「じ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「じ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 846 件
- 一国一城の主(いっこくいちじょうのあるじ)- 他からの援助や指図を受けず、独立している人のたとえ。 一つの国、一つの城を領有している人の意から。 
- 一石を投じる(いっせきをとうじる)- 平穏なところに反響を呼ぶような問題を投げかけること。静かな水面に石を一つ投げると波紋が生じるところから。 
- 一戦を交える(いっせんをまじえる)- ひと勝負する。一度たたかう。 
- 一天万乗の君(いってんばんじょうのきみ)- 天下を治める天子のこと。 「一天」は天下、「万乗」は兵車一万台。 中国の周代、天子は戦いの時に一万台の兵車を出すことができたことから。 「万乗の君」ともいう。 
- いとこ同士は鴨の味(いとこどうしはかものあじ)- いとこ同士の夫婦は、味がよいとされる鴨肉のように仲がよいということ。 
- 犬骨折って鷹の餌食(いぬほねおってたかのえじき)- 苦労して手に入れかけたものを、横からかすめ取られてしまうことのたとえ。 鷹狩りで、犬が苦労して草むらから追い出した獲物を、鷹が取ることから。 
- 命長ければ恥多し(いのちながければはじおおし)- 長く生きていれば、それだけ恥をかく事も多くなるということ。 「恥」は「辱」とも書く。 また、「長生きは恥多し」「長生きすれば恥多し」「長命すれば恥多し」などともいう。 
- 医は仁術(いはじんじゅつ)- 医術は病気を治すことによって、相手に仁徳を施す術でもあるということ。 
- 芋の煮えたも御存じない(いものにえたもごぞんじない)- 芋が煮えたかどうかの判断もできないこと。世間知らずな者を馬鹿にしていう言葉。 
- いやいや三杯十三杯(いやいやさんばいじゅうさんばい)- 口先だけの遠慮のこと。 口では遠慮して、実際に勧められれば何杯でも飲むことから。 「いやいや三杯十三杯」ともいう。 
- 厭じゃ厭じゃは女の癖(いやじゃいやじゃはおんなのくせ)- 女というものは男にくどかれると、内心はうれしくても、口では嫌だ嫌だと言うものだということ。 
- 色気と痔の気のない者はない(いろけとじのけのないものはない)- 人は誰でも似たり寄ったりだということ。痔で悩む人が多いことから、色気と痔の気の語呂を合わせて生まれたことわざ。 
- 色よい返事(いろよいへんじ)- 望みに叶った期待通りの返事。 
- 鰯網で鯨捕る(いわしあみでくじらとる)- 思いがけない幸運や収穫を得たりすることのたとえ。また、あるはずのないことのたとえ。 
- 鰯で精進落ち(いわしでしょうじんおち)- せっかくの努力がつまらないことで報われなくなることのたとえ。また、長い間の努力が十分に報われないことのたとえ。 「精進落ち」は菜食で身を慎む精進期間が終わって、魚肉類を食べること。 精進期間中に鰯のようなつまらない魚をうっかり食べてそれまでの努力を無駄にするとの意から。また、精進期間が終わったのに鰯のようなつまらない魚で祝いをするとの意から。 
- 鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)- どんなつまらないものでも、信じる心があれば尊く思われるということ。節分の夜、鰯の頭をひいらぎの枝に刺して門口に置くと鬼気を追い払うといわれてきたことから。 
- 慇懃を通じる(いんぎんをつうじる)- 男女がひそかに情交を結ぶ。 「慇懃」は、親しい交際のこと。 
- 印綬を解く(いんじゅをとく)- 官職を辞めること。 「印綬」は昔、中国で天子から官吏を任命された時、その印として与えられた官印とそれを身につけるための紐のことで、その印綬を身体からはずすことから。 反対に官職に就くことを「印綬を帯びる」という。 
- うかうか三十きょろきょろ四十(うかうかさんじゅうきょろきょろしじゅう)- 歳月の過ぎるのが早く、人生が無為に過ぎることのたとえ。 うかうか過ごしているうちに三十代になり、きょろきょろしている間に四十代になってしまうとの意から。 
- 牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)- 人に連れられてある場所へ出かけて行くこと。また、自分の意思ではなく他人の誘いによって、よい方向に導かれることのたとえ。 善光寺の近くに住んでいた不信心な老婆が布をさらしていると、その布を牛が角にひっかけて逃げてしまった。老婆は牛を追いかけて善光寺に着き、その縁によって信仰するようになったという故事から。 
- 氏なくして玉の輿(うじなくしてたまのこし)- 女性は家柄や身分が低くても、富貴の人と結婚すれば高位に上がることができるということ。「氏」は苗字、「玉の輿」は貴人の乗り物。 
- 烏鵲の智(うじゃくのち)- 遠い先のことばかり心配して、すぐそばに危険が迫っていることに気がつかない愚かさのたとえ。 「烏鵲」はカササギのこと。 カササギは、強風の吹くことが多い年には、高い枝ではなく低い枝に巣を作るが、そのために人からひなや卵をとられる危険があることには気づかないとの意から。 
- 氏より育ち(うじよりそだち)- 人格形成に大事なのは、家系や血統より育った環境であるということ。 
- 嘘つきは泥棒の始まり(うそつきはどろぼうのはじまり)- 平気で嘘をつくようになると、泥棒をするのも平気になるということ。 
- 内で掃除せぬ馬は外で毛を振る(うちでそうじせぬうまはそとでけをふる)- 家庭のしつけが悪い子どもは、外に出るとすぐにわかるということのたとえ。 飼い主の手入れの悪い馬は、外に出た時に毛を振って汚れを落とそうとするので、すぐにわかるとの意から。 
- 有無相通じる(うむあいつうじる)- 互いに足りないものを交換し融通し合うこと。 
- 瓜の皮は大名に剝かせよ、柿の皮は乞食に剝かせよ(うりのかわはだいみょうにむかせよ、かきのかわはこじきにむかせよ)- 瓜の皮は厚くむき、柿の皮は薄くむいたほうがおいしいということ。 大名は大まかなので瓜の皮を厚くむかせる時に適し、貧乏な乞食は柿の皮を薄くむかせる時に適しているとの意から。 
- 漆は剝げても生地は剝げぬ(うるしははげてもきじははげぬ)- 人の持って生まれた素質は変わることはないというたとえ。 漆器の表面の漆は剝げ落ちても、下の生地は剝げることはないことから。 
- 浮気と乞食はやめられぬ(うわきとこじきはやめられぬ)- 悪い習慣はあらためにくいということ。 浮気も乞食も一度味をしめたらやめられないとの意から。 「浮気」と「乞食」の「き」を語呂合わせしたもの。 
- 英雄、閑日月あり(えいゆう、かんじつげつあり)- 英雄といわれるほどの人物は小事にとらわれず悠然としているので、傍から見ると暇な日々を送っているように見えるということ。 「閑日月」は、暇な月日、また気分がゆったりしていること。 
- えせ侍の刀弄り(えせざむらいのかたないじり)- 実力の乏しい者ほど外見をとりつくろうことのたとえ。 「えせ侍」は武士の心得がない臆病な侍のこと。 えせ侍にかぎって人前で刀を抜いて虚勢を張るとの意から。 
- 江戸っ子の往き大名還り乞食(えどっこのゆきだいみょうかえりこじき)- 江戸っ子は気前がよく無計画なので、往きは大名のように贅沢をしてお金を使い果たし、帰りには乞食のように一文無しになるということ。 
- 絵に描いた地震(えにかいたじしん)- まったく怖くないこと。また、全然動かないこと。 
- 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)- 小人物には、大人物の志は理解できないということのたとえ。「燕雀」は小さな鳥の意から転じて小人物、「鴻鵠」は大きな鳥の意から転じて大人物のこと。 
- エンジンが掛かる(えんじんがかかる)- 物事に始める意欲がわくこと。 また、物事が順調に進むこと。 
- 円石を千仞の山に転ず(えんせきをせんじんのやまにてんず)- 非常に勢いが激しく、抑えようがないことのたとえ。 高い山から丸い石を落とすと、ものすごい勢いで転がることから。 
- 豌豆は日陰でもはじける(えんどうはひかげでもはじける)- だれでも年頃になると、男女の情に目覚めるということ。また、事が成るにはそれなりの時間が必要であり、その時がくれば自然に達せられるということ。 日陰で育った豌豆も時期がくれば実が熟してはじけるとの意から。 
- 縁なき衆生は度し難し(えんなきしゅじょうはどしがたし)- 人の忠告を聞き入れようとしない者は、救いようがないということ。 「縁」は、ここでは仏縁の意。 「衆生」は、仏が慈悲を垂れる人間。 「度す」は、悟りを開かせること。 仏縁のない者は、たとえ仏でも救いようがないとの意から。 
- 縁は異なもの、味なもの(えんはいなもの、あじなもの)- 男女の縁というものは、どこでどう結ばれるかわからず、予測のつかない不思議でおもしろいものだということ。「縁は異なもの」「縁は味なもの」と切り離してもいう。 
- お家の一大事(おいえのいちだいじ)- 他人の家に起こった出来事を冗談めかしたり、皮肉ったりして大げさにいう時に使う言葉。 主君の家に起こった重大な事件との意から。 
- 往時渺茫としてすべて夢に似たり(おうじびょうぼうとしてすべてゆめににたり)- 過ぎ去った昔の事はもうはるかかなたの事で、とりとめがなく、まるで夢のように思えるということ。「往時」は過ぎ去った昔のこと。「渺茫」は遠くはるかで果てしないさま。 
- 王事盬きことなし(おうじもろきことなし)- 王室に関する事柄は、堅固で確実なものであるということ。 
- 往生際が悪い(おうじょうぎわがわるい)- 諦めなければならない状態なのに、未練がましく執着しているさま。 「往生際」は、死に際の意。 
- 近江泥棒伊勢乞食(おうみどろぼういせこじき)- 近江の人には商才があり、伊勢の人は倹約家であり、どちらも商人としての成功者が多いことを、江戸っ子がやっかみ半分に言った言葉。 
- 置き酌失礼、持たぬが不調法(おきじゃくしつれい、もたぬがぶちょうほう)- お酌のとき、置いた杯に酒を注ぐのも失礼だが、杯を持とうとしない受け手も不調法である。酒の席での微妙なおもむきを言ったことば。 
- 起きて半畳、寝て一畳(おきてはんじょう、ねていちじょう)- 人間は必要以上の豊かさをもとめても仕方ないということ。どんなに大きな家に住んでいようと、人一人が必要とする広さは、起きている時は半畳、寝る時も一畳あればすむということから。 
- 屋上、屋を架す(おくじょう、おくをかす)- 無駄なことをするたとえ。 屋根の上にさらに屋根を架けるとの意から。 
- 屋漏に愧じず(おくろうにはじず)- たとえ人が見ていない場所でも、人に知られて恥じるような行いはしないということ。「屋漏」は家の一番奥まった所、または人目につかない所の意。 
- お釈迦様でも御存知あるまい(おしゃかさまでもごぞんじあるまい)- 誰も気がつかないだろう、誰も知らないだろうを強調していう言葉。 何でもお見通しのお釈迦様でも知らないだろうとの意から。 「お釈迦様でも御存知あるまい」ともいう。 
- おじが甥の草を刈る(おじがおいのくさをかる)- 目上の者が目下の者のために奔走させられることのたとえ。また、物事の順序が逆なことのたとえ。 
- おじゃんになる(おじゃんになる)- 予定していたことや進行中の物事がだめになる。 昔、鎮火の合図として半鐘を二回「ジャンジャン」と鳴らしたことからきた言葉とされる。 
- お上手を言う(おじょうずをいう)- 相手の機嫌をとるために、心にもないことを言うこと。 
- おじを見ると荷が重い(おじをみるとにがおもい)- 助けてくれそうな人を見たとたん、力が抜けて依頼心をおこし意気地がなくなることのたとえ。自分で荷物を運んでいる時、伯父(叔父)を見たとたんに荷物が重く感じられるということから。 
- お世辞にも(おせじにも)- 本心では無いにしても。仮にも。 あとに打ち消しの語を伴う。 
- 恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)- 「恐れ入りました」をしゃれていう言葉。「鬼子母神」は、出産・育児の神で、その鬼子母神を祭る東京都台東区入谷と「恐れ入りやした」の「入りや」をかけていったもの。 
- 小田原評定(おだわらひょうじょう)- 長引いてなかなか結論が出ない話し合いのこと。豊臣秀吉に攻められた北条氏は、小田原城の城内で戦うか降伏するかの相談をしたが結論が出るまで時間がかかったということから。 
- 落ちれば同じ谷川の水(おちればおなじたにがわのみず)- 出発点は違っていても、行き着く先は同じだということ。また、人間も身分や貧富の差があっても、死ねばみな同じであるということ。 雨・霰(あられ)・雪・氷など形はさまざまでも、地上に落ちてしまえば同じ谷川を流れる水になるとの意から。 「雨霰雪や氷と隔(へだ)つらん落つれば同じ谷川の水」との和歌より。 
- 男は辞儀に余れ(おとこはじぎにあまれ)- 男は謙遜しすぎるくらいでちょうどよいということ。 「女は会釈に余れ」と続けても言う。 「辞儀」は遠慮の意。 
- 男は二十五の暁まで育つ(おとこはにじゅうごのあかつきまでそだつ)- 男は二十五歳くらいまでは成長するということ。 
- 男は松、女は藤(おとこはまつ、おんなはふじ)- 男は大地にしっかりと根を張る松のようなもので、女はその松にからむ藤のように男を頼りにするものだということのたとえ。 
- 男鰥に蛆が湧き、女寡に花が咲く(おとこやもめにうじがわき、おんなやもめにはながさく)- 妻のいない男は身の回りの世話をしてくれる人がいなくなり不潔な生活になりがちなのに対し、未亡人は、夫にわずらわされることがなくなり、自分の身を美しく清潔に出来るので、世間の男にもてはやされ華やかだということ。 
- 同じ穴の貉(おなじあなのむじな)- 一見無関係のように見えて、実は同類・仲間であることのたとえ。 多くは悪事をはたらく仲間のことをいう。 「同じ穴」は「一つ穴」とも、「貉」は「狸」「狐」ともいう。 
- 同じ釜の飯を食う(おなじかまのめしをくう)- 同じ職場で働いたり苦楽を共にしたりすること。また、そのように過ごす親しい仲間のこと。 「一つ釜の飯を食う」ともいう。 
- 同じ羽の鳥は集まるものだ(おなじはねのとりはあつまるものだ)- 同じような趣味や考え方の人間は、自然と集まって仲間になるということ。 
- 鬼が住むか蛇が住むか(おにがすむかじゃがすむか)- 世の中にはどんな恐ろしいものが住んでいるかわからないということ。 また、人の心の中にはどんな考えが潜んでいるかわからないということ。 
- 鬼が出るか蛇が出るか(おにがでるかじゃがでるか)- どんな恐ろしいことになるか予測できないことのたとえ。 からくり人形師が観客の興味をあおるためにいった言葉。 「鬼が出るか仏が出るか」ともいう。 
- 鬼も十八、番茶も出花(おにもじゅうはち、ばんちゃもでばな)- 器量が悪くても、年ごろになれば誰でも娘らしい魅力が出てくるということ。 鬼の娘でも十八という年ごろになれば娘らしくなるし、安い番茶も入れたては香りがよくおいしいとの意から。 単に「鬼も十八」また「番茶も出花」ともいう。 
- 帯に短し、襷に長し(おびにみじかし、たすきにながし)- 中途半端で役に立たない物事のたとえ。 帯にするには短く、襷にするには長すぎて結局は使えないことから。 
- お前百までわしゃ九十九まで(おまえひゃくまでわしゃくじゅうくまで)- 夫婦がともに元気で仲睦まじく長生きしたいと願う言葉。「お前」は夫、「わしゃ」は妻のことで、この後に「共に白髪の生えるまで」と続く。 
- 思い立ったが吉日(おもいたったがきちじつ)- 何かをしようと思ったら、その日が吉日としてすぐに始めるのがよいということ。「吉日」は暦で縁起がいい日。 
- 親が死んでも食休み(おやがしんでもじきやすみ)- どんなに忙しくても食後の休憩は大切だということ。 
- 親苦、子楽、孫乞食(おやく、こらく、まごこじき)- 親が苦労して築いた財産も、子が楽をして使い果たし、孫の代は乞食のような暮らしになりがちだというたとえ。 
- 親子は一世、夫婦は二世、主従は三世(おやこはいっせ、ふうふはにせ、しゅじゅうはさんせ)- 親子の関係は現世だけのものであり、夫婦は前世と現世または現世と来世の二世に渡る。主従関係は、前世・現世・来世の三世にまたがるほど深いということ。 
- 親の十七、子は知らぬ(おやのじゅうしち、こはしらぬ)- 親は自分が未熟だった若い頃の失敗談などをしないから、子どもにはわからない。完全なふりをして子どもに意見する親を皮肉っていう言葉。 
- 親の脛を齧る(おやのすねをかじる)- 子どもが独立した生活が出来ずに親に養われて生活すること。 
- 泳ぎ上手は川で死ぬ(およぎじょうずはかわでしぬ)- 自分の力を過信するあまり、得意なことで失敗してしまうことのたとえ。 泳ぎの上手な人が油断して、川で死んでしまうことがあるとの意から。 
- お椀を持たぬ乞食はない(おわんをもたぬこじきはない)- 仕事に必要な道具はちゃんと揃えておけということ。 乞食でも、貰い物を入れるお椀はどんな時も持っているとの意から。 
- 女は氏無うて玉の輿に乗る(おんなはうじのうてたまのこしにのる)- 女は低い家柄の生まれでも、容姿や運しだいで、金持ちや高貴な人と結婚できるということ。 
- 御の字(おんのじ)- 十分満足である。非常に結構である。 「御」の字を付けたいほど有り難いもの、との意から。 江戸時代に遊里で使われはじめた言葉。 
- 陰陽師、身の上知らず(おんようじ、みのうえしらず)- 他人のことについてはいろいろと言えても、自分のことはよくわからないことのたとえ。 他人の運命を占う陰陽師も、自分の身の上についてはわからないとの意から。 
 
         
    