「ざ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「ざ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 172 件
知りて知らざれ(しりてしらざれ)
よく知っていてもむやみに自慢しないほうが奥ゆかしいということ。 「知って知らざれ」ともいう。
汁を吸うても同罪(しるをすうてもどうざい)
悪事に少しでも関わったら同罪だということ。 汁を少し吸っただけだとしても、中身を食べたのと同じだという意味から。
人心の同じからざるは其の面の如し(じんしんのおなじからざるはそのおもてのごとし)
人の顔がひとりひとり違うように、人の心もそれぞれ異なるということ。 「人心の同じからざるは其の面の如し」ともいう。
過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)
物事の度が過ぎると、足りないのと同じくらい良くないので、何事もほどほどが最良だということ。
青雲の志(せいうんのこころざし)
立身出世して高い地位を得ようとする志。「青雲」は高位、高官の意。
精神一到、何事か成らざらん(せいしんいっとう、なにごとかならざらん)
精神を集中して取り組めば、どんな難しいことでもできないことはないということ。
総領の十五は貧乏の世盛り(そうりょうのじゅうごはびんぼうのよざかり)
長男が一人前になる一歩手前の十五歳の頃が、家計がもっとも苦しい時期だというたとえ。
その子を知らざればその友を視よ(そのこをしらざればそのともをみよ)
その子のことがわからない時は、付き合っている友達を見ればわかるということ。
泰山の安きに置く(たいざんのやすきにおく)
泰山のように、揺るぎないものとしてどっしりと安定させること。 中国の名山である泰山は、古くから動じないものの象徴とされる。
泰山は土壌を譲らず(たいざんはどじょうをゆずらず)
大きなことを成し遂げる人は、小さい意見にも素直に耳を傾ける度量の広さを持つ、またそのようにして自分を高めていくというたとえ。 「泰山」は中国、山東省にある山。 泰山はどんな小さな土くれでも拒まずに受け入れて大きな山になったとの意から。 「泰山」は「太山」とも書く。
泰山北斗のごとし(たいざんほくとのごとし)
その道の大家として最も尊ばれる人物をたとえていうことば。 「泰山」は中国、山東省にある名山、「北斗」は北斗七星。 中国では、泰山と北斗七星が人々から仰ぎ見られていたことから。 「泰山北斗」は略して「[[泰斗*https://kokugo.jitenon.jp/word/p30621]]」ともいう。
大山鳴動して鼠一匹(たいざんめいどうしてねずみいっぴき)
前触ればかりが大きくて、実際の結果は小さいことのたとえ。 大きな山が音を立てて揺れ動くので、何か大きな事が起こるのかと身構えていると、鼠がたった一匹出てきただけだったとの意から。 「大山」は「泰山」とも書く。
太山を挟んで北海を超ゆ(たいざんをわきばさんでほっかいをこゆ)
人間の力では出来るはずがないことのたとえ。 「太山」は泰山、「北海」は中国北東部にある渤海湾(ぼっかいわん)のこと。 泰山を小脇にかかえて渤海湾を飛び越えるとの意から。
高い舟借りて安い小魚釣る(たかいふねかりてやすいこざかなつる)
好きな事のためには、損得など考えないということのたとえ。
他山の石(たざんのいし)
他人の誤った言行を、自分の修養のために役立てること。 よその山から取れたつまらない石でも、自分の宝石を磨くのに使えるとの意から。
玉と欺く(たまとあざむく)
玉であるかのように思わせる。 「玉」は宝石。 多く草の葉の上の露についていう。
玉磨かざれば光なし(たまみがかざればひかりなし)
才能や素質に恵まれていても、努力しなければ立派な人間になることはできないというたとえ。 どれほどすばらしい玉でも、磨かなければ光を放たないとの意から。 「玉磨かざれば器を成さず」ともいう。
池魚の殃(ちぎょのわざわい)
思いがけないことに巻き込まれて災難にあうことのたとえ。昔、中国で城門が火事になり池の水を使って消火したため、水がなくなり池の魚が死んでしまったという故事から。
父父たらずと雖も子は子たらざるべからず(ちちちちたらずといえどもこはこたらざるべからず)
父親が父親の役目を果たさなくても、子どもは子どもとしての役目を果たさなければならないということ。
掉尾を飾る(ちょうびをかざる)
最後を立派にしめくくること。 「掉尾」は、「とうび」とも読み、捕らえられた魚が死ぬ直前に尾を振ること。転じて、最後の意。
つまり肴(つまりざかな)
もはや打つ手がなくなり、仕方なくやってみるつまらない手段のたとえ。 酒宴が長引いて肴が尽きたので、やむなくつまらない肴を作って出すとの意から。
天王山(てんのうざん)
勝負の分かれ目となるきわめて大事な時や場所のこと。「天王山」は、京都にある山。交通の要地であった、天王山のふもとの山崎の戦いで、羽柴秀吉が明智光秀に勝利を収めたことから。
天の配剤(てんのはいざい)
天の神は、善行に対してはよい報いを、悪行に対しては悪い報いを与えるということ。「配剤」は薬の調合のこと。転じて、物事をほどよく組み合わせるという意。
東西南北の人(とうざいなんぼくのひと)
あちらこちらをさまよい歩き、住所が定まらないひと。
東西を失う(とうざいをうしなう)
方角がわからなくなること。どうしたらよいかわからず途方に暮れること。
東西を弁ぜず(とうざいをべんぜず)
物事の道理がわからない様子。 東と西の区別がつけられないということから。 「東西を弁えず」ともいう。
桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す(とうりものいわざれどもしたおのずからけいをなす)
徳のある人のもとへは、自然に人々が集まることのたとえ。 桃や李(すもも)は何も言わないがその花や実に惹かれて人が集まり、木の下には自然に小道ができるとの意から。 「蹊」は小道のこと。 「成蹊」ともいう。
遠ざかるほど思いが募る(とおざかるほどおもいがつのる)
人を思う気持ちは、遠く離れたりして会えないほど、強くなるということ。
時の花を挿頭にせよ(ときのはなをかざしにせよ)
時流に乗って世渡りすることがよいということ。 「挿頭」は髪や冠に挿す飾り花のこと。 その時季に咲く花を飾るように、その時代の風潮や傾向に合わせて暮らすべきであるということ。
捕らぬ狸の皮算用(とらぬたぬきのかわざんよう)
当てにならないことを当てにして計画を立てることのたとえ。まだ捕まえていない狸の皮の価格を計算することから。
内界の財貨(ないかいのざいか)
知識や徳、芸能などのように、人間の心の中に存在する無形の財産のこと。 外部に見えないが、精神や内面的な価値として重要なもの。
七重の膝を八重に折る(ななえのひざをやえにおる)
この上ないほど丁寧な態度で、頼みごとをしたり詫びたりする様子。 実際には二重にしか折れない膝を、七重にも八重にも折りたいほどの気持ちだということ。
難産、色に懲りず(なんざん、いろにこりず)
苦しんだことを忘れ、懲りずに同じことを繰り返すことのたとえ。 難産の苦しみに懲りずに、また色事を行うとの意から。
南山の寿(なんざんのじゅ)
事業が栄え続けること。 または、長寿を祝う言葉。 「南山」は中国にある終南山という山のことで、長寿や堅固の象徴とされていることから。
人間至る処、青山あり(にんげんいたるところ、せいざんあり)
どこで死んでも世の中には自分の骨を埋めるぐらいの場所はあるということ。だから、故郷にこだわらず広い世間に出ておおいに活動すべきだというたとえ。「人間」は、「じんかん」とも読み世の中の意。「青山」は、樹木が青々と茂った山で埋骨にふさわしい土地の意。幕末の僧、月性(げっしょう)の詩から。
寝覚めが悪い(ねざめがわるい)
過去に自分がした悪事などが思い出されて良心が痛むこと。
上り坂あれば下り坂あり(のぼりざかあればくだりざかあり)
人生には、栄える時もあれば衰える時もあるということ。
働かざる者食うべからず(はたらかざるものくうべからず)
怠けて働こうとしない人間に食べる資格はないということ。働かずに遊び暮らす者を戒める言葉。
八細工七貧乏(はちざいく、しちびんぼう)
なんでもできるような器用な人は一つの事に専念できずにどれも中途半端になってしまい、そのためにかえって貧乏するということ。 「七細工八貧乏」ともいう。
花道を飾る(はなみちをかざる)
最後に立派な功績を残して惜しまれながら引退すること。 「花道」は歌舞伎の劇場に設けられた、客席を貫く通路のこと。俳優の登退場に用いられる。
犯罪の陰に女あり(はんざいのかげにおんなあり)
犯罪の動機には女性問題がからむことが多いということ。
日、西山に薄る(ひ、せいざんにせまる)
年老いて、死期が間近に迫っていることのたとえ。太陽が西の山に今にも沈もうとしている意から。
膝が抜ける(ひざがぬける)
着物やズボンなどの膝の部分が薄くなったり、穴が開いたりすること。 または、膝に力が入らなくなること。
膝が笑う(ひざがわらう)
歩き疲れたりして膝に力が入らなくなり、がくがくすること。
膝っ子に目薬(ひざっこにめぐすり)
はなはだしい見当違いのたとえ。努力しても無駄なことのたとえ。 膝に目薬をさしても効果がないことから。 「尻に目薬」「目薬を尻へさす」「疝気さ目薬」ともいう。
膝とも談合(ひざともだんごう)
困ったときには相手を選ばずに相談したほうがよい、頼りにならないような相手でも何かしらの役には立つということ。 困り果てたときには、自分の膝でさえ相談相手になるとの意から。
膝を打つ(ひざをうつ)
何か思いついたり、感心したりした時に行う動作。
膝を折る(ひざをおる)
負けを認めて相手に従うこと。屈服すること。 膝を折り曲げて身を低くするということから。
膝を崩す(ひざをくずす)
正座をやめて、楽な座り方に変えること。
膝を屈する(ひざをくっする)
負けを認めて相手に従うこと。屈服すること。 膝を折り曲げて身を低くするということから。
膝を進める(ひざをすすめる)
座ったまま相手に近づくこと。身を乗り出すこと。 または、相手の提案などに強く興味を持って乗り気になること。
膝を正す(ひざをただす)
正しい姿勢で座ること。 または、改まった態度をとること。
膝を乗り出す(ひざをのりだす)
相手の提案などに興味をひかれて乗り気になること。
膝を交える(ひざをまじえる)
同じ席で親しく話すこと。親しく語り合うこと。
匹夫も志を奪うべからず(ひっぷもこころざしをうばうべからず)
どんなに身分の低い者でも、意思が堅ければ、誰もその志を変えさせることは出来ないということ。人の志は尊重すべきだということ。「匹夫」は、身分の低い男の意。
人は足るを知らざるを苦しむ(ひとはたるをしらざるをくるしむ)
人間の欲望には際限がなく、そのために苦しむということ。
冷や酒と親の意見は後で利く(ひやざけとおやのいけんはあとできく)
親の意見は聞き流してしまいがちだが、後になると納得できて、なるほどと思うようになるということ。冷酒は飲んですぐより、あとから酔いが回ってくる意から。
氷山の一角(ひょうざんのいっかく)
表面に現れているのは全体のほんの一部で、大部分は隠れたままであることのたとえ。 海面上に見える氷山は、全体のうちの一部分にすぎないとの意から。
巫山の夢(ふざんのゆめ)
男女が夢の中で情交を結ぶこと。また、男女の情愛が細やかなことのたとえ。 中国楚の懐王が、昼寝の夢の中で巫山という山の神女と契ったという故事から。 「巫山の雲雨」「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の春」「[[朝雲暮雨*https://yoji.jitenon.jp/yojig/3167.html]]」ともいう。
舟に刻みて剣を求む(ふねにきざみてけんをもとむ)
古いしきたりや習わしにとらわれて、状況の変化に応じることができない愚かさのたとえ。 中国の楚の人が舟で長江を渡る途中に乗っている舟から剣を落としたため、慌てて舟べりに印をつけて、舟が岸に着いた後に印をつけた場所の川底を捜したという故事から。 「舟に刻(こく)して剣を求む」「剣を落として舟を刻む」「刻舟」ともいう。
噴火山の上で踊る(ふんかざんのうえでおどる)
極めて危険な状態におかれていることに気がつかず、好き勝手なことをしていることのたとえ。 ナポレオン没落後のフランスで、貴族たちが毎夜のように舞踏会を開き、民衆の不満がつのり政情が悪かった時に、サルバンディ伯が言ったと伝えられる「我々は噴火山の上で踊っているのだ」という言葉から。
平気の平左(へいきのへいざ)
まったく平気で少しも同じないこと。平気の平左衛門の略。
辺幅を飾る(へんぷくをかざる)
外見を飾り立てること。見栄を張ること。 「辺幅」は布地のへりのこと。転じて、うわべや外見のこと。 「辺幅を装飾する」ともいう。
骨に刻む(ほねにきざむ)
そのことを深く記憶して決して忘れないこと。
惚れた腫れたは当座のうち(ほれたはれたはとうざのうち)
惚れたのなんのといって夢中になるのは初めのことだけで、すぐに生活に追われて所帯じみてしまうということ。
坊主の花簪(ぼうずのはなかんざし)
持っていても何の役に立たない物のたとえ。「花簪」は造花などで飾ったかんざしのことで、坊主には役に立たないことから。
学びて思わざれば則ち罔し(まなびておもわざればすなわちくらし)
いくら学んでも、自ら思索しなければ、真理に到達することはできないということ。
満更でもない(まんざらでもない)
必ずしも悪いということではない。 遠回しに、とても気に入っていることを表す言葉。 「満更」は、必ずしもの意。
見ざる聞かざる言わざる(みざるきかざるいわざる)
自分に都合の悪いことや人の欠点は、見たり聞いたり言ったりしないということ。「見ない」「聞かない」「言わない」を、三匹の猿が両手で各々の両目、両耳、口をふさいでいる像や絵で表現する。打消しの「…ざる」と「猿」を掛けたことば。
身に過ぎた果報は災いの基(みにすぎたかほうはわざわいのもと)
分不相応の幸福は、かえって不幸を招くもとになるから、分相応な幸せがよいということ。「果報」は幸運の意。
耳を劈く(みみをつんざく)
耳が聞こえなくなるほどの、大きな音がするさま。
婿は座敷から貰え、嫁は庭から貰え(むこはざしきからもらえ、よめはにわからもらえ)
婿は自分の家より家柄がよい家から貰うと家の格が上がり、嫁は自分の家より低い家柄から貰うと威張らずによく働くので家のためによいということ。 「婿は大名から貰え嫁は灰小屋から貰え」「嫁は下から婿は上から」ともいう。
胸に刻む(むねにきざむ)
忘れないように心の中にしっかりと留めておくこと。
目を欺く(めをあざむく)
表面を取り繕ったり偽ったりして、相手をだますこと。
儲けぬ前の胸算用(もうけぬまえのむなざんよう)
不確かな事柄に期待をかけて、計画を立てることのたとえ。
持てる者と持たざる者(もてるものともたざるもの)
世の中は財産を持つ豊かな者と、それを持たない貧しい者の二種類しかないということ。
モナリザの微笑(もなりざのびしょう)
喜びとも悲しみともつかない、謎めいた微笑のこと。レオナルド・ダ・ビンチが描いた絵画「モナリザ」の謎めいた微笑から。
焼け野の雉(やけののきざす)
子を思う親の情愛が深いことのたとえ。 「雉」はきじのこと。 雉は野を焼かれたら危険を顧みずに巣にいる子どもを助けに戻り、鶴は霜の降りる寒い夜には自分の羽を広げて子を暖めるとの意から。 単に「焼け野の雉」「夜の鶴」、また「夜鶴子を思う」「子を思う夜の鶴」ともいう。 「焼け野の雉」は、身を隠すところのない雉のことから、危険にさらされることのたとえとしてもいわれる。
安きこと泰山の如し(やすきことたいざんのごとし)
どっしりと安定していて、ものに動じない様子のたとえ。 「泰山」は、中国山東省にある大きな山で、その泰山のように落ち着いてどっしりしているとの意から。
病は口より入り、禍は口より出ず(やまいはくちよりいり、わざわいはくちよりいず)
病気は飲食物と共に体の中に入り込み、禍は口から出る言葉によって引き起こされる。口は慎まなければいけないという戒めのことば。