「あら」を含む故事・ことわざ・慣用句
「あら」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 80 件
- 垢は擦るほど出る、あらは探すほど出る(あかはこするほどでる、あらはさがすほどでる)- 垢は擦れば擦るほど出る。欠点も探せばきりがないほど出てくるということ。 
- 悪人あればこそ善人も顕る(あくにんあればこそぜんにんもあらわる)- 悪人がいればこそ善人が目立つということ。 
- 足を洗う(あしをあらう)- 悪事をやめること。また、今までの仕事をやめること。 
- 過ちて改めざる是を過ちと謂う(あやまちてあらためざるこれをあやまちという)- 人は過ちを犯したらすぐに反省して改めるべきであり、過ちを犯して改めようとしないことが本当の過ちであるということ。 「過ちを改めざる是を過ちと謂う」ともいう。 
- 過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)- 過ちを犯したことに気がついたら、体面や体裁などにとらわれず、すぐに改めるべきだという戒め。 
- 洗い髪にはおじ坊主が惚れる(あらいがみにはおじぼうずがほれる)- 女性の湯上り姿は艶やかで誰でも心ひかれるということ。 「おじ坊主」は、「伯父(叔父)や坊主も」という解釈と「おじの坊主」という解釈がある。 「湯上りは親でも惚れる」「洗い髪にはおじ坊主が惚れる」などともいう。 
- 荒肝を抜く(あらぎもをぬく)- ひどく驚かすこと。また、恐れさせること。 「荒肝」は、荒々しいこころ。また、肝っ玉の意。 
- 嵐の前の静けさ(あらしのまえのしずけさ)- 台風が来る前に一時的に風が止むように、事件や変事が起こる前の不気味な静けさのこと。 
- 争い果てての棒乳切り(あらそいはててのぼうちぎり)- 時機に遅れて何の役にも立たないことのたとえ。 「棒乳切り」は棒の切れ端のこと。 喧嘩が終わってから、棒切れを持ち出しても役に立たないことから。 「争い果てて」は「諍い果てて」や「喧嘩過ぎて」、「棒乳切り」は「乳切り木(千切り木)」などともいう。 
- 争えない(あらそえない)- 事実がはっきりしていて、隠すことも否定もできないこと。 「争われない」ともいう。 
- 新たに沐する者は必ず冠を弾く(あらたにもくするものはかならずかんむりをはじく)- 潔白な人ほど自分の身を汚すおそれのあるものを避けるということ。 「沐」は髪を洗うこと。 髪を洗ったばかりの人は、必ず冠のちりを払ってから頭にのせるとの意から。 
- 荒波に揉まれる(あらなみにもまれる)- 世間の厳しい現実の中で、さまざまな苦労を重ねること。 
- 家貧しくして孝子顕る(いえまずしくしてこうしあらわる)- 貧乏な家庭では、子どもも親を助けるために働いたりするので、その孝行ぶりが目立って人に知られるようになるということ。 逆境のときに、それを助けるものが現れること。 
- 一二を争う(いちにをあらそう)- 一番になるか二番になるかを競い合う。首位をあらそう。 
- 一刻を争う(いっこくをあらそう)- わずかな時間も無駄にできないほど、差し迫った状態にある。急を要する。 
- 鷸蚌の争い(いつぼうのあらそい)- 両者が争っている隙につけ入り、第三者が利益を横取りすることのたとえ。 「漁夫」は漁師のこと。漁父とも書く。 鴫(しぎ)と蛤(はまぐり)が争っている間に、漁師が両方とも捕まえたという中国の故事から。 「鷸蚌の争い」ともいう。 
- 芋を洗うよう(いもをあらうよう)- 狭い所で大勢の人が込み合う様子。たくさんの芋を桶に入れて、かき回して洗うようすから。 
- 甍を争う(いらかをあらそう)- 家々がすき間なく立ち並んでいるさま。 「甍」は、棟瓦のこと。 棟瓦の高さを競うように多くの家がぎっしり並んでいるとの意から。 
- 烏鷺の争い(うろのあらそい)- 碁を打つこと。黒い烏と白い鷺を碁石に見立て、黒と白の石で勝負を争うことから。 
- 王侯将相寧んぞ種あらんや(おうこうしょうしょういずくんぞしゅあらんや)- 王や諸侯、将軍、大臣になるには家柄や血統など関係なく、必要なのはその人の才能や努力だということ。「種」は家柄、血統の意。 
- 応接に暇あらず(おうせつにいとまあらず)- 人の相手をするのに追われて休む暇もないようす。また、ものごとが次から次へと起こって多忙なようす。もとは、美しい自然の風景が次から次に展開し、ゆっくり味わう暇がない意から。 
- 思い内にあれば色外に現る(おもいうちにあればいろそとにあらわる)- 心の中で思っていることは、自然と言動や態度にあらわれるということ。 
- 蝸牛、角上の争い(かぎゅう、かくじょうのあらそい)- 狭い世界でのつまらない争いのこと。 「蝸牛」はかたつむり、「角上」はつのの上のこと。 かたつむりの左の角の上にある触という国と右の角の上にある蛮という国が、領土を争ったという寓話から。 「蝸角の争い」ともいう。 
- 隠すより現る(かくすよりあらわる)- 隠し事は隠そうとすればするほど目立って、人に知られやすくなるということ。 
- 隠れたるより現るるはなし(かくれたるよりあらわるるはなし)- やましいことや秘密は、隠そうとすればかえって人に知られてしまうというたとえ。 
- 隠れての信は顕われての徳(かくれてのしんはあらわれてのとく)- 心中に秘めている誠実さは、いつか自然に外にあらわれて自分自身の利得になるということ。 心中に神仏への信仰心があれば、必ずご利益があるとの意から。 「隠れたる信あらば顕われたる利生」「隠れたる信あらば顕われたる験」ともいう。 
- 風に櫛り雨に沐う(かぜにくしけずりあめにかみあらう)- 風雨にさらされて苦労することのたとえ。 風で髪をとかし、雨で体を洗うことから。 「櫛風沐雨」ともいう。 
- 借り着より洗い着(かりぎよりあらいぎ)- 人に頼ってぜいたくな暮らしをするより、自分の力で分相応な生活をするほうがよいということ。 人に借りた晴れ着より、洗いざらしでも自分の着物のほうがよいとの意から。 
- 餓鬼の花争い(がきのはなあらそい)- 貧しい者が生活に関係ない趣味に熱中するたとえ。「餓鬼」は餓鬼道におち飢えと渇きに苦しんでいる亡者。餓鬼が食べられない花のことで争うことから。 
- 国乱れて忠臣見る(くにみだれてちゅうしんあらわる)- 泰平の時には誰が忠臣かわからないが、国が乱れて危機に直面すると、真の忠臣が誰かがはっきりするということ。 
- 犬兎の争い(けんとのあらそい)- 無益な争いをしている間に、第三者に利益を横取りされてることのたとえ。 犬が兎を追いかけている間に、両者とも力尽きて死んでしまった。 それを通りかかった農夫が自分の獲物として手にいれたという故事から。 
- 下戸の肴荒らし(げこのさかなあらし)- 酒の飲めない人が、酒の肴を手当たりしだいに食い荒らすこと。 
- 黒白を争う(こくびゃくをあらそう)- どちらが正しいかをはっきりさせること。「黒白」は、善悪・是非・正邪の意。 
- 心が洗われる(こころがあらわれる)- 心の中の穢(けが)れがなくなり、爽やかで清々しい気分になること。 
- 心ここに在らざれば視れども見えず(こころここにあらざればみれどもみえず)- 心が他のことにとらわれて集中できなければ、視線を向けていても、何も見えないのと同じことであるということ。 
- コップの中の嵐(こっぷのなかのあらし)- 狭い範囲内で起こった、大局には何の影響もない騒ぎのたとえ。 
- 先を争う(さきをあらそう)- 他人よりも先になろうとして競い合うこと。 
- 桜は花に顕われる(さくらははなにあらわれる)- ふだんは平凡な人々に紛れていた人間が、何らかの機会に優れた才能を発揮するたとえ。他の雑木に交って目立たなかった桜の木も、花が咲いて初めて桜の木だと気づかれるということから。 
- 酒は本心を現す(さけはほんしんをあらわす)- 酒に酔うと、ふだんは隠している気持ちを表にさらけ出してしまうということ。 
- 然もあらばあれ(さもあらばあれ)- なるようにまかせるしかないこと。どうにでもなれ。ままよ。 「遮莫」とも書く。 
- 七十五日は金の手洗い(しちじゅうごにちはかねのてあらい)- 嫁や婿、養子に行った時は、しばらくの間は大事にされるということ。「金の手洗い」は、金属製の洗面器で来客などに使われたもの。 
- 宗旨の争い釈迦の恥(しゅうしのあらそいしゃかのはじ)- 仏教の教えはすべて釈迦が発しているのだから、宗派間の争いは開祖である釈迦の恥になるということ。宗派間の争いの愚かさをあざけっていう言葉。 
- 水火の争い(すいかのあらそい)- 水と火のように正反対の性質を持っていたり相容れない立場にあったりして、仲の悪い者同士の争いをたとえた言葉。 
- 擂り粉木で重箱洗う(すりこぎでじゅうばこあらう)- 行き届かないことのたとえ。大雑把なことをするたとえ。 「擂り粉木」は、すり鉢で物をするときに用いる先の丸い棒。 先の丸い棒で四角い重箱を洗おうとしても、隅まで洗えないことから。 「連木で重箱を洗う」ともいう。 
- 席暖まるに暇あらず(せきあたたまるにいとまあらず)- 極めて忙しいことのたとえ。ゆっくり座っている暇がないほど忙しく、席が暖まる暇がないということから。 
- 赤貧洗うが如し(せきひんあらうがごとし)- 非常に貧しくて、まるで洗い流したように何もない様子。「赤」は、何もないという意。 
- 席を改める(せきをあらためる)- 会議や宴会などを、改めて別の場所で行うこと。または、別の日時に行うこと。 
- 千金の裘は一狐の腋に非ず(せんきんのきゅうはいっこのえきにあらず)- 国を治めるには、多くの有能な人材が必要だというたとえ。 「裘」は獣の毛皮で作った衣服。皮衣。「腋」は脇の下。 千金もする皮衣は、一匹の狐のわきの毛だけでは作れないとの意から。 
- 先陣を争う(せんじんをあらそう)- 一番最初に成し遂げようとして、互いに競うこと。 最初に敵陣に攻め込もうとして争うということから。 
- 千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず(せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず)- 有能な人材はいつの世にもいるが、その能力を見出して育てる優れた指導者は少ないということのたとえ。 「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。 「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。 いつの時代にも、一日に千里を走るほどの優れた馬はいるが、その名馬の能力を引き出す伯楽は、いつもいるわけではないということから。 
- 大廈の倒れんとするは一木の支うる所に非ず(たいかのたおれんとするはいちぼくのささうるところにあらず)- 大きな勢力の危機は、一人の力だけではどうすることもできないということ。 「大廈」は、大きな建物のこと。 大きな建物が倒れかけているのを、一本の木だけで支えることはできないとの意から。 「倒れんとする」は「顚れんとする」とも書く。 「一木大廈の崩るるを支うる能わず」「一木いずくんぞ能く大廈を支えん」ともいう。 
- 血で血を洗う(ちでちをあらう)- 血縁関係にある者同士が血を流し合うような争いをすること。 また、暴力に対して暴力、悪事に対して悪事で争うことのたとえ。 「血を以て血を洗う」ともいう。 
- 血は争えない(ちはあらそえない)- 血統によって受け継がれる性質は明らかであり、否定のしようがないということ。 子の性格や特徴などが、親や先祖などに似ていることをいう。 「血筋は争えない」ともいう。 
- 貞女は二夫を更めず(ていじょはじふをあらためず)- 貞淑な女性は夫が亡くなっても、再び他の夫をもつことはしないということ。 「じふ」は「にふ」ともいう。 また、「貞女は両夫に見えず」「貞女は二夫を更めず」「貞女は二夫を並べず」などともいう。 
- 天にあらば比翼の鳥地にあらば連理の枝(てんにあらばひよくのとりちにあらばれんりのえだ)- 男女・夫婦の仲がきわめてむつまじいことのたとえ。 「比翼」は、雌雄それぞれが目と翼を一つずつ持ち、二羽がいつも一体となって飛ぶとされる想像上の鳥。 「連理」は、一本の木の枝が他の木の枝とくっついて木目が連なっていること。 略して「[[比翼連理*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1402.html]]」ともいう。 
- 泥裡に土塊を洗う(でいりにどかいをあらう)- 汚さや醜さがの程度が甚だしいことのたとえ。 または、意味のないことや理解ができないことのたとえ。 土の塊を泥の中に入れて洗うということから。 
- 頭角を現す(とうかくをあらわす)- 才能や腕前が群を抜いてすぐれ、際立って目立つこと。「頭角」とは頭の先のことで、大勢の中で頭の先を他者より高く現しているという意味。 
- 時を争う(ときをあらそう)- わずかな時間も無駄にできないほど、事態が差し迫っている。急を要する。 
- 年が改まる(としがあらたまる)- 新しい年になること。または、年号が変わること。 
- 年は争えない(としはあらそえない)- 年老いると、気持ちは若いつもりでも体力の衰えは隠せないということ。 
- 同日の談にあらず(どうじつのだんにあらず)- 差がありすぎて、比べものにならない。同じ基準で語ることはできない。 
- 同日の論にあらず(どうじつのろんにあらず)- 差がありすぎて、比べものにならない。同じ基準で語ることはできない。 
- 読書百遍、義、自ずから見る(どくしょひゃっぺん、ぎ、おのずからあらわる)- どんなに難しい本でも、繰り返し何度も読めば、自然に意味がわかってくるということ。 「読書百遍、意、自ずから通ず」ともいう。 
- 無きにしも非ず(なきにしもあらず)- 全く無いとは言えない。無いということもない。少しはある。 
- 名は体を表す(なはたいをあらわす)- 名はそのものの実体を示しているということ。 
- 名を著す(なをあらわす)- 名前が広く世間に知られるようになること。 
- 熱を執りて濯わず(ねつをとりてあらわず)- わずかな労を惜しんで、すべきことをしないことのたとえ。 熱いものをつかんだ時は水で冷やすべきなのに、それをしないとの意から。 
- 軒を争う(のきをあらそう)- ぎっしりと家が立ち並んでいるさま。 
- 白馬馬に非ず(はくばうまにあらず)- 詭弁やこじつけのこと。 中国、周時代に公孫竜が、「馬」は形に名付けられた概念で「白」は色に名付けられたであるから「馬」と「白馬」は別の概念を表すという論を説いたことから。 「白馬は馬に非ず」「白馬非馬論」ともいう。 
- 鼻息が荒い(はないきがあらい)- 物事に取り組もうとする意気込みが激しい様子。 
- 花に嵐(はなにあらし)- 良い物事には邪魔が入りやすいということのたとえ。 きれいに咲いた桜の花が嵐で散ってしまうとの意から。 
- 覇を争う(はをあらそう)- 競技などで優勝を目指して互いに競い合うこと。 
- 馬脚を露す(ばきゃくをあらわす)- 隠していたことがばれてしまうたとえ。 芝居で馬の足を演じている人が姿を見せてしまうことから。 
- 人、木石に非ず(ひと、ぼくせきにあらず)- 感情を持たない木や石とは違い、人は喜怒哀楽をさまざまな形で表す感情豊かな動物であるということ。 「人は岩木に非ず」ともいう。 
- 人はパンのみにて生くるにあらず(ひとはぱんのみにていくるにあらず)- 人間は物質的満足だけを目的として生きるものではないということ。 
- 百戦百勝は善の善なる者に非ず(ひゃくせんひゃくしょうはぜんのぜんなるものにあらず)- 百回戦って百勝しても、何らかの損害がでるので得策とはいえない。戦わずに勝つことが出来れば、それが一番いい方法だということ。 
- 学ぶに暇あらずと謂う者は暇ありと雖も亦学ぶ能わず(まなぶにいとまあらずというものはいとまありといえどもまたまなぶあたわず)- 勉強したくても時間がないなどという人は、もともと学ぶ意欲がないのだから、たとえ暇があったとしても勉強はしないということ。 
- 耳を洗う(みみをあらう)- 世俗的な立身出世を避け、高潔な心でいることのたとえ。 中国古代、尭(ぎょう)から帝位を譲りたいといわれた隠士の許由(きょゆう)が、汚れた話を聞いたといって耳を洗い清めたという故事から。 「流れに耳を洗う」「潁水に耳を洗う」「耳を滌ぐ」ともいう。 
- 装いを新たにする(よそおいをあらたにする)- 今までの印象を変えるため、外観などを新しくすること。 
- 我が心石に非ず、転ずべからず(わがこころいしにあらず、てんずべからず)- 心が確固として不動であることのたとえ。 自分の心は石ではないから、転がして動かすことはできないということ。 
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