「日」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 153 件
「日」を含む漢字が使われている故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。
故事・ことわざ・慣用句一覧
秋風と夫婦喧嘩は日が入りゃ止む(あきかぜとふうふげんかはひがいりゃやむ)
日暮れとともに秋の風が凪ぐのと同じで、夫婦の言い争いも夜が来ればおのずと鎮まるものだということ。
秋の入り日と年寄りはだんだん落ち目が早くなる(あきのいりひととしよりはだんだんおちめがはやくなる)
年々衰える年寄りの健康状態を、急速に暮れていく秋の夕日にたとえたことば。
秋の日と娘の子はくれぬようでくれる(あきのひとむすめのこはくれぬようでくれる)
秋の日は暮れないようでいて急に暮れるように、大事にされてきた娘も、嫁にくれないように見えて案外簡単にくれるものだということ。
秋の日は釣瓶落とし(あきのひはつるべおとし)
秋の日が急速に暮れていくようす。秋の日が、井戸の中へ釣瓶が垂直に速く落ちるように暮れていく意から。
秋日和半作(あきびよりはんさく)
秋の天候の善し悪しで、作物の収穫は半ば決まってしまうということ。
欠伸を一緒にすれば三日従兄弟(あくびをいっしょにすればみっかいとこ)
つられて一緒にあくびをした者同士は、何かしらの縁があるということ。 「三日従兄弟」は血のつながりの薄い親類で、縁を軽い血縁関係にたとえた言い方。
明けた日は暮れる(あけたひはくれる)
朝が明ければ必ず暮れが来るように、よい時もいつまでもは続かないというたとえ。 盛りの次には衰えが来るものだという戒め。
明後日の方(あさってのほう)
見当違いの方向。物事の焦点や目的が、本来あるべきところから大きく外れている様子。 「明後日の方を向く」の形で、問いかけや状況に対して的を外した言動をすること、または関係のないことに目を向けることをいう。
朝日が西から出る(あさひがにしからでる)
絶対に起こるはずがないことのたとえ。 太陽は東から昇るもので、西から出ることはないとの意から。 「西から日が出る」「日が西から出る」ともいう。
朝紅は雨、夕紅は日和(あさべにはあめ、ゆうべにはひより)
空が朝方に赤らむとその日は降られ、日暮れに赤らめば次の日は好天になる。空の色を見て天気を占う言い伝え。
明日は明日の風が吹く(あしたはあしたのかぜがふく)
先のことをいくら心配してもはじまらないので、なるがままに任せて生きるのがよいということ。 明日は明日で、今日とは違う風が吹くという意味から。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
今できることを明日に延ばしていると、その機会は二度と来ないかもしれないということ。思い立ったらすぐ行えという戒め。 また、人の命がいつまで続くか分からないことのたとえ。 咲きそろった桜も、その夜のうちに嵐が来れば残らないとの意から。 歌は「夜半に嵐の吹かぬものかは」と続く。親鸞が詠んだものと伝える。
明日食う塩辛に今日から水を飲む(あすくうしおからにきょうからみずをのむ)
手回しがいいように見えて、実は無意味なことのたとえ。
明日知らぬ世(あすしらぬよ)
今日は無事に過ごせたとしても、明日のことはわからない。永久不変のものなど無いという、この世の無常をいうことば。 「明日知らぬ身」ともいう。
明日の事は明日案じよ(あすのことはあすあんじよ)
明日の事は明日のこと。何が起こるかわからないから今日から心配しても仕方ないということ。
明日の事を言えば鬼が笑う(あすのことをいえばおにがわらう)
先のことはわからない。未来のことは予測できないというたとえ。
明日の百より今日の五十(あすのひゃくよりきょうのごじゅう)
不確かな期待よりも、たとえ量が少なくても、今日確実に手にできるもののほうがよいということ。
明日はまだ手つかず(あすはまだてつかず)
明日という一日がそっくり空いている以上、いま気をもんでも詮ない。 用が立て込んで焦る相手を、なだめるときに使う。
明日は我が身(あすはわがみ)
災難がいつ自分の番に回ってきてもおかしくないということ。人の不幸を見て用心せよという戒め。 「今日は人の上、明日は我が身の上」の後半を取り出した言い方。
姉は菅笠、妹は日傘(あねはすげがさ、いもとはひがさ)
女性は嫁ぎ先しだいで、境遇に大きな差が出てくるということ。「菅笠」は農作業でかぶる笠。「日傘」は盛装などの時にさす日除けの傘。同じ家で育った姉妹でも、嫁ぎ先によって、菅笠をかぶってあくせく働いたり、日傘をさして優雅に出掛けたりと、違う境遇になるということから。
あの世の千日、この世の一日(あのよのせんにち、このよのいちにち)
あの世の極楽で千日暮らすより、この世で一日でも楽しむほうがよいということ。
雨栗日柿(あまぐりひがき)
雨がちな年は栗が豊作になり、晴れの続く年は柿が豊作になるということ。 「雨栗」は雨の年の栗、「日柿」は日照りの年の柿の意で、空模様と作物の当たり外れを結びつけた農家の言い伝え。 栗は水気を好み、夏に日照りが続くと毬(いが)が育ちきらないうちに落ちてしまう。反対に柿は湿気を嫌い、長雨の年は病気や虫がつきやすい。 同じ空模様でも、作物によって喜ぶものと困るものがあることをいう。
雨の降る日は天気が悪い(あめのふるひはてんきがわるい)
あたりまえのこと、わかりきったことのたとえ。
言いたいことは明日言え(いいたいことはあすいえ)
言いたいと思ったことは、その場で口にせず一日おく。翌日になってもなお言うべきだと思えるなら、それは言ってよい言葉である。
謂う勿れ、今日学ばずして来日ありと(いうなかれ、こんにちまなばずしてらいじつありと)
明日があるからといって、今日学ぶべきことを後回しにしてはいけない。学びはその時その時で真剣に取り組むべきであるということ。 朱熹が若者に対して学問に励む心構えを説いたもの。 さらにこの後に「謂う勿れ、今年学ばずして来年ありと」と続く。 「謂う」は「言う」とも書く。
一日千秋の思い(いちじつせんしゅうのおもい)
待ち焦がれて、一日が千年もの長さに感じられること。
一日の計は朝にあり(いちじつのけいはあしたにあり)
一日の計画は朝のうちに立てるべきであるということ。何事も最初が肝心であるというたとえ。
一日の長(いちじつのちょう)
経験・知識が他の人より少しだけ優れていること。その人より一日分年長であるとの意から。
一日再び晨なり難し(いちじつふたたびあしたなりがたし)
一日に二度朝が来ることがない。だから時間を大切にして勉学に励めという戒めのことば。「晨」は朝の意。
一日暖めて十日冷やす(いちにちあたためてとおかひやす)
ほんの少しのあいだ努力しても、そのあとに怠ける時間のほうがずっと長いこと。少し励んではすぐにやめてしまい、物事が身につかないたとえ。 また、よい教えを受けても、まわりの悪い影響のほうが強ければ人は育たないというたとえにもいう。 草木を一日だけ日に当てて暖めても、それから十日も冷やしてしまえば育たないとの意から。 「暴」は日に当てること。 「一暴十寒」「一日之を暴めて十日之を寒す」ともいう。
