「如」を含む故事・ことわざ・慣用句
「如」を含む故事・ことわざ・慣用句の一覧です。五十音順に表示しています。
雨、車軸の如し(あめ、しゃじくのごとし)
大粒の雨がはげしく降るさま。雨脚を車軸に見立てていうことから。
危うきこと虎の尾を踏むが如し(あやうきこととらのおをふむがごとし)
非常に危険なことをすることのたとえ。
危うきこと累卵の如し(あやうきことるいらんのごとし)
きわめて不安定で危険な状態のたとえ。 「累卵」は積み重ねた卵のことで、いつ崩れるかわからないことから。
蟻の甘きにつくが如し(ありのあまきにつくがごとし)
蟻が甘いものに群がるように、利益のある所に人が群がることのたとえ。
如何物食い(いかものぐい)
世間一般の人とは違う趣味や嗜好を持つこと。また、その人。 「如何物」は「如何様物(いかさまもの)」の略で、いかがわしいもの。ここでは、普通は食用にしないもののこと。 普通の人が食べないような物を好んで食べるとの意から。
如何せん(いかんせん)
残念ながら、いい方法がない。どうしようもない。
市に帰するが如し(いちにきするがごとし)
多くの人が市場に集まるように、人徳のある人のところへ人々が慕って集まるということ。
一見、旧の如し(いっけん、きゅうのごとし)
一度会っただけで、古くからの友達のように親しくなること。「一見」は一度会う、「旧」は以前からの知り合いの意。
魚の木に登るが如し(うおのきにのぼるがごとし)
魚が木に登ろうとするように、不可能なことをしようとするたとえ。
魚の釜中に遊ぶが如し(うおのふちゅうにあそぶがごとし)
危険が迫っていることも知らずにのんきにしていることのたとえ。また、死が迫っていることのたとえ。 やがて煮られることも知らずに魚が釜の中をのんびり泳いでいることから。 「釜中の魚」ともいう。
己に如かざる者を友とするなかれ(おのれにしかざるものをともとするなかれ)
自分をより向上させるためには、自分より劣った者を友として交際すべきではないという教え
影の形に随うが如し(かげのかたちにしたがうがごとし)
いつもいっしょにいて離れないこと。 影が必ず物につき随うことから。 「影の形に添うが如し」「影の形に添うように」ともいう。
影の形に添うが如し(かげのかたちにそうがごとし)
いつもいっしょにいて離れないこと。 影が必ず物につき随うことから。 「影の形に添うが如し」「影の形に添うように」ともいう。
形の如く(かたのごとく)
ものごとが決まった法則の通りに行われるさま。
型の如く(かたのごとく)
ものごとが決まった法則の通りに行われるさま。
傍らに人無きが如し(かたわらにひとなきがごとし)
鼎の沸くが如し(かなえのわくがごとし)
鼎の中で湯が沸き立つように、物事が混乱して騒がしく、おさまりがつかないことのたとえ。
禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)
わざわいと幸福は、より合わせた縄のように表裏一体を成しているということ。「糾う」とは縄をより合わせること。
帰心、矢の如し(きしん、やのごとし)
故郷や我が家に帰りたいと思う気持ちが募ること。
綺羅星の如し(きらぼしのごとし)
立派な人や明るいものが、ずらりと並ぶ様子のたとえ。「綺羅、星の如し」からできた語で、「綺羅」は、美しい衣服の意。転じて、外見が華やかなこと、栄華をきわめること。本来「綺羅と星と」と、美しいものを列挙した語が、のちに誤って「綺羅星」と一語化された語になった。
錐の嚢中に処るが如し(きりののうちゅうにおるがごとし)
すぐれた人は、多くの人の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中にの錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
件の如し(くだんのごとし)
前に述べた通りである。文章の末尾などに用いられる。 多く「よって件の如し」の形で使われる。
傾蓋、旧の如し(けいがい、きゅうのごとし)
会ったばかりで旧友でもあるかのように親しく打ち解けることのたとえ。 「傾蓋」は孔子(こうし)と程子(ていし)がたまたま道で出会って車の蓋(かさ)を傾けて語りあったという故事から。
外面似菩薩、内心如夜叉(げめんじぼさつ、ないしんにょやしゃ)
外面は菩薩のようにやさしく美しいが、内面は夜叉のように邪悪で恐ろしい人のこと。 仏教で、女性が修行の妨げになることを戒めていった言葉。 「外面如菩薩、内心如夜叉」ともいう。
外面如菩薩、内心如夜叉(げめんにょぼさつ、ないしんにょやしゃ)
外面は菩薩のようにやさしく美しいが、内面は夜叉のように邪悪で恐ろしい人のこと。 仏教で、女性が修行の妨げになることを戒めていった言葉。 「外面如菩薩、内心如夜叉」ともいう。
光陰、矢の如し(こういん、やのごとし)
月日が経つのが早いことのたとえ。 「光」は日、「陰」は月のこと。 月日は、矢が飛ぶようにあっという間に過ぎ去るという意味から。
巧詐は拙誠に如かず(こうさはせっせいにしかず)
巧みに偽りごまかすことは、たとえ拙くても誠意があるものには及ばないということ。
巧遅は拙速に如かず(こうちはせっそくにしかず)
仕事の出来がよくて遅いよりは、下手でも速いほうがいいということ。
甑に坐するが如し(こしきにざするがごとし)
尽く書を信ずれば書なきに如かず(ことごとくしょをしんずればしょなきにしかず)
批判できる力を持たずに書物読んで、その全てを信じてしまうくらいなら、書物など読まないほうがよいということ。 どんな書物も完ぺきではないので、盲信してはいけないとの意から。
尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず(ことごとくしょをしんずればすなわちしょなきにしかず)
批判できる力を持たずに書物読んで、その全てを信じてしまうくらいなら、書物など読まないほうがよいということ。 どんな書物も完ぺきではないので、盲信してはいけないとの意から。
子を見ること親に如かず(こをみることおやにしかず)
子どもの長所や短所をいちばんよく知っているのは親であり、親に及ぶものはないということ。
左右の手を失うが如し(さゆうのてをうしなうがごとし)
まるで両方の手を同時に失ったかのように、最も信頼していたものを失って落ち込むこと。
三十六計逃げるに如かず(さんじゅうろっけいにげるにしかず)
様々な計略があるが、困ったときは逃げるのが最良の策だということ。 「三十六計」は、古代中国の兵法で使われた三十六種類のはかりごと。 三十六種類の計略のうち、逃げるという計略に及ぶものはないとの意から。
塩にて淵を埋む如し(しおにてふちをうずむごとし)
やっても無駄なことや不可能なことをすること。 塩で深い水たまりを埋めようとするとの意から。
珠玉の瓦礫に在るが如し(しゅぎょくのがれきにあるがごとし)
芝蘭の室に入るが如し(しらんのしつにいるがごとし)
立派な人と交際すると、自然とその人のよい影響を受けるというたとえ。 芝と蘭のある部屋に入ると、いつの間にかそのよい香りが身に染みつくとの意から。
死を視ること帰するが如し(しをみることきするがごとし)
十読は一写に如かず(じゅうどくはいちしゃにしかず)
十回読むよりも一回書き写した方が内容をよく理解できるということ。 「十遍読むより一遍写せ」ともいう。
十年一日の如し(じゅうねんいちじつのごとし)
長い年月が経っても、少しも変わらず同じ状態である様子。 十年経っても、最初の一日と同じであるとの意から。
如才がない(じょさいがない)
気が利いていて配慮が行き届いている様子。 「如才」は「如在」が変化したもので、手抜かりという意味。 「如才ない」ともいう。
如才ない(じょさいない)
気が利いていて配慮が行き届いている様子。 「如才」は「如在」が変化したもので、手抜かりという意味。 「如才ない」ともいう。
人心の同じからざるは其の面の如し(じんしんのおなじからざるはそのおもてのごとし)
人の顔がひとりひとり違うように、人の心もそれぞれ異なるということ。 「人心の同じからざるは其の面の如し」ともいう。
人生、朝露の如し(じんせい、ちょうろのごとし)
人生は朝日が射せばたちまち消えてしまう露のようにはかないものだということ。
彗星の如く(すいせいのごとく)
何の前触れもなく、いきなり現れて注目を集めること。
過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)
物事の度が過ぎると、足りないのと同じくらい良くないので、何事もほどほどが最良だということ。
赤貧洗うが如し(せきひんあらうがごとし)
非常に貧しくて、まるで洗い流したように何もない様子。「赤」は、何もないという意。
千人の諾諾は一士の諤諤に如かず(せんにんのだくだくはいっしのがくがくにしかず)
他人の言葉になんでも賛同して従う千人は、権勢に媚びずに正しいと思うことを主張する一人には及ばないということ。「諾諾」は、他人の言葉にさからわないで従うさま。「諤諤」は、正しいと思うことを恐れはばかることなく述べるさま。
善悪の報いは影の形に随うが如し(ぜんあくのむくいはかげのかたちにしたがうがごとし)
影が形に付き随うように、善悪の行為に対する報いは必ずあるということ。
善に従うこと流るるが如し(ぜんにしたがうことながるるがごとし)
大旱の雲霓を望むが如し(たいかんのうんげいをのぞむがごとし)
物事の到来を待ち望むことのたとえ。 「大旱」はひどい日照り、「雲霓」は雲と虹のこと。 ひどい日照りの時に、雨の前触れである雲や虹を待ち望むとの意から。
大賢は愚なるが如し(たいけんはぐなるがごとし)
本当に賢い人は知識をひけらかさないから、一見愚か者のように見えるということ。
大功は拙なるが如し(たいこうはせつなるがごとし)
真の名人は小細工をしないので、一見すると下手に見えるということ。
大智は愚の如し(たいちはぐのごとし)
真に知恵のある人物は、知識や知恵をひけらかさないので、一見愚か者のように見えるということ。
大勇は怯なるが如し(たいゆうはきょうなるがごとし)
本当に勇気のある人はむやみに人と争ったりしないので、一見勇気がないように見えるということ。「大勇は闘わず」「大勇は怯なるが如し」ともいう。
環の端無きが如し(たまきのはしなきがごとし)
巡り巡って終わりがないことのたとえ。 「環」は、輪の形をした飾り。 輪の形をしている環に端がないように、終わりがないとの意。
手纏の端無きが如し(たまきのはしなきがごとし)
巡り巡って終わりがないことのたとえ。 「環」は、輪の形をした飾り。 輪の形をしている環に端がないように、終わりがないとの意。
玉の杯、底なきが如し(たまのさかずき、そこなきがごとし)
外見はすばらしいが、肝心なところに欠点があり、実際には約に立たないもののたとえ。 美しい杯も、底がなければ使い物にならないとの意から。
胆斗の如し(たんとのごとし)
肝が据わっていることのたとえ。度胸があって落ち着いていることのたとえ。 「斗」は、一斗(十升)入る枡(ます)のこと。 胆の大きさが一斗の枡ほどあるとの意から。
脱兎の如し(だっとのごとし)
逃げるうさぎのように、非常にすばやいことのたとえ。
男子の一言、金鉄の如し(だんしのいちごん、きんてつのごとし)
男が一度口にした言葉は、金や鉄のように堅くゆるぎないもので、決して破ってはならないということ。
地の利は人の和に如かず(ちのりはひとのわにしかず)
土地の位置や形状がいかに有利でも、団結した人々の力には及ばないということ。
天の時は地の利に如かず(てんのときはちのりにしかず)
戦いにおいて、いかに天候や気候の条件が良くても、地理的条件の有利さには及ばないということ。
天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず(てんのときはちのりにしかず、ちのりはひとのわにしかず)
戦いにおいて、いかに天候や気候の条件が良くても、地理的条件の有利さには及ばない。 その地理的な有利さも団結した人々の力には及ばないということ。
弟子を見る事師に如かず(でしをみることしにしかず)
弟子の能力や人柄をいちばんよく知っているのは師匠であり、とうてい師匠に及ぶものはないということ。
錦を衣て夜行くが如し(にしきをきてよるゆくがごとし)
暗い夜道を錦を着て歩いても誰にもわかってもらえないのと同じで、いくら出世しても故郷に帰らなければ人々に知ってもらうことはできないので、出世した甲斐がないということ。
嚢中の物を探るが如し(のうちゅうのものをさぐるがごとし)
袋の中の物を探すように、非常に簡単なことのたとえ。 「嚢中」は袋の中。 「袋の物を探るが如し」ともいう。
薄氷を履むが如し(はくひょうをふむがごとし)
きわめて危険な事に臨むことのたとえ。 薄く張った氷の上を歩くように、非常に危険な事をするとの意から。
始めは処女の如く後は脱兎の如し(はじめはしょじょのごとくのちはだっとのごとし)
最初のうちはおとなしく振る舞って相手を油断させ、その後は見違えるほど素早く行動して敵を倒すこと。 始めは処女のように弱々しく振る舞い、その後は逃げる兎のようにすばやく行動するとの意から。
白駒の隙を過ぐるが如し(はっくのげきをすぐるがごとし)
月日の過ぎるのが、きわめて早いことのたとえ。 「白駒」は白い馬、「隙」は壁のすき間のこと。 人の一生は、白い馬が走り過ぎるのを壁のすき間からちらっと見るようなものだとの意から。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し(ひとのいっしょうはおもにをおうてとおきみちをゆくがごとし)
人生は長く苦しいものだから、辛抱強く努力を重ねて着実に進んでいかなければならないという教え。徳川家康の遺訓から。
人の心は面の如し(ひとのこころはおもてのごとし)
人の顔がひとりひとり違うように、人の心もそれぞれ異なるということ。 「人心の同じからざるは其の面の如し」ともいう。
人を恃むは自ら恃むに如かず(ひとをたのむはみずからたのむにしかず)
他人は当てにならないから、人に頼るよりも自分自身を頼りにするのが確かだということ。「恃む」は、頼るという意。
百芸は一芸の精しきに如かず(ひゃくげいはいちげいのくわしきにしかず)
何でも出来る人より、一つの事に精通している人のほうが役に立つということ。
百聞は一見に如かず(ひゃくぶんはいっけんにしかず)
人から繰り返し聞くよりも、一度でも自分の目で見たほうがよくわかるということ。 人の話を百回を聞いたところで、実際に一回見ることには及ばないとの意から。
富貴は浮雲の如し(ふうきはふうんのごとし)
富や地位は、まるで空に浮かぶ雲のようにはかないものだということ。
袋の物を探るが如し(ふくろのものをさぐるがごとし)
袋の中の物を探すように、非常に簡単なことのたとえ。 「嚢中」は袋の中。 「袋の物を探るが如し」ともいう。
浮生夢の如し(ふせいゆめのごとし)
人生はまるで夢のように短くはかないものだということ。
符節を合わすが如し(ふせつをあわすがごとし)
二つのものがぴったり合うことのたとえ。 「符節」は、後日の証拠とするために、木や竹の札に文字などを書き中央に割り印を押して二つに割り、二人が一片ずつ持つようにしたもの。 その符節を合わせたように一致するとの意から。 「符節を合わすが如し」ともいう。
符節を合するが如し(ふせつをがっするがごとし)
二つのものがぴったり合うことのたとえ。 「符節」は、後日の証拠とするために、木や竹の札に文字などを書き中央に割り印を押して二つに割り、二人が一片ずつ持つようにしたもの。 その符節を合わせたように一致するとの意から。 「符節を合わすが如し」ともいう。
弊履を棄つるが如し(へいりをすつるがごとし)
破れた履物を捨てるように、惜しげもなく捨てることのたとえ。
星を数うる如し(ほしをかぞうるごとし)
限りのないこと、できるはずのないことのたとえ。
水の低きに就くが如し(みずのひくきにつくがごとし)
水が低い方へ流れていくように、物事のなりゆきは止めようとしても止められないということ。
夜鶴の鶏群に在るが如し(やかくのけいぐんにあるがごとし)
鶏(にわとり)の群れの中に一羽だけ鶴(つる)がいるように、平凡な人々の中に一人だけ際立って優れた人物がいる様子のたとえ。 「夜鶴の鶏群に在るが如し」ともいう。
安きこと泰山の如し(やすきことたいざんのごとし)
どっしりと安定していて、ものに動じない様子のたとえ。 「泰山」は、中国山東省にある大きな山で、その泰山のように落ち着いてどっしりしているとの意から。
良賈は深く蔵して虚しきが如し(りょうこはふかくぞうしてむなしきがごとし)
賢者は自分の才能や知識をみだりにひけらかしたりしないことのたとえ。 「良賈」はすぐれた商人の意。 すぐれた商人は商品を店の奥にしまっておくため、一見商品が乏しいように見えることから。
綸言汗の如し(りんげんあせのごとし)
一度出た汗が二度と体内に戻らないように、君主が一度口にした言葉は取り消したり改めたりできないということ。「綸言」は君主のことば。
例によって例の如し(れいによってれいのごとし)
目新しいことや変わったこともなく、いつも通りということ。
吾が心秤の如し(わがこころはかりのごとし)
私の心は、秤(はかり)のように公平であるということ。 どちらか一方に偏ったり、私情を交えたりしないという意味。