「み」を含む故事・ことわざ・慣用句
「み」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 888 件
愛多ければ憎しみ至る(あいおおければにくしみいたる)
特別に可愛がられることが多ければ、それを妬み憎む者が必ずいるということ。
挨拶は時の氏神(あいさつはときのうじがみ)
争いごとの仲裁をしてくれる人は氏神様のようにありがたいものなので、その仲裁に従うのがよいということ。 「挨拶」は仲裁の意味。 「仲裁は時の氏神」ともいう。
相手のさする功名(あいてのさするこうみょう)
相手の力が弱かったり、やり方が劣っていたために、思わぬ手柄を立てることのたとえ。「さする」は「してくれる」の意。
相手見てからの喧嘩声(あいてみてからのけんかごえ)
相手が自分より弱そうだと判断すると、いきなり喧嘩を売る大声を出して威張り出すこと。
愛は惜しみなく与う(あいはおしみなくあたう)
誰かを愛する時は、自分の持つすべてを与えても惜しくないということ。
愛は惜しみなく奪う(あいはおしみなくうばう)
誰かを愛する時は、その相手の持つすべてを自分のものにしようと求めるということ。
愛は憎しみの始めなり(あいはにくしみのはじめなり)
愛と憎しみは紙一重であり、一歩間違えると愛情は憎悪に変わることがある。愛情を抱く際には、節度やバランスを保つことが大切だということ。 「愛は憎しみの始めなり」ともいう。
青菜は男に見せな(あおなはおとこにみせな)
青菜は、茹でたり炒めたりすると量が大幅に減るが、料理を知らない男性にとっては、その変化が理解しにくい。 調理後の量を見て「あんなにたくさんあったのに、どこへ行ったのだ」と不審に思われることがある。 転じて、無用な誤解や疑惑を避けるために、疑われる可能性のある行動は最初から控えるべきだということ。
垢も身のうち(あかもみのうち)
垢も身体の一部であるから、長湯して丹念に身体を洗うのもほどほどにせよという、風呂好きの人をからかって言うことば。「腹も身の内」をもじったことば。
明るみに出る(あかるみにでる)
隠されていたり知られていなかった物事が、多くの人々に知られる。世間に知られる。
おもに、知られると悪い物事について用いる。商人の嘘は神もお許し(あきんどのうそはかみもおゆるし)
商人が商売上の駆け引きで嘘をつくのは、神様もやむを得ないとお許しになるということ。
悪事、身にかえる(あくじ、みにかえる)
自分の犯した悪事は、めぐりめぐって戻ってきて自分を苦しめる結果になるということ。
悪女は鏡を疎む(あくじょはかがみをうとむ)
器量の悪い女性が鏡に向かうのを嫌がるように、人間は自分の欠点に触れるのを嫌がるということ。「悪女」は不器量な女のこと。
悪銭身に付かず(あくせんみにつかず)
不当な手段で得た金は大切にしないから、とかくつまらないことに使ってしまい残らないものだということ。
欠伸を嚙み殺す(あくびをかみころす)
退屈なことを嫌々ながら続けること。我慢をすること。 出かかったあくびを、口を閉じて無理やり我慢することから。
阿漕が浦に引く網(あこぎがうらにひくあみ)
人に隠れて行う事も、度重なると人に知られてしまうということのたとえ。 「阿漕が浦」は三重県津市東部の海岸で、伊勢神宮に奉納する魚を捕るため一般人は禁猟区であったが、ある漁夫がたびたび密漁を行い捕らえられたということから。
浅瀬に徒波(あさせにあだなみ)
思慮の浅い人間ほど、おしゃべりで些細なことで騒ぎ立てるということ。「徒波」は「仇波」とも書き、浅瀬が徒(いたずら)にさざ波を立てる意から。
薊の花も一盛り(あざみのはなもひとさかり)
誰でも年ごろになると、それなりの魅力が出てくるということ。 あまり好まれない薊の花も、美しい時期があることから。
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)
朝に人の生きるべき道を悟ることができれば、その夕方に死んだとしてもかまわないということ。
足並みを揃える(あしなみをそろえる)
多くの人の考え方や意見、方針が一致して、同じ行動をとる。
足の踏み場もない(あしのふみばもない)
足を置くわずかなすき間もないほど、部屋に物が散らかっているようす。
足踏みをする(あしぶみをする)
物事が進展せずに、同じ状態にとどまっているようす。
足元を見る(あしもとをみる)
相手の弱点を見抜いてそれに付け込むたとえ。 「足下を見る」とも書く。
足を踏み入れる(あしをふみいれる)
ある場所に入ること。また、新たな社会と関係するようになること。
明日食う塩辛に今日から水を飲む(あすくうしおからにきょうからみずをのむ)
手回しがいいように見えて、実は無意味なことのたとえ。
明日は我が身(あすはわがみ)
他人に降りかかった不幸や苦しむ姿をみて、明日は自分に起こりえることかもしれないから用心せよ、という教え。
汗水垂らす(あせみずたらす)
苦労をいとわず、一生懸命に働くさま。 水のように汗が垂れるほど働くことから。
汗水流す(あせみずながす)
一生懸命に働くさま。 水のように汗が流れるほど働くことから。
頭から水を浴びたよう(あたまからみずをあびたよう)
突然起こった恐ろしい出来事に、驚き恐れてぞっとすることのたとえ。
頭から水を掛けられたよう(あたまからみずをかけられたよう)
突然起こった恐ろしい出来事に、驚き恐れてぞっとすることのたとえ。
頭でっかち尻つぼみ(あたまでっかちしりつぼみ)
最初は威勢よく、だんだん勢いがなくなり、最後はだらしなくなること。
頭の黒い鼠(あたまのくろいねずみ)
物を盗む人のこと。家に住んでいて、物を盗む頭髪の黒い人間を、鼠になぞらえて言う言葉。
徒花に実は生らぬ(あだばなにみはならぬ)
どんなに見かけがよくても、実質が伴わなくてはよい成果を上げることはできないということ。 「徒花」は、咲いても実を結ばずに散る花。 どんなに美しい花を咲かせようとも、実のならない徒花では仕方がないとの意から。
仇も情けも我が身より出る(あだもなさけもわがみよりでる)
人から憎まれたり愛されたりするのは、自分の心がけや行いによるということ。
後先見ず(あとさきみず)
後のことをよく考えずに行動するようす。
穴の開くほど見る(あなのあくほどみる)
何かをじっと見つめるさま。
油紙に火の付いたよう(あぶらがみにひのついたよう)
べらべらとよくしゃべる様子。油の付いた紙は、めらめらとよく燃えることから。
甘く見る(あまくみる)
たいしたことはないと軽く見て、あなどる。
網、呑舟の魚を漏らす(あみ、どんしゅうのうおをもらす)
法の規制が及ばず、大悪人を取り逃がしてしまうことのたとえ。 網の目が粗いために、舟を呑み込むほどの大魚を逃がしてしまうことから。
阿弥陀の光も銭次第(あみだのひかりもぜにしだい)
金の力は絶大だというたとえ。阿弥陀仏の御利益も供える金の多少に影響されるということから。
阿弥陀も銭で光る(あみだもぜにでひかる)
金の力は絶大だというたとえ。阿弥陀仏の御利益も供える金の多少に影響されるということから。
網なくて淵を覗くな(あみなくてふちをのぞくな)
十分な用意なしでは物事はうまくいかないというたとえ。また、努力もしないで人を妬んではいけないということ。網を持たずに淵を覗き込んでも、魚は捕れるわけがないという意味から。
網にかかった魚(あみにかかったうお)
逃げようとしても逃げ出せないことのたとえ。
網にかかるは雑魚ばかり(あみにかかるはざこばかり)
悪事をはたらいても捕まるのは小物ばかりで、大物は巧みに逃げてなかなか捕まらないということ。
網の目に風たまらず(あみのめにかぜたまらず)
無駄なこと、何の効果もないことのたとえ。網で風を防ごうとしても、風は網の目を通り過ぎていくことから。
網の目に風たまる(あみのめにかぜたまる)
ありえないことのたとえ。 網の目を通り抜けるはずの風が網にたまるとの意から。
網の目を潜る(あみのめをくぐる)
捜査網や監視から巧みに逃れる。 また、法律や規則の盲点を突いて悪事をはたらく。
網を張る(あみをはる)
犯人や目当てのものをとらえるために、準備して待ち構えること。
過ちを観て仁を知る(あやまちをみてじんをしる)
人の過ちの種類を観察することによって、その人の人柄がわかるということ。
過つは人の性、許すは神の心(あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ)
人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。 「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
洗い髪にはおじ坊主が惚れる(あらいがみにはおじぼうずがほれる)
女性の湯上り姿は艶やかで誰でも心ひかれるということ。 「おじ坊主」は、「伯父(叔父)や坊主も」という解釈と「おじの坊主」という解釈がある。 「湯上りは親でも惚れる」「洗い髪にはおじ坊主が惚れる」などともいう。
荒波に揉まれる(あらなみにもまれる)
世間の厳しい現実の中で、さまざまな苦労を重ねること。
蟻の穴から堤も崩れる(ありのあなからつつみもくずれる)
ちょっとした油断・不注意から大事が起こることのたとえ。 蟻の穴を見過ごしたために堤防が崩れることもあるとの意から。
言い得て妙(いいえてみょう)
的確で巧みに言い表している。
言い勝ち功名(いいがちこうみょう)
多少筋が通らない意見でも、たくさんしゃべる人の意見に賛同する人が増え、結局は支持されるようになるということ。つまり、黙っていては、どんな良い意見も人には伝わらないということ。
いい目を見る(いいめをみる)
幸せな状態を経験すること。
家に鼠、国に盗人(いえにねずみ、くににぬすびと)
規模の違いはあるが、どんな所にも悪いことをする者がいるということ。
家を道端に作れば三年成らず(いえをみちばたにつくればさんねんならず)
他人の助言をいちいち聞いていると、何事もやり遂げることが出来ないというたとえ。 道に面した場所に家を建てようとすると、口出しをする人が多くてなかなか出来上がらないとの意から。
生き身は死に身(いきみはしにみ)
この世に生きているものは、いつかは必ず死ぬものであるということ。
戦を見て矢を矧ぐ(いくさをみてやをはぐ)
物事が起こってから、慌てて準備にとりかかる愚かさをいう言葉。 戦いが始まってから矢を作ることから。 「軍を見て矢を矧ぐ」「敵を見て矢を矧ぐ」ともいう。
石に裃(いしにかみしも)
硬い石に裃を着せたように、堅苦しい人のたとえ。また、そういう様子のこと。「裃」は江戸時代の武士の礼服。
意志のある所には道がある(いしのあるところにはみちがある)
実現しようという意志があれば、できないことはないというたとえ。
医者と味噌は古いほどよい(いしゃとみそはふるいほどよい)
医者は経験を積んだ年寄りのほうが信頼できるし、味噌は年月が経ったもののほうがおいしいということ。
医者の自脈効き目なし(いしゃのじみゃくききめなし)
たとえ専門分野のことでも、自分のことになると適切な処理ができないということ。 医者は他人の病気は治せても、自分の病気は適切な処置ができないとの意から。
医者よ自らを癒せ(いしゃよみずからをいやせ)
他人に立派なことを言う人は自分も立派でなければならにというたとえ。患者を治療する医者は自分自身も健康に注意せよという意。
何れを見ても山家育ち(いずれをみてもやまがそだち)
大勢いる者のどれを見ても田舎育ちで、誰一人役に立ちそうにない。
伊勢へ七度、熊野へ三度(いせへななたび、くまのへみたび)
信仰心が深いことのたとえ。 伊勢神宮へ七度、熊野三山へ三度もお参りするほど信仰深いとの意から。 このあと続けて「愛宕(あたご)様へは月参り」ともいう。
急ぎの文は静かに書け(いそぎのふみはしずかにかけ)
急ぎの手紙ほど大事な用件が多く、あせって早く書こうとすると間違うことが多いので、落ち着いてゆっくり書いとほうがいいということ。
痛い目を見る(いたいめをみる)
つらい体験をすること。ひどい目にあう。 「遭う」は「合う」とも書く。 また「痛い目を見る」ともいう。
鼬の道切り(いたちのみちきり)
交際や音信が途絶えることのたとえ。 鼬(イタチ)は一度通った道は二度と通らないといわれることから。 「鼬の道を切る」「鼬の道が切れる」「鼬の道」ともいう。
板挟みになる(いたばさみになる)
対立する両者の間で、どちらに付くこともできず思い悩むこと。 板と板の間に挟まれて身動きがとれないとの意から。
一髪、二化粧、三衣装(いちかみ、にけしょう、さんいしょう)
女性を美しく見せるのは、第一は髪かたちの美しさ、二番目は化粧、三番目が衣装だということ。
一芸は道に通ずる(いちげいはみちにつうずる)
一芸を極めた人は、他のどんな分野においても人にぬきんでることができるということ。
一枚の紙にも裏表(いちまいのかみにもうらおもて)
紙にも裏表があるように何事にも裏表があるということ。
一脈相通ずる(いちみゃくあいつうずる)
ちょっと見ただけではかけ離れているように見えるものの間にも、何かしら共通点があるということ。
一文惜しみの百知らず(いちもんおしみのひゃくしらず)
目先の損得にとらわれて、あとで大損することに気づかない愚かさを嘲笑するたとえ。たった一文惜しんだために、あとで百文もの損失を招く意から。
一掬の涙(いっきくのなみだ)
両手ですくうほどの涙。 または、ほんのわずかな涙の意でも用いる。
一糸乱れず(いっしみだれず)
整然としていて、少しの乱れもない。
一寸先は闇(いっすんさきはやみ)
一寸先が真っ暗で何も見えないように、少し先の未来にすらどんな運命が待ち受けているのか、まったく予測ができないことのたとえ。
一朝の怒りにその身を忘る(いっちょうのいかりにそのみをわする)
一時的な怒りのために我を忘れて行動すること。 また、そのような行動は身を滅ぼすことになるという戒め。 「一朝の怒りに一生を過つ」ともいう。