「け」を含む故事・ことわざ・慣用句
「け」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 687 件
人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む(ひとさけをのむ、さけさけをのむ、さけひとをのむ)
酒の飲み始めは人に自制する心があるが、そのうちに惰性で酒を飲むようになり、やがては酒に飲まれて乱れてしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒めの言葉。
一つよければまた二つ(ひとつよければまたふたつ)
人間の欲望には限りがないということ。 一つ願いが叶えば、もう一つ、さらにもう一つと欲が出て満足することがないとの意から。
人の意見は四十まで(ひとのいけんはしじゅうまで)
40歳を過ぎた人間に意見をしても効果がないということ。また、それくらいの年齢になると、本人の考えを尊重すべきであるということ。
人の子の死んだより我が子の転けた(ひとのこのしんだよりわがこのこけた)
他人の子どもが死んだことよりも、自分の子が転んだことのほうが重要だということ。我が子の大事さのたとえ。また、自分の利益が一番大事ということのたとえ。
人の情けは世にある時(ひとのなさけはよにあるとき)
世間の人が好意を示してくれるのは、こちらの羽振りがよく栄えている間だけで、落ち目になると誰も見向きもしないということ。
人は見かけによらぬもの(ひとはみかけによらぬもの)
人の性質や能力は外見だけでは判断しにくく、外見と中身は往々にして異なることが多いので、外見だけで軽々しく判断してはいけないということ。
人を見て法を説け(ひとをみてほうをとけ)
相手をよく見きわめて、それにふさわしい方法を取れということ。 相手の人柄や能力を見て、その人に適した仏法を説けとの意から。 「人」は「にん」ともいう。
火のない所に煙は立たぬ(ひのないところにけむりはたたぬ)
火の気がない所に煙が立たないように、根拠がまったくないところに噂は立たない。噂が立つのは、なんらかの根拠があるはずだということ。
百聞は一見に如かず(ひゃくぶんはいっけんにしかず)
人から繰り返し聞くよりも、一度でも自分の目で見たほうがよくわかるということ。 人の話を百回を聞いたところで、実際に一回見ることには及ばないとの意から。
冷や酒と親の意見は後で利く(ひやざけとおやのいけんはあとできく)
親の意見は聞き流してしまいがちだが、後になると納得できて、なるほどと思うようになるということ。冷酒は飲んですぐより、あとから酔いが回ってくる意から。
広い世間を狭くする(ひろいせけんをせまくする)
恥ずかしい行いなどのために、肩身を狭くしてしまうということ。
火を避けて水に陥る(ひをさけてみずにおちいる)
一つの災難を避けて、すぐまた別の災難に遭うことのたとえ。 火に焼かれることを避けられたと思ったら、水に落ちて溺れることから。
火を付ける(ひをつける)
物に点火すること。または、事件や議論などの原因を作ること。
牝鶏晨す(ひんけいあしたす)
女性が権勢を振るうことのたとえ。 「牝鶏」はめんどり、「晨す」は夜明けを告げること。 雄が知らせるべき夜明けをめんどりが鳴いて知らせるとの意から。 昔は国や家庭を滅ぼす前兆とされていた。 「雌鶏の晨する」ともいう。
笛吹けども踊らず(ふえふけどもおどらず)
誘ったり勧めたりしても、相手がそれに応じて動かないことのたとえ。
吹けば飛ぶよう(ふけばとぶよう)
取り上げるほどでもないこと。些細なこと。
布施ない経に袈裟を落とす(ふせないきょうにけさをおとす)
報酬が少ない時には、仕事に熱が入らずにいい加減になるということ。 「布施」は、僧侶に読経などの謝礼として渡す金品のこと。 布施が少ない時、僧侶は袈裟をつけずに経を読むとの意から。 「布施ない経は読まぬ」「布施だけの経を読む」「布施見て経を読む」ともいう。
二股を掛ける(ふたまたをかける)
同時に二つの目的を遂げようとすること。または、結果がどちらに転んでも良いように、両方に関係を持つこと。一方に決めず、どちらにも関与しておく態度を表す。
蓋を開ける(ふたをあける)
物事を始めること。 または、物事の状況や結果などを確認すること。
舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ)
古いしきたりや習わしにとらわれて、状況の変化に応じることができない愚かさのたとえ。 中国の楚の人が舟で長江を渡る途中に乗っている舟から剣を落としたため、慌てて舟べりに印をつけて、舟が岸に着いた後に印をつけた場所の川底を捜したという故事から。 「舟に刻(こく)して剣を求む」「剣を落として舟を刻む」「刻舟」ともいう。
篩に掛ける(ふるいにかける)
多くのものをより分けて、よいものを選別する。
刎頚の交わり(ふんけいのまじわり)
きわめて親しい交際のたとえ。 「刎頸」は首をはねること。 相手のためなら、たとえ首をはねられても後悔しないほどの交わりとの意から。 また、この交わりで結ばれた親友を「刎頸の友」という。
踏んだり蹴ったり(ふんだりけったり)
悪いことが続けて起こる様子。
武士の情け(ぶしのなさけ)
武士が自分より弱い者に与える恩恵のこと。転じて、強い者が弱い者をあわれんで思いやる気持ちのたとえ。
平家を滅ぼすは平家(へいけをほろぼすはへいけ)
自分をだめにするのは、自分自身だというたとえ。平家が滅びたのは、驕り高ぶった平家自身の自業自得だったとの意から。
兵強ければ則ち滅ぶ(へいつよければすなわちほろぶ)
兵力が強大だと、おごりや油断が生じ、かえって敗戦の原因になるということ。
弁慶に薙刀(べんけいになぎなた)
十分強いものがさらに強みをますことのたとえ。 何も持たなくても強い弁慶に、一番得意とする武器の薙刀を持たせることから。
弁慶の立ち往生(べんけいのたちおうじょう)
進むことも退くこともできない状態のたとえ。源義経の家来の弁慶が、衣川の合戦で義経をかばって矢を受け、立ったまま死んだという伝説から。
弁慶の泣き所(べんけいのなきどころ)
向こうずね。また、中指の第一関節から先。転じて、強い者の弱点・急所。 弁慶ほどの豪傑でも、蹴られれば痛がって泣く急所の意から。
ペンは剣よりも強し(ぺんはけんよりもつよし)
文章などによる言論の力は武力よりも強大な力を持っているということ。イギリスの政治家・小説家リットンの戯曲『リシュリュー』の中の言葉から。
帆掛け船に艪を押す(ほかけぶねにろをおす)
勢いのあるものに、さらに力を加えることのたとえ。 帆に風を受けて走る舟に、さらに艪を使うとの意から。
星を分ける(ほしをわける)
勝負などで勝ちと負けの数が同じになること。
細くも長けれ(ほそくもながけれ)
たとえ細々とでも長生きするのが大事だということ。
仏千人、神千人(ほとけせんにん、かみせんにん)
世の中には悪い人間もいるが、仏や神のようなよい人間もたくさんいるということ。
仏造って魂入れず(ほとけつくってたましいいれず)
ほとんど仕上がっているのに、肝心な部分が抜け落ちていること。 仏像を作っても、魂を入れ忘れるとの意から。
仏の顔も三度(ほとけのかおもさんど)
どんなに温和な人でも、繰り返しひどい仕打ちをされると腹を立てるというたとえ。 慈悲深い仏でも、顔を三度もなでられると腹を立てるとの意から。 「地蔵の顔も三度」ともいう。
仏の沙汰も銭(ほとけのさたもぜに)
この世は金次第でどうにでもなるということのたとえ。 仏がその人を救うかどうかさえも寄付した金銭の多さで変わるということから。
仏の光より金の光(ほとけのひかりよりかねのひかり)
人の心は、仏のありがたさよりも金の力にひかれやすいというたとえ。
仏は見通し(ほとけはみとおし)
神様は人々のどんなに小さい行為でも見抜いているので誤魔化すことはできないということ。 「神様はお見通し」「天道様はお見通し」「天は見通し」「神仏は見通し」「仏は見通し」などともいう。
仏ほっとけ神構うな(ほとけほっとけかみかまうな)
信心も信仰も度が過ぎないほうがいいということ。「仏」と「ほっとけ」、「神」と「かまうな」と語呂合わせして調子よくいった言葉。
仏も昔は凡夫なり(ほとけもむかしはぼんぷなり)
どんな人間でも努力すれば、仏のように立派になれるということ。 釈迦も元は凡夫だったが、修行の末に悟りを開くことができたとの意から。 「仏も本は凡夫なり」ともいう。
骨折り損のくたびれ儲け(ほねおりぞんのくたびれもうけ)
苦労するだけで、少しも成果が上がらないこと。江戸いろはがるたの一つ。
骨身を削る(ほねみをけずる)
身体が痩せ細るほどの努力や苦労をすること。
法螺と喇叭は大きく吹け(ほらとらっぱはおおきくふけ)
嘘をつくなら人が信じないような大ぼらを吹け。そういう嘘なら人も傷つけず、嘘だとわかっても腹も立たないということ。 「法螺」は、山伏が吹く法螺貝のことで、ここではでたらめの意。吹き鳴らす法螺貝と喇叭を調子よく並べた言葉。
本卦還り(ほんけがえり)
数え年六十一歳のこと。六十年で再び生まれた年の干支に還ることから。 「本卦還り」ともいう。
本卦還りの三つ子(ほんけがえりのみつご)
年をとって、まるで幼児のように無邪気なってしまうこと。「本卦還り」は、還暦のこと。
忘形の交わり(ぼうけいのまじわり)
容貌や地位などにとらわれない親しい交わり。
坊主捨て置け医者大事(ぼうずすておけいしゃだいじ)
急病の時は、急いで医者を呼ぶのが大事だということ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)
その人が憎いと、それに関係するすべてのものが憎くなるということ。 僧侶が憎いと、着ている袈裟まで憎らしく思えてくるとの意から。
坊主丸儲け(ぼうずまるもうけ)
元手なしで、思いがけずに儲かった時に言う言葉。僧侶は資本や経費が不要でお布施などの利益を得られるということから。
墓穴を掘る(ぼけつをほる)
身を滅ぼしてしまうような原因を自ら作ることのたとえ。 「墓穴」は棺や骨壷を埋葬するための穴。 自分を葬るための墓穴を自ら掘るとの意から。
牡丹に唐獅子、竹に虎(ぼたんにからじし、たけにとら)
絵になる取り合わせのよいもののたとえ。
ボタンを掛け違える(ぼたんをかけちがえる)
食い違いや矛盾などがあったことに後になってから気づくこと。 衣服のボタンを掛けるときに一つ間違えるとその後が全てずれるということから。
間が抜ける(まがぬける)
ものごとの大事な点が欠けており、馬鹿げたように見えること。
負け惜しみの減らず口(まけおしみのへらずぐち)
負けた者が強情を張って憎まれ口を叩くこと。
負けが込む(まけがこむ)
勝負などで、負けた回数が多くなること。
負けず劣らず(まけずおとらず)
両者が同じ程度で、優劣がつけにくいこと。互角なさま。
負け博打のしこり打ち(まけばくちのしこりうち)
博打に負けた者が、負ければ負けるほど博打を打つこと。
負けるが勝ち(まけるがかち)
相手に勝ちを譲っておくほうが、結局は得策だということ。
股に掛ける(またにかける)
各地を歩きまわること。 また、広い地域にわたって活躍すること。
真に受ける(まにうける)
相手の言ったことを、本当のことだと思い信用すること。
眉に唾をつける(まゆにつばをつける)
騙されないように用心するたとえ。狐や狸に化かされないためには眉に唾を付けるのがよいという俗説から。 また、「眉に唾を塗る」「眉に唾する」ともいう。
見掛け倒し(みかけだおし)
看板だけが立派で、実情が伴わないこと。 見かけはよくても、内容が乏しいこと。
見掛けばかりの空大名(みかけばかりのからだいみょう)
見かけは豪勢だが、中身は貧弱なことのたとえ。
水清ければ魚棲まず(みずきよければうおすまず)
あまりにも心が清らかで真面目な人は、逆に人から敬遠されて孤立してしまうというたとえ。水が清らかすぎると、餌もなく隠れる所もないので魚が棲みつかない意から。
水を向ける(みずをむける)
自分の思い通りに、相手が関心を持つようにしむけること。
味噌を付ける(みそをつける)
失敗して面目を失うことのたとえ。
道が開ける(みちがひらける)
問題を解決する方法がみつかること。 また、進むべき方向がわかって、希望が持てるようになること。
道を付ける(みちをつける)
あとに続く人のために、先立って糸口をつくること。
源清ければ流れ清し(みなもときよければながれきよし)
清らかな水源を持った川は、下流も自然に清らかになるように、上に立つ者の行いが正しければ、下の者の行いも正しくなるということ。
見ぬは極楽、知らぬは仏(みぬはごくらく、しらぬはほとけ)
見たり知ったりすれば腹が立つことも、わからなければ穏やかな気持ちでいられるということのたとえ。 不愉快な事も、見なければ極楽気分でいられるし、知らなければ仏様のように心穏やかでいられるとの意から。
身の毛がよだつ(みのけがよだつ)
恐ろしい目にあって全身の毛が逆立つほど、ぞっとする様子。
耳を傾ける(みみをかたむける)
その人の話を熱心にきくこと。
耳を汚す(みみをけがす)
つまらない話や嫌な話を聞かせ、相手を不快にさせること。
胸が裂ける(むねがさける)
悲しさや悔しさなどから、耐えられないほどの苦しさを感じるさま。 「胸が張り裂ける」ともいう。
胸が焼ける(むねがやける)
食べ過ぎたり飲み過ぎたりして、みぞおち周辺に焼けるような不快感を覚えること。 「胸焼けがする」ともいう。
無明の酒に酔う(むみょうのさけによう)
煩悩にとらわれ真理を理解できず、思い惑うことのたとえ。「無明の酒」は人を惑わす煩悩を、正常な心を失わせる酒にたとえた言葉。
紫の朱を奪う(むらさきのあけをうばう)
邪道なものが正しいものに取って代わること、地位を奪うことのたとえ。 古代中国で中間色の紫色の服が流行り、正色とされていた朱色の服よりも好まれるようになったことを孔子が憎み嘆いたという故事から。 「朱を奪う紫」ともいう
明暗を分ける(めいあんをわける)
あることがきっかけとなり、勝ち負けや幸不幸などが区別されること。
目から入って耳から抜ける(めからはいってみみからぬける)
見ただけで何も覚えず、理解していないことのたとえ。