「い」を含む故事・ことわざ・慣用句
「い」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2678 件
手垢の付いた(てあかのついた)
物事の方法や言葉などが長い間繰り返し使われ続けて、新鮮味がないこと。 何度も使っていて手垢で汚れているということから。
鄭家の奴は詩をうたう(ていかのやっこはしをうたう)
ふだん見聞きしていることは。自然に覚えるというたとえ。「鄭家」は、中国後漢の学者である鄭玄。鄭玄の家の雇い人は習いもしないのに詩経をうたうということから。
亭主関白の位(ていしゅかんぱくのくらい)
家庭の中で夫が非常にいばっていること、また絶大な権威をもっていることのたとえ。 一家の主人が関白と同じ位にあるかのような権威をもっているとの意から。 「関白」は、昔、天皇を補佐した重職のこと。 「亭主関白」ともいう。
亭主三杯客一杯(ていしゅさんばいきゃくいっぱい)
客をもてなすために、主人が客よりたくさん酒をのむこと。また、客をだしにして主人がふだんより多く酒を飲むことにもいう。
亭主の好きな赤烏帽子(ていしゅのすきなあかえぼし)
どのようなことでも、一家の主人が言うからには従わなければいけないということ。 黒塗りが普通である烏帽子も、主人が赤い烏帽子を好めば家族は同調すべきであるとの意から。
亭主の好きを客に出す(ていしゅのすきをきゃくにだす)
自分の好きなものは相手も好きだと思い込んでしまい、無理に押しつけがちであるということ。 主人の好物を客にふるまうことから。
亭主は達者で留守が良い(ていしゅはたっしゃでるすがよい)
亭主は元気で、外で働いてくれたほうが、女房は家でのんびりできるということ。
亭主を尻に敷く(ていしゅをしりにしく)
妻が夫を軽んじて好き勝手に振る舞うことのたとえ。
貞女は二夫に見えず(ていじょはじふにまみえず)
貞淑な女性は夫が亡くなっても、再び他の夫をもつことはしないということ。 「じふ」は「にふ」ともいう。 また、「貞女は両夫に見えず」「貞女は二夫を更めず」「貞女は二夫を並べず」などともいう。
鼎沸(ていふつ)
多くの人が盛んに議論すること。また、議論がわき立つこと。鼎(かなえ)は物を煮る大きな銅器のことで、鼎の中がぐらぐら煮えたぎる意から。
鼎立(ていりつ)
三者、三つの勢力が互いに向き合って対立すること。鼎(かなえ)は物を煮る大きな銅器のことで、三本の足で立っていることから。
手が入れば足も入る(てがいればあしもいる)
一度気を許すと次々と入り込まれることのたとえ。また、次第に深入りすることのたとえ。
手が付かない(てがつかない)
時間に余裕がなく、その物事を始めることができないこと。 または、別のことが気がかりで集中できないこと。
手が付けられない(てがつけられない)
対処の仕方が分からずにどうすることもできないこと。
手が出ない(てがでない)
自分の能力を超えていて手立てがないこと。
手が無い(てがない)
働き手が足りないこと。人手が足りないこと。 または、物事を解決する方法がないこと。
手が長い(てがながい)
他人の物を盗む癖があること。手癖が悪いこと。
手が入る(てがはいる)
他人が修正や補完をすること。 または、警察などが犯人の逮捕や事件の捜査のためにその場所へ立ち入ること。
手が離せない(てがはなせない)
やりかけている事があって、他の事をする余裕がないこと。 「手が塞がる」ともいう。
手が早い(てがはやい)
すぐに暴力をふるうこと。 または、すぐに物事を処理することができること。 また、すぐに女性と関係を持つこと。
手が回らない(てがまわらない)
やることが多くて、他のことをする余裕がないこと。非常に慌ただしいこと。
手癖が悪い(てくせがわるい)
他人の者を盗む癖があること。 または、女癖が悪いこと。 「手癖」は「てぐせ」とも読む。
梃子入れをする(てこいれをする)
衰えているものに手を加えて改善すること。 または、下落している相場を人為的に操作して引き上げること。 「梃子入れ」は「梃入れ」とも書く。
梃子でも動かない(てこでもうごかない)
どんな手段を用いても、絶対にその場から動かないことのたとえ。 または、どんな事があっても、頑として言うことをきかないことのたとえ。 梃子は小さな力で大きなものを動かすことができるが、その梃子を用いても動かすことができないことから。
手酌五合、髱一升(てじゃくごごう、たぼいっしょう)
手酌では五合しか飲めないが、若い女性の酌では一升でも飲んでしまうということ。「髱」は日本髪の後ろに張り出している部分で、転じて、若い女性の意。
手出し十層倍(てだしじっそうばい)
喧嘩は、初めにしかけた者に、他の者の十倍の罪があるということ。
鉄槌を下す(てっついをくだす)
この上なく厳しい罰を与えること。 「鉄槌」は大きな金槌のこと。
鉄砲玉の使い(てっぽうだまのつかい)
撃ったら戻らない鉄砲玉のように、行ったきりで帰って来ない使いのこと。
鉄は熱いうちに打て(てつはあついうちにうて)
人は精神が柔軟な若いうちに、頭も身体も鍛えるべきであるというたとえ。また、物事は時機を逸せず、みんなの熱意があるうちに行えというたとえ。鉄は熱して柔らかい間は自由な形に加工しやすいことから。
手に入れる(てにいれる)
自分のものとすること。所有物とすること。
手に負えない(てにおえない)
物事が自分の能力を超えていて、うまく処置できないこと。 「手に負えない」ともいう。
手に付かない(てにつかない)
他のことに心が奪われて、集中して物事を行うことができないこと。
手に入る(てにはいる)
自分の所有となること。自分のものになること。
てにをはが合わない(てにをはがあわない)
話の辻褄が合わないことのたとえ。 「てにをは」は助動詞のことで、それらが正しく使われていないということから。
手のない将棋は負け将棋(てのないしょうぎはまけしょうぎ)
方策がないところには成算がないというたとえ。打つ手に困る将棋は、結局は負けるということから。
手の施しようがない(てのほどこしようがない)
処置をする方法が全くないこと。
手の舞、足の踏む所を知らず(てのまい、あしのふむところをしらず)
あまりのうれしさに思わず小躍りして喜ぶ様子。また、慌てふためくさま。
手は一生の宝(てはいっしょうのたから)
文字を巧みに書くことは、一生の宝だということ。
手前味噌で塩が辛い(てまえみそでしおがからい)
自分で自分のことを自慢すること。また、自慢話ばかりで聞き苦しいというたとえ。 「手前味噌」は自分で作った味噌のこと。 自分で作った味噌は塩辛くてもうまいと感じるとの意から。
手回しがいい(てまわしがいい)
事前の準備をしっかりと済ませること。
手も足も出ない(てもあしもでない)
自分の力ではどうしようもないということ。施す手段がなくて手が打てない様子。
手を入れる(てをいれる)
作品などを修正したり、補足したりすること。手を加える。 または、捜査や逮捕のために警官が現場に踏み込むこと。
手を濡らさない(てをぬらさない)
自分で苦労せずに成果を得ようとする様子。
天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ(てんかのうれいにさきだちてうれい、てんかのたのしみにおくれてたのしむ)
すぐれた政治家や指導者は、人々よりも先に国のことを心配し、人々が楽しんだ後で自身も楽しむべきだということ。 「[[先憂後楽*https://yoji.jitenon.jp/yojid/1517.html]]」ともいう。
天から降ったか地から湧いたか(てんからふったかちからわいたか)
それまでなかったものがいきなり現れて不可解な様子。
天下分け目の戦い(てんかわけめのたたかい)
今後の運命が決まる重要な戦いのこと。特に関ヶ原の戦いをいう。
天狗の飛び損ない(てんぐのとびそこない)
日ごろ自慢している者が、油断して失敗してしまうことのたとえ。自由自在に飛び回る天狗が、何かの拍子に飛び損なってしまうということから。
天災は忘れた頃にやってくる(てんさいはわすれたころにやってくる)
災害は人々がその恐ろしさを忘れた頃にまた襲ってくるものであるということ。 油断は禁物で用心を怠ってはいけないという戒めの言葉。 物理学者・随筆家の寺田寅彦の言葉。 「災害は忘れた頃にやってくる」ともいう。
天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)
天地の間に自分にまさる尊大な者はいないということ。釈迦が誕生してすぐに七歩歩み、右手で天を指し、左手で地を指して唱えたといわれる言葉。「天下」は「てんが」とも読む。
椽大の筆(てんだいのふで)
堂々とした立派な文章のこと。「椽」は、屋根を支える垂木(たるき)のこと。家の屋根を支える垂木のように大きな筆の意から。
天道様と米の飯はどこへも付いて回る(てんとうさまとこめのめしはどこへもついてまわる)
どんな所にも太陽が当たるように、どこへ行っても暮らしていけるということ。
天に口なし人を以て言わしむ(てんにくちなしひとをもっていわしむ)
天はものを言ったりしないが、その意思は人の口を通じて伝えられるということ。つまり、天の声である世論は真実を語っているということ。
天の配剤(てんのはいざい)
天の神は、善行に対してはよい報いを、悪行に対しては悪い報いを与えるということ。「配剤」は薬の調合のこと。転じて、物事をほどよく組み合わせるという意。
天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)
悪事を犯した者は必ず天罰を受けるということ。 「恢恢」は広大なこと。「疎」は粗いこと。 天の網は広く、目が粗いように見えるが、絶対に網の目から漏らすことはないとの意から。
天を仰いで唾す(てんをあおいでつばきす)
他人に害を与えようとして、逆に自分がひどい目に遭うことのたとえ。 上を向いて唾をはくと、自分の顔に落ちてくることから。 「天を仰いで唾す」「天を仰いで唾する」「仰いで唾を吐く」などともいう。
泥酔(でいすい)
正体をなくすほど酒に酔うこと。
泥中の蓮(でいちゅうのはす)
汚れた環境の中でも、それに染まらず清らかに生きていることのたとえ。汚い泥の中でも蓮は清らかな花を咲かせることから。
泥裡に土塊を洗う(でいりにどかいをあらう)
汚さや醜さがの程度が甚だしいことのたとえ。 または、意味のないことや理解ができないことのたとえ。 土の塊を泥の中に入れて洗うということから。
出来ない相談(できないそうだん)
始めからまとまらないことが分かっている無理な相談。
出遣いより小遣い(でづかいよりこづかい)
大きな買い物で多額に出費するよりも、日常のこまごました出費のほうが、積もり積もって大きい金額になるというたとえ。
出る息、入る息を待たず(でるいき、いるいきをまたず)
人の命ははかなく、いつどうなるかわからないということ。 吸った息を吐き出すくらいの一瞬の間にも、人の命はどう変わるかわからないとの意から。
出る杭は打たれる(でるくいはうたれる)
ひときわ優れた才能がある人は、妬まれたり憎まれたりするということ。また、出過ぎたことをする人は、非難されたり制裁を受けたりするということ。 並んだ杭の中に一本だけ高い杭があれば、高さを揃えるために打たれることから。 「出る釘は打たれる」「差し出る杭は打たれる」ともいう。
出る幕ではない(でるまくではない)
その物事に関わりになる時ではないということ。 芝居などで、その役者が出る場面ではないという意味から。
問い声よければいらえ声よい(といごえよければいらえごえよい)
こちらの出方しだいで、相手の態度も変わるというたとえ。聞き方が良ければ相手の答え方も良いということ。
戸板に豆(といたにまめ)
戸板の上を豆が転がるようすから、すらすらと早口でしゃべることのたとえ。物事がどんどん進んでいくことのたとえ。 または、戸板にのせた豆は転がって扱いづらいことから、思うようにならないことのたとえ。
問屋の只今(といやのただいま)
返事はいいが約束がなかなか実行されないことのたとえ。「問屋」は問屋(とんや)のことで、注文しても返事だけですぐには商品が届かない意から。
東家に食して西家に眠らん(とうかにしょくしてせいかにねむらん)
欲が深いことのたとえ。昔、中国斉の国の美女が両隣の男性から求婚され、東側の家は金持ちだが醜男、西側の家は貧乏だが美男だった。母親がどちらに嫁ぐのか尋ねたところ、昼間は東側の家で過ごし、夜は西側の家で過ごしたいと答えたという故事から。
東西南北の人(とうざいなんぼくのひと)
あちらこちらをさまよい歩き、住所が定まらないひと。
東西を失う(とうざいをうしなう)
方角がわからなくなること。どうしたらよいかわからず途方に暮れること。
東西を弁ぜず(とうざいをべんぜず)
物事の道理がわからない様子。 東と西の区別がつけられないということから。 「東西を弁えず」ともいう。
灯台下暗し(とうだいもとくらし)
身近なことはかえってわかりにくいたとえ。「灯台」は、燭台のこと。まわりを明るくてらすが燭台のすぐ下は陰になって暗いことから。
尊い寺は門から見ゆる(とうといてらはもんからみゆる)
尊いものは見た目ですぐにわかるということ。 尊い寺は、門構えからして立派でありがたみを感じさせるとの意から。
問うは一旦の恥、問わぬは末代の恥(とうはいったんのはじ、とわぬはまつだいのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時だけ恥ずかしい思いをするが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしい思いをするということ。
豆腐で歯を痛める(とうふではをいためる)
ありえないことのたとえ。
豆腐に鎹(とうふにかすがい)
少しも手ごたえや効果がないことのたとえ。「鎹」は、材木をつなぎ止めるためのコの字型の釘のことで、豆腐に鎹を打っても何の効き目もないことから。
桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す(とうりものいわざれどもしたおのずからけいをなす)
徳のある人のもとへは、自然に人々が集まることのたとえ。 桃や李(すもも)は何も言わないがその花や実に惹かれて人が集まり、木の下には自然に小道ができるとの意から。 「蹊」は小道のこと。 「成蹊」ともいう。
十日の菊、六日の菖蒲(とおかのきく、むいかのあやめ)
時期に遅れて役に立たないもののたとえ。 9月9日の重陽の節句に用いる菊は9月10日では遅く、5月5日の端午の節句に用いる菖蒲は5月6日では間に合わないとの意から。 「六日の菖蒲、十日の菊」ともいう。 また、単に「十日の菊」「六日の菖蒲」ともいう。
遠き慮りなき者は必ず近き憂いあり(とおきおもんぱかりなきものはかならずちかきうれいあり)
遠い将来を見越した考えを持っていないと、必ず急な憂い事が起こるということ。 「遠慮」は、先々のことを思慮すること。 「近憂」は、間近の憂い事のこと。 「遠き慮りなき者は必ず近き憂えあり」ともいう。
遠くて近いは男女の仲(とおくてちかいはだんじょのなか)
男女の仲は遠く離れているようで意外に近く、結ばれやすいものであるということ。
遠くの親類より近くの他人(とおくのしんるいよりちかくのたにん)
いざという時には、遠方に住んでいる親戚より近所に住んでいる他人の方が頼りになるということ。