「し」を含む故事・ことわざ・慣用句
「し」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2079 件
- 愛多ければ憎しみ至る(あいおおければにくしみいたる)- 特別に可愛がられることが多ければ、それを妬み憎む者が必ずいるということ。 
- 相性が悪い(あいしょうがわるい)- 相手との性格や考え方、調子などが上手く合わない。 「相性」は「合性」とも書く。 
- 愛想づかしも金から起きる(あいそづかしもかねからおきる)- 女が男につれなくなり愛想をつかすようになるのは、金銭上の問題からだということ。 
- 相対のことはこちゃ知らぬ(あいたいのことはこちゃしらぬ)- 当人同士が決めたことは自分には無関係だということ。鮎(あゆ)、鯛(たい)、鯒(こち)の魚の名を語呂合わせにしたことば。 
- 相手変われど主変わらず(あいてかわれどぬしかわらず)- 相手になる人は次々と変わっているのに、こちらは変わらず同じことを繰り返し続けること。 進歩や変化のみられない様子をいう言葉。 「相手変われど手前変わらず」ともいう。 
- 愛は惜しみなく与う(あいはおしみなくあたう)- 誰かを愛する時は、自分の持つすべてを与えても惜しくないということ。 
- 愛は惜しみなく奪う(あいはおしみなくうばう)- 誰かを愛する時は、その相手の持つすべてを自分のものにしようと求めるということ。 
- 愛は小出しにせよ(あいはこだしにせよ)- 人を愛する時は、少しずつ長く続けるのがよいということ。 
- 愛は憎しみの始めなり(あいはにくしみのはじめなり)- 愛と憎しみは紙一重であり、一歩間違えると愛情は憎悪に変わることがある。愛情を抱く際には、節度やバランスを保つことが大切だということ。 「愛は憎しみの始めなり」ともいう。 
- 合うも不思議合わぬも不思議(あうもふしぎあわぬもふしぎ)- 夢はそもそも不思議なものだから、現実が夢のとおりになっても不思議ではないということ。 
- 敢えて主とならず客となる(あえてしゅとならずきゃくとなる)- 自分が中心にならずに受身でいるほうが無難だということ。 
- 青柿が熟柿弔う(あおがきがじゅくしとむらう)- 人間はいつか必ず死ぬのだから、弔う者も弔われる者も大差ないというたとえ。まだ青い柿が、熟して地面に落ちた柿を弔うが、青柿もやがては熟柿になることから。 
- 青写真を描く(あおじゃしんをえがく)- 将来の計画を具体的に考える。未来の姿を想像する。 「青写真」は、設計図の複写に用いられたことから、設計図のこと。 
- 青菜に塩(あおなにしお)- 元気をなくしてうなだれている様子のたとえ。青菜に塩をかけると水分がなくなって萎れるということから。 
- 青は藍より出でて藍より青し(あおはあいよりいでてあいよりあおし)- 弟子が師より優れていることのたとえ。 藍草から作られた染料の青色が、元となる藍草よりも青く美しいことから。 「出藍の誉れ」ともいう。 
- 青表紙を叩いた者にはかなわぬ(あおびょうしをたたいたものにはかなわぬ)- きちんと学問に励んだ者にはかなわないというたとえ。「青表紙」は青い表紙を多く用いた四書五経などの経書のこと。 
- 赤子を裸にしたよう(あかごをはだかにしたよう)- 無力で弱い者をさらに頼りなくしたようす。 
- 証を立てる(あかしをたてる)- 自分が潔白であったり、確かであることを証明する。疑いを晴らす。 
- 赤信号が付く(あかしんごうがつく)- 事態が差し迫り、緊急に対策を立てる必要がある状態になる。 
- 垢で死んだ者はない(あかでしんだものはない)- 風呂に入らなければ垢がたまって不潔だがそれが原因で死んだ人はいない。風呂嫌いの言い訳、または風呂嫌いに対する皮肉の言葉として使われる。 
- 商い上手の仕入れ下手(あきないじょうずのしいれべた)- 客に物を売るのはうまいが、仕入れがへたで儲からないということ。 
- 商いは牛の涎(あきないはうしのよだれ)- 商売のこつは牛のよだれのように細く長く切れ目なく、気長に辛抱して続けることだということ。 
- 秋の入り日と年寄りはだんだん落ち目が早くなる(あきのいりひととしよりはだんだんおちめがはやくなる)- 年々衰える年寄りの健康状態を、急速に暮れていく秋の夕日にたとえたことば。 
- 秋の鹿は笛に寄る(あきのしかはふえによる)- 恋のために身を滅ぼすことのたとえ。また、弱みにつけこまれて危険な目に遭うことのたとえ。秋の発情期、雌鹿の鳴き声に似た笛に雄鹿がおびき寄せられて、人間に捕らえられることから。 
- 秋の日は釣瓶落とし(あきのひはつるべおとし)- 秋の日が急速に暮れていくようす。秋の日が、井戸の中へ釣瓶が垂直に速く落ちるように暮れていく意から。 
- 商人に系図なし(あきんどにけいずなし)- 商人には家柄など関係なく、商売の手腕や努力しだいで成功するということ。 
- 商人の嘘は神もお許し(あきんどのうそはかみもおゆるし)- 商人が商売上の駆け引きで嘘をつくのは、神様もやむを得ないとお許しになるということ。 
- 商人は損していつか倉が建つ(あきんどはそんしていつかくらがたつ)- 商人は、損をしたなどと言いながら、いつの間にか倉が建つほどの金持ちになっていることが多いということ。 
- 悪縁契り深し(あくえんちぎりふかし)- 悪い縁ほど結びつきが強く断ち切りにくいということ。 
- 悪事、千里を走る(あくじ、せんりをはしる)- 悪い行いは、たちまち世間に広まるというたとえ。 「悪事、千里を行く」ともいう。 
- 悪に強きは善にも強し(あくにつよきはぜんにもつよし)- 大きな悪事を犯すような悪人ほど、いったん悔い改めれば非常な善人になるということ。 
- 悪の温床(あくのおんしょう)- 悪事や、良くない思想が生まれやすい環境。 
- 開けて悔しき玉手箱(あけてくやしきたまてばこ)- 期待がはずれてがっかりすること。浦島太郎が竜宮城から持ち帰った玉手箱を開けたとたん、白い煙が出てあっという間に年をとってしまったという浦島太郎の伝説から。 
- 揚げ足を取る(あげあしをとる)- 相手の言い間違いや言葉じりをとらえて、やり込めたり皮肉ったりすること。 相手のあげた足を取って倒すように、相手の失言や失敗につけ込むことから。 
- 上げ潮に乗る(あげしおにのる)- 機運が良く、物事が順調に進むこと。進展すること。 
- 顎をしゃくる(あごをしゃくる)- 人に対して指示を出すときに、横柄な態度で下あごをその方向を向けて示す。 
- 朝起き三両始末五両(あさおきさんりょうしまつごりょう)- 早起きと倹約はどちらも大きな利益になるというたとえ。 「朝起き三両始末五両」ともいう。 
- 朝茶は七里帰っても飲め(あさちゃはしちりかえってものめ)- 朝の茶は一日の災難よけなので、飲み忘れて旅立ちしたら、たとえ七里の道を戻ってでも飲むべきだということ。 
- 朝のぴっかり姑の笑い(あさのぴっかりしゅうとめのわらい)- 当てにならないことのたとえ。 朝さんさんと日がさすよい天気と姑の笑顔は、変わりやすく当てにはできないという意味から。 
- 朝日が西から出る(あさひがにしからでる)- 絶対に起こるはずがないことのたとえ。 
- 朝飯前(あさめしまえ)- ものごとが容易にできることのたとえ。 朝食を食べる前のわずかな時間でも簡単にできるほどであるとの意から。 
- 朝飯前のお茶漬け(あさめしまえのおちゃづけ)- ものごとが容易にできることのたとえ。 朝飯前の空腹時に食べるお茶漬けは、さらさらと簡単に食べられるということから。 
- 海驢の番(あしかのばん)- 交代で寝て、不寝番を置くことのたとえ。海驢は用心深く、陸に上がって寝る時も必ず見張り役を置くことから。 
- 足がある(あしがある)- 走るのが速い。 
- 足が重い(あしがおもい)- 行かなければいけないと思いながらも、気がすすまずに行く気にならないようす。 
- 足が地に着かない(あしがちにつかない)- 興奮して気持ちや動作が落ち着かないようす。 
- 足が付く(あしがつく)- 逃亡者の足取りが分かる。また、犯人の手がかりがつかめる。 
- 足が出る(あしがでる)- 予算よりも支出が多くなる。赤字になる。 
- 足が遠のく(あしがとおのく)- 今までよく行っていた場所へ、訪れる機会が少なくなる。疎遠になる。 
- 足が早い(あしがはやい)- 商品の売れ行きがよいこと。 また、食べ物が腐るのがはやく、長持ちしないこと。 
- 足が棒になる(あしがぼうになる)- 歩き過ぎや立ち続けで、足が棒にように固く強張るほど、ひどく疲れるようす。 
- 足が向く(あしがむく)- 無意識のうちに、自然とある方向へ行く。 
- 足蹴にする(あしげにする)- 人に対してぞんざいな扱いをしたり、ひどい仕打ちを与えたりする。 
- 朝に紅顔ありて夕べに白骨となる(あしたにこうがんありてゆうべにはっこつとなる)- 無常のこの世では、人の生死は予測できないということ。 朝血色のよい顔をしていた人が、夕方には死んで白骨となるという意味から。 
- 朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)- 朝に人の生きるべき道を悟ることができれば、その夕方に死んだとしてもかまわないということ。 
- 朝に夕べを謀らず(あしたにゆうべをはからず)- 事態が切迫していて、余裕がないことのたとえ。 朝にその日の夕方のことを考えるゆとりがないという意味から。 
- 明日は明日の風が吹く(あしたはあしたのかぜがふく)- 先のことをいくら心配してもはじまらないので、なるがままに任せて生きるのがよいということ。 明日は明日で、今日とは違う風が吹くという意味から。 
- 足駄を履いて首ったけ(あしだをはいてくびったけ)- 異性に惚れ込み夢中になることのたとえ。 「足駄」は歯の高い下駄のこと。 足駄を履いていても首のあたりまで深みにはまるとの意から。 
- 足で稼ぐ(あしでかせぐ)- 自分で動き回ったり行動をしたりして、成果を得る。 
- 足止めを食う(あしどめをくう)- 何らかの事情でその場から先に進めなくなったり、外出を禁じられたりする。 
- 足並みを揃える(あしなみをそろえる)- 多くの人の考え方や意見、方針が一致して、同じ行動をとる。 
- 足に任せる(あしにまかせる)- 特に目的を定めずに、気の向くままに歩くこと。また、足の力が続く限り歩くこと。 
- 足の裏の米粒をこそげる(あしのうらのこめつぶをこそげる)- ひどくけちなことのたとえ。「こそげる」は削り取る意で、踏んで足の裏についた米粒を削り取って食べるということから。不意に足もとから鳥が飛び立ちびっくりさせられることから。 
- 足の踏み場もない(あしのふみばもない)- 足を置くわずかなすき間もないほど、部屋に物が散らかっているようす。 
- 足場を失う(あしばをうしなう)- 物事を行うときの拠り所がなくなってしまうこと。 
- 足場を固める(あしばをかためる)- 物事を行うときの、拠り所となる土台をしっかりとしたものにすること。 
- 足踏みをする(あしぶみをする)- 物事が進展せずに、同じ状態にとどまっているようす。 
- 足下から鳥が立つ(あしもとからとりがたつ)- 身近なところで、突然思いもかけないことが起きることのたとえ。また、急に思い立って物事を始めるようす。 
- 足元に付け込む(あしもとにつけこむ)- 相手の弱点を見抜いてそれにつけ込むたとえ。 「足下につけ込む」とも書く。 
- 足下に火が付く(あしもとにひがつく)- 危険が身辺に近づいているたとえ。 
- 足下にも及ばない(あしもとにもおよばない)- 相手の実力があまりにもすぐれていて、自分とは比べものにならないこと。 
- 足下の明るいうち(あしもとのあかるいうち)- 自分が不利な状態にならないうちに、手遅れにならないうちに、ということ。 
- 足下へも寄り付けない(あしもとへもよりつけない)- 相手の実力があまりにもすぐれていて、自分とは比べものにならないこと。 
- 足元を固める(あしもとをかためる)- 自分の立場や状況を安定させること。 
- 足元を見る(あしもとをみる)- 相手の弱点を見抜いてそれに付け込むたとえ。 「足下を見る」とも書く。 
- 足を洗う(あしをあらう)- 悪事をやめること。また、今までの仕事をやめること。 
- 足を入れる(あしをいれる)- ある場所に入ること。また、新たな社会と関係するようになること。 
- 足を奪われる(あしをうばわれる)- 事故や災害などにより交通機関が利用できなくなり、身動きが取れなくなること。 
- 足を限りに(あしをかぎりに)- 歩ける限り。足の力が続く限り。 
- 足を掬う(あしをすくう)- 相手の隙につけこんで失敗させること。失脚させる。 「足元を掬う(あしもとをすくう)」は誤用とされている。 
 
         
    