「時」を含む故事・ことわざ・慣用句
「時」を含む故事・ことわざ・慣用句の一覧です。五十音順に表示しています。
挨拶は時の氏神(あいさつはときのうじがみ)
争いごとの仲裁をしてくれる人は氏神様のようにありがたいものなので、その仲裁に従うのがよいということ。 「挨拶」は仲裁の意味。 「仲裁は時の氏神」ともいう。
朝顔の花一時(あさがおのはないっとき)
物事の盛りが短く、はかないことのたとえ。朝咲いた朝顔の花が昼を待たずにしぼんでしまうことから。
朝の一時は晩の二時に当たる(あさのひとときはばんのふたときにあたる)
朝は仕事がはかどるので、なるべく早く起きて働けということ。 「一時」は昔の時刻の数え方で、約二時間。「二時」はその倍の約四時間。 朝の仕事は夜の仕事の二倍に相当するという意味から。
会った時は笠を脱げ(あったときはかさをぬげ)
知り合いに会った時は、まず挨拶をしなさいということ。 礼儀の大切さを説いた教え。
あの声で蜥蜴食らうか時鳥(あのこえでとかげくらうかほととぎす)
人や物事は、見かけでは判断できないということ。美しい声で鳴く時鳥が蜥蜴を食べることに驚いた、という意味で、江戸時代の俳人、宝井其角の句から。
ある時は米の飯(あるときはこめのめし)
あとで困ると思いながらも、余裕のある時は贅沢や浪費をしてしまうということ。米の飯が貴重だった昔、特別な日に腹いっぱい米の飯を食べつくしてしまうことから。
ある時払いの催促なし(あるときばらいのさいそくなし)
金の都合がついた時に返せばいい、催促は一切しないという寛大な借金の返済条件をいう言葉。
いざという時(いざというとき)
非常事態が発生した場合。
一時違えば三里の遅れ(いっときちがえばさんりのおくれ)
少しの間でもぐずぐずしていると、たちまち大きな差が開くということ。 「一時」は約二時間、「三里」は約十二キロメートル。 一時遅れると、旅程に三里の遅れが出るとの意から。 「ひととき」は「いっとき」ともいう。 また「一時三里」ともいう。
何時にない(いつにない)
普段とは違っている。平生とは異なる。
今を時めく(いまをときめく)
現在、世間でもてはやされている。
飢えたる時は食を択ばず(うえたるときはしょくをえらばず)
飢えているときには、食べ物を選り好む余裕などないため、何でも食べるということ。
往時渺茫としてすべて夢に似たり(おうじびょうぼうとしてすべてゆめににたり)
過ぎ去った昔の事はもうはるかかなたの事で、とりとめがなく、まるで夢のように思えるということ。「往時」は過ぎ去った昔のこと。「渺茫」は遠くはるかで果てしないさま。
逢うた時に笠を脱げ(おうたときにかさをぬげ)
知り合いに会った時は、まず挨拶をしなさいということ。 礼儀の大切さを説いた教え。
会うた時に笠を脱げ(おうたときにかさをぬげ)
知り合いに会った時は、まず挨拶をしなさいということ。 礼儀の大切さを説いた教え。
蛙の目借り時(かえるのめかりどき)
春はとにかく眠たい時期だということ。 春に眠くなるのは、蛙が目を借りにくるからだという言い伝えから。 「蛙の目借り時」ともいう。
勝つも負けるも時の運(かつもまけるもときのうん)
勝負はその時々の運によるもので、必ずしも実力通りに決まるものではないということ。 「勝負は時のはずみ」「勝つも負けるも時の運」「負けるも勝つも時の運」「勝つも負けるも運次第」ともいう。
悲しい時は身一つ(かなしいときはみひとつ)
困ったり落ちぶれたりすると、他人は当てにならず、頼りになるのは自分だけだということ。「身一つ」は財産もなく自分の体だけという意。
叶わぬ時には親を出せ(かなわぬときにはおやをだせ)
言い訳に困った時には、親を引き合いに出すことで口実を作れということ。
叶わぬ時の神頼み(かなわぬときのかみだのみ)
普段は信仰心を持たない者が、事が叶わない時だけ、神様に祈って助けてもらおうとすること。
借りる時の地蔵顔、返す時の閻魔顔(かりるときのじぞうがお、かえすときのえんまがお)
お金を借りる時は地蔵菩薩のようにやさしい顔をするが、返す時は閻魔大王のような不機嫌な顔をするということ。
借りる時の地蔵顔、済す時の閻魔顔(かりるときのじぞうがお、なすときのえんまがお)
お金を借りる時は地蔵菩薩のようにやさしい顔をするが、返す時は閻魔大王のような不機嫌な顔をするということ。
彼も一時、此れも一時(かれもいちじ、これもいちじ)
時とともに、世の中のことは移り変わっていくものである。だから、あの時はあの時、今は今で、あの時と今とを単純に比べることはできないということ。また、栄枯盛衰も一時限りであるということ。「彼」は、あの時の意。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥(きくはいっときのはじ、きかぬはいっしょうのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時の恥で済むが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしいということ。
気の利いた化け物は引っ込む時分(きのきいたばけものはひっこむじぶん)
長居する客や、なかなか引退せずに長く地位を占めている人を皮肉って言う言葉。 気の利いた化け物は引き時を心得ているとの意から。 単に「化け物も引っ込む時分」ともいう。
金時の火事見舞い(きんときのかじみまい)
飲酒などで真っ赤になった顔のたとえ。「金時」は、源頼光の四天王の一人、坂田金時のこと。赤ら顔の金時が火事見舞いに行くと、ますます赤くなることから。
草木も眠る丑三つ時(くさきもねむるうしみつどき)
夜が更けて、すっかり静かになった真夜中のこと。「丑三つ時」は、昔の時刻で牛の刻を四分した三番目の時刻のことで、現在の午前二時から二時半頃。人だけでなく、草木までも眠って静まりかえった真夜中の意から。
苦しい時には親を出せ(くるしいときにはおやをだせ)
言い訳に困った時には、親を口実に使うのがいいということ。
苦しい時の神頼み(くるしいときのかみだのみ)
信仰心のない者が、苦しい時だけ神に祈って助けてもらおうとすること。
苦しい時は鼻をも削ぐ(くるしいときははなをもそぐ)
急を要する場合には、どんな手段でも取った方がよいというたとえ。 緊急の場合には、自分の鼻を削ぎ落とすような非常手段を取るのもやむを得ないとの意から。 「苦しい時は鼻をも削ぐ」ともいう。
孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし)
親が元気な時は、有難みや苦労がわからず、それに気がつく年になった時には、親はもうこの世にいないということ。親が元気なうちに孝行せよという戒め。
孔子も時に遇わず(こうしもときにあわず)
どんなに優れた人でも機会に恵まれなければ才能を発揮できずに終わることもあることのたとえ。 立派な才能を持っていた孔子も、時勢に乗れず生涯不遇であったとの意から。
子で子にならぬ時鳥(こでこにならぬほととぎす)
事ある時は仏の足を戴く(ことあるときはほとけのあしをいただく)
普段は不信心な人でも、困ったときには仏の足元にひれ伏して救いを求めるというたとえ。
碁打ちに時なし(ごうちにときなし)
碁を打つ者は勝負に夢中になって、時を忘れてしまうということ。
潮時を見る(しおどきをみる)
物事を行うのによい時期を見計らうこと。
少壮幾時ぞ(しょうそういくときぞ)
勝負は時の運(しょうぶはときのうん)
勝負はその時々の運によるもので、必ずしも実力通りに決まるものではないということ。 「勝負は時のはずみ」「勝つも負けるも時の運」「負けるも勝つも時の運」「勝つも負けるも運次第」ともいう。
勝負は時のはずみ(しょうぶはときのはずみ)
勝負はその時々の運によるもので、必ずしも実力通りに決まるものではないということ。 「勝負は時のはずみ」「勝つも負けるも時の運」「負けるも勝つも時の運」「勝つも負けるも運次第」ともいう。
時間の問題(じかんのもんだい)
結果がほぼ分かっていて、そのままの状態で近いうちにその結果になるだろうという状態。
時間を稼ぐ(じかんをかせぐ)
準備を整えたり有利な状況になったりするまで長引かせること。 「時間を稼ぐ」ともいう。
時間を割く(じかんをさく)
忙しい中で時間をやりくりして、あることをするために時間を作ること。
時機に投ずる(じきにとうずる)
機会を利用してうまく物事を行うこと。または、時代の流れに乗って行動すること。
時好に投ずる(じこうにとうずる)
時代の風潮に合って、世間にもてはやされること。
地震の時は竹薮に逃げろ(じしんのときはたけやぶににげろ)
地震の時は竹やぶが避難場所としてすぐれているということ。竹は根を広く張っているいるため地割れが少なく、竹は倒れにくく、もし倒れても軽いため怪我が少ないことなど、経験からいわれている言葉。
時代掛かる(じだいがかる)
当時よりも昔の時代の感じを与える。古びている。
時流に乗る(じりゅうにのる)
その時代の流行や風潮、傾向などの流れを利用して物事をうまく進めること。
千日に刈った萱一時に亡ぼす(せんにちにかったかやいっときにほろぼす)
長年苦労して築き上げたものを一瞬にして失うことのたとえ。 「萱」は、屋根をふくのに用いる植物の総称。 千日もかけて刈り集めた萱をたった一日で燃やしてしまうとの意から。
仙人の千年、蜉蝣の一時(せんにんのせんねん、かげろうのいっとき)
長い短いの違いはあっても、どちらも一生であることに変わりないことのたとえ。また、同じ一生でも長短の差が大きいことのたとえ。
銭ある時は鬼をも使う(ぜにあるときはおにをもつかう)
金さえあれば、どんな人でも自分の思うままに使うことができるということ。 金があれば、怖い鬼であろうとも思い通りにすることができるとの意から。
即時一杯の酒(そくじいっぱいのさけ)
死んでから受ける名誉より、今すぐ飲める一杯の酒のほうがありがたいということ。
粗相も時の一興(そそうもときのいっきょう)
失敗も、時によってはその場を和ませるような笑いを誘う一つの面白みであるということ。
他人は時の花(たにんはときのはな)
季節の花が咲いてすぐ散るように、他人の好意も長続きしないものだから、あまり頼りにしてはいけないという教え。「時の花」は季節に咲く花。
卵を見て時夜を求む(たまごをみてじやをもとむ)
順序を考えず、あまりに早計に結果を求めるたとえ。 「時夜」は、鶏が夜明けに鳴いて時を知らせること。 卵のうちから、鶏に成長して時を告げることを待ち望むとの意から。
茶腹も一時(ちゃばらもいっとき)
わずかなことでも一時しのぎにはなることのたとえ。空腹の時もお茶でしばらくはしのげるということから。
仲裁は時の氏神(ちゅうさいはときのうじがみ)
争いごとの仲裁をしてくれる人は氏神様のようにありがたいものなので、その仲裁に従うのがよいということ。 「挨拶」は仲裁の意味。 「仲裁は時の氏神」ともいう。
適時の一針は九針の手間を省く(てきじのいっしんはきゅうしんのてまをはぶく)
すぐに対処しておけば、あとで大掛かりな手間をかけずにすむということ。 その時に一針縫っておけば、あとで九針縫う手間を省くことができるとの意から。 「適時の一針は九針の手間を省く」ともいう。
天勾践を空しゅうすること莫れ、時に范蠡なきにしも非ず(てんこうせんをむなしゅうすることなかれ、ときにはんれいなきにしもあらず)
天の時は地の利に如かず(てんのときはちのりにしかず)
戦いにおいて、いかに天候や気候の条件が良くても、地理的条件の有利さには及ばないということ。
天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず(てんのときはちのりにしかず、ちのりはひとのわにしかず)
戦いにおいて、いかに天候や気候の条件が良くても、地理的条件の有利さには及ばない。 その地理的な有利さも団結した人々の力には及ばないということ。
時に遇う(ときにあう)
好機に巡り合って幸運を掴むこと。
時に遇えば鼠も虎になる(ときにあえばねずみもとらになる)
時流に乗れば、つまらない者でも出世して権力をふるうようになるというたとえ。
時に臨む(ときにのぞむ)
ある物事が行われたり、起こったりする時になること。
時の氏神(ときのうじがみ)
ちょうどよい時期に来て喧嘩の仲裁などをしてくれるありがたい人のこと。
時の花を挿頭にせよ(ときのはなをかざしにせよ)
時流に乗って世渡りすることがよいということ。 「挿頭」は髪や冠に挿す飾り花のこと。 その時季に咲く花を飾るように、その時代の風潮や傾向に合わせて暮らすべきであるということ。
時の用には鼻を削げ(ときのようにははなをそげ)
急を要する場合には、どんな手段でも取った方がよいというたとえ。 緊急の場合には、自分の鼻を削ぎ落とすような非常手段を取るのもやむを得ないとの意から。 「苦しい時は鼻をも削ぐ」ともいう。
時は得難くして失い易し(ときはえがたくしてうしないやすし)
好機はめったにめぐってこないし、油断するとすぐに去ってしまうということ。また、時は二度とめぐってこないので、わずかな時間も大切に過ごすべきであるということ。
時は金なり(ときはかねなり)
時間は金銭と同じように貴重なものだから無駄にしてはいけないということ。
時は人を待たず(ときはひとをまたず)
時は人の都合などおかまいなしに刻々と過ぎ去っていくので、時間を無駄にせず大事に過ごすべきであるということ。 「光陰人を待たず」「時は人を待たず」ともいう。
時を争う(ときをあらそう)
わずかな時間も無駄にできないほど、事態が差し迫っている。急を要する。
時を失う(ときをうしなう)
好機を逃すこと。よい機会を失うこと。
時を移さず(ときをうつさず)
ある物事の後に時間を空けずに行う様子。すぐに。
時を得た一針は九針の手間を省く(ときをえたいっしんはきゅうしんのてまをはぶく)
すぐに対処しておけば、あとで大掛かりな手間をかけずにすむということ。 その時に一針縫っておけば、あとで九針縫う手間を省くことができるとの意から。 「適時の一針は九針の手間を省く」ともいう。
時を得る(ときをえる)
よい機会にめぐりあって栄えること。
時を稼ぐ(ときをかせぐ)
準備を整えたり有利な状況になったりするまで長引かせること。 「時間を稼ぐ」ともいう。
時を待つ(ときをまつ)
好機が訪れるのを待つこと。時機を待つこと。
飛ぶ鳥懐に入る時は狩人も助く(とぶとりふところにいるときはかりゅうどもたすく)
窮地に陥った者が救いを求めてくれば、どんな事情があっても助けるのが人情であるというたとえ。 追いつめられた鳥が自分のふところに飛び込んでくれば、さすがの猟師も殺したりは出来ないということから。
ない時の辛抱、ある時の倹約(ないときのしんぼう、あるときのけんやく)
金がない時はじっと辛抱し、金のある時は倹約を心がけよということ。
鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥(なかぬならなくまでまとうほととぎす)
好機が来るまで、辛抱強く待つということ。徳川家康が詠んだとされ、家康の辛抱強い性格を表した句。 これに対し、織田信長が「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」、豊臣秀吉が「鳴かぬなら鳴かしてみせよう時鳥」と詠んだとされている。
鳴くまで待とう時鳥(なくまでまとうほととぎす)
好機が来るまで、あせらずに辛抱強く待つということ。徳川家康が「鳴かぬなら」という言葉に続けて詠んだとされ、家康の辛抱強い性格を表した句。織田信長は「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」、豊臣秀吉は「鳴かぬなら鳴かしてみせよう時鳥」と詠んだとされている。
二八月は船頭のあぐみ時(にはちがつはせんどうのあぐみどき)
二月と八月は、海が荒れて舟が出せない日が多いので、船頭も困るということ。
年貢の納め時(ねんぐのおさめどき)
悪事を重ねてきた者が、ついに捕まって罪に服さなければならない時。また、長い間続けてきた物事をあきらめなくてはならない時。年貢の滞納を清算しなければならない時の意から。
上り一日、下り一時(のぼりいちにち、くだりいっとき)
物事を作り上げるのには多くの時間と労力を要するが、壊すのはたやすいことのたとえ。 上るときには一日かかる道も、下るときにはわずかな時間しかかからないとの意から。
花一時、人一盛り(はないっとき、ひとひとさかり)
花が咲き誇るのもほんの一時であるように、人も盛んな時はごく短い一時期に過ぎないということ。
化け物も引っ込む時分(ばけものもひっこむじぶん)
長居する客や、なかなか引退せずに長く地位を占めている人を皮肉って言う言葉。 気の利いた化け物は引き時を心得ているとの意から。 単に「化け物も引っ込む時分」ともいう。
日陰の豆も時が来ればはぜる(ひかげのまめもときがくればはぜる)
人より成長が遅れていても年ごろになれば一人前になるから心配は要らないというたとえ。日陰で育った豆でも時期が来れば自然とさやからはじけ出るとの意から。
ひだるい時にまずい物なし(ひだるいときにまずいものなし)
空腹の時は、どんな食べ物でもおいしく感じるということ。 「ひもじい時にまずい物なし」「ひだるい時にまずい物なし」ともいう。
一時違えば三里の遅れ(ひとときちがえばさんりのおくれ)
少しの間でもぐずぐずしていると、たちまち大きな差が開くということ。 「一時」は約二時間、「三里」は約十二キロメートル。 一時遅れると、旅程に三里の遅れが出るとの意から。 「ひととき」は「いっとき」ともいう。 また「一時三里」ともいう。
人の踊る時は踊れ(ひとのおどるときはおどれ)
みんなが何かする時は自分も一緒にやるほうがよいということ。
人の情けは世にある時(ひとのなさけはよにあるとき)
世間の人が好意を示してくれるのは、こちらの羽振りがよく栄えている間だけで、落ち目になると誰も見向きもしないということ。
ひもじい時にまずい物なし(ひもじいときにまずいものなし)
空腹の時は、どんな食べ物でもおいしく感じるということ。 「ひもじい時にまずい物なし」「ひだるい時にまずい物なし」ともいう。
貧乏難儀は時の回り(びんぼうなんぎはときのまわり)
貧乏したり苦労したりするのは、時のめぐりあわせにすぎないから悲観することはないということ。
無精者の一時働き(ぶしょうもののいっときばたらき)
いつも怠けている者が、急に思い立って働いても、一時的だということ。また、そういう者をあざけっていう言葉。
ホメロスすら時に失策を犯す(ほめろすすらときにしっさくをおかす)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することがあるというたとえ。 ホメロスのような大詩人でさえ、時には眠くなるような凡作を作ることがあるとの意から。 「ホーマー」はホメロスの英語名。
負けるも勝つも時の運(まけるもかつもときのうん)
勝負はその時々の運によるもので、必ずしも実力通りに決まるものではないということ。 「勝負は時のはずみ」「勝つも負けるも時の運」「負けるも勝つも時の運」「勝つも負けるも運次第」ともいう。
まさかの時の友こそ真の友(まさかのときのともこそしんのとも)
苦しい状況の時、助けてくれる友こそ本当の友だちだということ。
学びて時に之を習う亦説ばしからずや(まなびてときにこれをならうまたよろこばしからずや)
勉強したことを、折にふれて復習するということは、いっそう理解を深めることになる。なんと楽しいことではないかということ。
無常の風は時を選ばず(むじょうのかぜはときをえらばず)
風が咲いている花を散らすのに時を選ばないように、人の命もいつ果てるのか、まったく予測はつかないということ。
目には青葉、山時鳥、初鰹(めにはあおば、やまほととぎす、はつがつお)
初夏のさわやかな風物を並べたことば。江戸時代の俳人山口素堂の句。
雌鳥につつかれて時をうたう(めんどりにつつかれてときをうたう)
夫が妻のいいなりになることのたとえ。 雄鶏が雌鳥につつかれて時を告げるとの意から。
物には時節(ものにはじせつ)
ものごとをするには、それにふさわしい時機があり、それを外すと成功しないということ。
用ある時の地蔵顔、用なき時の閻魔顔(ようあるときのじぞうがお、ようなきときのえんまがお)
人にものを頼む時はお地蔵様のようにやさしいにこにこ顔をするが、用事がない時は閻魔様のように不機嫌な顔つきになるということ。
ローマにいる時はローマの人がするとおりにせよ(ろーまにいるときはろーまのひとがするとおりにせよ)
土地によって風俗や習慣が違うから、自分が住む場所のそれに合わせて生活するのが処世の手段だということ。
若い時旅をせねば老いての物語がない(わかいときたびをせねばおいてのものがたりがない)
若い時に旅をしておかなければ、年をとってから人に話す話題がないということ。
若い時の苦労は買うてもせよ(わかいときのくろうはこうてもせよ)
若い時の苦労は将来役に立つ貴重な経験となるから、自分から進んで苦労するほうがよいということ。
若い時の辛労は買うてでもせよ(わかいときのしんろうはこうてでもせよ)
若い時の苦労は将来役に立つ貴重な経験となるから、自分から進んで苦労するほうがよいということ。
若い時は二度ない(わかいときはにどない)
若い時代は二度とやってこないから、何でも思い切ってやってみるのがいいということ。