「さ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「さ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 868 件
一時違えば三里の遅れ(ひとときちがえばさんりのおくれ)
少しの間でもぐずぐずしていると、たちまち大きな差が開くということ。 「一時」は約二時間、「三里」は約十二キロメートル。 一時遅れると、旅程に三里の遅れが出るとの意から。 「ひととき」は「いっとき」ともいう。 また「一時三里」ともいう。
人通りに草生えず(ひとどおりにくさはえず)
よく使っている道具はさびつかないというたとえ。 人の通りが多い道には雑草が生えないとの意から。 「繁盛の地に草生えず」ともいう。
人の痛いのは三年でも辛抱する(ひとのいたいのはさんねんでもしんぼうする)
他人の苦痛は自分とは無関係だから平気であるということ。
人の噂は倍になる(ひとのうわさはばいになる)
噂話は、事実よりずっと大げさに伝わるということ。
人の噂も七十五日(ひとのうわさもしちじゅうごにち)
世間の噂は長く続かず、やがて忘れられるということ。 噂話も75日もすれば治まり、忘れられてしまうとの意から。
人の噂を言うは鴨の味(ひとのうわさをいうはかものあじ)
人の悪口を言ったり噂話をしたりする楽しさを、おいしい食べ物の代表とされる鴨の肉にたとえた言葉。 「鴨(かも)」は「雁(がん)」とも、また「人の噂を言うは鴨の味」ともいう。
人の情けは世にある時(ひとのなさけはよにあるとき)
世間の人が好意を示してくれるのは、こちらの羽振りがよく栄えている間だけで、落ち目になると誰も見向きもしないということ。
人の将に死なんとするその言や善し(ひとのまさにしなんとするそのげんやよし)
人が死に際に語る言葉は真実で純粋なものであるということ。
人一盛り(ひとひとさかり)
人の盛んな時は、ほんの一時にすぎないということ。
一人の文殊より三人のたくらだ(ひとりのもんじゅよりさんにんのたくらだ)
優れた人物が一人で考えるより、愚か者でも何人かで考えたほうが良い考えが浮かぶことのたとえ。 「文殊」は知恵をつかさどる菩薩のこと。 「たくらだ」はじゃこう鹿に似た獣。じゃこう鹿を狩る時に、猟師が飛び出してきたたくらだを誤って狩ったことから、自分に無関係なことで死んだり傷ついたりする者のこと。転じて、愚か者・まぬけのことをいう。
陽の照っているうちに干し草を作れ(ひのてっているうちにほしくさをつくれ)
好機は逃さずに役に立てよということ。 「太陽の照っているうちに干し草を作れ」ともいう。
火は火で治まる(ひはひでおさまる)
野火が燃え広がるのを防ぐためには、周囲を火で焼き払うのが効果的であるように、悪を防ぐためには悪を用いるとうまくいくというたとえ。
火は火元から騒ぎ出す(ひはひもとからさわぎだす)
最初に騒ぎ出した者が、事件の張本人であることが多いということ。火事の時、まず火元の家人が騒ぎ立てることから。
百歳の後(ひゃくさいののち)
人の死んだ後。人の死後。 百歳を越えることは稀との意から。
百歳の童(ひゃくさいのわらんべ)
年を取ってもなお、子どもにも劣る愚かな老人。また、年老いて子ども返りした者。
百年の不作(ひゃくねんのふさく)
一生悔やまれる失敗。取り返しがつかないほどの失敗。特に結婚での失敗についていう言葉。
百年論定まる(ひゃくねんろんさだまる)
物の価値や人の功績などは長い年月が過ぎてから定まるということ。
瓢箪で鯰を押さえる(ひょうたんでなまずをおさえる)
とらえどころがなく、いっこうに要領を得ないこと。 つるつるした瓢箪で、ぬるぬるした鯰を押さえようとする意から。 略して「瓢箪鯰」ともいう。
火を避けて水に陥る(ひをさけてみずにおちいる)
一つの災難を避けて、すぐまた別の災難に遭うことのたとえ。 火に焼かれることを避けられたと思ったら、水に落ちて溺れることから。
貧は諸道の妨げ(ひんはしょどうのさまたげ)
金がなければ何もできず、貧乏は何をするにも妨げになるということ。
微に入り細を穿つ(びにいりさいをうがつ)
非常に細かいところまで気を配る様子。
美味も喉三寸(びみものどさんずん)
どんなにおいしいものでも、おいしいと感じるのは喉までの三寸ほどを通るの間のことで、腹に入ってしまえばまずいものと変わらないということ。また、どんなにうれしい事もほんのひとときにすぎないというたとえ。
貧乏柿の核沢山(びんぼうがきのさねだくさん)
貧乏人に子どもが多いことのたとえ。「貧乏柿」は小さい渋柿、「核」は種のことで、渋柿は実が小さいのに種が多い意から。
貧乏人の子沢山(びんぼうにんのこだくさん)
貧乏な人にかぎって子どもが多いということ。
風采が上がらない(ふうさいがあがらない)
容姿や服装などの見た目が質素で垢抜けていないこと。
風流は寒いもの(ふうりゅうはさむいもの)
雪見や梅見などは、風流を解さない者にとっては寒いだけでつまらないということ。
吹く風枝を鳴らさず(ふくかぜえだをならさず)
世の中がよく治まり平和なようすのたとえ。 吹く風が静かで枝は音も立てないとの意から。
不幸中の幸い(ふこうちゅうのさいわい)
不幸の中でも、いくらか救いがあること。
塞ぎの虫(ふさぎのむし)
気分が落ち込んでいてやる気が出ない状態。 気分が塞ぐ原因を体内の虫のせいにしていう言葉。
布施ない経に袈裟を落とす(ふせないきょうにけさをおとす)
報酬が少ない時には、仕事に熱が入らずにいい加減になるということ。 「布施」は、僧侶に読経などの謝礼として渡す金品のこと。 布施が少ない時、僧侶は袈裟をつけずに経を読むとの意から。 「布施ない経は読まぬ」「布施だけの経を読む」「布施見て経を読む」ともいう。
懐が寒い(ふところがさむい)
手持ちの金銭が少ないこと。 「懐が寂しい」ともいう。
冬編笠に夏頭巾(ふゆあみがさになつずきん)
物事が逆さまであることのたとえ。 冬に夏用の編み笠をかぶり、夏に冬用の頭巾をかぶるとの意から。
古い友達と古い葡萄酒に勝るものなし(ふるいともだちとふるいぶどうしゅにまさるものなし)
古い葡萄酒はこくがあって美味しいように、古い友達も気心が知れ、信頼できてよいものだということ。
武士の情け(ぶしのなさけ)
武士が自分より弱い者に与える恩恵のこと。転じて、強い者が弱い者をあわれんで思いやる気持ちのたとえ。
屁と火事は元から騒ぐ(へとかじはもとからさわぐ)
張本人が一番最初に騒ぎ出すことが多いということのたとえ。 おならをした本人が真っ先に臭いと騒ぎ出し、火元の家の人が最初に火事だと騒ぎ出すとの意から。
弁当持ち先に食わず(べんとうもちさきにくわず)
お金や物をたくさん持っている人は、なかなか自分の物を使おうとしないことのたとえ。 特に、金持ちが金を使わないことをいう場合が多い。 弁当を運ぶ役目の人は、人より先に弁当を食べたりしないとの意から。
ぺんぺん草が生える(ぺんぺんぐさがはえる)
建物や土地などが手入れされずに荒れ果てている様子。 「ぺんぺん草」はアブラナ科の植物のナズナの別称。 雑草であるナズナが生えたままになっている様子からいう言葉。
箒を逆さに立てる(ほうきをさかさにたてる)
長居する客を早く帰らせるためのおまじない。また、地域によっては安産のおまじないともされる。
法三章(ほうさんしょう)
簡単な法律のこと。また、法律を簡略化すること。漢の高祖が厳しい法律を廃止し、殺人・傷害・窃盗だけを処罰するとした三章からなる簡略な法律を定めたという故事から。
法師の戦話(ほうしのいくさばなし)
不似合いなことのたとえ。
矛先が鈍る(ほこさきがにぶる)
追及や非難などをする言葉に鋭さがなくなること。
矛先を転じる(ほこさきをてんじる)
議論などで、追及したり非難したりする対象を変えること。
仏の顔も三度(ほとけのかおもさんど)
どんなに温和な人でも、繰り返しひどい仕打ちをされると腹を立てるというたとえ。 慈悲深い仏でも、顔を三度もなでられると腹を立てるとの意から。 「地蔵の顔も三度」ともいう。
仏の沙汰も銭(ほとけのさたもぜに)
この世は金次第でどうにでもなるということのたとえ。 仏がその人を救うかどうかさえも寄付した金銭の多さで変わるということから。
ほとぼりが冷める(ほとぼりがさめる)
事件などに対する関心が薄れること。 「ほとぼり」は物が燃えた後の余熱のこと。 「熱が冷める」ともいう。
褒めらるる身の持ちにくさ(ほめらるるみのもちにくさ)
世間からほめられる立場になると、その評判に恥じないようにするのが難しく、常に注目されているので窮屈な思いをするということ。
ホーマーにさえ眠いところがある(ほーまーにさえねむいところがある)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することがあるというたとえ。 ホメロスのような大詩人でさえ、時には眠くなるような凡作を作ることがあるとの意から。 「ホーマー」はホメロスの英語名。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い(ぼうずにくけりゃけさまでにくい)
その人が憎いと、それに関係するすべてのものが憎くなるということ。 僧侶が憎いと、着ている袈裟まで憎らしく思えてくるとの意から。
煩悩の犬は追えども去らず(ぼんのうのいぬはおえどもさらず)
いくら追い払っても離れない犬のように、煩悩というものは、人の心から離れないということ。
ぽつぽつ三年、波八年(ぽつぽつさんねん、なみはちねん)
何事も一人前になるには、それなりの年月が必要だということ。 日本画の修行では、ぽつぽつと点で苔を描けるようになるのに三年、波を描けるようになるのに八年かかるとの意から。
前十両に後ろ三両(まえじゅうりょうにうしろさんりょう)
前から見ると美しいが、後姿はそれほどでもないということ。
魔が差す(まがさす)
悪魔が心の中に入りこんでしまったかのように、一瞬の判断や行動を誤ってしまうこと。
まさかの時の友こそ真の友(まさかのときのともこそしんのとも)
苦しい状況の時、助けてくれる友こそ本当の友だちだということ。
勝るとも劣らない(まさるともおとらない)
完全に勝てるほどではないが、かといって負けるほどではない。同等かそれより多少は勝っているさま。
松かさより年かさ(まつかさよりとしかさ)
年長者の経験豊富な知識は役に立つということ。 「松かさ」と「年かさ」の語呂を合わせておもしろく言ったもの。
松の木柱も三年(まつのきばしらもさんねん)
その場だけを切り抜けるなら、どんなものでも役に立つというたとえ。腐りやすい松の柱でも三年くらいは持つということから。
眉一つ動かさない(まゆひとつうごかさない)
少しも表情を変えないこと。動揺した素振りをみせないさま。
迷わぬ者に悟りなし(まよわぬものにさとりなし)
疑問や迷いを持たない人は悟ることもない。おおいに迷うからこそ悟りも開けるということ。
身から出た錆(みからでたさび)
自分が犯した悪行の結果として、自分自身が苦しむこと。
操を立てる(みさおをたてる)
志を堅く守って変えないこと。 また、女性が貞操を守り通すこと。
水の月取る猿(みずのつきとるさる)
自分の能力をわきまえず、欲張ったまねをして失敗することのたとえ。 猿が水に映った月を取ろうとしたとき、枝が折れ水に落ちて溺れ死んだという故事から。 「猿猴が月」「水の月取る猿」「月の影取る猿」ともいう。
水も漏らさぬ(みずももらさぬ)
警戒が厳重で、まったく隙がないようす。
水を得た魚のよう(みずをえたさかなのよう)
その人の力を発揮できる場所を得て、生き生きと活躍するようすのたとえ。
水を差す(みずをさす)
物事にけちをつけたり、親しい間柄を裂くようなことをすること。
味噌の味噌臭きは食われず(みそのみそくさきはくわれず)
いかにも専門家のようにふるまう人は、真にその道の達人とはいえないということ。 いかにも味噌だという味噌くさい味噌は食べられたものではなく、上等な味噌には味噌臭さがないとの意から。
三度諌めて身退く(みたびいさめてみしりぞく)
繰り返し主君をいさめても聞き入れられない時は、潔く辞職するのが賢明だということ。
道草を食う(みちくさをくう)
目的地にそのまま向かわず、途中で寄り道をしたり他のことに時間を費やしたりすること。 馬が道端の雑草を食べて、歩みが止まってしまうことから。
身につまされる(みにつまされる)
他の人の不幸などが他人事とは思えず、自分のことのように感じられること。
実るほど頭の下がる稲穂かな(みのるほどあたまのさがるいなほかな)
人は学問や徳が深まると、かえって謙虚になることのたとえ。 稲穂は実が入ると重くなり頭を下げることから。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「実る稲田は頭垂る」ともいう。
耳に逆らう(みみにさからう)
人からの忠告などを受け入れることができず、不快な気持ちになること。 また、聞き手に不快感を与えること。
耳に障る(みみにさわる)
話を聞いて不快に感じること。
耳に挟む(みみにはさむ)
あることをちらりと聞く。偶然聞く。
耳を塞ぐ(みみをふさぐ)
聞かないようにすること。
無為にして治まる(むいにしておさまる)
人徳のある人が上に立つと、特別なことは何もしなくても、世の中は自然に治まるということ。 「無為にして治まる」「無為の治」ともいう。
無何有の郷(むかうのさと)
自然のままで人為的なわずらわしさがない仙境。自然のままの楽土。理想郷。ユートピア。 「無何有」は何もないこと。
無患子は三年磨いても黒い(むくろじはさんねんみがいてもくろい)
生まれつきの性質は変えることはできないというたとえ。 「無患子」は、山地に生える落葉高木。種子は黒色で羽根つきの羽根の玉に使われる。 その黒色の種子をいくら磨いても白くはならないとの意から。
虫も殺さぬ(むしもころさぬ)
殺生などできず、やさしくておとなしい人柄であるようす。
娘三人持てば身代潰す(むすめさんにんもてばしんだいつぶす)
娘を三人持てば、その嫁入り支度で財産がなくなるということ。
娘一人に婿三人(むすめひとりにむこさんにん)
一つの物事に対しての希望者が多くいること。 一人の娘に対して婿を希望する人が八人もいるとの意から。 「娘一人に婿三人」「娘一人に婿十人」ともいう。
むすめふさほせ(むすめふさほせ)
百人一首のかるた取りで、最初の一音を聞いて取れる札は七首。効率よく記憶するために、その七首の最初の文字を取って「む・す・め・ふ・さ・ほ・せ」と並べたもの。