「かな」を含む故事・ことわざ・慣用句
「かな」を含む故事・ことわざ・慣用句 — 91 件
青表紙を叩いた者にはかなわぬ(あおびょうしをたたいたものにはかなわぬ)
きちんと学問に励んだ者にはかなわないというたとえ。「青表紙」は青い表紙を多く用いた四書五経などの経書のこと。
悪女の深情け(あくじょのふかなさけ)
器量の悪い女性ほど愛情や嫉妬心が強いということ。「悪女」は心の悪い女の意ではなく不器量な女のこと。 また、有り難迷惑のたとえ。
足が地に着かない(あしがちにつかない)
興奮して気持ちや動作が落ち着かないようす。
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)
朝に人の生きるべき道を悟ることができれば、その夕方に死んだとしてもかまわないということ。
後へ引かない(あとへひかない)
自分の意見をあくまでも主張して、譲歩しようとしないこと。
新たに沐する者は必ず冠を弾く(あらたにもくするものはかならずかんむりをはじく)
潔白な人ほど自分の身を汚すおそれのあるものを避けるということ。 「沐」は髪を洗うこと。 髪を洗ったばかりの人は、必ず冠のちりを払ってから頭にのせるとの意から。
有るか無きか(あるかなきか)
有るのか無いのかわからないほど、ほんのわずかなさま。
言うまいと思えど今朝の寒さかな(いうまいとおもえどけさのさむさかな)
どうしようもない寒さだと分かりつつも、今朝の寒さに耐えられず、思わず「寒い」と言葉に出してしまった気持ちを詠んだもの。
石部金吉鉄兜(いしべきんきちかなかぶと)
非常に物堅く生真面目な人のこと。また、融通のきかない人のこと。 「石部金吉」は、物堅くて融通のきかない人のたとえとして、堅い物として有名な「石」と「金」を並べて人名のように言った語。 その石部金吉が、鉄の兜をかぶっているような極端な堅物ということから。
意に適う(いにかなう)
考えや気持ちに合っている。気に入る。
陰徳あれば必ず陽報あり(いんとくあればかならずようほうあり)
人知れず善い行いをする者には、必ず善い報いがあるということ。
兎も七日なぶれば噛みつく(うさぎもなぬかなぶればかみつく)
おとなしい人でも、たびたび辱めを受けるとついには怒るというたとえ。おとなしい兎でも七日もいじめられればついには噛みつくというたとえ。
海の物とも山の物ともつかない(うみのものともやまのものともつかない)
この先どうなるか見当がつかないこと。また、正体がわからないこと。
得手勝手は向こうには効かない(えてかってはむこうにはきかない)
自分の都合のいいように振る舞っても、なかなか相手が応じてはくれないということ。
鬼に金棒(おににかなぼう)
もともと強いものがさらに強くなることのたとえ。もともと強い鬼に鉄の棒を持たせる意から。「金棒」は「鉄棒」とも書く。江戸いろはがるたの一つ。
お眼鏡に適う(おめがねにかなう)
目上の人から高く評価されて気に入られること。
思う事一つ叶えばまた一つ(おもうことひとつかなえばまたひとつ)
欲望には限りがないということ。一つ望みが叶うと、すぐにまた次を望む意から。
及びも付かない(およびもつかない)
差がありすぎて、到底かなわない。
鼎の軽重を問う(かなえのけいちょうをとう)
権威ある人の実力や能力を疑うたとえ。「鼎」は古代中国で使われた金属性の器のことで、祭器として用いられたことから、王位の象徴となった。楚の荘王が周を軽んじ、周王室の九鼎の大小や軽重を問うたという故事から。
鼎の沸くが如し(かなえのわくがごとし)
鼎の中で湯が沸き立つように、物事が混乱して騒がしく、おさまりがつかないことのたとえ。
金釘流(かなくぎりゅう)
文字を書くことが下手なことを「金釘を連ねたようだ」と、書の流派の一つに見立てて馬鹿にした言葉。
金鎖も引けば切れる(かなぐさりもひけばきれる)
鉄製の鎖も時には切れることがあるように、どんなに意志の強い人でも誘惑に負けることがあるというたとえ。
金轡を嵌める(かなぐつわをはめる)
金銭を渡して苦情を言わせないようにすること。また、賄賂を渡して口止めすること。 馬に轡をはめて、乗り手の思いのままに走らせることから。
悲しい時は身一つ(かなしいときはみひとつ)
困ったり落ちぶれたりすると、他人は当てにならず、頼りになるのは自分だけだということ。「身一つ」は財産もなく自分の体だけという意。
金縛りにあったよう(かなしばりにあったよう)
恐怖などで急に体がこわばって身動きができない様子。 また、借金など金銭に関する都合により自由を奪われている状態のこと。 「金縛り」は、鎖などで縛りつけること。
金槌の川流れ(かなづちのかわながれ)
人に頭が上がらないことのたとえ。また、出世する見込みがないことのたとえ。水に入れた金槌は、柄は浮くが頭の部分は沈むことから。
金棒引き(かなぼうひき)
ささいなことを大げさに触れ回る人のこと。本来は、金棒を突き鳴らしながら夜警する人のこと。
金棒引き(かなぼうひき)
ささいなことを大げさに触れ回る人のこと。本来は、金棒を突き鳴らしながら夜警する人のこと。
金棒を引く(かなぼうをひく)
噂話などを大げさに触れ回ること。 「金棒」は、頭部に鉄輪を付けた棒のこと。昔、夜警などが棒を突き鳴らしながら歩いたことから。
叶わぬ時には親を出せ(かなわぬときにはおやをだせ)
言い訳に困った時には、親を引き合いに出すことで口実を作れということ。
叶わぬ時の神頼み(かなわぬときのかみだのみ)
普段は信仰心を持たない者が、事が叶わない時だけ、神様に祈って助けてもらおうとすること。
烏の鳴かない日はあっても(からすのなかないひはあっても)
それだけは必ず毎日行われるということを強調していう語。 毎日必ず鳴く烏が鳴かない日があったとしてもの意。
学者の取った天下なし(がくしゃのとったてんかなし)
学者は学問の上で政治を論ずるが、実際は理屈どおりにはいかず、学者に現実の国家を治める能力はないということ。
樹静かならんと欲すれども風止まず(きしずかならんとほっすれどもかぜやまず)
親孝行をしようと思う時に、親はもうこの世にいなくてままならないというたとえ。樹木が静かに立っていようとしても、風が止まないので静かになれない意から。
木仏、金仏、石仏(きぶつ、かなぶつ、いしぼとけ)
融通の利かないひと。特に男女の情愛に疎いひとのこと。
下戸の肴荒らし(げこのさかなあらし)
酒の飲めない人が、酒の肴を手当たりしだいに食い荒らすこと。
魚は殿様に焼かせよ餅は乞食に焼かせよ(さかなはとのさまにやかせよもちはこじきにやかせよ)
人には向き不向きがあるので、しっかりと適した者を選べというたとえ。 魚はゆっくり火を通した方がいいので殿様のようにおっとりした人が適しており、餅は何度もひっくり返しながら焼くほうがよいので乞食のようにがつがつした人が適しているとの意から。 「餅は乞食に焼かせよ魚は殿様に焼かせよ」ともいう。
酒なくて何の己が桜かな(さけなくてなんのおのれがさくらかな)
花見に酒はつきもので、酒を飲まない花見はおもしろくないということ。
酒は燗、肴は刺身、酌は髱(さけはかん、さかなはさしみ、しゃくはたぼ)
酒を飲むには、ほどよい燗で、酒の肴は刺身、酌は若い女性にしてもらうのがいいということ。「髱」は日本髪の後頭部の部分の髪。転じて若い女性。
三人行えば必ずわが師あり(さんにんおこなえばかならずわがしあり)
三人で一緒に事を行えば、他の二人の中に良い所、悪い所が必ず見いだせる。どちらにしても自分の学ぶべき相手が必ずみつかるということ。
下にも置かない(したにもおかない)
客などを非常に丁寧にもてなす様子。 下座につかせないとの意から。 「下へも置かない」ともいう。
示しが付かない(しめしがつかない)
教える側の立場としてよい例にならないこと。手本にならない。
末大なれば必ず折る(すえだいなればかならずおる)
下の者の勢力が強くなると、上の者は必ず倒されてしまうということ。 松葉が茂り重くなると、強い幹も折れてしまうとの意から。
生ある者は必ず死あり(せいあるものはかならずしあり)
生きているものは必ず死ぬときがくるということ。
精神一到、何事か成らざらん(せいしんいっとう、なにごとかならざらん)
精神を集中して取り組めば、どんな難しいことでもできないことはないということ。
積悪の家には必ず余殃あり(せきあくのいえにはかならずよおうあり)
悪行を重ねてきた家には、報いとして子孫にまで必ず災いがあるということ。 「余殃」は祖先の行った悪事の報いとして受ける災い。 「積悪の余殃」ともいう。
積善の家には必ず余慶あり(せきぜんのいえにはかならずよけいあり)
善行を積み重ねた家には、その報いとしての幸せが必ず子孫におとずれるということ。「余慶」は、祖先の善行のおかげで、子孫に及ぶ幸福のこと。
絶景というは樽肴ありてこそ(ぜっけいというはたるさかなありてこそ)
すばらしい景色は、酒や肴があってこそ楽しく、酒抜きで景色を見てもつまらないということ。
粗相が御意に叶う(そそうがぎょいにかなう)
目上の者には、そそっかしい性格の目下の者がほほえましく見え、そうした者がかえって気に入られるということ。
高い舟借りて安い小魚釣る(たかいふねかりてやすいこざかなつる)
好きな事のためには、損得など考えないということのたとえ。
ただでは置かない(ただではおかない)
このままでは済ませない、必ず仕返しをするの意。 捨てぜりふ、脅し文句に用いる語。
楽しみ尽きて悲しみ来る(たのしみつきてかなしみきたる)
楽しみが極まると、かえって悲しい思いにとらわれるようになる。楽しいことは永久に続くものではないということ。
朕は国家なり(ちんはこっかなり)
フランスのルイ14世が宣言したとされる、絶対王政を象徴する言葉。 「私こそが国家そのものである」の意。
釣った魚に餌はやらぬ(つったさかなにえさはやらぬ)
親しい間柄になったあとは、相手の機嫌をとる必要はないということ。多く男女の仲についていう。
つまり肴(つまりざかな)
もはや打つ手がなくなり、仕方なくやってみるつまらない手段のたとえ。 酒宴が長引いて肴が尽きたので、やむなくつまらない肴を作って出すとの意から。
手が付かない(てがつかない)
時間に余裕がなく、その物事を始めることができないこと。 または、別のことが気がかりで集中できないこと。
梃子でも動かない(てこでもうごかない)
どんな手段を用いても、絶対にその場から動かないことのたとえ。 または、どんな事があっても、頑として言うことをきかないことのたとえ。 梃子は小さな力で大きなものを動かすことができるが、その梃子を用いても動かすことができないことから。
手に付かない(てにつかない)
他のことに心が奪われて、集中して物事を行うことができないこと。
唐紙、唐紙、仮名で書け(とうし、からかみ、かなでかけ)
「唐紙」を「とうし」と読めば書画用の紙、「からかみ」と読めば襖(ふすま)のこと。このように読み方で意味の変わることばは仮名で書いたほうがよいということ。
遠き慮りなき者は必ず近き憂えあり(とおきおもんぱかりなきものはかならずちかきうれえあり)
遠い将来を見越した考えを持っていないと、必ず急な憂い事が起こるということ。 「遠慮」は、先々のことを思慮すること。 「近憂」は、間近の憂い事のこと。 「遠き慮りなき者は必ず近き憂えあり」ともいう。
遠きに行くは必ず近きよりす(とおきにゆくはかならずちかきよりす)
物事を行う場合は、順序を踏んで着実に進めなければならないということ。 遠くに行く時も近い場所から歩き始めることから。
徳孤ならず必ず隣あり(とくこならずかならずとなりあり)
徳を備えた人は孤立することがなく、理解者や協力者が必ず現れるということ。
徳は孤ならず必ず隣あり(とくはこならずかならずとなりあり)
徳のある人は決して孤立することがなく、理解し協力する者が必ず現れるということ。
鳥の将に死なんとする、その鳴くや哀し(とりのまさにしなんとする、そのなくやかなし)
鳥の死に際の鳴き声は人の心を打つほど悲痛に響くということ。このあとに「人の将に死なんとするその言や善し」と続き、人が死に際にいう言葉には真実が込められているという意で使われる。
貪欲は必ず身を食う(どんよくはかならずみをくう)
強すぎる欲望は身を滅ぼすという戒め。
ない子に泣かないが有る子に泣く(ないこにはなかないがあるこになく)
子育てには苦労があり時には泣かされることもあるが、たとえ苦労させられても子どもはいたほうがよいということ。 「ない子に泣かないが有る子に泣く」「ない子では泣かである子に泣く」などともいう。
中中でもない(なかなかでもない)
とんでもない。思いもよらない。予想をはるかに超えた程度であり、意外な結果や状況を伴う様子。
逃がした魚は大きい(にがしたさかなはおおきい)
手に入れそこなったものは惜しさが加わって、特にすぐれたもののように感じられるというたとえ。「魚」は「うお」とも読む。 「逃した魚は大きい」「逃げた魚は大きい」「釣り落とした魚は大きい」ともいう。
二進も三進も行かない(にっちもさっちもいかない)
物事が行き詰まってどうにもならない様子。 「二進(にっち)」「三進(さっち)」は、そろばんの割り算から出た語で、計算のやりくりの意。
似ても似つかない(にてもにつかない)
全く似ていないこと。
願ったり叶ったり(ねがったりかなったり)
自分の思いどおりになること。自分と相手の条件がうまく合うことで、希望どおりに物事が進むこと。
猫の魚を食わぬ振り(ねこのさかなをくわぬふり)
内心は欲しくてたまらないのに、うわべだけ遠慮することのたとえ。 また、その場だけのことで長続きしないことのたとえ。 猫が大好きな魚を辞退するとの意から。 「猫の精進」「猫の魚を食わぬ振り」ともいう。
始めあるものは必ず終わりあり(はじめあるものはかならずおわりあり)
物事には始めがあるように必ず終わりがある。生あるものには必ず死が訪れ、栄えているものはいつか滅びるということ。
犯罪の陰に必ず女あり(はんざいのかげにかならずおんなあり)
犯罪の動機には女性問題がからむことが多いということ。
馬鹿と暗闇おっかない(ばかとくらやみおっかない)
暗闇も怖いが、馬鹿も何をしでかすか予想できないので恐ろしいということ。
馬鹿な子ほど可愛い(ばかなこほどかわいい)
親にとっては、賢い子より愚かな子のほうがふびんでかわいいということ。
一筋縄では行かない(ひとすじなわではいかない)
普通のやり方では思うようにいかない、うまく対処できないこと。 「一筋縄」は一本の縄のことで、普通のやり方のたとえ。 一本の縄だけでは対処できず、二本、三本と使うような状態との意から。
人に勝たんと欲する者は必ず先ず自ら勝つ(ひとにかたんとほっするものはかならずまずみずからかつ)
人に勝とうと思うなら、まず自分自身の色々な欲望に打ち勝つ必要があるということ。
降れば必ず土砂降り(ふればかならずどしゃぶり)
不運が続くことのたとえ。 雨が降れば必ず土砂降りになるとの意から。
朋友は六親に叶う(ほうゆうはりくしんにかなう)
親友は肉親に匹敵するほど大切だということ。「六親」は父・母・兄・弟・妻・子または父・子・兄・弟・夫・妻の称。