「じん」を含む故事・ことわざ・慣用句
「じん」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 81 件
過ちを観て仁を知る(あやまちをみてじんをしる)
人の過ちの種類を観察することによって、その人の人柄がわかるということ。
医は仁術(いはじんじゅつ)
医術は病気を治すことによって、相手に仁徳を施す術でもあるということ。
鰯で精進落ち(いわしでしょうじんおち)
せっかくの努力がつまらないことで報われなくなることのたとえ。また、長い間の努力が十分に報われないことのたとえ。 「精進落ち」は菜食で身を慎む精進期間が終わって、魚肉類を食べること。 精進期間中に鰯のようなつまらない魚をうっかり食べてそれまでの努力を無駄にするとの意から。また、精進期間が終わったのに鰯のようなつまらない魚で祝いをするとの意から。
鰯の頭も信心から(いわしのあたまもしんじんから)
どんなつまらないものでも、信じる心があれば尊く思われるということ。節分の夜、鰯の頭をひいらぎの枝に刺して門口に置くと鬼気を追い払うといわれてきたことから。
エンジンが掛かる(えんじんがかかる)
物事に始める意欲がわくこと。 また、物事が順調に進むこと。
円石を千仞の山に転ず(えんせきをせんじんのやまにてんず)
非常に勢いが激しく、抑えようがないことのたとえ。 高い山から丸い石を落とすと、ものすごい勢いで転がることから。
恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)
「恐れ入りました」をしゃれていう言葉。「鬼子母神」は、出産・育児の神で、その鬼子母神を祭る東京都台東区入谷と「恐れ入りやした」の「入りや」をかけていったもの。
灰燼に帰す(かいじんにきす)
跡形もなく燃え尽きてしまうこと。「灰燼」は灰と燃えかすの意。
火事あとの火の用心(かじあとのひのようじん)
時機に遅れて役に立たないことのたとえ。 火事を出してしまってから火の用心をしても間に合わないとの意から。
歌人は居ながらにして名所を知る(かじんはいながらにしてめいしょをしる)
歌人は古歌や歌枕の研究によって、実際にその場所に行ったことはなくても、名所について詳しいということ。
客人一杯手八杯(きゃくじんいっぱいてはちはい)
客に酒を一杯すすめる間に、主人が手酌で酒を八杯飲むということ。酒好きの人が客にかこつけて酒を飲むことにもいう。
九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく)
長い間の努力も最後のわずかなところでやめてしまえば無駄になることのたとえ。 「九仞」は非常に高い、「一簣」は一杯のもっこの意。 高い山を築くのに、最後のもっこ一杯の土を虧く(欠く)と完成しないとの意から。
位人臣を極める(くらいじんしんをきわめる)
その世界で最高の地位・権力を得ること。 臣下として最高の位に就くとの意から。
君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず(くんしはわしてどうぜず、しょうじんはどうじてわせず)
すぐれた人物は、人と仲良くするが自主性を失わずむやみに同調しない。つまらぬ人間は、すぐに同調し自主性を欠いているということ。
芸術は長く、人生は短し(げいじゅつはながく、じんせいはみじかし)
人の一生は短いが、すぐれた芸術作品は作者の死後も後世に残るということ。古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉「医術をきわめるには長い年月がかかるが、人の一生は短い」から転じたもの。
巧言令色、鮮なし仁(こうげんれいしょく、すくなしじん)
口先だけで上手を言い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、最高の徳である仁の心が欠けているということ。 「巧言」は巧みな言葉遣い、「令色」は顔色をとりつくろうこと。 「鮮なし」は「少なし」と同じ意味。
後塵を拝する(こうじんをはいする)
地位や権力のある人を羨ましく思うこと、または優れた人物のあとにつき従うこと、または人に先んじられることのたとえ。 「後塵」は車馬が通り過ぎたあとの土ぼこりのことで、それを浴びて見送るとの意から。
古人の糟魄(こじんのそうはく)
物事の真髄は、言葉や文字で伝えることはできないということ。 「古人」は昔の賢人のこと。 「糟魄」は酒かすのこと。 言葉や文字で伝えることのできる知恵は、酒かすのように残りかすでしかないという意味から。 書物や学問を軽視した言葉。 「糟魄」は「糟粕」とも書く。
子供川端、火の用心(こどもかわばた、ひのようじん)
子どもが川に落ちないように注意することと、火の用心をすることが大事だということ。
剛毅朴訥、仁に近し(ごうきぼくとつ、じんにちかし)
強固な意志を持ち、素朴で口数が少ない人物こそ、最高の徳である仁に最も近い人であるということ。
仕上げが肝心(しあげがかんじん)
物事は途中よりも、最後の仕上げが大切であるということ。
尺を枉げて尋を直くす(しゃくをまげてじんをなおくす)
大事のために小事を犠牲にすること。 「尋」は、八尺。 一尺を曲げてでも尋(八尺)をまっすぐに伸ばすとの意から。
小人閑居して不善をなす(しょうじんかんきょしてふぜんをなす)
小人物は暇を持て余すと、とかくろくでもないことをするということ。「小人」は君子に対する言葉で、人徳や教養のない卑しい者の意。「閑居」は本来「間居」と書き、暇でのんびり暮らすこと。
小人罪なし璧を懐いて罪あり(しょうじんつみなしたまをいだいてつみあり)
身分不相応なものを手にすると、災いを招いてしまうということ。 「小人」は凡人のこと。 凡人であることに罪はないが、凡人には不相応な宝玉を持ってしまうとその宝玉が災いを招く原因になるとの意から。 「小人」は「匹夫(ひっぷ)」とも、また単に「璧を懐いて罪あり」ともいう。
小人の勇(しょうじんのゆう)
物事を深く考えていない、一時の感情に任せた軽率な勇気のこと。 「匹夫」は身分の低い人や教養のない人。転じて軽率な人のこと。 「小人の勇」ともいう。
信心過ぎて極楽を通り越す(しんじんすぎてごくらくをとおりこす)
信心も度を越すと迷信や邪道に陥ってかえって害になるということ。
信心は徳の余り(しんじんはとくのあまり)
信心は生活にゆとりがあって初めてできるものだということ。
信心も欲から(しんじんもよくから)
信心も、結局はよいご利益を欲するためということ。
女子と小人は養い難し(じょしとしょうじんはやしないがたし)
女性と器量の小さい人は扱いにくいということ。 孔子の言葉で、この後に「之(これ)を近づくれば則(すなわ)ち不遜(ふそん)、之を遠ざくれば則ち怨む」と続く。 親切にすると図に乗り、遠ざけると恨まれるとの意から。 「女子と小人とは養い難し」ともいう。
仁義を切る(じんぎをきる)
博徒や香具師などが行う独特の初対面の挨拶。転じて、交渉や相談などがうまくいくように事前に関係者などに一通りの挨拶をしておくこと。
人口に膾炙する(じんこうにかいしゃする)
多くの人々に知れ渡って、もてはやされること。「膾」はなます、「炙」はあぶった肉のことで、この二つは多くの人の口に喜ばれることから。
沈香も焚かず、屁もひらず(じんこうもたかず、へもひらず)
優れてもなければ悪くもない、良いこともしないが悪いこともしない、平々凡々であることのたとえ。 沈香を焚いてよい香りを放つわけでもなく、屁をして悪臭を放つわけでもないとの意から。
人後に落ちない(じんごにおちない)
他人にひけをとらないこと。「人後」は、他人のうしろの意。
仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず(じんしゃはうれえず、ちしゃはまどわず、ゆうしゃはおそれず)
仁徳の備わった者はものの道理に従って行動するから、何ひとつ心配することがない。知恵を備えた者は道理をわきまえているので事をなすにあたって迷いがない。勇気がある者は信念を持って行動しどのような事態にも臆することがないということ。
人心の同じからざるは其の面の如し(じんしんのおなじからざるはそのおもてのごとし)
人の顔がひとりひとり違うように、人の心もそれぞれ異なるということ。 「人心の同じからざるは其の面の如し」ともいう。
人事は棺を蓋いて定まる(じんじはかんをおおいてさだまる)
人間の真価は死後になって初めて決まるということ。 棺に蓋をしたあとで、その人の本当の評価が定まるとの意から。 「人事は棺を蓋いて(うて)定まる」ともいう。
人事を尽くして天命を待つ(じんじをつくしててんめいをまつ)
出来る限りのことをして、あとは天命に任せるということ。「人事」は人間の力で出来る事柄、「天命」は天の命令の意。
人生、意気に感ず(じんせい、いきにかんず)
人は相手の心意気に感じて行動するのであって、金銭や名誉のためではないということ。
人生、字を識るは憂患の始め(じんせい、じをしるはゆうかんのはじめ)
人は字を覚え学問をするようになると、心を痛めることが多くなる。なまじ字を覚え学問を積むと、かえって心配したり悩んだりするようになるということ。
人生、朝露の如し(じんせい、ちょうろのごとし)
人生は朝日が射せばたちまち消えてしまう露のようにはかないものだということ。
人生行路難し(じんせいこうろかたし)
人の一生には多くの困難があるため、生きていくのは簡単ではないということ。
人生七十、古来稀なり(じんせいしちじゅう、こらいまれなり)
七十歳まで生きる人は、昔から非常に少ないということ。このことから七十歳のことを「古稀(古希)」という。
人生僅か五十年(じんせいわずかごじゅうねん)
人の一生は短くはかないものだということ。 人の寿命はたかだか五十年との意から。 「人生僅か五十年」「人間五十年」ともいう。
沈丁花は枯れても香し(じんちょうげはかれてもかんばし)
もともと良いものは、たとえ盛りが過ぎても値打ちがあるというたとえ。沈丁花は枯れてもなおよい香りがすることから。
陣門に降る(じんもんにくだる)
戦争に負けて降伏すること。また、競争や試合に負けること。 「陣門」は、陣営の入り口のこと。投降して敵の陣門に入るとの意から。 「軍門に下る」ともいう。
陣を取る(じんをとる)
戦争の陣地や陣営を構えること。または、ある場所を自分のものとすること。 「陣取る」や「陣を構える」ともいう。
刃を迎えて解く(じんをむかえてとく)
向かうところ敵なしの圧倒的な強さ、また物事が解決する様子のたとえ。 竹を割る際、最初の節を割ると、後は刃を迎えるようにすっと通り、簡単に割れていくことから。
聖人に夢なし(せいじんにゆめなし)
聖人は邪念にとらわれることもないので、夢を見る事もなく心安らかに安眠できるということ。
先陣を争う(せんじんをあらそう)
一番最初に成し遂げようとして、互いに競うこと。 最初に敵陣に攻め込もうとして争うということから。
宋襄の仁(そうじょうのじん)
無用の情けをかけて、ひどい目に遭うことのたとえ。中国の春秋時代、臣下が先制攻撃を仕掛けるように進言したが襄公は「人の弱みにつけ込み攻めるのはすべきことではない」と敵の陣容が整うまで攻撃せず、それが原因で大敗したという故事から。
騒人(そうじん)
詩や文章を作るひと。風流なひと。
総領の甚六(そうりょうのじんろく)
長男は甘やかされて大事に育てられるので、おっとりとした世間知らずの者が多いということ。「甚六」は愚か者のこと。
大人は大耳(たいじんはおおみみ)
徳の高いすぐれた人は、些細なことを問いただしたり非難したりしないということ。
大人は赤子の心を失わず(たいじんはせきしのこころをうしなわず)
高徳の人は、生まれ持った純粋な心をいつまでも失わないということ。また、君主たる者は、赤子を慈しむように民を大切にし、その気持ちに寄り添うということ。
達人は大観す(たつじんはたいかんす)
広く道理に通じた人は、物事の全体を見きわめて、正しい判断を下すということ。「達人」は物事の道理に深く通じた人、「大観」は広く全体を見通すこと。
大尽風を吹かす(だいじんかぜをふかす)
大金持ちのようにふるまっていばる。
大道廃れて仁義あり(だいどうすたれてじんぎあり)
世の中の秩序が乱れて、人が守るべき正しい道理が失われると、仁義という道徳心を唱える必要が生じるということ。
知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ(ちしゃはみずをたのしみ、じんしゃはやまをたのしむ)
ものの道理をわきまえた人は、判断に迷いがないからよどみなく流れる川を愛し楽しむ。また、仁徳を備えた人は、静かな心で何事にも動じないからどっしりかまえた山を愛し楽しむということ。 単に「知者は水を楽しむ」「仁者は山を楽しむ」ともいう。
痴人の前に夢を説く(ちじんのまえにゆめをとく)
このうえなく馬鹿げたことをするたとえ。愚かな人にとりとめない夢の話を説き聞かせる意から。
痴人夢を説く(ちじんゆめをとく)
話のつじつまの合わないこと、または要領を得ないことのたとえ。 愚かな者が、自分の見た夢の説明をするとの意から。
唐人の寝言(とうじんのねごと)
何を言っているのかわからない言葉のたとえ。また、くどくどと筋の通らないことのたとえ。 「唐人」は中国人、外国人のこと。 ただでさえ言葉の違う外国人の寝言はまったくわけがわからないとの意から。
隣の糂汰味噌(となりのじんだみそ)
他人の物はなんでもよく見えるというたとえ。「糂汰味噌」はぬかみそのこと。
汝の隣人を愛せよ(なんじのりんじんをあいせよ)
自分自身のことだけ考えずに、まわりの人々にも愛情を持って接しなさいということ。
何でも来いに名人なし(なんでもこいにめいじんなし)
何でも器用にこなす人は、何をさせてもそれなりにやってのけるが、どれも名人といえるほどの腕前ではないということ。
人参飲んで首縊る(にんじんのんでくびくくる)
身分不相応なことや無計画なことをして、災いを招くことのたとえ。高価な高麗人参を飲んで病気は治ったが、その代金が払えずに首をくくるということから。
盗人にも仁義(ぬすびとにもじんぎ)
盗人の世界にも仁義や礼儀があるということ。
猫の精進(ねこのしょうじん)
内心は欲しくてたまらないのに、うわべだけ遠慮することのたとえ。 また、その場だけのことで長続きしないことのたとえ。 猫が大好きな魚を辞退するとの意から。 「猫の精進」「猫の魚を食わぬ振り」ともいう。
背水の陣(はいすいのじん)
失敗すれば後が無いという立場、また決死の覚悟で事に当たることのたとえ。 中国、漢の名将が趙の軍隊と戦った時、わざと川を背に陣を敷き、味方に決死の覚悟で戦わせて敵を破ったという故事から。
白刃踏むべし(はくじんふむべし)
非常に勇気があることのたとえ。「白刃」は鞘から抜いた刀のこと。その白刃を踏むことも辞さない意から。
美人というも皮一重(びじんというもかわひとえ)
美人かどうかは体を包む皮一枚のことで、人間の本質には関係がない。人を外見だけで判断してはいけないということ。
美人に年なし(びじんにとしなし)
美しい女性は、まるで年をとらないかのように、何歳になっても若く美しく見えるということ。
美人は言わねど隠れなし(びじんはいわねどかくれなし)
美人の存在は、自分から吹聴しなくても自然と世間に知れ渡るということ。
坊主の不信心(ぼうずのふしんじん)
他人には立派なことを言いながら、その人自身は実行が伴わないことのたとえ。 人に信仰を説く坊主が信仰心がないとの意から。
朴念仁(ぼくねんじん)
無口で愛想のない人。また、道理のわからない人のこと。
微塵もない(みじんもない)
そのような気持ちなどが全くない。すこしもない。
未亡人(みぼうじん)
夫と死に別れたあと、再婚していない女性。後家。寡婦。
名人は人を謗らず(めいじんはひとをそしらず)
名人は人の欠点を悪く言うようなことはしないということ。
用心に網を張る(ようじんにあみをはる)
用心のうえに用心をすること。「用心に縄を張る」とも言う。
用心は臆病にせよ(ようじんはおくびょうにせよ)
用心はし過ぎるということはない。臆病なくらいに用心せよということ。
楽人楽を知らず(らくじんらくをしらず)
苦労を知らない人は安楽のありがたさを知らない。苦労してはじめて、安楽の大切さを知るということ。