「ホウ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ホウ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 70 件
悪法もまた法なり(あくほうもまたほうなり)
たとえ悪い法律であっても、廃止されるまではその法に従わなければならにということ。
明後日の方(あさってのほう)
見当違いの方向。
仇を恩で報ずる(あだをおんでほうずる)
憎むべき相手を憎まずに、かえってその人に情けをかけること。
阿呆の三杯汁(あほうのさんばいじる)
何杯も汁のおかわりをする作法知らずをあざけっていう言葉。また、愚か者にかぎって大食をすることのたとえ。 「阿呆の三杯汁」ともいう。
犬も朋輩、鷹も朋輩(いぬもほうばい、たかもほうばい)
役目や地位が違っても、同じ職場で働けばみな同僚であることには変わりないので、仲良くすべきであるということ。 鷹狩りにおいて、犬と鷹は役目が違うが、同じ主人に仕える仲間であるとの意から。
陰徳あれば必ず陽報あり(いんとくあればかならずようほうあり)
人知れず善い行いをする者には、必ず善い報いがあるということ。
上を見れば方図がない(うえをみればほうずがない)
上を見ればきりがないから、節度をわきまえよということ。「方図」は際限の意。
嘘も方便(うそもほうべん)
嘘も時と場合によっては、よい結果を得る手段として必要であるということ。仏教で衆生を真の教えに導くために、仏も嘘を用いたということから。
置き酌失礼、持たぬが不調法(おきじゃくしつれい、もたぬがぶちょうほう)
お酌のとき、置いた杯に酒を注ぐのも失礼だが、杯を持とうとしない受け手も不調法である。酒の席での微妙なおもむきを言ったことば。
起きて働く果報者(おきてはたらくかほうもの)
健康で働けることは、何よりも幸せだということ。「果報者」は幸運な人の意。
恩を以て怨みに報ず(おんをもってうらみにほうず)
恨みのある者に対して、復讐するのではなく、逆に恩徳を施すような広い心で接すること。
果報は寝て待て(かほうはねてまて)
幸運は自然にやってくるものだから、焦らず気長に待つほうがよいということ。「果報」は、前世での行いの結果として現世で受ける報いのことで、本来は善悪どちらをも意味したが、しだいに幸運の意になった。
機に因りて法を説け(きによりてほうをとけ)
仏の教えを説くときには、機会に応じた適切な方法で説法しなければならないということ。転じて、臨機応変に対応せよということ。
魚腹に葬らる(ぎょふくにほうむらる)
海や川で水死するたとえ。 海や川で溺れ死んで魚の餌となり、その腹に葬られるとの意から。
口は重宝(くちはちょうほう)
口は便利なもので、口先だけならなんとでも言えるということ。
君子は庖厨を遠ざく(くんしはほうちゅうをとおざく)
君子は憐れみ深いので、動物が捌かれる姿が見えてたり動物の悲鳴が聞こえたりする厨房に近づくことは忍び難いということ。
結構は阿呆のうち(けっこうはあほうのうち)
あまりにお人好しなのは、馬鹿と同じだということ。 「結構は阿呆の唐名」ともいう。
香炉峰の雪は簾をかかげて見る(こうろほうのゆきはすだれをかかげてみる)
白居易の詩の一節。「香炉峰」は中国江西省北端にある山。
財宝は地獄の家苞(ざいほうはじごくのいえづと)
質素に暮らして蓄財だけしても空しいということ。 蓄財しても地獄への土産になるだけという意味から。 「家苞」は持ち帰る手土産のこと。
財宝は身の敵(ざいほうはみのかたき)
人は財宝を持ったせいで人生を踏み外すことがあるという戒め。
士族の商法(しぞくのしょうほう)
急に不慣れなことを始めて失敗することのたとえ。明治初期、士族が生計を立てるため慣れない商売に手を出して失敗したことから。
正直は阿呆の異名(しょうじきはあほうのいみょう)
融通のきかない正直は、世渡りがへたな愚か者のすることであるということ。
正法に不思議なし(しょうほうにふしぎなし)
正しい宗教には不思議な利益(りやく)などは存在せずに、不思議な恩恵があるとすればそれは邪教であるということ。 「正法」は「しょうほう」とも読む。 「正法に不思議なし」ともいう。
水泡に帰す(すいほうにきす)
水の泡がはかなく消えるように、努力したことがまったく無駄に終わることのたとえ。
滑り道とお経は早い方がよい(すべりみちとおきょうははやいほうがよい)
滑りやすい道は人より先を歩く方が歩きやすく、退屈なお経は早く終わる方がありがたいということ。 「滑り道と観音経は早い方がよい」ともいう。
善を責むるは朋友の道なり(ぜんをせむるはほうゆうのみちなり)
善い行いをするように勧めるのが、友としての大切な務めだということ。「責むる」は、当然なすべき事を勧めるという意。
素封(そほう)
大金持ちのこと。 「素」はむなしいこと、なにもないこと。 「封」は領土のこと。 位や領土はもたないが、多くの財産を持っていること。 「素封家」ともいう。
大恩は報せず(たいおんはほうせず)
小さな恩義はすぐに気づいて報いることができるが、大きな恩義はその大きさゆえに気づきにくく、感謝や報恩ができないということ。
大根の皮取らぬ阿呆、生姜の皮取る阿呆(だいこんのかわとらぬあほう、しょうがのかわとるあほう)
大根は皮をむかないとまずい。生姜は皮をむくと食べるところが少なくなる。物事の適正を知らない愚か者のたとえ。
釣りする馬鹿に見る阿呆(つりするばかにみるあほう)
魚釣りをする人間も、それを見ている人間も、どちらも無駄な時間を過ごしている、と釣り好きをあざけった言葉。
伝家の宝刀(でんかのほうとう)
先祖代々その家に伝わる大切な刀。転じて、いざという時に使う切り札のたとえ。
伝家の宝刀を抜く(でんかのほうとうをぬく)
ここぞという場面でしか用いない、奥の手を使うこと。 「伝家の宝刀」は先祖代々その家に伝わる大切な刀。転じて、いざという時に使う切り札のたとえ。
冬至十日経てば阿呆でも知る(とうじとおかたてばあほうでもしる)
冬至を十日も過ぎればめっきりと日が長くなるので、どんなに鈍い人でも気づくということ。
所の法には矢は立たぬ(ところのほうにはやはたたぬ)
その土地の定めは、たとえ不合理と思っても、そこにいるかぎりは従うしかないということ。
図南の鵬翼(となんのほうよく)
大事業や海外進出などの大きな計画を立てること。 「図」は、企てること。 想像上の巨鳥、鵬(おおとり)が遠い南の地に向かって飛び立とうと翼を広げるとの意から。 「図南の鵬翼」ともいう。
途方に暮れる(とほうにくれる)
どうすればよいか分からず困り果てること。
途方もない(とほうもない)
道理から外れていること。または、程度が常識からひどく離れていること。
道理を破る法はあれども法を破る道理なし(どうりをやぶるほうはあれどもほうをやぶるどうりなし)
いかに正しい道理であっても法には勝てないということ。
泣く泣くもよい方を取る形見分け(なくなくもよいほうをとるかたみわけ)
どんな時でも、人間は欲だけは忘れないということ。親などが死んで悲しんでいる時でも、形見分けで良い物を選ぶということから。
生兵法は大怪我の基(なまびょうほうはおおけがのもと)
中途半端な知識や技術で物事を行うことはきわめて危険であるというたとえ。 「生兵法」は、未熟な兵法や武術のこと。また、十分身についていない知識や技術のこと。 中途半端に身につけた兵法や武術は、頼りになるどころか、かえって大けがの原因になるとの意から。 「生兵法は大疵(おおきず)の基」ともいう。 「基」は「元」とも書く。
錦着ての奉公より襤褸着ての我が世(にしききてのほうこうよりつづれきてのわがよ)
高価な着物を着られても、奉公人として人に頭を下げるより、たとえぼろ着でも自由な暮らしをしたいということ。
女房と畳は新しいほうがよい(にょうぼうとたたみはあたらしいほうがよい)
妻と畳は新しいほうが、新鮮な気分がしてよい。何でも新しいほうが気持ちがよいということ。
必要の前に法律なし(ひつようのまえにほうりつなし)
必要に迫られた緊急事態の時は、法律など気にしていられないということ。
人の牛蒡で法事する(ひとのごぼうでほうじする)
人の物を利用して自分の義理を果たすことのたとえ。 他人が持ってきた牛蒡を使って精進料理を作り、法事のもてなしをすることから。
人を見て法を説け(ひとをみてほうをとけ)
相手をよく見きわめて、それにふさわしい方法を取れということ。 相手の人柄や能力を見て、その人に適した仏法を説けとの意から。 「人」は「にん」ともいう。
不足奉公は双方の損(ふそくぼうこうはそうほうのそん)
仕事に不満を持ちながら働くのは奉公人にとって損であるし、主人側にとっても奉公人の仕事がはかどらないのは損だということ。 「不足奉公は両方の損」ともいう。
箆増しは果報持ち(へらましはかほうもち)
年上の女性を妻にすると幸せになるということ。「箆増し」は年上の女房、「果報持ち」は幸運・幸せの意。
法あっての寺寺あっての法(ほうあってのてらてらあってのほう)
仏法があってこそ寺があり、寺があってこそ仏法も保たれるということ。持ちつ持たれつの関係にあることのたとえ。
方位家の家潰し(ほういかのいえつぶし)
方角の吉凶を気にしすぎると身動きがとれなくなり、ついには家をつぶす結果になるということ。
砲火を交える(ほうかをまじえる)
戦闘を始めること。
箒を逆さに立てる(ほうきをさかさにたてる)
長居する客を早く帰らせるためのおまじない。また、地域によっては安産のおまじないともされる。
方言は国の手形(ほうげんはくにのてがた)
言葉のなまりは通行手形のように、その人の生まれ育った場所を示すということ。 「訛りは国の手形」「方言は国の手形」ともいう。
法三章(ほうさんしょう)
簡単な法律のこと。また、法律を簡略化すること。漢の高祖が厳しい法律を廃止し、殺人・傷害・窃盗だけを処罰するとした三章からなる簡略な法律を定めたという故事から。
法師の戦話(ほうしのいくさばなし)
不似合いなことのたとえ。
褒姒の一笑国を傾く(ほうじのいっしょうくにをかたむく)
美女のために国が滅びること。 「褒姒」とは中国、周の幽王の后。 めったに笑わない褒姒が、手違いで上がったのろしによって諸侯が参集するのを見て笑ったため、幽王が平時にたびたびのろしを上げさせたので、本当の戦乱の時には諸侯が集まらず国が滅びたという故事から。
法網を潜る(ほうもうをくぐる)
法律や規則などに引っ掛からないように悪事を働くこと。
朋友は六親に叶う(ほうゆうはりくしんにかなう)
親友は肉親に匹敵するほど大切だということ。「六親」は父・母・兄・弟・妻・子または父・子・兄・弟・夫・妻の称。
水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)
人は交友関係や環境しだいで、良くも悪くもなるというたとえ。 「方円」は四角形と円形のこと。水は容器の形によって四角にも丸くもなるということから。
身に過ぎた果報は災いの基(みにすぎたかほうはわざわいのもと)
分不相応の幸福は、かえって不幸を招くもとになるから、分相応な幸せがよいということ。「果報」は幸運の意。
見目は果報の基(みめはかほうのもとい)
顔かたちが美しいということは、幸運をもたらす元だということ。「見目」は容貌、「果報」は幸運の意。
見るは法楽(みるはほうらく)
自分の目でものを見るというのは、たとえようもなく楽しいということ。「法楽」とは神仏に捧げる音楽のこと。転じて楽しみの意。
刃は切れるが重宝(やいばはきれるがちょうほう)
道具は本来の役目を果たすことが最も大切で、見かけや飾りは問題ではないということ。
焼き餅と欠き餅は焼く方が良い(やきもちとかきもちはやくほうがよい)
女性は冷淡よりむしろ、適度にやきもちを焼くくらいのほうがかわいいということ。「欠き餅」とは、正月の餅を手で割って小さくしたもの。嫉妬する意味のやきもちと餅ををかけた言葉。
痩せ法師の酢好み(やせほうしのすごのみ)
人間はとかく、自分にふさわしくない物や必要ない物を好むものだということ。 痩せている僧が、飲むと痩せるといわれる酢を好むということから。
宿取らば一に方角、二に雪隠、三に戸締り、四には火の元(やどとらばいちにほうがく、ににせっちん、さんにとじまり、しにはひのもと)
昔、旅先で宿を取る時に、確認しておくべき事柄を順序だてて並べた言葉。「雪隠」は、便所のこと。
闇から闇に葬る(やみからやみにほうむる)
世間に知られては困ることを、人目に触れないようにこっそりと処理すること。 暗闇の中の物事をさらに別の暗闇に移して知られないようにするとの意から。
雪は豊年の瑞(ゆきはほうねんのしるし)
雪が多く降る年は、その年が豊作になる前触れだということ。「瑞」は前触れの意。
律儀は阿呆の唐名(りちぎはあほうのからな)
実直すぎるのは、愚かなことと同じだということ。「唐名」は別名の意。
両方聞いて下知をなせ(りょうほうきいてげちをなせ)
争い事に判断を下す時は、両方の言い分を公平に聞いてから判断すべきだということ。「下知」は「げじ」とも言い、指図・命令の意。
両方立てれば身が立たぬ(りょうほうたてればみがたたぬ)
一方に良いようにすれば、他方が不満に思う。どちらにも都合の良いようにするのは難しく、中に入った自分が苦しい立場に立ち、犠牲になってしまうということ。
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