「うち」を含む故事・ことわざ・慣用句
「うち」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 95 件
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
垢も身のうち(あかもみのうち)
垢も身体の一部であるから、長湯して丹念に身体を洗うのもほどほどにせよという、風呂好きの人をからかって言うことば。「腹も身の内」をもじったことば。
足下の明るいうち(あしもとのあかるいうち)
自分が不利な状態にならないうちに、手遅れにならないうちに、ということ。
頭打ちになる(あたまうちになる)
物事が限界に達して、それ以上には上がらない状態になること。
危ないことは怪我のうち(あぶないことはけがのうち)
危ないことには、はじめから近寄るなという教え。 危険なことはもう怪我の圏内に入るとの意から。
争い果てての棒乳切り(あらそいはててのぼうちぎり)
時機に遅れて何の役にも立たないことのたとえ。 「棒乳切り」は棒の切れ端のこと。 喧嘩が終わってから、棒切れを持ち出しても役に立たないことから。 「争い果てて」は「諍い果てて」や「喧嘩過ぎて」、「棒乳切り」は「乳切り木(千切り木)」などともいう。
毬栗も内から割れる(いがぐりもうちからわれる)
誰でも年ごろになると自然と色気が出てくるということのたとえ。特に女性についていう。 鋭いとげのある毬栗でも熟せば自然にはじけて実が飛び出すとの意から。
一頭地を抜く(いっとうちをぬく)
他の人より一段と優れていること。 「一頭地」の「一頭」は頭一つ分の高さのことで、「地」は助辞で意味はもたない。 人より頭一つ分抜きん出ているとの意から。
内兜を見透かす(うちかぶとをみすかす)
相手の内情や弱点を掴むたとえ。「内兜」は兜の内側のこと。
内で掃除せぬ馬は外で毛を振る(うちでそうじせぬうまはそとでけをふる)
家庭のしつけが悪い子どもは、外に出るとすぐにわかるということのたとえ。 飼い主の手入れの悪い馬は、外に出た時に毛を振って汚れを落とそうとするので、すぐにわかるとの意から。
内に省みて疚しからず(うちにかえりみてやましからず)
自分の心の中を振り返ってみて、良心に恥じることが少しもないということ。
家の前の痩せ犬(うちのまえのやせいぬ)
後ろ盾がある時はいばり、ない時は意気地がない人のたとえ。痩せて弱い犬も飼い主の家の前では威張って吠えることから。
内裸でも外錦(うちはだかでもそとにしき)
どんなに苦しくても世間体を繕わなければ世の中をうまく渡っていくことはできないというたとえ。 貧しくて家の中では裸同然の暮らしをしていても、外に出る時はきちんとした身なりをしなければならないとの意から。
内弁慶(うちべんけい)
家の中でだけ威張っているが、外では少しの度胸もないこと。また、そのような人。陰弁慶。
内弁慶外すばり(うちべんけいそとすばり)
家の中では威張っているが外では意気地がない弱虫のこと。「すばり」は小さく縮こまること。
内孫より外孫(うちまごよりそとまご)
同居している嫁が生んだ内孫よりも、嫁に行った娘が生んだ外孫のほうがかわいいということ。 外孫は実の娘が生んだ子だからかわいらしく思われる、また、たまにしか会えないからかわいらしく思えるとの意から。
有頂天(うちょうてん)
激しく喜んで大得意になること。 仏教で、三界の中で最も上位の世界の意から。
追い打ちを掛ける(おいうちをかける)
弱っているものをさらに攻撃し、打ちのめすこと。
おっと合点承知之助(おっとがってんしょうちのすけ)
納得・承諾したことを人名になぞらえ調子よくいった言葉。 単に「合点承知之助」「合点承知」ともいう。
尾羽打ち枯らす(おはうちからす)
落ちぶれて、みすぼらしい姿になることのたとえ。 鷹の尾と羽が傷ついてぼろぼろになるとの意から。
思い内にあれば色外に現る(おもいうちにあればいろそとにあらわる)
心の中で思っていることは、自然と言動や態度にあらわれるということ。
傘と提灯は戻らぬつもりで貸せ(かさとちょうちんはもどらぬつもりでかせ)
傘と提灯は、必要な時以外は忘れがちな物だから、貸す時は返してもらえないつもりで貸せということ。
肝脳地に塗る(かんのうちにまみる)
戦場で惨たらしい死に方をすることのたとえ。また、忠誠のために犠牲を惜しまないことのたとえ。 「肝脳」は肝臓と脳髄。 死者の肝臓や脳髄が地面に散らばって泥まみれになるとの意から。
窮鳥懐に入れば猟師も殺さず(きゅうちょうふところにいればりょうしもころさず)
窮地に陥った者が救いを求めてくれば、どんな事情があっても助けるのが人情であるというたとえ。 追いつめられた鳥が自分のふところに飛び込んでくれば、さすがの猟師も殺したりは出来ないということから。
胸中、成竹あり(きょうちゅう、せいちくあり)
事をするにあたって、あらかじめ十分な見通しが立っていることのたとえ。 「成竹」は、事前に心の中で考えている計画のこと。 竹の絵を描くときには、胸の中に竹の形を思い浮かべてから描きはじめるとの意から。
錐の嚢中に処るが如し(きりののうちゅうにおるがごとし)
すぐれた人は、多くの人の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中にの錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
楔を打ち込む(くさびをうちこむ)
敵陣に攻め入って相手の勢力を二分したり、相手の組織に自分側の勢力を送り込むこと。 また、二人の仲を裂こうと邪魔をすること。 「楔」は木製や金属製のV字形をした道具。木や石などを割るときや重い物を押し上げるときに用いられる。
暮れぬ先の提灯(くれぬさきのちょうちん)
無用な事に手回しがよすぎて間が抜けていることのたとえ。
君子は庖厨を遠ざく(くんしはほうちゅうをとおざく)
君子は憐れみ深いので、動物が捌かれる姿が見えてたり動物の悲鳴が聞こえたりする厨房に近づくことは忍び難いということ。
君臨すれども統治せず(くんりんすれどもとうちせず)
国王は君主として国を治めているが政治には直接かかわらないこと。 18世紀イギリスの政治体制に由来する言葉。 「王は君臨すれども統治せず」ともいう。
結構は阿呆のうち(けっこうはあほうのうち)
あまりにお人好しなのは、馬鹿と同じだということ。 「結構は阿呆の唐名」ともいう。
巧遅は拙速に如かず(こうちはせっそくにしかず)
仕事の出来がよくて遅いよりは、下手でも速いほうがいいということ。
口中の虱(こうちゅうのしらみ)
逃げ場がなくて、非常に危険なことのたとえ。 口の中のしらみは、逃げ場がないため簡単に噛み殺されることから。
蝙蝠も鳥のうち(こうもりもとりのうち)
つまらない者が優れた者たちの中に交じっていることのたとえ。また、あまり力にならない者でも仲間には違いないというたとえ。 蝙蝠(こうもり)も空を飛ぶからには鳥の仲間であるとの意から。
碁打ちに時なし(ごうちにときなし)
碁を打つ者は勝負に夢中になって、時を忘れてしまうということ。
舌の根も乾かぬうち(したのねもかわかぬうち)
言葉を言い終わるか終わらないうちにということ。言い終わったそのすぐ後で、前言に反したことを言ったときに非難していう言葉。
衆知を集める(しゅうちをあつめる)
大勢の知恵や知識をまとめること。または、大勢の意見を聞くこと。
正直貧乏、横着栄耀(しょうじきびんぼう、おうちゃくえよう)
正直者はその正直さゆえに貧乏な生活に甘んじているのに対し、押しが強くずる賢い者は成功して栄えるというたとえ。
掌中に収める(しょうちゅうにおさめる)
望んでいたものを自分のものにすること。 「掌中に収める」ともいう。
掌中の珠(しょうちゅうのたま)
もっとも大切にしているもの。特に最愛の子ども。「珠」は尊いものの意で、いつも自分の手の中にある大切なものということから。
自家薬籠中の物(じかやくろうちゅうのもの)
いつでも自分の思うままににできる人や物のたとえ。 また、すっかり身につけた知識や技術のたとえ。 「自家」は自分のこと。「薬籠」は薬箱のこと。 自分の薬箱の薬のように、いつでも自分の思いのままに使えるもののことから。
自慢高慢、馬鹿のうち(じまんこうまん、ばかのうち)
自慢や高慢な態度は愚かしいということ。
上知と下愚とは移らず(じょうちとかぐとはうつらず)
生まれつき賢い者、また、生まれつき愚かな者はあとからの教育や環境で変わるものではないということ。「上知」はすぐれた知恵、「下愚」はきわめて愚かなこと。
先祖に討ち死にさせて高枕(せんぞにうちじにさせてたかまくら)
先祖が戦いで手柄を立てて討ち死にし、財産を残してくれたおかげで、子孫が安楽に暮らしているということ。家代々の資産で安逸な生活をおくっている者をあざけっていう言葉。「高枕」は、安心しきっていることのたとえ。
外愛嬌の内そんぶり(そとあいきょうのうちそんぶり)
外では愛嬌を振りまいているが、家では無愛想な人のこと。「そんぶり」は、無愛想の意。
添わぬうちが花(そわぬうちがはな)
結婚して一緒に生活するようになると、お互いの欠点が目立つようになるので、結婚前が一番楽しい時期だということ。
大魚は小池に棲まず(たいぎょはしょうちにすまず)
大人物はつまらない仕事や地位には満足しないというたとえ。 大きな魚は小さな池には棲んでいないという意味から。
太刀打ちができない(たちうちができない)
相手のほうが力が上で、勝負にならない。相手にならない。 「太刀打ちできない(たちうちできない)」ともいう。
田作りも魚のうち(たづくりもうおのうち)
弱小で無力な者でも仲間には違いがないというたとえ。「田作り」はごまめの別名で鰯の幼魚。ごまめのように小さな魚でも、魚の仲間に違いはないということから。
掌の内(たなごころのうち)
まるで手の中にあるかのように、物事が自分の思い通りになること。 「掌」は、てのひらのこと。
矯めるなら若木のうち(ためるならわかぎのうち)
樹木の枝などの形を整えるなら柔らかい若木のうちにせよということ。 人間の悪い癖や欠点なども若いうちになおすのがよいというたとえ。 「矯める」は曲げたり伸ばしたりして形を整えること。
提灯で餅を搗く(ちょうちんでもちをつく)
思い通りにいかないことのたとえ。 または、年老いた男性の性事情を馬鹿にしていう言葉。
提灯に釣り鐘(ちょうちんにつりがね)
釣り合わないこと、比較にならないことのたとえ。提灯と釣り鐘は形は似ているが重さがまるで違うことから。
提灯持ち(ちょうちんもち)
人の手先になって、その人のことを褒めて回ること。また、それをする人。
提灯持ち川へはまる(ちょうちんもちかわへはまる)
人を導くべき人が、先に失敗してしまうことのたとえ。提灯を持って先導する人が、自分の足元が暗いため川に落ちてしまうということから。
提灯持ちは先に立て(ちょうちんもちはさきにたて)
指導的立場にある人は、先頭に立って模範を示すべきであるということ。 提灯を持って先導する人が先頭に立たずに後ろを歩いていても役に立たないとの意から。
提灯を持つ(ちょうちんをもつ)
ある人の手先になって、頼まれてもいないのに、その人を褒めたり宣伝したりすること。
月夜に提灯(つきよにちょうちん)
不必要なことのたとえ。月夜に提灯は必要ないことから。「月夜に提灯夏火鉢」と続けてもいう。
月夜に提灯も外聞(つきよにちょうちんもがいぶん)
実際は不必要なことでも、世間体のためにしなければならないたとえ。月夜に提灯をともすような無駄なことも、世間体のために必要なこともあるということから。
鉄は熱いうちに打て(てつはあついうちにうて)
人は精神が柔軟な若いうちに、頭も身体も鍛えるべきであるというたとえ。また、物事は時機を逸せず、みんなの熱意があるうちに行えというたとえ。鉄は熱して柔らかい間は自由な形に加工しやすいことから。
手の内を見せる(てのうちをみせる)
自分の能力を相手に示すこと。 または、心の中で考えていることや秘密にしている計画などを相手に明かすこと。
遠目、山越し、笠の内(とおめ、やまごし、かさのうち)
遠くから見るとき、山越しに見るとき、また、笠に隠れた顔の一部をちらりと見る時は、はっきりと見えないので、実際以上に美しく感じられるということ。
仲人は宵のうち(なこうどはよいのうち)
仲人は結婚式での務めを終えたら、長居せずに引き上げたほうがよいということ。 「仲人は宵のうち」「仲人は宵の程」ともいう。
成らぬうちが頼み(ならぬうちがたのみ)
物事は、出来上がる前は期待して楽しみにするが、出来上がると気が抜けてしまうということ。また、出来上がるまでは人を頼りにするが、出来上がると頼った相手に知らん顔をするのが世の常だということ。
盗人の提灯持ち(ぬすびとのちょうちんもち)
悪人の手先となって、手助けをすること。「提灯持ち」は、夜道に提灯を持って先に行く人。転じて、人の手先になって、その人をほめ従う者。
嚢中の錐(のうちゅうのきり)
すぐれた人は、大衆の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中にの錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
嚢中の物を探るが如し(のうちゅうのものをさぐるがごとし)
袋の中の物を探すように、非常に簡単なことのたとえ。 「嚢中」は袋の中。 「袋の物を探るが如し」ともいう。
白玉楼中の人となる(はくぎょくろうちゅうのひととなる)
文人が死ぬことのたとえ。 「白玉楼」は文人が死後に行くといわれる白玉造りの高楼のことで、その中の人となるとの意から。
裸で道中はならぬ(はだかでどうちゅうはならぬ)
何事にもそれなりの準備が必要だということ。 無一文では旅は出来ないとの意から。
花盗人は風流のうち(はなぬすびとはふうりゅうのうち)
美しい花を、つい一枝折ってしまうのは風流というもので、とがめるほどのことではないということ。
早飯も芸の中(はやめしもげいのうち)
飯を早く食べることも、特技の一つだということ。
腹も身のうち(はらもみのうち)
腹も体の一部だから暴飲暴食は慎めということ。
万死の中に一生を得(ばんしのうちにいっしょうをう)
ほとんど助かる見込みがないと思われる危険な状態に陥りながら、かろうじて助かること。 「十のうち、九が死、一が生」のような助かる見込みがほとんどない状況で生き残るとの意から。 「万死に一生を得る」「万死の中に一生を得」「万死を出でて一生に遇う」「九死一生」などともいう。
万緑叢中紅一点(ばんりょくそうちゅうこういってん)
多数の男性の中に、女性が一人華やかに混じっていることのたとえ。また、多くのものの中で、ただ一つ際立っているもののたとえ。 「万緑」は見渡す限り一面の緑、「叢中」はくさむらの中のこと。 見渡す限りの緑の草木の中に、紅い花が一輪あでやかに咲いている意から。 略して「[[紅一点*https://kokugo.jitenon.jp/word/p15923]]」ともいう。
火打ち石据え石にならず(ひうちいしすえいしにならず)
小さいものでは大きいものの代わりにはならないというたとえ。火打ち石は火をおこすときは役立つが、家の土台石にはならないということ。
日方と手間取りは日のうち(ひかたとてまどりはひのうち)
日雇いの仕事が夕方には終わるように、南風も夕方にはやむということ。「日方」は日のある方から吹く風。南西風、南東風のこと。「手間取り」は日雇い仕事のこと。
卑下も自慢のうち(ひげもじまんのうち)
表面では謙遜しているふりをしながら、内心では人をうらやましがらせることを意図して話す様子。過度の謙遜は自慢の一種であるということ。
左団扇(ひだりうちわ)
利き手ではない左手に団扇を持ってゆうゆうとあおぐことから、気楽でゆとりのある暮らしのたとえ。 一般的には利き手ではない左手に団扇を持つことで苦労がない様子を表した言葉。
陽の照っているうちに干し草を作れ(ひのてっているうちにほしくさをつくれ)
好機は逃さずに役に立てよということ。 「太陽の照っているうちに干し草を作れ」ともいう。
百も承知、二百も合点(ひゃくもしょうち、にひゃくもがてん)
言われるまでもなく、十分に理解しているということ。 「合点」は、承知のこと。 単に「百も承知」ともいうが、「二百も合点」と続けて意味を強めた言葉。