「う」を含む故事・ことわざ・慣用句
「う」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2443 件
夢に餅食う(ゆめにもちくう)
夢ではないかと思うような幸運が舞い込むことのたとえ。 「夢に餅」「夢に餅食う」ともいう。
夢の浮橋(ゆめのうきはし)
夢のこと。また、世間が頼りなく渡りにくいこと、はかないことのたとえ。「浮橋」は水上に筏や舟を並べて、その上に板を渡した橋のこと。
夢は五臓の患い(ゆめはごぞうのわずらい)
夢を見るのは五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)が疲れているのが原因だということ。 「患い」は「煩い」とも書く。 また、「夢は五臓の疲れ」ともいう。
夢を追う(ゆめをおう)
自分の描いている理想を追い求めること。
良いうちから養生(よいうちからようじょう)
何事も日ごろから用心すれば、失敗しないですむというたとえ。元気なうちから身体を大切にするのが、健康を保つ秘訣であるということから。
宵っ張りの朝寝坊(よいっぱりのあさねぼう)
夜遅くまで起きていて、朝は遅くまで寝ていること。また、そういう習慣のひと。
用ある時の地蔵顔、用なき時の閻魔顔(ようあるときのじぞうがお、ようなきときのえんまがお)
人にものを頼む時はお地蔵様のようにやさしいにこにこ顔をするが、用事がない時は閻魔様のように不機嫌な顔つきになるということ。
用が足りる(ようがたりる)
十分に間に合う。役に立つ。
陽気発する処、金石も亦透る(ようきはっするところ、きんせきもまたとおる)
どんな困難なことでも、精神を集中すればできないことはないということ。 「陽気」は万物が生じて活動しようとする気。 陽気が発生すれば、金属や石のように硬いものでも貫くとの意から。
養生に身が痩せる(ようじょうにみがやせる)
養生のために気を使ったり、金銭の心配をして、かえって心労で痩せてしまうということ。
用心に網を張る(ようじんにあみをはる)
用心のうえに用心をすること。「用心に縄を張る」とも言う。
用心は臆病にせよ(ようじんはおくびょうにせよ)
用心はし過ぎるということはない。臆病なくらいに用心せよということ。
夜討ち朝駆け(ようちあさがけ)
記者などが、早朝や深夜に取材先を突然訪問すること。
羊頭を掲げて狗肉を売る(ようとうをかかげてくにくをうる)
外見は立派に見せかけて、実質が伴わないことのたとえ。 羊の頭を看板に出し、実際には犬の肉を売ることから。 「羊頭を掛けて狗肉を売る」「羊頭狗肉」ともいう。
杳として(ようとして)
事情などがはっきり分からないさま。 特に、人の行方が知れないさま。
用に立つ(ようにたつ)
応用がきいて役に立つこと。使い道があること。
洋の東西を問わず(ようのとうざいをとわず)
東洋も西洋も区別なく。世界中どこでも。
漸く佳境に入る(ようやくかきょうにいる)
次第に興味深い所に入っていくということ。また、ある状況の最盛期にもいう。
揺籃の地(ようらんのち)
出生地。また、物事の発展の基礎を築いた土地。 「揺籃」は、ゆりかごのこと。
要領がいい(ようりょうがいい)
物事の処理の仕方がうまいこと。 また、自分に有利になるように、巧みに立ち回ること。
用を足す(ようをたす)
用事をすませること。 また、大小便をすませること。
俑を作る(ようをつくる)
よくないことを始めること。悪い前例を作ること。 「俑」は、死者とともに埋葬するための人形。 俑を一緒に埋めることが殉死という悪習を生んだとして、孔子がこれを憎んだという故事から。
よく言う(よくいう)
よくもそんな事がぬけぬけと言えたものだ。 相手の厚かましい物言いに対して、非難の気持ちを込めて言う言葉。
欲と相談(よくとそうだん)
欲得ずくで行動すること。
欲は身を失う(よくはみをうしなう)
欲張りは身を滅ぼすもとであるということ。
預言者郷里に容れられず(よげんしゃきょうりにいれられず)
優れた人物であっても、身近な人には認められず尊敬されにくいということ。 すぐれた預言者も、子どもの頃からよく知っている人たちにとっては、普通の人しか思えないため尊ばれないとの意から。
横手を打つ(よこでをうつ)
感じ入ったり、思い当たったりする時などに、思わず両方の手のひらを打ち合わせること。
横目を使う(よこめをつかう)
顔の向きは変えずに、目だけを動かして横を見ること。
葦の髄から天井を覗く(よしのずいからてんじょうをのぞく)
極めて狭い見方や考え方で大きな問題を判断することのたとえ。 葦の茎の小さな穴から天井の一部分を見て、天井の全てを見たと思い込むことから。 江戸いろはがるたの一つ。
誼を通じる(よしみをつうじる)
便宜を得るために、親密な関係を結ぼうと働きかけること。
余桃の罪(よとうのつみ)
主君の寵愛が気まぐれであてにならないことのたとえ。 昔、中国の衛(えい)で弥子瑕(びしか)という美少年が食べかけの美味な桃を主君に献上し喜ばれたが、寵愛を失ってからはそれを理由に罰せられたという故事から。
世に問う(よにとう)
世間に問題を提起し、その評価を尋ねること。
余の辞書には不可能という言葉はない(よのじしょにはふかのうということばはない)
自分には不可能なことはないということ、世の中には出来ないことなどないということ。「余」は「予」とも書く。通説としてナポレオンの言葉といわれている。
世の中は九分が十分(よのなかはくぶがじゅうぶ)
世の中はすべてが自分の思い通りにいくとはかぎらないから、望んだことの九分が叶ったら満足すべきだということ。
世の中は年中三月常月夜、嬶十七俺二十、負わず借らずに子三人(よのなかはねんじゅうさんがつじょうつきよ、かかあじゅうしちおれはたち、おわずからずにこさんにん)
世の中は、いつも三月頃の温暖な気候で、夜は明るい月夜、妻は十七歳自分は二十歳、責任も借金もなく、子どもは三人持つ暮らしが望ましいということ。江戸時代の庶民のささやかな願望をいった言葉。
予防線を張る(よぼうせんをはる)
自分の失敗や相手の攻撃に備えて、あらかじめ手立てを講じておくこと。
予防は治療に勝る(よぼうはちりょうにまさる)
病気になって治療するより、病気にならないように予防するほうがよいということ。転じて、問題が起こってから処理するよりも、問題が生じないようにすることが大事だということ。
輿望を担う(よぼうをになう)
世間の人々から信頼や期待を寄せられること。
夜目、遠目、笠の内(よめ、とおめ、かさのうち)
夜見るとき、遠くから見るとき、笠に隠れた顔の一部をちらりと見るときは、人の顔が実際より美しく見えるということ。女性について言うことが多い。
夜鶴子を思う(よるのつるこをおもう)
子を思う親の情愛が深いことのたとえ。 「雉」はきじのこと。 雉は野を焼かれたら危険を顧みずに巣にいる子どもを助けに戻り、鶴は霜の降りる寒い夜には自分の羽を広げて子を暖めるとの意から。 単に「焼け野の雉」「夜の鶴」、また「夜鶴子を思う」「子を思う夜の鶴」ともいう。 「焼け野の雉」は、身を隠すところのない雉のことから、危険にさらされることのたとえとしてもいわれる。
世渡りの殺生は釈迦も許す(よわたりのせっしょうはしゃかもゆるす)
生活のためならば、多少の不道徳や無慈悲な行いはやむを得ないということ。
来年の事を言えば鬼が笑う(らいねんのことをいえばおにがわらう)
来年のことはわからない。未来のことは予測できないというたとえ。
洛陽の紙価を高める(らくようのしかをたかめる)
著書が大評判で、よく売れることのたとえ。晋の左思が「三都の賦」を作った時、人々がこれを書き写そうと争って紙を買い、洛陽の紙の値段が高くなったという故事から。
落花枝に返らず、破鏡再び照らさず(らっかえだにかえらず、はきょうふたたびてらさず)
一度こわれた男女の仲は、再びもとに戻ることはないというたとえ。散り落ちた花は再びもとの枝に返ることはなく、割れた鏡は再び物をうつすことはできない意から。
落花情あれども流水意なし(らっかじょうあれどもりゅうすいいなし)
一方には恋しく思う気持ちがあるのに、相手に思いが通じないことのたとえ。 散る花は流れる水を慕うが、川はそしらぬ顔で流れていくことから。
落花流水の情(らっかりゅうすいのじょう)
男女が慕い合う気持ちを持っていることのたとえ。散る花は、流れのままに流されて行きたいと思い、流れる水は散った花を浮かべて流れたいと思っている意から。
乱世の英雄(らんせのえいゆう)
世の中の乱れに乗じて活躍する英雄のこと。中国、後漢の時代、許劭が曹操を評して言ったという故事から。
理屈上手の行い下手(りくつじょうずのおこないべた)
理屈を言うのは上手だが、いざ実践となるとさっぱりだめなこと。
理屈と膏薬はどこへでも付く(りくつとこうやくはどこへでもつく)
体のどこにでも付く膏薬のように、理屈はつけようと思えば、どんなことにでも、もっともらしくつけられるということ。
律儀は阿呆の唐名(りちぎはあほうのからな)
実直すぎるのは、愚かなことと同じだということ。「唐名」は別名の意。
理詰めより重詰め(りづめよりじゅうづめ)
相手を理屈で納得させようとするより、重箱に詰めたご馳走でもてなす方が事がうまく運ぶということ。
理に適う(りにかなう)
理屈や道理の通りであること。
理の当然(りのとうぜん)
理屈から考えて、当たり前のこと。
溜飲が下がる(りゅういんがさがる)
不平や不満が消え去り、すっきりした気分になること。「溜飲」は消化不良の時に、胃から突き上げてくる酸っぱい液で、それがなくなるということから。
柳営(りゅうえい)
将軍がいる陣営。幕府。 中国の漢の将軍である周亜夫が細柳という場所で陣営を構え、軍規を徹底させたことを文帝に称えられたという故事から。
流言は知者に止まる(りゅうげんはちしゃにとどまる)
確かな根拠のない噂が広まっても、知恵のある人はそれを他人に話さないから、噂はそこで止まるということ。
竜虎相搏つ(りゅうこあいうつ)
強豪同士が勝負を競うこと。
柳絮の才(りゅうじょのさい)
非凡な才女のこと。「柳絮の才」とは、柳の綿毛のこと。中国、晋の謝安が姪の謝道韞に、降り出した雪が何に似ているか聞いたところ、柳の綿毛の飛ぶさまにたとえた。謝安が感心して「柳絮の才高し」と言ったというという故事から。
竜と心得た蛙子(りゅうとこころえたかえるこ)
子どもに対する親の見込み違いのたとえ。 将来は竜になると期待していたわが子も、やはり蛙の子にすぎなかったとの意から。
竜の髭を撫で虎の尾を踏む(りゅうのひげをなでとらのおをふむ)
恐ろしい竜の髭を撫でたり、虎のしっぽを踏んだりするような、大変危険なことをするたとえ。
竜は一寸にして昇天の気あり(りゅうはいっすんにしてしょうてんのきあり)
すぐれた人物は幼少期からすぐれたところがあることのたとえ。 竜は一寸の大きさの頃から天に昇ろうとする気迫に満ちているということから。
柳眉を逆立てる(りゅうびをさかだてる)
美人が眉をつり上げて怒るようす。「柳眉」は柳の葉のように細い美人の眉。
竜馬の躓き(りゅうめのつまずき)
どんなにすぐれた人でも、時には失敗することもあることのたとえ。 「竜馬」とは足の速い駿馬のこと。 駿馬も躓くことがあることから。
竜を画いて狗に類す(りゅうをえがいていぬにるいす)
凡人が優れた人の真似をして、軽薄になることのたとえ。また、立派過ぎるものを求めて失敗することのたとえ。 「虎を描いて狗に類す」に同じ。
凌雲の志(りょううんのこころざし)
俗世間を超越した気高い志のこと。また、出世しようとする志。「凌雲」は雲を凌ぐほどに高い意。「陵雲」とも書く。
良禽は木を択んで棲む(りょうきんはきをえらんですむ)
賢い鳥は木を選んで巣を作るということ。賢い臣下は主君を選んで仕えるというたとえ。
燎原の火(りょうげんのひ)
激しい勢いで広がっていき、防ぎ止められないことのたとえ。「燎原」は野原を焼く意で、野原を焼く火は、すさまじい勢いで燃え広がり手がつけられないことから。
良工は材を択ばず(りょうこうはざいをえらばず)
すぐれた技術を持つ人は、材料の良し悪しなど問題にしないということ。
良賈は深く蔵して虚しきが如し(りょうこはふかくぞうしてむなしきがごとし)
賢者は自分の才能や知識をみだりにひけらかしたりしないことのたとえ。 「良賈」はすぐれた商人の意。 すぐれた商人は商品を店の奥にしまっておくため、一見商品が乏しいように見えることから。
梁山泊(りょうざんぱく)
豪傑や野心家の集まる所。「梁山泊」は、中国山東省梁山の麓の沼の名。そこに盗賊ら百八人の豪傑が集まったという話から。
領袖(りょうしゅう)
ある集団の頭(かしら)に立つ人。 「領」は襟(えり)のこと。 衣類の襟と袖(そで)は、特に人の目に触れる重要な部分であることから。
梁上の君子(りょうじょうのくんし)
泥棒のこと。または鼠のこと。中国の後漢の陳寔が梁の上に潜む賊を指して、悪い習慣が身に付くと梁の上の君子のようになると子ども達を戒めたという故事による。
両端を持す(りょうたんをじす)
どちらに付くか迷い、あいまいな態度をとること。
両手に花(りょうてにはな)
すばらしいものを二つ同時に手に入れることのたとえ。また、一人の男性が二人の女性を連れていることのたとえ。
両天秤を掛ける(りょうてんびんをかける)
二つの対立する事柄や立場に同時に関わり、どちらにも良い顔をしたり、有利な方に付こうとしたりして、不利にならないようにすること。
遼東の豕(りょうとうのいのこ)
世間知らずが、つまらない事を自慢して得意になることのたとえ。遼東では珍しいとされた白頭の豚が、河東ではありふれたもので、君子に白頭の豚を献上しようとした男が、その事を恥じて遼東に帰ったという故事から。
猟は鳥が教える(りょうはとりがおしえる)
何事も実際に行っているうちに覚えて、身に付けていくものであるということのたとえ。 鳥を撃つこつは、実際に猟をするうちに覚えるもので、いわば獲物の鳥が教えてくれるようなものだということ。
両刃の剣(りょうばのつるぎ)
使い方によっては非常に役に立つが、同時に大きな危険を招くおそれもあるもののたとえ。両辺に刃のついた剣は、相手を斬ることも出来るが、自分をも傷つける恐れのあることから。「両刃」は「諸刃」とも書き、「もろは」とも読む。
両方聞いて下知をなせ(りょうほうきいてげちをなせ)
争い事に判断を下す時は、両方の言い分を公平に聞いてから判断すべきだということ。「下知」は「げじ」とも言い、指図・命令の意。
両方立てれば身が立たぬ(りょうほうたてればみがたたぬ)
一方に良いようにすれば、他方が不満に思う。どちらにも都合の良いようにするのは難しく、中に入った自分が苦しい立場に立ち、犠牲になってしまうということ。