「鳥」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 139 件
「鳥」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全139件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
逢い戻りは鴨の味(あいもどりはかものあじ)
一度別れた男女の仲が元に戻ると、その仲は前にもましてむつまじくなるということ。
青い鳥(あおいとり)
幸せは遠くにあるものと思い込みがちだが、まことは身近にあって気づかれずにいるということ。 チルチルとミチルの兄妹が幸せを呼ぶという青い鳥を求めて夢の中の国々をめぐり、どこでも捕らえそこねて家に戻ると、飼っていた鳥こそがその青い鳥だったという筋書きによる。
足下から鳥が立つ(あしもとからとりがたつ)
身近なところで、突然思いもかけないことが起きることのたとえ。また、急に思い立って物事を始めるようす。
足下の鳥は逃げる(あしもとのとりはにげる)
身近なことや手元の物事をおろそかにしていると、思いがけず失うことのたとえ。 足もとにいる鳥ならいつでも捕まえられると油断しているうちに、逃げられてしまうという意から。
葦を啣む雁(あしをふくむかり)
物事を行うときの準備が完全なこと。 雁が海を渡って遠くへ飛ぶとき、海上で羽を休めるために枯れ葦を口にくわえて行くことから。
後の雁が先になる(あとのかりがさきになる)
後から来た者が、先の者を追い抜いてしまうこと。また、年上の者より年下の者が先に死んだ時にも使う。列をなして飛ぶ雁行のようすから。「雁」は「がん」とも読む。
あの声で蜥蜴食らうか時鳥(あのこえでとかげくらうかほととぎす)
人や物事は、見かけでは判断できないということ。美しい声で鳴く時鳥が蜥蜴を食べることに驚いた、という意味で、江戸時代の俳人、宝井其角の句から。
家鴨も鴨の気位(あひるもかものきぐらい)
それほどでもない者が、高い気位を持っていることのたとえ。 姿のよくない家鴨が、鴨の気位を持つことから。
いい鴨(いいかも)
こちらの思い通りに利用できそうな人のたとえ。 猟場で格好の獲物として狙われる鴨の意から。
一富士、二鷹、三茄子(いちふじ、にたか、さんなすび)
初夢に見ると縁起がいいとされるものを順に並べたことば。
いとこ同士は鴨の味(いとこどうしはかものあじ)
血の近い者どうしが連れ添うと、格別に睦まじくなる。 ごちそうの旨さを持ち出すほど、その間柄は濃いと見られてきた。
犬骨折って鷹の餌食(いぬほねおってたかのえじき)
苦労して手に入れかけたものを、横からかすめ取られてしまうことのたとえ。 鷹狩りで、犬が苦労して草むらから追い出した獲物を、鷹が取ることから。
犬も朋輩、鷹も朋輩(いぬもほうばい、たかもほうばい)
役目や地位が違っても、同じ職場で働けばみな同僚であることには変わりないので、仲良くすべきであるということ。 鷹狩りにおいて、犬と鷹は役目が違うが、同じ主人に仕える仲間であるとの意から。
命は鴻毛より軽し(いのちはこうもうよりかろし)
守るべき筋の重さの前には、一身の生き死になど後回しになる。 同じ死でも、その場面によって値打ちがまるで違うとする。
今泣いた烏がもう笑う(いまないたからすがもうわらう)
泣いていた人が、すぐに機嫌を直して笑うこと。主に子どもの、気持ちの移り変わりの早さについていう。
上見ぬ鷲(うえみぬわし)
何者もおそれずゆったりと落ち着いている様子。また、他をはばからず傲慢にふるまうことのたとえ。鷲は強いので上空からの攻撃を警戒しなくてよいことから。
鶯鳴かせたこともある(うぐいすなかせたこともある)
若いころは魅力的で異性にもてはやされたこともあったと、老女が昔を自慢していうことば。女性の美しさを梅、男性を鶯にたとえて枝にとまらせて鳴かせたという意味。
烏合の衆(うごうのしゅう)
烏(からす)の集まりのように、規律も統一もなく集まった群衆のこと。
烏鵲の智(うじゃくのち)
遠い先のことばかり心配して、すぐそばに危険が迫っていることに気がつかない愚かさのたとえ。 「烏鵲」はカササギのこと。 カササギは、強風の吹くことが多い年には、高い枝ではなく低い枝に巣を作るが、そのために人からひなや卵をとられる危険があることには気づかないとの意から。
鵜の真似をする烏(うのまねをするからす)
自分の能力をわきまえず、人の真似をして失敗することのたとえ。 「鵜」は、水鳥の名。 水に潜って巧みに魚を捕る鵜の真似をして、烏が水に潜っても溺れるばかりであるとの意から。 「鵜の真似をする烏水に溺れる」「鵜の真似をする烏水を呑む」「烏が鵜の真似」ともいう。
鵜呑みにする(うのみにする)
物事の真偽をよく確認せず、そのまま受け入れること。 鵜が魚を噛まずに丸呑みすることから。
鵜の目鷹の目(うのめたかのめ)
鵜や鷹が獲物を狙う時のように、一生懸命にものを探し出そうとする様子。また、その目つきのこと。
梅に鶯(うめにうぐいす)
美しく調和する二つのもののたとえ。鶯が梅の枝にとまっている光景がよく似合っていることから。
烏鷺の争い(うろのあらそい)
碁を打つこと。黒い烏と白い鷺を碁石に見立て、黒と白の石で勝負を争うことから。
越鳥南枝に巣くい、胡馬北風に嘶く(えっちょうなんしにすくい、こばほくふうにいななく)
生まれた土地は、遠く離れても身のうちに残り続ける。 渡ってきた鳥が巣がけの枝を選ぶにも、連れられて来た馬が風に首をもたげるにも、もといた方角がおのずと出ることから。 出典の詩句は「胡馬北風に依り、越鳥南枝に巣くう」の対になっている。
鴛鴦の契り(えんおうのちぎり)
夫婦仲の睦まじいことのたとえ。「鴛」はおしどりの雄、「鴦」はおしどりの雌で、雌雄がいつも寄り添っていることから。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)
小人物には、大人物の志は理解できないということのたとえ。「燕雀」は小さな鳥の意から転じて小人物、「鴻鵠」は大きな鳥の意から転じて大人物のこと。
鸚鵡よく言えども飛鳥を離れず(おうむよくいえどもひちょうをはなれず)
オウムは人の物言いを巧みに写し取るが、それでも空を飛ぶ生き物の域を出ない。語を並べるだけで行いの裏づけを欠く者は、人の名に値しない。
屋烏の愛(おくうのあい)
人を愛すると、その人に関する全てのものが愛しくなるということのたとえ。嫌いな烏でも、愛する人の家の屋根に止まっていれば愛らしく思えるとの意から。
鴛鴦の衾(おしのふすま)
おしどりの模様がある夜具。 また、仲むつまじい男女の共寝のたとえ。 「鴛鴦(おし)」は、鳥のオシドリの古名。オシドリは雌雄がむつまじく一緒にいることから。
同じ羽の鳥は集まるものだ(おなじはねのとりはあつまるものだ)
趣味や物の見方が似通った者は、誘い合わせるまでもなく一つところへ寄り集まる。 英語のことわざが訳されて広まった言い方で、羽の色をそろえた鳥が群れをなして飛ぶさまにたとえている。
尾羽打ち枯らす(おはうちからす)
落ちぶれて、みすぼらしい姿になることのたとえ。 鷹の尾と羽が傷ついてぼろぼろになるとの意から。
霞に千鳥(かすみにちどり)
ふさわしくないことのたとえ。また、あり得ないことのたとえ。霞は春のもの、千鳥は冬の鳥であることから。
金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる(かねさえあればとぶとりもおちる)
世の中のたいがいの事が金で解決できるということのたとえ。
蕪は鶉となり、山芋は鰻となる(かぶらはうずらとなり、やまいもはうなぎとなる)
起こるはずのないことが時には起こることのたとえ。また、身分の低い人が急に出世したり金持ちになることのたとえ。 いくら形が似ていても、蕪(かぶら)が鶉(うずら)になったり山芋が鰻になったりすることなどありえないが、それが起こるとの意から。 「山の芋鰻になる」ともいう。
亀の年を鶴が羨む(かめのとしをつるがうらやむ)
欲望に限りのないことのたとえ。 千年の寿命をもつという鶴が、万年の寿命をもつ亀をうらやましがるとの意から。
鴨が葱を背負って来る(かもがねぎをしょってくる)
好都合な状況が重なり、さらに良い結果が生まれることのたとえ。 鍋料理で用いる鴨が自ら葱を背負ってやってくるような、非常に都合の良い状況を表す言葉。 特にお人好しが自らの行動で他人に利益をもたらす場合によく使われ、略して「鴨葱」ともいう。
鴨の水搔き(かものみずかき)
気楽そうに見えても、人知れぬ苦労があることのたとえ。のんびりと浮かんでいるように見える鴨も、水の中では絶えず足で水を掻いていることから。
烏の頭の白くなるまで(からすのあたまのしろくなるまで)
いつまで経ってもその時がこないことのたとえ。中国、戦国時代に燕の太子丹が人質になった時、秦王が「烏の頭が白くなり、馬に角が生えたら国へ帰す」と言ったという故事から。
烏の行水(からすのぎょうずい)
入浴時間が、きわめて短いことのたとえ。烏が短い時間で水浴びをする様子から。
烏の鳴かない日はあっても(からすのなかないひはあっても)
それだけは必ず毎日行われるということを強調していう語。 毎日必ず鳴く烏が鳴かない日があったとしてもの意。
烏の濡れ羽色(からすのぬればいろ)
髪の毛が、水に濡れた烏の羽のように、真っ黒で艶のあるようす。
烏を鵜に使う(からすをうにつかう)
役に立たない者を、才能が必要とされる重要な地位に置くことのたとえ。 「烏」は、魚をとらない役に立たないもの。 「鵜」は、魚をとる役に立つもの。
烏を鷺(からすをさぎ)
明らかな間違いを正しいと言い張ること。また、強引に押し通そうとすること。 烏(黒い鳥)を鷺(白い鳥)だと言い張るとの意から。
勧学院の雀は蒙求を囀る(かんがくいんのすずめはもうぎゅうをさえずる)
ふだん見慣れたり聞き慣れたりしていることは、習わなくても自然に身に付くというたとえ。 「勧学院」は、平安時代に藤原氏の子弟を教育した学校。 「蒙求」は、中国唐の時代に書かれた歴史教訓書。 勧学院の雀は、学生が蒙求を読むのを聞き覚えて、それをさえずるようになったということから。
閑古鳥が鳴く(かんこどりがなく)
人が集まらずものさびしい様子。特に商売などがはやらずさびれていることをいう。「閑古鳥」はかっこうの別名で、その鳴き声がさびしげに聞こえることから。
雁がたてば鳩もたつ(がんがたてばはともたつ)
身のほども考えず、むやみに人まねしようとすること。渡り鳥である雁が飛び立つのを見て、遠くまで飛べない鳩も飛び立つことから。
雁が飛べば石亀も地団駄(がんがとべばいしがめもじだんだ)
身のほどもわきまえず、むやみに人のまねをしようとすること。 雁が飛び立つのを見て、自分も飛ぼうとした石亀が、飛べずにくやしがって地団駄を踏むことから。 単に「石亀も(の)地団駄」とも、「鷹が飛べば石亀も地団駄」「蛙が飛べば石亀も地団駄」ともいう。
雁書(がんしょ)
便り、手紙のこと。 中国前漢の蘇武が、匈奴に捕らえられた時、自分の生存を知らせる手紙を雁の足に結んで放ったという故事から。 「雁札」「雁帛」「雁の使い」「雁の便り」「雁の玉章」ともいう。
雁は八百、矢は三文(がんははっぴゃく、やはさんもん)
注ぎ込んだものはごく僅かなのに、手にする実りは桁違いに大きいこと。 一本三文の矢を放って、八百文の値がつく雁を仕留める。それほど割の合う商いをいう。「雁は八百、矢は三銭」ともいう。
雁も鳩も食わねば知れぬ(がんもはともくわねばしれぬ)
自分の舌で確かめてはじめて、そのものの中身は言い当てられる。 雁の肉と鳩の肉は、目で見ているかぎりよく似ている。世の中の物事も同じことで、傍から品定めをしても当たらない。「雁も鳩も食うた者が知る」ともいわれる。
雉の隠れ(きじのかくれ)
隠れおおせたと思っているのは当人ばかりで、はた目にはすっかり知れていること。草むらへ首だけ差し入れた雉が、尻尾を外へ置き去りにしている姿を笑っていう。
雉も鳴かずば撃たれまい(きじもなかずばうたれまい)
黙っていれば見過ごされたものを、ひと言もらしたばかりに目を付けられる。 言わずに済むことは言わずにおくほうが身のためである。
客と白鷺は立ったが見事(きゃくとしらさぎはたったがみごと)
客は長居をしないで、早く帰るほうがよいということ。白鷺の美しい立ち姿に掛けていった言葉。
窮鳥懐に入れば猟師も殺さず(きゅうちょうふところにいればりょうしもころさず)
追いつめた側であっても、自分の胸元へ飛び込んできた相手には手を下せない。 そこまで来た者を突き放すのは、人として通らない。 「飛ぶ鳥懐に入る時は狩人も助く」「窮鳥懐に入る」ともいう。
金の卵を産む鵞鳥を殺すな(きんのたまごをうむがちょうをころすな)
目先の大きな儲けに目がくらんで、末長く入ってくるはずの利を自ら断つな、という戒め。 毎日ひとつずつ金の卵を産む鵞鳥の腹を、飼い主が待ちきれずに割き、鳥もろとも実入りを失ったという寓話にもとづく。
嘴が黄色い(くちばしがきいろい)
年が若くて経験が浅いことをあざけっていう言葉。ひな鳥の嘴が黄色いことから。
鶏群の一鶴(けいぐんのいっかく)
並の者ばかりのなかに、ひとりだけ格の違う人がいること。野に育った鶴が鶏の囲いに立ち混じったかのようだ、と晋の嵇紹を評した一句による。
鶏口となるも牛後となるなかれ(けいこうとなるもぎゅうごとなるなかれ)
所帯の大小より、自分の裁量で決められるかどうかを取れ。人の指図どおりに動く末に連なるくらいなら、手狭でも旗を持つ側に回るほうがよい。 戦国時代、秦に屈しようとする韓の王を、蘇秦が思いとどまらせるために説いた言葉。 略して「鶏口牛後(けいこうぎゅうご)」ともいう。
献上の鴨(けんじょうのかも)
着物は汚くみすぼらしいが、足袋や履物だけは綺麗にしている者をののしって言うことば。 江戸時代、将軍へ鴨を献上する際に、鴨の足を白紙で包んだことから。
鴻鵠の志(こうこくのこころざし)
大人物の志。「鴻」は大鳥、「鵠」は白鳥のことで、どちらも大きな鳥。転じて大人物のこと。
蝙蝠も鳥のうち(こうもりもとりのうち)
その道の者とは言いにくい相手まで、ひとまとめに数えられている。格の合わない顔ぶれが並んでいても、外からは同じ一群として通ってしまう。
権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる(ごんべえがたねまきゃからすがほじくる)
人が苦労してやったことを、あとからぶちこわすたとえ。また、無駄な骨折りのたとえ。「権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる、三度に一度は追わずばなるまい」という俗歌の歌詞から。
鷺と烏(さぎとからす)
まったく正反対のことのたとえ。鷺は真っ白、烏は真っ黒なことから。
鷺を烏(さぎをからす)
事実と異なることを事実であると強引に言いくるめること。 色が白い鷺を黒い烏だと言いくるめるということから。
鷺を烏と言いくるめる(さぎをからすといいくるめる)
明らかに間違っているのに、強引に主張して押し通そうとするたとえ。真っ白な鷺を烏だと言い張るという意。「言いくるめる」は、相手を言葉で丸め込むという意。
死は或は泰山より重く、或は鴻毛より軽し(しはあるいはたいざんよりおもく、あるいはこうもうよりかろし)
人の死には、山のように重いものと、羽毛のように軽いものとがある。何のために命を投げ出すのかによって、その重みは大きく隔たるということ。 「泰山」は中国山東省にそびえる名山、「鴻毛」はおおとりの羽毛。重さの両極を持ち出して言い分けたものである。
雀、海に入って蛤となる(すずめ、うみにいってはまぐりとなる)
思いがけない変化があることのたとえ。晩秋の海辺で騒ぐ雀が蛤になるという中国の古い俗信から。
雀の千声鶴の一声(すずめのせんこえつるのひとこえ)
つまらない者がいろいろ言うよりも、すぐれた者の一声のほうが勝っているというたとえ。「鶴の一声」だけでも使われる。
雀の涙(すずめのなみだ)
ごく僅かなもののたとえ。雀が流す少量の涙の意で、多くは金銭について言われる。
雀の糠喜び(すずめのぬかよろこび)
喜んだ後に当てがはずれることのたとえ。 雀が籾(もみ)を見つけて喜んだ後、米は無く糠のみだと分かりがっかりすることから。
雀百まで踊り忘れず(すずめひゃくまでおどりわすれず)
小さい頃に身についた習慣は、年をとっても改まりにくいというたとえ。 雀は死ぬまで、踊るように飛び跳ねて歩くとの意から。
千里一跳ね(せんりひとはね)
一息に事を成し遂げて、たちまち高みへ躍り出ること。 大きな鳥はひとたび羽ばたけば千里の先まで行ってしまう。その一飛びに人の出世を重ねた言い方。
鷹の前の雀(たかのまえのすずめ)
鷹の前にいる雀のように、身がすくんでどうすることもできないことのたとえ。
鷹は飢えても穂を摘まず(たかはうえてもほをつまず)
高潔な人は、どんなに困っても不正なことは決してしないというたとえ。鷹はどんなに飢えても穀物はついばまないということから。
竹に雀(たけにすずめ)
取り合わせのよい一対のもののたとえ。竹にとまった雀が図柄として取り合わせのよい画であるところから。
多勢を頼む群鴉(たぜいをたのむむらがらす)
人数の多さだけをたよりにして、内容や実力のともなわない者たちが集まり、幅をきかせることのたとえ。
闘う雀、人を恐れず(たたかうすずめ、ひとをおそれず)
何かに無我夢中になっている者は、思いがけない力を発揮するというたとえ。 雀のような弱い鳥でも戦っている時は、人間が近づいても逃げようとしないとの意から。 「闘雀人を恐れず」ともいう。
立つ鳥、跡を濁さず(たつとり、あとをにごさず)
立ち去る者は、後始末をきちんとしなければならないということ。また、引き際が潔いことのたとえ。水鳥は飛び立ったあとの水を濁さずに飛び去ることから。 「飛ぶ鳥、跡を濁さず」「鳥は立てども跡を濁さず」ともいう。
卵を見て時夜を求む(たまごをみてじやをもとむ)
順序を考えず、あまりに早計に結果を求めるたとえ。 「時夜」は、鶏が夜明けに鳴いて時を知らせること。 卵のうちから、鶏に成長して時を告げることを待ち望むとの意から。
誰か烏の雌雄を知らんや(たれかからすのしゆうをしらんや)
並んだ者のどれが優れどれが劣るのか、外からは決めようがない。 見た目が同じなら、判じる側の目も止まってしまう。 単に「烏の雌雄」ともいう。
沈魚落雁、閉月羞花(ちんぎょらくがん、へいげつしゅうか)
この上ない美女のこと。 あまりの美しさに、魚は沈み、雁は落ち、月は雲間に隠れ、花は恥じてしぼむとの意から。
月落ち烏啼いて霜天に満つ(つきおちからすないてしもてんにみつ)
月は沈みかけ、どこかで烏が声を上げ、冷え冷えとした霜の気が空いっぱいに満ちている。夜半から明け方へ移ろうころの、旅寝の寂しさをよんだ一節。
鶴九皐に鳴き、声天に聞こゆ(つるきゅうこうになき、こえてんにきこゆ)
「九皐」は曲がりくねって奥まった沢地。その底で鶴が鳴いても、声は空へ抜けて天まで届く。 世を離れて身を潜めていても、優れた者の名はおのずと遠くまで伝わっていくということ。
弦なき弓に羽抜け鳥(つるなきゆみにはぬけどり)
弦を張っていない弓と、羽の生え変わる時季で飛べなくなった鳥。 どちらも肝心の一つを欠いているために持ち前の働きがまるで出せず、手の打ちようもないさまをいう。
鶴の脛も切るべからず(つるのはぎもきるべからず)
ものにはそれぞれ固有の性質があり、無理に変えようとしてはならないということ。 鶴のすねは長いが、鶴にとっては必要な長さなので切ってはならないとの意から。 後に「鴨の脛も継ぐべからず」と続けてもいう。
鶴の一声(つるのひとこえ)
権威者・有力者の一言が多くの人の議論や意見をおさえつけること。
鶴は千年、亀は万年(つるはせんねん、かめはまんねん)
鶴は千年、亀は万年生きるということから、長寿でめでたいことをいう。
手に据えた鷹を逸らしたよう(てにすえたたかをそらしたよう)
一度手に入れた大事なものを失うことのたとえ。 大事に飼い慣らした鷹に逃げられてしまうとの意から。
てらつつきの子は卵から頷く(てらつつきのこはたまごからうなずく)
殻を破る前から、木をつつく時と同じ首の使い方を見せるらしい。 後に何をする者かは、物心のつかぬうちの仕草にもう出ている。
天にあらば比翼の鳥地にあらば連理の枝(てんにあらばひよくのとりちにあらばれんりのえだ)
生まれ変わってもひとつの体でいたい、根のところで繋がっていたいと誓い合う。 添い遂げたいという願いを、天と地の二つになぞらえて並べた言い方。 「比翼の鳥」は目も翼も片方ずつしかなく、二羽並んで初めて飛べるという想像上の鳥。 「連理の枝」は別々の木の枝が途中でつながり、一本になったもの。 略して「比翼連理」ともいう。
鶏冠に来る(とさかにくる)
腹立たしさが募って、怒りをこらえきれなくなること。 「鶏冠」は、鶏などの頭の上にある赤い肉の突起。「頭に来る」を強めた言い方。 同じような言い方に「頭に血が上る」「かっとなる」がある。
隣の貧乏鴨の味(となりのびんぼうかものあじ)
近しい者がうまくいっていないと知って、胸のうちがすっと軽くなる。 人が隠し持つ暗い満足を、そのまま言い当てている。
図南の翼(となんのつばさ)
大事業や海外進出などの大きな計画を立てること。 「図」は、企てること。 想像上の巨鳥、鵬(おおとり)が遠い南の地に向かって飛び立とうと翼を広げるとの意から。 「図南の鵬翼」ともいう。
鳶が鷹を生む(とびがたかをうむ)
平凡な親から優れた子どもが生まれることのたとえ。 「とび」は「とんび」とも読む。 「鳶が孔雀を生む」ともいう。
鳶に油揚げを攫われる(とびにあぶらあげをさらわれる)
大事な物を不意に横から奪い取られることのたとえ。 空を飛んでいる鳶がさっと舞い降りて、すばやく油揚げを奪っていくということから。 「とび」は「とんび」とも読む。
鳶の子は鷹にならず(とびのこはたかにならず)
平凡な人間の子は、やはり平凡な人間になるというたとえ。
鳶も居ずまいから鷹に見える(とびもいずまいからたかにみえる)
どんな人間でも、立ち振る舞いをきちんとすれば、立派に見えるというたとえ。 見栄えのよくない鳶でも、振る舞い次第では鷹のように見えるとの意から。
飛ぶ鳥の献立(とぶとりのこんだて)
手に入れる前に、その使い道を早々と計画することのたとえ。空を飛ぶ鳥を見て、捕らえもしないうちから料理の献立を考えるということから。
飛ぶ鳥を落とす勢い(とぶとりをおとすいきおい)
権力や勢力が盛んな様子。 空を飛んでいる鳥さえ落としてしまうほどの勢いとの意から。
鳥疲れて枝を選ばず(とりつかれてえだをえらばず)
生活のためには職業を選んではいられないということ。疲れた鳥は枝を選ばずに、どこにでもとまるということから。
鳥なき里の蝙蝠(とりなきさとのこうもり)
強い者や優れた者がいないところで、つまらない者が威張っていることのたとえ。 鳥がいない所では、蝙蝠が幅をきかせて鳥のように飛び回るということから。
鳥の将に死なんとする、その鳴くや哀し(とりのまさにしなんとする、そのなくやかなし)
終わりが近い生き物の声は、聞く者の耳に長く残る。 「人の将に死なんとする、その言や善し」と対をなし、去り際に出る言葉には飾りがないと説く。 病の床にあった曾子が、見舞いの相手に向けて引いた一節。
どこの烏も黒さは変わらぬ(どこのからすもくろさはかわらぬ)
土地を移れば何かが違うと期待しても、着いてみれば似た顔ぶれと似た有り様が待っている。器が替わっても中身までは替わらない。
長居する鷺蟇目に遭う(ながいするさぎひきめにあう)
長く同じ場所に留まっている鷺は、目立つために人間に狙われ、蟇目の矢(矢の一種である鏑矢)で射られる。 長居は慎むべきであるという戒め。 「長居する鷺汁になる」ともいう。
鳴くまで待とう時鳥(なくまでまとうほととぎす)
好機が来るまで、あせらずに辛抱強く待つということ。徳川家康が「鳴かぬなら」という言葉に続けて詠んだとされ、家康の辛抱強い性格を表した句。織田信長は「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」、豊臣秀吉は「鳴かぬなら鳴かしてみせよう時鳥」と詠んだとされている。
波に千鳥(なみにちどり)
絵になるような取り合わせのよいもののたとえ。
鳰の浮き巣(におのうきす)
不安定なことのたとえ。また、人生の浮き沈みのたとえ。 「鳰」はかいつぶりのこと。 池や沼に棲む水鳥のかいつぶりは巣を浮き草で作るため、水の増減や波によって揺れるので安定しないことから。
似たものは烏(にたものはからす)
よく似ているさまのたとえ。また、世の中には似たものがたくさんあるということ。
鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん(にわとりをさくにいずくんぞぎゅうとうをもちいん)
小さな事柄を処理するのに、大がかりな手段は必要ないということ。 「焉んぞ」は、どうしての意。 「牛刀」は、牛を料理するときに使う大きな包丁。 鶏をさばくのに、どうして牛刀を使う必要があるだろうかという意味から。
寝鳥を刺す(ねとりをさす)
相手が油断している隙に不意をついて陥れること。 「寝鳥」は、ねぐらで眠っている鳥。その鳥を捕まえるとの意から。
能ある鷹は爪を隠す(のうあるたかはつめをかくす)
すぐれた才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。 鷹は獲物を捕らえるとき以外、鋭い爪を隠しているとの意から。
羽が利く(はがきく)
勢いがあって、思うままに振る舞うことができる。世間で有力な立場にあり、無理が通る。金銭的な力がある。羽振りがよい。
掃き溜めに鶴(はきだめにつる)
つまらない所に、そこには似つかわしくない優れたものがあることのたとえ。 「掃き溜め」は、ごみ捨て場のこと。 ごみ捨て場に舞い降りた美しい鶴との意から。
白鳥の歌(はくちょうのうた)
人が亡くなる直前に、人生でもっとも優れた仕事や作品を残すこと。また、その最後に残された作品。 白鳥は死の直前に、最も美しい声で歌うという言い伝えに由来する。
鳩が豆鉄砲を食ったよう(はとがまめでっぽうをくったよう)
突然のことに驚いて、きょとんとしている様子のたとえ。 「豆鉄砲」は、豆や丸めた紙などを弾に使うおもちゃの鉄砲。 豆鉄砲で撃たれた鳩が、突然のことにびっくりして目を丸くしている様子から。 「鳩に豆鉄砲」「豆鉄砲を食った鳩のよう」ともいう。
鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり(はとにさんしのれいあり、からすにはんぽのこうあり)
巣立つ前の鳥でさえ、育ててくれた相手への向き合い方を心得ている。 まして人が、親に対する筋目をないがしろにしてよいはずがない。
鳩を憎み豆を作らぬ(はとをにくみまめをつくらぬ)
つまらないことにこだわって、大事なことをしないために、自分や世間に損害を招くことのたとえ。鳩が豆をついばむのを嫌がって、豆を作るのをやめてしまうということから。
花は根に鳥は古巣に(はなはねにとりはふるすに)
物事はすべて、その根源に戻るということ。咲いた花は木の根元に落ちて肥やしになり、空を飛ぶ鳥もやがては巣に帰ることから。
羽を伸ばす(はねをのばす)
束縛するものがなくなって、気ままに行動すること。
羽振りがいい(はぶりがいい)
懐にも肩書きにも余裕があり、周りがその人の顔色をうかがうほどになっている。金離れのよさや大きな態度になって外へ現れる。
人を謗るは鴨の味(ひとをそしるはかものあじ)
他人をこき下ろしている間の、後ろめたくも癖になる心地よさ。 陰口ほどやめにくいものはないと、身も蓋もなく認めた形。
雲雀の口に鳴子(ひばりのくちになるこ)
ひっきりなしに続くおしゃべりのたとえ。「鳴子」は、田畑で作物を荒らす鳥を追い払うために使う道具。よくさえずる雲雀の口に鳴子をつけたようにやかましいことから。
百貫の鷹も放さねば知れぬ(ひゃっかんのたかもはなさねばしれぬ)
大枚をはたいて求めた鷹でも、空へ手放して獲物を追わせてみるまでは、どれほどの腕か知れない。人も物も、現に働かせてみるまでは、その程度を測りようがない。貫は昔の銭の単位。百貫といえば途方もない値である。
牝鶏晨す(ひんけいあしたす)
本来なら雄が受け持つ役目を雌が代わりに務める。家でも国でも、上に立つ者が退いて別の者が前へ出た形を、崩れの兆しとみて言う。
フェニックス(ふぇにっくす)
永久不滅や蘇生の象徴とされるエジプト神話の霊鳥。または、ヤシ科の多年生観葉植物。
醜い家鴨の子(みにくいあひるのこ)
家鴨の群れの中で醜いと嫌われて育った雛が、大きくなってみれば白鳥だったという童話による言い方。 まわりから器量が悪いの出来が悪いのと言われて育ちながら、長じて美しくも立派にもなる子。
目白押し(めじろおし)
たくさんの人や物が込み合って並ぶこと。鳥の目白が仲間と枝にとまるとき、押し合うように並ぶ習性があることから。
目には青葉、山時鳥、初鰹(めにはあおば、やまほととぎす、はつがつお)
夏の入り口を、目に映るもの・耳に届くもの・舌に乗るものの三つで言い切った一句。 どれもこの時季を過ぎれば手に入らない。 江戸前期の俳人山口素堂の発句による。
雌鶏歌えば家滅ぶ(めんどりうたえばいえほろぶ)
連れ合いの声のほうが大きくなった所帯は、じきに回らなくなる。 夜明けを告げるのが雄でなく雌のほうだと不吉とされた、古い中国の見方に基づく。
雌鶏勧めて雄鶏時を作る(めんどりすすめておんどりときをつくる)
亭主が妻の言うままに動く。家の中の上下がすっかり入れ替わっている世帯をさす。 時を告げるのは雄鶏の役目なのに、雌鶏に促されてようやく鳴くことから。
門前雀羅を張る(もんぜんじゃくらをはる)
客足が絶えて、門のあたりに人の気配がまったく無くなること。羽振りのよかった家が力を失い、出入りしていた者まで寄りつかなくなったさまをいう。 漢の翟公が裁きの長官であったころは門前に客があふれたが、職を退いたとたん人足が絶え、門の前で雀を捕る網が張れるほどになった。
焼き鳥に攣(やきとりにへお)
用心の上に用心を重ねること。 「攣(へお)」は、鷹狩りのとき、タカの足に結びつけておく紐。 逃げるはずのない焼き鳥に足ひもをつけて逃げられないようにするとの意から。
焼け野の雉、夜の鶴(やけののきぎす、よるのつる)
子を思う親の情愛が深いことのたとえ。 「雉」はきじのこと。 雉は野を焼かれたら危険を顧みずに巣にいる子どもを助けに戻り、鶴は霜の降りる寒い夜には自分の羽を広げて子を暖めるとの意から。 単に「焼け野の雉」「夜の鶴」、また「夜鶴子を思う」「子を思う夜の鶴」ともいう。 「焼け野の雉」は、身を隠すところのない雉のことから、危険にさらされることのたとえとしてもいわれる。
闇夜に烏、雪に鷺(やみよにからす、ゆきにさぎ)
まわりとよく似ていて、はっきりと区別がつかないことのたとえ。 「闇に烏」ともいう。
欲の熊鷹、股裂くる(よくのくまたか、またさくる)
あまり欲張ると、災いを招くというたとえ。二頭の猪をつかんだ熊鷹が、左右に逃げようとした猪を放さなかったために、熊鷹の股が裂けてしまったという話から。
良禽は木を択んで棲む(りょうきんはきをえらんですむ)
賢い鳥は木を選んで巣を作るということ。賢い臣下は主君を選んで仕えるというたとえ。
猟は鳥が教える(りょうはとりがおしえる)
何事も実際に行っているうちに覚えて、身に付けていくものであるということのたとえ。 鳥を撃つこつは、実際に猟をするうちに覚えるもので、いわば獲物の鳥が教えてくれるようなものだということ。
籠鳥雲を恋う(ろうちょうくもをこう)
拘束された者が自由な境遇をうらやむことのたとえ。また、故郷を恋しく思うことのたとえ。 籠の鳥が空の雲を恋しく思うことから。 「籠の鳥、雲を慕う」ともいう。
