「が」を含む故事・ことわざ・慣用句
「が」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1359 件
ない子に泣かないが有る子に泣く(ないこにはなかないがあるこになく)
子育てには苦労があり時には泣かされることもあるが、たとえ苦労させられても子どもはいたほうがよいということ。 「ない子に泣かないが有る子に泣く」「ない子では泣かである子に泣く」などともいう。
無い物食おうが人の癖(ないものくおうがひとのくせ)
十分にある物は欲しがらず、ないとわかっている物をほしがること。わがままを言うこと。 「無い物食おうが人の癖」ともいう。
苗の莠有るが若し(なえのゆうあるがごとし)
善人の中に悪人が交じっていることのたとえ。 「莠」は、はぐさ。穀物の稲に似た雑草で、稲の苗の成長を害する。 悪人が善人の中に紛れ込んでいる状況を、稲の苗の中に雑草である莠(はぐさ)が混じっている様子にたとえた言葉。
直き木に曲がる枝(なおききにまがるえだ)
どんなに正しい人でも欠点や弱点があることのたとえ。 まっすぐな木にも曲がった枝がついているとの意から。
名が上がる(ながあがる)
名声を獲得すること。有名になること。
長い浮き世に短い命(ながいうきよにみじかいいのち)
この世が長く続いているのに比べて、人の命ははかなく短いということ。 「長い月日に短い命」ともいう。
長居する鷺蟇目に遭う(ながいするさぎひきめにあう)
長く同じ場所に留まっている鷺は、目立つために人間に狙われ、蟇目の矢(矢の一種である鏑矢)で射られる。 長居は慎むべきであるという戒め。 「長居する鷺汁になる」ともいう。
永い眠りにつく(ながいねむりにつく)
死ぬことを眠りに見立てた婉曲(えんきょく)表現。直接的な死の表現を避け、穏やかな眠りにたとえることで、故人への哀悼と慎ましさを表す。
長居は恐れ(ながいはおそれ)
他人の家に長く居るのはよくないということ。
長居は無用(ながいはむよう)
その場に長く居るのはよくないので、早々に引き上げたほうがよいということ。
長い目で見る(ながいめでみる)
現状だけで判断せず、気長に将来を見守ること。
長い物には巻かれろ(ながいものにはまかれろ)
力のある者には反抗せずに、おとなしくしているのが得策だということ。
長い草鞋を履く(ながいわらじをはく)
1.旅に出発すること。 2.罪を犯した者が、追及を逃れるために土地を離れて旅に出ること。 3.商人や仲介者が、取引において価格を偽ること。物の値段をごまかして利益を得る行為。 「穿く」は「履く」とも書く。 また、「長い草鞋を履く」ともいう。
名が売れる(ながうれる)
名前が広く世間に知られること。有名になること。
長追いは無益(ながおいはむえき)
勝ちに乗じて深追いすると、思わぬ反撃を受け不利な立場に陥ることもあるので、ほどほどにするのが賢明ということ。 「長追いは無用」ともいう。
長口上は欠伸の種(ながこうじょうはあくびのたね)
長話は人を退屈させるから、話は簡潔にせよということ。
長崎ばってん、江戸べらぼう、神戸兵庫のなんぞいや、ついでに丹波のいも訛(ながさきばってん、えどべらぼう、こうべひょうごのなんぞいや、ついでにたんばのいもなまり)
各地の方言の特徴をとらえて語調よくいったことば。
流し目を送る(ながしめをおくる)
異性の気を引こうとして色目を使うこと。 「流し目」は、顔はそのままで瞳だけを横にむけること。
名が高い(ながたかい)
その人の価値や能力が高く評価され、その名が広く世間に知れ渡っていること。
名が立つ(ながたつ)
評判が高くなり、世間の噂になることのたとえ。
名が通る(ながとおる)
名前が世間に広く知られていること。
名が泣く(ながなく)
高い名声や評判にそぐわないようなことをして、評価を下げること。
長持枕にならず(ながもちまくらにならず)
大は小を兼ねるとはいえ、大き過ぎるものは、必ずしも小さなものの代わりを果たせるわけではないということ。 長持(衣装箱)が大きくて枕に似ているからといって、その大きさゆえに枕としての役割を果たせないことから。
流れ川に大魚なし(ながれがわにたいぎょなし)
大人物や才能ある者がその力を発揮するには、適した環境が必要であるということ。 大きな魚は深い淵(ふち)に棲むもので、流れの速い浅い川にはいないことから。
流れ川を棒で打つ(ながれがわをぼうでうつ)
無駄骨を折ることや、やりがいのない行為のたとえ。 流れゆく川の水面を棒で叩いても、水の流れには何の影響も与えられないことから。
流れに棹さす(ながれにさおさす)
時流に乗って、物事が順調に進むことのたとえ。 棹を水底にさすことで、うまく水の流れに乗って舟を進めるとの意から。 「時流に逆らう」との意で用いることは本来誤用。
流れに枕し石に漱ぐ(ながれにまくらしいしにくちすすぐ)
負け惜しみが強いことのたとえ。また、屁理屈をつけて自分の間違いを正当化することのたとえ。晋の孫楚が「石に枕し、流れに漱ぐ」というべきところを間違えて「石に漱ぎ、流れに枕す」といった時、「石に漱ぐとは歯を磨くこと、流れに枕すとは耳を洗うことだ」とこじつけた故事から。夏目漱石の号もこの故事から。
流れに耳を洗う(ながれにみみをあらう)
世俗的な立身出世を避け、高潔な心でいることのたとえ。 中国古代、尭(ぎょう)から帝位を譲りたいといわれた隠士の許由(きょゆう)が、汚れた話を聞いたといって耳を洗い清めたという故事から。 「流れに耳を洗う」「潁水に耳を洗う」「耳を滌ぐ」ともいう。
流れる水は腐らず(ながれるみずはくさらず)
常に動いているものは、停滞することがないということ。
流れを汲みて源を知る(ながれをくみてみなもとをしる)
末を見て、その本(もと)を推し量ること。 また、言動を見れば、その人の人柄や気持ちが自然にわかるというたとえ。 流れている水を汲み取り、水源の様子を察知するとの意から。
流れを汲む(ながれをくむ)
家系・流儀・流派などを受けつぐこと。
泣きっ面を蜂が刺す(なきっつらをはちがさす)
悪い事が重なって起こることのたとえ。 泣いている顔を、さらに蜂が刺すということから。 「泣き面に蜂」「泣きっ面を蜂が刺す」ともいう。
鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす(なくせみよりもなかぬほたるがみをこがす)
態度に出す者よりも態度に出さない者のほうが、心の中に切実な思いを秘めているというたとえ。 激しく鳴く蝉よりも、鳴くことのない蛍のほうが強い思いを秘めていて、その思いから身を焦がすように光っているとの意から。 単に「鳴かぬ蛍が身を焦がす」ともいう。
情けが仇(なさけがあだ)
親切や同情からしたことが、かえって相手のためにならない結果となること。
七下がり七上がり(ななさがりななあがり)
人生は不安定で、何度も浮き沈みを繰り返すということ。
七度尋ねて人を疑え(ななたびたずねてひとをうたがえ)
物がなくなった時には、自分でよく探してみるのが先で、軽率に人を疑ってはいけないという戒めの言葉。 七回探しても見つからない時に、はじめて他人を疑うべきとの意から。 「七度探して人を疑え」
七つ下がりの雨と四十過ぎての道楽はやまぬ(ななつさがりのあめとしじゅうすぎてのどうらくはやまぬ)
七つ下がりから降り出した雨と、中年になってから覚えた道楽はなかなかやまないということ。「七つ下がり」は午後四時過ぎのこと。
某より金貸し(なにがしよりかねかし)
地位や名誉より実利を重んじることのたとえ。家柄がよくても貧しい者より、金貸しと卑しく思われても金持ちのほうがいいということ。「なにがし」と「かねかし」を語呂合わせした言葉。
何が何でも(なにがなんでも)
たとえどのようなことがあっても。
鍋の鋳掛けが釣り鐘を請け合ったよう(なべのいかけがつりがねをうけあったよう)
自分の能力以上の仕事を引き受けて、大騒ぎをすることのたとえ。 鍋を修理する鋳掛け屋が、釣り鐘作りを請け負ったようだとの意から。
生兵法は大怪我の基(なまびょうほうはおおけがのもと)
中途半端な知識や技術で物事を行うことはきわめて危険であるというたとえ。 「生兵法」は、未熟な兵法や武術のこと。また、十分身についていない知識や技術のこと。 中途半端に身につけた兵法や武術は、頼りになるどころか、かえって大けがの原因になるとの意から。 「生兵法は大疵(おおきず)の基」ともいう。 「基」は「元」とも書く。
波風が絶えない(なみかぜがたえない)
絶えず揉め事や争い事がある様子。
波風が立つ(なみかぜがたつ)
それまで平穏だったところから、揉め事や争い事が生じるたとえ。
成らぬうちが頼み(ならぬうちがたのみ)
物事は、出来上がる前は期待して楽しみにするが、出来上がると気が抜けてしまうということ。また、出来上がるまでは人を頼りにするが、出来上がると頼った相手に知らん顔をするのが世の常だということ。
ならぬ堪忍、するが堪忍(ならぬかんにん、するがかんにん)
これ以上は我慢できないというところを耐え抜くのが、真の忍耐だということ。
並ぶ者がない(ならぶものがない)
一番優れていて、その人に匹敵する者がいないということ。
生る木は花から違う(なるきははなからちがう)
すぐれた人物は、子どもの頃から凡人とは違うというたとえ。 よく実のなる木は、花が咲くときからわかるとの意から。 「実を結ぶ木は花より知らるる」「生る木は花から違う」ともいう。
名を汚す(なをけがす)
名誉に反する行為をして、その名誉を傷つけること。
荷が重い(にがおもい)
その人が備えている能力に比べて、責任や負担が重すぎる様子。
荷が勝つ(にがかつ)
その人が備えている能力に比べて、責任や負担が重すぎる様子。
逃がした魚は大きい(にがしたさかなはおおきい)
手に入れそこなったものは惜しさが加わって、特にすぐれたもののように感じられるというたとえ。「魚」は「うお」とも読む。 「逃した魚は大きい」「逃げた魚は大きい」「釣り落とした魚は大きい」ともいう。
二月は逃げて走る(にがつはにげてはしる)
正月が終わったと思っていると、二月もあっという間に終わり、すぐに三月がやってくる。二月は、まるで走って逃げるかのように早く過ぎ去るように感じるということ。 「二月」と「逃げる」の「に」を掛けて言ったもの。 「二月は逃げて去る」ともいう。
苦虫を噛み潰したよう(にがむしをかみつぶしたよう)
ひどく苦々しい表情のたとえ。「苦虫」は、噛めばさぞかし苦いだろうと想像される虫のこと。
肉が落ちる(にくがおちる)
一目でわかるほど、痩せること。
逃ぐるが一の手(にぐるがいちのて)
困難に直面したら、とりあえず逃げて身の安全をはかるのが上策だということ。また、面倒なことは避けるのが一番いい方法だということ。
逃げるが勝ち(にげるがかち)
場合によっては、その場は逃げるほうが結局は勝利を得られるということ。
西から日が出る(にしからひがでる)
絶対にありえないことのたとえ。
錦着ての奉公より襤褸着ての我が世(にしききてのほうこうよりつづれきてのわがよ)
高価な着物を着られても、奉公人として人に頭を下げるより、たとえぼろ着でも自由な暮らしをしたいということ。
錦を衣て夜行くが如し(にしきをきてよるゆくがごとし)
暗い夜道を錦を着て歩いても誰にもわかってもらえないのと同じで、いくら出世しても故郷に帰らなければ人々に知ってもらうことはできないので、出世した甲斐がないということ。
西と言えば東と言う(にしといえばひがしという)
人の言う事にいちいち反論するようす。
西と言ったら東と悟れ(にしといったらひがしとさとれ)
人の言葉には表と裏があるもので、言葉の裏に隠された真意を察することが大切であるということ。 人が西と言っても、本意は東だと悟らなければいけないとの意から。
西も東も分からない(にしもひがしもわからない)
その土地の地理がまったくわからないこと。 また、物事の判断がつかないこと。
担えば棒が折れる(になえばぼうがおれる)
二つの荷物がどちらとも同じように重いので、担ごうとすると担い棒が折れてしまうということ。 二つの物がどちらも捨てがたく、優劣もつけがたいことのたとえ。
二の句が継げない(にのくがつげない)
あきれて次に言うべき言葉が出ないこと。「二の句」は次に言う言葉の意。
二の矢が継げない(にのやがつげない)
次に打つべき手段がないことのたとえ。 「二の矢」は、二度目に射る矢。 二度目に射る矢がないとの意から。
二八月は船頭のあぐみ時(にはちがつはせんどうのあぐみどき)
二月と八月は、海が荒れて舟が出せない日が多いので、船頭も困るということ。
女房と畳は新しいほうがよい(にょうぼうとたたみはあたらしいほうがよい)
妻と畳は新しいほうが、新鮮な気分がしてよい。何でも新しいほうが気持ちがよいということ。
睨みが利く(にらみがきく)
他者を威圧し、押さえつけるだけの力量があること。
人間は考える葦である(にんげんはかんがえるあしである)
人間は自然の中ではか弱い存在であるが、思考する存在としては偉大であるということ。フランスの哲学者パスカルの「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」という言葉から。
人相見の我が身知らず(にんそうみのわがみしらず)
他人の運命についてあれこれ占う人相見も、自分の事は正しい判断がつかないということ。「人相見」は、人相を見て運命を判断することを職業とする人のこと。
糠味噌が腐る(ぬかみそがくさる)
調子外れの下手な歌いぶりをからかうことば。
抜け駆けの功名(ぬけがけのこうみょう)
人を出し抜いて手に入れた手柄。「抜け駆け」は自分の戦陣を抜け出して、人より先に敵陣に攻め込むこと。
抜け目がない(ぬけめがない)
自分が損をしないように要領よく振るまう様子。
盗人が盗人に盗まれる(ぬすびとがぬすびとにぬすまれる)
上には上があるというたとえ。 泥棒が逆に自分の物を盗まれてしまうとの意から。
盗人の昼寝も当てがある(ぬすびとのひるねもあてがある)
ひそかに悪事をたくらんで準備をしていること。また、何をするにも思惑があるということ。 盗人が夜の盗みに備えて昼寝をすることから。 「盗人の昼寝も当てがある」ともいう。
盗人を捕らえて見れば我が子なり(ぬすびとをとらえてみればわがこなり)
思いがけない事態に直面し、処置に窮することのたとえ。また、親しい者でも油断できないというたとえ。
盗みする子は憎からで縄掛くる人が恨めしい(ぬすみするこはにくからでなわかくるひとがうらめしい)
盗みをした我が子を憎まず、その子を捕まえて縄を掛けた相手を恨むという、親の身びいきのたとえ。
濡れ紙を剝がすよう(ぬれがみをはがすよう)
濡れた紙を剥がすように、物事を静かに取り扱うようす。また、病気が日に日に快方に向かうようすのたとえ。
寝息を窺う(ねいきをうかがう)
相手の睡眠中に悪事をしようとすること。 また、相手が眠っているかどうか、様子を確認すること。
寧日がない(ねいじつがない)
焦りや不安などから、一日も心の休まる日がないことのたとえ。