「の」を含む故事・ことわざ・慣用句
「の」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2187 件
年貢の納め時(ねんぐのおさめどき)
悪事を重ねてきた者が、ついに捕まって罪に服さなければならない時。また、長い間続けてきた物事をあきらめなくてはならない時。年貢の滞納を清算しなければならない時の意から。
燃犀の明(ねんさいのめい)
物事を鋭く見抜くこと。犀(さい)の角を燃やして、その光で深い水の底まで見通したという故事から。 そのような優れた見識、洞察力を「燃犀の明」「燃犀の見」という。
念者の不念(ねんじゃのぶねん)
念を入れて慎重に物事を行う人でも、時には不注意なこともしてしまうということ。 「念者」は、念を入れて物事ををする人のこと。「ねんしゃ」ともいう。
能ある鷹は爪を隠す(のうあるたかはつめをかくす)
すぐれた才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。
能書きの読めぬ所に効き目あり(のうがきのよめぬところにききめあり)
効能書きは難解だが、それがかえって効き目があるように感じられる。よくわからないものほど、有難みがあるということのたとえ。また、効能書きの難解さへの皮肉にいう。
能書きを並べる(のうがきをならべる)
自らの長所や得意とすることなどをあれこれと並べたてること。 「能書き」は、薬などの効能を記載した効能書きのこと。
能書筆を択ばず(のうしょふでをえらばず)
書にすぐれた人は筆のよしあしに関係なく、どんな筆を使ってもすぐれた字を書くということ。
能事畢る(のうじおわる)
しなければならないことは残らずやり終えたということ。やり遂げた時に充実感を覚えて言ったり、あとは運を天に任せるしかないという気持ちで言ったりすることば。
能じゃない(のうじゃない)
一つのことだけが能力や価値を示すのではなく、ほかにも大切な面があるということを表す言い方。「〜だけが能じゃない」「〜ばかりが能じゃない」の形で、特定の行為や側面にとらわれず、より広い視野を持つべきだという意味を示す。
嚢中の錐(のうちゅうのきり)
すぐれた人は、大衆の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中にの錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
嚢中の物を探るが如し(のうちゅうのものをさぐるがごとし)
袋の中の物を探すように、非常に簡単なことのたとえ。 「嚢中」は袋の中。 「袋の物を探るが如し」ともいう。
能なし犬は昼吠える(のうなしいぬはひるほえる)
才能のない者にかぎって必要のないときに大騒ぎしたり、大きなことを言ったりするというたとえ。
能なしの口叩き(のうなしのくちたたき)
なんの役にも立たない人ほど、よけいなことをぺらぺらしゃべり、口先だけは達者だということ。
農は人真似(のうはひとまね)
農業は人のやる事を真似していれば人並みの収穫はあるということ。
脳味噌を絞る(のうみそをしぼる)
あるだけの知恵を出し尽くして考察すること。
脳裏に焼き付く(のうりにやきつく)
非常に強い印象を受けて、いつまでも記憶に残っていること。
逃した魚は大きい(のがしたさかなはおおきい)
手に入れそこなったものは惜しさが加わって、特にすぐれたもののように感じられるというたとえ。「魚」は「うお」とも読む。 「逃した魚は大きい」「逃げた魚は大きい」「釣り落とした魚は大きい」ともいう。
軒を争う(のきをあらそう)
ぎっしりと家が立ち並んでいるさま。
軒を貸して母屋を取られる(のきをかしておもやをとられる)
一部を貸したために、ついには全部を奪われてしまうことのたとえ。また、恩を仇で返されることのたとえ。
のけば他人(のけばたにん)
夫婦はもともと他人同士だから、どんなに仲がよくても離婚するとまったくの赤の他人になるということ。
退けば長者が二人(のけばちょうじゃがふたり)
相性のわるい者同士が一緒にいるより、お互いに独立したほうがうまくいくということ。
残り物には福がある(のこりものにはふくがある)
最後まで残っている物の中には、意外によいものがあるということ。
熨斗を付ける(のしをつける)
人に物を喜んで進呈するたとえ。
望みを託す(のぞみをたくす)
自分の願いや期待を他人や物事にゆだねる。自らの力では実現できない思いや願望を、信頼する相手や状況の成り行きに任せて託すこと。
後の親が親(のちのおやがおや)
生んでくれた親より、育ててくれた親を敬い孝行せよという教え。
退っ引きならない(のっぴきならない)
避けることも退くことも出来ず、動きがとれないようす。また、どうにもならないということ。
喉から手が出る(のどからてがでる)
欲しくて欲しくてたまらないことのたとえ。
喉が鳴る(のどがなる)
食べ物を見たり匂いを感じたりして、思わず食べたくなるほど食欲が強く高まるさま。
喉元過ぎれば熱さを忘れる(のどもとすぎればあつさをわすれる)
苦しいことも過ぎてしまえば忘れてしまうことのたとえ。また、苦しい時に受けた恩義も楽になったら忘れてしまうことのたとえ。 熱いものを飲んでも、のどを過ぎれば口に入れた時の熱さを忘れてしまうことから。
のべつ幕無し(のべつまくなし)
物事が途切れることなく続く様子。休みなく続くさま。芝居の場面転換で幕を引かずに演じ続けたことに由来する。
述べて作らず(のべてつくらず)
昔から伝えられていることを述べるだけで、自分の意見は差し挟まないということ。
上り一日、下り一時(のぼりいちにち、くだりいっとき)
物事を作り上げるのには多くの時間と労力を要するが、壊すのはたやすいことのたとえ。 上るときには一日かかる道も、下るときにはわずかな時間しかかからないとの意から。
上り坂あれば下り坂あり(のぼりざかあればくだりざかあり)
人生には、栄える時もあれば衰える時もあるということ。
上り坂より下り坂(のぼりざかよりくだりざか)
物事が順調に運んでいるときほど、油断して失敗しやすいという戒め。 苦しい状況よりも、むしろ容易に思われる局面でこそ気を引き締めるべきだとする教え。 坂道では上りより下りのほうが足を踏み外しやすいことから。
上り知らずの下り土産(のぼりしらずのくだりみやげ)
知らないことを、さも知っているように話すたとえ。 京へ上ったこともない者が、あたかも行ってきたかのように土産話をすることから。
登れない木は仰ぎ見るな(のぼれないきはあおぎみるな)
自分の力や立場に見合わない望みを持つなという戒め。 できもしないことを求めず、身のほどをわきまえよということ。
飲まぬ酒には酔わぬ(のまぬさけにはよわぬ)
原因がなければ結果は生じないというたとえ。酒を飲まなければ酔うことがないことから。
飲まぬ酒に酔う(のまぬさけによう)
理由や心当たりがないのに、不本意な結果が生じることのたとえ。 酒を飲んでもいないのに酔ってしまうというありえない状況から。
鑿と言えば槌(のみといえばつち)
万事に気が利くこと。また、気を利かすべきだという教え。 鑿をくれと言われれば、それを使う時に必要な槌も一緒に渡すとの意から。
鑿に鉋の働きは無し(のみにかんなのはたらきはなし)
どれだけすぐれた道具であっても役目は決まっており、他の道具の代わりにはならないというたとえ。人や物には、それぞれふさわしい務めがあるということ。 鑿(のみ)は木材に穴をあけたり削り取ったりする道具。 鉋(かんな)は木の表面を薄く削ってなめらかに仕上げる道具。
蚤の息も天に上がる(のみのいきもてんにあがる)
誰でも一心に努力すれば望みを叶えられるということ。 一心に事を行えば、蚤のような小さなものの吐息も天に届かせることができるとの意から。
蚤の頭を斧で割る(のみのかしらをよきでわる)
わずかなことに、必要以上に大げさで不釣り合いな手段を用いることのたとえ。 小事に対して道具や方法が過度で適当でないこと。 「頭」は「あたま」とも読む。
蚤の皮を剝ぐ(のみのかわをはぐ)
取るに足りないほどの些細なことに、必要以上の労力や注意を注ぐことのたとえ。
蚤の小便、蚊の涙(のみのしょうべん、かのなみだ)
極めてわずかなことのたとえ。
蚤の心臓(のみのしんぞう)
わずかなことにもすぐおびえるほど、気が小さいことのたとえ。
蚤の夫婦(のみのふうふ)
夫より妻が大きい夫婦のこと。
蚤の眼に蚊の睫(のみのまなこにかのまつげ)
きわめて小さいもののたとえ。
飲む、打つ、買う(のむ、うつ、かう)
男の道楽の代表的なものを並べたことば。大酒を飲む、博打を打つ、女を買うこと。
飲むに減らで吸うに減る(のむにへらですうにへる)
小さな出費が積み重なって財産が減っていくことのたとえ。 たまに使う酒代では財産はそれほど減らないが、毎日のように使うたばこ代では確実に減っていくとの意から。
飲む者は飲んで通る(のむものはのんでとおる)
酒飲みは酒代がかかって大変だが、金が無いなら無いなりにやっていくものだということ。
飲めや歌え(のめやうたえ)
宴会などがにぎやかに盛り上がっているさま。 酒を酌み交わし、歌い騒ぐほどの大いにぎわう様子をいう。
乗り掛かった船(のりかかったふね)
物事を始めてしまった以上、中途でやめるわけにはいかないことのたとえ。乗った舟が岸を離れれば途中で降りることができないことから。
矩を踰える(のりをこえる)
道徳や規律から外れること。「矩」は規則・おきて、「踰える」は超えるという意。
伸るか反るか(のるかそるか)
成功するか失敗するか、運を天にまかせて思い切って物事を行うこと。
暖簾に腕押し(のれんにうでおし)
手ごたえも張り合いもないことのたとえ。「腕押し」とは腕相撲のことで、暖簾のように力も争う意思もない相手と腕相撲をしても、何の手ごたえもないという意味から。
暖簾に傷がつく(のれんにきずがつく)
店などの信用や評判が落ちること。
暖簾を下ろす(のれんをおろす)
その日の営業活動を終わりにすること。 また、営業をやめること。廃業すること。
暖簾を分ける(のれんをわける)
長い間勤めた店員などに、同じ屋号を使用した新しい店の出店を許可すること。
呪うに死なず(のろうにしなず)
人に強く恨まれたり、呪われたりするような者ほど、案外しぶとく生き延びるものだということ。
狼煙を上げる(のろしをあげる)
目立つ行動を起こし、これから大きな動きが始まることを世に示すこと。 また、物事を進めるための合図として、先駆けとなる行動を起こすこと。 昔、戦いや急報の知らせとして火や煙を上げた「狼煙」に由来する語。 「狼煙」は「烽火」とも書く。
敗軍の将は兵を語らず(はいぐんのしょうはへいをかたらず)
失敗した者は、そのことについて弁解する資格がないということ。戦いに敗れた将軍は兵法について発言する資格はないとの意から。
背水の陣(はいすいのじん)
失敗すれば後が無いという立場、また決死の覚悟で事に当たることのたとえ。 中国、漢の名将が趙の軍隊と戦った時、わざと川を背に陣を敷き、味方に決死の覚悟で戦わせて敵を破ったという故事から。
吐いた唾は呑めぬ(はいたつばはのめぬ)
一度口から出した言葉は取り消すことができないというたとえ。発言には十分注意するようにとの戒めのことば。
吐いた唾を呑む(はいたつばをのむ)
一度言ったことを無責任にひるがえすこと。
杯中の蛇影(はいちゅうのだえい)
疑えば、なんでもないことにまで神経を悩まし苦しむことのたとえ。杯に映った弓の影を蛇と見間違え、蛇を飲んだと思い込んで病気になったが、それが間違いだとわかると、たちまち治ったという故事から。
這えば立て、立てば歩めの親心(はえばたて、たてばあゆめのおやごころ)
子どものすこやかな成長を楽しみに待つ親の気持ちを言ったことば。
破瓜の年(はかのとし)
瓜の字を二つに破ると二つの八の字になり、八と八を足すと十六、八と八を掛けると六十四になるということから、女性の十六歳、または男性の六十四歳のこと。
籌を帷幄に運らし、勝ちを千里の外に決す(はかりごとをいあくにめぐらし、かちをせんりのほかにけっす)
計画や戦略の巧妙なことのたとえ。 「籌」は計略、「帷幄」は幕を張りめぐらした本陣、「千里の外」は遠い場所のこと。 本陣で計略を練り、遠く離れた戦場で勝利するとの意から。 「籌策を帷幄の中に運らし、勝ちを千里の外に決す」ともいう。
白玉楼中の人となる(はくぎょくろうちゅうのひととなる)
文人が死ぬことのたとえ。 「白玉楼」は文人が死後に行くといわれる白玉造りの高楼のことで、その中の人となるとの意から。
白紙で臨む(はくしでのぞむ)
事前に対策したり、先入観を持ったりすることなく、物事の取り組むこと。
伯仲の間(はくちゅうのかん)
ほとんど差がなく優劣がつけにくいこと。昔、中国では子どもの上から順に伯・仲・叔・季の字を当て、伯(長兄)と仲(次兄)では年齢にあまり差がないことから。
白璧の微瑕(はくへきのびか)
ほぼ完全なものに、少しだけ欠点があることのたとえ。 「白璧」は白い宝玉で、その宝玉に微かな瑕(きず)があるとの意から。
白面の書生(はくめんのしょせい)
年が若く、経験の乏しい学者や学生のこと。「白面」は年が若く未熟なこと、「書生」は勉強中の者の意。
伯楽の一顧(はくらくのいっこ)
不遇だった者が有力者に見いだされて世に出ること。 「伯楽」は、中国春秋時代の名馬を見抜く名人。 馬が売れずに困っていた者が伯楽に頼み、伯楽が一度通り過ぎた後に馬を振り返って見たことで、その馬の価値が一気に跳ね上がったという故事から。
箱根からこっちに野暮と化け物はなし(はこねからこっちにやぼとばけものはなし)
箱根からこちら側(関東を中心とした言い方で東側)には、野暮な人間と化け物はいないということ。江戸っ子が田舎者を相手に自慢する言葉。
箱根知らずの江戸話(はこねしらずのえどばなし)
実際には見たこともないものを、いかにも見てきたように話すことのたとえ。 箱根を越えたことのない西国の人間が、江戸のことを得意気に話すということから。
箸の転んだもおかしい(はしのころんだもおかしい)
箸が転がるような、些細なことにもよく笑うこと。思春期の娘に対していうことが多い。
箸より重い物を持ったことがない(はしよりおもいものをもったことがない)
裕福な家庭で育てられるなどして、労働の経験がないことのたとえ。 食事で使う箸以上に重たい物を持ったことがないとの意から。 「箸より重い物を持たない」ともいう。
恥の上塗り(はじのうわぬり)
恥をかいた上にさらに恥をかくこと。 「恥の上書き」「恥の掻き上げ」「恥の恥」ともいう。
始めあるものは必ず終わりあり(はじめあるものはかならずおわりあり)
物事には始めがあるように必ず終わりがある。生あるものには必ず死が訪れ、栄えているものはいつか滅びるということ。
