「い」を含む故事・ことわざ・慣用句
「い」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 2677 件
ああ言えばこう言う(ああいえばこういう)
人の意見や忠告などに対して、素直に従わずあれこれと理屈をこねること。
愛出ずる者は愛返り、福往く者は福来る(あいいずるものはあいかえり、ふくゆくものはふくきたる)
他人に愛情を注ぐ者には、その愛が巡り巡って自分に返り、他人に幸福を与える者には、やがて自らも幸福が訪れるということ。
愛多ければ憎しみ至る(あいおおければにくしみいたる)
特別に可愛がられることが多ければ、それを妬み憎む者が必ずいるということ。
愛嬌を振りまく(あいきょうをふりまく)
周囲の人々を喜ばせるように、明るくにこやかな態度で振る舞う。 「愛想を振りまく」は誤用。 「愛嬌」は「愛敬」とも書く。
匕首に鍔(あいくちにつば)
釣りあわない物、ふさわしくない物のたとえ。「匕首」は鍔のない短刀のこと。「鍔」は刀の柄と刀身の間にあり拳を防御する金具。匕首に鍔をつけても不似合いなことから。
合言葉にする(あいことばにする)
仲間うちで、自分たちの目標や主張を表した言葉を決めて掲げる。 「大会優勝を合言葉にして練習に取り組む」
挨拶は時の氏神(あいさつはときのうじがみ)
争いごとの仲裁をしてくれる人は氏神様のようにありがたいものなので、その仲裁に従うのがよいということ。 「挨拶」は仲裁の意味。 「仲裁は時の氏神」ともいう。
挨拶より円札(あいさつよりえんさつ)
お礼の言葉より、金銭をもらうほうがありがたいということ。「拶」と「札」を語呂合わせにしたことば。
相性が悪い(あいしょうがわるい)
相手との性格や考え方、調子などが上手く合わない。 「相性」は「合性」とも書く。
愛想が尽きる(あいそがつきる)
相手の言動や態度にあきれ果て、嫌になってしまう。また、信頼できなくなる。 「愛想」は「あいそう」とも読む。
愛想づかしも金から起きる(あいそづかしもかねからおきる)
女が男につれなくなり愛想をつかすようになるのは、金銭上の問題からだということ。
愛想も小想も尽き果てる(あいそもこそもつきはてる)
愛情や好意がすっかりなくなり、いやになってしまうこと。
愛想を尽かす(あいそをつかす)
相手の態度や言動にあきれて、見限る。
相対のことはこちゃ知らぬ(あいたいのことはこちゃしらぬ)
当人同士が決めたことは自分には無関係だということ。鮎(あゆ)、鯛(たい)、鯒(こち)の魚の名を語呂合わせにしたことば。
開いた口が塞がらない(あいたくちがふさがらない)
相手の言葉や行動にあきれてものも言えない様子。
開いた口に戸は立てられぬ(あいたくちにはとはたてられぬ)
世間の噂話は止めることができないということ。 「立てる」は閉めることで、「閉てる」とも書く。 「開いた口に戸は立てられぬ」「世間の口に戸は立てられぬ」ともいう。
開いた口へ牡丹餅(あいたくちへぼたもち)
努力もなしに思いがけない幸運がやってくること。
愛立てないは祖母育ち(あいだてないはばばそだち)
祖母に甘やかされて育った子供は、無遠慮でわがままになりやすい。特に、祖母が孫を過剰に可愛がると、礼儀や節度を身につける機会を失うことを戒める言葉。 「愛立てない」は、「愛立ちなし」が転じたもので、無作法や自分勝手の意。
間に立つ(あいだにたつ)
当事者同士の間に入り、交渉や話し合いを仲介して、調整やとりまとめを行うこと。 「間に入る」ともいう。
相槌を打つ(あいづちをうつ)
相手の話に調子を合わせて頷くこと。「相槌」は鍛冶仕事で鉄を鍛える時、相方と向かい合い交互に槌を打ち合わせること。
相手変われど主変わらず(あいてかわれどぬしかわらず)
相手になる人は次々と変わっているのに、こちらは変わらず同じことを繰り返し続けること。 進歩や変化のみられない様子をいう言葉。 「相手変われど手前変わらず」ともいう。
相手にとって不足はない(あいてにとってふそくはない)
相手が相当な実力者で、自分と競い合うのに十分である。
相手のさする功名(あいてのさするこうみょう)
相手の力が弱かったり、やり方が劣っていたために、思わぬ手柄を立てることのたとえ。「さする」は「してくれる」の意。
相手のない喧嘩はできぬ(あいてのないけんかはできぬ)
受けて立つ者がいなければ喧嘩は成り立たないから、喧嘩を売られても相手にするなというおしえ。
相手見てからの喧嘩声(あいてみてからのけんかごえ)
相手が自分より弱そうだと判断すると、いきなり喧嘩を売る大声を出して威張り出すこと。
合いの手を入れる(あいのてをいれる)
会話や動作の間に、それに弾みがつくような言葉や動作を差し挟む。 「合いの手を打つ」は誤用。
愛の鞭(あいのむち)
相手のことを思い、厳しく接したり罰を与えたりすること。
愛は惜しみなく与う(あいはおしみなくあたう)
誰かを愛する時は、自分の持つすべてを与えても惜しくないということ。
愛は惜しみなく奪う(あいはおしみなくうばう)
誰かを愛する時は、その相手の持つすべてを自分のものにしようと求めるということ。
愛は小出しにせよ(あいはこだしにせよ)
人を愛する時は、少しずつ長く続けるのがよいということ。
愛は憎悪の始め(あいはぞうおのはじめ)
愛と憎しみは紙一重であり、一歩間違えると愛情は憎悪に変わることがある。愛情を抱く際には、節度やバランスを保つことが大切だということ。 「愛は憎しみの始めなり」ともいう。
相惚れ自惚れ片惚れ岡惚れ(あいぼれうぬぼれかたぼれおかぼれ)
両思いの相惚れ、ひとりよがりの自惚れ、片思いの片惚れ、ひそかに恋い慕う岡惚れ、と恋愛の言葉を並べたもの。
合間を縫う(あいまをぬう)
仕事のあいまなど、物事が途切れた短い時間をうまく活用して、他の事を行う。
相も変わらず(あいもかわらず)
いつもと変わらず。「相変わらず」を強調した言い方。
逢い戻りは鴨の味(あいもどりはかものあじ)
一度別れた男女の仲が元に戻ると、その仲は前にもましてむつまじくなるということ。
逢えば五厘の損がいく(あえばごりんのそんがいく)
人との交際は何かと出費があり損をするということ。知人に会うと、それだけで五厘(一銭の半分)の損をするとの意から。
仰いで天に愧じず(あおいでてんにはじず)
天を仰ぎ見ても恥ずかしくないほど、心も行いも何らやましいことがないこと。
青い鳥(あおいとり)
身近にあって気づかない幸福のたとえ。チルチルとミチルの兄妹が、幸せを招くという青い鳥を探して旅に出るが、実は青い鳥は自分の家の鳥かごにいたというメーテルリンク作の童話劇「青い鳥」から。
青田買い(あおたがい)
企業が才能のある人材を得るために、卒業までにまだ間がある学生に対して早々に採用の内定を出すこと。
青二才(あおにさい)
若く、未熟な男子。また、そのような人を罵って言ったり、自身を謙遜して言う言葉。「青」は未熟の意、「二才」は出世魚のボラの稚魚のことで、まだ若いボラということから。
青は藍より出でて藍より青し(あおはあいよりいでてあいよりあおし)
弟子が師より優れていることのたとえ。 藍草から作られた染料の青色が、元となる藍草よりも青く美しいことから。 「出藍の誉れ」ともいう。
青表紙を叩いた者にはかなわぬ(あおびょうしをたたいたものにはかなわぬ)
きちんと学問に励んだ者にはかなわないというたとえ。「青表紙」は青い表紙を多く用いた四書五経などの経書のこと。
赤いは酒の咎(あかいはさけのとが)
赤い顔は酒のせいで飲んだ私が悪いのではありません、という酒飲みの言い訳。
垢で死んだ者はない(あかでしんだものはない)
風呂に入らなければ垢がたまって不潔だがそれが原因で死んだ人はいない。風呂嫌いの言い訳、または風呂嫌いに対する皮肉の言葉として使われる。
赤を入れる(あかをいれる)
文章の添削や校正をする。 赤い鉛筆やペンで書き込むことが多いことから。
足掻きが取れない(あがきがとれない)
悪い状態から抜け出そうともがいても、どうしようもないようす。対処する方法がないこと。
「足搔き」は自由になろうとしてもがくこと。秋風と夫婦喧嘩は日が入りゃ止む(あきかぜとふうふげんかはひがいりゃやむ)
秋風が日暮れになると静まるように、夫婦喧嘩も夜になるとおさまるということ。
空樽は音が高い(あきだるはおとがたかい)
中身のない人間ほど得意そうにしゃべりたてるというたとえ。空の樽は叩くと高い音が出ることから。
商い三年(あきないさんねん)
商いは始めてから三年くらいたたないと、利益を得るようにはならない。三年は辛抱せよというおしえ。
商い上手の仕入れ下手(あきないじょうずのしいれべた)
客に物を売るのはうまいが、仕入れがへたで儲からないということ。
商いは牛の涎(あきないはうしのよだれ)
商売のこつは牛のよだれのように細く長く切れ目なく、気長に辛抱して続けることだということ。
商いは数でこなせ(あきないはかずでこなせ)
商売のこつは薄利多売だということ。
商いは門門(あきないはかどかど)
商売のこつは客を観察してその客に合った物を売ることだということ。
商いは草の種(あきないはくさのたね)
商売や職業などの暮らしを立てる方法は、草の種のように種類が多いということ。 「商売は草の種」「世渡りは草の種」「世渡りは草の種」「身過ぎは草の種」ともいう。
商いは本にあり(あきないはもとにあり)
商売の成功・失敗は、元手に左右されるということ。
秋の入り日と年寄りはだんだん落ち目が早くなる(あきのいりひととしよりはだんだんおちめがはやくなる)
年々衰える年寄りの健康状態を、急速に暮れていく秋の夕日にたとえたことば。
呆れが礼に来る(あきれがれいにくる)
ひどく呆れることを誇張していうことば。 「呆れがお礼」ともいう。
呆れて物が言えない(あきれてものがいえない)
あまりのひどさにあっけに取られて、何も言えないようす。声もでないようす。
商人に系図なし(あきんどにけいずなし)
商人には家柄など関係なく、商売の手腕や努力しだいで成功するということ。
商人は損していつか倉が建つ(あきんどはそんしていつかくらがたつ)
商人は、損をしたなどと言いながら、いつの間にか倉が建つほどの金持ちになっていることが多いということ。
灰汁が強い(あくがつよい)
人々に受け入れられにくいような、特有の強い個性があること。 人の性質や文章・作品などについて用いられる。
悪妻は六十年の不作(あくさいはろくじゅうねんのふさく)
悪い妻は夫を一生不幸にするということ。 「悪妻は百年の不作」ともいう。
悪事、千里を行く(あくじせんりをいく)
悪い行いは、たちまち世間に広まるというたとえ。 「悪事、千里を行く」ともいう。
悪獣もなおその類を思う(あくじゅうもなおそのるいをおもう)
猛獣でさえ仲間を思いやる気持ちを持っている。まして人間ならなおさらその気持ちがあるはず、という意。「悪獣」は猛獣のこと。
悪態をつく(あくたいをつく)
相手に面と向かって悪口を言う。口汚くののしる。
悪の報いは針の先(あくのむくいははりのさき)
悪事の報いは、針の先を回るほど早くやってくるということ。
悪は一旦の事なり(あくはいったんのことなり)
一時的にうまくいっても悪は長続きせず、結局は正義に勝てないということ。
朝雨に傘いらず(あさあめにかさいらず)
朝の雨はすぐにやむということ。
浅い川も深く渡れ(あさいかわもふかくわたれ)
物事を行う時は、注意を怠らず決して油断してはいけないということ。 浅い川を渡る時も、深い川を渡る時と同じように注意して渡れとの意から。
朝顔の花一時(あさがおのはないっとき)
物事の盛りが短く、はかないことのたとえ。朝咲いた朝顔の花が昼を待たずにしぼんでしまうことから。
朝題目に宵念仏(あさだいもくによいねんぶつ)
しっかりとした考えをもたないことのたとえ。 朝は日蓮宗の南無妙法蓮華経の題目を唱え、夕方は浄土宗の南無阿弥陀仏の念仏を唱えることから。 「朝題目に夕念仏」ともいう。
朝寝坊の宵っ張り(あさねぼうのよいっぱり)
朝は遅くまで寝ている人は、夜遅くまで起きていてることが多いということ。また、それが習慣になっている人のこと。
朝の来ない夜はない(あさのこないよるはない)
ものごとは必ずいつか、よい方へ変わるということ。 「夜の明けない朝はない」ともいう。
朝のぴっかり姑の笑い(あさのぴっかりしゅうとめのわらい)
当てにならないことのたとえ。 朝さんさんと日がさすよい天気と姑の笑顔は、変わりやすく当てにはできないという意味から。
足が重い(あしがおもい)
行かなければいけないと思いながらも、気がすすまずに行く気にならないようす。
足が地に着かない(あしがちにつかない)
興奮して気持ちや動作が落ち着かないようす。
足が早い(あしがはやい)
商品の売れ行きがよいこと。 また、食べ物が腐るのがはやく、長持ちしないこと。
足駄を履いて首ったけ(あしだをはいてくびったけ)
異性に惚れ込み夢中になることのたとえ。 「足駄」は歯の高い下駄のこと。 足駄を履いていても首のあたりまで深みにはまるとの意から。
足の踏み場もない(あしのふみばもない)
足を置くわずかなすき間もないほど、部屋に物が散らかっているようす。
足下にも及ばない(あしもとにもおよばない)
相手の実力があまりにもすぐれていて、自分とは比べものにならないこと。