「だ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「だ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 545 件
駄目を踏む(だめをふむ)
無駄なことをする。つまらないことをする。
ダモクレスの剣(だもくれすのけん)
栄華というものも、不安定で常に危険が迫っていることのたとえ。 「ダモクレス」とは、シチリア島のシラクサの国王ディオニュシオスの家臣ダモクレスのこと。 ダモクレスはいつもの王位をうらやましく思っていた。 そこで、王はある晩餐でダモクレスに自身の席である王座に座るように勧めた。 王座に座ったダモクレスがふと上を見上げると、天井から今にも切れそうな細い糸で剣が吊るされていた。 それを見たダモクレスは慌ててその場から逃げ出した。 王という立場には常に危険があるということを玉座に座らせることで示し、ダモクレスもそれを理解したという故事から。
誰が猫に鈴をつけるというのか(だれがねこにすずをつけるというのか)
いろいろ議論しても、いざ実行となると誰が実行するのか非常に難しいことのたとえ。鼠たちが集まり、猫の首に鈴をつけて、その音で身を守ろうと考えたが、実行する鼠はいなかったというイソップ寓話から。
誰でも自分の荷が一番重いと思う(だれでもじぶんのにがいちばんおもいとおもう)
自分のしていることが一番大変だと思いがちで、他人のしていることは楽に見えるが、実際にやってみると簡単ではないということ。
誰とはなしに(だれとはなしに)
誰が言い出したのかはっきりしないこと。いつのまにか。
誰に見しょとて紅鉄漿つける(だれにみしょとてべにかねつける)
女性は自分を愛してくれる男性のために美しく身を飾るということ。 「紅鉄漿」は紅とお歯黒。転じて化粧。 誰かに見せるためではなく、あなたのために化粧をするとの意から。 このあとに「みんなぬしへの心中立て」と続く俗謡で、男につれなくされた女の恨みを述べるの決まり文句。
弾丸黒子の地(だんがんこくしのち)
非常に狭い土地のたとえ。「弾丸」は昔、中国で鳥などを捕るために、はじき弓につけて飛ばしたたま、「黒子」はほくろのこと。
断機の戒め(だんきのいましめ)
物事は途中でやめるべきではないという教え。 孟子が修業の途中で家に帰った時、孟子の母は織りかけの機の糸を断ち切り、修行を中断するのはこのようなものだと戒めたという故事から。 「断機の教え」「孟母断機の戒め」「孟母断機の教え」「断錦」「孟母断機」ともいう。
断金(だんきん)
金属をも断ち切るほど、友情がきわめてかたいこと。
断金の交わり(だんきんのまじわり)
深い友情で結ばれた親しい交わりのこと。金を断ち切るほどに堅い交際の意から。 「断金の契り」ともいう。
談義説法は出家の生計(だんぎせっぽうはしゅっけのせいけい)
ありがたい談義や説法も、結局は僧侶が生計を立てる手段でしかないということ。 「生計」は「身過ぎ」ともいう。
団結は力なり(だんけつはちからなり)
一人一人の力は小さくても、大勢が力を合わせれば大きな力になるということ。
団子隠そうより跡隠せ(だんごかくそうよりあとかくせ)
事を隠そうとする時、思わぬところから露見するかもしれないから、念には念をいれて注意せよということ。こっそり団子を食べたとき、残りの団子だけ隠しても、串を片付けなければばれてしまうので跡が残らないようにせよということ。
団子に目鼻(だんごにめはな)
丸い顔の形容。
男子家を出ずれば七人の敵あり(だんしいえをいずればしちにんのてきあり)
男が世の中に出て活動するようになると、多くの競争相手や敵に出会うということのたとえ。 男が敷居を跨いで外に出れば七人の敵がすでに待ち構えているとの意から。 「敷居を跨げば七人の敵あり」「男子家を出ずれば七人の敵あり」ともいう。
男子厨房に入らず(だんしちゅうぼうにはいらず)
男が台所に立って料理をしたり片づけたりするべきではないということ。 「君子は庖厨を遠ざく(君子は憐れみ深いので、動物が捌かれる姿が見えてたり動物の悲鳴が聞こえたりする厨房に近づくことは忍び難い)」が由来とされる。 この言葉が日本に伝わった後に、本来の意味である「憐れみ」が「台所に立つべきではない」に変わったものといわれる。※諸説あり
男子の一言、金鉄の如し(だんしのいちごん、きんてつのごとし)
男が一度口にした言葉は、金や鉄のように堅くゆるぎないもので、決して破ってはならないということ。
断じて行えば鬼神も之を避く(だんじておこなえばきしんもこれをさく)
断固たる決意で物事を行えば、困難なことでも成し遂げることができるというたとえ。 断固とした態度で決行すれば、鬼神でさえその勢いに押されて避けていくとの意から。
男女七歳にして席を同じゅうせず(だんじょしちさいにしてせきをおなじゅうせず)
人は七歳にもなれば、男女の別を明らかにしてみだりに慣れ親しんではならないということ。男女は七歳になったら同じ敷物に座るべきではないという儒教の道徳から。
だんだん良くなる法華の太鼓(だんだんよくなるほっけのたいこ)
物事が徐々によい方に向かっていくことと、太鼓がよく鳴るということを掛けた言葉遊び。「法華の太鼓」とは、日蓮宗の信者が題目を唱えながら打つ団扇太鼓のこと。
断腸(だんちょう)
はらわたがちぎれるほど、悲しく苦しいこと。
断腸の思い(だんちょうのおもい)
非常に悲しくつらい思いのたとえ。 「断腸」は腸がちぎれるほどの悲しみ。 昔、中国の武将桓温(かんおん)の部下が猿の子を捕らえて船に乗せた。母猿は悲しみながら岸を百里あまり追いかけ、ついには船に飛び移ったがそのまま息絶えた。その腹を割いてみると、腸がずたずたに断ち切れていたという故事から。
断末魔(だんまつま)
死に際。また、息を引き取るまぎわの苦しみのこと。「末魔」は仏教語で、何かがこれに触れると必ず死ぬという身体内にある特殊な急所で、そこを断つということから。
弾力に富む(だんりょくにとむ)
さまざまな状況や問題に応じて、適切に対応できる力があるさま。
断を下す(だんをくだす)
決定する。決断する。
暖を取る(だんをとる)
焚き火や暖房器具などで体を暖める。
小さく生んで大きく育てる(ちいさくうんでおおきくそだてる)
子どもは小さい子を楽に生んで大きく育てるのが賢明だということ。事業なども小規模で始めてだんだん大きくしていくのがよいやり方だということ。
知恵は小出しにせよ(ちえはこだしにせよ)
自分の持っている知恵を一度に出さず、必要に応じて少しずつ出すのが賢明だということ。
知恵は万代の宝(ちえはばんだいのたから)
すぐれた知恵は後世まで役立つ宝であるということ。
馳走終わらば油断すな(ちそうおわらばゆだんすな)
人がご馳走してくれる時は何か魂胆があるかもしれないので油断するなということ。
血の涙(ちのなみだ)
悲しみや憤りのあまりに流す涙を、血にたとえて誇張していう語。
血も涙もない(ちもなみだもない)
冷酷で思いやりがないこと。
長者に二代なし(ちょうじゃににだいなし)
ぜいたくに慣れた金持ちの子は、財産を守ったり増やしたりすることが出来ず、たいてい二代目でその家はつぶれてしまうということ。
長蛇の列(ちょうだのれつ)
非常に長く続いている人の列。 長く続く人の列を蛇にたとえた表現。
長蛇を逸す(ちょうだをいっす)
絶好の機会や非常に惜しい物などを取り逃がすこと。
長蛇を逸する(ちょうだをいっする)
もう少しの所で、大きな獲物や好機を逃すこと。
ちょっかいを出す(ちょっかいをだす)
横から余計なことをしたり、言ったりすること。 または、遊び半分の気持ちで異性に手を出すこと。 「ちょっかい」は猫が前足でじゃれる時の動きをいう言葉。
ちょっと来いに油断すな(ちょっとこいにゆだんすな)
「ちょっと来い」と呼ばれると、ちょっとの用事では済まず、ろくな用事でないことが多い。だから、心してかかれということ。
常が大事(つねがだいじ)
人はふだんの行いが大事だということ。
角を出す(つのをだす)
女性がやきもちを焼くこと。 能楽で、嫉妬に狂った女性の生き霊が角のある鬼になることから。 「角を生やす」ともいう。
亭主の好きを客に出す(ていしゅのすきをきゃくにだす)
自分の好きなものは相手も好きだと思い込んでしまい、無理に押しつけがちであるということ。 主人の好物を客にふるまうことから。
手出し十層倍(てだしじっそうばい)
喧嘩は、初めにしかけた者に、他の者の十倍の罪があるということ。
手玉に取る(てだまにとる)
自分の思うままに他人を操ること。
鉄槌を下す(てっついをくだす)
この上なく厳しい罰を与えること。 「鉄槌」は大きな金槌のこと。
鉄砲玉の使い(てっぽうだまのつかい)
撃ったら戻らない鉄砲玉のように、行ったきりで帰って来ない使いのこと。
手を下す(てをくだす)
その人本人が直接行うこと。
手を出して火傷する(てをだしてやけどする)
余計な手出しをして、ひどい目に遭うこと。
手を出す(てをだす)
ある物事に進んで関わりを持つこと。 または、暴力を振るうこと。 また、女性と関わりを持つために近づくこと。言い寄ること。
天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ(てんかのうれいにさきだちてうれい、てんかのたのしみにおくれてたのしむ)
すぐれた政治家や指導者は、人々よりも先に国のことを心配し、人々が楽しんだ後で自身も楽しむべきだということ。 「[[先憂後楽*https://yoji.jitenon.jp/yojid/1517.html]]」ともいう。
椽大の筆(てんだいのふで)
堂々とした立派な文章のこと。「椽」は、屋根を支える垂木(たるき)のこと。家の屋根を支える垂木のように大きな筆の意から。
天にあらば比翼の鳥地にあらば連理の枝(てんにあらばひよくのとりちにあらばれんりのえだ)
男女・夫婦の仲がきわめてむつまじいことのたとえ。 「比翼」は、雌雄それぞれが目と翼を一つずつ持ち、二羽がいつも一体となって飛ぶとされる想像上の鳥。 「連理」は、一本の木の枝が他の木の枝とくっついて木目が連なっていること。 略して「[[比翼連理*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1402.html]]」ともいう。
出来ない相談(できないそうだん)
始めからまとまらないことが分かっている無理な相談。
問屋の只今(といやのただいま)
返事はいいが約束がなかなか実行されないことのたとえ。「問屋」は問屋(とんや)のことで、注文しても返事だけですぐには商品が届かない意から。
灯台下暗し(とうだいもとくらし)
身近なことはかえってわかりにくいたとえ。「灯台」は、燭台のこと。まわりを明るくてらすが燭台のすぐ下は陰になって暗いことから。
問うは一旦の恥、問わぬは末代の恥(とうはいったんのはじ、とわぬはまつだいのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時だけ恥ずかしい思いをするが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしい思いをするということ。
遠くて近きは男女の仲(とおくてちかきはだんじょのなか)
男女の仲は遠く離れているようで意外に近く、結ばれやすいものであるということ。
十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人(とおでしんどう、じゅうごでさいし、はたちすぎればただのひと)
子どものころは並外れた秀才と思われていた人も、成長すれば平凡な人間になることが多いということ。
徳俵に足がかかる(とくだわらにあしがかかる)
追い詰められているさま。後がないさま。 「徳俵」は、相撲の土俵上の円の東西南北の四ケ所に設けられた俵一つ分の出っ張りのこと。 土俵上で内外の境界となる徳俵に足がかかることから、追い詰められた状態を表す。
隣の糂汰味噌(となりのじんだみそ)
他人の物はなんでもよく見えるというたとえ。「糂汰味噌」はぬかみそのこと。
飛ぶ鳥の献立(とぶとりのこんだて)
手に入れる前に、その使い道を早々と計画することのたとえ。空を飛ぶ鳥を見て、捕らえもしないうちから料理の献立を考えるということから。
富は一生の宝、知は万代の宝(とみはいっしょうのたから、ちはばんだいのたから)
財産は一代限りの宝であるが、すぐれた知恵は後世の人にも役立つ宝であるということ。
倶に天を戴かず(ともにてんをいただかず)
相手を殺すか自分が殺されるかの関係で、共存ができないこと。また、復讐せずにはいられないほど激しく憎むこと。 相手と同じ天の下では生きていけないとの意から。 「[[不倶戴天(ふぐたいてん)*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1340.html]]」ともいう。
鳥疲れて枝を選ばず(とりつかれてえだをえらばず)
生活のためには職業を選んではいられないということ。疲れた鳥は枝を選ばずに、どこにでもとまるということから。
鳥肌が立つ(とりはだがたつ)
恐怖や寒さなどによって、腕などの毛穴が収縮して、羽を毟(むし)った鳥のようになること。 また、近年では感動を表す言葉として用いられることもある。
同日の談にあらず(どうじつのだんにあらず)
差がありすぎて、比べものにならない。同じ基準で語ることはできない。
どこの鶏も裸足(どこのとりもはだし)
どこに行っても、そう目新しいものはないということ。また、どこの国でも人間の本性同じだということ。 「どこの烏も黒い」「どこの鶏も裸足」ともいう。
泣いて育てて笑うてかかれ(ないてそだててわろうてかかれ)
子育ては苦労が伴うものだが、子どもを立派に育て上げれば、老後にはその子が世話をしてくれ、安らかな余生を送ることができるということ。 また、将来の安楽のために、今の苦労を惜しまずに子育てに励むべきだという教え。
無い物ねだり(ないものねだり)
ないものや手に入らないものを無理にほしがること。また、実現できないことをむりにもとめること。
直き木に曲がる枝(なおききにまがるえだ)
どんなに正しい人でも欠点や弱点があることのたとえ。 まっすぐな木にも曲がった枝がついているとの意から。
仲立ちより逆立ち(なかだちよりさかだち)
他人の間に立って仲介をすることは非常に気苦労が多く、時には骨が折れる作業であるため、むしろ逆立ちでもしていた方が楽だということ。
泣き出しそう(なきだしそう)
今にも雨が降りだしそうな空の様子のこと。 涙が今にも目からこぼれ落ちそうであるとの意から。
泣き出しそうな空模様(なきだしそうなそらもよう)
今にも雨が降り出しそうな空。
泣きの涙(なきのなみだ)
涙を流して泣くほど、苦しくてつらいことのたとえ。
泣く子は育つ(なくこはそだつ)
大きな声でよく泣く子どもは元気で、丈夫にたくましく育つということ。
泣く子も黙る(なくこもだまる)
泣きじゃくっている子どもが泣き止んでしまうほど、ひどく恐ろしい存在であることのたとえ。
なけなしの無駄遣い(なけなしのむだづかい)
金をあまり持っていないものは、安物買いや無計画に金を使って、結局は無駄遣いをすることのなるということ。「なけなし」は、ほんのわずかしかないこと。
情けが仇(なさけがあだ)
親切や同情からしたことが、かえって相手のためにならない結果となること。
茄子の花と親の意見は千に一つも無駄はない(なすびのはなとおやのいけんはせんにひとつもむだはない)
茄子の花に無駄花がないように、親が子どもにいう意見もすべて子どもの役に立つことばかりで、一つとして無駄がないということ。
名高の骨高(なだかのほねだか)
評判が高いわりには、実情は大したことがないことのたとえ。「名高」は名高いこと、「骨高」は骨ばってごつごつしていること。「高」の語呂あわせをした言葉。
涙に暮れる(なみだにくれる)
悲しみのため、泣いて日々を過ごすこと。