「さ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「さ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 868 件
挨拶は時の氏神(あいさつはときのうじがみ)
争いごとの仲裁をしてくれる人は氏神様のようにありがたいものなので、その仲裁に従うのがよいということ。 「挨拶」は仲裁の意味。 「仲裁は時の氏神」ともいう。
挨拶より円札(あいさつよりえんさつ)
お礼の言葉より、金銭をもらうほうがありがたいということ。「拶」と「札」を語呂合わせにしたことば。
開いた口が塞がらない(あいたくちがふさがらない)
相手の言葉や行動にあきれてものも言えない様子。
相手のさする功名(あいてのさするこうみょう)
相手の力が弱かったり、やり方が劣っていたために、思わぬ手柄を立てることのたとえ。「さする」は「してくれる」の意。
敢えて天下の先とならず(あえててんかのさきとならず)
積極的に人の先頭に立つことを避け、控えめな姿勢を保つことで、波風を立てずに安泰な生活を送ることができるという考え方。 先頭に立つと競争や妬みなど人間関係のトラブルに巻き込まれるリスクが高まるため、あえて目立たない立場に身を置くことが賢明だとされる。 出典では「故(ゆえ)に能(よ)く器長(きちょう)を成(な)す」と続き、控えめな態度を保つことで、かえって周囲の人々を上手に導く優れた指導者になれると述べられている。
青二才(あおにさい)
若く、未熟な男子。また、そのような人を罵って言ったり、自身を謙遜して言う言葉。「青」は未熟の意、「二才」は出世魚のボラの稚魚のことで、まだ若いボラということから。
赤いは酒の咎(あかいはさけのとが)
赤い顔は酒のせいで飲んだ私が悪いのではありません、という酒飲みの言い訳。
赤子のうちは七国七里の者に似る(あかごのうちはななくにななさとのものににる)
赤ん坊ははっきりした特長がないので、似てると思って見ればあちこちの誰にでも似て見えるということ。「七国七里」は諸所方々のこと。
垢は擦るほど出る、あらは探すほど出る(あかはこするほどでる、あらはさがすほどでる)
垢は擦れば擦るほど出る。欠点も探せばきりがないほど出てくるということ。
秋荒れ半作(あきあれはんさく)
秋に天候が荒れると、作物の収穫は半減するということ。
商い三年(あきないさんねん)
商いは始めてから三年くらいたたないと、利益を得るようにはならない。三年は辛抱せよというおしえ。
商いは草の種(あきないはくさのたね)
商売や職業などの暮らしを立てる方法は、草の種のように種類が多いということ。 「商売は草の種」「世渡りは草の種」「世渡りは草の種」「身過ぎは草の種」ともいう。
秋の雨が降れば猫の顔が三尺になる(あきのあめがふればねこのかおがさんじゃくになる)
秋は晴れた日より雨の日の方が暖かいので、猫も顔を長くし喜ぶということ。
秋葉山から火事(あきばさんからかじ)
人を戒める指導的立場の者が、自ら過ちを犯してしまうたとえ。「秋葉山」は火災除けの神を祭る静岡県の秋葉神社のこと。
秋日和半作(あきびよりはんさく)
秋の天候の善し悪しで、作物の収穫は半ば決まってしまうということ。
商人の子は算盤の音で目を覚ます(あきんどのこはそろばんのおとでめをさます)
人の習性は、育つ環境の影響を大きく受けるということ。 商人の子どもは金勘定に敏感で、眠っていても算盤の音で起きるという意味から。
悪妻は六十年の不作(あくさいはろくじゅうねんのふさく)
悪い妻は夫を一生不幸にするということ。 「悪妻は百年の不作」ともいう。
悪女の深情け(あくじょのふかなさけ)
器量の悪い女性ほど愛情や嫉妬心が強いということ。「悪女」は心の悪い女の意ではなく不器量な女のこと。 また、有り難迷惑のたとえ。
悪の報いは針の先(あくのむくいははりのさき)
悪事の報いは、針の先を回るほど早くやってくるということ。
上げたり下げたり(あげたりさげたり)
褒めたり貶したりして、本音がわからないようす。
顎振り三年(あごふりさんねん)
技量を身に付けるまでには長い年月がかかるということ。尺八は、顎を振って微妙な音を出すこつを会得するまでに三年かかることから。
朝雨馬に鞍置け(あさあめうまにくらおけ)
朝に降る雨はすぐに止むから、馬に鞍を置いて外出する用意をせよ、ということ。
朝雨と女の腕捲り(あさあめとおんなのうでまくり)
朝の雨はすぐにやむため、女が腕まくりをして強がるのと同様、恐れるに足りないということ。 「俄雨(にわかあめ)と女の腕捲り」ともいう。
朝雨に傘いらず(あさあめにかさいらず)
朝の雨はすぐにやむということ。
浅い川も深く渡れ(あさいかわもふかくわたれ)
物事を行う時は、注意を怠らず決して油断してはいけないということ。 浅い川を渡る時も、深い川を渡る時と同じように注意して渡れとの意から。
朝起き千両、夜起き百両(あさおきせんりょう、よおきひゃくりょう)
朝早く起きて仕事をするほうが、夜働くより能率が上がり得だということ。 「朝起き千両」ともいう。
朝起きは三文の徳(あさおきはさんもんのとく)
朝早く起きるとなにかしらいい事があるということ。「徳」は「得」と同じ。
朝起きは七つの徳(あさおきはななつのとく)
朝早く起きるとなにかしらいい事があるということ。「徳」は「得」と同じ。
朝顔の花一時(あさがおのはないっとき)
物事の盛りが短く、はかないことのたとえ。朝咲いた朝顔の花が昼を待たずにしぼんでしまうことから。
朝駆けの駄賃(あさがけのだちん)
物事がとても簡単にできることのたとえ。 「駄賃」は駄馬で荷物を運ぶ料金のこと。 朝のうちは馬の元気がよく、少量の荷物はたやすく運べることから。
麻殻に目鼻をつけたよう(あさがらにめはなをつけたよう)
とても痩せた男性の形容。 長くて折れやすい麻殻に目鼻をつけたような男性のことから。
朝酒は門田を売っても飲め(あさざけはかどたをうってものめ)
朝酒は格別おいしいので、少々無理をしてでも飲むべきだということ。「門田」は家の門前にある田の意。
浅瀬に徒波(あさせにあだなみ)
思慮の浅い人間ほど、おしゃべりで些細なことで騒ぎ立てるということ。「徒波」は「仇波」とも書き、浅瀬が徒(いたずら)にさざ波を立てる意から。
朝題目に宵念仏(あさだいもくによいねんぶつ)
しっかりとした考えをもたないことのたとえ。 朝は日蓮宗の南無妙法蓮華経の題目を唱え、夕方は浄土宗の南無阿弥陀仏の念仏を唱えることから。 「朝題目に夕念仏」ともいう。
朝茶は七里帰っても飲め(あさちゃはしちりかえってものめ)
朝の茶は一日の災難よけなので、飲み忘れて旅立ちしたら、たとえ七里の道を戻ってでも飲むべきだということ。
明後日の方(あさってのほう)
見当違いの方向。
朝虹は雨夕虹は晴れ(あさにじはあめゆうにじははれ)
朝に虹が出るとその日は雨、夕方の虹は翌日が晴れになるということ。
麻に連るる蓬(あさにつるるよもぎ)
人はよい環境で育てば、自然と感化されて善人になるということ。 曲がりやすい蓬のつるも、麻の中で育てばまっすぐ伸びることから。 「麻の中の蓬」「麻中の蓬」ともいう。
朝寝八石の損(あさねはちこくのそん)
朝寝坊は万事につけて損が多いというたとえ。一石は百升で約百八十リットル。
朝寝坊の宵っ張り(あさねぼうのよいっぱり)
朝は遅くまで寝ている人は、夜遅くまで起きていてることが多いということ。また、それが習慣になっている人のこと。
朝の果物は金(あさのくだものはきん)
朝食べる果物は、胃腸の働きをよくし、体の目覚めを促すため、健康によいということ。
朝の来ない夜はない(あさのこないよるはない)
ものごとは必ずいつか、よい方へ変わるということ。 「夜の明けない朝はない」ともいう。
朝の一時は晩の二時に当たる(あさのひとときはばんのふたときにあたる)
朝は仕事がはかどるので、なるべく早く起きて働けということ。 「一時」は昔の時刻の数え方で、約二時間。「二時」はその倍の約四時間。 朝の仕事は夜の仕事の二倍に相当するという意味から。
朝のぴっかり姑の笑い(あさのぴっかりしゅうとめのわらい)
当てにならないことのたとえ。 朝さんさんと日がさすよい天気と姑の笑顔は、変わりやすく当てにはできないという意味から。
朝日が西から出る(あさひがにしからでる)
絶対に起こるはずがないことのたとえ。
朝飯前(あさめしまえ)
ものごとが容易にできることのたとえ。 朝食を食べる前のわずかな時間でも簡単にできるほどであるとの意から。
朝飯前のお茶漬け(あさめしまえのおちゃづけ)
ものごとが容易にできることのたとえ。 朝飯前の空腹時に食べるお茶漬けは、さらさらと簡単に食べられるということから。
薊の花も一盛り(あざみのはなもひとさかり)
誰でも年ごろになると、それなりの魅力が出てくるということ。 あまり好まれない薊の花も、美しい時期があることから。
梓に鏤める(あずさにちりばめる)
書物を出版すること。昔、木版印刷の版木に梓(あずさ)の木を使ったことから。
梓に上す(あずさにのぼす)
書物を出版すること。昔、木版印刷の版木に梓(あずさ)の木を使ったことから。 「梓」は「し」とも読む。
与えるは受けるより幸いなり(あたえるはうけるよりさいわいなり)
人に対して恩恵を与えることが出来る立場や境遇にあることは、恩恵を受ける立場よりも幸福であるということ。
当たった者のふの悪さ(あたったもののふのわるさ)
悪いことに、たまたま当たった者が不運だったということ。 「ふ」は運の意。 大勢が悪さをしているにもかかわらず、そのうちの一部の者だけが捕まるような場合をいう。
頭押さえりゃ尻上がる(あたまおさえりゃしりあがる)
両方うまくはいかないということ。頭を押さえれば尻が持ち上げるように、一方がうまくいけば、もう片方がうまくいかなくなるということから。
頭隠して尻隠さず(あたまかくしてしりかくさず)
悪事や欠点の一部を隠して、全部を隠したつもりでいる者をあざけっていう言葉。雉(きじ)が草むらに頭を突っ込み隠れたつもりでも、尾が見えていることから。
頭が下がる(あたまがさがる)
相手の人がらや行いが立派で、感心すること。心から敬服すること。
頭の天辺から足の爪先まで(あたまのてっぺんからあしのつまさきまで)
人の身体の上から下まで。全身のこと。転じて、何から何まで。全部。すべて。
頭を下げる(あたまをさげる)
謝ること。お辞儀をすること。また、感服すること。尊敬すること。
新しい酒は新しい革袋に盛れ(あたらしいさけはあたらしいかわぶくろにもれ)
新しい内容を表現するためには、新しい形式が必要であるということ。
新しい酒を古い革袋に盛る(あたらしいさけをふるいかわぶくろにもる)
新しい内容を古い形式にはめ込むこと。多く内容も形式とが、ともに生かされないことにいう。
当たらず触らず(あたらずさわらず)
どちらとも衝突を起こさないように、どっちつかずの曖昧な態度を取って済ませるようす。
当たらぬ蜂には刺されぬ(あたらぬはちにはさされぬ)
自分から関わらなければ、災いや危険に巻き込まれることはないというたとえ。蜂の巣を突くなどして自ら危険に近づかない限り、刺されることはないことから。
当たるを幸い(あたるをさいわい)
手当たり次第に。片っ端から。何でもかんでも。
仇も情けも我が身より出る(あだもなさけもわがみよりでる)
人から憎まれたり愛されたりするのは、自分の心がけや行いによるということ。
暑さ寒さも彼岸まで(あつささむさもひがんまで)
夏の残暑も秋の彼岸頃には衰えて涼しくなり、余寒も春の彼岸頃にはやわらいで暖かくなるという言い伝え。
暑さ忘れれば陰忘れる(あつさわすれればかげわすれる)
苦しい時が過ぎると、助けてくれた人の恩をとかく忘れがちになるということ。 暑さが過ぎると、涼しい物陰のありがたみを忘れてしまうとの意から。
当て事と畚褌は先から外れる(あてことともっこふんどしはさきからはずれる)
当てにしていた事は相手の都合で外れることが多いことのたとえ。 「当て事」は当てにしている事。 「向こう」は身体の前、また、相手のこと。 越中褌が身体の前から外れやすいのと同じように、当てにしていた事は向こうから外れることが多いということ。 「当て事は向こうから外れる」「当て事と畚褌は先から外れる」ともいう。
後先になる(あとさきになる)
後のものが先になり、先のものが後になること。物事の順序が逆になること。
後先見ず(あとさきみず)
後のことをよく考えずに行動するようす。
後先息子に中娘(あとさきむすこになかむすめ)
子どもを持つなら三人で、最初と最後は男、真ん中は娘が理想だということ。
後にも先にも(あとにもさきにも)
今までも、これから先もということ。これ一回きりであるということ。
後の雁が先になる(あとのかりがさきになる)
後から来た者が、先の者を追い抜いてしまうこと。また、年上の者より年下の者が先に死んだ時にも使う。列をなして飛ぶ雁行のようすから。「雁」は「がん」とも読む。
後の喧嘩、先でする(あとのけんか、さきでする)
あとからもめ事が起こらないように、事前によく話し合いをしておくべきだということ。 あとで喧嘩をすることがないように、先に喧嘩しておけとの意から。
後へも先へも行かぬ(あとへもさきへもいかぬ)
引くことも進むことも出来ず、動きがとれないようす。
姉は菅笠、妹とは日傘(あねはすげがさ、いもとはひがさ)
女性は嫁ぎ先しだいで、境遇に大きな差が出てくるということ。「菅笠」は農作業でかぶる笠。「日傘」は盛装などの時にさす日除けの傘。同じ家で育った姉妹でも、嫁ぎ先によって、菅笠をかぶってあくせく働いたり、日傘をさして優雅に出掛けたりと、違う境遇になるということから。
雨垂れは三途の川(あまだれはさんずのかわ)
家から一歩出れば、どんな災難や危険が待ちかまえているかわからないということ。 軒下から落ちる雨だれを、あの世とこの世の堺である三途の川に見立てて、家から一歩出たら十分に注意せよとの戒めのことば。
雨塊を破らず、風枝を鳴らさず(あめつちくれをやぶらず、かぜえだをならさず)
世の中が大平であることのたとえ。周公が中国を統治していた頃は天下泰平で、雨は静かに降って土のかたまりを壊さず、風は木の枝も動かないように静かに吹いたという故事から。
雨晴れて笠を忘れる(あめはれてかさをわすれる)
苦しみが過ぎれば、すぐに受けた恩を忘れてしまうことのたとえ。雨がやむと、役に立った笠のことを忘れることから。
過つは人の性、許すは神の心(あやまつはひとのさが、ゆるすはかみのこころ)
人は誰でも過ちを犯すものなので、むやみに人を責めてはいけないということ。 「過ちは人の常、許すは神の業」ともいう。
嵐の前の静けさ(あらしのまえのしずけさ)
台風が来る前に一時的に風が止むように、事件や変事が起こる前の不気味な静けさのこと。
ある時払いの催促なし(あるときばらいのさいそくなし)
金の都合がついた時に返せばいい、催促は一切しないという寛大な借金の返済条件をいう言葉。