「び」を含む故事・ことわざ・慣用句
「び」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 254 件
抜き足差し足忍び足(ぬきあしさしあししのびあし)
物音を立てないように、そっと静かに歩くこと、また、そのさま。
盗人が盗人に盗まれる(ぬすびとがぬすびとにぬすまれる)
上には上があるというたとえ。 泥棒が逆に自分の物を盗まれてしまうとの意から。
盗人と言えば手を出す(ぬすびとといえばてをだす)
他人に盗人と言われて、手を出して暴れるような者は本当に盗人であるということ。
盗人に追い銭(ぬすびとにおいせん)
損をしたうえに、さらに損をすることのたとえ。 泥棒に入られたれたうえに、さらに金銭までやることから。 「泥棒に追い銭」ともいう。
盗人に鍵を預ける(ぬすびとにかぎをあずける)
悪人とは知らずに信頼して、うかつにも悪事の手助けをしてしまうたとえ。また、気づかずに災いを大きくする手伝いをするたとえ。盗難を防ぐための鍵をよりにもよって盗人に預けてしまう意から。
盗人にも三分の理(ぬすびとにもさんぶのり)
どんなことでも、こじつければ理屈はつけられるということ。 盗みは悪いことだが、それを正当化する三分ほどの理屈があるとの意から。 「泥棒にも三分の道理」「盗人にも一理屈」ともいう。
盗人にも仁義(ぬすびとにもじんぎ)
盗人の世界にも仁義や礼儀があるということ。
盗人の上米を取る(ぬすびとのうわまいをとる)
悪人にも、上には上がいるということ。 盗人が盗んだ物の一部を盗み取ることから。
盗人の逆恨み(ぬすびとのさかうらみ)
捕えられた盗人が自らの悪事を反省することもなく、捕えた人や被害者をうらむこと。
盗人の提灯持ち(ぬすびとのちょうちんもち)
悪人の手先となって、手助けをすること。「提灯持ち」は、夜道に提灯を持って先に行く人。転じて、人の手先になって、その人をほめ従う者。
盗人の取り残しはあれど火の取り残しはなし(ぬすびとのとりのこしはあれどひのとりのこしはなし)
盗難に遭っても取り残しがあるが、火事は全てを焼いてしまい残る物はないということ。火事の恐ろしさを言ったことば。
盗人の寝言(ぬすびとのねごと)
盗人が正体を隠そうとしてみても、寝言ではつい本音が出てどうしようもないということ。
盗人の隙はあれど守り手の隙はなし(ぬすびとのひまはあれどまもりてのひまはなし)
盗難を防ぐのは難しいということ。 盗人はよい機会を狙って盗みに入るので暇もあるが、番をする方は盗人がいつ来るかわからないので休む暇がないことから。
盗人の昼寝(ぬすびとのひるね)
ひそかに悪事をたくらんで準備をしていること。また、何をするにも思惑があるということ。 盗人が夜の盗みに備えて昼寝をすることから。 「盗人の昼寝も当てがある」ともいう。
盗人も戸締り(ぬすびともとじまり)
盗人も自分の物は盗まれないように戸締りをするということ。
盗人を捕らえて縄を綯う(ぬすびとをとらえてなわをなう)
物事が起こったり直前に迫ったりしてから、慌てて準備することのたとえ。 盗人を捕まえてから、泥棒を縛るための縄の準備を始めるとの意から。 「盗人」は「泥棒」、「捕らえて」は「見て」ともいう。 また、「泥棒を捕らえて縄を綯う」を略して「[[泥縄*https://kokugo.jitenon.jp/word/p37603]]」ともいう。
盗人を捕らえて見れば我が子なり(ぬすびとをとらえてみればわがこなり)
思いがけない事態に直面し、処置に窮することのたとえ。また、親しい者でも油断できないというたとえ。
寝首を掻く(ねくびをかく)
相手が油断している隙に不意をついて陥れることのたとえ。 ぐっすり寝ている人の首を切るとの意から。
猫に木天蓼(ねこにまたたび)
大好物のたとえ。また、それを与えれば非常に効き目があることのたとえ。
猫の首に鈴をつける(ねこのくびにすずをつける)
名案であっても、実行するのが困難であることのたとえ。 ネズミたちが集まって協議し、猫が近づいたことを察知できるように、猫の首に鈴をつけることを考えたが、実行段階になると引き受けるネズミは誰もいなかったというイソップ寓話(ぐうわ)から。 「猫の首に鈴」ともいう。
熱気を帯びる(ねっきをおびる)
その場の雰囲気が高まり、緊迫感が感じられる様子。
破鏡再び照らさず(はきょうふたたびてらさず)
離縁した夫婦の仲はもとどおりにならないことのたとえ。また、一度してしまったことは取り返しがつかないというたとえ。
白璧の微瑕(はくへきのびか)
ほぼ完全なものに、少しだけ欠点があることのたとえ。 「白璧」は白い宝玉で、その宝玉に微かな瑕(きず)があるとの意から。
八細工七貧乏(はちざいく、しちびんぼう)
なんでもできるような器用な人は一つの事に専念できずにどれも中途半端になってしまい、そのためにかえって貧乏するということ。 「七細工八貧乏」ともいう。
花盗人は風流のうち(はなぬすびとはふうりゅうのうち)
美しい花を、つい一枝折ってしまうのは風流というもので、とがめるほどのことではないということ。
歯亡びて舌存す(はほろびてしたそんす)
剛強なもののほうが案外滅びやすく、柔軟なもののほうが後まで生き残ることのたとえ。 病気の友人を見舞った老子が、友人の歯が抜け落ちているのを見て「歯は堅いため駄目になったが、舌は柔らかいので残った」といったという故事から。
馬鹿を笑うも貧乏を笑うな(ばかをわらうもびんぼうをわらうな)
愚か者は自分が悪いのだが、貧乏は本人のせいばかりではないので、笑ってはいけないという戒めの言葉。
祖母育ちは三百安い(ばばそだちはさんびゃくやすい)
祖母に育てられた子どもは、甘やかされ大切にされるので、わがままで出来の悪い子になるということ。
引っ越し貧乏(ひっこしびんぼう)
何度も引っ越しをして、その費用で貧しくなること。
人と屏風は直ぐには立たぬ(ひととびょうぶはすぐにはたたぬ)
屏風は折り曲げないと立たないように、人も真っ正直なだけでは世の中を渡っていくことはできないということ。
冷や水を浴びせる(ひやみずをあびせる)
意気込んでいる人に元気を無くすような言動をすること。
びくともしない(びくともしない)
その物に何をしても少しも動かないこと。 または、何があっても動揺したり、驚いたりしないこと。
比丘尼に笄(びくににこうがい)
不必要なこと。また、不似合いなことのたとえ。「比丘尼(びくに)」は仏門に入った女性、「笄」は髪飾りの一種。髪のない比丘尼に髪飾りは必要ないことから。
美女舌を破る(びじょしたをやぶる)
君主が美女に惑わされて、いさめる忠臣の言葉も聞き入れられないということ。
美女は悪女の敵(びじょはあくじょのかたき)
優れた者が劣った者から逆恨みされることのたとえ。「悪女」は、不美人の意。世の中に美人がいるから、醜い女性の肩身が狭くて、不幸な目に遭うと思い込んだ不美人が、美人を恨むということから。
美人というも皮一重(びじんというもかわひとえ)
美人かどうかは体を包む皮一枚のことで、人間の本質には関係がない。人を外見だけで判断してはいけないということ。
美人に年なし(びじんにとしなし)
美しい女性は、まるで年をとらないかのように、何歳になっても若く美しく見えるということ。
美人は言わねど隠れなし(びじんはいわねどかくれなし)
美人の存在は、自分から吹聴しなくても自然と世間に知れ渡るということ。
尾生の信(びせいのしん)
固く約束を守ることのたとえ。また、生真面目で融通がきかないことのたとえ。 中国の春秋時代、魯の尾生という男が、橋の下で女と会う約束をして待っているうちに大雨で増水したが、そのまま待ち続けて水死したという故事から。
鼻祖(びそ)
物事を最初に始めた人のこと。元祖。中国で、胎内ではまず鼻から形作られるとされていたことから。
鐚一文(びたいちもん)
ごくわずかな金のこと。「鐚」は、「鐚銭」の略で質の悪い銭の意。
尾大掉わず(びだいふるわず)
上に立つ者より下の者の勢いが強く、制御しにくいことのたとえ。 尾があまりに大きいと、自由に動かせないとの意から。
微に入り細を穿つ(びにいりさいをうがつ)
非常に細かいところまで気を配る様子。
美味も喉三寸(びみものどさんずん)
どんなにおいしいものでも、おいしいと感じるのは喉までの三寸ほどを通るの間のことで、腹に入ってしまえばまずいものと変わらないということ。また、どんなにうれしい事もほんのひとときにすぎないというたとえ。
秒読みに入る(びょうよみにはいる)
物事が起こる時間が間近に迫っていること。 「秒読み」は開始や終了までの時間を秒単位で読み上げること。
貧乏柿の核沢山(びんぼうがきのさねだくさん)
貧乏人に子どもが多いことのたとえ。「貧乏柿」は小さい渋柿、「核」は種のことで、渋柿は実が小さいのに種が多い意から。
貧乏籤を引く(びんぼうくじをひく)
損な役割をさせられること。
貧乏怖いものなし(びんぼうこわいものなし)
失う物を持たない人に、怖いものは何もないということ。
貧乏難儀は時の回り(びんぼうなんぎはときのまわり)
貧乏したり苦労したりするのは、時のめぐりあわせにすぎないから悲観することはないということ。
貧乏人の子沢山(びんぼうにんのこだくさん)
貧乏な人にかぎって子どもが多いということ。
貧乏は達者の基(びんぼうはたっしゃのもと)
貧乏な人は、身体を動かして一生懸命働くので丈夫で健康だということ。
貧乏花好き(びんぼうはなずき)
見分不相応なことのたとえ。 貧乏人が花作りを好むとの意から。
貧乏暇なし(びんぼうひまなし)
貧乏すると、生活に追われて少しも時間の余裕がないということ。
風前の灯火(ふうぜんのともしび)
危険が差し迫り、危ういことのたとえ。風の吹き付ける所にある灯の意から。
夫婦喧嘩は貧乏の種蒔き(ふうふげんかはびんぼうのたねまき)
いつも夫婦喧嘩をしている家庭は、だんだん貧乏になっていうという戒めのことば。
懐が寂しい(ふところがさびしい)
手持ちの金銭が少ないこと。 「懐が寂しい」ともいう。
船盗人を徒歩で追う(ふなぬすびとをかちでおう)
無駄な苦労のたとえ。また、適切ではない方法のたとえ。 船を盗んで海上を逃げる相手を、陸上から追いかけるとの意から。
蛇に噛まれて朽ち縄に怖じる(へびにかまれてくちなわにおじる)
一度ひどい目に遭うと必要以上に用心深くなるということ。 蛇に噛まれた経験がある者は、腐った縄を見ても蛇かと思っておそれるとの意から。
蛇に睨まれた蛙(へびににらまれたかえる)
恐ろしいものや苦手なものの前で、身がすくんで動けなくなる状態のたとえ。 蛇にねらわれた蛙が恐ろしさのあまり動けなくなることから。 「蛇に見込まれた蛙」ともいう。
蛇の生殺し(へびのなまごろし)
痛めつけて半死半生の状態にして苦しめること。また、物事の決着をつけることなく中途半端な状態にしておくこと。 蛇を一気に殺さず、半殺しの状態にしておくとの意から。
骨折り損のくたびれ儲け(ほねおりぞんのくたびれもうけ)
苦労するだけで、少しも成果が上がらないこと。江戸いろはがるたの一つ。
学びて思わざれば則ち罔し(まなびておもわざればすなわちくらし)
いくら学んでも、自ら思索しなければ、真理に到達することはできないということ。
学びて時に之を習う亦説ばしからずや(まなびてときにこれをならうまたよろこばしからずや)
勉強したことを、折にふれて復習するということは、いっそう理解を深めることになる。なんと楽しいことではないかということ。
真綿で首を絞める(まわたでくびをしめる)
遠まわしに、じわじわといじめたり痛めつけたりすることのたとえ。柔らかい真綿で首を絞めると、じわじわと絞まって時間がかかり余計に苦しむことから。
身から出た錆(みからでたさび)
自分が犯した悪行の結果として、自分自身が苦しむこと。
三度諌めて身退く(みたびいさめてみしりぞく)
繰り返し主君をいさめても聞き入れられない時は、潔く辞職するのが賢明だということ。
三度肘を折って良医となる(みたびひじをおってりょういとなる)
人は多くの苦労を重ね経験を積んで、初めて円熟した人間になれるということ。 医者は自分のひじを何度も折り、苦痛や治療を経験して初めて良医になることができるとの意から。
三つ指、目八分(みつゆび、めはちぶ)
正しい行儀作法のこと。お辞儀をする時は親指・人差し指・中指の三本の指を床について頭を下げ、物を運ぶ時は目の高さより少し低くして両手で差し上げるのが正しい作法とされるところから。
耳を貴び、目を賤しむ(みみをたっとび、めをいやしむ)
遠くのものを尊重して、近くのものを軽んじることのたとえ。また、昔を重んじて今を軽視することのたとえ。 人から聞いたことは信じて、自分の目で見たものは信じないとの意から。 「耳を信じて目を疑う」ともいう。
見るに忍びない(みるにしのびない)
あまりにも気の毒で、見ているのがつらい様子。
夢寐にも忘れない(むびにもわすれない)
ほんのわずかな間も忘れないということ。 「寐」は眠ること。 眠って夢を見ている間も忘れないとの意から。
目が飛び出る(めがとびでる)
値段が驚くほど高い様子。 また、激しく叱られる様子。 「目玉が飛び出る」「目の玉が飛び出る」ともいう。
盲蛇に怖じず(めくらへびにおじず)
知識や知恵のない者は、平気で後先のことを考えずに行動してしまうことのたとえ。 盲人は、蛇がいても見えていないので全く怖がらないとの意から。
モナリザの微笑(もなりざのびしょう)
喜びとも悲しみともつかない、謎めいた微笑のこと。レオナルド・ダ・ビンチが描いた絵画「モナリザ」の謎めいた微笑から。
物言えば唇寒し秋の風(ものいえばくちびるさむしあきのかぜ)
余計なことを言うと、思いがけない災難を招くということ。松尾芭蕉の句。
藪医者の病人選び(やぶいしゃのびょうにんえらび)
実力のない者にかぎって仕事のえり好みをするというたとえ。 「藪薬師の病人選び」ともいう。
藪に蛇なかれ村に事なかれ(やぶにへびなかれむらにことなかれ)
藪の中に蛇がいないことを望むように、村(自分の周囲)に何事も起こらずに穏やかであってほしいと望むこと。 「とかく村には事なかれ」「とかく近所に事なかれ」ともいう。
藪をつついて蛇を出す(やぶをつついてへびをだす)
余計なことをして、かえって思わぬ災難を招くことのたとえ。 「藪をたたいて蛇を出す」とも、略して「藪蛇」ともいう。
闇夜の灯火(やみよのともしび)
とても困っているときに、頼りにできるものにめぐりあうことのたとえ。 「闇夜の灯火」ともいう。
有終の美を飾る(ゆうしゅうのびをかざる)
最後までやりぬいて立派な成果をあげること。「有終」は終わりをまっとうするという意。