「才能・能力」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 146 件
「才能・能力」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全146件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
顎振り三年(あごふりさんねん)
技量を身に付けるまでには長い年月がかかるということ。尺八は、顎を振って微妙な音を出すこつを会得するまでに三年かかることから。
頭が切れる(あたまがきれる)
頭の回転が速く、物事に対して的確な対処ができるさま。
好い線を行く(いいせんをいく)
ある程度のレベルまで、技術や能力が達しているということ。
一引き、二才、三学問(いちひき、にさい、さんがくもん)
出世の条件は、第一に上のひとの引き立て、二番目は才能、三番目が学問であるということ。
一升徳利に二升は入らぬ(いっしょうどっくりににしょうははいらぬ)
ものには限界があり、それ以上を望んでも無理だということ。 一升入りの徳利に二升は入らないとの意から。
一歩譲る(いっぽゆずる)
能力などが、相手より一段階劣ること。 また、自分の主張を少し抑えて、相手の意見を聞き入れること。
魚の水を得たよう(うおのみずをえたよう)
自分の力を発揮できる場所を得て、生き生きと活躍するようすのたとえ。
兎の登り坂(うさぎののぼりざか)
自分の性に合った場でなら、力は存分に出しきれる。条件がそろって物事が滑らかに運ぶ場合にもいう。 兎の体は跳ね上がる向きにできていて、下りよりも上りの斜面のほうを速く駆ける。
腕が上がる(うでがあがる)
能力や技術が進歩すること。 また、あまり酒が飲めない人が、前よりも多く飲めるようになること。
腕が利く(うでがきく)
優れた技量を発揮することが出来る。
腕が立つ(うでがたつ)
優れた技量を持っている。
腕が鳴る(うでがなる)
自分の能力を早く発揮したくて、気持ちがはやること。
腕に覚えがある(うでにおぼえがある)
以前の経験から、自分の能力や技術に自信を持っていること。
腕に縒りを掛ける(うでによりをかける)
自慢の能力を十分に発揮しようと張り切ること。
腕を鳴らす(うでをならす)
優れた技量を発揮して名声を得ること。
腕を振るう(うでをふるう)
身につけた腕前や能力を十分に発揮すること。
腕を磨く(うでをみがく)
能力や技術が向上するように習練に励むこと。
鵜の真似をする烏(うのまねをするからす)
自分の能力をわきまえず、人の真似をして失敗することのたとえ。 「鵜」は、水鳥の名。 水に潜って巧みに魚を捕る鵜の真似をして、烏が水に潜っても溺れるばかりであるとの意から。 「鵜の真似をする烏水に溺れる」「鵜の真似をする烏水を呑む」「烏が鵜の真似」ともいう。
漆は剝げても生地は剝げぬ(うるしははげてもきじははげぬ)
人の持って生まれた素質は変わることはないというたとえ。 漆器の表面の漆は剝げ落ちても、下の生地は剝げることはないことから。
上手を行く(うわてをいく)
能力や才知などが他の人よりすぐれていること。 他の人より悪知恵が働くといった悪い意味にも使われる。
穎脱(えいだつ)
他より抜きん出た才能があること。錐の先端が袋を突き破るという意味から。
得手に帆を揚げる(えてにほをあげる)
絶好の機会に恵まれ、得意になって事を行うこと。 「得手」は、得意とすること。 「得手に帆を掛ける」ともいう。
猿猴が月を取る(えんこうがつきをとる)
自分の能力をわきまえず、欲張ったまねをして失敗することのたとえ。 猿が水に映った月を取ろうとしたとき、枝が折れ水に落ちて溺れ死んだという故事から。 「猿猴が月」「水の月取る猿」「月の影取る猿」ともいう。
お家芸(おいえげい)
最も得意とする技術や方法。 代々その家に伝わる独特の芸の意から。
王侯将相寧んぞ種あらんや(おうこうしょうしょういずくんぞしゅあらんや)
王や諸侯、将軍、大臣になるには家柄や血統など関係なく、必要なのはその人の才能や努力だということ。「種」は家柄、血統の意。
陸に上がった河童(おかにあがったかっぱ)
自分の能力やわざを発揮できる環境から離れて、力が出せず無力になるたとえ。水中では自由に活動できる河童も陸に上がれば無力であることから。
陸へあがった河童(おかへあがったかっぱ)
環境が変わると、まったく能力が発揮出来ないことのたとえ。 水中では自由に活動できる河童も、陸上では無力であるという意味から。
親は親、子は子(おやはおや、こはこ)
親子でもそれぞれが別の人間であり、性質や才能が同じとは限らないということ。
褐を被て玉を懐く(かつをきてたまをいだく)
すぐれた才能を世間に知られないように隠していることのたとえ。 「褐」は粗末な衣服、「玉」はすぐれた才能のこと。 粗末な身なりをしていても、内にはすぐれた才能を秘めているとの意から。
鼎の軽重を問う(かなえのけいちょうをとう)
権威ある人の実力や能力を疑うたとえ。「鼎」は古代中国で使われた金属性の器のことで、祭器として用いられたことから、王位の象徴となった。楚の荘王が周を軽んじ、周王室の九鼎の大小や軽重を問うたという故事から。
神ならぬ身(かみならぬみ)
全知全能の神ではない我が身。人間の能力には限界があるということ。
烏を鵜に使う(からすをうにつかう)
役に立たない者を、才能が必要とされる重要な地位に置くことのたとえ。 「烏」は、魚をとらない役に立たないもの。 「鵜」は、魚をとる役に立つもの。
函谷関の鶏鳴(かんこくかんのけいめい)
取るに足らぬと見えた芸が、いざというときに窮地を破ること。 斉の孟嘗君が秦を脱して函谷関にたどり着いたが、門は一番鶏が鳴くまで開かない。供の一人が鶏の声を真似て門を開かせ、追手を振り切ったという故事から。 どんな芸でも抱えておけば助けになるという意にも、とっさの機転で難を逃れる意にも使う。
甘井先ず竭く(かんせいまずつく)
うまい水の湧く井戸ほど、桶が絶えず下りて先に底を見せる。 方々から当てにされる者ほど、蓄えを残さず出し切ることになる。
奸知に長ける(かんちにたける)
悪賢く、陰謀や策略を企てる能力が優れていること。
咳唾、珠を成す(がいだ、たまをなす)
詩文の才能が優れていることのたとえ。 「咳唾」は咳と唾。または、他人の言葉を敬っていう語。 何気なく口から出た言葉でさえ、珠玉のように美しい名句になっているとの意から。
柄にもない(がらにもない)
その人の性格や能力、地位などに似つかわしくない言動をするさま。
騏驥の跼躅するは駑馬の安歩に如かず(ききのきょくちょくするはどばのあんぽにしかず)
すぐれた才を持つ者でも足踏みをしているだけなら、力の劣る者が着実に歩を進めるのに追い越されるということ。 騏驥は千里を駆けるという名馬、駑馬は歩みの遅い馬で、名馬がその場で足踏みするより鈍い馬が休まず歩くほうが遠くへ行き着くとの意から。
杞梓連抱にして数尺の朽有るも良工は棄てず(きしれんぽうにしてすうせきのくちあるもりょうこうはすてず)
杞や梓のような良材に、たとえ数尺の腐りが含まれていても、腕のよい職人は捨てずに用いる。 人材においても、短所があろうとも、その人の長所を見抜き、それを活かして用いることが、人を生かす道であるというたとえ。 「朽」は「きゅう」とも読む。
驥足を展ばす(きそくをのばす)
すぐれた才能を持った人がそれを十分に発揮すること。「驥足」は駿馬のすぐれた脚力のことで、転じてすぐれた才能の意。
機知に富む(きちにとむ)
その場の状況に応じて、気の利いた適切な発言ができる才能があること。
驥尾に付す(きびにふす)
才能のない人でも、すぐれた人に付き従っていれば、自分の能力以上のことが成し遂げられることのたとえ。自分の行動を謙遜していう言葉。 「驥」は、一日に千里走る駿馬のこと。 青蠅が駿馬の尾につかまって、一日で千里先まで行ったという故事から。
器用貧乏人宝(きようびんぼうひとだから)
何でもこなせるので、あちこちから当てにされて手が空かない。 当人は一つの看板を立てられないまま、実入りの薄いところに留まる。
錐の嚢中に処るが如し(きりののうちゅうにおるがごとし)
すぐれた人は、多くの人の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中の錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
麒麟児(きりんじ)
才能・技芸の天分に恵まれ、将来性のある若者。「麒麟」は中国の想像上の動物で聖人が出現する前兆として現れるといわれた。体は鹿、ひづめは馬、尾は牛に似て、頭に一本の角があり、一説に麒は雄、麟は雌という。その麒麟の児の意から。
孔雀は羽ゆえ人に捕らる(くじゃくははねゆえひとにとらる)
ほめられるほどの取り柄が、そこを狙われて身の仇になるということ。 孔雀は羽の美しさゆえに人の手にかかる、という言い方から。
癖ある馬に能あり(くせあるうまにのうあり)
乗りこなしにくい馬ほど、脚のよさを隠し持つ。手を焼かせる人物にも、ほかでは代えのきかない持ち味が備わっていて、置き場所さえ得れば、それが表に出てくる。
口も八丁、手も八丁(くちもはっちょう、てもはっちょう)
しゃべることも腕前も達者なこと。 「八丁」は巧み、達者であること。 単に「手も八丁」とも、また「口八丁手八丁」「手八丁口八丁」ともいう。
君子は器ならず(くんしはきならず)
うつわは決まった使い道の外へは出られないが、人物のできた者はそうではない。一つの持ち場に収まらず、どこに置かれても働きを見せる者をいう。
薫は香を以て自ら焼く(くんはこうをもってみずからやく)
優れた才能を持つ人が、その才能によって身を滅ぼすことのたとえ。 「薫」は、香草のこと。 香草は香りがよいために焼かれるとの意から。
螻蛄才(けらざい)
多芸多才でありながら、特に上手なものがないことのたとえ。 「螻蛄」は、土の中にいる虫で、飛ぶ、登る、潜る、掘る、走るの五つの能力があるが、どれも特別上手ではないことから。 「螻蛄芸」ともいう。
芸は身につく(げいはみにつく)
いったん習い覚えた芸は、一生その人の能力として使うことができるということ。
孔子も時に遇わず(こうしもときにあわず)
孔子ほどの人物でさえ、生きた世が味方せず、思うところを政へ映せないまま終わった。 腕があっても、それを求める世に生まれ合わせるかどうかは別の話だという嘆き。
蛟竜、雲雨を得(こうりょう、うんうをう)
能力を発揮する機会の無かった英雄や豪傑が、機会を得て能力を発揮することのたとえ。 「蛟竜」は水中にすむとされる中国古代の想像上の動物。 水中にすむ蛟竜は雲や雨を得ればそれに乗って天に昇り竜になるといわれることから。
コンマ以下(こんまいか)
その人の能力や価値が標準以下であることのたとえ。
才余りありて識足らず(さいあまりありてしきたらず)
才能にあふれているのに、見識が不足していること。
才子、才に倒れる(さいし、さいにたおれる)
優れた才能を持っている人は、その才能を過信しすぎて、かえって失敗することがあるということ。
才に走る(さいにはしる)
能力や才能を過信して地道な努力や注意を怠ること。
魚は殿様に焼かせよ餅は乞食に焼かせよ(さかなはとのさまにやかせよもちはこじきにやかせよ)
魚は手出しを控えて待つ者に、餅はせわしなく世話を焼く者に向く。同じ焼くという仕事でも求められる性分は正反対で、人を割り当てるならその性分のほうから決めよということ。
桜は花に顕われる(さくらははなにあらわれる)
ふだんは平凡な人々に紛れていた人間が、何らかの機会に優れた才能を発揮するたとえ。他の雑木に交って目立たなかった桜の木も、花が咲いて初めて桜の木だと気づかれるということから。
山椒は小粒でもぴりりと辛い(さんしょはこつぶでもぴりりとからい)
体は小さくても、激しい気性と優れた才能を持ち、侮り難い存在のたとえ。山椒の実は小粒ながら、激しい辛味を持つことから。「山椒」は、本来「さんしょう」という。
雑魚の魚交じり(ざこのととまじり)
小物が大物の仲間入りをしていること、また身分・能力にふさわしくない地位に就くことのたとえ。 雑魚が大きな魚の中に入り混じっていることから。
七歩の才(しちほのさい)
詩文を作る才能が非常にすぐれていること。また、詩作の早いこと。魏の曹植が、兄の文帝(曹丕)に七歩あゆむ間に詩を作れと命じられてただちに作ったという故事から。
手腕を振るう(しゅわんをふるう)
物事の解決や処理のためにすぐれた能力や技術を発揮すること。
上手の猫が爪を隠す(じょうずのねこがつめをかくす)
すぐれた才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。 「上手の猫」は鼠を捕るのがうまい猫のこと。 よく鼠を捕る猫ほど、ふだんは爪を隠しているとの意から。 同じ意味の言い方に「鼠捕る猫は爪を隠す」がある。
筋がいい(すじがいい)
今は未熟だが将来大成する見込みがあること。素質があること。
隅に置けない(すみにおけない)
思いのほか才能や知識があって油断できないようす。
相撲にならない(すもうにならない)
能力に違いがありすぎて、勝負にならないこと。
石鼠五能一技を成さず(せきそごのういちぎをなさず)
手が広いばかりで、どの道でも人に抜きん出るところまで行き着かない。「石鼠」はけらの別名で、この虫は空を行くことも土を掘ることも水を渡ることもできるが、五つ数え上げてどれも半端なまま終わっている。
千金の裘は一狐の腋に非ず(せんきんのきゅうはいっこのえきにあらず)
国を治めるには、多くの有能な人材が必要だというたとえ。 「裘」は獣の毛皮で作った衣服。皮衣。「腋」は脇の下。 千金もする皮衣は、一匹の狐のわきの毛だけでは作れないとの意から。
千里眼(せんりがん)
はるか遠くの出来事や、人が胸の内に伏せていることまで見通してしまう力。また、それを備えた人。 後魏の楊逸は、手下を各地に忍ばせて役人の動きを残らずつかんでいた。そうとは知らぬ人々が、あの人の目は千里の先まで届くと恐れた。
千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず(せんりのうまはつねにあれどもはくらくはつねにはあらず)
有能な人材はいつの世にもいるが、その能力を見出して育てる優れた指導者は少ないということのたとえ。 「千里の馬」は、一日に千里も走れるほどの優れた馬。転じて、優れた才能の人物。 「伯楽」は牛馬の良し悪しを見分ける名人のこと。転じて、人物を見抜いて、その才能を引き出し育てる優れた指導者のこと。 いつの時代にも、一日に千里を走るほどの優れた馬はいるが、その名馬の能力を引き出す伯楽は、いつもいるわけではないということから。
千里の馬も蹴躓く(せんりのうまもけつまずく)
名うての腕前を持つ者でも、ふとした拍子に足をとられる。 「千里の馬」は一日に千里を行くという名馬。その名馬さえ、道に転がる小石一つで体勢を崩すという。
千里の馬も伯楽に会わず(せんりのうまもはくらくにあわず)
一日で千里を走る脚があっても、それを見て取る目に行き当たるとは限らない。 腕を持て余したまま埋もれている当人が、我が身を嘆いて口にする。 「伯楽」は、馬の善し悪しを見抜き乗りこなす名人。
底が浅い(そこがあさい)
見た目だけで内容に深みがないこと。 または、器量や能力が大したものではないこと。
大家後なし(たいかのちなし)
一つの道を極めた人の跡から、同じ高さの者は出てこない。 持って生まれたものと、注いだ時間の量は、子に引き継げない。
大樹の下に美草なし(たいじゅのもとにびそうなし)
あまりに力のある人物の下では、その影響が強すぎて、すぐれた人物が育ちにくいことのたとえ。 大木の下は日が当たらず、よい草が育たないことから。
高く買う(たかくかう)
相場より高い値段で買うこと。転じて、人物の能力や行いなどを高く評価すること。
宝の持ち腐れ(たからのもちぐされ)
役に立つ物を持ちながら、利用しないたとえ。また、優れた才能や手腕がありながら、それを活用しないたとえ。
玉磨かざれば光なし(たまみがかざればひかりなし)
生まれ持ったものは、そのままでは表に出ない。年月をかけて己を練り上げたぶんだけ、人の目に留まるようになる。 「玉磨かざれば器を成さず」「玉琢かざれば器を成さず」ともいう。
弾力に富む(だんりょくにとむ)
さまざまな状況や問題に応じて、適切に対応できる力があるさま。
力に余る(ちからにあまる)
仕事や問題などが、自分の能力で処理できる限度を超えている。
力になる(ちからになる)
人の為に自分の能力や技能を使う。力を貸して助ける。
長袖よく舞い、多銭よく賈う(ちょうしゅうよくまい、たせんよくかう)
生まれつきの備えや手元の厚みに恵まれていれば、同じ働きでも見栄えよく運ぶ。 舞の衣装にも商いの元手にも通じる理屈で、備えの差は出来の差にそのまま化ける。 「賈う」は、あきなう・かうの両様に読み、商いをする意。
直木先ず伐らる(ちょくぼくまずきらる)
幹の通った木ほど早く鋸を入れられる。 使い勝手のよい人ほど先に呼び出され、そのぶん早くすり減る。
潰しが効く(つぶしがきく)
それまでの仕事を辞めても、別の仕事で働くことができる能力があること。 金属製品を溶かすと再利用できるとの意から。
壷の中では火は燃えぬ(つぼのなかではひはもえぬ)
壷の中では火が燃えないように、人は狭い窮屈な場所では十分な働きができない。仕事をするには、それなりの環境が必要だというたとえ。
蕾を散らす(つぼみをちらす)
若い才能や前途有望なものを挫折させること。
手が出ない(てがでない)
自分の能力を超えていて手立てがないこと。
手が届く(てがとどく)
能力や権力などが及ぶ範囲の内側にあること。 または、細かいところまで世話が行き渡ること。 また、もう少しで、とある年齢に達すること。
手千両(てせんりょう)
手先が器用なことや手に技術を持っていることは、千両にも匹敵する値打ちがあるということ。
手に余る(てにあまる)
物事が自分の能力を超えていて、うまく処置できないこと。 「手に負えない」ともいう。
手の内を見せる(てのうちをみせる)
自分の能力を相手に示すこと。 または、心の中で考えていることや秘密にしている計画などを相手に明かすこと。
手は一生の宝(てはいっしょうのたから)
文字を巧みに書くことは、一生の宝だということ。
てらつつきの子は卵から頷く(てらつつきのこはたまごからうなずく)
殻を破る前から、木をつつく時と同じ首の使い方を見せるらしい。 後に何をする者かは、物心のつかぬうちの仕草にもう出ている。
手を上げる(てをあげる)
殴ろうとして手を振り上げること。 または、負けを認めること。降参すること。 また、技術や能力を上げること。上達すること。
天は二物を与えず(てんはにぶつをあたえず)
長所があれば必ず短所もあり、長所ばかりを備えた人はいないということ。 天は一人の人間にいくつもの長所を授けることはないとの意から。
弟子を見る事師に如かず(でしをみることしにしかず)
弟子の能力や人柄をいちばんよく知っているのは師匠であり、とうてい師匠に及ぶものはないということ。
頭角を現す(とうかくをあらわす)
まわりの誰よりも力量が勝っていることが、はた目にもはっきりしてくること。「頭角」は頭のてっぺんを指し、居並ぶ人の上へ抜き出た姿になぞらえた言い方。
陶冶(とうや)
陶器を作ることと、鋳物を作ること。 または、人の才能や性質を育て上げること。
所を得る(ところをえる)
その人の能力と釣り合いのとれた地位や職に就くこと。
駑馬に鞭打つ(どばにむちうつ)
能力のない者に、能力以上のことをさせるたとえ。多くは自分が努力することをへりくだっていう言葉。
名が高い(ながたかい)
その人の価値や能力が高く評価され、その名が広く世間に知れ渡っていること。
流れ川に大魚なし(ながれがわにたいぎょなし)
大人物や才能ある者がその力を発揮するには、適した環境が必要であるということ。 大きな魚は深い淵(ふち)に棲むもので、流れの速い浅い川にはいないことから。
鳴く虫は捕らえられる(なくむしはとらえられる)
芸があるために、身を誤ることのたとえ。鳴く虫は、その鳴き声のために捕まえられるということから。
荷が重い(にがおもい)
その人が備えている能力に比べて、責任や負担が重すぎる様子。 「荷が勝つ」ともいう。
鼠捕る猫は爪を隠す(ねずみとるねこはつめをかくす)
真にすぐれた才能のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。 鼠を捕るのがうまい猫は、ふだん鋭い爪を隠していて見せないとの意から。 同じ意味の言い方に「上手の猫が爪を隠す」がある。
眠れる獅子(ねむれるしし)
実力を持っていながら、その能力を十分に出しきれていない国や人物のたとえ。
能ある鷹は爪を隠す(のうあるたかはつめをかくす)
すぐれた才能や実力のある人は、それをむやみにひけらかしたりしないということ。 鷹は獲物を捕らえるとき以外、鋭い爪を隠しているとの意から。
嚢中の錐(のうちゅうのきり)
すぐれた人は、大衆の中にいても自然とその才能が現れるというたとえ。袋の中の錐は、その鋭い先端が外に飛び出ることから。
能なし犬は昼吠える(のうなしいぬはひるほえる)
才能のない者にかぎって必要のないときに大騒ぎしたり、大きなことを言ったりするというたとえ。
能なしの能一つ(のうなしののうひとつ)
取り柄がなさそうに見える者にも、何か一つは人並み以上のところがあるということ。
鑿に鉋の働きは無し(のみにかんなのはたらきはなし)
どれだけすぐれた道具であっても役目は決まっており、他の道具の代わりにはならないというたとえ。人や物には、それぞれふさわしい務めがあるということ。 鑿(のみ)は木材に穴をあけたり削り取ったりする道具。 鉋(かんな)は木の表面を薄く削ってなめらかに仕上げる道具。
歯が立たない(はがたたない)
相手の能力が高すぎて勝負にならないこと。 または、その物事が難しすぎて処理できないこと。 硬くて噛み砕くことができないとの意から。
刃金が棟へ回る(はがねがむねへまわる)
技量や判断力、働きなどが衰えることのたとえ。 刀の背である棟(むね)の方向へ刃先がまくれ上がり、切れ味が鈍くなることから。
箸にも棒にも掛からない(はしにもぼうにもかからない)
能力や程度などが劣っていて、どうにも扱いづらいことのたとえ。また、何の取り得もないことのたとえ。 小さな箸にも、大きな棒にも引っ掛からないとの意から。
八細工七貧乏(はちざいくしちびんぼう)
なんでもできるような器用な人は一つの事に専念できずにどれも中途半端になってしまい、そのためにかえって貧乏するということ。 「七細工八貧乏」ともいう。
鼻が利く(はながきく)
隠し事などを見抜いたり、利益になりそうなことを探し出したりする能力がすぐれていること。
早飯も芸のうち(はやめしもげいのうち)
膳を片づける速さは、人に使われる身では一つの腕前として通る。ほかに見せ場のない者を、からかい半分に持ち上げるときにも使う。
光を和らげ塵に同ず(ひかりをやわらげちりにどうず)
持っているものをことさら見せず、世の人と同じ高さに身を置いて付き合う。 救う側が形を落としてこの世に現れるという仏の説き方から出た言葉で、今は人の身の処し方にもいう。 「塵に同ず」とも。
左は勝手、右は得手(ひだりはかって、みぎはえて)
何でも巧みにやれることのたとえ。「勝手」は自由に使いこなせること、「得手」は得意とすること。左手も右手も自由自在に使えるということから。
人屑と縄屑は余らぬ(ひとくずとなわくずはあまらぬ)
縄の切れ端でも何かの役に立つように、つまらない人間のようでも、その能力に応じて使い道があるということ。
人は見かけによらぬもの(ひとはみかけによらぬもの)
人の性質や能力は外見だけでは判断しにくく、外見と中身は往々にして異なることが多いので、外見だけで軽々しく判断してはいけないということ。
百芸は一芸の精しきに如かず(ひゃくげいはいちげいのくわしきにしかず)
何でも出来る人より、一つの事に精通している人のほうが役に立つということ。
豚もおだてりゃ木に登る(ぶたもおだてりゃきにのぼる)
おだてられて気をよくすると、能力以上のことでもできるというたとえ。
片鱗を示す(へんりんをしめす)
すぐれた才能や学識などの一部分をのぞかせること。「片鱗」は、一枚の魚のうろこのことで、全体の中のほんの一部分の意。
水を得た魚のよう(みずをえたさかなのよう)
その人の力を発揮できる場所を得て、生き生きと活躍するようすのたとえ。
身に余る(みにあまる)
人から与えられた待遇などが、自分の能力以上であること。身分に相応しくないこと。
見る目がある(みるめがある)
物事を正しく判断したり性質を見抜いたりする能力があること。
昔取った杵柄(むかしとったきねづか)
若い頃に習得した技量や腕前のこと。また、年月を経てもそれが衰えず十分に発揮できること。
無冠の帝王(むかんのていおう)
特別な地位などは持っていないが、実力を有している者のこと。 スポーツなどで、極めてすぐれた能力を持ちながら、大きなタイトルを獲得できずにいる人。 または、ジャーナリストや新聞記者などの自称。権力に屈することなく評論する人という意味から。
名馬に癖あり(めいばにくせあり)
名馬と言われる馬は、どこかしら扱いにくい癖を持っている。人間も優れた才能の持ち主には、強い個性があるということ。
目が利く(めがきく)
物事を判断したり性質を見抜いたりする能力が優れていること。
目が肥える(めがこえる)
すぐれた物を数多く見ることで、物の価値を判断する能力が高まること。
目が高い(めがたかい)
人や物事を判断したり性質を見抜いたりする能力が優れていること。
役者が一枚上(やくしゃがいちまいうえ)
能力や駆け引きなどが一段とすぐれていること。 芝居の番付や看板で、上位のものから順に名前が書かれていることから。
痩せ馬に重荷(やせうまにおもに)
担いきれるはずのない仕事や責任を、力の足りない者に押しつけること。 やせ細った馬の背に、運びきれないほどの荷を積み上げるとの意から。
野に遺賢なし(やにいけんなし)
使える人はもう残らず取り立ててあるという触れ込み。世の治まりぶりを誇る言葉だが、登用から漏れた者を納得させる口実にもなった。 「遺賢」は、取り立てられずにいる有能な人。
読みが深い(よみがふかい)
物事の真相を理解する能力がすぐれていること。 また状況の移り変わりを先まで見通していること。
柳絮の才(りゅうじょのさい)
詩文にすぐれた女性の才能をたたえていう言葉。「柳絮」は風に飛ぶ柳の綿毛。 晋の謝安が雪の日に一族を集め、この降りようは何に似るかと問うたとき、甥は空にまく塩と答えたが、姪の謝道韞は風に舞い立つ柳の綿毛には及ぶまいと答え、大いに喜ばれた。
竜は一寸にして昇天の気あり(りゅうはいっすんにしてしょうてんのきあり)
すぐれた人物は幼少期からすぐれたところがあることのたとえ。 竜は一寸の大きさの頃から天に昇ろうとする気迫に満ちているということから。
良賈は深く蔵して虚しきが如し(りょうこはふかくぞうしてむなしきがごとし)
腕のいい商人は、値打ちのある品を奥にしまって店先には並べない。 中身の詰まった人ほど、それを人目にさらさずに構えているという。 「良賈」は、商いの上手な人。
塁を摩す(るいをます)
腕前や立場が上がってきて、先を行く相手のすぐ後ろまで詰めること。追い抜いてはいないが、もう横に並ぶ寸前というところをいう。 もとは軍勢が敵の砦の壁にすれすれまで押し寄せる意。
瑠璃の光も磨きから(るりのひかりもみがきから)
青い玉があの色を見せるのは、手をかけて表を整えたからである。人とても変わりはなく、持ち合わせを抱えたまま座っていては、そのどれ一つ外へ出てこない。
瑠璃も玻璃も照らせば光る(るりもはりもてらせばひかる)
値打ちのある玉は、雑多な石に紛れていても、明かりを向けられればそれと分かる輝きを返す。人も同じで、埋もれているうちは見分けがつかなくとも、光の届く場に置かれれば地の良さが表に出る。 「瑠璃」は濃い青の玉、「玻璃」は透きとおる玉で、いずれも仏典が宝として並べるもの。
禄を盗む(ろくをぬすむ)
能力や功績に見合わない高い給料をもらうこと。また、それを非難する言葉。
