「り」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「り」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 302 件
生は寄なり死は帰なり(せいはきなりしはきなり)
人は仮にこの世に身を寄せて生きているのであり、死ねば本来いた所に帰るということ。
生命ある所希望あり(せいめいあるところきぼうあり)
人は希望と忍耐をもって生きるべきであるという戒め。 生きていれば希望は必ずあるということから。
世界半分自惚れしっかり(せかいはんぶんうぬぼれしっかり)
世の中のことは半分しかわかっていないのに、自惚れだけはしっかりあるということ。
積悪の家には必ず余殃あり(せきあくのいえにはかならずよおうあり)
悪行を重ねてきた家には、報いとして子孫にまで必ず災いがあるということ。 「余殃」は祖先の行った悪事の報いとして受ける災い。 「積悪の余殃」ともいう。
積善の家には必ず余慶あり(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)
善行を積み重ねた家には、その報いとしての幸せが必ず子孫におとずれるということ。「余慶」は、祖先の善行のおかげで、子孫に及ぶ幸福のこと。
赤面の至り(せきめんのいたり)
自分を情けなく感じて恥じ入る気持ちを表す言葉。 恥ずかしがって顔を赤くするということから。
節制は最良の薬なり(せっせいはさいりょうのくすりなり)
節制して質素な暮らしをすることが最も健康によいということ。 「Temperance is the best physic.」を訳した言葉。
善を責むるは朋友の道なり(ぜんをせむるはほうゆうのみちなり)
善い行いをするように勧めるのが、友としての大切な務めだということ。「責むる」は、当然なすべき事を勧めるという意。
総領の十五は貧乏の世盛り(そうりょうのじゅうごはびんぼうのよざかり)
長男が一人前になる一歩手前の十五歳の頃が、家計がもっとも苦しい時期だというたとえ。
底に底あり(そこにそこあり)
底の下にさらに底があるかのように、物事の本当の姿には、表面からわからない複雑な事情が隠されているということ。
底もあり蓋もあり(そこもありふたもあり)
器に底と蓋があるように、物事には複雑に入り組んだいろいろな事情があるということ。
外愛嬌の内そんぶり(そとあいきょうのうちそんぶり)
外では愛嬌を振りまいているが、家では無愛想な人のこと。「そんぶり」は、無愛想の意。
その手は桑名の焼き蛤(そのてはくわなのやきはまぐり)
うまいことを言っても、その手には乗らないというたとえ。 「[[その手は食わない*https://kotowaza.jitenon.jp/kotowaza/7298.php]]」の「食わな」と、焼き蛤で有名な「桑名」を掛けて言った言葉。
蕎麦の花も一盛り(そばのはなもひとさかり)
娘はみな年頃になると、女らしい魅力が出て美しく見えるということ。地味で目立たない蕎麦の花も、時期が来れば力一杯咲いて、それなりに美しく見えることから。
大姦は忠に似たり(たいかんはちゅうににたり)
大悪人は本性を隠して主君に仕えるので、あたかも忠臣のようにみえるということ。「大姦」は大悪人の意。
大欲は無欲に似たり(たいよくはむよくににたり)
大きな望みを持つものは、小さな利益にはこだわらないので、一見欲がないようにみえるということ。また、あまりに欲深いものは、欲に目がくらんで損を招き、結局無欲のものと同じ結果になるということ。
竹の子の親勝り(たけのこのおやまさり)
(たけのこはすぐに親竹と同じ、または親竹以上の高さになることから)子どもの成長が早く、すぐに親を凌ぐようになることのたとえ。または、子どもが親よりもすぐれていることのたとえ。 「竹の子」は「筍」とも書く。
他人の念仏で極楽参り(たにんのねんぶつでごくらくまいり)
他人の力を当てにして、自分の利益を図ったり、義理を果たすことのたとえ。他人の唱えた念仏で自分が極楽へ行こうとする意から。
便りのないのはよい便り(たよりのないのはよいたより)
人は何か問題が起こらないとなかなか手紙を書かないものである。だから、手紙が来ないのは無事である証拠で、よい便りと同じだということ。
大道廃れて仁義あり(だいどうすたれてじんぎあり)
世の中の秩序が乱れて、人が守るべき正しい道理が失われると、仁義という道徳心を唱える必要が生じるということ。
大なり小なり(だいなりしょうなり)
多かれ少なかれ。程度の差はあれど。
断金の交わり(だんきんのまじわり)
深い友情で結ばれた親しい交わりのこと。金を断ち切るほどに堅い交際の意から。 「断金の契り」ともいう。
団結は力なり(だんけつはちからなり)
一人一人の力は小さくても、大勢が力を合わせれば大きな力になるということ。
知恵出でて大偽あり(ちえいでてたいぎあり)
人間が知恵を持つようになると、知恵を悪用して嘘やごまかしが広がり、平和だった世の中に混乱をもたらすようになるということ。 素朴で平和な時代には必要なかった法律や規則が、知恵の発展に伴い人々の不正を防ぐために必要となったとの意。
力は正義なり(ちからはせいぎなり)
何事も、結局力を持った者が正しいことになるということ。
知識は力なり(ちしきはちからなり)
経験によって得られた知識は大きな力になるということ。 哲学者フランシス・ベーコンの言葉。 「知は力なり」と訳されることもある。
茶に酔うたふり(ちゃにようたふり)
知っているのに知らないふりをすること。 お茶を飲んで酒に酔ったふりをするとの意から。 「茶に酔うたよう」ともいう。
町内で知らぬは亭主ばかりなり(ちょうないでしらぬはていしゅばかりなり)
女房の浮気を町内の者はみんな知っていて、亭主だけが知らないという間抜けぶりをあざけった言葉。
ちょっと嘗めたが身の詰まり(ちょっとなめたがみのつまり)
ほんのちょっとだけ、と軽い気持ちで手を出したために、どうにもならない窮地に追い込まれること。
朕は国家なり(ちんはこっかなり)
フランスのルイ14世が宣言したとされる、絶対王政を象徴する言葉。 「私こそが国家そのものである」の意。
追従も世渡り(ついしょうもよわたり)
人にこびへつらいお世辞をいうことも、世渡りの一つの手段であるということ。
綱渡りより世渡り(つなわたりよりよわたり)
綱渡りは大変危険な芸だが、その綱渡りより世渡りのほうが、もっと大変で難しいということ。
爪に爪なく瓜に爪あり(つめにつめなくうりにつめあり)
「爪」という漢字と「瓜」という似ている漢字の違いを教えた言葉。
面の皮千枚張り(つらのかわせんまいばり)
きわめて恥知らずで厚かましいことのたとえ。 顔の皮が千枚張り合わせたほど厚いとの意から。
釣りは道楽の行き止まり(つりはどうらくのいきどまり)
魚釣りは最高の道楽だということ。
弦なき弓に羽抜け鳥(つるなきゆみにはぬけどり)
どうしようもないことのたとえ。また、まったく役に立たないことのたとえ。弦のない弓は矢を射ることは出来ず、羽のない鳥は飛べないことから。
敵に味方あり味方に敵あり(てきにみかたありみかたにてきあり)
敵の中にも、こちらの理解者はいるし、反対に味方の中にも気を許してはいけない相手もいるということ。
敵は本能寺にあり(てきはほんのうじにあり)
本当の目的が別にあることのたとえ。 戦国時代、明智光秀が備中の毛利を攻めると見せかけて出陣したが、途中で進路を変えて京都本能寺の織田信長を討ったという故事から。
手取り足取り(てとりあしとり)
細かいところまで一つずつ丁寧に教える様子。
天に口あり地に耳あり(てんにくちありちにみみあり)
秘密や悪事は、とかく人に漏れやすいということ。 まるで天や地が話したり聞いたりするかのように、話が広まるとの意から。 略して「天に口」ともいう。
とかげの尻尾切り(とかげのしっぽきり)
組織の不祥事を下の立場の人に責任を押し付けて、組織や上の立場の人などに責任が及ばないようにすること。
時は金なり(ときはかねなり)
時間は金銭と同じように貴重なものだから無駄にしてはいけないということ。
徳孤ならず必ず隣あり(とくこならずかならずとなりあり)
徳を備えた人は孤立することがなく、理解者や協力者が必ず現れるということ。
徳は孤ならず必ず隣あり(とくはこならずかならずとなりあり)
徳のある人は決して孤立することがなく、理解し協力する者が必ず現れるということ。
年が薬(としがくすり)
年を取るにつれて分別が身に付いてくるということ。 「年こそ薬なれ」ともいう。
年寄りて達者なものは口ばかり(としよりてたっしゃなものはくちばかり)
年寄りは体力や気力は衰えても、口だけは元気だということ。
とどのつまり(とどのつまり)
挙げ句の果て。結局。多くは思わしくない結果で終わる場合に使う。「ぼら」は、成長するとともに呼び名が変わり、最後に「とど」と呼ばれることから。
鳥なき里の蝙蝠(とりなきさとのこうもり)
強い者や優れた者がいないところで、つまらない者が威張っていることのたとえ。 鳥がいない所では、蝙蝠が幅をきかせて鳥のように飛び回るということから。
名有り(なあり)
有名であること。名声があり、広く知られていること。著名。
無い物ねだり(ないものねだり)
ないものや手に入らないものを無理にほしがること。また、実現できないことをむりにもとめること。
長崎ばってん、江戸べらぼう、神戸兵庫のなんぞいや、ついでに丹波のいも訛(ながさきばってん、えどべらぼう、こうべひょうごのなんぞいや、ついでにたんばのいもなまり)
各地の方言の特徴をとらえて語調よくいったことば。
長尻(ながじり)
他人の家を訪れて話し込んでなかなか帰らないこと。 「長尻」や「長っ尻」ともいう。
泣き寝入り(なきねいり)
不本意だがどうしようもないため、しかたなくあきらめること。
「―で済ませない」七下がり七上がり(ななさがりななあがり)
人生は不安定で、何度も浮き沈みを繰り返すということ。
七光り(ななひかり)
君主や親の権威のおかげで得をすること。
何もせずにいることは悪を為していることなり(なにもせずにいることはあくをなしていることなり)
何もしないでいることは、それだけでもう悪行を為しているのと同じことであるということ。
波に千鳥(なみにちどり)
絵になるような取り合わせのよいもののたとえ。
鳴り物入り(なりものいり)
大げさに宣伝すること。 「鳴り物」は、歌舞伎で用いられる太鼓や笛などの楽器のこと。
二階から目薬(にかいからめぐすり)
思うようにいかず、もどかしいことのたとえ。また、回りくどくて効果のないことのたとえ。 二階から階下の人に目薬をさそうとしても、上手くいかないことから。 「天井から目薬」ともいう。
西風と夫婦喧嘩は夕限り(にしかぜとふうふげんかはゆうかぎり)
西風と夫婦喧嘩は夜になるとおさまるということ。
西の海へさらり(にしのうみへさらり)
厄払いを行う際、末尾につける文句のこと。
二世の契り(にせのちぎり)
現世だけでなく来世まで夫婦として連れ添おうという約束。 「二世」は、現世と来世のこと。
似たり寄ったり(にたりよったり)
どれもほとんど同じで、たいした違いがない様子。
日計足らずして歳計余りあり(にっけいたらずしてさいけいあまりあり)
一見、利益が上がっていないように思えるが、長い目で見ると確実に利益があるということ。 日々の計算では儲けがないように見えるが、一年を通じるとちゃんと利益があるとの意から。
似て非なり(にてひなり)
外見は似ているように見えても、本質は違っていることのたとえ。
人間至る処、青山あり(にんげんいたるところ、せいざんあり)
どこで死んでも世の中には自分の骨を埋めるぐらいの場所はあるということ。だから、故郷にこだわらず広い世間に出ておおいに活動すべきだというたとえ。「人間」は、「じんかん」とも読み世の中の意。「青山」は、樹木が青々と茂った山で埋骨にふさわしい土地の意。幕末の僧、月性(げっしょう)の詩から。
盗人にも三分の理(ぬすびとにもさんぶのり)
どんなことでも、こじつければ理屈はつけられるということ。 盗みは悪いことだが、それを正当化する三分ほどの理屈があるとの意から。 「泥棒にも三分の道理」「盗人にも一理屈」ともいう。
盗人も戸締り(ぬすびともとじまり)
盗人も自分の物は盗まれないように戸締りをするということ。
盗人を捕らえて見れば我が子なり(ぬすびとをとらえてみればわがこなり)
思いがけない事態に直面し、処置に窮することのたとえ。また、親しい者でも油断できないというたとえ。
願ったり叶ったり(ねがったりかなったり)
自分の思いどおりになること。自分と相手の条件がうまく合うことで、希望どおりに物事が進むこと。
猫被り(ねこかぶり)
本性を隠しておとなしそうにみせること。 「被る」はそのようにふるまうということ。 おとなしい猫のようなふりをするという意味から。 「猫被り」ともいう。
猫の魚を食わぬ振り(ねこのさかなをくわぬふり)
内心は欲しくてたまらないのに、うわべだけ遠慮することのたとえ。 また、その場だけのことで長続きしないことのたとえ。 猫が大好きな魚を辞退するとの意から。 「猫の精進」「猫の魚を食わぬ振り」ともいう。
根掘り葉掘り(ねほりはほり)
細かいことまで残らず徹底的に。「葉掘り」は「根掘り」に語呂を合わせたもの。
能書きの読めぬ所に効き目あり(のうがきのよめぬところにききめあり)
効能書きは難解だが、それがかえって効き目があるように感じられる。よくわからないものほど、有難みがあるということのたとえ。また、効能書きの難解さへの皮肉にいう。
嚢中の錐(のうちゅうのきり)
すぐれた人は、大衆の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中にの錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
退けば長者が二人(のけばちょうじゃがふたり)
相性のわるい者同士が一緒にいるより、お互いに独立したほうがうまくいくということ。
上り坂あれば下り坂あり(のぼりざかあればくだりざかあり)
人生には、栄える時もあれば衰える時もあるということ。
恥の上塗り(はじのうわぬり)
恥をかいた上にさらに恥をかくこと。 「恥の上書き」「恥の掻き上げ」「恥の恥」ともいう。
始めあるものは必ず終わりあり(はじめあるものはかならずおわりあり)
物事には始めがあるように必ず終わりがある。生あるものには必ず死が訪れ、栄えているものはいつか滅びるということ。
畑に蛤(はたけにはまぐり)
見当違いなことのたとえ。畑を掘って蛤を探しても見つかるはずのないことから。