「しょ」を含む故事・ことわざ・慣用句
「しょ」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 244 件
女子と小人は養い難し(じょしとしょうじんはやしないがたし)
女性と器量の小さい人は扱いにくいということ。 孔子の言葉で、この後に「之(これ)を近づくれば則(すなわ)ち不遜(ふそん)、之を遠ざくれば則ち怨む」と続く。 親切にすると図に乗り、遠ざけると恨まれるとの意から。 「女子と小人とは養い難し」ともいう。
住むばかりの名所(すむばかりのめいしょ)
名所に住んでいると、他人にはよさそうに見えるが、ただ名所に住んでいるだけのことで、必ずしも住みやすいとは言えないということ。
相撲に勝って勝負に負ける(すもうにかってしょうぶにまける)
内容や経過は良いにもかかわらず、結果的に失敗してしまうことのたとえ。 相撲の内容では優勢だったのに、ちょっとしたはずみで負けてしまうとの意から。
千緒万端、遺漏あることなし(せんしょばんたん、いろうあることなし)
あらゆる点で、まったく手落ちがない様子。「千緒万端」は多くの事柄、「遺漏」は手落ち。
袖振り合うも他生の縁(そでふりあうもたしょうのえん)
見知らぬ人と袖が触れ合うようなちょっとしたことも、偶然ではなく前世からの因縁によるものなので、どんな出会いも大切にしなければならないということ。 「他生の縁」は前世からの因縁のこと。 「他生」は「多生」とも書く。 「袖振り合う」は「袖すり合う」「袖触れ合う」ともいう。
大魚は小池に棲まず(たいぎょはしょうちにすまず)
大人物はつまらない仕事や地位には満足しないというたとえ。 大きな魚は小さな池には棲んでいないという意味から。
大軍に関所なし(たいぐんにせきしょなし)
大きな勢力にはかなわないということ。大軍に攻められたらそれをはばむ関所などないという意味から。
大功を論ずる者は小過を録せず(たいこうをろんずるものはしょうかをろくせず)
大きな功績を表彰しようと議論する時、たとえそのかげに小さな過失があっても大目に見て問題にしないということ。
大食腹に満つれば学問腹に入らず(たいしょくはらにみつればがくもんはらにいらず)
食べ過ぎて満腹になると、頭の働きが鈍くなり、学問に集中できなくなるということ。
大珠小珠、玉盤に落つ(たいじゅしょうじゅ、ぎょくばんにおつ)
大小の真珠が玉の皿に落ちるように、美しく澄んだ琵琶の音色が響き渡ること。
大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず(たいてきとみておそれずしょうてきとみてあなどらず)
相手が強そうに見えても恐れてはいけないし、弱そうに見えても侮ってはいけないということ。
胆は大ならんことを欲し、心は小ならんことを欲す(たんはだいならんことをほっし、こころはしょうならんことをほっす)
度胸は大きく持ちたいし、注意は細やかでありたいということ。 「胆大心小」ともいう。
大根の皮取らぬ阿呆、生姜の皮取る阿呆(だいこんのかわとらぬあほう、しょうがのかわとるあほう)
大根は皮をむかないとまずい。生姜は皮をむくと食べるところが少なくなる。物事の適正を知らない愚か者のたとえ。
大事の前の小事(だいじのまえのしょうじ)
大きな事を行う時には、小さな事にも油断してはいけないということ。また、大きな目的を遂げるためには、小さな犠牲はやむを得ないということ。
大事は小事より起こる(だいじはしょうじよりおこる)
どのような大事も、取るに足りない小さなことが原因となって引き起こされるということ。小さな油断にも気をつけよという戒めの言葉。
大徳は小怨を滅ぼす(だいとくはしょうえんをほろぼす)
受けた恩が大きければ、少しの怨みや不満は気にならなくなるということ。 「大徳」は「たいとく」とも読む。 「大徳は小怨を滅す」ともいう。
大なり小なり(だいなりしょうなり)
多かれ少なかれ。程度の差はあれど。
大は小を兼ねる(だいはしょうをかねる)
大きな物は小さな物の代わりとしても使える。 小さい物より大きな物のほうが役に立つということ。
誰に見しょとて紅鉄漿つける(だれにみしょとてべにかねつける)
女性は自分を愛してくれる男性のために美しく身を飾るということ。 「紅鉄漿」は紅とお歯黒。転じて化粧。 誰かに見せるためではなく、あなたのために化粧をするとの意から。 このあとに「みんなぬしへの心中立て」と続く俗謡で、男につれなくされた女の恨みを述べるの決まり文句。
畜生の浅ましさ(ちくしょうのあさましさ)
畜類の愚かなさま。転じて、人間の卑しさや醜さのこと。
血と汗の結晶(ちとあせのけっしょう)
たいへんな苦労や努力を重ねた末に得た成果。
長所は短所(ちょうしょはたんしょ)
自分の長所を過信すると思わぬ失敗をすることがある。長所も時には短所になるということ。
追従も世渡り(ついしょうもよわたり)
人にこびへつらいお世辞をいうことも、世渡りの一つの手段であるということ。
土一升金一升(つちいっしょうかねいっしょう)
土地の値段が非常に高いことのたとえ。 土一升が金一升に相当するとの意から。
罪なくして配所の月を見る(つみなくしてはいしょのつきをみる)
流刑地のようなわびしい地で、罪人としてではなく、普通の人として月を眺めることができたら、さぞ趣きがあるだろうということ。 「配所」は罪によって流された土地のこと。
手酌五合、髱一升(てじゃくごごう、たぼいっしょう)
手酌では五合しか飲めないが、若い女性の酌では一升でも飲んでしまうということ。「髱」は日本髪の後ろに張り出している部分で、転じて、若い女性の意。
手のない将棋は負け将棋(てのないしょうぎはまけしょうぎ)
方策がないところには成算がないというたとえ。打つ手に困る将棋は、結局は負けるということから。
手は一生の宝(てはいっしょうのたから)
文字を巧みに書くことは、一生の宝だということ。
転石苔を生せず(てんせきこけをしょうせず)
活発に行動をしている人は常に健康で生き生きしていられることのたとえ。また、転職や転居を繰り返す人は地位も得られず金も貯まらないことのたとえ。 「転石苔を生せず」「転石苔むさず」ともいう。
弟子は師匠の半減(でしはししょうのはんげん)
いかに優れた弟子であっても、学力や技術は師匠の半分ぐらいのもので、師匠を超えることは難しいということ。
出たとこ勝負(でたとこしょうぶ)
事前に準備などせずに、その場の成り行き次第で決着をつけること。さいころ賭博では、出た目で勝負を決めることから。
東家に食して西家に眠らん(とうかにしょくしてせいかにねむらん)
欲が深いことのたとえ。昔、中国斉の国の美女が両隣の男性から求婚され、東側の家は金持ちだが醜男、西側の家は貧乏だが美男だった。母親がどちらに嫁ぐのか尋ねたところ、昼間は東側の家で過ごし、夜は西側の家で過ごしたいと答えたという故事から。
十日の菊、六日の菖蒲(とおかのきく、むいかのしょうぶ)
時期に遅れて役に立たないもののたとえ。 9月9日の重陽の節句に用いる菊は9月10日では遅く、5月5日の端午の節句に用いる菖蒲は5月6日では間に合わないとの意から。 「六日の菖蒲、十日の菊」ともいう。 また、単に「十日の菊」「六日の菖蒲」ともいう。
屠所の羊(としょのひつじ)
屠殺場に引かれていく羊のように、刻々と死期が近づいてくることのたとえ。また、打ちひしがれて気力をなくしていることのたとえ。
富は一生の宝、知は万代の宝(とみはいっしょうのたから、ちはばんだいのたから)
財産は一代限りの宝であるが、すぐれた知恵は後世の人にも役立つ宝であるということ。
怒蛙に式す(どあにしょくす)
小さな勇気をも評価して礼をもって称えること。また、ほめることで人のやる気を引き出すこと。 春秋時代、越王が出征の途中、腹をふくらませて立ち向かう蛙を見て、「小さな勇気がある」と称え、車上から敬礼した。この話が国中に広まり、勇者たちが次々に名乗りを上げて集まったという故事から。
読書百遍、義、自ずから見る(どくしょひゃっぺん、ぎ、おのずからあらわる)
どんなに難しい本でも、繰り返し何度も読めば、自然に意味がわかってくるということ。 「読書百遍、意、自ずから通ず」ともいう。
どこで暮らすも一生(どこでくらすもいっしょう)
どんな所で暮らしても人の一生に変わりがないから、どうせなら楽しく暮らせる所に住みたいということ。
内証は火の車(ないしょうはひのくるま)
外見は裕福そうに見えても、内実は非常に苦しく、家計や経済状況が極めて厳しいこと。 外部からはその困窮が分かりにくいが、内輪では財政的に追い詰められている様子。
泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生(ないてくらすもいっしょう、わらってくらすもいっしょう)
泣いて暮らすのも笑って暮らすのも、同じ一生に変わりがないのなら、なるべく楽しく暮らすほうがよいということ。
泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる)
規律や秩序を維持するために私情を捨て、たとえ愛する者であっても違反した場合には厳しく処罰することのたとえ。 中国の三国時代、蜀の諸葛孔明は、臣下の馬謖が命令に従わずに魏に大敗したため、泣きながら馬謖を斬ったという故事から。
習うは一生(ならうはいっしょう)
人間には学ぶべきことがたくさんあるため、いくつになっても常に学び続ける必要があるという戒め。
難色を示す(なんしょくをしめす)
相手の提案や行動などに対して、賛成できないという意思を表情や態度で示すこと。
二度目の見直し三度目の正直(にどめのみなおしさんどめのしょうじき)
物事は一度目はあてにならず、二度目も見直すことがあり、三度目なら確実だということ。
女房は半身上(にょうぼうははんしんしょう)
その家が繁盛するかどうかは、女房の力にかかっているということ。「身上」は財産の意で、女房は財産の半分の価値があるということから。
人間一生二万日(にんげんいっしょうにまんにち)
人間の平均寿命はかつては五十年とされ、日数にすると約二万日ということになり、一生は長いようにも短いようにも思われるということ。
猫でない証拠に竹を描いておき(ねこでないしょうこにたけをかいておき)
へたな絵をあざけっていう言葉。描いた虎が猫に間違えられないように、「竹に虎」の取り合わせで知られる竹を描き足すという意の川柳から。
猫の精進(ねこのしょうじん)
内心は欲しくてたまらないのに、うわべだけ遠慮することのたとえ。 また、その場だけのことで長続きしないことのたとえ。 猫が大好きな魚を辞退するとの意から。 「猫の精進」「猫の魚を食わぬ振り」ともいう。
能書筆を択ばず(のうしょふでをえらばず)
書にすぐれた人は筆のよしあしに関係なく、どんな筆を使ってもすぐれた字を書くということ。
蚤の小便、蚊の涙(のみのしょうべん、かのなみだ)
極めてわずかなことのたとえ。
敗軍の将は兵を語らず(はいぐんのしょうはへいをかたらず)
失敗した者は、そのことについて弁解する資格がないということ。戦いに敗れた将軍は兵法について発言する資格はないとの意から。
白面の書生(はくめんのしょせい)
年が若く、経験の乏しい学者や学生のこと。「白面」は年が若く未熟なこと、「書生」は勉強中の者の意。
始めは処女の如く後は脱兎の如し(はじめはしょじょのごとくのちはだっとのごとし)
最初のうちはおとなしく振る舞って相手を油断させ、その後は見違えるほど素早く行動して敵を倒すこと。 始めは処女のように弱々しく振る舞い、その後は逃げる兎のようにすばやく行動するとの意から。
肌に粟を生ず(はだえにあわをしょうず)
恐ろしい目に遭って、ぞっとする様子。強い恐怖を覚えると皮膚に粟粒のようなものが出来ることから。
端から和尚はない(はなからおしょうはない)
物事には順序や段階があり、一足飛びには上に進めないというたとえ。「端」は、物事の最初の意。
万死一生を顧みず(ばんしいっしょうをかえりみず)
万に一つも生き延びる希望を持たないこと。
万卒は得易く、一将は得難し(ばんそつはえやすく、いっしょうはえがたし)
平凡な人物はたくさんいるが、優秀な人物に巡り会うのは難しいということ。 平凡な兵士を集めることは難しくないが、一人の名将を得ることは難しいとの意から。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
百姓百層倍(ひゃくしょうひゃくそうばい)
百姓の仕事では、少量の種をまけば百倍もの収穫をもたらすということ。少ない元手で利益が多いことを「百」の語呂合わせでいった言葉。
百戦百勝は善の善なる者に非ず(ひゃくせんひゃくしょうはぜんのぜんなるものにあらず)
百回戦って百勝しても、何らかの損害がでるので得策とはいえない。戦わずに勝つことが出来れば、それが一番いい方法だということ。
百も承知、二百も合点(ひゃくもしょうち、にひゃくもがてん)
言われるまでもなく、十分に理解しているということ。 「合点」は、承知のこと。 単に「百も承知」ともいうが、「二百も合点」と続けて意味を強めた言葉。
貧は諸道の妨げ(ひんはしょどうのさまたげ)
金がなければ何もできず、貧乏は何をするにも妨げになるということ。
不肖(ふしょう)
親や師に似ないで愚かなこと。また、自分をへりくだっていう言葉。
無精者の一時働き(ぶしょうもののいっときばたらき)
いつも怠けている者が、急に思い立って働いても、一時的だということ。また、そういう者をあざけっていう言葉。
無精者の隣働き(ぶしょうもののとなりばたらき)
自分の家の用は頼まれても何もしない無精な人間が、隣の家では余計な事まで手伝うということ。
辺幅を修飾する(へんぷくをしゅうしょくする)
外見を飾り立てること。見栄を張ること。 「辺幅」は布地のへりのこと。転じて、うわべや外見のこと。 「辺幅を装飾する」ともいう。
法三章(ほうさんしょう)
簡単な法律のこと。また、法律を簡略化すること。漢の高祖が厳しい法律を廃止し、殺人・傷害・窃盗だけを処罰するとした三章からなる簡略な法律を定めたという故事から。
褒姒の一笑国を傾く(ほうじのいっしょうくにをかたむく)
美女のために国が滅びること。 「褒姒」とは中国、周の幽王の后。 めったに笑わない褒姒が、手違いで上がったのろしによって諸侯が参集するのを見て笑ったため、幽王が平時にたびたびのろしを上げさせたので、本当の戦乱の時には諸侯が集まらず国が滅びたという故事から。
望蜀(ぼうしょく)
一つの望みを遂げて、さらに次を望むこと。人間の欲望には、限りがないということのたとえ。後漢書の「既に隴(ろう)を得て、また蜀を望む」から。
盆と正月が一緒に来たよう(ぼんとしょうがつがいっしょにきたよう)
うれしいことが重なることのたとえ。また、非常に忙しいことのたとえ。
馬子にも衣装(まごにもいしょう)
誰でも外面を飾ると立派に見えるというたとえ。
味噌も糞も一緒(みそもくそもいっしょ)
見た目が似ていれば、良いものも悪いものも同じように扱うこと。すべてをごちゃまぜにしてしまうこと。 「糞も味噌も一緒」「糞も味噌も一つ」ともいう。
名所に見所なし(めいしょにみどころなし)
一般に名所といわれている所も、案外見るものが少なくつまらない所が多い。名は必ずしも実を伴わないということ。
目の正月(めのしょうがつ)
珍しいものや貴重なもの、非常に美しいものを見て楽しむこと。
目睫の間(もくしょうのかん)
距離や時間がきわめて接近していることのたとえ。 目と睫(まつげ)の間のようにとても近いとの意から。
モナリザの微笑(もなりざのびしょう)
喜びとも悲しみともつかない、謎めいた微笑のこと。レオナルド・ダ・ビンチが描いた絵画「モナリザ」の謎めいた微笑から。
夜食過ぎての牡丹餅(やしょくすぎてのぼたもち)
時機を逸して値打ちがなくなったり、ありがたみが薄れてしまうことのたとえ。夜の食事が終わったあとに牡丹餅をもらってもあまりうれしくないことから。
勇将の下に弱卒なし(ゆうしょうのもとにじゃくそつなし)
上に立つ者がすぐれていれば、その部下もまたすぐれているということ。 勇敢な大将の下に弱い兵士はいないという意味から。 「強将の下に弱卒なし」ともいう。
幽霊の正体見たり枯れ尾花(ゆうれいのしょうたいみたりかれおばな)
怖いと思っていると、何でもないものまで恐ろしく見えてしまうことのたとえ。 また、正体がわかると怖かったものも何でもなくなるということ。 「尾花」はススキの穂。 幽霊だと思って恐れていたものが、よく見ると枯れたススキの穂だったとの意から。 「化け物の正体見たり枯れ尾花」ともいう。
余の辞書には不可能という言葉はない(よのじしょにはふかのうということばはない)
自分には不可能なことはないということ、世の中には出来ないことなどないということ。「余」は「予」とも書く。通説としてナポレオンの言葉といわれている。