「う」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「う」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 574 件
不興を買う(ふきょうをかう)
上の立場の人の機嫌を損ねること。
吹けば飛ぶよう(ふけばとぶよう)
取り上げるほどでもないこと。些細なこと。
巫山の雲雨(ふざんのうんう)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
不肖(ふしょう)
親や師に似ないで愚かなこと。また、自分をへりくだっていう言葉。
筆を揮う(ふでをふるう)
文字や絵などを書くこと。揮毫すること。
船盗人を徒歩で追う(ふなぬすびとをかちでおう)
無駄な苦労のたとえ。また、適切ではない方法のたとえ。 船を盗んで海上を逃げる相手を、陸上から追いかけるとの意から。
鮒の仲間には鮒が王(ふなのなかまにはふながおう)
つまらない者の中では、やはりつまらない者が首領となることのたとえ。また、つまらない者たちの中にもそれにふさわしい首領がいるというたとえ。
不評を買う(ふひょうをかう)
悪い評価を受けること。
豚に念仏、猫に経(ぶたにねんぶつ、ねこにきょう)
ありがたい教えも理解できないものにとっては、なんの効果もないことのたとえ。
兵は詭道(へいはきどう)
戦争に勝つためには、正当な方法だけでなく、人を欺く方法も用いなければならないということ。「詭道」は正しくない方法のこと。
下手の長口上(へたのながこうじょう)
話の下手な人にかぎって、長々と話をするということ。 上方いろはがるたの一つ。 「下手の」は「下手な」ということもある。 また「下手の長口上」ともいう。
弁慶の立ち往生(べんけいのたちおうじょう)
進むことも退くこともできない状態のたとえ。源義経の家来の弁慶が、衣川の合戦で義経をかばって矢を受け、立ったまま死んだという伝説から。
法あっての寺寺あっての法(ほうあってのてらてらあってのほう)
仏法があってこそ寺があり、寺があってこそ仏法も保たれるということ。持ちつ持たれつの関係にあることのたとえ。
法三章(ほうさんしょう)
簡単な法律のこと。また、法律を簡略化すること。漢の高祖が厳しい法律を廃止し、殺人・傷害・窃盗だけを処罰するとした三章からなる簡略な法律を定めたという故事から。
朋友は六親に叶う(ほうゆうはりくしんにかなう)
親友は肉親に匹敵するほど大切だということ。「六親」は父・母・兄・弟・妻・子または父・子・兄・弟・夫・妻の称。
骨を拾う(ほねをひろう)
力尽きて倒れた人の後の面倒をみる。後始末をする。 遺骨を拾い収めるとの意から。
暴虎馮河の勇(ぼうこひょうがのゆう)
血気にはやり無鉄砲なことをすることのたとえ。「暴虎」は素手で虎を打つこと、「馮河」は大きな河を徒歩で渡ることで、そのような無謀な勇気の意から。
棒ほど願って針ほど叶う(ぼうほどねがってはりほどかなう)
大きな望みがあっても、叶うのはごくわずかだということ。
暴を以て暴に易う(ぼうをもってぼうにかう)
暴力を取り除くために別の暴力を用いること。また、暴力に暴力で立ち向かうこと。
菩提を弔う(ぼだいをとむらう)
死者の冥福を祈ること。また、そのための仏事などを行うこと。
盆と正月が一緒に来たよう(ぼんとしょうがつがいっしょにきたよう)
うれしいことが重なることのたとえ。また、非常に忙しいことのたとえ。
前十両に後ろ三両(まえじゅうりょうにうしろさんりょう)
前から見ると美しいが、後姿はそれほどでもないということ。
巻き添えを食う(まきぞえをくう)
自分と関係のない事故や事件に巻きこまれて損害をうけること。
馬子にも衣装(まごにもいしょう)
誰でも外面を飾ると立派に見えるというたとえ。
祭りの渡った後のよう(まつりのわたったあとのよう)
にぎやかだったあと、急に静まりかえることのたとえ。にぎやかな祭りの行列が通り過ぎたあと静かになる意から。
見掛けばかりの空大名(みかけばかりのからだいみょう)
見かけは豪勢だが、中身は貧弱なことのたとえ。
水の滴るよう(みずのしたたるよう)
若々しくて美しいようすの形容。
水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)
人は交友関係や環境しだいで、良くも悪くもなるというたとえ。 「方円」は四角形と円形のこと。水は容器の形によって四角にも丸くもなるということから。
水を打ったよう(みずをうったよう)
多数の人が、いっせいに静まりかえるようす。
水を得た魚のよう(みずをえたさかなのよう)
その人の力を発揮できる場所を得て、生き生きと活躍するようすのたとえ。
未曾有(みぞう)
今までに一度も無かったこと。
道草を食う(みちくさをくう)
目的地にそのまま向かわず、途中で寄り道をしたり他のことに時間を費やしたりすること。 馬が道端の雑草を食べて、歩みが止まってしまうことから。
身で身を食う(みでみをくう)
自分で自分をだめにすることのたとえ。 自分で自分のからだを食べるとの意から。 「身で身を詰める」ともいう。
耳に逆らう(みみにさからう)
人からの忠告などを受け入れることができず、不快な気持ちになること。 また、聞き手に不快感を与えること。
耳を洗う(みみをあらう)
世俗的な立身出世を避け、高潔な心でいることのたとえ。 中国古代、尭(ぎょう)から帝位を譲りたいといわれた隠士の許由(きょゆう)が、汚れた話を聞いたといって耳を洗い清めたという故事から。 「流れに耳を洗う」「潁水に耳を洗う」「耳を滌ぐ」ともいう。
耳を疑う(みみをうたがう)
想像や予測をしていなかったことを聞いて、信じることができない様子。
耳を信じて目を疑う(みみをしんじてめをうたがう)
遠くのものを尊重して、近くのものを軽んじることのたとえ。また、昔を重んじて今を軽視することのたとえ。 人から聞いたことは信じて、自分の目で見たものは信じないとの意から。 「耳を信じて目を疑う」ともいう。
無冠の帝王(むかんのていおう)
特別な地位などは持っていないが、実力を有している者のこと。 スポーツなどで、極めてすぐれた能力を持ちながら、大きなタイトルを獲得できずにいる人。 または、ジャーナリストや新聞記者などの自称。権力に屈することなく評論する人という意味から。
椋の木の下にて榎の実を拾う(むくのきのもとにてえのみをひろう)
道理にかなっていなくても主張を曲げないこと、また強情で人の意見に従わないことのたとえ。 榎の木を椋の木と誤り、榎の実が生った後も椋の木だと言い張ることから。 「椋の木の下にて榎の実を拾う」「椋は生っても木は榎」ともいう。
無駄飯を食う(むだめしをくう)
仕事をするわけでもなく、毎日ぶらぶらして暮らすこと。
胸突き八丁(むなつきはっちょう)
山頂付近の険しく急な坂道。富士登山で、頂上までの八丁(約八七二メートル)の険しい斜面のことから。
無明の酒に酔う(むみょうのさけによう)
煩悩にとらわれ真理を理解できず、思い惑うことのたとえ。「無明の酒」は人を惑わす煩悩を、正常な心を失わせる酒にたとえた言葉。
無用の用(むようのよう)
役に立たないと思われているものが、実は重要な役割を果たしていたり、かえって役に立ったりすること。 「不用の用」ともいう。
紫の朱を奪う(むらさきのあけをうばう)
邪道なものが正しいものに取って代わること、地位を奪うことのたとえ。 古代中国で中間色の紫色の服が流行り、正色とされていた朱色の服よりも好まれるようになったことを孔子が憎み嘆いたという故事から。 「朱を奪う紫」ともいう
眼鏡が狂う(めがねがくるう)
ある物事や人物に対する判断をまちがえること。見損なうこと。
目糞、鼻糞を笑う(めくそ、はなくそをわらう)
自分の欠点に気付かず、他人の欠点をあざ笑うたとえ。 目糞が鼻糞のことを汚いと笑うとの意から。 「鼻糞が目糞を笑う」ともいう。
目千両(めせんりょう)
千両の値打ちがあるほど魅力的な目。
目で物を言う(めでものをいう)
言葉にすることなく、目配せなどをして相手に気持ちを伝えること。
目は口ほどに物を言う(めはくちほどにものをいう)
目の表情だけでも、口で話すのと同じくらい、相手に気持ちを伝えることができるということ。
目元千両、口元万両(めもとせんりょう、くちもとまんりょう)
目元は千両、口元は万両に値するほど魅力的であるという、美人を形容する言葉。
目を疑う(めをうたがう)
実際に目にしても、その物事を信じることができない様子。
目を奪う(めをうばう)
素晴らしさや珍しさなどによって、見ずにはいられないような状態になること。
目を覆う(めをおおう)
直視することを避け、目をふさぐこと。
雌鳥につつかれて時をうたう(めんどりにつつかれてときをうたう)
夫が妻のいいなりになることのたとえ。 雄鶏が雌鳥につつかれて時を告げるとの意から。
面目を失う(めんぼくをうしなう)
名誉をひどく傷付けられること。世間からの評判を落とすこと。
儲けぬ前の胸算用(もうけぬまえのむなざんよう)
不確かな事柄に期待をかけて、計画を立てることのたとえ。
持つべきものは女房(もつべきものはにょうぼう)
苦労や感動をともにわかち合える妻のありがたさを言うことば。
元も子も失う(もともこもうしなう)
何もかも失うようす。「元」は元金、「子」は利子でそのどちらも失う意から。
モナリザの微笑(もなりざのびしょう)
喜びとも悲しみともつかない、謎めいた微笑のこと。レオナルド・ダ・ビンチが描いた絵画「モナリザ」の謎めいた微笑から。
物盛んなれば即ち衰う(ものさかんなればすなわちおとろう)
何事も盛りに達したら必ず衰え始める。いつまでも盛んな時は続かないということ。
物は言いよう(ものはいいよう)
ものは言い方次第で、相手に良くも悪くも受け取られるということ。
物は考えよう(ものはかんがえよう)
ものごとは考え方ひとつで良くも悪くもなるということ。
物を言う(ものをいう)
効力を発揮すること。また、役立つこと。
貰い物に苦情(もらいものにくじょう)
勝手で貪欲なさまのたとえ。人から貰った物にまで苦情をいうことから。
薬缶で茹でた蛸のよう(やかんでゆでたたこのよう)
物事に行き詰まり、どうしようもない様子。また、内に閉じこもり動けない様子。 薬缶で蛸を茹でると、蛸が硬くなり、手も足も出せない状態になることから。
役者が揃う(やくしゃがそろう)
ある物事を行うために必要な人がすべて集まること。 また、さまざまな顔ぶれが関係者として名を連ねること。
安かろう悪かろう(やすかろうわるかろう)
値段が安いものは品質が悪いだろうということ。 安いものには安いなりの理由があるはずとの意から。 「高かろう良かろう、安かろう悪かろう」ともいう。
やはり野に置け蓮華草(やはりのにおけれんげそう)
人にもその人にふさわしい環境があるということのたとえ。蓮華草は野原で自然のままに咲いているからこそ美しいの意。 江戸時代、播磨の瓢水(ひょうすい)という俳人が、遊女を身請けしようとする友人をいさめて詠んだ句「手に取るなやはり野に置け蓮華草」から。
藪から棒(やぶからぼう)
藪の中からいきなり棒が突き出てくるように、唐突に思いがけないことが起こる様子。また、物事の仕方が出し抜けであるさま。
闇討ちを食う(やみうちをくう)
予期せぬ卑怯な不意打ちにあうこと。 「闇討ち」は、闇の中で不意打ちをする意。 「闇討ちに遭う」ともいう。
闇に鉄砲(やみにてっぽう)
暗闇で鉄砲を撃つということから、あてずっぽうに事を行うことのたとえ。また、やっても効果のないことのたとえ。また、まぐれで当たることについてもいう。 「闇夜に鉄砲」「闇の夜に鉄砲」「闇夜の礫」ともいう。
湯水のように使う(ゆみずのようにつかう)
金銭などを惜しがる様子もなく無駄に使うこと。
夢から覚めたよう(ゆめからさめたよう)
我を忘れて何かに夢中になっていた人が、ふと我に返って普段の自分を取り戻すさま。
夢に餅食う(ゆめにもちくう)
夢ではないかと思うような幸運が舞い込むことのたとえ。 「夢に餅」「夢に餅食う」ともいう。
夢を追う(ゆめをおう)
自分の描いている理想を追い求めること。
良いうちから養生(よいうちからようじょう)
何事も日ごろから用心すれば、失敗しないですむというたとえ。元気なうちから身体を大切にするのが、健康を保つ秘訣であるということから。
宵っ張りの朝寝坊(よいっぱりのあさねぼう)
夜遅くまで起きていて、朝は遅くまで寝ていること。また、そういう習慣のひと。
よく言う(よくいう)
よくもそんな事がぬけぬけと言えたものだ。 相手の厚かましい物言いに対して、非難の気持ちを込めて言う言葉。
欲は身を失う(よくはみをうしなう)
欲張りは身を滅ぼすもとであるということ。
横目を使う(よこめをつかう)
顔の向きは変えずに、目だけを動かして横を見ること。