「か」を含む故事・ことわざ・慣用句
「か」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2217 件
- 愛出ずる者は愛返り、福往く者は福来る(あいいずるものはあいかえり、ふくゆくものはふくきたる)- 他人に愛情を注ぐ者には、その愛が巡り巡って自分に返り、他人に幸福を与える者には、やがて自らも幸福が訪れるということ。 
- 愛想づかしも金から起きる(あいそづかしもかねからおきる)- 女が男につれなくなり愛想をつかすようになるのは、金銭上の問題からだということ。 
- 愛想を尽かす(あいそをつかす)- 相手の態度や言動にあきれて、見限る。 
- 相手変われど主変わらず(あいてかわれどぬしかわらず)- 相手になる人は次々と変わっているのに、こちらは変わらず同じことを繰り返し続けること。 進歩や変化のみられない様子をいう言葉。 「相手変われど手前変わらず」ともいう。 
- 相手のない喧嘩はできぬ(あいてのないけんかはできぬ)- 受けて立つ者がいなければ喧嘩は成り立たないから、喧嘩を売られても相手にするなというおしえ。 
- 相手見てからの喧嘩声(あいてみてからのけんかごえ)- 相手が自分より弱そうだと判断すると、いきなり喧嘩を売る大声を出して威張り出すこと。 
- 相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ(あいぼれうぬぼれかたぼれおかぼれ)- 両思いの相惚れ、ひとりよがりの自惚れ、片思いの片惚れ、ひそかに恋い慕う岡惚れ、と恋愛の言葉を並べたもの。 
- 相も変わらず(あいもかわらず)- いつもと変わらず。「相変わらず」を強調した言い方。 
- 逢い戻りは鴨の味(あいもどりはかものあじ)- 一度別れた男女の仲が元に戻ると、その仲は前にもましてむつまじくなるということ。 
- 会うは別れの始め(あうはわかれのはじめ)- 人と人が出会えばいつか必ず別れが訪れる。出会いは別れの始まりでもあるということ。 「会う」は「逢う」とも書く。 
- 敢えて天下の先とならず(あえててんかのさきとならず)- 積極的に人の先頭に立つことを避け、控えめな姿勢を保つことで、波風を立てずに安泰な生活を送ることができるという考え方。 先頭に立つと競争や妬みなど人間関係のトラブルに巻き込まれるリスクが高まるため、あえて目立たない立場に身を置くことが賢明だとされる。 出典では「故(ゆえ)に能(よ)く器長(きちょう)を成(な)す」と続き、控えめな態度を保つことで、かえって周囲の人々を上手に導く優れた指導者になれると述べられている。 
- 青表紙を叩いた者にはかなわぬ(あおびょうしをたたいたものにはかなわぬ)- きちんと学問に励んだ者にはかなわないというたとえ。「青表紙」は青い表紙を多く用いた四書五経などの経書のこと。 
- 赤いは酒の咎(あかいはさけのとが)- 赤い顔は酒のせいで飲んだ私が悪いのではありません、という酒飲みの言い訳。 
- 垢が抜ける(あかがぬける)- 容姿や服装、身のこなしなどが洗練されて、野暮ったい感じがなくなること。都会風になること。 
- 赤くなる(あかくなる)- 恥ずかしさなどのために、顔に血が上る。赤面する。 
- 赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)- 赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。 
- 赤子の腕を捩じる(あかごのうでをねじる)- 抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。 
- 赤子の手を捻る(あかごのてをひねる)- 抵抗する力のないものを打ち負かす。また、容易に行えることのたとえ。 
- 赤子は泣き泣き育つ(あかごはなきなきそだつ)- 赤ちゃんが泣くのは健康な証拠で、赤ちゃんは泣きながら成長していくということ。 
- 赤子を裸にしたよう(あかごをはだかにしたよう)- 無力で弱い者をさらに頼りなくしたようす。 
- 証を立てる(あかしをたてる)- 自分が潔白であったり、確かであることを証明する。疑いを晴らす。 
- 赤信号が付く(あかしんごうがつく)- 事態が差し迫り、緊急に対策を立てる必要がある状態になる。 
- 垢で死んだ者はない(あかでしんだものはない)- 風呂に入らなければ垢がたまって不潔だがそれが原因で死んだ人はいない。風呂嫌いの言い訳、または風呂嫌いに対する皮肉の言葉として使われる。 
- 赤の他人(あかのたにん)- 全く無関係の他人。「赤」は名詞の上に付くことでそれを強調し、「全くの」「明らかな」「はっきりした」の意を表す。 
- 垢は擦るほど出る、あらは探すほど出る(あかはこするほどでる、あらはさがすほどでる)- 垢は擦れば擦るほど出る。欠点も探せばきりがないほど出てくるということ。 
- 赤恥をかく(あかはじをかく)- 人前でひどく恥ずかしい思いをする。 「赤恥」は、「恥」を強めた言い方。 
- 垢も身のうち(あかもみのうち)- 垢も身体の一部であるから、長湯して丹念に身体を洗うのもほどほどにせよという、風呂好きの人をからかって言うことば。「腹も身の内」をもじったことば。 
- 明るけりゃ月夜だと思う(あかるけりゃつきよだとおもう)- 考え方が単純で現実を知らないことのたとえ。外が明るいとすべて月夜だと思う意から。 
- 明るみに出る(あかるみにでる)- 隠されていたり知られていなかった物事が、多くの人々に知られる。世間に知られる。 
 おもに、知られると悪い物事について用いる。
- 赤を入れる(あかをいれる)- 文章の添削や校正をする。 赤い鉛筆やペンで書き込むことが多いことから。 
- 秋風が立つ(あきかぜがたつ)- 男女の間の愛情がなくなること。「秋」を「飽き」に掛けた言葉。「秋風が吹く」とも。 
- 秋風と夫婦喧嘩は日が入りゃ止む(あきかぜとふうふげんかはひがいりゃやむ)- 秋風が日暮れになると静まるように、夫婦喧嘩も夜になるとおさまるということ。 
- 空樽は音が高い(あきだるはおとがたかい)- 中身のない人間ほど得意そうにしゃべりたてるというたとえ。空の樽は叩くと高い音が出ることから。 
- 商いは数でこなせ(あきないはかずでこなせ)- 商売のこつは薄利多売だということ。 
- 商いは門門(あきないはかどかど)- 商売のこつは客を観察してその客に合った物を売ることだということ。 
- 秋の雨が降れば猫の顔が三尺になる(あきのあめがふればねこのかおがさんじゃくになる)- 秋は晴れた日より雨の日の方が暖かいので、猫も顔を長くし喜ぶということ。 
- 秋の鹿は笛に寄る(あきのしかはふえによる)- 恋のために身を滅ぼすことのたとえ。また、弱みにつけこまれて危険な目に遭うことのたとえ。秋の発情期、雌鹿の鳴き声に似た笛に雄鹿がおびき寄せられて、人間に捕らえられることから。 
- 秋葉山から火事(あきばさんからかじ)- 人を戒める指導的立場の者が、自ら過ちを犯してしまうたとえ。「秋葉山」は火災除けの神を祭る静岡県の秋葉神社のこと。 
- 空き家で声嗄らす(あきやでこえからす)- 努力しても報われないことのたとえ。空き家で大声で案内を求めても返事がないことから。 
- 商人の嘘は神もお許し(あきんどのうそはかみもおゆるし)- 商人が商売上の駆け引きで嘘をつくのは、神様もやむを得ないとお許しになるということ。 
- 商人は損していつか倉が建つ(あきんどはそんしていつかくらがたつ)- 商人は、損をしたなどと言いながら、いつの間にか倉が建つほどの金持ちになっていることが多いということ。 
- 悪縁契り深し(あくえんちぎりふかし)- 悪い縁ほど結びつきが強く断ち切りにくいということ。 
- 悪事、身にかえる(あくじ、みにかえる)- 自分の犯した悪事は、めぐりめぐって戻ってきて自分を苦しめる結果になるということ。 
- 悪女の深情け(あくじょのふかなさけ)- 器量の悪い女性ほど愛情や嫉妬心が強いということ。「悪女」は心の悪い女の意ではなく不器量な女のこと。 また、有り難迷惑のたとえ。 
- 悪女は鏡を疎む(あくじょはかがみをうとむ)- 器量の悪い女性が鏡に向かうのを嫌がるように、人間は自分の欠点に触れるのを嫌がるということ。「悪女」は不器量な女のこと。 
- 悪銭身に付かず(あくせんみにつかず)- 不当な手段で得た金は大切にしないから、とかくつまらないことに使ってしまい残らないものだということ。 
- 欠伸を嚙み殺す(あくびをかみころす)- 退屈なことを嫌々ながら続けること。我慢をすること。 出かかったあくびを、口を閉じて無理やり我慢することから。 
- 胡坐をかく(あぐらをかく)- 今の安定した地位や現状に満足し、努力をしないこと。また、ずうずうしく振る舞うこと。 胡坐を組んだ楽な状態でいることから。 
- 顎で使う(あごでつかう)- 高慢な態度で、命令して人に仕事をさせること。 
- 朝雨に傘いらず(あさあめにかさいらず)- 朝の雨はすぐにやむということ。 
- 浅い川も深く渡れ(あさいかわもふかくわたれ)- 物事を行う時は、注意を怠らず決して油断してはいけないということ。 浅い川を渡る時も、深い川を渡る時と同じように注意して渡れとの意から。 
- 朝酒は門田を売っても飲め(あさざけはかどたをうってものめ)- 朝酒は格別おいしいので、少々無理をしてでも飲むべきだということ。「門田」は家の門前にある田の意。 
- 朝茶は七里帰っても飲め(あさちゃはしちりかえってものめ)- 朝の茶は一日の災難よけなので、飲み忘れて旅立ちしたら、たとえ七里の道を戻ってでも飲むべきだということ。 
- 麻の中の蓬(あさのなかのよもぎ)- 人はよい環境で育てば、自然と感化されて善人になるということ。 曲がりやすい蓬のつるも、麻の中で育てばまっすぐ伸びることから。 「麻の中の蓬」「麻中の蓬」ともいう。 
- 朝のぴっかり姑の笑い(あさのぴっかりしゅうとめのわらい)- 当てにならないことのたとえ。 朝さんさんと日がさすよい天気と姑の笑顔は、変わりやすく当てにはできないという意味から。 
- 朝日が西から出る(あさひがにしからでる)- 絶対に起こるはずがないことのたとえ。 
- 薊の花も一盛り(あざみのはなもひとさかり)- 誰でも年ごろになると、それなりの魅力が出てくるということ。 あまり好まれない薊の花も、美しい時期があることから。 
- 海驢の番(あしかのばん)- 交代で寝て、不寝番を置くことのたとえ。海驢は用心深く、陸に上がって寝る時も必ず見張り役を置くことから。 
- 足が地に着かない(あしがちにつかない)- 興奮して気持ちや動作が落ち着かないようす。 
- 朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)- 朝に人の生きるべき道を悟ることができれば、その夕方に死んだとしてもかまわないということ。 
- 朝に夕べを謀らず(あしたにゆうべをはからず)- 事態が切迫していて、余裕がないことのたとえ。 朝にその日の夕方のことを考えるゆとりがないという意味から。 
- 明日は明日の風が吹く(あしたはあしたのかぜがふく)- 先のことをいくら心配してもはじまらないので、なるがままに任せて生きるのがよいということ。 明日は明日で、今日とは違う風が吹くという意味から。 
- 足で稼ぐ(あしでかせぐ)- 自分で動き回ったり行動をしたりして、成果を得る。 
- 足に任せる(あしにまかせる)- 特に目的を定めずに、気の向くままに歩くこと。また、足の力が続く限り歩くこと。 
- 足場を固める(あしばをかためる)- 物事を行うときの、拠り所となる土台をしっかりとしたものにすること。 
- 足下から鳥が立つ(あしもとからとりがたつ)- 身近なところで、突然思いもかけないことが起きることのたとえ。また、急に思い立って物事を始めるようす。 
- 足下の明るいうち(あしもとのあかるいうち)- 自分が不利な状態にならないうちに、手遅れにならないうちに、ということ。 
- 足元を固める(あしもとをかためる)- 自分の立場や状況を安定させること。 
- 足を限りに(あしをかぎりに)- 歩ける限り。足の力が続く限り。 
- 葦を啣む雁(あしをふくむかり)- 物事を行うときの準備が完全なこと。 雁が海を渡って遠くへ飛ぶとき、海上で羽を休めるために枯れ葦を口にくわえて行くことから。 
- 飛鳥川の淵瀬(あすかがわのふちせ)- 世の中は激しく移り変わり、定まりがたいことのたとえ。 奈良県を流れている飛鳥川は、氾濫しやすく淵と瀬が絶えず移り変わるとの意から。 「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」という歌から。 
- 明日食う塩辛に今日から水を飲む(あすくうしおからにきょうからみずをのむ)- 手回しがいいように見えて、実は無意味なことのたとえ。 
- 与って力がある(あずかってちからがある)- あることの進展や実現に、大きな役割を果たすこと。貢献をすること。 
- 預かり物は半分の主(あずかりものははんぶんのぬし)- 人から預かった物は、半分は自分の物だと思ってもかまわないということ。 「預かり半分」「預かり半分の主」「預かり物は半分の主」「預かる物は半分の主」「拾い主は半分」「拾うた者は半分の主」などともいう。 
- 汗をかく(あせをかく)- 食べ物などが古くなり腐りかけて、表面がべとつくこと。また、表面に水滴がついたりにじみ出て濡れること。 
- 畦から行くも田から行くも同じ(あぜからいくもたからいくもおなじ)- 手段や方法が違っても、同じ結果になることのたとえ。 畦道から行っても田から行っても、結局行き着く所は同じということから。 「田から行くも畦から行くも同じ事」「田を行くも畦を行くも同じ」「田歩くも畔歩くも同じ」などともいう。異形の多い語。 
- 恰も好し(あたかもよし)- ちょうどよいことには。ちょうどよい具合に。 
- 頭搔くか字を書くか(あたまかくかじをかくか)- 文字を書くのが苦手な者が、字を書かなければならくなり、困り果てている様子をからかっていう言葉。「掻く」と「書く」は語呂をあわせ。 
- 頭隠して尻隠さず(あたまかくしてしりかくさず)- 悪事や欠点の一部を隠して、全部を隠したつもりでいる者をあざけっていう言葉。雉(きじ)が草むらに頭を突っ込み隠れたつもりでも、尾が見えていることから。 
- 頭から(あたまから)- 状況や事情などを考慮せず、一方的な態度をとるようす。 
 
         
    