「は」を含む故事・ことわざ・慣用句
「は」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1813 件
物の弾み(もののはずみ)
その場の成り行き。
物は言いなし事は聞きなし(ものはいいなしことはききなし)
ものは言い方によって、相手に良くも悪くも受け取られる。また、聞き手の聞き方次第で受け取る感じも違ってくるということ。
物は言い残せ、菜は食い残せ(ものはいいのこせ、さいはくいのこせ)
言葉と食事は少し控えめな方がよいということ。 言葉は言いすぎてしまうことがあるので思ったことを全部言い尽くさないほうがよく、食事はおかずを少し残すくらいのほうが品がよいとの意から。
物は言いよう(ものはいいよう)
ものは言い方次第で、相手に良くも悪くも受け取られるということ。
物は祝いがら(ものはいわいがら)
縁起が悪いとされていることでも、やり方や言い方を変えれば、めでたく祝えるようになるということ。
物は考えよう(ものはかんがえよう)
ものごとは考え方ひとつで良くも悪くもなるということ。
物は相談(ものはそうだん)
困った時は一人で悩まず誰かに相談すれば、案外名案が浮かびうまくいくものであるということ。また、相談や頼み事をするときに使う前置きのことば。
物は試し(ものはためし)
なにごとも実際にやってみなければ成否はわからないので、最初から諦めずに一度はやってみるべきだということ。
物ははずみ(ものははずみ)
物事は、その場の勢いや成り行きによって起こり、思いがけない方向に進むものだということ。
桃栗三年柿八年(ももくりさんねんかきはちねん)
芽が出てから実が成るまでに、桃と栗は三年、柿は八年かかるということ。また、何事も相応の年数がかかることのたとえ。このあとに「枇杷(びわ)は九年でなりかねる」「柚は九年になりかかる」「梅は酸いとて十三年」などと続けてもいう。
諸肌を脱ぐ(もろはだをぬぐ)
全力で物事にあたること。全力を尽くすこと。 着物の上半身をすべて脱いで肌をあらわにする様子から。
諸刃の剣(もろはのつるぎ)
使い方によっては非常に役に立つが、同時に大きな害を与える危険のあるもののたとえ。両辺に刃のついた剣は、相手を斬ることも出来るが、自分をも傷つける恐れのあることから。「諸刃」は「両刃」とも書き、「りょうば」とも読む。
門戸を張る(もんこをはる)
一家を興すたとえ。また、一派をつくるたとえ。 「門戸を張る」「門戸を構える」ともいう。
門前雀羅を張る(もんぜんじゃくらをはる)
訪れる人もなく、ひっそりしていることのたとえ。 「羅」は網のこと。 門前に雀(ずずめ)を捕る網が張れるほどさびれているとの意から。 単に「門前雀羅」ともいう。
刃から出た錆は研ぐに砥石がない(やいばからでたさびはとぐにといしがない)
自分の過ちや行いが原因で生じた災難は、他人を責めることができず、受け入れるしかないということ。
刃は切れるが重宝(やいばはきれるがちょうほう)
道具は本来の役目を果たすことが最も大切で、見かけや飾りは問題ではないということ。
焼き餅と欠き餅は焼く方が良い(やきもちとかきもちはやくほうがよい)
女性は冷淡よりむしろ、適度にやきもちを焼くくらいのほうがかわいいということ。「欠き餅」とは、正月の餅を手で割って小さくしたもの。嫉妬する意味のやきもちと餅ををかけた言葉。
焼き餅は狐色(やきもちはきつねいろ)
女性の適度なやきもちはかわいいが、焼きすぎると嫌われる。餅を狐色に焼くように、ほどよい程度に焼くのがよいということ。
焼けたあとは立つが死んだあとは立たぬ(やけたあとはたつがしんだあとはたたぬ)
火事で焼けても家は立て直せるが、主人が死んだ後の家は存続が困難な場合が多いということ。また、焼けた家は再建できるが、人は死んだらおしまいということ。
痩せ我慢は貧から起こる(やせがまんはひんからおこる)
不自由を我慢するのも、貧乏でどうしようもないからで、好き好んで我慢する者はいないということ。
宿取らば一に方角、二に雪隠、三に戸締り、四には火の元(やどとらばいちにほうがく、ににせっちん、さんにとじまり、しにはひのもと)
昔、旅先で宿を取る時に、確認しておくべき事柄を順序だてて並べた言葉。「雪隠」は、便所のこと。
柳の枝に雪折れはなし(やなぎのえだにゆきおれはなし)
一見弱そうに見えても、柔らかいものは堅いものよりも耐久力があるということのたとえ。 柳の枝はしなやかに曲がるので、雪が積もっても折れることがないとの意から。 「柳の枝に雪折れはなし」「柳に風折れなし」ともいう。
柳の下にいつも泥鰌はいない(やなぎのしたにいつもどじょうはいない)
一度うまくいったからといって、いつも同じようにうまくいくとはかぎらないというたとえ。 柳の下で一度泥鰌を捕まえたからといって、そこでいつも泥鰌を捕まえられるとはかぎらないことから。
柳は緑花は紅(やなぎはみどりはなはくれない)
柳は緑色、花は紅色をしているように、自然があるがままの美しい姿で人工が加わっていないこと。また、物事には自然の理が備わっていることのたとえ。春の美しい景色の形容としても使われる言葉。
やはり野に置け蓮華草(やはりのにおけれんげそう)
人にもその人にふさわしい環境があるということのたとえ。蓮華草は野原で自然のままに咲いているからこそ美しいの意。 江戸時代、播磨の瓢水(ひょうすい)という俳人が、遊女を身請けしようとする友人をいさめて詠んだ句「手に取るなやはり野に置け蓮華草」から。
病には勝たれぬ(やまいにはかたれぬ)
どんなに強い人も、病気になったらどうすることも出来ないということ。
病は癒ゆるに怠る(やまいはいゆるにおこたる)
病気は治りかかる頃につい油断して養生を怠り再発を招くことが多いということ。病気は治り際が大事だということ。
病は気から(やまいはきから)
病気は心の持ち方しだいで良くも悪くもなるということ。
病は口より入り、禍は口より出ず(やまいはくちよりいり、わざわいはくちよりいず)
病気は飲食物と共に体の中に入り込み、禍は口から出る言葉によって引き起こされる。口は慎まなければいけないという戒めのことば。
病は治るが癖は治らぬ(やまいはなおるがくせはなおらぬ)
病気は治療次第で治るが、身についた癖を治すのは難しいということ。
山師山で果てる(やましやまではてる)
得意な技を持つ人は、その技のために身の破滅を招きやすいということのたとえ。山に慣れた山師は、つい油断して山で命を落とすことが多いということから。
山に蛤を求む(やまにはまぐりをもとむ)
海にすむ蛤を山でとろうとするように、方法を誤ったために決してできないことのたとえ。
山より大きな猪は出ぬ(やまよりおおきないのししはでぬ)
入れ物よりも大きな中身などあり得ないというたとえ。また、大げさな言い方もほどほどにしろということ。 いくら大きな猪でも、山より大きい猪はいないとの意から。
山を張る(やまをはる)
的中することを期待して物事を行うことのたとえ。 「山」は、鉱山のこと。 鉱山で鉱脈を掘り当てる仕事は大きな賭けであったことから転じて、万一の幸運を当てにすること。 「山を掛ける」ともいう。
湯上りにはおじ坊主が惚れる(ゆあがりにはおじぼうずがほれる)
女性の湯上り姿は艶やかで誰でも心ひかれるということ。 「おじ坊主」は、「伯父(叔父)や坊主も」という解釈と「おじの坊主」という解釈がある。 「湯上りは親でも惚れる」「洗い髪にはおじ坊主が惚れる」などともいう。
勇者は懼れず(ゆうしゃはおそれず)
勇気のある者は信念を持って行動するので臆することがないということ。
夕立は馬の背を分ける(ゆうだちはうまのせをわける)
夕立などが、局所的であることのたとえ。 近い場所でも、雨が降っている所と降っていない所があるさま。 馬の片側の背のみが雨に濡れているとの意から。
雄弁は銀、沈黙は金(ゆうべんはぎん、ちんもくはきん)
一生懸命に力をつくして述べることにも価値があるが、黙っているほうがさらに有益な場合があるということ。 雄弁は銀の価値、沈黙は金の価値であるという意。 「沈黙は金、雄弁は銀」ともいう。
勇名を馳せる(ゆうめいをはせる)
勇敢であるという評判が世間に知れ渡ること。
雪の明日は裸虫の洗濯(ゆきのあしたははだかむしのせんたく)
雪の降った翌日は晴天になることが多いということ。 「裸虫」は貧しくて着る物がろくにない人のこと。 雪が降った翌日は天気が良く、貧乏人も着ていた物を脱いで洗濯するほど暖かいとの意から。
雪は豊年の瑞(ゆきはほうねんのしるし)
雪が多く降る年は、その年が豊作になる前触れだということ。「瑞」は前触れの意。
柚の木に裸で登る(ゆずのきにはだかでのぼる)
非常に困難なことをすることのたとえ。とげの多い柚の木に裸で登るということから。
湯の辞儀は水になる(ゆのじぎはみずになる)
遠慮もほどほどにしないと、かえって失礼になるということ。 「辞儀」は遠慮のこと。 湯を勧められた時、遠慮してぐずぐずしていると、湯が冷めて水になることから。
弓は袋に太刀は鞘(ゆみはふくろにたちはさや)
天下泰平で武器を使う必要のないこと。 弓を袋に入れ、刀は鞘におさめるとの意から。
夢の浮橋(ゆめのうきはし)
夢のこと。また、世間が頼りなく渡りにくいこと、はかないことのたとえ。「浮橋」は水上に筏や舟を並べて、その上に板を渡した橋のこと。
夢は五臓の患い(ゆめはごぞうのわずらい)
夢を見るのは五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)が疲れているのが原因だということ。 「患い」は「煩い」とも書く。 また、「夢は五臓の疲れ」ともいう。
夢は逆夢(ゆめはさかゆめ)
夢と現実は逆になるものなので、たとえ悪い夢を見ても気にすることはないということ。 「夢は逆実」ともいう。
熊野松風は米の飯(ゆやまつかぜはこめのめし)
能の「熊野」と「松風」は、米の飯のように誰からも好まれる名曲であるということ。
揺り籠から墓場まで(ゆりかごからはかばまで)
生まれてから死ぬまでの一生のこと。イギリスの労働党が、第二次世界大戦後に唱えた社会保障政策のスローガン。
宵越しの銭は使わぬ(よいごしのぜにはつかわぬ)
その日に儲けたお金はその日に使ってしまい、翌日には残さないということ。
宵越しの茶は飲むな(よいごしのちゃはのむな)
一度入れて一晩置いたお茶は飲まないようがいいということ。茶葉に含まれる成分が、時間をおくと変質して身体によくないということから。
酔い醒めの水は甘露の味(よいざめのみずはかんろのあじ)
酒に酔って眠ったあとに目覚めて飲む水は、甘露のようにおいしいということ。「甘露」とは中国の伝説で、めでたいしるしに天から降ったといわれる甘い水のこと。
よい花は後から(よいはなはあとから)
優れたものは後から現れるということ。 はじめに咲く花より、後から咲く花のほうが美しいという意味から。
陽気発する処、金石も亦透る(ようきはっするところ、きんせきもまたとおる)
どんな困難なことでも、精神を集中すればできないことはないということ。 「陽気」は万物が生じて活動しようとする気。 陽気が発生すれば、金属や石のように硬いものでも貫くとの意から。
用心に網を張る(ようじんにあみをはる)
用心のうえに用心をすること。「用心に縄を張る」とも言う。
用心は臆病にせよ(ようじんはおくびょうにせよ)
用心はし過ぎるということはない。臆病なくらいに用心せよということ。
よく泳ぐ者は溺る(よくおよぐものはおぼる)
自分の得意なことは自信過剰になるため、かえって失敗しやすいということのたとえ。
欲には目見えず(よくにはめみえず)
欲のために理性を失い、正常な判断ができなくなること。 「欲には目見えず」「欲に目が無い」ともいう。
欲は身を失う(よくはみをうしなう)
欲張りは身を滅ぼすもとであるということ。
余の辞書には不可能という言葉はない(よのじしょにはふかのうということばはない)
自分には不可能なことはないということ、世の中には出来ないことなどないということ。「余」は「予」とも書く。通説としてナポレオンの言葉といわれている。
世の中には月夜ばかりはない(よのなかにはつきよばかりはない)
いつも明るい月夜ばかりではなく、闇夜もあるから気をつけろということ。脅し文句として使われる言葉。
世の中は九分が十分(よのなかはくぶがじゅうぶ)
世の中はすべてが自分の思い通りにいくとはかぎらないから、望んだことの九分が叶ったら満足すべきだということ。
世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん)
世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。
世の中は三日見ぬ間の桜かな(よのなかはみっかみぬまのさくらかな)
桜の花があっという間に散ってしまうように、世間の移り変わりは激しいものだということ。 もとは江戸時代の俳人大島蓼太の句「世の中は三日見ぬ間に桜かな」から。 この句は「桜が散ってしまうこと」ではなく「桜が咲きそろうこと」を詠んだもの。 単に「三日見ぬ間の桜」ともいう。
世は相持ち(よはあいもち)
世の中はお互いに助け合っていくことで成り立つということ。 「世の中は相持ち」ともいう。
予防線を張る(よぼうせんをはる)
自分の失敗や相手の攻撃に備えて、あらかじめ手立てを講じておくこと。
予防は治療に勝る(よぼうはちりょうにまさる)
病気になって治療するより、病気にならないように予防するほうがよいということ。転じて、問題が起こってから処理するよりも、問題が生じないようにすることが大事だということ。
夜道に日は暮れぬ(よみちにひはくれぬ)
夜の帰り道には日が暮れる心配はないから、あわてずにのんびりやろうということ。
寄る年波には勝てぬ(よるとしなみにはかてぬ)
いつまでも若いつもりでも、加齢による体力や気力の衰えには逆らえないということ。
弱き者、汝は女なり(よわきもの、なんじはおんななり)
女は心変わりしやすく、男に比べて弱い立場にあるということ。シェークスピアの戯曲「ハムレット」の中のせりふから。
世渡りの殺生は釈迦も許す(よわたりのせっしょうはしゃかもゆるす)
生活のためならば、多少の不道徳や無慈悲な行いはやむを得ないということ。
弱音を吐く(よわねをはく)
困難な状況などに耐えることができず、意気地のないことを言うこと。
世を憚る(よをはばかる)
世間に気がねすること。世間との交わりを避けること。
楽は苦の種、苦は楽の種(らくはくのたね、くはらくのたね)
楽をすればあとで苦労を味わい、反対に苦労のあとには楽がある。今の苦労は将来の楽につながるのだから耐えなければならないということ。
落花枝に返らず、破鏡再び照らさず(らっかえだにかえらず、はきょうふたたびてらさず)
一度こわれた男女の仲は、再びもとに戻ることはないというたとえ。散り落ちた花は再びもとの枝に返ることはなく、割れた鏡は再び物をうつすことはできない意から。
理屈と膏薬はどこへでも付く(りくつとこうやくはどこへでもつく)
体のどこにでも付く膏薬のように、理屈はつけようと思えば、どんなことにでも、もっともらしくつけられるということ。
理屈を言えば腹が立つ(りくつをいえばはらがたつ)
自分の正当性を主張しても腹が立つばかりだから、理屈にこだわず適当に妥協したほうが得策であるということ。
律儀は阿呆の唐名(りちぎはあほうのからな)
実直すぎるのは、愚かなことと同じだということ。「唐名」は別名の意。
六国を滅ぼす者は六国なり(りっこくをほろぼすものはりっこくなり)
国が滅びるのは、国の内部に原因があるということ。また、悪い結果の原因は、自分自身にあることが多いことのたとえ。 「六国」は中国、戦国時代の斉(せい)・楚(そ)・燕(えん)・韓(かん)・魏(ぎ)・趙(ちょう)のこと。 六国が滅びたのは六国相互の争いの結果によるもので、他の国に滅ぼされたわけではないとの意から。
利に走る(りにはしる)
利益を得ることにひたすらこだわること。
