「こ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「こ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1209 件
たまに出る子は風に遭う(たまにでるこはかぜにあう)
普段しないようなことをすると、失敗したりひどい目に遭ったりするというたとえ。 めったに外に出ない子がたまに外出すると、その日に限って大風が吹くとの意から。
玉の輿に乗る(たまのこしにのる)
女性が、身分の高い人や金持ちの妻になること。 「玉の輿」は、貴人の乗る立派な乗り物のこと。
玉の杯、底なきが如し(たまのさかずき、そこなきがごとし)
外見はすばらしいが、肝心なところに欠点があり、実際には約に立たないもののたとえ。 美しい杯も、底がなければ使い物にならないとの意から。
玉を転がすよう(たまをころがすよう)
音や声が高く澄んで美しい様子の形容。
民の声は神の声(たみのこえはかみのこえ)
民衆の言うことは真理であり、神の言葉に等しい。為政者は世論に耳を傾けるべきであるということ。イギリスの神学者アルクインの書簡にある言葉。
民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず(たみはこれによらしむべし、これをしらしむべからず)
人民に命令して従わせることは出来るが、その原理を理解させるのは難しいということ。
足らず余らず子三人(たらずあまらずこさんにん)
子どもは三人いるのが、多過ぎず少な過ぎずでちょうどいいということ。
足る事を知る(たることをしる)
不満を捨てて、分相応である現状に満足すること。
丹精を込める(たんせいをこめる)
真心を込めて物事を行うこと。 「丹精」は「丹誠」とも書く。
丹精を凝らす(たんせいをこらす)
真心を込めて物事を行うこと。 「丹精」は「丹誠」とも書く。
胆は大ならんことを欲し、心は小ならんことを欲す(たんはだいならんことをほっし、こころはしょうならんことをほっす)
度胸は大きく持ちたいし、注意は細やかでありたいということ。 「胆大心小」ともいう。
乃公出でずんば(だいこういでずんば)
「もし自分がやらなければ、いったい他の誰ができるのというのか」の意。 「乃公」は男子が自分のことを尊大に言う語。俺さま・吾輩の意。
大根と女房は盗まれるほど良い(だいこんとにょうぼうはぬすまれるほどよい)
大根や女房は盗まれたり手を出されたりするほうが魅力があるということ。
大根の皮取らぬ阿呆、生姜の皮取る阿呆(だいこんのかわとらぬあほう、しょうがのかわとるあほう)
大根は皮をむかないとまずい。生姜は皮をむくと食べるところが少なくなる。物事の適正を知らない愚か者のたとえ。
大根を正宗で切る(だいこんをまさむねできる)
大げさなことをするたとえ。また、大人物につまらないことをさせることのたとえ。 「正宗」は鎌倉時代の名刀。 たかが大根を切るのに名刀である正宗を使うことから。
大事は小事より起こる(だいじはしょうじよりおこる)
どのような大事も、取るに足りない小さなことが原因となって引き起こされるということ。小さな油断にも気をつけよという戒めの言葉。
抱いた子の塵を食うを知らぬ(だいたこのちりをくうをしらぬ)
内輪のことには案外気が回らないというたとえ。 抱いている子どもが、ごみを口に入れても気がつかないことがあるとの意から。
台所を預かる(だいどころをあずかる)
家庭や組織などで、金銭のやりくりを任される。
出すことは舌を出すのも嫌い(だすことはしたをだすのもきらい)
ひどくけちなことのたとえ。 金を出すのはもちろん、舌を出すのも嫌いとの意から。
駄駄を捏ねる(だだをこねる)
子どもが、甘えてわがままを通そうとすること。
伊達の素足もないから起こる、あれば天鵞絨の足袋も履く(だてのすあしもないからおこる、あればびろうどのたびもはく)
どうしようもなくて我慢することのたとえ。 粋だと言われている伊達の素足も、実は足袋を買う金がないからだとの意から。 「伊達の素足も貧から起こる」ともいう。
誰が猫に鈴をつけるというのか(だれがねこにすずをつけるというのか)
いろいろ議論しても、いざ実行となると誰が実行するのか非常に難しいことのたとえ。鼠たちが集まり、猫の首に鈴をつけて、その音で身を守ろうと考えたが、実行する鼠はいなかったというイソップ寓話から。
弾丸黒子の地(だんがんこくしのち)
非常に狭い土地のたとえ。「弾丸」は昔、中国で鳥などを捕るために、はじき弓につけて飛ばしたたま、「黒子」はほくろのこと。
断じて行えば鬼神も之を避く(だんじておこなえばきしんもこれをさく)
断固たる決意で物事を行えば、困難なことでも成し遂げることができるというたとえ。 断固とした態度で決行すれば、鬼神でさえその勢いに押されて避けていくとの意から。
だんだん良くなる法華の太鼓(だんだんよくなるほっけのたいこ)
物事が徐々によい方に向かっていくことと、太鼓がよく鳴るということを掛けた言葉遊び。「法華の太鼓」とは、日蓮宗の信者が題目を唱えながら打つ団扇太鼓のこと。
知恵は小出しにせよ(ちえはこだしにせよ)
自分の持っている知恵を一度に出さず、必要に応じて少しずつ出すのが賢明だということ。
力瘤を入れる(ちからこぶをいれる)
熱心に取り組む。尽力する。 「力瘤」とは、ひじを曲げた時にできる、二の腕の筋肉の盛り上がり。 力瘤が出るほど力を尽くす意から。
竹帛の功(ちくはくのこう)
歴史に残るような偉大な功績。「竹帛」は昔中国で竹を削った札や帛に文字を書いたことから書物や歴史の意。
父父たらずと雖も子は子たらざるべからず(ちちちちたらずといえどもこはこたらざるべからず)
父親が父親の役目を果たさなくても、子どもは子どもとしての役目を果たさなければならないということ。
血は水よりも濃い(ちはみずよりもこい)
血縁のある間柄は、他人よりも繋がりが強いことのたとえ。
血眼になる(ちまなこになる)
ある事を行うのに夢中になること。 「血眼」は、逆上して血走った目。
忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず(ちゅうならんとほっすればこうならず、こうならんとほっすればちゅうならず)
主君に忠義を尽くそうとすれば親に逆らうこととなり孝行できず、親に孝行しようとすれば主君に背くことになり不忠となる。大切な二つのものの板ばさみになって進退きわまった状態のたとえ。平重盛が、父の清盛と朝廷との間で苦悩したときの言葉。
寵愛昂じて尼になす(ちょうあいこうじてあまになす)
かわいがるのも度が過ぎると、かえって本人のためにならないというたとえ。 親が娘をかわいがるあまり、いつまでも嫁にやらずついには尼にしてしまうことから。 「尼になす」は「尼にする」ともいう。
長広舌を振るう(ちょうこうぜつをふるう)
滞ることなく、長々としゃべり続けること。 「長広舌」は「広長舌」が転じた言葉。
ちょっと来いに油断すな(ちょっとこいにゆだんすな)
「ちょっと来い」と呼ばれると、ちょっとの用事では済まず、ろくな用事でないことが多い。だから、心してかかれということ。
朕は国家なり(ちんはこっかなり)
フランスのルイ14世が宣言したとされる、絶対王政を象徴する言葉。 「私こそが国家そのものである」の意。
搗いた餅より心持ち(ついたもちよりこころもち)
品物をもらったことより、その心づかいがなおうれしいということ。
付かぬ事(つかぬこと)
それまでの話と関係のないこと。唐突なこと。 「付かぬ事を伺いますが」との形で用いることが多い。
摑み所がない(つかみどころがない)
そのもののを理解したり判断したりするための手掛かりがないこと。
角を矯めて牛を殺す(つのをためてうしをころす)
わずかな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうたとえ。 「矯める」は、矯正すること。 曲がっている牛の角をまっすぐに直そうとして、牛を死なせてしまうことから。 「角を直して牛を殺す」ともいう。
壺を心得る(つぼをこころえる)
物事をうまく行うための要点を理解していること。
妻の言うに向こう山も動く(つまのいうにむこうやまもうごく)
妻の言葉は夫に対して大きな力を持っていることのたとえ。 動くはずのない向こうの山でさえも、妻が言えば動いてしまうとの意から。
詰まる所(つまるところ)
議論を尽くした末の結論。要するに。結局。
罪なことをする(つみなことをする)
相手に対して、思いやりのない酷いことをすること。
罪の疑わしきは軽くし、功の疑わしきは重くす(つみのうたがわしきはかるくし、こうのうたがわしきはおもくす)
罪状が疑わしいときはなるべく罪を軽く、功績の疑わしいときはできるだけ手厚く賞するのがよいということ。 「罪の疑わしきは軽くせよ、功の疑わしきは重くせよ」ともいう。
爪痕を残す(つめあとをのこす)
災害や戦争などの被害や影響が後々まで及ぶこと。 または、爪で体を掻いた跡が残ること。
爪で拾って箕でこぼす(つめでひろってみでこぼす)
苦労して蓄えたものを、一度に使い果たしてしまうことのたとえ。 「箕」は穀物をふるうための道具。 爪の先で拾うようにしてやっと集めたものを、箕で一度にこぼしてしまうとの意から。
爪を立てる所もない(つめをたてるところもない)
足の爪先を立てる隙間もないほど込み合っているようす。
鶴九皐に鳴き、声天に聞こゆ(つるきゅうこうになき、こえてんにきこゆ)
すぐれた人物は、どんな所にいても、その名声は世間に知れ渡るというたとえ。「九皐」は奥深い沢の意で、鶴がどんなに深い谷で鳴いても、その鳴き声は天に届くということから。
鶴の一声(つるのひとこえ)
権威者・有力者の一言が多くの人の議論や意見をおさえつけること。
鄭家の奴は詩をうたう(ていかのやっこはしをうたう)
ふだん見聞きしていることは。自然に覚えるというたとえ。「鄭家」は、中国後漢の学者である鄭玄。鄭玄の家の雇い人は習いもしないのに詩経をうたうということから。
手が込む(てがこむ)
隅から隅まで細かく工夫がされていて手間が掛かっていること。 また、物事が複雑に入り組んでいること。
梃子入れをする(てこいれをする)
衰えているものに手を加えて改善すること。 または、下落している相場を人為的に操作して引き上げること。 「梃子入れ」は「梃入れ」とも書く。
手功より目功(てこうよりめこう)
手先の熟練より、物を見る目を養うことが大事だということ。
梃子でも動かない(てこでもうごかない)
どんな手段を用いても、絶対にその場から動かないことのたとえ。 または、どんな事があっても、頑として言うことをきかないことのたとえ。 梃子は小さな力で大きなものを動かすことができるが、その梃子を用いても動かすことができないことから。
手心を加える(てごころをくわえる)
相手や事情などを考慮に入れて寛大な処置をすること。手加減をすること。
手でする事を足でする(てですることをあしでする)
正しい方法を用いずに、誤ったやり方をするたとえ。
手の施しようがない(てのほどこしようがない)
処置をする方法が全くないこと。
手の舞、足の踏む所を知らず(てのまい、あしのふむところをしらず)
あまりのうれしさに思わず小躍りして喜ぶ様子。また、慌てふためくさま。
手の奴足の乗り物(てのやっこあしののりもの)
他人を頼らず、自分の力で物事を行うこと。 召使の代わりに自分の手で行って、乗り物の代わりに自分の足を使って歩くという意味から。
てらつつきの子は卵から頷く(てらつつきのこはたまごからうなずく)
生まれながらの才能は、幼い時から自然に現れるというたとえ。「てらつつき」は、きつつきのこと。きつつきの子はえさの虫を捕るために、幼い時から首を上下に動かす癖があることから。
手を拱く(てをこまぬく)
何もしないで傍観すること。 「拱く」は、腕組みをするということ。 「こまねく」は「こまぬく」ともいう。
天狗の飛び損ない(てんぐのとびそこない)
日ごろ自慢している者が、油断して失敗してしまうことのたとえ。自由自在に飛び回る天狗が、何かの拍子に飛び損なってしまうということから。
天災は忘れた頃にやってくる(てんさいはわすれたころにやってくる)
災害は人々がその恐ろしさを忘れた頃にまた襲ってくるものであるということ。 油断は禁物で用心を怠ってはいけないという戒めの言葉。 物理学者・随筆家の寺田寅彦の言葉。 「災害は忘れた頃にやってくる」ともいう。
天高く馬肥ゆ(てんたかくうまこゆ)
さわやかな秋を言い表す言葉。 秋の空は高く澄み渡り、馬もよく食べて太るという意味から。 「天高く馬肥ゆる秋」「秋高く馬肥ゆ」ともいう。
天道様と米の飯はどこへも付いて回る(てんとうさまとこめのめしはどこへもついてまわる)
どんな所にも太陽が当たるように、どこへ行っても暮らしていけるということ。
天道、人を殺さず(てんどう、ひとをころさず)
天は人を見捨てるような無慈悲なことはしないということ。
天に眼(てんにまなこ)
天の神には人の行いをすべて見通す眼があり、そのよしあしに応じた賞罰を与えるので、悪いことはできないということ。
天にも昇る心地(てんにものぼるここち)
これ以上ないほどに嬉しい気持ちのたとえ。
弟子を見る事師に如かず(でしをみることしにしかず)
弟子の能力や人柄をいちばんよく知っているのは師匠であり、とうてい師匠に及ぶものはないということ。
出たとこ勝負(でたとこしょうぶ)
事前に準備などせずに、その場の成り行き次第で決着をつけること。さいころ賭博では、出た目で勝負を決めることから。
出遣いより小遣い(でづかいよりこづかい)
大きな買い物で多額に出費するよりも、日常のこまごました出費のほうが、積もり積もって大きい金額になるというたとえ。
出物腫れ物、所嫌わず(でものはれもの、ところきらわず)
おならやできものは、場所や時に関係なく、出る時には出てしまうということ。多く、人前で放屁した時の弁解に使われる言葉。
出る所へ出る(でるところへでる)
互いの言い分をはっきりさせるために、法廷や警察などの公的な場で争うこと。
田父の功(でんぷのこう)
無益な争いをしている間に、第三者に利益を横取りされてることのたとえ。 犬が兎を追いかけている間に、両者とも力尽きて死んでしまった。 それを通りかかった農夫が自分の獲物として手にいれたという故事から。
峠を越す(とうげをこす)
物事の最も盛んな時期や危険な時期を過ぎること。 「山を越す」ともいう。
十のことは十に言え(とおのことはとおにいえ)
物事を理解してもらうためには、過不足なく、順序立てて正確に話さなければいけないということ。
徳孤ならず必ず隣あり(とくこならずかならずとなりあり)
徳を備えた人は孤立することがなく、理解者や協力者が必ず現れるということ。
徳は孤ならず必ず隣あり(とくはこならずかならずとなりあり)
徳のある人は決して孤立することがなく、理解し協力する者が必ず現れるということ。
床に就く(とこにつく)
寝ること。寝床に入ること。 または、病気になって寝込むこと。
