「し」で終わる故事・ことわざ・慣用句
「し」で終わる故事・ことわざ・慣用句 — 382 件
- 掛け値なし(かけねなし)- 話を誇張したり取り繕ったりせずに、ありのままを言うこと。 「掛け値」は、実際の売り値よりも高くつけた値段の意から。 
- 影の形に随うが如し(かげのかたちにしたがうがごとし)- いつもいっしょにいて離れないこと。 影が必ず物につき随うことから。 「影の形に添うが如し」「影の形に添うように」ともいう。 
- 苛政は虎よりも猛し(かせいはとらよりもたけし)- 悪政が人民に与える害は、虎よりも恐ろしいということ。 「苛政」は、人民を苦しめる過酷な政治のこと。 中国の泰山の麓で、家族を虎に食われ泣いていた婦人に孔子が「何故この国を出て行かないのか」と尋ねると「苛政がないからだ」と答えたという故事から。 
- 稼ぐに追い付く貧乏無し(かせぐにおいつくびんぼうなし)- 一生懸命働けば、貧乏に苦しむことはないというたとえ。 「稼ぐに貧乏追い付かず」「辛抱に追い付く貧乏なし」「稼げば身立つ」ともいう。 
- 風の吹き回し(かぜのふきまわし)- そのときの成り行きによって、態度や気分がなどが変わること。 風の吹く方向が、その時々で変化することから。 
- 鼎の沸くが如し(かなえのわくがごとし)- 鼎の中で湯が沸き立つように、物事が混乱して騒がしく、おさまりがつかないことのたとえ。 
- 禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)- わざわいと幸福は、より合わせた縄のように表裏一体を成しているということ。「糾う」とは縄をより合わせること。 
- 噛み合う犬は呼び難し(かみあういぬはよびがたし)- 何かに熱中していると、他から何を言われても耳に入らないことのたとえ。 いくら呼んでも、夢中で噛み合っている犬の耳には入らないとの意から。 
- 神は見通し(かみはみとおし)- 神様は人々のどんなに小さい行為でも見抜いているので誤魔化すことはできないということ。 「神様はお見通し」「天道様はお見通し」「天は見通し」「神仏は見通し」「仏は見通し」などともいう。 
- 可もなく不可もなし(かもなくふかもなし)- 特によくもなく、悪くもないこと。普通であること。 
- 空馬に怪我なし(からうまにけがなし)- 無一物の人は損のしようがないというたとえ。 「空馬」は、人や荷物などなにも乗せていない馬。 
- 考える葦(かんがえるあし)- 人間の偉大さは思考する存在であるということを強調した言葉。フランスの哲学者パスカルの「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」という言葉から。 
- 間然するところなし(かんぜんするところなし)- 非難すべき欠点がまったくないこと。 「間然」は、非難・批判すること。 
- 看板に偽りなし(かんばんにいつわりなし)- 外見と中身が一致していること。また、言動に行動が伴っていることのたとえ。看板に掲げているものと、実際に売っているものが同じということから。 
- 歓楽極まりて哀情多し(かんらくきわまりてあいじょうおおし)- 喜びや楽しみが極まると、あとは悲しみの情が生じるということ。 
- 学者の取った天下なし(がくしゃのとったてんかなし)- 学者は学問の上で政治を論ずるが、実際は理屈どおりにはいかず、学者に現実の国家を治める能力はないということ。 
- 学問に王道なし(がくもんにおうどうなし)- 学問というものは、積み重ねて学んでいかなければならないもので、簡単に身につける安易な方法はないということ。 「王道」は、王様のための特別な道、転じて近道や安易な道のこと。 エジプト王が数学者のユークリッドに幾何学を簡単に学ぶ方法を尋ねたとき、ユークリッドは「幾何学に王道なし」と答えたという故事から。 
- 顔色なし(がんしょくなし)- 恐れや驚きのために、顔色が真っ青になること。また、完全に圧倒されてどうにもならないようす。 
- 眼中人なし(がんちゅうひとなし)- 他人のことは考えず、思うままに振る舞うこと。人を人とも思わないこと。 
- 奇貨、居くべし(きか、おくべし)- 絶好の機会は、逃さずうまく利用せよということ。 秦の国の相となった呂不韋がまだ若くて商人だった頃、趙の人質となっていた太子の子、子楚を助けて将来うまく利用しようと「此れ奇貨居くべし」と言った故事にもとづく。 「奇貨」は珍しい品物、「居く」は蓄えるの意。 
- 聞こえよがし(きこえよがし)- わざと周りに聞こえるように悪口や皮肉を言うこと。 
- 帰心、矢の如し(きしん、やのごとし)- 故郷や我が家に帰りたいと思う気持ちが募ること。 
- 昨日は今日の昔(きのうはきょうのむかし)- わずか一日前のことでも、今日から見れば昨日は過去であるということ。 
- 今日の後に今日なし(きょうののちにきょうなし)- 今日という日は二度とやってくることはない。だから今日できることは今日やっておけという戒めの言葉。 
- 綺羅星の如し(きらぼしのごとし)- 立派な人や明るいものが、ずらりと並ぶ様子のたとえ。「綺羅、星の如し」からできた語で、「綺羅」は、美しい衣服の意。転じて、外見が華やかなこと、栄華をきわめること。本来「綺羅と星と」と、美しいものを列挙した語が、のちに誤って「綺羅星」と一語化された語になった。 
- 錐の嚢中に処るが如し(きりののうちゅうにおるがごとし)- すぐれた人は、多くの人の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中にの錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。 
- 件の如し(くだんのごとし)- 前に述べた通りである。文章の末尾などに用いられる。 多く「よって件の如し」の形で使われる。 
- 唇滅びて歯寒し(くちびるほろびてはさむし)- 互いに助け合う者同士の一方が滅びると、もう一方も危うくなるというたとえ。 唇がなくなると歯が寒くなるとの意から。 
- 雲に梯(くもにかけはし)- 望んでも叶えられないことのたとえ。 雲にはしごを架けることはできないことから。 
- 暗がりから牛(くらがりからうし)- 区別がつきにくいこと。また、動作が鈍いこと。 暗い所に黒い牛がいても姿がはっきりしないことから。 単に「暗がりから牛」、または「暗がりの牛」「闇から牛を引き出す」「暗闇から牛を引き出す」ともいう。 
- 紅は園生に植えても隠れなし(くれないはそのうにうえてもかくれなし)- すぐれている人は、どんな所にいても目立つというたとえ。 「紅」は、紅花(べにばな)のこと。 紅花はどんな花園に植えても際立つとの意から。 
- 玄人はだし(くろうとはだし)- 素人にもかかわらず、専門家顔負けにすぐれていること。玄人が履物もはかずはだしで逃げ出すほどの腕前のことから。 
- 君子の過ちは日月の食のごとし(くんしのあやまちはじつげつのしょくのごとし)- 君子はたとえ過ちを犯すようなことがあっても、日食や月食が一時的なように、すぐに改めてもとの徳性に返るものだということ。 
- 君子の交わりは淡きこと水のごとし(くんしのまじわりはあわきことみずのごとし)- 君子の人との交際は、水のようにさっぱりしているが、友情は永く変わることがないということ。 
- 傾蓋、旧の如し(けいがい、きゅうのごとし)- 会ったばかりで旧友でもあるかのように親しく打ち解けることのたとえ。 「傾蓋」は孔子(こうし)と程子(ていし)がたまたま道で出会って車の蓋(かさ)を傾けて語りあったという故事から。 
- 経験は愚か者の師(けいけんはおろかもののし)- 愚か者に教えるには、実際に経験させてみるのがいいということ。経験の大切さをいった言葉。 
- 兄たり難く、弟たり難し(けいたりがたく、ていたりがたし)- 両方ともすぐれていて、優劣がつけ難いことのたとえ。 「兄」は上位、優れていること。 「弟」は下位、劣っていること。 優れているとすることも難しく、劣っているとすることも難しいとの意から。 
- 賢者ひだるし、伊達寒し(けんじゃひだるし、だてさむし)- 人並みのことをしない者はつらい目に遭うということ。 「ひだるし」は、ひもじいの意。 賢者は富を求めず質素な生活をするのでひもじい思いをし、伊達者は見栄を張って薄着でいるので寒い思いをするとの意から。 
- 犬馬の年(けんばのとし)- 自分の年齢をへりくだっていう言葉。 大きな功績を残すわけでもなく、犬や馬のようにただ重ねただけの年齢との意から。 「犬馬の年」ともいう。 
- 芸術は長く、人生は短し(げいじゅつはながく、じんせいはみじかし)- 人の一生は短いが、すぐれた芸術作品は作者の死後も後世に残るということ。古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉「医術をきわめるには長い年月がかかるが、人の一生は短い」から転じたもの。 
- 芸は道によって賢し(げいはみちによってかしこし)- 一芸に通じた人は、その道に関しては何でもよく知っているということ。専門家は専門とする分野については精通しているということ。 
- 下戸の肴荒らし(げこのさかなあらし)- 酒の飲めない人が、酒の肴を手当たりしだいに食い荒らすこと。 
- 下戸の建てたる蔵もなし(げこのたてたるくらもなし)- 酒を飲めない下戸が金を貯めて家を蔵を建てられるわけでもない。財産を残すことと飲酒は関係ないということ。 
- 下種の一寸、のろまの三寸、馬鹿の開けっ放し(げすのいっすん、のろまのさんずん、ばかのあけっぱなし)- 戸を閉める時に、下種は一寸閉め残し、のろまな者は三寸閉め残し、愚か者は開けっ放しにしてしまう。戸の閉め方で、その人の品性・性格がわかるということ。 
- 恋に師匠なし(こいにししょうなし)- 恋というものは人から教えられなくても、年ごろになれば自然に覚えるものだということ。 
- 恋に上下の隔てなし(こいにじょうげのへだてなし)- 恋愛感情を抱くのに、身分や地位などの上下は関係ないということ。 
- 恋の病に薬なし(こいのやまいにくすりなし)- 恋わずらいは病気ではないから治す薬はないということ。 
- 光陰、矢の如し(こういん、やのごとし)- 月日が経つのが早いことのたとえ。 「光」は日、「陰」は月のこと。 月日は、矢が飛ぶようにあっという間に過ぎ去るという意味から。 
- 光陰に関守なし(こういんにせきもりなし)- 月日がとどまることなく、過ぎていくことのたとえ。 「光」は日、「陰」は月、「関守」は関所の番人。 月日の流れをとめる番人などいないということ。 
- 孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし)- 親が元気な時は、有難みや苦労がわからず、それに気がつく年になった時には、親はもうこの世にいないということ。親が元気なうちに孝行せよという戒め。 
- 鴻鵠の志(こうこくのこころざし)- 大人物の志。「鴻」は大鳥、「鵠」は白鳥のことで、どちらも大きな鳥。転じて大人物のこと。 
- 恒産なき者は恒心なし(こうさんなきものはこうしんなし)- 一定の財産や職業がなければ、正しく落ち着いた心を持つことができないということ。「恒産」は一定の財産や安定した職業、「恒心」は正常な心という意。 
- 高山の巓には美木なし(こうざんのいただきにはびぼくなし)- 地位の高い人は、人からねたまれたり批判されたりすることが多く、その名声を保つのが難しいというたとえ。 高山の頂上は雨風の激しい過酷な環境なので、そこに立つ木は美しい姿を保つことができないとの意から。 
- 好事、魔多し(こうじ、まおおし)- よいことが実現しそうな時には往々にして邪魔が入りやすいということ。 
- 後生、畏るべし(こうせい、おそるべし)- 若い人はいろいろな可能性を持っていて、将来どんな力量を現すかわからないので恐れなければならないということ。「後生」は、あとから生まれる人、後輩の意。 
- 好物に祟りなし(こうぶつにたたりなし)- 好きな食べ物は、少しくらい食べ過ぎてもからだに害はないということ。 「好きな物に祟りなし」ともいう。 
- 氷は水より出でて水よりも寒し(こおりはみずよりいでてみずよりもさむし)- 弟子が師よりも優れたものになることのたとえ。 水からできた氷が、水よりも冷たくなるとの意から。 
- 故郷忘じ難し(こきょうぼうじがたし)- 生まれ故郷はいつまでもなつかしく、忘れがたいものであるということ。 
- こけら落とし(こけらおとし)- 劇場や映画館、競技場などの新築や改築を祝って行う最初の興行のこと。「こけら」は、材木の削りくずのことで、新築や改築の最後の仕上げに、それを払い落としたことから。 
- 孤掌鳴らし難し(こしょうならしがたし)- 人間は一人きりでは生きられないこと、一人では物事を成し遂げることはできないことのたとえ。 「孤掌」は、片方の手のひら。 片方の手のひらだけでは、手を打ち鳴らすことは出来ないことから。 
- 乞食の系図話(こじきのけいずばなし)- 言ってもどうにもならない愚痴をこぼしたり、見栄を張ったりすること。 「系図」は、代々の家系の系統を書き表したもの。 乞食が落ちぶれる前の系図の自慢話をするとの意から。 
- コップの中の嵐(こっぷのなかのあらし)- 狭い範囲内で起こった、大局には何の影響もない騒ぎのたとえ。 
- 言葉多きは品少なし(ことばおおきはしなすくなし)- 口数の多い人は軽薄で品位に欠けるという、おしゃべりを戒める言葉。 
- 子供好きに子なし(こどもずきにこなし)- 子どもが好きな人には、子どもがない場合が多いということ。 
- 子に過ぎたる宝なし(こにすぎたるたからなし)- 子どもは最上の宝であるということ。 「子に勝る宝なし」ともいう。 
- 米の飯より思し召し(こめのめしよりおぼしめし)- ごちそうしてくれるのもうれしいが、その気持ちのほうがずっとうれしいということ。「飯」と「召し」をかけて調子よく言った言葉。 
- 子を知ること父に若くはなし(こをしることちちにしくはなし)- 父親は子どもの長所や短所を誰よりもいちばんよく知っているということ。「若くはなし」は、及ぶものはないという意。 
- 子を棄つる藪はあれど身を棄つる藪はなし(こをすつるやぶはあれどみをすつるやぶはなし)- 困窮すると最愛のわが子でも棄てることができるが、自分の身だけは棄てることができないということ。 
- 剛毅朴訥、仁に近し(ごうきぼくとつ、じんにちかし)- 強固な意志を持ち、素朴で口数が少ない人物こそ、最高の徳である仁に最も近い人であるということ。 
- 碁打ちに時なし(ごうちにときなし)- 碁を打つ者は勝負に夢中になって、時を忘れてしまうということ。 
- 済世の志(さいせいのこころざし)- 世の中の弊害を取り除いて、人々を救おうとする志。「済世」は世の中の人々を救うこと。 
- 左右の手を失うが如し(さゆうのてをうしなうがごとし)- まるで両方の手を同時に失ったかのように、最も信頼していたものを失って落ち込むこと。 
- 猿に烏帽子(さるにえぼし)- 外見だけ装って、実質の伴わないことのたとえ。また、ふさわしくないことをするたとえ。 猿に烏帽子をかぶせても似合わないことから。 
- 去る者は日日に疎し(さるものはひびにうとし)- 死んだ人は、月日が経つとだんだんと忘れられていく。また、親しくしていた人も、遠く離れてしまうとしだいに疎遠になるということ。 
- 触らぬ神に祟りなし(さわらぬかみにたたりなし)- 何事も関係をもたなければ、災いを招くことはないということ。 神様と関わりをもたなければ、神様の祟りを受けることはないとの意から。 
- 三寸の見直し(さんずんのみなおし)- 物事は、細かいところまで見ると多少の欠点は見つかるということ。また、多少の欠点は見慣れてしまえば気にならなくなるということ。 物の長さも測り方によっては三寸ほどの誤差があるとの意から。 
- 山中の賊を破るは易く心中の賊を破るは難し(さんちゅうのぞくをやぶるはやすくしんちゅうのぞくをやぶるはかたし)- 山中にいる賊を討伐するのは簡単だが、心の中の邪念に打ち勝つのは難しいというたとえ。 
- 山中暦日なし(さんちゅうれきじつなし)- 山の中で俗世間を離れて暮らしていると、月日の経つのも忘れるということ。「暦日」は、月日の意。 
- 三度の飯も強し柔らかし(さんどのめしもこわしやわらかし)- 世の中のことは、なかなか自分の思う通りにはならないというたとえ。 毎日炊いている飯でさえ、固すぎたり柔らかすぎたりして思うようにはいかないだから、世の中のことが思い通りにいかないのは当然だということから。 
- 材、大なれば用を為し難し(ざい、だいなればようをなしがたし)- 立派すぎる人物は世の中になかなか受け入れられないというたとえ。 材木が大きすぎると使いづらいという意味から。 
 
         
    