竜になるという故事から。
鯉の一跳ね(こいのひとはね)
諦めがいいこと。潔いこと。捕らえられた鯉は一度跳ねるだけで、あとはじたばたしないという意味から。
恋の道には女がさかしい(こいのみちにはおんながさかしい)
恋に関しては、女は男が足元にも及ばないほど知恵がはたらくということ。「さかしい」は賢い意。
恋の病に薬なし(こいのやまいにくすりなし)
恋わずらいは病気ではないから治す薬はないということ。
恋の山には孔子の倒れ(こいのやまにはくじのたおれ)
どんなにすぐれた人でも、色恋のこととなると思慮分別を失い、間違いを犯してしまうというたとえ。「孔子」は孔子(こうし)の呉音読み。
恋の闇(こいのやみ)
恋をしたことによって、まるで闇の中に迷いこんだかのように思慮分別がつかなくなることのたとえ。 「恋の闇路」「恋路の闇」ともいう。
恋は曲者(こいはくせもの)
恋は理性を失わせるから、恋をした人は常識では考えられないような、とんでもないことをするおそれがあるということ。
恋は思案の外(こいはしあんのほか)
恋愛は理性を失わせため、常識や理屈で理解できるものではないということ。 「恋」は「色」、「思案」は「心」ともいう。
光陰、矢の如し(こういん、やのごとし)
月日が経つのが早いことのたとえ。 「光」は日、「陰」は月のこと。 月日は、矢が飛ぶようにあっという間に過ぎ去るという意味から。
後悔は知恵の緒(こうかいはちえのいとぐち)
後悔することによって、次から事に備えることができる。後悔は気付きのきっかけであるということ。
攻撃は最大の防御(こうげきはさいだいのぼうぎょ)
守りにまわらず、積極的に攻めることが一番の防御の方法であるということ。
孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし)
親が元気な時は、有難みや苦労がわからず、それに気がつく年になった時には、親はもうこの世にいないということ。親が元気なうちに孝行せよという戒め。
鴻鵠の志(こうこくのこころざし)
大人物の志。「鴻」は大鳥、「鵠」は白鳥のことで、どちらも大きな鳥。転じて大人物のこと。
後顧の憂い(こうこのうれい)
あとあとの心配のこと。 「後顧」はあとあとの心配をすること。あとをふりかえること。
恒産なき者は恒心なし(こうさんなきものはこうしんなし)
一定の財産や職業がなければ、正しく落ち着いた心を持つことができないということ。「恒産」は一定の財産や安定した職業、「恒心」は正常な心という意。
高山の巓には美木なし(こうざんのいただきにはびぼくなし)
地位の高い人は、人からねたまれたり批判されたりすることが多く、その名声を保つのが難しいというたとえ。 高山の頂上は雨風の激しい過酷な環境なので、そこに立つ木は美しい姿を保つことができないとの意から。
膠漆の交わり(こうしつのまじわり)
きわめて親しく堅い交わりのたとえ。 「膠漆」は、にかわとうるし。 にかわとうるしで塗り固めて離れられないような交わりとの意から。
口耳の学(こうじのがく)
聞いたことをそのまま人に話すだけの自分の身につかない学問のこと。受け売りの学問のこと。 「口耳」は、耳から口までのわずかな距離のことで、耳から入ってすぐ口から出るとの意から。
黄泉の客(こうせんのきゃく)
死者のこと。「黄泉」は地下の泉の意。転じて、死者の行くとされる所。
浩然の気を養う(こうぜんのきをやしなう)
物事にとらわれない、のびのびとした気持ちをつちかうこと。「浩然の気」は、天地にみなぎっている正しくておおらかな気のこと。
公然の秘密(こうぜんのひみつ)
表向きは秘密とされているが、実際には広く世間に知れ渡っていること。 「公然」は誰もが知っているということ。
口中の虱(こうちゅうのしらみ)
逃げ場がなくて、非常に危険なことのたとえ。 口の中のしらみは、逃げ場がないため簡単に噛み殺されることから。
荒唐の言(こうとうのげん)
根拠のないでたらめの話のこと。「荒唐」は、言うことにとりとめがないこと。
紅灯の巷(こうとうのちまた)
花柳界、歓楽街のこと。「紅灯」は華やかな紅い灯火の意。
口頭の交わり(こうとうのまじわり)
口先だけの交際。うわべだけの付き合い。
功成り名遂げて身退くは天の道なり(こうなりなとげてみしりぞくはてんのみちなり)
りっぱな仕事を成し遂げて名声を得たら、その地位にとどまらず退くのが、自然の摂理にかなった身の処し方であるということ。
効能書きの読めぬ所に効能あり(こうのうがきのよめぬところにこうのうあり)
薬の効能書きは難解だが、それがかえって効きそうな気にさせる。わかりにくいものほど、有難みがあるということのたとえ。また、効能書きの難解さへの皮肉にいう。
甲の薬は乙の毒(こうのくすりはおつのどく)
ある人にはためになることが、他のひとには毒になることもあるということ。物事の価値は人によって違うというたとえ。
孝は百行の本(こうはひゃっこうのもと)
孝行は、すべての善行の基本となるものであるということ。「百行」は、すべての善いおこないの意。
弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)
いかにすぐれた人物でも、時には失敗することがあるというたとえ。弘法大師のような書の名人でも、時には書き損じることもあるということから。
高慢は出世の行き止まり(こうまんはしゅっせのいきどまり)
自分の出世を自慢ばかりするようになると、その人は向上しないということ。また、人から嫌われてそれ以上の出世もできなくなるということ。
蝙蝠も鳥のうち(こうもりもとりのうち)
つまらない者が優れた者たちの中に交じっていることのたとえ。また、あまり力にならない者でも仲間には違いないというたとえ。 蝙蝠(こうもり)も空を飛ぶからには鳥の仲間であるとの意から。
紺屋の明後日(こうやのあさって)
約束の期限があてにならないことのたとえ。「紺屋」は染物屋のことで、もとは「こんや」ともいった。染物屋の仕事は天気に左右されるので、出来上がりが遅れがちでいつも「明後日」と言い訳していたことから。
紺屋の白袴(こうやのしろばかま)
他人の事に忙しくて、自分のことをする暇がないこと。 「紺屋」は染物屋の総称。もとは、藍染め屋のこと。 染物屋が、自分の袴は染めずにいつも白袴をはいていることから。 一説には、あえて白い袴を身につけることで、染料を扱う技術力の高さ、また少しも袴を汚さないという職人気質を表したともいわれる。 紺屋は「こんや」、白袴は「しらばかま」ともいう。
黄粱一炊の夢(こうりょういっすいのゆめ)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
黄粱の一炊(こうりょうのいっすい)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
黄粱の夢(こうりょうのゆめ)
人生の栄枯盛衰のはかなさのたとえ。 昔、中国の邯鄲(かんたん)で盧生という青年が、道士から枕を借りて眠った。夢の中で、出世して財力や権力を手に入れるという長い人生の経験をしたが、目覚めてみると炊きかけの粥がまだ煮えきらない短い時間であったという故事から。 「邯鄲の枕」「邯鄲の夢」「一炊の夢」「盧生の夢」「黄粱の夢」「黄粱の一炊」「黄粱一炊の夢」など多くの呼び方がある。
香炉峰の雪は簾をかかげて見る(こうろほうのゆきはすだれをかかげてみる)
白居易の詩の一節。「香炉峰」は中国江西省北端にある山。
声を呑む(こえをのむ)
極度の驚き、緊張、感動などによって、声を出すことができなくなること。
小男の腕立て(こおとこのうでたて)
抵抗しようとしても、非力で問題にならないことのたとえ。「腕立て」は、自分の腕力をたのみとして人と争うこと。
小男の総身の知恵も知れたもの(こおとこのそうみのちえもしれたもの)
小男の全身が知恵だとしても、その量はたかが知れているということ。「大男総身に知恵が回りかね」に対して言い返す言葉。
告朔の餼羊(こくさくのきよう)
古くからのしきたりは、むやみに廃止すべきではないということ。また、形式ばかりで実質がないしきたりのこと。 「告朔」は、古代中国で、諸侯が天子から受け取った新しい年の暦をいったん祖先の廟に納め、毎月一日に祭事を行い、その月の暦を国内に施行した儀式のこと。 「餼羊」は、その祭事に供えるいけにえの羊。 告朔の意義が廃れて羊を供える儀式だけが残った時、いけにえを廃止しようとしたが、孔子が告朔の儀式が全て廃れてしまうのを惜しんだという故事から。
虚仮の一心(こけのいっしん)
愚かな者でも物事を一心に行えば、すぐれたことが出来るというたとえ。 「虚仮」は、愚か者のこと。 「虚仮の一念」ともいう。
股肱の臣(ここうのしん)
もっとも信頼できる部下のこと。「股」はもも、「肱」はひじのことで、どちらも人間のからだにとって重要な部分ということで、「股肱」はもっとも頼りになるものの意。
糊口を凌ぐ(ここうをしのぐ)
どうにか暮らしを立てていくこと。 「糊」は、粥のこと。 粥をすするようにして、なんとか生きていくとの意から。
虎口を逃れて竜穴に入る(ここうをのがれてりゅうけつにいる)
次から次へと災難にあうことのたとえ。 虎に食われる危険から逃れたら、今度は竜の住む穴に入り込んでしまうことから。
呱呱の声を上げる(ここのこえをあげる)
赤ん坊が生まれること。 また、物事が新たに誕生すること。 「呱呱」は、赤ん坊の泣き声。
志ある者は事竟に成る(こころざしあるものはことついになる)
確固たる志を持っている者は、どんな困難があっても最後には必ず成功するということ。
志は髪の筋(こころざしはかみのすじ)
どんなものでも真心をこめて贈れば、相手は誠意を汲みとってくれるものであるということ。
志は木の葉に包む(こころざしはこのはにつつむ)
たとえ木の葉に包むほどのささやかな物でも、真心がこもっていれば立派な贈り物だということ。
心に残る(こころにのこる)
強い感動や印象を受け、そのことをいつまでも忘れることができない。
心の鬼が身を責める(こころのおにがみをせめる)
良心に責められることのたとえ。「心の鬼」は、良心の呵責の意。
心の駒に手綱許すな(こころのこまにたづなゆるすな)
過ちを犯さないように、常に心を引き締めよということ。 「駒」は馬のこと。心を馬にたとえて、放っておくと悪い方へ走りがちなので、手綱を引き締めて制御せよとの意から。
心の師とはなれ心を師とせざれ(こころのしとはなれこころをしとせざれ)
自分の心は自ら律するべきであり、心のままに感情に流されてはいけないということ。
心の欲する所に従えども矩を踰えず(こころのほっするところにしたがえどものりをこえず)
自分の心の思うままに行動しても、決して道徳から外れないということ。
心ほどの世を経る(こころほどのよをへる)
人はその人の心がけ次第で、それにふさわしい人生を送るようになるということ。
心安いは不和の基(こころやすいはふわのもと)
あまりに親しくなり過ぎると遠慮がなくなり、かえって仲違いしやすいということ。
胡椒の丸呑み(こしょうのまるのみ)
表面だけを見て、物事の本質を理解しないことのたとえ。 胡椒をかみ砕かずに丸呑みしても、味は分からないことから。
