「も」を含む故事・ことわざ・慣用句
「も」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1267 件
相撲に負けて妻の面張る(すもうにまけてつまのつらはる)
外でうまくいかないことがあった男が、家で妻に八つ当たりすること。また、弱い者が自分よりさらに弱い者をいじめること。 相撲に負けて帰った男が、腹いせに妻の顔を殴るとの意から。 「喧嘩に負けて妻の面を張る」ともいう。
擂り粉木で芋を盛る(すりこぎでいもをもる)
絶対にできないことのたとえ。不可能なことのたとえ。 「擂り粉木」は、すり鉢で物をするときに用いる先の丸い棒。 丸い棒を用いて、丸い芋を皿に盛りつけようとしてもできないとの意から。
生ある者は必ず死あり(せいあるものはかならずしあり)
生きているものは必ず死ぬときがくるということ。
声涙、倶に下る(せいるい、ともにくだる)
感情を抑えきれず、涙を流しながら語るさま。
世間は張り物(せけんははりもの)
世の中には体裁よく見せかけているものが多くあるということ。また、世の中は見栄を張って渡るのが普通であるということ。 「張り物」は、木や竹の骨に紙などを張って岩などに見せかける道具のこと。 「世は張り物」「世界は張り物」ともいう。
節季の風邪は買っても引け(せっきのかぜはかってもひけ)
節季のような忙しい時でも、病気ならば公然と休めるから、病気もときには重宝だということ。
雪上に霜を加う(せつじょうにしもをくわう)
十分すぎるほどあるうえに、さらに同じようなものを加えること。 「雪に霜を加える」「雪の上に霜」ともいう。
狭き門(せまきもん)
入学や就職などで、競争相手が多く、合格するのがむずかしいことのたとえ。また、キリスト教で、天国に至る道が困難であることをたとえた語。
狭き門より入れ(せまきもんよりいれ)
楽な道を選ぶより、困難な道を選ぶほうが人間を高めるという教え。「狭き門」は、キリスト教の教えで、天国に至る道が困難であることをたとえた語。神の救いを得るためには、努力が必要であり、楽な道を選んではいけないということから。
千鈞の重み(せんきんのおもみ)
非常に重いこと。または、非常に価値があること。 「鈞」は重さを表す単位。
千金を買う市あれど一文字を買う店なし(せんきんをかういちあれどいちもんじをかうみせなし)
文字を覚えるためには、自分で学ぶしかないというたとえ。 市場にはいろんな物が売っていて、高価な物も買うことができるが、文字だけは売っていないとの意から。
千軒あれば共過ぎ(せんげんあればともすぎ)
家が千軒もあれば、そこに住む人たちがそれぞれ商売をしたり互いに物の売り買いをしたりして、ともに生計を立てていくことができるということ。 「共過ぎ」は、人々が互いに助け合って生活していくこと。 「千軒あれば共暮らし」ともいう。
千石万石も米五合(せんごくまんごくもこめごごう)
人には必要な物が必要な分だけあれば十分だということ。 千石、万石といった高い俸禄を得ている人でも、一日に食べる米の量は五合にすぎないとの意から。 「千石万石も飯一杯」ともいう。
千畳敷に寝ても畳一枚(せんじょうじきにねてもたたみいちまい)
人一人が必要な物は限られているので、むやみに欲を出すべきではないということ。 千畳もの広さがある部屋に寝ても、人が一人寝るのに必要な畳はせいぜい一枚であるとの意から。
千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰いゆ(せんじょうのつつみもろうぎのあなをもってついゆ)
わずかな油断・不注意から大事が起こることのたとえ。 千丈の堤防でも螻(けら)や蟻のあける穴から崩れることもあるとの意から。
千万人と雖も吾往かん(せんまんにんといえどもわれゆかん)
自分の信じた道は、たとえ千万人の敵がいても、恐れることなく立ち向かっていくということ。
千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず(せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず)
有能な人材はいつの世にもいるが、その能力を見出して育てる優れた指導者は少ないということのたとえ。 「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。 「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。 いつの時代にも、一日に千里を走るほどの優れた馬はいるが、その名馬の能力を引き出す伯楽は、いつもいるわけではないということから。
千里の馬も蹴躓く(せんりのうまもけつまずく)
優れた才能の人物も時には失敗することもあるというたとえ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。
千里の馬も伯楽に会わず(せんりのうまもはくらくにあわず)
有能な人も、その真価を見抜いて能力を引き出してくれる人とはなかなか出会えないということ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの名馬。転じて、優れた才能の人物。「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。
千里の堤も蟻の穴から(せんりのつつみもありのあなから)
わずかな油断や不注意が元で大事を引き起こすというたとえ。 千里の堤防も蟻の穴が原因で崩れることもあるとの意から。
千里の道も一歩から(せんりのみちもいっぽから)
大きな目標・目的を達成するためには、身近なことからこつこつと努力を積み重ねていくことが大切であるということ。 千里の道のりも踏み出した一歩から始まるとの意から。 「千里の行も足下より始まる」ともいう。
是が非でも(ぜがひでも)
善悪に関わらず。何が何でも。 ある物事の実現を強く望む言葉。 「理が非でも」ともいう。
銭ある時は鬼をも使う(ぜにあるときはおにをもつかう)
金さえあれば、どんな人でも自分の思うままに使うことができるということ。 金があれば、怖い鬼であろうとも思い通りにすることができるとの意から。
銭あれば木物も面を返す(ぜにあればきぶつもつらをかえす)
どんなに冷淡な者でも、金の力にはなびくというたとえ。 金銭があれば、感情がない木仏さえも振り向くとの意から。
是非も無い(ぜひもない)
どうしようもない。仕方ない。 好ましくない結果を認めるしかない時に使う言葉。
善悪は友による(ぜんあくはともによる)
人はつきあう友人次第で、善くも悪くもなるということ。 「人は善悪の友による」ともいう。
善悪は友を見よ(ぜんあくはともをみよ)
その人が善人か悪人かは、その人が交際している友人を見ればわかるということ。
然諾を重んずる(ぜんだくをおもんずる)
いったん引き受けた以上は、約束を守って必ず実行するということ。「然諾」は、よしと承諾すること。
善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや(ぜんにんなおもておうじょうをとぐ、いわんやあくにんをや)
仏の救いを頼みとしない善人でさえ極楽往生を遂げる。まして、仏の救いにすがるしかない悪人が往生できないわけがないということ。
前門の虎、後門の狼(ぜんもんのとら、こうもんのおおかみ)
一つの災いを逃れても、さらにまた別の災難に見舞われることのたとえ。 前門で虎の侵入を防いだと思ったら、すでに後門に狼が入っていたとの意から。 「前門に虎を防ぎ後門に狼を進む」ともいう。
草莽の臣(そうもうのしん)
官職に就かず民間にとどまっている人のこと。また、在野の人のこと。「草莽」は、草が茂っている所から転じて、民間・在野の意。
底もあり蓋もあり(そこもありふたもあり)
器に底と蓋があるように、物事には複雑に入り組んだいろいろな事情があるということ。
粗相も時の一興(そそうもときのいっきょう)
失敗も、時によってはその場を和ませるような笑いを誘う一つの面白みであるということ。
袖から手を出すも嫌い(そでからてをだすもきらい)
ひどくけちなことのたとえ。 金を出すのはもちろん、袖から手を出すのも嫌いとの意から。
袖振り合うも他生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)
見知らぬ人と袖が触れ合うようなちょっとしたことも、偶然ではなく前世からの因縁によるものなので、どんな出会いも大切にしなければならないということ。 「他生の縁」は前世からの因縁のこと。 「他生」は「多生」とも書く。 「袖振り合う」は「袖すり合う」「袖触れ合う」ともいう。
備わらんことを一人に求むるなかれ(そなわらんことをいちにんにもとむるなかれ)
万能な人間などいないのだから、一人の人間に完全無欠を要求してはいけないということ。
その子を知らざればその友を視よ(そのこをしらざればそのともをみよ)
その子のことがわからない時は、付き合っている友達を見ればわかるということ。
その右に出ずる者なし(そのみぎにいずるものなし)
その人に優る者がいないということ。昔、中国では右を上席としたことから。
蕎麦の花も一盛り(そばのはなもひとさかり)
娘はみな年頃になると、女らしい魅力が出て美しく見えるということ。地味で目立たない蕎麦の花も、時期が来れば力一杯咲いて、それなりに美しく見えることから。
そもそもから着きにけりまで(そもそもからつきにけりまで)
最初から最後までということ。謡曲などが「そもそもこれは」で始まり、「着きにけり」で終わることが多いことから。
それにつけても金の欲しさよ(それにつけてもかねのほしさよ)
とにかく金が欲しいと、ため息まじりに言う言葉。どんな言葉のあとにも、うまくおさまるようにできている句。
揃いも揃って(そろいもそろって)
同じ種類のものが揃っていることを強調して言う言葉。 特に悪い意味で使う言葉。
損せぬ人に儲けなし(そんせぬひとにもうけなし)
ある程度の損をする覚悟がなければ大儲けはできないということ。
損と元値で蔵を建て(そんともとねでくらをたて)
商人は「この売値では損をする」「仕入れ値を割っている」などと言うが、いつのまにか蔵を建てるほどの金持ちになっているということ。
大疑は大悟の基(たいぎはたいごのもとい)
大きな疑いを持つということは、大きな悟りを開くもとであるということ。
大功を成す者は衆に謀らず(たいこうをなすものはしゅうにはからず)
大事業を成し遂げる者は、周囲の意見を聞いたり相談したりせず、自分の判断で事を行うということ。
大功を論ずる者は小過を録せず(たいこうをろんずるものはしょうかをろくせず)
大きな功績を表彰しようと議論する時、たとえそのかげに小さな過失があっても大目に見て問題にしないということ。
太鼓も撥の当たりよう(たいこもばちのあたりよう)
こちらのやり方次第で相手の出方も違ってくるというたとえ。 太鼓はたたき方ひとつで、音の強弱がかわるとの意から。 「撥」は「桴」や「枹」とも書く。
太鼓を持つ(たいこをもつ)
他人に同調して機嫌をとること。太鼓を叩く。
大食腹に満つれば学問腹に入らず(たいしょくはらにみつればがくもんはらにいらず)
食べ過ぎて満腹になると、頭の働きが鈍くなり、学問に集中できなくなるということ。
鯛も一人は旨からず(たいもひとりはうまからず)
どんなにおいしいものでも、一人で食べるのではおいしくない。大勢で食べる食事のほうがおいしいということ。 「一人」は「独り」とも書く。
鷹は飢えても穂を摘まず(たかはうえてもほをつまず)
高潔な人は、どんなに困っても不正なことは決してしないというたとえ。鷹はどんなに飢えても穀物はついばまないということから。
高みに土盛る(たかみにつちもる)
無駄な骨折りのたとえ。十分高い所に、さらに土を盛り上げるということから。「高み」は、高い所の意。
宝の持ち腐れ(たからのもちぐされ)
役に立つ物を持ちながら、利用しないたとえ。また、優れた才能や手腕がありながら、それを活用しないたとえ。
蛸の共食い(たこのともぐい)
同類のものが害し合うことのたとえ。
只より高い物はない(ただよりたかいものはない)
ただで物をもらうと、代わりに物事を頼まれたり、返礼にお金がかかったりして、かえって高いものにつくということ。
只より安い物はない(ただよりやすいものはない)
ただで物を貰うことより安く上がることはないということ。
立ち物は転び物(たちものはころびもの)
不思議ではないこと、当然であることのたとえ。立っている物が転ぶのは当たり前であることから。
立ってる者は親でも使え(たってるものはおやでもつかえ)
急ぎの時は、たとえ親でも、近くに立っている人を使えということ。座っている人間が、立っている人間にものを頼む時の言い訳にいう言葉。
尊い寺は門から知れる(たっといてらはもんからしれる)
尊いものは見た目ですぐにわかるということ。 尊い寺は、門構えからして立派でありがたみを感じさせるとの意から。
田作りも魚のうち(たづくりもうおのうち)
弱小で無力な者でも仲間には違いがないというたとえ。「田作り」はごまめの別名で鰯の幼魚。ごまめのように小さな魚でも、魚の仲間に違いはないということから。
蓼食う虫も好き好き(たでくうむしもすきずき)
人の好みはさまざまであるというたとえ。 辛い蓼の葉を好んで食べる虫もいるように、人の好みはいろいろあるとの意から。
棚から牡丹餅(たなからぼたもち)
思いがけない幸運が転がり込むこと、何の苦労もせずに幸運を得ることのたとえ。 略して「[[棚ぼた*https://kokugo.jitenon.jp/word/p31557]]」ともいう。
棚から牡丹餅は落ちてこない(たなからぼたもちはおちてこない)
思いがけない幸運は、まず舞い込むことはないということ。
頼みの綱も切れ果てる(たのみのつなもきれはてる)
頼みにしていた最後の手段もだめになり、万策が尽きるということ。「頼みの綱」は、頼りにしてすがる人や物の意。
頼む木陰に雨が漏る(たのむこかげにあめがもる)
頼みにしていたのに、当てが外れることのたとえ。 雨宿りした木陰にも雨が漏ってくるとの意から。 「頼む木の下に雨漏る(たのむこのもと(きのした・きのもと)にあめもる)」ともいう。
頼むと頼まれては犬も木へ登る(たのむとたのまれてはいぬもきへのぼる)
人に懇願されると、出来るはずのないことまで、なんとかやってみようという気になるというたとえ。 折り入ってお願いされると、木登りができない犬も木に登ってみようという気持ちになるとの意から。
頼めば越後から米搗きにも来る(たのめばえちごからこめつきにもくる)
真心をつくして頼めば、人は嫌とは言えないもので、難しいことであっても承知してくれるというたとえ。 「越後」は、現在の新潟県。ここでは遠いの場所のたとえ。 心から頼めば、遠い場所からでも米搗きに来てくれるとの意から。
旅は憂いもの辛いもの(たびはういものつらいもの)
旅先では知人もなく、土地の事情もわからず、とかく心配やつらいことが多いものだということ。昔の旅行が今と違い、不便でつらいものだったことから生まれた言葉。
卵を盗む者は牛も盗む(たまごをぬすむものはうしもぬすむ)
小さな悪事をはたらいた者は、いずれ大きな犯罪を犯すようになるということ。そのためにも、ちいさな悪事も見逃さずに戒めるべきであるということ。
卵を見て時夜を求む(たまごをみてじやをもとむ)
順序を考えず、あまりに早計に結果を求めるたとえ。 「時夜」は、鶏が夜明けに鳴いて時を知らせること。 卵のうちから、鶏に成長して時を告げることを待ち望むとの意から。
卵を以て石に投ず(たまごをもっていしにとうず)
損ばかりでなんにもならないことのたとえ。また、道理の通らない愚かな行為のたとえ。石に卵を投げつけても卵が割れるだけで石はなんともないことから。
玉となって砕くとも瓦となって全からじ(たまとなってくだくともかわらとなってまったからじ)
名誉を守るために死ぬことはあっても、いたずらに生きながらえるだけのむなしい生涯を送りたくはないということ。 貴重な玉として砕かれてしまってもよいが、無価値な瓦として安全に生涯を全うしたいとは思わないとの意から。
堪るものか(たまるものか)
そのようなことがあるはずがない、または、そのような状態のままにしておくわけにはいかないなどの意を表す。
民の口を防ぐは水を防ぐよりも甚だし(たみのくちをふせぐはみずをふせぐよりもはなはだし)
人々の言論の自由を封じることは、川の水をせき止めることよりも困難で危険であるということ。人民の言論の自由を奪うことの危険性をいった言葉。
袂に縋る(たもとにすがる)
相手の同情を引いて、必死に求めることのたとえ。 「袂」とは、和服の袖(そで)の下の垂れ下がった部分。 願いを聞いてもらおうと、袂を捉えて引き留めるとの意から。
袂を絞る(たもとをしぼる)
ひどく泣くこと。 「袂」とは、和服の袖(そで)の下の垂れ下がった部分。 涙で濡れた袂を絞る、袂が絞れるほど涙を流すとの意から。
袂を連ねる(たもとをつらねる)
仲間となる。行動を共にする。
袂を分かつ(たもとをわかつ)
それまで行動を共にしていた人と別れる。親しくしていた人との関係を断つ。 「袂」は、着物の袖の垂れ下がって袋のような形をした部分。 「袖を分かつ」ともいう。
足るを知る者は富む(たるをしるものはとむ)
分相応の現状に満足できる者は、生活が貧しくても、心は安らかで豊かだということ。