「な」を含む故事・ことわざ・慣用句
「な」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1701 件
好きこそ物の上手なれ(すきこそもののじょうずなれ)
好きであることは、上手になるための大切な条件であるということ。
好きな事には騙され易い(すきなことにはだまされやすい)
好きなことは冷静な判断が出来にくく、深入りしやすいから、人の企みに陥りやすいということ。
空き腹にまずい物なし(すきばらにまずいものなし)
空腹の時は、どんな食べ物でもおいしく感じるということ。 「ひもじい時にまずい物なし」「ひだるい時にまずい物なし」ともいう。
過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)
物事の度が過ぎると、足りないのと同じくらい良くないので、何事もほどほどが最良だということ。
雀、海に入って蛤となる(すずめ、うみにいってはまぐりとなる)
思いがけない変化があることのたとえ。晩秋の海辺で騒ぐ雀が蛤になるという中国の古い俗信から。
雀の涙(すずめのなみだ)
ごく僅かなもののたとえ。雀が流す少量の涙の意で、多くは金銭について言われる。
鈴を転がすような(すずをころがすような)
高く澄んだ美しい声の形容。 多く女性の声について用いる。
捨て石になる(すていしになる)
大きな目的を達成するために犠牲になるたとえ。「捨て石」は、囲碁で、作戦上相手に取らせるように打つ石のこと。
捨てたものではない(すてたものではない)
一見役に立たないように見えても、まだ見込みがあること。
砂を嚙むよう(すなをかむよう)
味わいや面白味などが少しも感じられないことのたとえ。
隅に置けない(すみにおけない)
思いのほか才能や知識があって油断できないようす。
相撲にならない(すもうにならない)
能力に違いがありすぎて、勝負にならないこと。
する事なす事(することなすこと)
その人の行いの全て。
性相近し、習い相遠し(せいあいちかし、ならいあいとおし)
人が生まれながらに持っている性質にはあまり差はないが、その後の教育や環境で大きな差が出てくるということ。
生ある者は必ず死あり(せいあるものはかならずしあり)
生きているものは必ず死ぬときがくるということ。
精彩を放つ(せいさいをはなつ)
他と比べて、良さが際立っていること。
精神一到、何事か成らざらん(せいしんいっとう、なにごとかならざらん)
精神を集中して取り組めば、どんな難しいことでもできないことはないということ。
聖人に夢なし(せいじんにゆめなし)
聖人は邪念にとらわれることもないので、夢を見る事もなく心安らかに安眠できるということ。
生は寄なり死は帰なり(せいはきなりしはきなり)
人は仮にこの世に身を寄せて生きているのであり、死ねば本来いた所に帰るということ。
積悪の家には必ず余殃あり(せきあくのいえにはかならずよおうあり)
悪行を重ねてきた家には、報いとして子孫にまで必ず災いがあるということ。 「余殃」は祖先の行った悪事の報いとして受ける災い。 「積悪の余殃」ともいう。
積善の家には必ず余慶あり(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)
善行を積み重ねた家には、その報いとしての幸せが必ず子孫におとずれるということ。「余慶」は、祖先の善行のおかげで、子孫に及ぶ幸福のこと。
背筋が寒くなる(せすじがさむくなる)
恐怖などで寒気を感じること。ぞっとする。
節制は最良の薬なり(せっせいはさいりょうのくすりなり)
節制して質素な暮らしをすることが最も健康によいということ。 「Temperance is the best physic.」を訳した言葉。
背中を向ける(せなかをむける)
物事に反対したり、無関心な態度を取ったりすること。 「背中を向ける」ともいう。
背に腹は代えられない(せにはらはかえられない)
大事のためには、犠牲を払うのもやむを得ないというたとえ。 腹には大切な臓器が詰まっており、その腹を守るためであれば背中が犠牲になってもやむを得ないとの意から。 「背より腹」ともいう。
世話がない(せわがない)
手間がかからない様子。 または、呆れ果ててどうすることもできない様子。
世話になる(せわになる)
援助を受けること。生活の面倒をみてもらうこと。
千金を買う市あれど一文字を買う店なし(せんきんをかういちあれどいちもんじをかうみせなし)
文字を覚えるためには、自分で学ぶしかないというたとえ。 市場にはいろんな物が売っていて、高価な物も買うことができるが、文字だけは売っていないとの意から。
千緒万端、遺漏あることなし(せんしょばんたん、いろうあることなし)
あらゆる点で、まったく手落ちがない様子。「千緒万端」は多くの事柄、「遺漏」は手落ち。
千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰いゆ(せんじょうのつつみもろうぎのあなをもってついゆ)
わずかな油断・不注意から大事が起こることのたとえ。 千丈の堤防でも螻(けら)や蟻のあける穴から崩れることもあるとの意から。
先生と言われるほどの馬鹿でなし(せんせいといわれるほどのばかでなし)
先生という呼称は敬意を伴わない場合もある。先生と呼ばれて気分をよくするほど馬鹿ではないということ。また、先生と呼ばれていい気になっている者をあざけっていう言葉。
先入、主となる(せんにゅう、しゅとなる)
前から持っている固定的な観念が、新しい考えの妨げになってしまうこと。 前もって抱いている考えが主となり、後からの考えが従となるとの意から。 この語から「先入観」や「先入主」という語ができた。
千里の堤も蟻の穴から(せんりのつつみもありのあなから)
わずかな油断や不注意が元で大事を引き起こすというたとえ。 千里の堤防も蟻の穴が原因で崩れることもあるとの意から。
千里の野に虎を放つ(せんりののにとらをはなつ)
災いのもとになりそうな危険なものを放っておくことのたとえ。 広い野原に虎を野放しにするとの意から。 「虎を野に放つ」ともいう。
絶景というは樽肴ありてこそ(ぜっけいというはたるさかなありてこそ)
すばらしい景色は、酒や肴があってこそ楽しく、酒抜きで景色を見てもつまらないということ。
銭なしの市立ち(ぜになしのいちだち)
方法や手段もなく何かをしようとしても、どうにもならないことのたとえ。 銭を持たずに市場に行っても、何も買えずにただ立っているだけとの意から。
銭は足なくして走る(ぜにはあしなくしてはしる)
金には足などついていないのに、まるで足があるかのように、人から人へと渡って行くということ。
是非も無い(ぜひもない)
どうしようもない。仕方ない。 好ましくない結果を認めるしかない時に使う言葉。
善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや(ぜんにんなおもておうじょうをとぐ、いわんやあくにんをや)
仏の救いを頼みとしない善人でさえ極楽往生を遂げる。まして、仏の救いにすがるしかない悪人が往生できないわけがないということ。
善を責むるは朋友の道なり(ぜんをせむるはほうゆうのみちなり)
善い行いをするように勧めるのが、友としての大切な務めだということ。「責むる」は、当然なすべき事を勧めるという意。
滄海変じて桑田となる(そうかいへんじてそうでんとなる)
世の中の移り変わりが激しいことのたとえ。 「滄海」は大海のこと。 「桑田」は桑畑のこと。 桑畑だった所が大海になるような変化が起こるとの意から。 「桑田変じて滄海となる」「滄桑の変」ともいう。
双肩に担う(そうけんにになう)
責任をもって重要な任務を受け持つこと。 「双肩」は左右の肩のことで、左右の肩で担ぐという意味から。
総嘗めにする(そうなめにする)
複数回行う勝負などで全て勝つこと。 または、賞などを全て獲得すること。 また、災害などで、ある範囲全てに被害が及ぶこと。
糟粕を嘗める(そうはくをなめる)
先人の真似だけで、工夫や進歩などが一つもないことのたとえ。 「糟粕」は酒粕のことで、よい部分の残り物のたとえ。
そうは問屋が卸さない(そうはとんやがおろさない)
そう簡単に相手の望みに応じられないということ。また、物事は都合よく自分の思い通りには運ばないというたとえ。そんな安値では問屋が卸してくれないということから。
葬礼帰りの医者話(そうれいがえりのいしゃばなし)
言ってもどうにもならない愚痴を言うたとえ。また、手遅れで間に合わないことのたとえ。葬式からの帰り道に、医者のよしあしなどを話すということから。
葬礼九つ酒七つ(そうれいここのつさけななつ)
葬儀は昼の十二時頃、酒宴は午後四時頃に行うのが習わしだということ。
底が知れない(そこがしれない)
限度がはかれないほど深いこと。程度が甚だしいこと。
粗相が御意に叶う(そそうがぎょいにかなう)
目上の者には、そそっかしい性格の目下の者がほほえましく見え、そうした者がかえって気に入られるということ。
備えあれば憂いなし(そなえあればうれいなし)
普段から非常時の準備をしておけば、緊急の事態が起こっても心配する必要がないということ。
備わらんことを一人に求むるなかれ(そなわらんことをいちにんにもとむるなかれ)
万能な人間などいないのだから、一人の人間に完全無欠を要求してはいけないということ。
その手は食わない(そのてはくわない)
相手の計略を見抜き、それには引っかからないということ。
その手は桑名の焼き蛤(そのてはくわなのやきはまぐり)
うまいことを言っても、その手には乗らないというたとえ。 「[[その手は食わない*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/7298.php]]」の「食わな」と、焼き蛤で有名な「桑名」を掛けて言った言葉。
その右に出ずる者なし(そのみぎにいずるものなし)
その人に優る者がいないということ。昔、中国では右を上席としたことから。
蕎麦の花も一盛り(そばのはなもひとさかり)
娘はみな年頃になると、女らしい魅力が出て美しく見えるということ。地味で目立たない蕎麦の花も、時期が来れば力一杯咲いて、それなりに美しく見えることから。
空吹く風と聞き流す(そらふくかぜとききながす)
関心を示さずに無視すること。素知らぬ顔をすること。
反りが合わない(そりがあわない)
性格や考え方などが相手と合わず、うまくいかないこと。 刀の反りが鞘に合わないとの意から。
添わぬうちが花(そわぬうちがはな)
結婚して一緒に生活するようになると、お互いの欠点が目立つようになるので、結婚前が一番楽しい時期だということ。
損せぬ人に儲けなし(そんせぬひとにもうけなし)
ある程度の損をする覚悟がなければ大儲けはできないということ。
ぞっとしない(ぞっとしない)
その物事によい感情をもてないこと。あまり感心しない。
大家後なし(たいかのちなし)
その道の大家は一代限りで、子孫が大家になるとは限らないということ。
大軍に関所なし(たいぐんにせきしょなし)
大きな勢力にはかなわないということ。大軍に攻められたらそれをはばむ関所などないという意味から。
大賢は愚なるが如し(たいけんはぐなるがごとし)
本当に賢い人は知識をひけらかさないから、一見愚か者のように見えるということ。
大功は拙なるが如し(たいこうはせつなるがごとし)
真の名人は小細工をしないので、一見すると下手に見えるということ。
大功を成す者は衆に謀らず(たいこうをなすものはしゅうにはからず)
大事業を成し遂げる者は、周囲の意見を聞いたり相談したりせず、自分の判断で事を行うということ。
大人は赤子の心を失わず(たいじんはせきしのこころをうしなわず)
高徳の人は、生まれ持った純粋な心をいつまでも失わないということ。また、君主たる者は、赤子を慈しむように民を大切にし、その気持ちに寄り添うということ。
大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず(たいてきとみておそれずしょうてきとみてあなどらず)
相手が強そうに見えても恐れてはいけないし、弱そうに見えても侮ってはいけないということ。
鯛なくば狗母魚(たいなくばえそ)
最善のものがない時には、それよりも劣っていても代わりのもので間に合わせなければならないということ。 「狗母魚」は、かまぼこの材料となる魚。 鯛がなければ狗母魚で我慢するとの意から。
大勇は勇ならず(たいゆうはゆうならず)
本当に勇気のある人はむやみに人と争ったりしないので、一見勇気がないように見えるということ。「大勇は闘わず」「大勇は怯なるが如し」ともいう。
大利は利ならず(たいりはりならず)
大きすぎる利益は、一見しただけでは利益と気づきにくいということ。
体を成す(たいをなす)
それらしく形が整う。まとまった形になる。 「体(たい)」は「体(てい)」とも読む。
タオルを投げる(たおるをなげる)
ボクシングで、選手がこれ以上戦えないと判断したセコンドが、リング内にタオルを投げ入れること。転じて、意欲を喪失して物事を途中でやめること。
高い舟借りて安い小魚釣る(たかいふねかりてやすいこざかなつる)
好きな事のためには、損得など考えないということのたとえ。
高嶺の花(たかねのはな)
高い嶺に咲くきれいな花のように、遠くから見るだけで手に入れることの出来ないもののたとえ。
宝の山に入りながら手を空しくして帰る(たからのやまにいりながらてをむなしくしてかえる)
よい機会に恵まれながら、結局何の利益も得られないで終わることのたとえ。
薪に花(たきぎにはな)
姿は上品ではなくても、内にはやさしさや風雅の心を秘めていることのたとえ。 薪を採る山人が、積んだ薪に野山の花を添えるの意。
たくらだ猫の隣歩き(たくらだねこのとなりあるき)
自分の家の用は何もしないで、他人の家の用ばかり手伝うことのたとえ。 「たくらだ」はじゃこう鹿に似た獣。じゃこう鹿を狩りにきた猟師が、飛び出してきたたくらだを誤って狩ったことから、自分に無関係なことで死んだり傷ついたりする者のこと。転じて、愚か者・まぬけのことをいう。 まぬけな猫が自分の家のねずみは捕らずに、近所のねずみばかり捕って遊び歩くということから。
竹と人の心の直ぐなのは少ない(たけとひとのこころのすぐなのはすくない)
竹は意外に真っ直ぐなものは少なく、人も心が曲がらず正直な者は少ないということ。
他事ながら(たじながら)
「あなたには直接関係のないことですが」の意。 手紙で自分の出来事や様子などを述べるときに用いる語。
ただでは置かない(ただではおかない)
このままでは済ませない、必ず仕返しをするの意。 捨てぜりふ、脅し文句に用いる語。