「し」を含む故事・ことわざ・慣用句
「し」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2073 件
相撲に勝って勝負に負ける(すもうにかってしょうぶにまける)
内容や経過は良いにもかかわらず、結果的に失敗してしまうことのたとえ。 相撲の内容では優勢だったのに、ちょっとしたはずみで負けてしまうとの意から。
擂り粉木棒の年寄り(すりこぎぼうのとしより)
気づかぬうちに減っていく擂り粉木のように、働いても働いても楽にならず、いつの間にか貧乏をすることのたとえ。
寸陰を惜しむ(すんいんをおしむ)
わずかの時間も大切にするということ。「寸陰」は、わずかの時間。
寸暇を惜しむ(すんかをおしむ)
少しの時間も無駄にせずに物事に取り組むこと。
寸を曲げて尺を伸ぶ(すんをまげてしゃくをのぶ)
小さいことを犠牲にして、大きな利益を得るたとえ。 一寸の小さなものをさらに短く曲げ縮め、一尺の大きなものをさらに長く伸ばすとの意から。
図星を指す(ずぼしをさす)
相手が隠していることや弱点などを推測して当てること。 「図星」は弓道の的の中心の点のこと。転じて、核心となる部分や急所などのたとえ。
性相近し、習い相遠し(せいあいちかし、ならいあいとおし)
人が生まれながらに持っている性質にはあまり差はないが、その後の教育や環境で大きな差が出てくるということ。
生ある者は必ず死あり(せいあるものはかならずしあり)
生きているものは必ず死ぬときがくるということ。
青雲の志(せいうんのこころざし)
立身出世して高い地位を得ようとする志。「青雲」は高位、高官の意。
西施の顰みに倣う(せいしのひそみにならう)
事の良し悪しを考えず、むやみに人の真似をするたとえ。また、人に倣って物事をすることを謙遜していう言葉。 「顰」は、眉をひそめること。 中国の越の西施(せいし)という美女が胸の病気の痛みで顔をしかめたところ、それを見た醜女が自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い、真似をして眉をひそめたという故事から。 「西施の顰みに倣う」「顰みを学ぶ」ともいう。
精神一到、何事か成らざらん(せいしんいっとう、なにごとかならざらん)
精神を集中して取り組めば、どんな難しいことでもできないことはないということ。
聖人に夢なし(せいじんにゆめなし)
聖人は邪念にとらわれることもないので、夢を見る事もなく心安らかに安眠できるということ。
急いては事を仕損じる(せいてはことをしそんじる)
あせって事を急ぐと失敗しやすく、急いだことが無駄になるということ。
生は難く、死は易し(せいはかたく、しはやすし)
苦しみに耐えて生きるのは難しいが、苦しみに耐えられず死を選ぶのは容易であるということ。
生は寄なり死は帰なり(せいはきなりしはきなり)
人は仮にこの世に身を寄せて生きているのであり、死ねば本来いた所に帰るということ。
生は死の始め(せいはしのはじめ)
この世に生まれる時は、死に向かう道のりの始まりでもあるということ。
世界半分自惚れしっかり(せかいはんぶんうぬぼれしっかり)
世の中のことは半分しかわかっていないのに、自惚れだけはしっかりあるということ。
赤貧洗うが如し(せきひんあらうがごとし)
非常に貧しくて、まるで洗い流したように何もない様子。「赤」は、何もないという意。
世間知らずの高枕(せけんしらずのたかまくら)
厳しい現実も知らずに、のんびり平然と暮らしている人を皮肉っていう言葉。
雪駄の土用干し(せったのどようぼし)
ふんぞり返って、偉そうに歩く者をあざけっていう言葉。雪駄を土用の頃日に干すと反り返るところから。
雪上に霜を加う(せつじょうにしもをくわう)
十分すぎるほどあるうえに、さらに同じようなものを加えること。 「雪に霜を加える」「雪の上に霜」ともいう。
瀬を踏んで淵を知る(せをふんでふちをしる)
前もって試して、どんな危険があるかを察知することのたとえ。まず浅瀬を渡ってみて、深い淵の位置を知るということから。
先覚者(せんかくしゃ)
いち早く物事の道理や重要性に気付き、実践する人。草分け。
千金の子は市に死せず(せんきんのこはいちにしせず)
金持ちの子は、罪を犯しても金の力によって死罪を免れ、町中で処刑されるようなことにならない。また、金持ち子は、金の力で危険を防ぐことができるので、町中で悪者に殺されるようなことはないということ。金さえあれば身を守ることができるということを皮肉った言葉。「千金」は金持ち、「市」は町の意。
千金を買う市あれど一文字を買う店なし(せんきんをかういちあれどいちもんじをかうみせなし)
文字を覚えるためには、自分で学ぶしかないというたとえ。 市場にはいろんな物が売っていて、高価な物も買うことができるが、文字だけは売っていないとの意から。
千軒あれば共暮らし(せんけんあればともぐらし)
家が千軒もあれば、そこに住む人たちがそれぞれ商売をしたり互いに物の売り買いをしたりして、ともに生計を立てていくことができるということ。 「共過ぎ」は、人々が互いに助け合って生活していくこと。 「千軒あれば共暮らし」ともいう。
千石万石も飯一杯(せんごくまんごくもめしいっぱい)
人には必要な物が必要な分だけあれば十分だということ。 千石、万石といった高い俸禄を得ている人でも、一日に食べる米の量は五合にすぎないとの意から。 「千石万石も飯一杯」ともいう。
千緒万端、遺漏あることなし(せんしょばんたん、いろうあることなし)
あらゆる点で、まったく手落ちがない様子。「千緒万端」は多くの事柄、「遺漏」は手落ち。
先生と言われるほどの馬鹿でなし(せんせいといわれるほどのばかでなし)
先生という呼称は敬意を伴わない場合もある。先生と呼ばれて気分をよくするほど馬鹿ではないということ。また、先生と呼ばれていい気になっている者をあざけっていう言葉。
栴檀は双葉より芳し(せんだんはふたばよりかんばし)
大成する人は幼少期から優れているというたとえ。 「栴檀」は、香木の名。白檀の異称。 白檀は発芽の頃から芳香を放つことから。
船頭多くして、船、山へ登る(せんどうおおくして、ふね、やまへのぼる)
指図する人間が多すぎて統一が取れず、物事が順調に運ばなかったり、とんでもない方向へ進んでしまったりすることのたとえ。 「船頭」は船長のこと。 まるで船頭かのように指示を出す人間が多すぎると、船が山に登ってしまうような見当違いの方向に物事が進んでしまうとの意から。
先入、主となる(せんにゅう、しゅとなる)
前から持っている固定的な観念が、新しい考えの妨げになってしまうこと。 前もって抱いている考えが主となり、後からの考えが従となるとの意から。 この語から「先入観」や「先入主」という語ができた。
千人の諾諾は一士の諤諤に如かず(せんにんのだくだくはいっしのがくがくにしかず)
他人の言葉になんでも賛同して従う千人は、権勢に媚びずに正しいと思うことを主張する一人には及ばないということ。「諾諾」は、他人の言葉にさからわないで従うさま。「諤諤」は、正しいと思うことを恐れはばかることなく述べるさま。
千慮の一失(せんりょのいっしつ)
どんなに賢い人でも、多くの考えの中には一つくらい失敗もあるということ。また、十分に注意していても思わぬ失敗が起こるということ。 「千慮」は、いろいろと考えを巡らすこと。
銭なしの市立ち(ぜになしのいちだち)
方法や手段もなく何かをしようとしても、どうにもならないことのたとえ。 銭を持たずに市場に行っても、何も買えずにただ立っているだけとの意から。
銭は足なくして走る(ぜにはあしなくしてはしる)
金には足などついていないのに、まるで足があるかのように、人から人へと渡って行くということ。
是非は道によって賢し(ぜひはみちによってかしこし)
物事のよしあしを判断するのは、その道の専門家に任せるのが確かだということ。
善悪の報いは影の形に随うが如し(ぜんあくのむくいはかげのかたちにしたがうがごとし)
影が形に付き随うように、善悪の行為に対する報いは必ずあるということ。
前車の覆るは後車の戒め(ぜんしゃのくつがえるはこうしゃのいましめ)
先人の失敗は後人の戒めになるというたとえ。 前の車が覆るのを見て、後の車は戒めにするとの意から。 単に「後車の戒め」ともいう。
前車の轍を踏む(ぜんしゃのてつをふむ)
前の人と同じような失敗を繰り返すことのたとえ。 「轍」は、車のわだちのこと。 転倒した前の車のわだちをたどり、同じように転倒するとの意から。 「前轍を踏む」「轍を踏む」「覆轍を踏む」ともいう。
膳部揃うて箸を取れ(ぜんぶそろうてはしをとれ)
食事をする時は、料理がすべて揃ってから箸を取るものだということ。あわただしく食事に取りかかることを戒める言葉。また、物事は用意がすっかり整ってから始めよということ。「膳部」は、膳にのせて出す料理のことで、「全部」とかけたもの。
前面に押し出す(ぜんめんにおしだす)
ある物事を目立つように示すこと。
創業は易く守成は難し(そうぎょうはやすくしゅせいはかたし)
事業を新しく起こすよりも、成果を守り続けていくほうが難しいということ。 「創業」は事業を新しく興すこと。 「守成」は成果を守るいう意味から。 唐の太宗が「創業と守成のどちらが難しいか」と尋ねたときに、魏徴が「守成」と答えたという故事から。
曽参、人を殺す(そうしん、ひとをころす)
嘘も繰り返して言われると、それを信じてしまうというたとえ。 「曽参」は親孝行で名高い孔子の弟子。 ある時、「曽参が人を殺した」との誤報を曽参の母に告げたが信じなかった。しかし、三人から同じ事を告げられた時、ついに曽参の母は織りかけの機をほうり投げ走り出したという故事から。
草莽の臣(そうもうのしん)
官職に就かず民間にとどまっている人のこと。また、在野の人のこと。「草莽」は、草が茂っている所から転じて、民間・在野の意。
倉廩実ちて礼節を知る(そうりんみちてれいせつをしる)
経済的に安定して初めて礼儀や節度を重んじるゆとりが生まれるというたとえ。「倉廩」は、穀物類を蓄える倉の意。米ぐらが一杯になって初めて礼節をわきまえる心が生まれるということから。
葬礼帰りの医者話(そうれいがえりのいしゃばなし)
言ってもどうにもならない愚痴を言うたとえ。また、手遅れで間に合わないことのたとえ。葬式からの帰り道に、医者のよしあしなどを話すということから。
束脩(そくしゅう)
入門の時、師に贈る謝礼のこと。「脩」は干し肉の意。昔中国で、師に入門するときに束ねた干し肉を持参したことから。
底が知れない(そこがしれない)
限度がはかれないほど深いこと。程度が甚だしいこと。
そ知らぬ顔(そしらぬかお)
知らない振りをすること。
謗れば影さす(そしればかげさす)
悪口を言っていると、その噂の当人がひょっこりその場に現れること。
袖の下(そでのした)
賄賂のこと。 人目につかないように、こっそり袖の下から贈るとの意から。
袖の下に回る子は打たれぬ(そでのしたにまわるこはうたれぬ)
叱られて逃げるような子は追いかけてでも打ちたくなるが、叱られてもすがりついてくる子は、かわいくて打てないということ。
袖振り合うも他生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)
見知らぬ人と袖が触れ合うようなちょっとしたことも、偶然ではなく前世からの因縁によるものなので、どんな出会いも大切にしなければならないということ。 「他生の縁」は前世からの因縁のこと。 「他生」は「多生」とも書く。 「袖振り合う」は「袖すり合う」「袖触れ合う」ともいう。
袖を絞る(そでをしぼる)
ひどく泣くこと。 涙で濡れた袖を絞る、袖が絞れるほど涙を流すとの意から。
備えあれば憂いなし(そなえあればうれいなし)
普段から非常時の準備をしておけば、緊急の事態が起こっても心配する必要がないということ。
その一を識りてその二を知らず(そのいちをしりてそのにをしらず)
知識が浅く応用力がないこと。一つのことだけ知って、それ以外のことには知識がない意から。
その国に入ればその俗に従う(そのくににいればそのぞくにしたがう)
その土地に行ったら、その土地の習慣やしきたりに従うべきであるということ。
その子を知らざればその友を視よ(そのこをしらざればそのともをみよ)
その子のことがわからない時は、付き合っている友達を見ればわかるということ。
その右に出ずる者なし(そのみぎにいずるものなし)
その人に優る者がいないということ。昔、中国では右を上席としたことから。
それにつけても金の欲しさよ(それにつけてもかねのほしさよ)
とにかく金が欲しいと、ため息まじりに言う言葉。どんな言葉のあとにも、うまくおさまるようにできている句。
損して得取れ(そんしてとくとれ)
初めは損をしても、それをもとに将来大きな利益を得られるようにせよということ。
損して恥搔く(そんしてはじかく)
損をしたうえにさらに恥までかいて、さんざんな目に遭うことのたとえ。
損せぬ人に儲けなし(そんせぬひとにもうけなし)
ある程度の損をする覚悟がなければ大儲けはできないということ。
草履履き際で仕損じる(ぞうりはきぎわでしそんじる)
最後の最後で失敗をして、それまでの努力を駄目にしてしまうこと。 仕事を終わらせて、帰ろうと草履をはこうとした時に失敗するとの意から。
ぞっとしない(ぞっとしない)
その物事によい感情をもてないこと。あまり感心しない。
大家後なし(たいかのちなし)
その道の大家は一代限りで、子孫が大家になるとは限らないということ。
大旱の雲霓を望むが如し(たいかんのうんげいをのぞむがごとし)
物事の到来を待ち望むことのたとえ。 「大旱」はひどい日照り、「雲霓」は雲と虹のこと。 ひどい日照りの時に、雨の前触れである雲や虹を待ち望むとの意から。
大義、親を滅す(たいぎ、しんをめっす)
国や君主に尽くす時は親子兄弟さえ犠牲にすることがあるということ。
大魚は小池に棲まず(たいぎょはしょうちにすまず)
大人物はつまらない仕事や地位には満足しないというたとえ。 大きな魚は小さな池には棲んでいないという意味から。
大軍に関所なし(たいぐんにせきしょなし)
大きな勢力にはかなわないということ。大軍に攻められたらそれをはばむ関所などないという意味から。
大賢は愚なるが如し(たいけんはぐなるがごとし)
本当に賢い人は知識をひけらかさないから、一見愚か者のように見えるということ。
大功は拙なるが如し(たいこうはせつなるがごとし)
真の名人は小細工をしないので、一見すると下手に見えるということ。
大功を成す者は衆に謀らず(たいこうをなすものはしゅうにはからず)
大事業を成し遂げる者は、周囲の意見を聞いたり相談したりせず、自分の判断で事を行うということ。
大功を論ずる者は小過を録せず(たいこうをろんずるものはしょうかをろくせず)
大きな功績を表彰しようと議論する時、たとえそのかげに小さな過失があっても大目に見て問題にしないということ。
泰山北斗のごとし(たいざんほくとのごとし)
その道の大家として最も尊ばれる人物をたとえていうことば。 「泰山」は中国、山東省にある名山、「北斗」は北斗七星。 中国では、泰山と北斗七星が人々から仰ぎ見られていたことから。 「泰山北斗」は略して「[[泰斗*https://kokugo.jitenon.jp/word/p30621]]」ともいう。
大山鳴動して鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)
前触ればかりが大きくて、実際の結果は小さいことのたとえ。 大きな山が音を立てて揺れ動くので、何か大きな事が起こるのかと身構えていると、鼠がたった一匹出てきただけだったとの意から。 「大山」は「泰山」とも書く。
大食腹に満つれば学問腹に入らず(たいしょくはらにみつればがくもんはらにいらず)
食べ過ぎて満腹になると、頭の働きが鈍くなり、学問に集中できなくなるということ。
大珠小珠、玉盤に落つ(たいじゅしょうじゅ、ぎょくばんにおつ)
大小の真珠が玉の皿に落ちるように、美しく澄んだ琵琶の音色が響き渡ること。
大樹の下に美草なし(たいじゅのもとにびそうなし)
あまりに力のある人物の下では、その影響が強すぎて、すぐれた人物が育ちにくいことのたとえ。 大木の下は日が当たらず、よい草が育たないことから。