「他人」に関連する故事・ことわざ・慣用句一覧
「他人」に関連する故事・ことわざ・慣用句の一覧です。
赤の他人(あかのたにん)
全く無関係の他人。「赤」は名詞の上に付くことでそれを強調し、「全くの」「明らかな」「はっきりした」の意を表す。
明日は我が身(あすはわがみ)
他人に降りかかった不幸や苦しむ姿をみて、明日は自分に起こりえることかもしれないから用心せよ、という教え。
辺り構わず(あたりかまわず)
周囲の状況や他人の迷惑などを気にしないで、自分の好きなように振る舞うようす。
徒の悋気(あだのりんき)
自分とは何のかかわりもない他人の恋を妬みやきもちを焼くこと。「徒」は無駄、「悋気」は嫉妬の意。
あなた任せ(あなたまかせ)
自分ですべきことを他人に頼って、その人の言った通りにすること。 「あなた」は「阿弥陀如来」のこと。 もとは「阿弥陀如来の力に任せる」との意味であったが、「他人任せにする」「他人の言う通りにする」という否定的な意味でも使われるようになった。
甘い汁を吸う(あまいしるをすう)
自分は苦労しないで、他人の働きによる利益を自分のものにすること。
晏子の御(あんしのぎょ)
他人の威光によりかかって得意になること。中国斉の宰相晏嬰(あんえい)の御者が、自分が宰相の馬車の御者であることを得意がり、その妻がそれを恥じて離縁を求めた。御者は大いに恥じて精励し、晏嬰に認められて出世したという故事から。
家を道端に作れば三年成らず(いえをみちばたにつくればさんねんならず)
他人の助言をいちいち聞いていると、何事もやり遂げることが出来ないというたとえ。 道に面した場所に家を建てようとすると、口出しをする人が多くてなかなか出来上がらないとの意から。
怒りを遷さず(いかりをうつさず)
腹が立つことがあっても、他人に当り散らしてはいけないということ。
生き血を吸う(いきちをすう)
情け容赦なく、他人のものを取り上げること。 「生き血をすする」「生き血をしぼる」ともいう。
意見と餅はつくほど練れる(いけんともちはつくほどねれる)
餅は、つけばつくほど練れて粘りのあるおいしい餅になる。他人の意見も、つき従うようにすればするほど、よい結果が得られるということ。
医者の自脈効き目なし(いしゃのじみゃくききめなし)
たとえ専門分野のことでも、自分のことになると適切な処理ができないということ。 医者は他人の病気は治せても、自分の病気は適切な処置ができないとの意から。
医者よ自らを癒せ(いしゃよみずからをいやせ)
他人に立派なことを言う人は自分も立派でなければならにというたとえ。患者を治療する医者は自分自身も健康に注意せよという意。
居候、三杯目にはそっと出し(いそうろう、さんばいめにはそっとだし)
他人の家に世話になっている者は、食事の時も遠慮がちに三杯目のお代わりをするということ。居候の肩身のせまさを詠んだ川柳から。
一匹の馬が狂えば千匹の馬も狂う(いっぴきのうまがくるえばせんびきのうまもくるう)
一人の行いが他の大勢を駆り立ててしまうことのたとえ。群集が他人の言動に同調しやすいことのたとえ。 群れの中の一匹の馬が異常な行動をして騒ぎ出せば、群れ全体が巻き込まれて騒ぎ出すとの意から。
意を体する(いをたいする)
他人の意見や教えを理解し、それに従う。
意を強くする(いをつよくする)
他人の支持を得て、自信を深めること。他人の賛同を心強く思うこと。
牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)
人に連れられてある場所へ出かけて行くこと。また、自分の意思ではなく他人の誘いによって、よい方向に導かれることのたとえ。 善光寺の近くに住んでいた不信心な老婆が布をさらしていると、その布を牛が角にひっかけて逃げてしまった。老婆は牛を追いかけて善光寺に着き、その縁によって信仰するようになったという故事から。
後ろ指を指される(うしろゆびをさされる)
他人から非難されること。「後ろ指」は他人を後ろから指差して陰口を言うこと。
旨い汁を吸う(うまいしるをすう)
何の苦労もせず、他人の働きによる利益を自分のものにすること。
生んだ子より抱いた子(うんだこよりだいたこ)
生んだだけで育てていない実の子より、小さい時から育てた他人の子のほうがかわいいということ。
易者、身の上知らず(えきしゃ、みのうえしらず)
他人のことについてはいろいろと言えても、自分のことはよくわからないことのたとえ。 「易者」は、占い師のこと。 他人の運命を占う占い師も、自分の身の上についてはわからないとの意から。
縁の下の力持ち(えんのしたのちからもち)
他人のために、人目につかないところで苦労や努力をすること。また、そのような人のこと。
お家の一大事(おいえのいちだいじ)
他人の家に起こった出来事を冗談めかしたり、皮肉ったりして大げさにいう時に使う言葉。 主君の家に起こった重大な事件との意から。
大きなお世話(おおきなおせわ)
いらぬおせっかい。よけいな世話。 他人からの忠告や手助けを拒むときに使う言葉。
煽てと畚には乗りたくない(おだてともっこにはのりたくない)
おだてには乗りたくない、ということを強調した言葉。「畚」は、棒で担いで土や石を運ぶ道具。江戸時代、畚は死刑囚を運ぶのにも使われたことから、他人の煽てにも畚にも乗りたくないといったもの。
己の欲する所を人に施せ(おのれのほっするところをひとにほどこせ)
自分が他人にしてもらいたいことは、人にもしてやりなさいということ。
己の欲せざる所は人に施すこと勿れ(おのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれ)
自分が他人からされたくないと思うことは、決して他人にしてはならないということ。
己を以て人を量る(おのれをもってひとをはかる)
人はとかく自分を基準にして、他人のことを判断しがちだということ。
負ぶえば抱かりょう(おぶえばだかりょう)
他人の力を当てにして、つけあがって甘えることのたとえ。 負んぶしてやると次には抱っことねだることから。 「負ぶえば抱かろう」「負んぶすれば抱っこ」「抱かさせば負ぶさる」ともいう。
親子の仲でも金銭は他人(おやこのなかでもきんせんはたにん)
金銭に関しては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
陰陽師、身の上知らず(おんようじ、みのうえしらず)
他人のことについてはいろいろと言えても、自分のことはよくわからないことのたとえ。 他人の運命を占う陰陽師も、自分の身の上についてはわからないとの意から。
海賊が山賊の罪をあげる(かいぞくがさんぞくのつみをあげる)
自分の悪行は棚に上げて他人の悪行を非難するたとえ。また、同類であっても利害が共通しない者は敵対するということ。 「山賊の罪を海賊があげる」ともいう。
陰で糸を引く(かげでいとをひく)
自分自身は表に出ないで、裏で他人を意のままに動かすこと。 人形師が糸を引いて人形を操ることから。 「裏で糸を引く」ともいう。
駕籠舁き駕籠に乗らず(かごかきかごにのらず)
日頃から仕事で使用しているものは、自分のためには使用しないということ。 また、他人の面倒を見るばかりで、自分のことには手が回らないこと。 「駕籠舁き」は、駕籠に人を乗せて運ぶことを職業にしている人。 駕籠舁きは、自分の駕籠には乗らないとの意から。
貸し借りは他人(かしかりはたにん)
金銭の貸し借りについては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
掠りを取る(かすりをとる)
仲介者が、他人の利益の一部を自分のものとして取ること。
火中の栗を拾う(かちゅうのくりをひろう)
自分の利益にはならないにもかかわらず、危険をおかすことのたとえ。猿におだてられた猫が、いろりの中で焼けている栗を拾おうとして大やけどをしたというラ・フォンテーヌ(詩人)の寓話から。
河童の寒稽古(かっぱのかんげいこ)
他人が見れば大変そうに見えても、実際にはなんでもないことのたとえ。河童の寒中水泳はつらそうに見えるが、河童にとっては寒くもなんともないことから。
蟹の横這い(かにのよこばい)
他人には不自由そうに見えても、本人には都合がよいことのたとえ。蟹の歩き方はぎこちなく見えるが、蟹にとってはそれが自然な歩き方であることから。 または、蟹が横に歩くことから、物事が横にそれがちで進行がうまくいかないことのたとえ。
鴨が葱を背負って来る(かもがねぎをしょってくる)
好都合な状況が重なり、さらに良い結果が生まれることのたとえ。 鍋料理で用いる鴨が自ら葱を背負ってやってくるような、非常に都合の良い状況を表す言葉。 特にお人好しが自らの行動で他人に利益をもたらす場合によく使われ、略して「鴨葱」ともいう。
借りてきた猫(かりてきたねこ)
ふだんと違って非常におとなしいようす。ねずみを捕らせるために他人の家から借りた猫は、おとなしく小さくなっていることから。
借りを返す(かりをかえす)
他人から受けた恩に報いること。 また、他人から受けた仕打ちに対して仕返しをすること。
彼も人なり、我も人なり(かれもひとなり、われもひとなり)
彼も自分と同じ人間なのだから、彼にできることが自分にできないはずはないということ。 努力を怠らなければ、他人にできることは何でもできるということ。
咳唾、珠を成す(がいだ、たまをなす)
詩文の才能が優れていることのたとえ。 「咳唾」は咳と唾。または、他人の言葉を敬っていう語。 何気なく口から出た言葉でさえ、珠玉のように美しい名句になっているとの意から。
眼中人なし(がんちゅうひとなし)
他人のことは考えず、思うままに振る舞うこと。人を人とも思わないこと。
狐虎の威を藉る(きつねとらのいをかる)
他人の権力に頼って、弱いものが空威張りすることのたとえ。 虎に捕らえられた狐が「天の神が私を百獣の長にした。だから私を食べると天の命令にそむくことになる。うそだと思うならついてきなさい。獣たちはみな逃げ出すはずだ」といった。 虎が狐のあとについていくと、獣たちがみな逃げて行った。 虎は自分を恐れて獣たちが逃げたことに気づかず、狐を恐れて逃げ出したと信じたという故事から。
昨日は人の身、今日は我が身(きのうはひとのみ、きょうはわがみ)
人の運命は予測しがたく、他人にふりかかった災難が、いつ自分にもふりかかるかわからないということ。
兄弟は他人の始まり(きょうだいはたにんのはじまり)
兄弟姉妹も成長すれば利害関係や結婚などによって、お互いの愛情が薄れ、やがて他人のようになってしまうというたとえ。
今日は人の上、明日は我が身の上(きょうはひとのうえ、あすはわがみのうえ)
他人に降りかかった不幸や苦しむ姿をみて、明日は自分に起こりえることかもしれないから用心せよ、という教え。
気を悪くする(きをわるくする)
他人の言動によって不愉快な気持ちになること。
金銭は他人(きんせんはたにん)
金銭に関しては、たとえ親子の間でも、他人と同じようにけじめをつけなければならないということ。
管を巻く(くだをまく)
酒に酔って、くだらないことをくどくど言い続けたり他人に絡んだりすること。「管」は、紡績に使う糸を巻きつける小さな軸。糸車の音がぶんぶんと音を立てるのを、酔っ払いの繰り言にたとえたことから。
口を入れる(くちをいれる)
他人の話に割り込むこと。 また、よけいな口出しをすること。
口を出す(くちをだす)
他人が話しているところへ割り込み、自分の意見を述べること。口出しをすること。
口を挟む(くちをはさむ)
他人が話しているところへ割り込み、自分の意見を言うこと。
犬馬の労(けんばのろう)
他人のために力を尽くして働くことをへりくだっていう言葉。犬や馬程度の苦労や労働の意から。
紺屋の白袴(こうやのしろばかま)
他人の事に忙しくて、自分のことをする暇がないこと。 「紺屋」は染物屋の総称。もとは、藍染め屋のこと。 染物屋が、自分の袴は染めずにいつも白袴をはいていることから。 一説には、あえて白い袴を身につけることで、染料を扱う技術力の高さ、また少しも袴を汚さないという職人気質を表したともいわれる。 紺屋は「こんや」、白袴は「しらばかま」ともいう。
財布の底と心の底は人に見せるな(さいふのそことこころのそこはひとにみせるな)
うまく世間を渡るためには、自分の財産や心のうちを他人に知られてはいけないということ。
先を争う(さきをあらそう)
他人よりも先になろうとして競い合うこと。
先を越す(さきをこす)
優位に立つために、他人よりも先に物事を行うこと。 「先」は「せん」ともいう。
猿の尻笑い(さるのしりわらい)
自分の欠点に気づかず、他人の欠点を嘲笑することのたとえ。 猿が自分の尻が赤いことに気付かずに、他の猿の尻を見て笑うことから。
失笑を買う(しっしょうをかう)
愚かな言動をして他人から笑われること。 「失笑」は笑いを堪え切れずに吹き出してしまうこと。
蜀犬、日に吠ゆ(しょっけん、ひにほゆ)
無知なために、当たり前のことに疑いを抱いて騒ぎ立てるたとえ。また、見識が狭い人が他人のすぐれた言動を疑って非難するたとえ。 「蜀犬」は、中国の蜀地方の犬のこと。 蜀地方は、山地で雨の降ることが多く、天気の良い日が少ないため、太陽が出ると犬が怪しんで吠えるということから。
尻馬に乗る(しりうまにのる)
深く考えずに、他人の言動に同調して行動することのたとえ。 他人の乗っている馬に同乗することから。
尻が来る(しりがくる)
他人のしたことの後始末や苦情が持ち込まれることのたとえ。
尻が長い(しりがながい)
他人の家を訪れて話し込んでなかなか帰らないこと。 「長尻」や「長っ尻」ともいう。
尻拭いをする(しりぬぐいをする)
他人の失敗や不始末などの後始末をすること。 「尻を拭う」ともいう。
親は泣き寄り、他人は食い寄り(しんはなきより、たにんはくいより)
不幸があったとき、身内は心から悲しんで集まるが、他人は葬儀のご馳走を目当てに集まるということ。 身内は困ったときに心から助けようとしてくれるが、他人はうわべだけの同情しか見せないというたとえ。 単に「他人は食い寄り」ともいう。
人後に落ちない(じんごにおちない)
他人にひけをとらないこと。「人後」は、他人のうしろの意。
透き間風は冷たい(すきまかぜはつめたい)
義理の仲が、なんとなくしっくりいかないことのたとえ。 または、友人や男女の間で感情の隔たりができると、まったくの他人どうしではないだけに、余計に冷たさが身にしみるというたとえ。
涼しい顔(すずしいかお)
自分が関係しているのに、まるで他人事のように知らん顔をしている様子。
脛に疵持つ(すねにきずもつ)
やましいことや人に知られたくない前歴があることのたとえ。 他人の目につきにくい脛に傷があるとの意から。
すまじきものは宮仕え(すまじきものはみやづかえ)
他人に仕えることは気苦労が絶えないから、できればやらないほうがいいということ。「宮仕え」は本来、宮中や貴人の邸宅に仕えること。現代では、会社や組織などに勤めることをいう。
世話を焼く(せわをやく)
他人の手助けをすること。面倒を見ること。
千人の諾諾は一士の諤諤に如かず(せんにんのだくだくはいっしのがくがくにしかず)
他人の言葉になんでも賛同して従う千人は、権勢に媚びずに正しいと思うことを主張する一人には及ばないということ。「諾諾」は、他人の言葉にさからわないで従うさま。「諤諤」は、正しいと思うことを恐れはばかることなく述べるさま。
俎上の魚(そじょうのうお)
他人の意志に完全に委ねられた、選択の余地がない状況に置かれていることのたとえ。 「俎上」は、まな板の上。 まな板の上にのせられた魚との意から。 「俎上の鯉」「俎板の魚」「俎板の鯉」などともいう。
太鼓を叩く(たいこをたたく)
他人に同調して機嫌をとること。太鼓を持つ。
太鼓を持つ(たいこをもつ)
他人に同調して機嫌をとること。太鼓を叩く。
たくらだ猫の隣歩き(たくらだねこのとなりあるき)
自分の家の用は何もしないで、他人の家の用ばかり手伝うことのたとえ。 「たくらだ」はじゃこう鹿に似た獣。じゃこう鹿を狩りにきた猟師が、飛び出してきたたくらだを誤って狩ったことから、自分に無関係なことで死んだり傷ついたりする者のこと。転じて、愚か者・まぬけのことをいう。 まぬけな猫が自分の家のねずみは捕らずに、近所のねずみばかり捕って遊び歩くということから。
蛸の糞で頭へあがる(たこのくそであたまへあがる)
自分は思いあがって得意になっているが、他人からはいやしめられていることのたとえ。 かつては、本来の蛸の胴部が頭であると考えられていたことから、糞が頭にあることをいった語。
他山の石(たざんのいし)
他人の誤った言行を、自分の修養のために役立てること。 よその山から取れたつまらない石でも、自分の宝石を磨くのに使えるとの意から。
他人の疝気を頭痛に病む(たにんのせんきをずつうにやむ)
自分には関係のない物事で、いらぬ心配をすることのたとえ。 「疝気」は漢方で腰・下腹部の病気のこと。 他人の疝気を心配して自分が頭痛になることから。 「人の疝気を頭痛に病む」「隣の疝気を頭痛に病む」ともいう。
他人の空似(たにんのそらに)
血のつながりがない他人同士が、偶然よく似ていること。
他人の念仏で極楽参り(たにんのねんぶつでごくらくまいり)
他人の力を当てにして、自分の利益を図ったり、義理を果たすことのたとえ。他人の唱えた念仏で自分が極楽へ行こうとする意から。
他人の正目(たにんのまさめ)
利害関係のない他人の見方は、公平で正しいというたとえ。「正目」は縦にまっすぐに筋の通った木目のこと。
他人の飯には骨がある(たにんのめしにはほねがある)
他人の家に世話になって生活することは、どこか窮屈で何かと気を遣うことが多いということ。また、他人の親切には底意があり、頼りきっているとひどい目に遭うこともあるということ。 他人の家で食べる飯は、まるで骨でもあるかのようにのどを通りにくいとの意から。 「他人の飯には棘がある」「他人の飯は強い」ともいう。
他人の飯は白い(たにんのめしはしろい)
他人のものは、自分のものより良く見えるというたとえ。
他人の飯を食う(たにんのめしをくう)
親元を離れ、他人の間に揉まれて実社会の経験を積むこと。
他人の別れ棒の端(たにんのわかれぼうのはし)
夫婦が離婚すると、赤の他人よりも疎遠になってしまい、お互いに棒切れほどにしか思わなくなるということ。
他人は時の花(たにんはときのはな)
季節の花が咲いてすぐ散るように、他人の好意も長続きしないものだから、あまり頼りにしてはいけないという教え。「時の花」は季節に咲く花。
他聞を憚る(たぶんをはばかる)
他人に聞かれると不都合があること。
誰でも自分の荷が一番重いと思う(だれでもじぶんのにがいちばんおもいとおもう)
自分のしていることが一番大変だと思いがちで、他人のしていることは楽に見えるが、実際にやってみると簡単ではないということ。
知恵を借りる(ちえをかりる)
他人に相談して、よい考えや適切な方法を教えてもらうこと。
血は水よりも濃い(ちはみずよりもこい)
血縁のある間柄は、他人よりも繋がりが強いことのたとえ。
突っかけ者の人もたれ(つっかけもののひともたれ)
自分は何もしないで、他人を当てにして人任せにする者のこと。
角を折る(つのをおる)
自分の主張を無理に通すのをやめて、他人の意見に従うこと。譲歩すること。
唾を付ける(つばをつける)
他の人に取られないように事前に自分のものであることを示しておくこと。 食べ物に唾を付けて他人が食べられないようにするとの意から。
手玉に取る(てだまにとる)
自分の思うままに他人を操ること。
手を掛ける(てをかける)
時間や労力を惜しまないこと。 または、他人のものを盗むこと。
手を貸す(てをかす)
他人の助力をすること。手伝うこと。
手を付ける(てをつける)
ある物事を始めること。着手すること。 または、あるものを使い始めること。特に他人の金銭をいう。 また、立場が下の女性と肉体関係をもつこと。
天に唾す(てんにつばきす)
他人に害を与えようとして、逆に自分がひどい目に遭うことのたとえ。 上を向いて唾をはくと、自分の顔に落ちてくることから。 「天を仰いで唾す」「天を仰いで唾する」「仰いで唾を吐く」などともいう。
遠きを知りて近きを知らず(とおきをしりてちかきをしらず)
他人のことはよくわかるのに、自分のことはわからないということ。
遠くの親類より近くの他人(とおくのしんるいよりちかくのたにん)
いざという時には、遠方に住んでいる親戚より近所に住んでいる他人の方が頼りになるということ。
隣の芝生は青い(となりのしばふはあおい)
他人の物はなんでもよく見えるというたとえ。 自分の家の芝生に比べて、隣の庭の芝生のほうが青々としているように見えるという意味から。
隣の糂汰味噌(となりのじんだみそ)
他人の物はなんでもよく見えるというたとえ。「糂汰味噌」はぬかみそのこと。
隣の花は赤い(となりのはなはあかい)
他人の物はなんでもよく見えてうらやましく思えるというたとえ。 隣の家に咲いている花は、自分の家の花より赤く見えるという意味から。
隣の貧乏鴨の味(となりのびんぼうかものあじ)
人はとかく他人の不幸を願うものだということ。 隣の家が貧乏だと、まるで美味しい鴨でも食べているようないい気分になるとの意から。 「隣の貧乏雁の味」ともいう。
長居は恐れ(ながいはおそれ)
他人の家に長く居るのはよくないということ。
情けは人の為ならず(なさけはひとのためならず)
他人に親切にすれば、巡り巡って自分に返ってくるということ。
七度尋ねて人を疑え(ななたびたずねてひとをうたがえ)
物がなくなった時には、自分でよく探してみるのが先で、軽率に人を疑ってはいけないという戒めの言葉。 七回探しても見つからない時に、はじめて他人を疑うべきとの意から。 「七度探して人を疑え」
名を借りる(なをかりる)
口実にしたり、表向きの理由にしたりすること。 また、他人の名義を借りること。
女房は貸すとも擂り粉木は貸すな(にょうぼうはかすともすりこぎはかすな)
すりこぎのように使うと減るものは、他人に貸してはいけないということ。
人相見の我が身知らず(にんそうみのわがみしらず)
他人の運命についてあれこれ占う人相見も、自分の事は正しい判断がつかないということ。「人相見」は、人相を見て運命を判断することを職業とする人のこと。
盗人と言えば手を出す(ぬすびとといえばてをだす)
他人に盗人と言われて、手を出して暴れるような者は本当に盗人であるということ。
のけば他人(のけばたにん)
夫婦はもともと他人同士だから、どんなに仲がよくても離婚するとまったくの赤の他人になるということ。
半畳を入れる(はんじょうをいれる)
他人の言動を茶化したり野次ったりすることのたとえ。 「半畳」は、芝居小屋などで見物人が敷いた小さなござのこと。 芝居に不満な時、その半畳を舞台に投げ込んだことから。 「半畳を打つ」ともいう。
人こそ人の鏡(ひとこそひとのかがみ)
他人は自分の姿を映す鏡のようなものであるから、他人の言動を見て自分の行いを正す手本にせよということ。
人に七癖、我が身に八癖(ひとにななくせ、わがみにやくせ)
他人の癖は目につきやすが、自分の癖にはなかなか気がつかないから自戒せよということ。
人に施しては慎みて念うこと勿れ(ひとにほどこしてはつつしみておもうことなかれ)
他人に与えた恩恵のことは、恩着せがましくならないように、早くその事を忘れるように心がけよということ。
人の過ち我が幸せ(ひとのあやまちわがしあわせ)
口には出せないが、他人の失敗は、自分には幸せなのだということ。
人の痛いのは三年でも辛抱する(ひとのいたいのはさんねんでもしんぼうする)
他人の苦痛は自分とは無関係だから平気であるということ。
人の苦楽は壁一重(ひとのくらくはかべひとえ)
壁一つ隔てただけで隣の様子がわからないように、他人の苦しみや楽しみは他人事で自分とはなんの係わりもないということ。
人の事は我の事(ひとのことはわれのこと)
人ごとと思っている他人の不幸も、いつか自分の身におこらないとも限らないということ。
人の子の死んだより我が子の転けた(ひとのこのしんだよりわがこのこけた)
他人の子どもが死んだことよりも、自分の子が転んだことのほうが重要だということ。我が子の大事さのたとえ。また、自分の利益が一番大事ということのたとえ。
人の牛蒡で法事する(ひとのごぼうでほうじする)
人の物を利用して自分の義理を果たすことのたとえ。 他人が持ってきた牛蒡を使って精進料理を作り、法事のもてなしをすることから。
人の空言は我が空言(ひとのそらごとはわがそらごと)
他人の話を受け売りすると、もしその話が嘘だった時は、自分が嘘をついたのと同じことになる。人の話を簡単に受け売りするなという戒めの言葉。「空言」は何の根拠もない噂のこと。
人の宝を数える(ひとのたからをかぞえる)
自分には何の得にもならないことのたとえ。 「他人の宝を数える」「隣の宝を数える」「隣の家の宝を数える」ともいう。
人の蠅を追うより己の蠅を追え(ひとのはえをおうよりおのれのはえをおえ)
他人のことをあれこれ言う前に、まずは自分の問題を始末せよということ。 他人にたかる蠅を追い払うより、まずは自分にたかる蠅を追い払えとの意から。 単に「己の頭の蠅を追え」とも、「我が頭の蠅を追え」ともいう。
人の花は赤い(ひとのはなはあかい)
他人の物はなんでもよく見えるというたとえ。 人の家に咲いている花は、自分の家の花より赤く見えるとの意から。
人の物より自分の物(ひとのものよりじぶんのもの)
どんなに良くても他人の物よりは、多少劣っていても自分の物のほうがよいということ。
人は悪かれ我善かれ(ひとはわるかれわれよかれ)
他人がどんなひどい目に遭っても、自分さえよければいいということ。人間は利己的なものだということ。また、そういう人間をあざけっても使う。
人目を忍ぶ(ひとめをしのぶ)
他人に見つからないように密かに行動すること。
人目を盗む(ひとめをぬすむ)
他人に見つからないようにこっそりと行うこと。
人を恃むは自ら恃むに如かず(ひとをたのむはみずからたのむにしかず)
他人は当てにならないから、人に頼るよりも自分自身を頼りにするのが確かだということ。「恃む」は、頼るという意。
人を見たら泥棒と思え(ひとをみたらどろぼうとおもえ)
他人は信用できないので、泥棒と疑ってかかるくらい用心したほうがよいということ。
人を以て鑑と為す(ひとをもってかがみとなす)
他人の言葉や行動を手本にして、自分を正せということ。「鑑」は手本・模範の意。
富貴には他人集まり、貧賤には親戚も離る(ふうきにはたにんあつまり、ひんせんにはしんせきもはなれる)
地位や財産のある者には赤の他人も寄ってくるが、貧乏な者には親戚さえも寄り付かないということ。
夫婦喧嘩は犬も食わない(ふうふげんかはいぬもくわない)
夫婦喧嘩は長続きせずにすぐに仲直りするものなので、他人が仲裁に入るものではないということ。 何でも食べる犬ですら食べない(気に止めない)との意から。
夫婦は合わせ物離れ物(ふうふはあわせものはなれもの)
夫婦はもともと他人どうしがいっしょになったものだから、別れることがあっても仕方がないということ。
武士は食わねど高楊枝(ぶしはくわねどたかようじ)
武士は貧しくて食事ができなくても、食べたふりをして楊枝を使い、他人に空腹を見せないようにするということ。転じて、貧しくても誇りを持って生きるべきだということ。
自ら卑うすれば尚し(みずからひくうすればたっとし)
へりくだって驕らない人は他人から尊敬され、自然と尊くなるということ。
味噌に入れた塩は他所へは行かぬ(みそにいれたしおはよそへはいかぬ)
他人に尽くすことは、一見無駄のように見えても、結局は自分のためになるということ。 味噌に入れた塩は、混じって見えなくなるが、味噌の味を調えるための役に立っているとの意から。
見て見ぬ振り(みてみぬふり)
実際にその場を目撃したにもかかわらず、見ていなかったかのように振る舞うこと。 また、他人の過ちなどを見逃すこと。
身につまされる(みにつまされる)
他の人の不幸などが他人事とは思えず、自分のことのように感じられること。
耳が痛い(みみがいたい)
他人の発言が、自らの弱点・欠点を指摘しているように聞こえて、聞いているのがつらく感じる様子。
目くじらを立てる(めくじらをたてる)
目をつり上げて、あらさがしをすること。他人の些細な欠点を探して、ことさらに責めること。 「目くじら」は目尻のこと。
目糞、鼻糞を笑う(めくそ、はなくそをわらう)
自分の欠点に気付かず、他人の欠点をあざ笑うたとえ。 目糞が鼻糞のことを汚いと笑うとの意から。 「鼻糞が目糞を笑う」ともいう。
目を引く(めをひく)
他人の注意をむけさせる。
横槍を入れる(よこやりをいれる)
他人の話や仕事に、はたから文句をつけること。
蠟燭は身を減らして人を照らす(ろうそくはみをへらしてひとをてらす)
自分の身を犠牲にして、他人のためにつくすことのたとえ。
碌でなしが人の陰言(ろくでなしがひとのかげごと)
役に立たない者が他人の悪口を言うこと。
我が口に甘ければ人の口にも甘し(わがくちにあまければひとのくちにもあまし)
自分の好むことは他人もまた好むものである。 自分がよいと思うことは人にも施すべきであるということ。
我が心を獲たり(わがこころをえたり)
他人の言葉や行いが、自分の心にぴったり適っていること。