「き」を含む故事・ことわざ・慣用句
「き」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 1423 件
一掬の涙(いっきくのなみだ)
両手ですくうほどの涙。 または、ほんのわずかな涙の意でも用いる。
一簣の功(いっきのこう)
仕事を完遂する間際の、最後のひと踏ん張りのこと。 または、仕事を完成させるために積み重ねる一つ一つの努力と、その大切さのこと。 「簣」は、土を入れて運ぶ道具。もっこ。 「一簣」は、もっこ一杯の土のこと。 「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」による。 九仞の高さの山を作るにも、最後のもっこ一杯の土を盛らずに止めてしまえば山は完成しないとの意から。
一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)
わずかな労力のこと。また、細かい一つ一つの動作や行動のこと。 一度手を挙げ、一度足を動かすとの意から。
一見、旧の如し(いっけん、きゅうのごとし)
一度会っただけで、古くからの友達のように親しくなること。「一見」は一度会う、「旧」は以前からの知り合いの意。
一犬影に吠ゆれば百犬虚を伝う(いっけんかげにほゆればひゃっけんきょをつたう)
一人がいいかげんなこと言い出すと、世間の多くの人がそれを真実として広めてしまうことのたとえ。 一匹の犬が何かの影を見て吠え出すと、辺りの百匹の犬がそれにつられて吠え出すとの意から。 「影に」は「形に」「虚を」、「百犬」は「千犬」「万犬」、「声に吠ゆ」は「実を伝う」「虚を伝う」「実に吠ゆる」などと多くの表現がある。
一寸先は闇(いっすんさきはやみ)
一寸先が真っ暗で何も見えないように、少し先の未来にすらどんな運命が待ち受けているのか、まったく予測ができないことのたとえ。
一隻眼(いっせきがん)
ものの本質を見抜く優れた眼識。
一席打つ(いっせきぶつ)
大勢の前で威勢よく演説をする。得意げに話をする。
一席設ける(いっせきもうける)
宴席を用意して人をもてなすこと。
一石を投じる(いっせきをとうじる)
平穏なところに反響を呼ぶような問題を投げかけること。静かな水面に石を一つ投げると波紋が生じるところから。
一旦緩急あれば(いったんかんきゅうあれば)
ひとたび大事が起きた時には、という意味。「一旦」はひとたび、「緩急」は差し迫った場合という意。
一擲乾坤を賭す(いってきけんこんをとす)
運命を賭けて大勝負に出ること。 「乾」は天、「坤」は地、「一擲」はさいころを投げること。 さいころを投げて天が出るか地が出るかの勝負をするとの意から。 「乾坤一擲」ともいう。
一天万乗の君(いってんばんじょうのきみ)
天下を治める天子のこと。 「一天」は天下、「万乗」は兵車一万台。 中国の周代、天子は戦いの時に一万台の兵車を出すことができたことから。 「万乗の君」ともいう。
一髪、千鈞を引く(いっぱつ、せんきんをひく)
非常に危険なことのたとえ。 「千鈞」は約6.7kgで非常に重い物こと。 一本の髪の毛で、千鈞の重さがある物ものを引っ張ることから。
一匹の馬が狂えば千匹の馬も狂う(いっぴきのうまがくるえばせんびきのうまもくるう)
一人の行いが他の大勢を駆り立ててしまうことのたとえ。群集が他人の言動に同調しやすいことのたとえ。 群れの中の一匹の馬が異常な行動をして騒ぎ出せば、群れ全体が巻き込まれて騒ぎ出すとの意から。
いつも月夜に米の飯(いつもつきよにこめのめし)
飽きることのない気楽な生活のたとえ。また、現実はなかなかそうはいかないということ。 昔の人にとって月の光はありがたく、また米の飯は貴重だったため、それが毎日続けば言うことがないとの意から。 「月夜に米の飯」ともいう。
田舎の学問より京の昼寝(いなかのがくもんよりきょうのひるね)
田舎で勉強するより、たとえ昼寝をしながらのんびり過ごしたとしても、都会に身を置いたほうがさまざまな人や物に接するため、多くのことを学ぶということ。
犬一代に狸一匹(いぬいちだいにたぬきいっぴき)
めったにない大きなチャンスのたとえ。犬が狸のような大物を捕らえるのは一生に一度あるかどうかということから。
犬が西向きゃ尾は東(いぬがにしむきゃおはひがし)
当たり前のことのたとえ。犬が東を向くと、当然尾は西を向くことから。
犬は人につき猫は家につく(いぬはひとにつきねこはいえにつく)
引っ越す時、犬は飼い主について行くが猫は家から離れようとしないということ。
犬骨折って鷹の餌食(いぬほねおってたかのえじき)
苦労して手に入れかけたものを、横からかすめ取られてしまうことのたとえ。 鷹狩りで、犬が苦労して草むらから追い出した獲物を、鷹が取ることから。
今際の際(いまわのきわ)
臨終の時。死に際。
今を時めく(いまをときめく)
現在、世間でもてはやされている。
芋蔓式(いもづるしき)
ある物事がきっかけとなり、それに関連する人物や物などが次々と明らかになる様子。 芋の蔓をたどると、土の中から次々に芋が出てくることから。
いらぬお世話の蒲焼(いらぬおせわのかばやき)
余計なおせっかいだということ。「世話を焼く」と「蒲焼」をかけて言ったしゃれ。
曰く付き(いわくつき)
何らかの好ましくない事情があること。
言わぬことは聞こえぬ(いわぬことはきこえぬ)
口に出して言わなければ、相手に伝わらず理解させることができないということ。
謂われを聞けば有難や(いわれをきけばありがたや)
わけがわからず見てつまらないものも、その由来を聞くと急にありがたみが増すということ。
植木屋の庭できが多い(うえきやのにわできがおおい)
気が多いこと。 「気が多いこと」と「木が多いこと」をかけて言ったしゃれ。
飢えたる時は食を択ばず(うえたるときはしょくをえらばず)
飢えているときには、食べ物を選り好む余裕などないため、何でも食べるということ。
魚の木に登るが如し(うおのきにのぼるがごとし)
魚が木に登ろうとするように、不可能なことをしようとするたとえ。
うかうか三十きょろきょろ四十(うかうかさんじゅうきょろきょろしじゅう)
歳月の過ぎるのが早く、人生が無為に過ぎることのたとえ。 うかうか過ごしているうちに三十代になり、きょろきょろしている間に四十代になってしまうとの意から。
浮き足立つ(うきあしだつ)
恐怖や不安などを感じて、逃げようとするときの腰の構えになること。
浮き沈み七度(うきしずみななたび)
長い人生には良いときもあれば悪いときもあり、それを何度も繰り返すということ。
浮き名を流す(うきなをながす)
恋愛や情事などの噂が世間に注目される。
浮き彫りにする(うきぼりにする)
物事の本質を明らかにし、はっきりと示すこと。
憂き身をやつす(うきみをやつす)
苦労や辛さなどを意に介さずに物事に熱中すること。 また、無意味なことに夢中になること。 「憂き身」は辛いことが多い身の意。
憂き目に遭う(うきめにあう)
つらい境遇に身を置くこと。
憂き目を見る(うきめをみる)
つらく苦しい体験をすること。
浮世の風(うきよのかぜ)
思うようにならない世間の風潮。
浮世は衣装七分(うきよはいしょうしちぶ)
とかく世間では外見を重んじ、うわべで内容を判断しがちだということ。七分は十分の七のことで、衣装で七分がた評価が下される意から。
浮世は回り持ち(うきよはまわりもち)
幸不幸、貧富、栄枯盛衰などは絶えず人から人へと回っていき、一ヶ所にとどまらないということ。
浮世は夢(うきよはゆめ)
この世はまるで夢のようにはかなく短いものであるということ。
浮世渡らば豆腐で渡れ(うきよわたらばとうふでわたれ)
世渡りは、内面にやさしさと柔軟性をもち、物事のけじめはきっちりとつけよというたとえ。豆腐は外見が四角くきちんとした形だが、内は柔らかいことから。
動きが取れない(うごきがとれない)
制約があり思うように行動出来ないこと。 また、窮地に追い込まれ、自分の力ではその状態から抜け出せないこと。
兎の罠に狐がかかる(うさぎのわなにきつねがかかる)
思いがけない幸運や収穫を得ることのたとえ。
牛の角突き合い(うしのつのつきあい)
仲が悪く、何かにつけて争い合うこと。
牛を食らうの気(うしをくらうのき)
幼い頃から大きな目標を持っていることのたとえ。 虎(とら)や豹(ひょう)は、子どもの時から自分より大きな牛を食おうとするほどの激しい気性を持っているの意から。 「食牛の気」ともいう。
臼から杵(うすからきね)
女性から男性に言い寄ることのたとえ。物事が逆であることのたとえ。 「臼」は女性、「杵」は男性をさす隠語。
薄気味が悪い(うすきみがわるい)
何となく怖くて気持ちが悪い。
渦に巻き込まれる(うずにまきこまれる)
いつの間にか事件や争いなどのごたごたに引き込まれてしまうこと。 「渦中に巻き込まれる」ともいう。
嘘つきは泥棒の始まり(うそつきはどろぼうのはじまり)
平気で嘘をつくようになると、泥棒をするのも平気になるということ。
疑わしきは罰せず(うたがわしきはばっせず)
刑事訴訟で、犯罪事実がはっきりと証明されないときには、被告人を有罪にしてはならないという原則のこと。
内裸でも外錦(うちはだかでもそとにしき)
どんなに苦しくても世間体を繕わなければ世の中をうまく渡っていくことはできないというたとえ。 貧しくて家の中では裸同然の暮らしをしていても、外に出る時はきちんとした身なりをしなければならないとの意から。
移り変わるは浮き世の習い(うつりかわるはうきよのならい)
時代が移り変われば世の中も変わっていくのが当然だということ。 「移り変わるは浮き世の習い」ともいう。
腕が利く(うでがきく)
優れた技量を発揮することが出来る。
生まれる前の襁褓定め(うまれるまえのむつきさだめ)
物事の手回しがよすぎて大げさなことのたとえ。 「襁褓」は、おむつのこと。 生まれる前から、赤ん坊のおむつの準備で大騒ぎするとの意から。
馬を水辺につれていけても水を飲ませることはできない(うまをみずべにつれていけてもみずをのませることはできない)
その気のない人間は、周囲がいくら心配したり気をもんだりしても無駄であるというたとえ。
烏有に帰す(うゆうにきす)
すっかりなくなってしまうこと。特に火事ですべてを無くしてしまうことをいう。「烏有」は漢文で「烏(いずくん)ぞ有らんや」と読み、全くないこと。
瓜の皮は大名に剝かせよ、柿の皮は乞食に剝かせよ(うりのかわはだいみょうにむかせよ、かきのかわはこじきにむかせよ)
瓜の皮は厚くむき、柿の皮は薄くむいたほうがおいしいということ。 大名は大まかなので瓜の皮を厚くむかせる時に適し、貧乏な乞食は柿の皮を薄くむかせる時に適しているとの意から。
漆は剝げても生地は剝げぬ(うるしははげてもきじははげぬ)
人の持って生まれた素質は変わることはないというたとえ。 漆器の表面の漆は剝げ落ちても、下の生地は剝げることはないことから。
浮気と乞食はやめられぬ(うわきとこじきはやめられぬ)
悪い習慣はあらためにくいということ。 浮気も乞食も一度味をしめたらやめられないとの意から。 「浮気」と「乞食」の「き」を語呂合わせしたもの。
英気を養う(えいきをやしなう)
いざという時に力を発揮できるように十分な休養をとること。
易簀(えきさく)
学徳にすぐれている人の死を敬っていう言葉。 「簀」は、寝台の上に敷くむしろ。 中国の孔子の弟子の曽子が、死の間際に大夫用の簀は自分には相応しくないとして質素な簀に変えさせたという故事から。 「易簀」ともいう。
易者、身の上知らず(えきしゃ、みのうえしらず)
他人のことについてはいろいろと言えても、自分のことはよくわからないことのたとえ。 「易者」は、占い師のこと。 他人の運命を占う占い師も、自分の身の上についてはわからないとの意から。
枝を伐って根を枯らす(えだをきってねをからす)
手近なところから処理していき、順次に根本まで始末することのたとえ。 木を枯らす時には、いきなり根に手を加えず、まず枝を切り落として最後に根を枯らすのがよいということ。
得手勝手は向こうには効かない(えてかってはむこうにはきかない)
自分の都合のいいように振る舞っても、なかなか相手が応じてはくれないということ。
江戸っ子の往き大名還り乞食(えどっこのゆきだいみょうかえりこじき)
江戸っ子は気前がよく無計画なので、往きは大名のように贅沢をしてお金を使い果たし、帰りには乞食のように一文無しになるということ。
江戸っ子は五月の鯉の吹き流し(えどっこはさつきのこいのふきながし)
江戸っ子は口は悪いが気性はさっぱりとしていて、物事にこだわらないということ。また、口先ばかり威勢がよくて意気地がないということ。「吹き流し」は、鯉のぼりのことで、吹き抜けで腹の中が空洞になっていることから。「口先ばかりで腸なし」と続けてもいう。
江戸の敵を長崎で討つ(えどのかたきをながさきでうつ)
意外な場所で、または筋違いのことで、昔の恨みの仕返しをするたとえ。江戸で恨みを受けた相手を、遠い長崎で討ち果たすということから。
江戸べらぼうに京どすえ(えどべらぼうにきょうどすえ)
言葉は使われる土地の気風を表していて、江戸では威勢がよく乱暴な「べらぼう」、京都ではやさしい「どすえ」がよく使われているということ。「べらぼう」は甚だしい、馬鹿などの意。「どすえ」は、「・・・ですよ」の意。
榎の実は生らば生れ木は椋の木(えのみはならばなれきはむくのき)
道理にかなっていなくても主張を曲げないこと、また強情で人の意見に従わないことのたとえ。 榎の木を椋の木と誤り、榎の実が生った後も椋の木だと言い張ることから。 「椋の木の下にて榎の実を拾う」「椋は生っても木は榎」ともいう。
烏帽子を着せる(えぼしをきせる)
妙な誇張をすることのたとえ。話を大げさにすることのたとえ。 「烏帽子」は、昔元服した男子が用いた黒色の帽子で、それをかぶって飾るとの意から。
襟付きが厚い(えりつきがあつい)
金回りがよく、裕福であること。 かつては重ね着ができる者が富裕層とされ、襟元の厚さで貧富が判断されたことから。
煙霞の癖(えんかのへき)
自然の風景を愛する気持ちが非常に強いこと。または、隠居して自然と親しみながら暮らすこと。 「烟霞」はもやと霞のこと。転じて自然の景色。 「痼疾」は治ることなく長い期間患っている病。持病。 山水の美しい風景を愛好する習性を持病にたとえた言葉。
猿猴が月を取る(えんこうがつきをとる)
自分の能力をわきまえず、欲張ったまねをして失敗することのたとえ。 猿が水に映った月を取ろうとしたとき、枝が折れ水に落ちて溺れ死んだという故事から。 「猿猴が月」「水の月取る猿」「月の影取る猿」ともいう。
遠水、近火を救わず(えんすい、きんかをすくわず)
遠くにあるものは、緊急時には役に立たないということ。 遠くにある水は、近くの火事を消すのには役に立たないとの意から。
円石を千仞の山に転ず(えんせきをせんじんのやまにてんず)
非常に勢いが激しく、抑えようがないことのたとえ。 高い山から丸い石を落とすと、ものすごい勢いで転がることから。
縁と浮き世は末を待て(えんとうきよはすえをまて)
良縁と好機は、自然に訪れるまで気長に待つのがよいということ。
縁なき衆生は度し難し(えんなきしゅじょうはどしがたし)
人の忠告を聞き入れようとしない者は、救いようがないということ。 「縁」は、ここでは仏縁の意。 「衆生」は、仏が慈悲を垂れる人間。 「度す」は、悟りを開かせること。 仏縁のない者は、たとえ仏でも救いようがないとの意から。