「し」を含む故事・ことわざ・慣用句
「し」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2079 件
- 宵越しの茶は飲むな(よいごしのちゃはのむな)- 一度入れて一晩置いたお茶は飲まないようがいいということ。茶葉に含まれる成分が、時間をおくと変質して身体によくないということから。 
- 杳として(ようとして)- 事情などがはっきり分からないさま。 特に、人の行方が知れないさま。 
- 善かれ悪しかれ(よかれあしかれ)- よいにしても、悪いにしても。いずれにしても。 
- 欲に頂なし(よくにいただきなし)- 人間の欲望には限りがないということ。 
- 欲は身を失う(よくはみをうしなう)- 欲張りは身を滅ぼすもとであるということ。 
- 欲を知らねば身が立たぬ(よくをしらねばみがたたぬ)- 人並みに欲望がなければ、暮らしていくことはできないということ。 
- 預言者郷里に容れられず(よげんしゃきょうりにいれられず)- 優れた人物であっても、身近な人には認められず尊敬されにくいということ。 すぐれた預言者も、子どもの頃からよく知っている人たちにとっては、普通の人しか思えないため尊ばれないとの意から。 
- 横の物を縦にもしない(よこのものをたてにもしない)- 面倒くさがって、簡単にできることもしないことのたとえ。 横着な人のたとえ。 「縦の物を横にもしない」ともいう。 
- 葦の髄から天井を覗く(よしのずいからてんじょうをのぞく)- 極めて狭い見方や考え方で大きな問題を判断することのたとえ。 葦の茎の小さな穴から天井の一部分を見て、天井の全てを見たと思い込むことから。 江戸いろはがるたの一つ。 
- 誼を通じる(よしみをつうじる)- 便宜を得るために、親密な関係を結ぼうと働きかけること。 
- 余の辞書には不可能という言葉はない(よのじしょにはふかのうということばはない)- 自分には不可能なことはないということ、世の中には出来ないことなどないということ。「余」は「予」とも書く。通説としてナポレオンの言葉といわれている。 
- 世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん)- 世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。 
- 呼ぶより謗れ(よぶよりそしれ)- 人の悪口を言っていると、不思議と当人が現れるということから、呼びに行くより悪口を言ったほうが早いということ。 
- 由らしむべし知らしむべからず(よらしむべししらしむべからず)- 為政者は人民を施政に従わせればよく、その意義や道理を人民にわからせる必要はないということ。 
- 寄らば大木の下(よらばおおきのした)- 人を頼るなら、社会的に勢力がある人がよいというたとえ。 身を寄せるなら、大きな木の下が安全であることから。 「立ち寄らば大木の陰」「立ち寄らば大樹の陰」「寄らば大木の下」ともいう。 
- 寄る年波には勝てぬ(よるとしなみにはかてぬ)- いつまでも若いつもりでも、加齢による体力や気力の衰えには逆らえないということ。 
- 喜んで尻餅をつく(よろこんでしりもちをつく)- 物事が成功して有頂天になり、失敗を招いてしまうことのたとえ。 
- 宜しきを得る(よろしきをえる)- 方法が適切であること。程度がちょうどよいこと。 
- 世渡りの殺生は釈迦も許す(よわたりのせっしょうはしゃかもゆるす)- 生活のためならば、多少の不道徳や無慈悲な行いはやむを得ないということ。 
- 世を忍ぶ(よをしのぶ)- 人目を避けて隠れること。世間に隠れて暮らすこと。 
- 楽隠居楽に苦しむ(らくいんきょらくにくるしむ)- 楽隠居は何もすることがないので、かえって苦痛を感じるものである。気楽な暮らしも、毎日では暇を持て余してしまうというたとえ。 
- 楽人楽を知らず(らくじんらくをしらず)- 苦労を知らない人は安楽のありがたさを知らない。苦労してはじめて、安楽の大切さを知るということ。 
- 洛陽の紙価を高める(らくようのしかをたかめる)- 著書が大評判で、よく売れることのたとえ。晋の左思が「三都の賦」を作った時、人々がこれを書き写そうと争って紙を買い、洛陽の紙の値段が高くなったという故事から。 
- 落花情あれども流水意なし(らっかじょうあれどもりゅうすいいなし)- 一方には恋しく思う気持ちがあるのに、相手に思いが通じないことのたとえ。 散る花は流れる水を慕うが、川はそしらぬ顔で流れていくことから。 
- 理解に苦しむ(りかいにくるしむ)- 言動や考えに対して、納得できる理由が思い浮かばずに悩ましく思うこと。 
- 利に走る(りにはしる)- 利益を得ることにひたすらこだわること。 
- 流言は知者に止まる(りゅうげんはちしゃにとどまる)- 確かな根拠のない噂が広まっても、知恵のある人はそれを他人に話さないから、噂はそこで止まるということ。 
- 竜は一寸にして昇天の気あり(りゅうはいっすんにしてしょうてんのきあり)- すぐれた人物は幼少期からすぐれたところがあることのたとえ。 竜は一寸の大きさの頃から天に昇ろうとする気迫に満ちているということから。 
- 凌雲の志(りょううんのこころざし)- 俗世間を超越した気高い志のこと。また、出世しようとする志。「凌雲」は雲を凌ぐほどに高い意。「陵雲」とも書く。 
- 良賈は深く蔵して虚しきが如し(りょうこはふかくぞうしてむなしきがごとし)- 賢者は自分の才能や知識をみだりにひけらかしたりしないことのたとえ。 「良賈」はすぐれた商人の意。 すぐれた商人は商品を店の奥にしまっておくため、一見商品が乏しいように見えることから。 
- 領袖(りょうしゅう)- ある集団の頭(かしら)に立つ人。 「領」は襟(えり)のこと。 衣類の襟と袖(そで)は、特に人の目に触れる重要な部分であることから。 
- 梁上の君子(りょうじょうのくんし)- 泥棒のこと。または鼠のこと。中国の後漢の陳寔が梁の上に潜む賊を指して、悪い習慣が身に付くと梁の上の君子のようになると子ども達を戒めたという故事による。 
- 猟は鳥が教える(りょうはとりがおしえる)- 何事も実際に行っているうちに覚えて、身に付けていくものであるということのたとえ。 鳥を撃つこつは、実際に猟をするうちに覚えるもので、いわば獲物の鳥が教えてくれるようなものだということ。 
- 良薬は口に苦し(りょうやくはくちににがし)- よく効く薬ほど苦くて飲みにくいこと。ためになる忠告ほど、当人は耳が痛くて聞きづらいというたとえ。 
- 悋気嫉妬は女の常(りんきしっとはおんなのつね)- 女はやきもちを焼くものだということ。「悋気」はやきもちの意で「悋気」と「嫉妬」を重ねておもしろく言ったもの。 
- 綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)- 一度出た汗が二度と体内に戻らないように、君主が一度口にした言葉は取り消したり改めたりできないということ。「綸言」は君主のことば。 
- 瑠璃は脆し(るりはもろし)- 美しいものやすぐれたものは、傷つきやすく壊れやすいということ。「瑠璃」は青色の宝石で、七宝という7種の宝玉のひとつ。 
- 例によって例の如し(れいによってれいのごとし)- 目新しいことや変わったこともなく、いつも通りということ。 
- 礼は宜しきに随うべし、令は俗に従うべし(れいはよろしきにしたがうべし、れいはぞくにしたがうべし)- 決まった形式がある礼儀も、時に応じて変えてもよい。また、法令はその土地の風俗に合うように定めるのがよいということ。 
- 礼を失する(れいをしっする)- 礼儀を欠いた態度をとること。 
- 歴史は繰り返す(れきしはくりかえす)- 過去に起こったことは、同じような経過をたどって、繰り返し起こるということ。 
- 労多くして功少なし(ろうおおくしてこうすくなし)- 苦労したわりには成果が出ないこと。 
- 老化は足から(ろうかはあしから)- 老化現象は、足の痛みやもつれなど、足に関する症状から現れるということ。 
- 老醜を晒す(ろうしゅうをさらす)- 年老いて醜くなった姿や頑なな考え方などを人に示して恥をかくこと。 自身を謙遜していう言葉。 
- 蠟燭は身を減らして人を照らす(ろうそくはみをへらしてひとをてらす)- 自分の身を犠牲にして、他人のためにつくすことのたとえ。 
- 老婆心(ろうばしん)- 高齢の女性の度が過ぎた気遣いのこと。転じて、必要以上に世話をやくことのたとえ。また、自分の忠告を謙遜してもいう。 
- 老兵は死なず、消え去るのみ(ろうへいはしなず、きえさるのみ)- 役目の終わった者は、表舞台から去るということ。敗戦後、占領指令官だったダグラス・マッカーサーが離日の際に言った言葉。 
- 隴を得て蜀を望む(ろうをえてしょくをのぞむ)- 一つの望みをかなえても、さらに大きな望みを抱くこと。欲の限りがなく、満足することを知らないたとえ。 中国、後漢の光武帝が隴(ろう)を平定したが、それに満足せず、さらに蜀を手に入れることを望んだという故事から。 
- 艪櫂の立たぬ海もなし(ろかいのたたぬうみもなし)- どんなに困難なことでも、なにかしらの策はあることのたとえ。 「艪櫂」は、船をこぎすすめるための道具である艪(ろ)と櫂(かい)。 どんなに広い海でも艪や櫂が使えないということはないとの意から。 
- 碌でなしが人の陰言(ろくでなしがひとのかげごと)- 役に立たない者が他人の悪口を言うこと。 
- 艪を押して櫂は持たれぬ(ろをおしてかいはもたれぬ)- 艪を漕ぎながら櫂を操ることはできないように、一人で同時に二つのことはできないというたとえ。 
- 論語読みの論語知らず(ろんごよみのろんごしらず)- 知識は持っているが、実行が伴わない人をあざけっていう言葉。 書物を読んでも知識として理解するだけで、それを生かして実行できていなかったり真の意義を理解できていなかったりすること。 
- 論より証拠(ろんよりしょうこ)- 議論するより証拠を示すほうが物事は明らかになるということ。 
- ローマは一日にしてならず(ろーまはいちにちにしてならず)- 大事業は、長い年月の努力なしでは成し遂げられないというたとえ。 
- 矮子の観場(わいしのかんじょう)- 見識がないことのたとえ。また、周りの意見に簡単に同調することのたとえ。 「矮子」は、背の低い人。「看戯」は芝居を観ること。 背が低く、舞台が見えていないのに、周りの批評を聞いて同調することから。 
- 若い時の辛労は買うてでもせよ(わかいときのしんろうはこうてでもせよ)- 若い時の苦労は将来役に立つ貴重な経験となるから、自分から進んで苦労するほうがよいということ。 
- 若木に腰掛けな(わかぎにこしかけな)- 若者は頼りにならないことのたとえ。また、将来性のある若者を踏みつけにするなということ。 若い木は折れやすいから腰掛けてはいけないということ。 
- 若木の下で笠を脱げ(わかぎのしたでかさをぬげ)- 若木が将来どんな大木に育つのかわからないように、若者も将来どんなに偉くなるかわからないので、ばかにしないで敬意を表して接すべきだということ。 
- 我が上の星は見えぬ(わがうえのほしはみえぬ)- 誰にも自分の運命はわからないということ。「星」は運命の意。 
- 我が面白の人泣かせ(わがおもしろのひとなかせ)- 自分が面白くて楽しんでいることが、人に迷惑をかけていることがあるということ。 
- 我が門で吠えぬ犬なし(わがかどでほえぬいぬなし)- 弱い者も自分の家では威張ることのたとえ。 どんなに臆病な犬でも、自分の家の前ではよく吠えるとの意から。 
- 我が糞は臭くなし(わがくそはくさくなし)- 自分の欠点には気がつかないというたとえ。 
- 我が口に甘ければ人の口にも甘し(わがくちにあまければひとのくちにもあまし)- 自分の好むことは他人もまた好むものである。 自分がよいと思うことは人にも施すべきであるということ。 
- 我が心石に非ず、転ずべからず(わがこころいしにあらず、てんずべからず)- 心が確固として不動であることのたとえ。 自分の心は石ではないから、転がして動かすことはできないということ。 
- 吾が心秤の如し(わがこころはかりのごとし)- 私の心は、秤(はかり)のように公平であるということ。 どちらか一方に偏ったり、私情を交えたりしないという意味。 
- 我が事と下り坂に走らぬ者なし(わがこととくだりざかにはしらぬものなし)- 自分に関することとなれば、下り坂で自然と早足になるように、自ら進んで走りまわるということ。 
- 我が仏尊し(わがほとけとうとし)- 自分の信じるものや大切にしているものが、番尊いと信じこむことのたとえ。 「我が寺の仏尊し」「我が家の仏尊し」ともいう。 
- 我が身の臭さ我知らず(わがみのくささわれしらず)- 自分の欠点はなかなか気がつかないというたとえ。 
- 我が身を抓って人の痛さを知れ(わがみをつねってひとのいたさをしれ)- 自分の身に引き比べて、人の苦しみや痛みを思いやることが大切だということ。 
- 我が物と思えば軽し笠の雪(わがものとおもえばかるしかさのゆき)- つらいことも苦しいことも、自分のためだと思えば苦にならないものだというたとえ。 笠に降り積もる重い雪も自分のものだと思えば軽く感じられるということ。 江戸時代の俳人、宝井其角の句「我が雪と思へば軽し笠の上」から。 
- 和して同ぜず(わしてどうぜず)- 人と協調していくが、道理を曲げてまでは同調しないということ。 
- 忘れたと知らぬには手がつかぬ(わすれたとしらぬにはてがつかぬ)- 忘れたとか知らないという者には、何を言っても無駄であるということ。 
- 私としたことが(わたしとしたことが)- 注意していた上で起こした失敗などを悔やんでいう言葉。 
- 笑って損した者なし(わらってそんしたものなし)- いつも明るくにこにこしている人は、他人に好かれ幸福を招くということ。 
- 悪いようにはしない(わるいようにはしない)- 損はさせないから自分に任せてほしいと相手を説得する言葉。 
- 我に自由を与えよしからずんば死を与えよ(われにじゆうをあたえよしからずんばしをあたえよ)- アメリカ独立運動でパトリック・ヘンリーが、自由のために、死ぬ気で戦うという強い決意を表して、演説の結びに言った言葉。 
- 我より古を作す(われよりいにしえをなす)- 先例や古いしきたりにとらわれず、自分が独自の新しいことを始めるということ。 
- 我を非として当う者は吾が師なり(われをひとしてむかうものはわがしなり)- 自分の欠点を注意してくれる人は、誰でも自分にとっての先生だということ。 
- 和を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)- 人々の和こそが、世の中でもっとも尊く大切なことだということ。聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条にある言葉。 
 
         
    