「き」を含む故事・ことわざ・慣用句
「き」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1423 件
半面の識(はんめんのしき)
顔をちょっと見ただけで、その人をずっと覚えていること。また、ちょっとした知り合いのこと。 「半面」は顔の半分。 中国の後漢時代、応奉(おうほう)が顔の半分をちらっと見ただけの人のことを数十年後まで覚えていたという故事から。
馬鹿があればこそ利口が引き立つ(ばかがあればこそりこうがひきたつ)
愚かな人間がいて利口な人間が目立つように、世の中は種々雑多な人間で成り立っている。世の中はさまざまな人間が、持ちつ持たれつの関係で生きているということ。
馬鹿は死ななきゃ治らない(ばかはしななきゃなおらない)
愚か者の性質は治そうとしても治らない、手の施しようがないということ。
馬脚を露す(ばきゃくをあらわす)
隠していたことがばれてしまうたとえ。 芝居で馬の足を演じている人が姿を見せてしまうことから。
馬力を掛ける(ばりきをかける)
仕事などに今まで以上に力を注いで取り組むこと。
万事休す(ばんじきゅうす)
これ以上手の打ちようがなく、お手上げの状態になること。「万事」はすべてのこと、「休す」は終わるという意。
贔屓の引き倒し(ひいきのひきたおし)
贔屓をしすぎるあまりに、かえってその人に迷惑をかけてしまうこと。
贔屓目に見る(ひいきめにみる)
実際よりも好意的に判断すること。
日陰の豆も時が来ればはぜる(ひかげのまめもときがくればはぜる)
人より成長が遅れていても年ごろになれば一人前になるから心配は要らないというたとえ。日陰で育った豆でも時期が来れば自然とさやからはじけ出るとの意から。
火が消えたよう(ひがきえたよう)
急激に活気を失って、寂しい様子になること。
引き合いに出す(ひきあいにだす)
比べたり、参考にしたり、証拠にしたりするために、例として持ち出すこと。
引き金になる(ひきがねになる)
ある物事が起こる直接の原因になること。 「引き金」は銃などで弾丸を発射するための金具。
蟇の息さえ天に昇る(ひきのいきさえてんにのぼる)
誰でも一心に事を行えば望みを遂げられるということ。 「蟇」は、ヒキガエルの別名。 一心に努力すればヒキガエルのような弱い生き物の吐息も、天まで届かせることができるとの意から。
引きも切らず(ひきもきらず)
途切れることなく続く様子。絶え間なく。
飛脚に三里の灸(ひきゃくにさんりのきゅう)
勢いのあるものにさらに勢いをつけるたとえ。「三里」は、膝頭の下の灸点で、ここに灸をすえると足を丈夫にするといわれている。足の速い飛脚が三里に灸をすえれば、さらに足が強くなることから。
低き所に水溜まる(ひくきところにみずたまる)
水が低い所に溜まるように、利益のある所に自然と人が集まるということ。
人、木石に非ず(ひと、ぼくせきにあらず)
感情を持たない木や石とは違い、人は喜怒哀楽をさまざまな形で表す感情豊かな動物であるということ。 「人は岩木に非ず」ともいう。
一息入れる(ひといきいれる)
物事の途中で少し休むこと。
人聞きが悪い(ひとぎきがわるい)
よその人に聞かれた誤解を招く恐れがあるさま。
一時違えば三里の遅れ(ひとときちがえばさんりのおくれ)
少しの間でもぐずぐずしていると、たちまち大きな差が開くということ。 「一時」は約二時間、「三里」は約十二キロメートル。 一時遅れると、旅程に三里の遅れが出るとの意から。 「ひととき」は「いっとき」ともいう。 また「一時三里」ともいう。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
人の踊る時は踊れ(ひとのおどるときはおどれ)
みんなが何かする時は自分も一緒にやるほうがよいということ。
人の頼まぬ経を読む(ひとのたのまぬきょうをよむ)
頼まれもしないのによけいな手出しをするたとえ。ひとの迷惑も考えずにでしゃばるたとえ。
人の情けは世にある時(ひとのなさけはよにあるとき)
世間の人が好意を示してくれるのは、こちらの羽振りがよく栄えている間だけで、落ち目になると誰も見向きもしないということ。
人の女房と枯れ木の枝ぶり(ひとのにょうぼうとかれきのえだぶり)
どうでもいいことのたとえ。また、良し悪しをとやかく言うべきでないことのたとえ。人の妻のことや枯れ木の枝ぶりは、あれこれ言ってもしようがないことから。
日に就り、月に将む(ひになり、つきにすすむ)
学業や事業などが着実に進むことのたとえ。 「就り」は成り、「将む」は進むこと。 事が日ごとに成り、月ごとに進むとの意から。
火の消えたよう(ひのきえたよう)
周囲を明るく照らしていた火が消えたように、急に活気がなくなってものさびしい様子。
日の出の勢い(ひのでのいきおい)
朝日が昇るように勢いが盛んな様子。
日の下に新しきものなし(ひのもとにあたらしきものなし)
新発見とか新発明といわれているものでも、この世にあるすべてのものは本当に新しいものはなく、これまでにあったものに多少の手を加えて新しい形に変化させたにすぎないということ。
火は火で消えぬ(ひはひできえぬ)
火を消そうとして火を使っても消せないように、力に力で対抗してもうまくいかないということ。
火蓋を切る(ひぶたをきる)
戦闘・試合などを開始するたとえ。「火蓋」は火縄銃の火皿を覆う蓋のことで、これを開けて点火することから。
百芸は一芸の精しきに如かず(ひゃくげいはいちげいのくわしきにしかず)
何でも出来る人より、一つの事に精通している人のほうが役に立つということ。
百丈の木に登って一丈の枝より落つる(ひゃくじょうのきにのぼっていちじょうのえだよりおつる)
気が緩んだ時に、危険が潜んでいるから気をつけよという戒めの言葉。高い木に登った時は用心しているので落ちることはないが、低い所まで降りると油断して落ちるということから。
百尺竿頭一歩を進む(ひゃくせきかんとういっぽをすすむ)
目標を達成しても、さらに向上しようと努力すること。また、十分に説明をした上に、さらに一歩進めて説明すること。 百尺の竿の先端に達しても、さらに一歩進もうとするとの意から。 「百尺」は「ひゃくせき」ともいう。
百里来た道は百里帰る(ひゃくりきたみちはひゃくりかえる)
自分のしたことには、必ずそれなりの報いがあるということ。 百里歩いてきた道は、百里歩かなければもとの場所には戻れないとの意から。
冷や酒と親の意見は後で利く(ひやざけとおやのいけんはあとできく)
親の意見は聞き流してしまいがちだが、後になると納得できて、なるほどと思うようになるということ。冷酒は飲んですぐより、あとから酔いが回ってくる意から。
非力十倍、欲力五倍(ひりきじゅうばい、よくりきごばい)
たとえ力の弱い者でも、一大事の時には思わぬ力を発揮し、欲のためにも人はいつもの何倍もの力を出すということ。
火を見るより明らか(ひをみるよりあきらか)
きわめて明らかで疑う余地がまるでないようす。 火を見れば火だとわかるが、それよりもっと明らかとの意から。
美女は悪女の敵(びじょはあくじょのかたき)
優れた者が劣った者から逆恨みされることのたとえ。「悪女」は、不美人の意。世の中に美人がいるから、醜い女性の肩身が狭くて、不幸な目に遭うと思い込んだ不美人が、美人を恨むということから。
貧乏柿の核沢山(びんぼうがきのさねだくさん)
貧乏人に子どもが多いことのたとえ。「貧乏柿」は小さい渋柿、「核」は種のことで、渋柿は実が小さいのに種が多い意から。
貧乏難儀は時の回り(びんぼうなんぎはときのまわり)
貧乏したり苦労したりするのは、時のめぐりあわせにすぎないから悲観することはないということ。
貧乏花好き(びんぼうはなずき)
見分不相応なことのたとえ。 貧乏人が花作りを好むとの意から。
ピンからキリまで(ぴんからきりまで)
最初から最後まで。また、最上から最低まで。「ピン」はさいころ等の1のこと。転じて、はじめの意。「キリ」は10のこと。転じて終わりの意。
風雲急を告げる(ふううんきゅうをつげる)
大事変が今にも起こりそうな、緊迫した情勢のたとえ。
富貴天に在り(ふうきてんにあり)
富や地位は天の与えるものであり、人の力ではどうすることもできないということ。
富貴には他人集まり、貧賤には親戚も離る(ふうきにはたにんあつまり、ひんせんにはしんせきもはなれる)
地位や財産のある者には赤の他人も寄ってくるが、貧乏な者には親戚さえも寄り付かないということ。
富貴は浮雲の如し(ふうきはふうんのごとし)
富や地位は、まるで空に浮かぶ雲のようにはかないものだということ。
夫婦喧嘩は貧乏の種蒔き(ふうふげんかはびんぼうのたねまき)
いつも夫婦喧嘩をしている家庭は、だんだん貧乏になっていうという戒めのことば。
不帰の客となる(ふきのきゃくとなる)
死ぬこと。「不帰」は、再び帰ってこないこと。
不興を買う(ふきょうをかう)
上の立場の人の機嫌を損ねること。
布施ない経に袈裟を落とす(ふせないきょうにけさをおとす)
報酬が少ない時には、仕事に熱が入らずにいい加減になるということ。 「布施」は、僧侶に読経などの謝礼として渡す金品のこと。 布施が少ない時、僧侶は袈裟をつけずに経を読むとの意から。 「布施ない経は読まぬ」「布施だけの経を読む」「布施見て経を読む」ともいう。
札付き(ふだつき)
悪い意味で定評があること。またそのような人や商品。
舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ)
古いしきたりや習わしにとらわれて、状況の変化に応じることができない愚かさのたとえ。 中国の楚の人が舟で長江を渡る途中に乗っている舟から剣を落としたため、慌てて舟べりに印をつけて、舟が岸に着いた後に印をつけた場所の川底を捜したという故事から。 「舟に刻(こく)して剣を求む」「剣を落として舟を刻む」「刻舟」ともいう。
冬編笠に夏頭巾(ふゆあみがさになつずきん)
物事が逆さまであることのたとえ。 冬に夏用の編み笠をかぶり、夏に冬用の頭巾をかぶるとの意から。
冬来りなば春遠からじ(ふゆきたりなばはるとおからじ)
つらく厳しい時期を耐え抜けば、その先には幸せが待っているというたとえ。 寒い冬が来たということは、遠くないうちに暖かい春もやってくるということから。 イギリスの詩人シェリーの「西風に寄せる歌」の一節から。
冬の雪売り(ふゆのゆきうり)
いくらでもあるものを売っても、買い手などいないというたとえ。
古傷は痛み易い(ふるきずはいたみやすい)
古傷が季節の変わり目などによく痛むように、過去の悪事や過失も何かにつけて思い出され、心が痛むということ。
古木に手を掛くるな、若木に腰掛くるな(ふるきにてをかくるな、わかぎにこしかくるな)
将来性のないものにかかわりあうべきではなく、また将来性のあるものをあなどったり無理をさせたりしてはいけないというたとえ。 古い木は折れやすいので手をかけてはいけない、若い木は成長の妨げになるので腰掛けてはいけないとの意から。
故きを温ねて新しきを知る(ふるきをたずねてあたらしきをしる)
昔のことを研究し、そこから新しい知識や道理を発見すること。 「[[温故知新(おんこちしん)*https://yoji.jitenon.jp/yojic/1122.html]]」ともいう。
風呂敷を広げる(ふろしきをひろげる)
物事を実際よりも大げさに言う。
風呂と客は立ったが良い(ふろときゃくはたったがよい)
客は長居をせずに、早く帰るほうがよいということ。客が「立つ」と風呂が「たつ」を掛けていった言葉。
無精者の一時働き(ぶしょうもののいっときばたらき)
いつも怠けている者が、急に思い立って働いても、一時的だということ。また、そういう者をあざけっていう言葉。
無精者の隣働き(ぶしょうもののとなりばたらき)
自分の家の用は頼まれても何もしない無精な人間が、隣の家では余計な事まで手伝うということ。
豚に念仏、猫に経(ぶたにねんぶつ、ねこにきょう)
ありがたい教えも理解できないものにとっては、なんの効果もないことのたとえ。
豚もおだてりゃ木に登る(ぶたもおだてりゃきにのぼる)
おだてられて気をよくすると、能力以上のことでもできるというたとえ。
平気の平左(へいきのへいざ)
まったく平気で少しも同じないこと。平気の平左衛門の略。
兵は詭道(へいはきどう)
戦争に勝つためには、正当な方法だけでなく、人を欺く方法も用いなければならないということ。「詭道」は正しくない方法のこと。
下手の横好き(へたのよこずき)
下手なくせに、その事が非常に好きで熱心なこと。 「下手の物好き」「下手の悪好き」ともいう。
弁慶の泣き所(べんけいのなきどころ)
向こうずね。また、中指の第一関節から先。転じて、強い者の弱点・急所。 弁慶ほどの豪傑でも、蹴られれば痛がって泣く急所の意から。
弁当持ち先に食わず(べんとうもちさきにくわず)
お金や物をたくさん持っている人は、なかなか自分の物を使おうとしないことのたとえ。 特に、金持ちが金を使わないことをいう場合が多い。 弁当を運ぶ役目の人は、人より先に弁当を食べたりしないとの意から。
箒を逆さに立てる(ほうきをさかさにたてる)
長居する客を早く帰らせるためのおまじない。また、地域によっては安産のおまじないともされる。
矛先が鈍る(ほこさきがにぶる)
追及や非難などをする言葉に鋭さがなくなること。
矛先を転じる(ほこさきをてんじる)
議論などで、追及したり非難したりする対象を変えること。
骨に刻む(ほねにきざむ)
そのことを深く記憶して決して忘れないこと。
ホメロスすら時に失策を犯す(ほめろすすらときにしっさくをおかす)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することがあるというたとえ。 ホメロスのような大詩人でさえ、時には眠くなるような凡作を作ることがあるとの意から。 「ホーマー」はホメロスの英語名。
洞が峠を決め込む(ほらがとうげをきめこむ)
有利なほうに付こうとして、形勢をうかがうこと。 「洞が峠」は、京都府と大阪府の境にある峠の名。 筒井順慶が洞が峠から山崎の合戦の形勢ををうかがい、優勢なほうに加勢しようとしたと伝えられたことから。史実に反しており、実際には撤兵して中立を保ったといわれている。
法螺と喇叭は大きく吹け(ほらとらっぱはおおきくふけ)
嘘をつくなら人が信じないような大ぼらを吹け。そういう嘘なら人も傷つけず、嘘だとわかっても腹も立たないということ。 「法螺」は、山伏が吹く法螺貝のことで、ここではでたらめの意。吹き鳴らす法螺貝と喇叭を調子よく並べた言葉。
坊主の鉢巻き(ぼうずのはちまき)
坊主の鉢巻きはすべり落ちて、耳で受け止めることから、話を聞いて(耳で受け止めて)知っているということのしゃれ。 または、締まりがないこと、できないことをいうしゃれ。
襤褸を着ても心は錦(ぼろをきてもこころはにしき)
たとえぼろぼろの衣服を着ていても心の中は錦を着ているように美しい。外見よりも内面が大事だということ。
盆と正月が一緒に来たよう(ぼんとしょうがつがいっしょにきたよう)
うれしいことが重なることのたとえ。また、非常に忙しいことのたとえ。