「う」を含む故事・ことわざ・慣用句
「う」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2443 件
大功は拙なるが如し(たいこうはせつなるがごとし)
真の名人は小細工をしないので、一見すると下手に見えるということ。
大功を成す者は衆に謀らず(たいこうをなすものはしゅうにはからず)
大事業を成し遂げる者は、周囲の意見を聞いたり相談したりせず、自分の判断で事を行うということ。
大功を論ずる者は小過を録せず(たいこうをろんずるものはしょうかをろくせず)
大きな功績を表彰しようと議論する時、たとえそのかげに小さな過失があっても大目に見て問題にしないということ。
太鼓も撥の当たりよう(たいこもばちのあたりよう)
こちらのやり方次第で相手の出方も違ってくるというたとえ。 太鼓はたたき方ひとつで、音の強弱がかわるとの意から。 「撥」は「桴」や「枹」とも書く。
太鼓を打てば鉦が外れる(たいこをうてばかねがはずれる)
一方に気を取られると、もう一方がおろそかになるというたとえ。 太鼓に気を取られると、鉦を打つ手がゆるみ、打ち損じることから。
泰山は土壌を譲らず(たいざんはどじょうをゆずらず)
大きなことを成し遂げる人は、小さい意見にも素直に耳を傾ける度量の広さを持つ、またそのようにして自分を高めていくというたとえ。 「泰山」は中国、山東省にある山。 泰山はどんな小さな土くれでも拒まずに受け入れて大きな山になったとの意から。 「泰山」は「太山」とも書く。
大山鳴動して鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)
前触ればかりが大きくて、実際の結果は小さいことのたとえ。 大きな山が音を立てて揺れ動くので、何か大きな事が起こるのかと身構えていると、鼠がたった一匹出てきただけだったとの意から。 「大山」は「泰山」とも書く。
大珠小珠、玉盤に落つ(たいじゅしょうじゅ、ぎょくばんにおつ)
大小の真珠が玉の皿に落ちるように、美しく澄んだ琵琶の音色が響き渡ること。
大樹の下に美草なし(たいじゅのもとにびそうなし)
あまりに力のある人物の下では、その影響が強すぎて、すぐれた人物が育ちにくいことのたとえ。 大木の下は日が当たらず、よい草が育たないことから。
大人は赤子の心を失わず(たいじんはせきしのこころをうしなわず)
高徳の人は、生まれ持った純粋な心をいつまでも失わないということ。また、君主たる者は、赤子を慈しむように民を大切にし、その気持ちに寄り添うということ。
大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず(たいてきとみておそれずしょうてきとみてあなどらず)
相手が強そうに見えても恐れてはいけないし、弱そうに見えても侮ってはいけないということ。
台風の目(たいふうのめ)
揺れ動く事態の中心となる人物や勢力。[1]より転じた意味。
「国政の―となる人物」鯛も一人は旨からず(たいもひとりはうまからず)
どんなにおいしいものでも、一人で食べるのではおいしくない。大勢で食べる食事のほうがおいしいということ。 「一人」は「独り」とも書く。
大勇は勇ならず(たいゆうはゆうならず)
本当に勇気のある人はむやみに人と争ったりしないので、一見勇気がないように見えるということ。「大勇は闘わず」「大勇は怯なるが如し」ともいう。
大漁の明日(たいりょうのあした)
良いことは、そうそう長続きしないということ。 大漁の次の日も大漁であるとは限らないとの意から。
高く買う(たかくかう)
相場より高い値段で買うこと。転じて、人物の能力や行いなどを高く評価すること。
鷹は飢えても穂を摘まず(たかはうえてもほをつまず)
高潔な人は、どんなに困っても不正なことは決してしないというたとえ。鷹はどんなに飢えても穀物はついばまないということから。
薪を抱きて火を救う(たきぎをいだきてひをすくう)
害を除こうとして、かえって害を大きくしてしまうことのたとえ。火を消そうとして薪を抱えて火元に近づき、逆に火の勢いを強めてしまうということから。
竹を割ったよう(たけをわったよう)
さっぱりしていて、わだかまりのない気性のたとえ。竹が一直線に割れることから。
蛸は身を食う(たこはみをくう)
資本や財産を食い減らすたとえ。蛸は空腹になると自分の足を食うといわれるところから。
闘う雀、人を恐れず(たたかうすずめ、ひとをおそれず)
何かに無我夢中になっている者は、思いがけない力を発揮するというたとえ。 雀のような弱い鳥でも戦っている時は、人間が近づいても逃げようとしないとの意から。 「闘雀人を恐れず」ともいう。
畳の上で死ぬ(たたみのうえでしぬ)
事故死や変死などではなく、自分の家で穏やかに死ぬ。
畳の上の怪我(たたみのうえのけが)
安全なはずの畳の上でさえ怪我をすることがあるように、どこで災難に遭うか予測できないというたとえ。
畳の上の水練(たたみのうえのすいれん)
理屈や方法を知っているだけで、実際には役に立たないことのたとえ。 「水練」は、水泳の練習。 畳の上で水泳の練習をしても、泳げるようにならないことから。 「畳水練」「畑水練」ともいう。
太刀打ちができない(たちうちができない)
相手のほうが力が上で、勝負にならない。相手にならない。 「太刀打ちできない(たちうちできない)」ともいう。
立ち往生する(たちおうじょうする)
途中で行き詰まり、進むことも引き返すこともできなくなること。 「立ち往生」は、弁慶(べんけい)が立ったまま死んだとされる「弁慶の立ち往生」に由来する語。
立ち仏が居仏を使う(たちぼとけがいぼとけをつかう)
立っている者が、座っている者に用事を頼むたとえ。自分で出来ることを無精して人にさせるたとえ。「居仏」は、座像の仏のこと。
田作る道は農に問え(たつくるみちはのうにとえ)
農業のことは農民に聞くのが一番いいように、何事もその専門家に聞くのが一番いい方法だということ。
田作りも魚のうち(たづくりもうおのうち)
弱小で無力な者でも仲間には違いがないというたとえ。「田作り」はごまめの別名で鰯の幼魚。ごまめのように小さな魚でも、魚の仲間に違いはないということから。
盾の両面を見よ(たてのりょうめんをみよ)
物事は、表と裏の両面を観察してから正しく判断せよということ。
蓼食う虫も好き好き(たでくうむしもすきずき)
人の好みはさまざまであるというたとえ。 辛い蓼の葉を好んで食べる虫もいるように、人の好みはいろいろあるとの意から。
譬えに嘘なし坊主に毛なし(たとえにうそなしぼうずにけなし)
昔から言い伝えられてきたたとえやことわざは、どれも真理であり嘘はないということ。
掌の内(たなごころのうち)
まるで手の中にあるかのように、物事が自分の思い通りになること。 「掌」は、てのひらのこと。
掌を返すよう(たなごころをかえすよう)
てのひらを返すように物事が簡単に出来ることのたとえ。 または、言葉や態度などをがらりと変えることのたとえ。
他人の疝気を頭痛に病む(たにんのせんきをずつうにやむ)
自分には関係のない物事で、いらぬ心配をすることのたとえ。 「疝気」は漢方で腰・下腹部の病気のこと。 他人の疝気を心配して自分が頭痛になることから。 「人の疝気を頭痛に病む」「隣の疝気を頭痛に病む」ともいう。
他人の飯を食う(たにんのめしをくう)
親元を離れ、他人の間に揉まれて実社会の経験を積むこと。
他人の別れ棒の端(たにんのわかれぼうのはし)
夫婦が離婚すると、赤の他人よりも疎遠になってしまい、お互いに棒切れほどにしか思わなくなるということ。
旅路の命は路用の金(たびじのいのちはろようのかね)
旅先で頼りになるのは、何よりも所持金であるということ。 旅先では命と同じくらい所持金が大切であるということ。
旅は憂いもの辛いもの(たびはういものつらいもの)
旅先では知人もなく、土地の事情もわからず、とかく心配やつらいことが多いものだということ。昔の旅行が今と違い、不便でつらいものだったことから生まれた言葉。
卵の四角と女郎の誠(たまごのしかくとじょろうのまこと)
あるはずのないことのたとえ。 四角い形の卵は存在しないことから。 「卵の四角と女郎の誠(四角い形の卵が存在しないのと同じで、女郎が誠意を持つことなどない)」ともいう。
卵を盗む者は牛も盗む(たまごをぬすむものはうしもぬすむ)
小さな悪事をはたらいた者は、いずれ大きな犯罪を犯すようになるということ。そのためにも、ちいさな悪事も見逃さずに戒めるべきであるということ。
卵を以て石に投ず(たまごをもっていしにとうず)
損ばかりでなんにもならないことのたとえ。また、道理の通らない愚かな行為のたとえ。石に卵を投げつけても卵が割れるだけで石はなんともないことから。
たまに出る子は風に遭う(たまにでるこはかぜにあう)
普段しないようなことをすると、失敗したりひどい目に遭ったりするというたとえ。 めったに外に出ない子がたまに外出すると、その日に限って大風が吹くとの意から。
玉を転がすよう(たまをころがすよう)
音や声が高く澄んで美しい様子の形容。
玉を衒いて石を売る(たまをてらいていしをうる)
値打ちのある物のように見せかけて、実際は粗末な物を売るたとえ。「衒う」は、見せびらかす意。高価な玉を見せびらかしておいて、実際には値打ちのない石を売りつけるということから。
溜め息をすれば親の寿命が縮む(ためいきをすればおやのじゅみょうがちぢむ)
子どもがため息をつけば、親は寿命が縮むほど心配するから、親にそんな態度を見せてはいけないということ。
矯めるなら若木のうち(ためるならわかぎのうち)
樹木の枝などの形を整えるなら柔らかい若木のうちにせよということ。 人間の悪い癖や欠点なども若いうちになおすのがよいというたとえ。 「矯める」は曲げたり伸ばしたりして形を整えること。
誰か烏の雌雄を知らんや(たれかからすのしゆうをしらんや)
外見だけでは物事の善悪や優劣がつけにくいことのたとえ。また、よく似ていて区別しにくいことのたとえ。 誰が真っ黒な烏の雌と雄を見分けることができるだろうかの意から。 単に「烏の雌雄」ともいう。
胆は大ならんことを欲し、心は小ならんことを欲す(たんはだいならんことをほっし、こころはしょうならんことをほっす)
度胸は大きく持ちたいし、注意は細やかでありたいということ。 「胆大心小」ともいう。
短兵急(たんぺいきゅう)
だしぬけである様子。いきなり。 「短兵」は短い武器のことで、それを持って急に攻めるとの意から。
短を捨てて長を取る(たんをすててちょうをとる)
欠点や短所を除いて、長所のみを参考として取り入れること。
大吉は凶に還る(だいきちはきょうにかえる)
吉は縁起がいいが、それが過ぎて大吉になると凶に近づく。幸せはほどほどが良いというたとえ。
乃公出でずんば(だいこういでずんば)
「もし自分がやらなければ、いったい他の誰ができるのというのか」の意。 「乃公」は男子が自分のことを尊大に言う語。俺さま・吾輩の意。
大根と女房は盗まれるほど良い(だいこんとにょうぼうはぬすまれるほどよい)
大根や女房は盗まれたり手を出されたりするほうが魅力があるということ。
大根の皮取らぬ阿呆、生姜の皮取る阿呆(だいこんのかわとらぬあほう、しょうがのかわとるあほう)
大根は皮をむかないとまずい。生姜は皮をむくと食べるところが少なくなる。物事の適正を知らない愚か者のたとえ。
大事の前の小事(だいじのまえのしょうじ)
大きな事を行う時には、小さな事にも油断してはいけないということ。また、大きな目的を遂げるためには、小さな犠牲はやむを得ないということ。
大事は小事より起こる(だいじはしょうじよりおこる)
どのような大事も、取るに足りない小さなことが原因となって引き起こされるということ。小さな油断にも気をつけよという戒めの言葉。
大上段に構える(だいじょうだんにかまえる)
相手を威圧するような態度を取ること。 「大上段」は、刀を頭上に高く振りかざす構え。
抱いた子の塵を食うを知らぬ(だいたこのちりをくうをしらぬ)
内輪のことには案外気が回らないというたとえ。 抱いている子どもが、ごみを口に入れても気がつかないことがあるとの意から。
大徳は小怨を滅ぼす(だいとくはしょうえんをほろぼす)
受けた恩が大きければ、少しの怨みや不満は気にならなくなるということ。 「大徳」は「たいとく」とも読む。 「大徳は小怨を滅す」ともいう。
大道廃れて仁義あり(だいどうすたれてじんぎあり)
世の中の秩序が乱れて、人が守るべき正しい道理が失われると、仁義という道徳心を唱える必要が生じるということ。
大なり小なり(だいなりしょうなり)
多かれ少なかれ。程度の差はあれど。
大は小を兼ねる(だいはしょうをかねる)
大きな物は小さな物の代わりとしても使える。 小さい物より大きな物のほうが役に立つということ。
出しに使う(だしにつかう)
自分の利益のために、他のものを利用する。出しにする。
駄賃馬に唐鞍(だちんうまにからくら)
つり合わない飾りや装いのたとえ。 つまらないものが、身分不相応に華やかに飾り立てられること。 「唐鞍」は、儀式用のきらびやかな馬具。唐風の鞍。 荷物を運ぶだけの駄賃馬に、儀式用の豪華な鞍をつけることから。
伊達の薄着(だてのうすぎ)
着膨れを嫌がり、寒くてもやせ我慢して薄着をすること。
伊達の素足もないから起こる、あれば天鵞絨の足袋も履く(だてのすあしもないからおこる、あればびろうどのたびもはく)
どうしようもなくて我慢することのたとえ。 粋だと言われている伊達の素足も、実は足袋を買う金がないからだとの意から。 「伊達の素足も貧から起こる」ともいう。
誰が猫に鈴をつけるというのか(だれがねこにすずをつけるというのか)
いろいろ議論しても、いざ実行となると誰が実行するのか非常に難しいことのたとえ。鼠たちが集まり、猫の首に鈴をつけて、その音で身を守ろうと考えたが、実行する鼠はいなかったというイソップ寓話から。
誰でも自分の荷が一番重いと思う(だれでもじぶんのにがいちばんおもいとおもう)
自分のしていることが一番大変だと思いがちで、他人のしていることは楽に見えるが、実際にやってみると簡単ではないということ。
談義説法は出家の生計(だんぎせっぽうはしゅっけのせいけい)
ありがたい談義や説法も、結局は僧侶が生計を立てる手段でしかないということ。 「生計」は「身過ぎ」ともいう。
団子隠そうより跡隠せ(だんごかくそうよりあとかくせ)
事を隠そうとする時、思わぬところから露見するかもしれないから、念には念をいれて注意せよということ。こっそり団子を食べたとき、残りの団子だけ隠しても、串を片付けなければばれてしまうので跡が残らないようにせよということ。
男子厨房に入らず(だんしちゅうぼうにはいらず)
男が台所に立って料理をしたり片づけたりするべきではないということ。 「君子は庖厨を遠ざく(君子は憐れみ深いので、動物が捌かれる姿が見えてたり動物の悲鳴が聞こえたりする厨房に近づくことは忍び難い)」が由来とされる。 この言葉が日本に伝わった後に、本来の意味である「憐れみ」が「台所に立つべきではない」に変わったものといわれる。※諸説あり
男女七歳にして席を同じゅうせず(だんじょしちさいにしてせきをおなじゅうせず)
人は七歳にもなれば、男女の別を明らかにしてみだりに慣れ親しんではならないということ。男女は七歳になったら同じ敷物に座るべきではないという儒教の道徳から。
断腸(だんちょう)
はらわたがちぎれるほど、悲しく苦しいこと。
断腸の思い(だんちょうのおもい)
非常に悲しくつらい思いのたとえ。 「断腸」は腸がちぎれるほどの悲しみ。 昔、中国の武将桓温(かんおん)の部下が猿の子を捕らえて船に乗せた。母猿は悲しみながら岸を百里あまり追いかけ、ついには船に飛び移ったがそのまま息絶えた。その腹を割いてみると、腸がずたずたに断ち切れていたという故事から。
小さく生んで大きく育てる(ちいさくうんでおおきくそだてる)
子どもは小さい子を楽に生んで大きく育てるのが賢明だということ。事業なども小規模で始めてだんだん大きくしていくのがよいやり方だということ。
力山を抜き、気は世を蓋う(ちからやまをぬき、きはよをおおう)
勇壮な気性のたとえ。 山を引き抜くほどの大きな力と、世界を覆い尽くすほどの意気があるとの意。 敵に取り囲まれた四面楚歌の状況で楚の項羽がうたった詩「垓下歌」の一節。 「抜山蓋世」ともいう。
地から湧いたよう(ちからわいたよう)
今まで影も形もなかったものが、急に現れるさま。
血が通う(ちがかよう)
事務的、形式的ではなく、人間らしい思いやりや優しさがあること。
地球は青かった(ちきゅうはあおかった)
1961年、ソ連の宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンが、宇宙から地球に帰還した後に語った言葉。