「い」を含む故事・ことわざ・慣用句
「い」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2678 件
喪家の狗(そうかのいぬ)
元気がなくてやつれている人のたとえ。 または、身を寄せるところがなく、放浪している人のたとえ。 「喪家」は喪中の家のこと。 「狗」は動物の犬のこと。 葬式をしている家は忙しいので、犬に餌をやり忘れてしまい犬がやせてしまうという意味から。 また、一説に家を失った犬や宿無しの犬のことをいうこともある。
創業は易く守成は難し(そうぎょうはやすくしゅせいはかたし)
事業を新しく起こすよりも、成果を守り続けていくほうが難しいということ。 「創業」は事業を新しく興すこと。 「守成」は成果を守るいう意味から。 唐の太宗が「創業と守成のどちらが難しいか」と尋ねたときに、魏徴が「守成」と答えたという故事から。
そうは問屋が卸さない(そうはとんやがおろさない)
そう簡単に相手の望みに応じられないということ。また、物事は都合よく自分の思い通りには運ばないというたとえ。そんな安値では問屋が卸してくれないということから。
相場が決まっている(そうばがきまっている)
一般的にそうであると認識されていること。
倉廩実ちて礼節を知る(そうりんみちてれいせつをしる)
経済的に安定して初めて礼儀や節度を重んじるゆとりが生まれるというたとえ。「倉廩」は、穀物類を蓄える倉の意。米ぐらが一杯になって初めて礼節をわきまえる心が生まれるということから。
葬礼帰りの医者話(そうれいがえりのいしゃばなし)
言ってもどうにもならない愚痴を言うたとえ。また、手遅れで間に合わないことのたとえ。葬式からの帰り道に、医者のよしあしなどを話すということから。
葬礼九つ酒七つ(そうれいここのつさけななつ)
葬儀は昼の十二時頃、酒宴は午後四時頃に行うのが習わしだということ。
惻隠の情(そくいんのじょう)
かわいそうに思う気持ち。同情する気持ち。「惻隠」は、相手を哀れむこと。
即時一杯の酒(そくじいっぱいのさけ)
死んでから受ける名誉より、今すぐ飲める一杯の酒のほうがありがたいということ。
底が浅い(そこがあさい)
見た目だけで内容に深みがないこと。 または、器量や能力が大したものではないこと。
底が知れない(そこがしれない)
限度がはかれないほど深いこと。程度が甚だしいこと。
そこへ行くと(そこへいくと)
前に述べた事柄と後に続く事柄が対照的であることを表す言葉。その点に関しては。
俎上の魚江海に移る(そじょうのうおこうかいにうつる)
危機的な状況から脱して安全な場所に移ること。 まな板の上の魚が川や海に逃げるという意味から。 「俎」はまな板のこと。 「江海」は川や海のこと。
俎上の鯉(そじょうのこい)
他人の意志に完全に委ねられた、選択の余地がない状況に置かれていることのたとえ。 「俎上」は、まな板の上。 まな板の上にのせられた魚との意から。 「俎上の鯉」「俎板の魚」「俎板の鯉」などともいう。
粗相が御意に叶う(そそうがぎょいにかなう)
目上の者には、そそっかしい性格の目下の者がほほえましく見え、そうした者がかえって気に入られるということ。
粗相も時の一興(そそうもときのいっきょう)
失敗も、時によってはその場を和ませるような笑いを誘う一つの面白みであるということ。
袖から手を出すも嫌い(そでからてをだすもきらい)
ひどくけちなことのたとえ。 金を出すのはもちろん、袖から手を出すのも嫌いとの意から。
外愛嬌の内そんぶり(そとあいきょうのうちそんぶり)
外では愛嬌を振りまいているが、家では無愛想な人のこと。「そんぶり」は、無愛想の意。
外面がいい(そとづらがいい)
身内以外の人と接する時のほうが態度がよいこと。
外孫飼うより犬の子飼え(そとまごかうよりいぬのこかえ)
他家へ嫁いだ娘が生んだ子は、いくらかわいがっても、将来の頼りにはならない。そんな孫をかわいがるより、犬の子をかわいがるほうがましだということ。
備えあれば憂いなし(そなえあればうれいなし)
普段から非常時の準備をしておけば、緊急の事態が起こっても心配する必要がないということ。
備わらんことを一人に求むるなかれ(そなわらんことをいちにんにもとむるなかれ)
万能な人間などいないのだから、一人の人間に完全無欠を要求してはいけないということ。
その一を識りてその二を知らず(そのいちをしりてそのにをしらず)
知識が浅く応用力がないこと。一つのことだけ知って、それ以外のことには知識がない意から。
その国に入ればその俗に従う(そのくににいればそのぞくにしたがう)
その土地に行ったら、その土地の習慣やしきたりに従うべきであるということ。
その手は食わない(そのてはくわない)
相手の計略を見抜き、それには引っかからないということ。
その右に出ずる者なし(そのみぎにいずるものなし)
その人に優る者がいないということ。昔、中国では右を上席としたことから。
反りが合わない(そりがあわない)
性格や考え方などが相手と合わず、うまくいかないこと。 刀の反りが鞘に合わないとの意から。
揃いも揃って(そろいもそろって)
同じ種類のものが揃っていることを強調して言う言葉。 特に悪い意味で使う言葉。
算盤高い(そろばんだかい)
なにかを行う際に、損になるか得になるかを考えるさま。
造詣が深い(ぞうけいがふかい)
学問や芸術などの深い知識や技能を持ち、すぐれた理解力があること。
俗事に入り易い(ぞくじにはいりやすい)
世間の人々に理解され、受け入れられやすいこと。
俗に言う(ぞくにいう)
世間で言う。一般に言う。 正式ではないが一般的に言われているとの意味を表す言葉。
ぞっとしない(ぞっとしない)
その物事によい感情をもてないこと。あまり感心しない。
大隠は市に隠る(たいいんはいちにかくる)
本当の隠者は、人里離れたところに隠れ住んでいるのではなく、市中で人と交わって暮らしているということ。 「大隠」は悟りを開いた隠者のこと。
大恩は報せず(たいおんはほうせず)
小さな恩義はすぐに気づいて報いることができるが、大きな恩義はその大きさゆえに気づきにくく、感謝や報恩ができないということ。
大海の一滴(たいかいのいってき)
大きな海の中の一滴の水のように、広大なところにきわめて小さなものがあることのたとえ。
大海は芥を択ばず(たいかいはあくたをえらばず)
度量が広く、どんな相手でもすべて受け入れるというたとえ。 「芥」はごみのこと。 大海はごみであっても気にせずに受け入れるという意味から。
大海を手で塞ぐ(たいかいをてでふさぐ)
どうやっても出来るはずのない不可能なことをしようとすることのたとえ。 大海の水を手で堰き止めようとするとの意から。
大海を耳搔きで測る(たいかいをみみかきではかる)
とても大きな問題に対して、自分の小さな力や考えで判断しようとするたとえ。広い海の水を耳掻きで汲んではかろうとすることから。
大廈の倒れんとするは一木の支うる所に非ず(たいかのたおれんとするはいちぼくのささうるところにあらず)
大きな勢力の危機は、一人の力だけではどうすることもできないということ。 「大廈」は、大きな建物のこと。 大きな建物が倒れかけているのを、一本の木だけで支えることはできないとの意から。 「倒れんとする」は「顚れんとする」とも書く。 「一木大廈の崩るるを支うる能わず」「一木いずくんぞ能く大廈を支えん」ともいう。
大家後なし(たいかのちなし)
その道の大家は一代限りで、子孫が大家になるとは限らないということ。
大旱の雲霓を望む(たいかんのうんげいをのぞむ)
物事の到来を待ち望むことのたとえ。 「大旱」はひどい日照り、「雲霓」は雲と虹のこと。 ひどい日照りの時に、雨の前触れである雲や虹を待ち望むとの意から。
大姦は忠に似たり(たいかんはちゅうににたり)
大悪人は本性を隠して主君に仕えるので、あたかも忠臣のようにみえるということ。「大姦」は大悪人の意。
大概にする(たいがいにする)
ほどほどにする。ある程度でやめておく。「大概にしろ」の形で使われることが多い。
対岸の火事(たいがんのかじ)
自分にはまったく影響がなく、苦痛を感じないたとえ。向こう岸の火事はこちらまで燃え移ってくる危険がないことから。
大義、親を滅す(たいぎ、しんをめっす)
国や君主に尽くす時は親子兄弟さえ犠牲にすることがあるということ。
大疑は大悟の基(たいぎはたいごのもとい)
大きな疑いを持つということは、大きな悟りを開くもとであるということ。
大魚は小池に棲まず(たいぎょはしょうちにすまず)
大人物はつまらない仕事や地位には満足しないというたとえ。 大きな魚は小さな池には棲んでいないという意味から。
大魚を逸する(たいぎょをいっする)
大きな仕事・手柄などをあと少しのところで逃すこと。 大きな魚を取り逃すことから。
大軍に関所なし(たいぐんにせきしょなし)
大きな勢力にはかなわないということ。大軍に攻められたらそれをはばむ関所などないという意味から。
大賢は愚なるが如し(たいけんはぐなるがごとし)
本当に賢い人は知識をひけらかさないから、一見愚か者のように見えるということ。
大行は細謹を顧みず(たいこうはさいきんをかえりみず)
大事業を成し遂げようとする者は、小さな事柄など気にかけないということ。「細謹」は細かいことに気を配る意。
大功は拙なるが如し(たいこうはせつなるがごとし)
真の名人は小細工をしないので、一見すると下手に見えるということ。
大功を成す者は衆に謀らず(たいこうをなすものはしゅうにはからず)
大事業を成し遂げる者は、周囲の意見を聞いたり相談したりせず、自分の判断で事を行うということ。
大功を論ずる者は小過を録せず(たいこうをろんずるものはしょうかをろくせず)
大きな功績を表彰しようと議論する時、たとえそのかげに小さな過失があっても大目に見て問題にしないということ。
太鼓判を押す(たいこばんをおす)
絶対に間違いないと保証するたとえ。太鼓のように大きな判を押す意から。
太鼓も撥の当たりよう(たいこもばちのあたりよう)
こちらのやり方次第で相手の出方も違ってくるというたとえ。 太鼓はたたき方ひとつで、音の強弱がかわるとの意から。 「撥」は「桴」や「枹」とも書く。
太鼓を打てば鉦が外れる(たいこをうてばかねがはずれる)
一方に気を取られると、もう一方がおろそかになるというたとえ。 太鼓に気を取られると、鉦を打つ手がゆるみ、打ち損じることから。
太鼓を叩く(たいこをたたく)
他人に同調して機嫌をとること。太鼓を持つ。
太鼓を持つ(たいこをもつ)
他人に同調して機嫌をとること。太鼓を叩く。
泰山の安きに置く(たいざんのやすきにおく)
泰山のように、揺るぎないものとしてどっしりと安定させること。 中国の名山である泰山は、古くから動じないものの象徴とされる。
泰山は土壌を譲らず(たいざんはどじょうをゆずらず)
大きなことを成し遂げる人は、小さい意見にも素直に耳を傾ける度量の広さを持つ、またそのようにして自分を高めていくというたとえ。 「泰山」は中国、山東省にある山。 泰山はどんな小さな土くれでも拒まずに受け入れて大きな山になったとの意から。 「泰山」は「太山」とも書く。
泰山北斗のごとし(たいざんほくとのごとし)
その道の大家として最も尊ばれる人物をたとえていうことば。 「泰山」は中国、山東省にある名山、「北斗」は北斗七星。 中国では、泰山と北斗七星が人々から仰ぎ見られていたことから。 「泰山北斗」は略して「[[泰斗*https://kokugo.jitenon.jp/word/p30621]]」ともいう。
大山鳴動して鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)
前触ればかりが大きくて、実際の結果は小さいことのたとえ。 大きな山が音を立てて揺れ動くので、何か大きな事が起こるのかと身構えていると、鼠がたった一匹出てきただけだったとの意から。 「大山」は「泰山」とも書く。
太山を挟んで北海を超ゆ(たいざんをわきばさんでほっかいをこゆ)
人間の力では出来るはずがないことのたとえ。 「太山」は泰山、「北海」は中国北東部にある渤海湾(ぼっかいわん)のこと。 泰山を小脇にかかえて渤海湾を飛び越えるとの意から。
大食腹に満つれば学問腹に入らず(たいしょくはらにみつればがくもんはらにいらず)
食べ過ぎて満腹になると、頭の働きが鈍くなり、学問に集中できなくなるということ。
大珠小珠、玉盤に落つ(たいじゅしょうじゅ、ぎょくばんにおつ)
大小の真珠が玉の皿に落ちるように、美しく澄んだ琵琶の音色が響き渡ること。
大樹の下に美草なし(たいじゅのもとにびそうなし)
あまりに力のある人物の下では、その影響が強すぎて、すぐれた人物が育ちにくいことのたとえ。 大木の下は日が当たらず、よい草が育たないことから。
大人は大耳(たいじんはおおみみ)
徳の高いすぐれた人は、些細なことを問いただしたり非難したりしないということ。
大人は赤子の心を失わず(たいじんはせきしのこころをうしなわず)
高徳の人は、生まれ持った純粋な心をいつまでも失わないということ。また、君主たる者は、赤子を慈しむように民を大切にし、その気持ちに寄り添うということ。
大声は里耳に入らず(たいせいはりじにいらず)
高尚な理論は俗人にはなかなか理解されにくいということ。 「大声」は高尚な音楽、「里耳」は俗人の耳のこと。 高尚な音楽は俗人にはわからないとの意から。
大智は愚の如し(たいちはぐのごとし)
真に知恵のある人物は、知識や知恵をひけらかさないので、一見愚か者のように見えるということ。
大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず(たいてきとみておそれずしょうてきとみてあなどらず)
相手が強そうに見えても恐れてはいけないし、弱そうに見えても侮ってはいけないということ。
態度が大きい(たいどがおおきい)
分を弁えない無礼な態度であること。横柄な態度であること。
鯛なくば狗母魚(たいなくばえそ)
最善のものがない時には、それよりも劣っていても代わりのもので間に合わせなければならないということ。 「狗母魚」は、かまぼこの材料となる魚。 鯛がなければ狗母魚で我慢するとの意から。
鯛の尾より鰯の頭(たいのおよりいわしのかしら)
大きな集団の最後についているよりも、たとえ小さな集団でもその先頭に立つほうがいいというたとえ。
台風の目(たいふうのめ)
揺れ動く事態の中心となる人物や勢力。[1]より転じた意味。
「国政の―となる人物」太平楽(たいへいらく)
好き勝手なことを言ってのんきにしていること。天下泰平を祝う舞楽の一つから。
大木は風に折らる(たいぼくはかぜにおらる)
優れた人や高い地位の人ほど、人からねたまれて身を滅ぼしやすいことのたとえ。 高い木ほど強い風を受けて折れやすいことから。 「高木は風に折らる」「喬木は風に折らる」ともいう。
鯛も一人は旨からず(たいもひとりはうまからず)
どんなにおいしいものでも、一人で食べるのではおいしくない。大勢で食べる食事のほうがおいしいということ。 「一人」は「独り」とも書く。