「才能・能力」に関連する故事・ことわざ・慣用句一覧
「才能・能力」に関連する故事・ことわざ・慣用句の一覧です。
顎振り三年(あごふりさんねん)
技量を身に付けるまでには長い年月がかかるということ。尺八は、顎を振って微妙な音を出すこつを会得するまでに三年かかることから。
好い線を行く(いいせんをいく)
ある程度のレベルまで、技術や能力が達しているということ。
一歩譲る(いっぽゆずる)
能力などが、相手より一段階劣ること。 また、自分の主張を少し抑えて、相手の意見を聞き入れること。
腕が上がる(うでがあがる)
能力や技術が進歩すること。 また、あまり酒が飲めない人が、前よりも多く飲めるようになること。
腕が利く(うでがきく)
優れた技量を発揮することが出来る。
腕が立つ(うでがたつ)
優れた技量を持っている。
腕が鳴る(うでがなる)
自分の能力を早く発揮したくて、気持ちがはやること。
腕に覚えがある(うでにおぼえがある)
以前の経験から、自分の能力や技術に自信を持っていること。
腕に縒りを掛ける(うでによりをかける)
自慢の能力を十分に発揮しようと張り切ること。
腕を鳴らす(うでをならす)
優れた技量を発揮して名声を得ること。
腕を振るう(うでをふるう)
身につけた腕前や能力を十分に発揮すること。
腕を磨く(うでをみがく)
能力や技術が向上するように習練に励むこと。
鵜の真似をする烏(うのまねをするからす)
自分の能力をわきまえず、人の真似をして失敗することのたとえ。 「鵜」は、水鳥の名。 水に潜って巧みに魚を捕る鵜の真似をして、烏が水に潜っても溺れるばかりであるとの意から。 「鵜の真似をする烏水に溺れる」「鵜の真似をする烏水を呑む」「烏が鵜の真似」ともいう。
漆は剝げても生地は剝げぬ(うるしははげてもきじははげぬ)
人の持って生まれた素質は変わることはないというたとえ。 漆器の表面の漆は剝げ落ちても、下の生地は剝げることはないことから。
上手を行く(うわてをいく)
能力や才知などが他の人よりすぐれていること。 他の人より悪知恵が働くといった悪い意味にも使われる。
穎脱(えいだつ)
他より抜きん出た才能があること。錐の先端が袋を突き破るという意味から。
猿猴が月を取る(えんこうがつきをとる)
自分の能力をわきまえず、欲張ったまねをして失敗することのたとえ。 猿が水に映った月を取ろうとしたとき、枝が折れ水に落ちて溺れ死んだという故事から。 「猿猴が月」「水の月取る猿」「月の影取る猿」ともいう。
王侯将相寧んぞ種あらんや(おうこうしょうしょういずくんぞしゅあらんや)
王や諸侯、将軍、大臣になるには家柄や血統など関係なく、必要なのはその人の才能や努力だということ。「種」は家柄、血統の意。
陸に上がった河童(おかにあがったかっぱ)
自分の能力やわざを発揮できる環境から離れて、力が出せず無力になるたとえ。水中では自由に活動できる河童も陸に上がれば無力であることから。
陸へあがった河童(おかへあがったかっぱ)
環境が変わると、まったく能力が発揮出来ないことのたとえ。 水中では自由に活動できる河童も、陸上では無力であるという意味から。
親は親、子は子(おやはおや、こはこ)
親子でもそれぞれが別の人間であり、性質や才能が同じとは限らないということ。
褐を被て玉を懐く(かつをきてたまをいだく)
すぐれた才能を世間に知られないように隠していることのたとえ。 「褐」は粗末な衣服、「玉」はすぐれた才能のこと。 粗末な身なりをしていても、内にはすぐれた才能を秘めているとの意から。
鼎の軽重を問う(かなえのけいちょうをとう)
権威ある人の実力や能力を疑うたとえ。「鼎」は古代中国で使われた金属性の器のことで、祭器として用いられたことから、王位の象徴となった。楚の荘王が周を軽んじ、周王室の九鼎の大小や軽重を問うたという故事から。
神ならぬ身(かみならぬみ)
全知全能の神ではない我が身。人間の能力には限界があるということ。
烏を鵜に使う(からすをうにつかう)
役に立たない者を、才能が必要とされる重要な地位に置くことのたとえ。 「烏」は、魚をとらない役に立たないもの。 「鵜」は、魚をとる役に立つもの。
奸知に長ける(かんちにたける)
悪賢く、陰謀や策略を企てる能力が優れていること。
咳唾、珠を成す(がいだ、たまをなす)
詩文の才能が優れていることのたとえ。 「咳唾」は咳と唾。または、他人の言葉を敬っていう語。 何気なく口から出た言葉でさえ、珠玉のように美しい名句になっているとの意から。
柄にもない(がらにもない)
その人の性格や能力、地位などに似つかわしくない言動をするさま。
驥足を展ばす(きそくをのばす)
すぐれた才能を持った人がそれを十分に発揮すること。「驥足」は駿馬のすぐれた脚力のことで、転じてすぐれた才能の意。
機知に富む(きちにとむ)
その場の状況に応じて、気の利いた適切な発言ができる才能があること。
驥尾に付す(きびにふす)
才能のない人でも、すぐれた人に付き従っていれば、自分の能力以上のことが成し遂げられることのたとえ。自分の行動を謙遜していう言葉。 「驥」は、一日に千里走る駿馬のこと。 青蠅が駿馬の尾につかまって、一日で千里先まで行ったという故事から。
錐の嚢中に処るが如し(きりののうちゅうにおるがごとし)
すぐれた人は、多くの人の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中にの錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
麒麟児(きりんじ)
才能・技芸の天分に恵まれ、将来性のある若者。「麒麟」は中国の想像上の動物で聖人が出現する前兆として現れるといわれた。体は鹿、ひづめは馬、尾は牛に似て、頭に一本の角があり、一説に麒は雄、麟は雌という。その麒麟の児の意から。
君子は器にならず(くんしはきにならず)
一つの使い道しかない器者と異なり、君子は多方面にわたって自在に才能を発揮できるということ。
薫は香を以て自ら焼く(くんはこうをもってみずからやく)
優れた才能を持つ人が、その才能によって身を滅ぼすことのたとえ。 「薫」は、香草のこと。 香草は香りがよいために焼かれるとの意から。
螻蛄才(けらざい)
多芸多才でありながら、特に上手なものがないことのたとえ。 「螻蛄」は、土の中にいる虫で、飛ぶ、登る、潜る、掘る、走るの五つの能力があるが、どれも特別上手ではないことから。 「螻蛄芸」ともいう。
芸は身につく(げいはみにつく)
いったん習い覚えた芸は、一生その人の能力として使うことができるということ。
孔子も時に遇わず(こうしもときにあわず)
どんなに優れた人でも機会に恵まれなければ才能を発揮できずに終わることもあることのたとえ。 立派な才能を持っていた孔子も、時勢に乗れず生涯不遇であったとの意から。
蛟竜、雲雨を得(こうりょう、うんうをう)
能力を発揮する機会の無かった英雄や豪傑が、機会を得て能力を発揮することのたとえ。 「蛟竜」は水中にすむとされる中国古代の想像上の動物。 水中にすむ蛟竜は雲や雨を得ればそれに乗って天に昇り竜になるといわれることから。
コンマ以下(こんまいか)
その人の能力や価値が標準以下であることのたとえ。
才余りありて識足らず(さいあまりありてしきたらず)
才能にあふれているのに、見識が不足していること。
才子、才に倒れる(さいし、さいにたおれる)
優れた才能を持っている人は、その才能を過信しすぎて、かえって失敗することがあるということ。
才に走る(さいにはしる)
能力や才能を過信して地道な努力や注意を怠ること。
桜は花に顕われる(さくらははなにあらわれる)
ふだんは平凡な人々に紛れていた人間が、何らかの機会に優れた才能を発揮するたとえ。他の雑木に交って目立たなかった桜の木も、花が咲いて初めて桜の木だと気づかれるということから。
三顧の礼(さんこのれい)
立場が上の人が礼を尽くして、すぐれた才能を持つ人を招くこと。 または、立場が上の人が立場が下の人に礼を尽くして、仕事を依頼すること。 「三顧」は三回訪問すること。 古代中国の三国時代、蜀の皇帝劉備が諸葛亮を迎え入れるために住居を三回訪問したという故事から。 単に「三顧」ともいう。
山椒は小粒でもぴりりと辛い(さんしょはこつぶでもぴりりとからい)
体は小さくても、激しい気性と優れた才能を持ち、侮り難い存在のたとえ。山椒の実は小粒ながら、激しい辛味を持つことから。「山椒」は、本来「さんしょう」という。
雑魚の魚交じり(ざこのととまじり)
小物が大物の仲間入りをしていること、また身分・能力にふさわしくない地位に就くことのたとえ。 雑魚が大きな魚の中に入り混じっていることから。
七歩の才(しちほのさい)
詩文を作る才能が非常にすぐれていること。また、詩作の早いこと。魏の曹植が、兄の文帝(曹丕)に七歩あゆむ間に詩を作れと命じられてただちに作ったという故事から。
手腕を振るう(しゅわんをふるう)
物事の解決や処理のためにすぐれた能力や技術を発揮すること。
上手の猫が爪を隠す(じょうずのねこがつめをかくす)
すぐれた才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。
筋がいい(すじがいい)
今は未熟だが将来大成する見込みがあること。素質があること。
隅に置けない(すみにおけない)
思いのほか才能や知識があって油断できないようす。
相撲にならない(すもうにならない)
能力に違いがありすぎて、勝負にならないこと。
千里眼(せんりがん)
遠くの出来事や将来のこと、人の心の中を見通す能力のこと。また、その能力を持つ人のこと。 中国後魏の楊逸は、情報網をめぐらして遠方の情報をつかんでいたので、人々が「千里の遠くまで見通す眼を持っている」と驚いたという故事から。
千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず(せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず)
有能な人材はいつの世にもいるが、その能力を見出して育てる優れた指導者は少ないということのたとえ。 「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。 「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。 いつの時代にも、一日に千里を走るほどの優れた馬はいるが、その名馬の能力を引き出す伯楽は、いつもいるわけではないということから。
千里の馬も蹴躓く(せんりのうまもけつまずく)
優れた才能の人物も時には失敗することもあるというたとえ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。
千里の馬も伯楽に会わず(せんりのうまもはくらくにあわず)
有能な人も、その真価を見抜いて能力を引き出してくれる人とはなかなか出会えないということ。「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの名馬。転じて、優れた才能の人物。「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。
底が浅い(そこがあさい)
見た目だけで内容に深みがないこと。 または、器量や能力が大したものではないこと。
高く買う(たかくかう)
相場より高い値段で買うこと。転じて、人物の能力や行いなどを高く評価すること。
宝の持ち腐れ(たからのもちぐされ)
役に立つ物を持ちながら、利用しないたとえ。また、優れた才能や手腕がありながら、それを活用しないたとえ。
玉磨かざれば光なし(たまみがかざればひかりなし)
才能や素質に恵まれていても、努力しなければ立派な人間になることはできないというたとえ。 どれほどすばらしい玉でも、磨かなければ光を放たないとの意から。 「玉磨かざれば器を成さず」ともいう。
力に余る(ちからにあまる)
仕事や問題などが、自分の能力で処理できる限度を超えている。
力になる(ちからになる)
人の為に自分の能力や技能を使う。力を貸して助ける。
長袖よく舞い、多銭よく賈う(ちょうしゅうよくまい、たせんよくかう)
素質と条件に恵まれた者が有利で、思い通りに事が運べるというたとえ。 長袖の着物を着た人は舞うと美しく見え、多くの金銭を持つ者は商売がしやすいとの意から。 「賈う(かう)」は、「商う(あきなう)」ともいう。
潰しが効く(つぶしがきく)
それまでの仕事を辞めても、別の仕事で働くことができる能力があること。 金属製品を溶かすと再利用できるとの意から。
手が出ない(てがでない)
自分の能力を超えていて手立てがないこと。
手が届く(てがとどく)
能力や権力などが及ぶ範囲の内側にあること。 または、細かいところまで世話が行き渡ること。 また、もう少しで、とある年齢に達すること。
手に余る(てにあまる)
物事が自分の能力を超えていて、うまく処置できないこと。 「手に負えない」ともいう。
手の内を見せる(てのうちをみせる)
自分の能力を相手に示すこと。 または、心の中で考えていることや秘密にしている計画などを相手に明かすこと。
てらつつきの子は卵から頷く(てらつつきのこはたまごからうなずく)
生まれながらの才能は、幼い時から自然に現れるというたとえ。「てらつつき」は、きつつきのこと。きつつきの子はえさの虫を捕るために、幼い時から首を上下に動かす癖があることから。
手を上げる(てをあげる)
殴ろうとして手を振り上げること。 または、負けを認めること。降参すること。 また、技術や能力を上げること。上達すること。
弟子を見る事師に如かず(でしをみることしにしかず)
弟子の能力や人柄をいちばんよく知っているのは師匠であり、とうてい師匠に及ぶものはないということ。
出る杭は打たれる(でるくいはうたれる)
ひときわ優れた才能がある人は、妬まれたり憎まれたりするということ。また、出過ぎたことをする人は、非難されたり制裁を受けたりするということ。 並んだ杭の中に一本だけ高い杭があれば、高さを揃えるために打たれることから。 「出る釘は打たれる」「差し出る杭は打たれる」ともいう。
頭角を現す(とうかくをあらわす)
才能や腕前が群を抜いてすぐれ、際立って目立つこと。「頭角」とは頭の先のことで、大勢の中で頭の先を他者より高く現しているという意味。
陶冶(とうや)
陶器を作ることと、鋳物を作ること。 または、人の才能や性質を育て上げること。
所を得る(ところをえる)
その人の能力と釣り合いのとれた地位や職に就くこと。
駑馬に鞭打つ(どばにむちうつ)
能力のない者に、能力以上のことをさせるたとえ。多くは自分が努力することをへりくだっていう言葉。
名が高い(ながたかい)
その人の価値や能力が高く評価され、その名が広く世間に知れ渡っていること。
荷が重い(にがおもい)
その人が備えている能力に比べて、責任や負担が重すぎる様子。
荷が勝つ(にがかつ)
その人が備えている能力に比べて、責任や負担が重すぎる様子。
鼠捕る猫は爪を隠す(ねずみとるねこはつめをかくす)
真にすぐれた才能のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。
眠れる獅子(ねむれるしし)
実力を持っていながら、その能力を十分に出しきれていない国や人物のたとえ。
能ある鷹は爪を隠す(のうあるたかはつめをかくす)
すぐれた才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。
嚢中の錐(のうちゅうのきり)
すぐれた人は、大衆の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中にの錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
能なし犬は昼吠える(のうなしいぬはひるほえる)
才能のない者にかぎって必要のないときに大騒ぎしたり、大きなことを言ったりするというたとえ。
歯が立たない(はがたたない)
相手の能力が高すぎて勝負にならないこと。 または、その物事が難しすぎて処理できないこと。 硬くて噛み砕くことができないとの意から。
箸にも棒にも掛からない(はしにもぼうにもかからない)
能力や程度などが劣っていて、どうにも扱いづらいことのたとえ。また、何の取り得もないことのたとえ。 小さな箸にも、大きな棒にも引っ掛からないとの意から。
鼻が利く(はながきく)
隠し事などを見抜いたり、利益になりそうなことを探し出したりする能力がすぐれていること。
光を和らげ塵に同ず(ひかりをやわらげちりにどうず)
才能や学徳を隠して、俗世で目立たないように暮らすこと。また、仏や菩薩が衆生を救うために、本来の姿を隠して、塵のような俗世に現れること。 「和光同塵」ともいう。
人屑と縄屑は余らぬ(ひとくずとなわくずはあまらぬ)
縄の切れ端でも何かの役に立つように、つまらない人間のようでも、その能力に応じて使い道があるということ。
人は見かけによらぬもの(ひとはみかけによらぬもの)
人の性質や能力は外見だけでは判断しにくく、外見と中身は往々にして異なることが多いので、外見だけで軽々しく判断してはいけないということ。
人を見て法を説け(ひとをみてほうをとけ)
相手をよく見きわめて、それにふさわしい方法を取れということ。 相手の人柄や能力を見て、その人に適した仏法を説けとの意から。 「人」は「にん」ともいう。
豚もおだてりゃ木に登る(ぶたもおだてりゃきにのぼる)
おだてられて気をよくすると、能力以上のことでもできるというたとえ。
片鱗を示す(へんりんをしめす)
すぐれた才能や学識などの一部分をのぞかせること。「片鱗」は、一枚の魚のうろこのことで、全体の中のほんの一部分の意。
豆を煮るに豆がらを燃く(まめをにるにまめがらをたく)
兄弟や仲間どうしが傷つけあったり争ったりすることのたとえ。 豆を煮るために豆がら燃やすとの意から。 魏の曹植は、兄の文帝から詩の才能を憎まれ、七歩歩く間に詩を作らなければ処罰すると言われて作ったとされる兄弟の不和を嘆く詩による。
身に余る(みにあまる)
人から与えられた待遇などが、自分の能力以上であること。身分に相応しくないこと。
見る目がある(みるめがある)
物事を正しく判断したり性質を見抜いたりする能力があること。
昔取った杵柄(むかしとったきねづか)
若い頃に習得した技量や腕前のこと。また、年月を経てもそれが衰えず十分に発揮できること。
無冠の帝王(むかんのていおう)
特別な地位などは持っていないが、実力を有している者のこと。 スポーツなどで、極めてすぐれた能力を持ちながら、大きなタイトルを獲得できずにいる人。 または、ジャーナリストや新聞記者などの自称。権力に屈することなく評論する人という意味から。
名馬に癖あり(めいばにくせあり)
名馬と言われる馬は、どこかしら扱いにくい癖を持っている。人間も優れた才能の持ち主には、強い個性があるということ。
目が利く(めがきく)
物事を判断したり性質を見抜いたりする能力が優れていること。
目が肥える(めがこえる)
すぐれた物を数多く見ることで、物の価値を判断する能力が高まること。
目が高い(めがたかい)
人や物事を判断したり性質を見抜いたりする能力が優れていること。
役者が一枚上(やくしゃがいちまいうえ)
能力や駆け引きなどが一段とすぐれていること。 芝居の番付や看板で、上位のものから順に名前が書かれていることから。
痩せ馬に重荷(やせうまにおもに)
本人の能力を超えた大きな役目を負わせることのたとえ。 痩せた馬に重い荷を背負わせるとの意から。
読みが深い(よみがふかい)
物事の真相を理解する能力がすぐれていること。 また状況の移り変わりを先まで見通していること。
良賈は深く蔵して虚しきが如し(りょうこはふかくぞうしてむなしきがごとし)
賢者は自分の才能や知識をみだりにひけらかしたりしないことのたとえ。 「良賈」はすぐれた商人の意。 すぐれた商人は商品を店の奥にしまっておくため、一見商品が乏しいように見えることから。
塁を摩す(るいをます)
技量・地位などが接近し、ほぼ同じ程度に達するたとえ。「塁」は砦のことで、相手の塁を摩るぐらい近づく意から。
瑠璃も玻璃も照らせば光る(るりもはりもてらせばひかる)
すぐれた才能や素質を持つ者は、どこにいても際立つことたとえ。また、そのような者は活用次第で能力を存分に発揮するということ。 「瑠璃」は青色の宝玉、「玻璃」は水晶のことで、たとえ他の物に混じっていても光を当てればどちらも美しく輝くことから。
禄を盗む(ろくをぬすむ)
能力や功績に見合わない高い給料をもらうこと。また、それを非難する言葉。