「戒めの言葉」に関連する故事・ことわざ・慣用句 — 346 件
「戒めの言葉」に関連する故事・ことわざ・慣用句を一覧で紹介します。各語を選択すると意味・読み方などの詳細を確認できます。全346件を五十音順に掲載しています。
ことわざ一覧(五十音順)
相手のない喧嘩はできぬ(あいてのないけんかはできぬ)
受けて立つ者がいなければ喧嘩は成り立たないから、喧嘩を売られても相手にするなというおしえ。
愛は小出しにせよ(あいはこだしにせよ)
人を愛する時は、少しずつ長く続けるのがよいということ。
垢も身のうち(あかもみのうち)
垢も身体の一部であるから、長湯して丹念に身体を洗うのもほどほどにせよという、風呂好きの人をからかって言うことば。「腹も身の内」をもじったことば。
悪人の友を捨てて善人の敵を招け(あくにんのともをすててぜんにんのかたきをまねけ)
たとえ友人でも悪人ならば自分に害を及ぼすので縁を切り、たとえ敵でも善人ならば味方として迎え入れるべきだという教え。 「敵」は「てき」とも読む。
悪は延べよ(あくはのべよ)
悪事をはたらかなければならないなら、できるだけ延期したほうがよい。その間に事情が変わって実行しないですむかもしれないということ。
明けた日は暮れる(あけたひはくれる)
朝が明ければ必ず暮れが来るように、よい時もいつまでもは続かないというたとえ。 盛りの次には衰えが来るものだという戒め。
阿漕が浦に引く網(あこぎがうらにひくあみ)
人に隠れて行う事も、度重なると人に知られてしまうということのたとえ。 「阿漕が浦」は三重県津市東部の海岸で、伊勢神宮に奉納する魚を捕るため一般人は禁猟区であったが、ある漁夫がたびたび密漁を行い捕らえられたということから。
浅い川も深く渡れ(あさいかわもふかくわたれ)
物事を行う時は、注意を怠らず決して油断してはいけないということ。 浅い川を渡る時も、深い川を渡る時と同じように注意して渡るべきという戒め。 「浅き川も深く渡れ」ともいう。
朝雷に川渡りすな(あさかみなりにかわわたりすな)
朝方に鳴る雷は大雨や嵐の前兆であり、川が増水して危険になるため、川を渡って向こう岸へ行くような遠出は控えるべきだという戒め。
朝寝朝酒は貧乏の元(あさねあさざけはびんぼうのもと)
朝寝坊をしたり朝から酒を飲んだりするような怠け者は、やがて貧乏になって生活に困るようになるということ。 怠けた暮らしが、後に生活の困窮を招く原因になるという戒め。
朝寝八石の損(あさねはちこくのそん)
朝寝坊をすると健康を損なうだけでなく、仕事の能率も下がり、多大な損失を招くという戒め。 「八石」は極めて大きな分量のたとえ。「一石」は百升(約一八〇リットル)。
朝油断の夕かがみ(あさゆだんのゆうかがみ)
朝に気を緩めて仕事を怠ると、夕方になって行き詰まり困り果てるということ。 物事は初めが肝心であるという戒め。 「かがみ」は、屈(かが)むこと。
足下の明るいうち(あしもとのあかるいうち)
自分が不利な状態にならないうちに、手遅れにならないうちに、ということ。
明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
今できることを明日に延ばしていると、その機会は二度と来ないかもしれないということ。思い立ったらすぐ行えという戒め。 また、人の命がいつまで続くか分からないことのたとえ。 咲きそろった桜も、その夜のうちに嵐が来れば残らないとの意から。 歌は「夜半に嵐の吹かぬものかは」と続く。親鸞が詠んだものと伝える。
明日は我が身(あすはわがみ)
災難がいつ自分の番に回ってきてもおかしくないということ。人の不幸を見て用心せよという戒め。 「今日は人の上、明日は我が身の上」の後半を取り出した言い方。
頭剃るより心を剃れ(あたまそるよりこころをそれ)
外見より精神が大事だということ。 頭を剃って姿だけ僧になるより、まず心を清めよということ。
頭の上の蠅を追え(あたまのうえのはえをおえ)
身にふりかかっている厄介ごとを片づけないまま、よそへ口を出している。 手元も収まらぬうちに動く者へ、あきれ半分に投げる言葉。 「頭の上の蠅を追う」ともいう。
穴の貉を値段する(あなのむじなをねだんする)
手に入るかどうかも分からないものを勘定に入れて事を運ぶ、うかつさをいう言葉。 穴に潜んだままの貉を、まだ一匹も仕留めぬうちからいくらで売れると値踏みする意から。
危ないことは怪我のうち(あぶないことはけがのうち)
危ないことには、はじめから近寄るなという教え。 危険なことはもう怪我の圏内に入るとの意から。
雨垂れは三途の川(あまだれはさんずのかわ)
家から一歩出れば、どんな災難や危険が待ちかまえているかわからないということ。 軒下から落ちる雨だれを、あの世とこの世の堺である三途の川に見立てて、家から一歩出たら十分に注意せよとの戒めのことば。
網なくて淵を覗くな(あみなくてふちをのぞくな)
十分な用意なしでは物事はうまくいかないというたとえ。また、努力もしないで人を妬んではいけないということ。網を持たずに淵を覗き込んでも、魚は捕れるわけがないという意味から。
過ちて改めざる是を過ちと謂う(あやまちてあらためざるこれをあやまちという)
人は過ちを犯したらすぐに反省して改めるべきであり、過ちを犯して改めようとしないことが本当の過ちであるということ。 「過ちを改めざる是を過ちと謂う」ともいう。
過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)
過ちを犯したことに気がついたら、体面や体裁などにとらわれず、すぐに改めるべきだという戒め。
蟻の穴から堤も崩れる(ありのあなからつつみもくずれる)
見て見ぬふりをした小さな綻びが、後で手の付けられない事態を呼ぶ。 始まりは、指の先ほどの穴でしかない。
慌てる乞食は貰いが少ない(あわてるこじきはもらいがすくない)
急ぎ過ぎると、かえって失敗したり損をすることのたとえ。 先を争って施し物を貰おうとすると反感を買ってしまい、貰える物が少なくなってしまうとの意から。
いい後は悪い(いいあとはわるい)
いい事があった後は、とかく悪いことが起こりがちであるから、調子に乗ってはいけないということ。
言いたいことは明日言え(いいたいことはあすいえ)
言いたいと思ったことは、その場で口にせず一日おく。翌日になってもなお言うべきだと思えるなら、それは言ってよい言葉である。
言うた損より言わぬ損が少ない(いうたそんよりいわぬそんがすくない)
しゃべり過ぎに注意せよという戒めの言葉。 言い過ぎや言い間違いから受ける損より、黙っていたために受ける損のほうが少ないとの意から。
謂う勿れ、今日学ばずして来日ありと(いうなかれ、こんにちまなばずしてらいじつありと)
明日があるからといって、今日学ぶべきことを後回しにしてはいけない。学びはその時その時で真剣に取り組むべきであるということ。 朱熹が若者に対して学問に励む心構えを説いたもの。 さらにこの後に「謂う勿れ、今年学ばずして来年ありと」と続く。 「謂う」は「言う」とも書く。
言うは易く行うは難し(いうはやすくおこなうはかたし)
口で唱えるだけならいくらでもできるが、そのとおりに身を動かすとなると容易ではない。 立派なことを言う者が必ずしも徳のある者とは限らないのはそのためだ、と説かれた言葉。
怒りは敵と思え(いかりはてきとおもえ)
怒りは慎むべきであるという戒めの言葉。 怒りの感情を持てば、相手からの怒りや憎しみを招くことになり、結局自分の身を滅ぼすことになるということ。 徳川家康の遺訓のひとつ。
怒りを遷さず(いかりをうつさず)
腹が立つことがあっても、他人に当たり散らしてはいけないということ。
石に布団は着せられず(いしにふとんはきせられず)
親が生きているうちに孝行すべきで、死後に悔やんでも遅いということ。 墓石に布団を着せて温めても無意味であることから。 「石」は「墓」ともいう。
医者よ自らを癒せ(いしゃよみずからをいやせ)
人を諭す者は、まず我が身を正すのが先だ。 他人の病を治す医者こそ、先に自分の病を治せ、の意。
急がば回れ(いそがばまわれ)
急を要することは時間や手間がかかっても安全確実にやる方が得策だということ。急ぐ時に危険な近道を通るより遠回りでも安全な道を行く方が結局早く着く意から。
急ぎの文は静かに書け(いそぎのふみはしずかにかけ)
急ぎの手紙ほど大事な用件が多く、あせって早く書こうとすると間違うことが多いので、落ち着いてゆっくり書いたほうがいいということ。
急ぐな休むな(いそぐなやすむな)
早く仕事の成果をあげようと焦ると、落ち度があったり疲れすぎたりするし、休んでばかりでは仕事がはかどらない。大きな仕事を成し遂げるためには、あわてずに、また休み過ぎずにするのがよいということ。
一日再び晨なり難し(いちじつふたたびあしたなりがたし)
一日に二度朝が来ることがない。だから時間を大切にして勉学に励めという戒めのことば。「晨」は朝の意。
一度あることは二度ある(いちどあることはにどある)
一度起きたことは、後でまた同じようなことが起こりやすいので注意せよということ。この後に続けて「二度あることは三度ある」ともいう。
一度はままよ二度はよし(いちどはままよにどはよし)
悪事を行うとき、最初は良心がとがめながら、なるようになれという気で行うが、二度目からはなんとも思わなくなり平気でのめりこんでいくということ。
一日の計は朝にあり一年の計は元旦にあり(いちにちのけいはあさにありいちねんのけいはがんたんにあり)
一日の計画は朝のうちに立て、一年の計画は元旦に立てよということ。
一寸の光陰軽んずべからず(いっすんのこういんかろんずべからず)
ほんのわずかな時間でも無駄にしてはいけないということ。「光陰」は月日、時間の意。
一銭を笑う者は一銭に泣く(いっせんをわらうものはいっせんになく)
わずかな金銭を粗末に扱うものは、いつかそのわずかな金銭に泣くはめになる。たとえわずかな金額でも大事にしなければならないという戒めのことば。
一朝の怒りにその身を忘る(いっちょうのいかりにそのみをわする)
一時的な怒りのために我を忘れて行動すること。 また、そのような行動は身を滅ぼすことになるという戒め。 「一朝の怒りに一生を過つ」ともいう。
一杯は人酒を飲む、二杯は酒酒を飲む、三杯は酒人を飲む(いっぱいはひとさけをのむ、にはいはさけさけをのむ、さんばいはさけひとをのむ)
多量に酒を飲むことを戒めた言葉。 酒も少量のうちはよいが、多量になると自制心をなくし、しまいには人が酒に飲まれ乱れてしまうということ。
いつまでもあると思うな親と金(いつまでもあるとおもうなおやとかね)
独立と倹約を心がけよという戒めのことば。 親はいつまでも面倒見てくれるわけでもなく、金も使えばなくなることから。
犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ(いぬはみっかかえばさんねんおんをわすれぬ)
犬は三日間餌をやってかわいがれば三年間恩を忘れない。犬でさえそうなのだから、人間は受けた恩を忘れてはいけないという戒めの言葉。
命あっての物種(いのちあってのものだね)
何事も命があるからこそできる。だから命に関わるような危険なことはなるべく避けたほうがいいということ。 「物種」は物の根源の意。
今の情けは後の仇(いまのなさけはのちのあだ)
一時の安易な同情による手助けは、かえって相手のためにならず、あとになって害になることがあるということ。
殷鑑遠からず(いんかんとおからず)
戒めとなる失敗の例は、すぐ身近にあるというたとえ。 殷の国民が鑑(かがみ)とすべき手本は、遠い時代に求めなくても、前代の夏(か)の滅亡がよい戒めであるとの意から。
上には上がある(うえにはうえがある)
どれほどのものに出会っても、その先にはさらに勝るものが控えている。 自分の見ているところが天井だと思い込むなという戒めであり、並外れたものを目の当たりにして驚くときの言葉でもある。
上を見れば方図がない(うえをみればほうずがない)
上を見ればきりがないから、節度をわきまえよということ。「方図」は際限の意。
うかうか三十きょろきょろ四十(うかうかさんじゅうきょろきょろしじゅう)
歳月の過ぎるのが早く、人生が無為に過ぎることのたとえ。 うかうか過ごしているうちに三十代になり、きょろきょろしている間に四十代になってしまうとの意から。
浮世の苦楽は壁一重(うきよのくらくはかべひとえ)
苦しい暮らしと安楽な暮らしとを分けているのは、仕切り一枚ほどの薄い境にすぎない。人の境涯はたやすく裏返るのだから、嘆くにも浮かれるにも先走らぬがよい。
浮世渡らば豆腐で渡れ(うきよわたらばとうふでわたれ)
世渡りは、内面にやさしさと柔軟性をもち、物事のけじめはきっちりとつけよというたとえ。豆腐は外見が四角くきちんとした形だが、内は柔らかいことから。
嘘つきは泥棒の始まり(うそつきはどろぼうのはじまり)
平気で嘘をつくようになると、泥棒をするのも平気になるということ。
嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる(うそをつくとえんまさまにしたをぬかれる)
嘘をつくと、死んでから地獄の閻魔大王に悪い舌を抜かれる。だから嘘をついてはいけないと、子どもを戒めたことば。
旨い事は二度考えよ(うまいことはにどかんがえよ)
うまい話には裏があったり危険が伴うことがあるので、すぐに飛びつかずにじっくり考えるのがよいという戒めの言葉。
馬持たずに馬貸すな(うまもたずにうまかすな)
物の扱い方を知らない人に、物を貸してはいけないということ。 「馬持たず」は馬を持っていない人のこと。 馬を持ったことのない人は、馬を粗末に扱うかもしれないので貸してはいけないとの意から。
怨みほど恩を思え(うらみほどおんをおもえ)
人は怨みという感情はなかなか忘れないが、恩義を受けたことは忘れがちである。怨みを忘れないのと同じように、恩を忘れてはいけないということ。
運を待つは死を待つに等し(うんをまつはしをまつにひとし)
努力せずに、ただ幸運を待っているのは、自らの死を待つように愚かなことだということ。
得手に鼻つく(えてにはなつく)
手慣れた仕事ほど、確かめる手順を飛ばして運んでしまう。慣れが仇になって、なんでもない所で取りこぼす。
宴安は酖毒(えんあんはちんどく)
働きもせず遊興に身を任せていると、じわりと効く毒を口にしたのと同じで、やがて立ち行かなくなるという教え。 「宴安」は骨を折らずに過ごす安楽、「酖毒」は鴆という鳥の羽を漬け込んだ毒の酒のこと。
遠慮なければ近憂あり(えんりょなければきんゆうあり)
先々まで見渡しておかないと、じきに足下で厄介が持ち上がる。 「遠慮」は行く末まで思いをめぐらせること、「近憂」はすぐそこに迫る面倒をいう。
遠慮ひだるし伊達寒し(えんりょひだるしだてさむし)
遠慮も見栄もほどほどにせよということ。 「ひだるし」はひもじいの意。 食事を遠慮して食べないとひもじい思いをし、格好を気にして薄着でいると寒い思いをするとの意から。
老いては子に従え(おいてはこにしたがえ)
年をとったら出しゃばらずに、何事も子どもに任せて従っていくほうがいいということ。
老いてはますます壮んなるべし(おいてはますますさかんなるべし)
年老いてもますます元気で意気盛んでなければならないということ。
負うた子に教えられて浅瀬を渡る(おうたこにおしえられてあさせをわたる)
人は時には自分より経験の浅い年下の者から物事を教わることもあるというたとえ。背中に負ぶった子に浅瀬を教えられて川を無事に渡るとの意から。
逢うた時に笠を脱げ(おうたときにかさをぬげ)
知り合いに会った時は、まず挨拶をしなさいということ。 礼儀の大切さを説いた教え。
大嘘はつくとも小嘘はつくな(おおうそはつくともこうそはつくな)
誰も信用しないような大きな嘘はついても害が少ないが、小さな嘘は真偽がわかりにくく、人が信じ込む恐れがあるので、ついてはいけないということ。
置かぬ棚をも探せ(おかぬたなをもさがせ)
念には念を入れて探せということ。 絶対に置いたはずのない棚でも念のために探してみるべきとの意から。
起きて半畳、寝て一畳(おきてはんじょう、ねていちじょう)
人間は必要以上の豊かさをもとめても仕方ないということ。どんなに大きな家に住んでいようと、人一人が必要とする広さは、起きている時は半畳、寝る時も一畳あればすむということから。
驕る平家は久しからず(おごるへいけはひさしからず)
驕り高ぶって滅亡した平家のように、贅沢を尽くし勝手気ままにふるまう者は、長く栄えることなく早く滅びてしまうというたとえ。
男伊達より小鍋だて(おとこだてよりこなべだて)
男気で張り合うより、鍋一つ囲む所帯の日々のほうを手放さない。 「小鍋だて」は小鍋で煮炊きすること。人前の男ぶりと、内輪の煮炊きとを引き比べた句。
己の欲する所を人に施せ(おのれのほっするところをひとにほどこせ)
人からこうしてほしいと望むことを、そのまま人に向かって行いなさいという教え。 自分の望みを物差しにして相手への振る舞いを決めよ、と説いたもの。裏返して「己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ」と戒める言い方もある。
己の欲せざる所は人に施すこと勿れ(おのれのほっせざるところはひとにほどこすことなかれ)
自分が他人からされたくないと思うことは、決して他人にしてはならないということ。
己を責めて人を責めるな(おのれをせめてひとをせめるな)
自分の責任でさせたことを、人のせいにするなということ。徳川家康の遺訓から。
親子の仲でも金銭は他人(おやこのなかでもきんせんはたにん)
金銭に関しては、親子の間でも他人と同じようにけじめをつけるべきだということ。
親の甘茶が毒となる(おやのあまちゃがどくとなる)
親が子どもを甘やかして育てると、その子のためにならず、むしろ毒になるということ。
親を睨むと鮃になる(おやをにらむとひらめになる)
親に反抗したりおろそかに扱ったりしてはいけないという戒めの言葉。 親を睨んだりすると、ばちが当たって鮃(ひらめ)のように目がかたよってしまうとの意から。 「親を睨むと鰈(かれい)になる」ともいう。
俺は言わぬがわれ言うな(おれはいわぬがわれいうな)
相手に口止めしながら、自分が人に秘密を漏らす人間に対していう言葉。「われ」は、お前のこと。俺は人には言わないが、おまえこそ人に秘密をしゃべらないように気をつけろという戒めの言葉。
海中より盃中に溺死する者多し(かいちゅうよりはいちゅうにできしするものおおし)
海で溺れて死ぬ人より酒の飲みすぎで死ぬ人の方が多いということ。
買うは貰うに勝る(かうはもらうにまさる)
人から物を貰えば得したような気がするが、気持ちの負担になるし相手に借りができてしまったりする。物はもらうよりも自分で買うほうがよいということ。
懸かるも引くも折による(かかるもひくもおりによる)
押していくにも身を引くにも、それぞれ頃合いというものがある。合わせ損なえば、どちらも裏目に出る。 「懸かる」は打って出ること。
傘と提灯は戻らぬつもりで貸せ(かさとちょうちんはもどらぬつもりでかせ)
傘と提灯は、必要な時以外は忘れがちな物だから、貸す時は返してもらえないつもりで貸せということ。
数を言うまい羽織りの紐(かずをいうまいはおりのひも)
言葉数が多ければそれだけ災いを招くから、思いついたことをむやみに口へ出すなという教え。 「数を言うまい羽織の紐よ、かたく結んで胸に置く」という俗謡の文句によるもので、紐を固く締めるように口も締めておけという言い方。
風邪は万病のもと(かぜはまんびょうのもと)
ちょっとした風邪と侮るうちに、そこから重い病への入り口が開く。 引き始めのうちに手を打っておくものだ。
堅き氷は霜を履むより至る(かたきこおりはしもをふむよりいたる)
厚く張る氷も、はじめは踏めば消えるほどの霜から積み重なっていく。大きな事態は目にも留まらぬ小さな始まりから育つのだから、早いうちに手当てをしておけ。
勝った自慢は負けての後悔(かったじまんはまけてのこうかい)
勝負に勝った時に自慢しすぎると、負けた時に引っ込みがつかず、恥ずかしい思いをして後悔するということ。
勝って兜の緒を締めよ(かってかぶとのおをしめよ)
戦いに勝っても油断しないで心を引き締めよという戒めの言葉。 戦いに勝って兜を脱いだ時に、敵に襲われたらひとたまりもないので、勝っても兜の緒を締めなおして気を抜くなとの意から。
餓えて死ぬは一人、飲んで死ぬは千人(かつえてしぬはひとり、のんでしぬはせんにん)
餓えて死ぬ人間は少ないが、酒の飲みすぎが原因で死ぬ人間は非常に多いということ。
渇に臨みて井を穿つ(かつにのぞみていをうがつ)
必要に迫られてから慌てて対処しても間に合わないことのたとえ。事前に適切な対策や準備をしておかなければならないということ。 のどが渇いてから、ようやく井戸を掘るとの意から。
瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず(かでんにくつをいれず、りかにかんむりをたださず)
人は、こちらの言い分よりも見えた形のほうを覚えている。だから紛らわしい場所には初めから立たず、あとで申し開きをせずに済むようにしておく。
金請けするとも人請けするな(かねうけするともひとうけするな)
借金の保証人になっても、身元保証人にはなるなということ。人の保証人になると厄介なことが多いことをいう。
金の貸し借り不和の基(かねのかしかりふわのもと)
金銭のやり取りが間に入ると、それまで親しかった間柄でも角が立ちやすい。返す返さぬでこじれて縁まで切れるくらいなら、はじめから貸し借りには手を出さぬがよい。
金は良き召し使いなれど悪しき主なり(かねはよきめしつかいなれどあしきしゅなり)
金は自分の意思で運用しているうちはよいが、金に使われるようになると害をもたらすという戒め。
金を貸せば友を失う(かねをかせばともをうしなう)
金の貸し借りには問題が起こりやすく、親しい友人同士でも金の貸し借りはするべきではないという戒め。
株を守りて兎を待つ(かぶをまもりてうさぎをまつ)
古い習慣や過去の偶然の成功にこだわり、進歩や向上がないことのたとえ。 中国・宋の農民が農作業をしていると、兎が木の切り株にぶつかって死んだ。農民は労せず兎を手に入れることができたその経験以来、農作業をせずに毎日切り株を見張っていたという故事から。 「守株」ともいう。
壁に耳あり障子に目あり(かべにみみありしょうじにめあり)
どこで誰が見たり聞いたりしているかわからないので、話す内容には十分気をつけなくてはいけないという戒めの言葉。 密かに話しているつもりでも、壁に耳を当てて聞いたり、障子に穴をあけてのぞいたりしている者がいるかもしれないとの意から。 「壁に耳障子に目」「壁に耳」「壁に耳あり」「障子に目」などともいう。
壁の穴は壁で塞げ(かべのあなはかべでふさげ)
何事も一時しのぎではうまくいかないというたとえ。壁にあいた穴は同じ壁土で塞ぐべきで、手近なありあわせの物を使っても間に合わせにすぎないということから。
神様にも祝詞(かみさまにものりと)
わかりきったことでも、黙っていては相手に通じないので、口に出して言うほうがよいというたとえ。 いくら神様でも、お祈りの言葉を聞かなければその人の願いは分からないとの意から。
癇癪持ちの事破り(かんしゃくもちのことやぶり)
気短な人間は少しのことでも怒り出して、決まりかけた話や計画を台無しにしてしまうことがあるということ。
聞いた事は聞き捨て(きいたことはききすて)
人から聞いた事は、その場かぎりの話として聞き捨てるのがよいということ。 人から聞いた話を、面白半分に他の人にしゃべるなということ。
既往は咎めず(きおうはとがめず)
過ぎ去ったことをあれこれ咎めても仕方がない。これから先のことを大切にせよということ。
奇貨、居くべし(きか、おくべし)
絶好の機会は、逃さずうまく利用せよということ。 秦の国の相となった呂不韋がまだ若くて商人だった頃、趙の人質となっていた太子の子、子楚を助けて将来うまく利用しようと「此れ奇貨居くべし」と言った故事にもとづく。 「奇貨」は珍しい品物、「居く」は蓄えるの意。
聞かぬ事は後学にならず(きかぬことはこうがくにならず)
どんなことでも聞いておかなければ将来のための教養にならないということ。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥(きくはいっときのはじ、きかぬはいっしょうのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時の恥で済むが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしいということ。
雉も鳴かずば撃たれまい(きじもなかずばうたれまい)
黙っていれば見過ごされたものを、ひと言もらしたばかりに目を付けられる。 言わずに済むことは言わずにおくほうが身のためである。
木は木、金は金(きはき、かねはかね)
物事はきちんとけじめをつけるべきだということ。
今日できることを明日まで延ばすな(きょうできることをあすまでのばすな)
やればすぐできることを、明日やろうと一日延ばしにしないで思いついたらすぐにやれという戒めの言葉。
今日の後に今日なし(きょうののちにきょうなし)
今日という日は二度とやってくることはない。だから今日できることは今日やっておけという戒めの言葉。
今日の一針、明日の十針(きょうのひとはり、あすのとはり)
すぐにしなければならないことを先延ばしすると、余計に手間がかかるということのたとえ。 今日なら一針縫えば済むのに、明日に延ばせばほころびが広がり、十針も縫わなければならなくなるとの意から。
今日は人の上、明日は我が身の上(きょうはひとのうえ、あすはわがみのうえ)
今日は人の身に起きたことが、明日は自分の身に起きるかもしれない。人の災難を、自分には縁のないものと見てはならないという戒め。 後半だけを取り出して「明日は我が身」ともいう。
切る手遅かれ(きるておそかれ)
事を決行したり、決断を下したりする前によく熟慮せよということ。
金銭は他人(きんせんはたにん)
金銭に関しては、たとえ親子の間でも、他人と同じようにけじめをつけなければならないということ。
金の卵を産む鵞鳥を殺すな(きんのたまごをうむがちょうをころすな)
目先の大きな儲けに目がくらんで、末長く入ってくるはずの利を自ら断つな、という戒め。 毎日ひとつずつ金の卵を産む鵞鳥の腹を、飼い主が待ちきれずに割き、鳥もろとも実入りを失ったという寓話にもとづく。
義を見てせざるは勇なきなり(ぎをみてせざるはゆうなきなり)
筋を通すべき場面だと分かっていながら身体が動かないなら、それは腹が据わっていない証しである。損得や体面を先に量る者は、ここぞの一歩を踏み出せない。
草を打って蛇を驚かす(くさをうってへびをおどろかす)
一人を叱ってみせ、周りの者にも同じ轍を踏ませまいと知らせるやり方。また、うかつに手を出したせいで、伏せていたものを目覚めさせてしまうことも指す。
口から出れば世間(くちからでればせけん)
いったん口に出したことは、いつの間にか世間に広まるから、口は慎めということ。
口と財布は締めるが得(くちとさいふはしめるがとく)
口と財布はきちっと締めておいたほうが得策だから、おしゃべりと浪費は慎めということ。
口は閉じておけ、目は開けておけ(くちはとじておけ、めはあけておけ)
よけいなことをしゃべらず、物事はしっかり見よということ。
口は虎、舌は剣(くちはとら、したはつるぎ)
ものの言いようひとつで人を噛み、自分をも斬るということ。 口は虎、舌は剣と並べて、言葉の荒々しさと鋭さを二つに分けて示した言い方。放てば相手に食いつき、返す刃で自分を傷つける。
口は災いの元(くちはわざわいのもと)
何気なく漏らした一言が、あとを引く揉め事の火種になる。 言わずもがなの一言を呑み込めるか否かが、身の安泰の分かれ目になる。
口故に身を果たす(くちゆえにみをはたす)
言ってはならないことを口にしたり、思わず余計なことを言い過ぎたりして、自分の立場や身の上に大きな不利益を招くこと。 言葉は慎むべきであるという戒め。
食ってすぐ寝ると牛になる(くってすぐねるとうしになる)
食べてすぐ横になる行儀の悪さを戒めることば。
食らえどもその味わいを知らず(くらえどもそのあじわいをしらず)
何事も精神を集中しないと、身につかないというたとえ。ただ食べていたのでは、その食べ物の味はわからないという意味から。
君子、危うきに近寄らず(くんし、あやうきにちかよらず)
徳のある人は自分を大事にするので、危険なことには決して近づかないということ。
君子に三戒あり(くんしにさんかいあり)
人格者が自ら慎む三つのこと。青年期の色欲、壮年期の争い事、老年期の強欲をいう。
君子は独りを慎む(くんしはひとりをつつしむ)
誰にも見られていない時ほど、その人の地は出る。徳を積んだ者は、そこでの振る舞いこそを最も厳しく検める。
言は簡を尊ぶ(げんはかんをたっとぶ)
話は無駄がなく、要領よく簡潔に話すのが大切だということ。
後悔、先に立たず(こうかい、さきにたたず)
事が済んでしまったあとで後悔しても取り返しがつかない。だから、物事を行う前に十分考えることが大切だということ。
好機逸すべからず(こうきいっすべからず)
絶好の機会は逃してはならないということ。
孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし)
親の値打ちは、こちらが同じ年恰好になってようやく腑に落ちる。腑に落ちたころには相手はもういない——その食い違いを嘆いた川柳が、そのままことわざになった。
好事、魔多し(こうじ、まおおし)
よいことが実現しそうな時には往々にして邪魔が入りやすいということ。
好事も無きに如かず(こうじもなきにしかず)
よい出来事も、無ければ無いで煩わしさがない。喜びごとには必ず面倒がついて回るので、何事も起こらない平穏がいちばんだという教え。
心に笠着て暮らせ(こころにかさきてくらせ)
笠をかぶれば、頭より上のものは目に入らない。そのように、おのれの丈を越えたものへは目を向けず、いま手の内にあるだけで事足りるとして日を送れ。
心の仇は心(こころのあだはこころ)
人を追い詰めるものは外にはない。みずからの欲や迷いこそが敵である。
心の駒に手綱許すな(こころのこまにたづなゆるすな)
過ちを犯さないように、常に心を引き締めよということ。 「駒」は馬のこと。心を馬にたとえて、放っておくと悪い方へ走りがちなので、手綱を引き締めて制御せよとの意から。
心の師とはなれ心を師とせざれ(こころのしとはなれこころをしとせざれ)
自分の心は自ら律するべきであり、心のままに感情に流されてはいけないということ。
事が延びれば尾鰭が付く(ことがのびればおひれがつく)
物事は長引くと余計な問題が起こって面倒になるので、なるべく早く処理せよということ。
言葉多きは品少なし(ことばおおきはしなすくなし)
口数の多い人は軽薄で品位に欠けるという、おしゃべりを戒める言葉。
子供川端、火の用心(こどもかわばた、ひのようじん)
子どもが川に落ちないように注意することと、火の用心をすることが大事だということ。
小糠三合あったら婿に行くな(こぬかさんごうあったらむこにいくな)
男はわずかでも財産があるなら、気苦労の多い婿養子にはならずに独立して生計を立てよということ。 「小糠三合」は、わずかな財産のたとえ。 「婿に行くな」は「入り婿すな」「養子に行くな」などともいう。 「小糠」は「粉糠」とも書く。
御意見五両、堪忍十両(ごいけんごりょう、かんにんじゅうりょう)
他人の意見をよく聞いて何事にも耐えることが大事だというたとえ。 人の忠告は五両の値打ちがあり、辛いことや怒りを耐え忍ぶことは十両の値打ちがあるということ。
郷に入っては郷に従え(ごうにいってはごうにしたがえ)
場所によって風俗や習慣が違うので、住む土地の習慣や慣習に従うのがよいということ。「郷」は地方・田舎の意。
極楽願わんより地獄作るな(ごくらくねがわんよりじごくつくるな)
よい来世を望む前に、堕ちるもとになる行いを断てという教え。先の果報を数えるより、いま積んでいる罪を減らすほうが確かだということ。
歳月、人を待たず(さいげつ、ひとをまたず)
時は人の都合などおかまいなしに刻々と過ぎ去っていくので、時間を無駄にせず大事に過ごすべきであるということ。 「光陰人を待たず」「時は人を待たず」ともいう。
災難の先触れはない(さいなんのさきぶれはない)
人はいつ災難に遭うかわからないから、日頃の用心が大切であるということ。
財布の紐は首に掛けるより心に掛けよ(さいふのひもはくびにかけるよりこころにかけよ)
財布の紐を首に掛けて金を盗まれないようにするより無駄遣いしないように心がけるほうが大事だということ。
酒と朝寝は貧乏の近道(さけとあさねはびんぼうのちかみち)
酒を飲み過ぎ、朝寝をして怠けていれば、たちまち貧乏になってしまうということ。
酒は三献に限る(さけはさんこんにかぎる)
酒は適量を飲むのがいいということ。「三献」は酒宴の礼法で、大・中・小の杯で酒を三杯勧めることを一献といい、それを三回繰り返した三献がほどよい量ということから。
酒は飲むとも飲まるるな(さけはのむとものまるるな)
酒は適度に飲むのはよいが、飲みすぎて理性を失うような飲み方をしてはいけないということ。
酒は飲むべし飲むべからず(さけはのむべしのむべからず)
酒は適量を飲むのはよいが、それは実際には難しいから、まずは飲まないほうがいいという戒めの言葉。
酒は百毒の長(さけはひゃくどくのちょう)
酒には良い点はなにもなくて、毒そのものであるということ。
三尺下がって師の影を踏まず(さんじゃくさがってしのかげをふまず)
師のそばへ寄りすぎるのは、教えを受ける身の作法から外れる。 親しさに紛れて敬いが崩れぬよう、後ろへ退いて歩けと説く。
三寸の舌に五尺の身を亡ぼす(さんずんのしたにごしゃくのみをほろぼす)
口を滑らせた一言が跳ね返り、築き上げた地位も暮らし向きも根こそぎ奪ってしまう。
三人寄れば公界(さんにんよればくがい)
人が三人集まれば、そこはもう公の場所と考えるべきであり、そこでの言動を秘密にするのは難しいということ。 「公界」は、公の場所。世間。
財宝は身の敵(ざいほうはみのかたき)
人は財宝を持ったせいで人生を踏み外すことがあるという戒め。
座して食らえば山も空し(ざしてくらえばやまもむなし)
入るものが絶えたまま食べる一方では、どれほど積み上げた蓄えでも先細って消えてしまう。 手を動かさずに日を送る者へ突きつける言葉。
座右の銘(ざゆうのめい)
常に自分のそばに書き記しておいて心に留め、戒めとする言葉。「座右」は、身近の意。
仕上げが肝心(しあげがかんじん)
どれほど手を尽くしてきても、出来ばえを決めるのは終わりぎわの一手だということ。 「仕上げ」はもともと、普請や縫い物で最後に形を整える工程をいう。そこを粗末にすれば、それまでの手間がまるごと台無しになる。
思案の案の字が百貫する(しあんのあんのじがひゃっかんする)
事に当たる前にひと思案しておくだけで、それが百貫の重みになる。とにかくよく考えてから動け、ということ。 「貫」は昔の銭の単位で、一文銭千枚が一貫。「思案」の二字のうち「案」の一字だけで、その百倍が付くと踏んだわけである。
塩を売っても手を嘗めろ(しおをうってもてをなめろ)
塩を売る商人が、手に付いた塩も無駄にせず嘗めるように、細かな事にも注意して、無駄のないように気をつけよという戒めの言葉。
四月の中の十日に心なしに雇われるな(しがつのなかのとおかにこころなしにやとわれるな)
四月の中旬頃は日が長いので、思いやりのない人に雇われるといつまでも働かされるので気をつけよということ。また、その頃の日中の時間が長いことをいう。
舌三寸に胸三寸(したさんずんにむねさんずん)
口から出るわずかな言い回しと、ふと浮かんだ思案。その二つが物事の行方を決めてしまうのだから、どちらも粗略に扱ってはならない。
親しき仲に垣をせよ(したしきなかにかきをせよ)
親しい間柄でも遠慮がなくなると不仲のもとになるので、節度を守れという戒めの言葉。 「思う仲には垣をせよ」「良い仲には垣をせよ」「睦まじき仲に垣をせよ」「近しき仲にも垣を結え」などともいう。
親しき仲にも礼儀あり(したしきなかにもれいぎあり)
気心が知れた相手ほど、言葉も振る舞いも省かれていく。省いた分だけ間柄はすり減るので、形は形として絶やさないでおく。
舌の剣は命を絶つ(したのつるぎはいのちをたつ)
舌は刃物と同じで、そこから放たれた一言が人の命さえ奪いかねないということ。 刃を交えずに人を倒してしまうものだけに、口の利きようには重々気を配らねばならない。
舌は禍の根(したはわざわいのね)
わざわいの根をたどっていけば、多くは自分の口から出た一言に行き着くということ。 舌はその根の生えている場所なのだから、うかつに動かすなという戒め。
駟も舌に及ばず(しもしたにおよばず)
失言は取り返しがつかないから、言葉には十分気をつけよということ。 「駟」は四頭立ての馬車。 一度口にした言葉は、四頭立ての速い馬車で追っても追いつけないという意味から。 「駟馬も追う能わず(しばもおうあたわず)」ともいう。
霜を履んで堅氷至る(しもをふんでけんぴょういたる)
足もとに霜が置くようになれば、ほどなく水は堅く凍る。ささやかな不穏の芽を見過ごしていると、事はいつしか引き返せないところまで進む。
正直は最善の策(しょうじきはさいぜんのさく)
正直であることが目的を果たすためには最も良い策であるという教え。
小事は大事(しょうじはだいじ)
些細なことから大事が起こる。小事だからといって物事をあなどってはいけないということ。
小人閑居して不善をなす(しょうじんかんきょしてふぜんをなす)
器の小さい者は、手の空いた時間の使い道を知らない。 することが無くなったとたん、余計な方へ向かってしまう。 人物のできた相手を前にすると、しでかした分を取り繕おうとする、というところまでが一続きに述べられている。 「小人」は、君子の対で器量のせまい人。「閑居」はひとり暇にしていること。
少年老い易く学成り難し(しょうねんおいやすくがくなりがたし)
年月は油断しているうちに、たちどころに過ぎ、すぐに年をとってしまう。学問を修めるのは難しいので、若いうちから時間を無駄にせず勉学に励めというおしえ。
初心忘るべからず(しょしんわするべからず)
ものごとを始めた時の謙虚で真剣な気持ちを忘れてはならないということ。
知らずば人に問え(しらずばひとにとえ)
分からないまま抱え込まず、心得のある人に口を開いて尋ねよ。 取り繕って通すより、その場で頭を下げたほうが早い。
知らずば人真似(しらずばひとまね)
勝手が分からない場面では、先にやっている人の手つきをそのまま写すのが安全だ。 自己流で踏み出すより、人の運びに合わせておくほうが間違いが少ない。
汁を吸うても同罪(しるをすうてもどうざい)
取り分がわずかでも、企てに加わった者は等しく責めを負う。 端の役回りだったからといって逃れられない。
地獄は壁一重(じごくはかべひとえ)
人間は一歩誤ると、罪を犯してしまいがちだということ。 地獄は壁を一枚隔てたすぐ隣にあるとの意から。
地蔵は言わぬが我言うな(じぞうはいわぬがわれいうな)
黙っていてくれと頼んだ当人のほうが、辛抱しきれずに先に喋ってしまう。道端の石仏に念を押した男が、その石仏から同じ言葉を返されたという話にもとづく。
自慢高慢、馬鹿のうち(じまんこうまん、ばかのうち)
自慢や高慢な態度は愚かしいということ。
自慢高慢酒の燗(じまんこうまんさけのかん)
自慢や高慢、酒の燗もいい加減にしておくのがいいということ。
自慢は知恵の行き止まり(じまんはちえのいきどまり)
手柄を並べ立てはじめたら、その人の知恵はもう先へ伸びない。 できたと思ったところに学ぶものはなく、伸びしろは自慢と引き換えに失われる。
十分はこぼれる(じゅうぶんはこぼれる)
容器一杯に水をいれると、ちょっとした揺れでこぼれてしまうように、物事も欲を出しすぎると失敗することがあるので、ほどほどが良いということ。
冗談にも程がある(じょうだんにもほどがある)
冗談にも程度があり、度が過ぎてはいけないということ。
粋が身を食う(すいがみをくう)
遊びの道に通じた粋人は、遊興の道にふけって最後は身を滅ぼしてしまうということ。
好いた事はせぬが損(すいたことはせぬがそん)
好きな事をしないのは損だということ。やりたい事があれば後悔しないようすぐにやったほうがよいということ。
過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)
行きすぎたものは、届かなかったものと出来ばえが並ぶ。どちらへ振れても狙った形にはならず、中ほどで踏みとどまるのがよい。
進むを知りて退くを知らず(すすむをしりてしりぞくをしらず)
前進することだけを考えて、時と場合によっては退くことも必要だということを知らないこと。
寸陰を惜しむ(すんいんをおしむ)
わずかの時間も大切にするということ。「寸陰」は、わずかの時間。
急いては事を仕損じる(せいてはことをしそんじる)
先を焦って手を早めるほどしくじりを招き、かえって時をよけいに食うということ。 ひと息ついてから取りかかるほうが、結局は早く着く。
盛年重ねて来らず(せいねんかさねてきたらず)
人の盛りは一生に一度きりで、二度目はめぐって来ない。一日に朝が二度来ないのと同じである。 だからこそ、いまのうちに励めということ。原詩はこのあと「歳月人を待たず」と結ばれている。
生命ある所希望あり(せいめいあるところきぼうあり)
人は希望と忍耐をもって生きるべきであるという戒め。 生きていれば希望は必ずあるということから。
急く事はゆるりとせよ(せくことはゆるりとせよ)
急がなければならない事は、ゆっくり落ち着いてするほうが、焦って失敗することもなく結果としては早いということ。
千石万石も飯一杯(せんごくまんごくもめしいっぱい)
禄高がいくら増えても、日ごとの膳に載る量までは増えない。取り分の多さと暮らしの実際とは、初めから別のことである。
千畳敷に寝ても畳一枚(せんじょうじきにねてもたたみいちまい)
人一人が必要な物は限られているので、むやみに欲を出すべきではないということ。 千畳もの広さがある部屋に寝ても、人が一人寝るのに必要な畳はせいぜい一枚であるとの意から。
千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰いゆ(せんじょうのつつみもろうぎのあなをもってついゆ)
どれほど堅固に積み上げたものでも、内側に空いた小さな穴からもろく崩れる。 大きさは、そのまま強さにはならない。
千里の堤も蟻の穴から(せんりのつつみもありのあなから)
守りの長さは、いちばん弱いところ一点で決まる。 どれだけ手を掛けた造りでも、放っておいた小穴から失われる。
千里の野に虎を放つ(せんりののにとらをはなつ)
後々の禍のたねになるものを、手もつけずに放り出しておくたとえ。 果てしなく広がる野へ虎を解き放てば、もう捕らえようがない。「虎を野に放つ」ともいう。
前車の覆るは後車の戒め(ぜんしゃのくつがえるはこうしゃのいましめ)
先人の失敗は後人の戒めになるというたとえ。 前の車が覆るのを見て、後の車は戒めにするとの意から。 単に「後車の戒め」ともいう。
善は急げ(ぜんはいそげ)
良いことだと思ったら、ためらわずすぐに実行せよということ。 「善は急げ悪は延べよ」と後半を添える言い方もある。悪い企てのほうは逆に先送りにせよ、という戒めが加わる。
膳部揃うて箸を取れ(ぜんぶそろうてはしをとれ)
膳の上が出そろうまで箸に手を出すな、というのがもとの意。転じて、支度がすっかり調ってから動き出せ、ということ。 「膳部」は一人前としてそろえる料理のひとそろいで、同じ音の「全部」を掛けたしゃれ。
創業は易く守成は難し(そうぎょうはやすくしゅせいはかたし)
事業を新しく起こすよりも、成果を守り続けていくほうが難しいということ。 「創業」は事業を新しく興すこと。 「守成」は成果を守ること。 唐の太宗が「創業と守成のどちらが難しいか」と尋ねたときに、魏徴が「守成」と答えたという故事から。
糟糠の妻は堂より下さず(そうこうのつまはどうよりくださず)
貧しく苦しい時から苦労をともにし長年連れ添った妻は、たとえ自分が出世しても家から追い出すわけにはいかないということ。
袖から火事(そでからかじ)
ほんの些細なきっかけから、思いも寄らない大ごとに発展することのたとえ。明暦三年(1657)の江戸の大火は、本妙寺の供養で燃やした振り袖が火のついたまま飛んだのがもとと伝えられ、「振り袖火事」の名で知られることから。
袖は長くとも手は伸ばされぬ(そではながくともてはのばされぬ)
たとえ人目のない場にあっても、盗みだけは決して働くなという戒め。 長い袖に隠れて手元が見えなくても、その手を他人の持ち物へ出すことは許されないの意から。
備えあれば憂いなし(そなえあればうれいなし)
普段から非常時の準備をしておけば、緊急の事態が起こっても心配する必要がないということ。
備わらんことを一人に求むるなかれ(そなわらんことをいちにんにもとむるなかれ)
万能な人間などいないのだから、一人の人間に完全無欠を要求してはいけないということ。
その国に入ればその俗に従う(そのくににいればそのぞくにしたがう)
新しく身を置いた土地には、昔からのならわしが根付いている。暮らすからには、それを重んじて身を処せよという教え。
粟を量りて舂く(ぞくをはかりてつく)
取るに足りない細部にばかり手間をかけることのたとえ。 また、出し惜しみして物をけちるたとえにもいう。 粟の粒をいちいち量ってから臼でつくという意から。
大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず(たいてきとみておそれずしょうてきとみてあなどらず)
相手が強そうに見えても恐れてはいけないし、弱そうに見えても侮ってはいけないということ。
他山の石(たざんのいし)
他人の誤った言行を、自分の修養のために役立てること。 よその山から取れたつまらない石でも、自分の宝石を磨くのに使えるとの意から。
立つより返事(たつよりへんじ)
人に呼ばれた時には、立つより先にまず返事をせよということ。
棚から牡丹餅は落ちてこない(たなからぼたもちはおちてこない)
思いがけない幸運は、まず舞い込むことはないということ。
卵を盗む者は牛も盗む(たまごをぬすむものはうしもぬすむ)
小さな悪事をはたらいた者は、いずれ大きな犯罪を犯すようになるということ。そのためにも、小さな悪事も見逃さずに戒めるべきであるということ。
溜め息をすれば親の寿命が縮む(ためいきをすればおやのじゅみょうがちぢむ)
子どもがため息をつけば、親は寿命が縮むほど心配するから、親にそんな態度を見せてはいけないということ。
短気は損気(たんきはそんき)
短気を起こすと、結局は失敗して自分の損になるということ。「短気」と「損気」の語呂合わせでできた言葉。
大吉は凶に還る(だいきちはきょうにかえる)
運が向くのはありがたいが、極みまで行けばあとは下るしかなく、かえって凶に転じる。 何ごとも真ん中あたりで足りているのがよい、という見方で、易の考え方から出た言葉。
大事は小事より起こる(だいじはしょうじよりおこる)
どのような大事も、取るに足りない小さなことが原因となって引き起こされるということ。小さな油断にも気をつけよという戒めの言葉。
断機の戒め(だんきのいましめ)
物事は途中でやめるべきではないという教え。 孟子が修行の途中で家に帰った時、孟子の母は織りかけの機の糸を断ち切り、修行を中断するのはこのようなものだと戒めたという故事から。 「断機の教え」「孟母断機の戒め」「孟母断機の教え」「断錦」「孟母断機」ともいう。
団子隠そうより跡隠せ(だんごかくそうよりあとかくせ)
事を隠そうとする時、思わぬところから露見するかもしれないから、念には念をいれて注意せよということ。こっそり団子を食べたとき、残りの団子だけ隠しても、串を片付けなければばれてしまうので跡が残らないようにせよということ。
小さくとも針は呑まれぬ(ちいさくともはりはのまれぬ)
小さいからといって侮ってはいけないという戒め。 いくら小さくても針をのみこむことはできないことから。
知恵は小出しにせよ(ちえはこだしにせよ)
自分の持っている知恵を一度に出さず、必要に応じて少しずつ出すのが賢明だということ。
馳走終わらば油断すな(ちそうおわらばゆだんすな)
人がご馳走してくれる時は何か魂胆があるかもしれないので油断するなということ。
治に居て乱を忘れず(ちにいてらんをわすれず)
世の中が平穏で安泰なときにも油断せず、いつ訪れるかしれない危難に備えておくべきだということ。安らかな状況にあってこそ、かえって危うい事態を心に留めておくべきだとする戒め。 「安きに危うきを忘れず」ともいう。
長所は短所(ちょうしょはたんしょ)
自分の長所を過信すると思わぬ失敗をすることがある。長所も時には短所になるということ。
頂門の一針(ちょうもんのいっしん)
逃げ場のないところを一突きされるような、短くて効く忠告。 受けた側がその場で姿勢を正さずにいられない言葉をいう。
ちょっと来いに油断すな(ちょっとこいにゆだんすな)
「ちょっと来い」と呼ばれると、ちょっとの用事では済まず、ろくな用事でないことが多い。だから、心してかかれということ。
杖に縋るとも人に縋るな(つえにすがるともひとにすがるな)
むやみに人をあてにするなといういましめ。
付き合いなら家でも焼く(つきあいならいえでもやく)
人との交わりは、惜しいものを投げ出してでも保たねばならぬほど重いものだということ。また、義理立てにかまけて我が身の暮らしをおろそかにするのを戒めていう言葉。 付き合いのためなら自分の家を焼き払うことさえいとわない、という意から。
月満つれば則ち虧く(つきみつればすなわちかく)
何事も頂点に達したあとは、必ず衰え始めるというたとえ。 月は満月のあと徐々に欠けていくことから。 「満つれば虧く」ともいう。
常が大事(つねがだいじ)
人が見ているのはとっさのふるまいではなく、ふだんの身の処し方である。 日ごろの暮らしが整ってさえいれば、何かが起きたときにあらぬ言いがかりを受けずにすむ。
常に来る客は歓迎されず(つねにくるきゃくはかんげいされず)
たまに来る人は歓迎されるが、いつも来る人は客として喜ばれないという戒め。
罪を憎んで人を憎まず(つみをにくんでひとをにくまず)
向かうべき先は為された行いのほうであって、それを為した当人までひとくくりにしない。 なぜそこへ至ったかの事情に目を配れ、と孔子が刑を扱う側の心得に挙げた。
手が入れば足も入る(てがいればあしもいる)
一度気を許すと次々と入り込まれることのたとえ。また、次第に深入りすることのたとえ。
手出し十層倍(てだしじっそうばい)
喧嘩は、初めにしかけた者に、他の者の十倍の罪があるということ。
天機洩らすべからず(てんきもらすべからず)
口に出したとたんに壊れてしまう類いの話は、胸のうちに留めておくほかない。 また、もったいぶって「これは言えない」と断るときの言い方でもある。 「天機」は天が握っている仕組み、転じて他に知られてはならない事柄。
天災は忘れた頃にやってくる(てんさいはわすれたころにやってくる)
怖さの記憶が薄れたころに、次のひとつがやってくる。 備えを解く時期と、災いの巡ってくる時期は重なりやすい。 物理学者の寺田寅彦に帰せられる言葉。 「災害は忘れた頃にやってくる」ともいう。
湯の盤銘(とうのばんめい)
毎日を新しく始め直せという教え。殷の湯王が身を清める器に彫りつけ、朝ごとに自分へ言い聞かせた文句に由来する。
問うは一旦の恥、問わぬは末代の恥(とうはいったんのはじ、とわぬはまつだいのはじ)
知らないことを聞くのはほんの一時だけ恥ずかしい思いをするが、聞かずに知らないまま過ごすのは一生恥ずかしい思いをするということ。
塔は下から組め(とうはしたからくめ)
高い塔は下から組むように何事も基礎が大事だということ。
遠きに行くは必ず近きよりす(とおきにゆくはかならずちかきよりす)
どれほど先にある目標でも、始まりは必ず手の届く一歩にある。遠さばかりを見て身近な一歩を飛ばせば、そこから先へは進めない。
研がずに鍛冶を恨むな(とがずにかじをうらむな)
何の努力もしないで、生まれた環境を恨んではいけない。真面目に自分を磨く努力をせよというたとえ。切れなくなった刃物を研ぎもせずに、それを作った鍛冶を恨んではいけないということから。
時は得難くして失い易し(ときはえがたくしてうしないやすし)
好機はそうそう巡ってこないうえに、来たと思っても手をこまぬいているうちに指の間から抜けていく。つかむのは難しく、取り落とすのはあっけない。過ぎ去った一日は買い戻せないのだから、わずかな間も粗末にするなという教えとしても使う。 もとは「功は成し難くして敗れ易く」と続けて説かれた句で、事を成しとげる難しさと、機を逃す早さとを並べている。
時は金なり(ときはかねなり)
時間は金銭と同じように貴重なものだから無駄にしてはいけないということ。
得を取るより名を取れ(とくをとるよりなをとれ)
利益を得ることより、名誉を大切にせよということ。
年寄りと釘頭は引っ込むが良し(としよりとくぎがしらはひっこむがよし)
頭が出たままでは引っかかる。 年を重ねたら、一歩下がって口を挟まずにいるほうが収まりがよい。
捕らぬ狸の皮算用(とらぬたぬきのかわざんよう)
当てにならないことを当てにして計画を立てることのたとえ。まだ捕まえていない狸の皮の価格を計算することから。
虎を養いて自ら患を遺す(とらをやしないてみずからうれいをのこす)
今のうちに断つべきものを、かえって手元で肥え太らせ、のちに自分がその力に食い破られること。幼い虎を飼い続ければ、いずれその爪と牙が飼い主に向かうことから。
貪欲は必ず身を食う(どんよくはかならずみをくう)
強すぎる欲望は身を滅ぼすという戒め。
長居する鷺蟇目に遭う(ながいするさぎひきめにあう)
長く同じ場所に留まっている鷺は、目立つために人間に狙われ、蟇目の矢(矢の一種である鏑矢)で射られる。 長居は慎むべきであるという戒め。 「長居する鷺汁になる」ともいう。
長口上は欠伸の種(ながこうじょうはあくびのたね)
長話は人を退屈させるから、話は簡潔にせよということ。
泣く時は泣いて渡れ(なくときはないてわたれ)
その時々の状況や心情に応じて世間を渡って行けという教え。
七度尋ねて人を疑え(ななたびたずねてひとをうたがえ)
見当たらないと思ったら、まず自分の手落ちのほうを探す。 人に目を向けるのは、隅から隅まで当たり尽くしてからでよい。
習うは一生(ならうはいっしょう)
人間には学ぶべきことがたくさんあるため、いくつになっても常に学び続ける必要があるという戒め。
汝自身を知れ(なんじじしんをしれ)
自分が無知であることを自覚せよということ。ギリシャのアポロン神殿に刻まれていた言葉。「自分の分をわきまえよ」という意で解釈されていたが、ソクラテスが「自分自身をよく知ることが基本だ」と解釈したといわれる。
二度あることは三度ある(にどあることはさんどある)
同じようなことが二度続けば、もう一度起こる可能性が高いということ。
二度聞いて一度物言え(にどきいていちどものいえ)
人の言うことは何度聞き直してでもよく聞き、自分は口数を少なく余計なことを言わないほうがよいということ。
女房は貸すとも擂り粉木は貸すな(にょうぼうはかすともすりこぎはかすな)
使うたびに目減りするものは、人手に渡すものではない。 減るものと減らぬものを、わざと極端に並べた句。
糠を舐りて米に及ぶ(ぬかをねぶりてこめにおよぶ)
小さなところから食い込まれ、ついには肝心なものまで根こそぎ奪われること。糠をなめ尽くした舌は中の米にまで届くという里のことわざで、漢の呉王濞が領地を削られる危うさを説いたときに引いた言葉。
盗人の取り残しはあれど火の取り残しはなし(ぬすびとのとりのこしはあれどひのとりのこしはなし)
盗難に遭っても取り残しがあるが、火事は全てを焼いてしまい残る物はないということ。火事の恐ろしさを言ったことば。
上り坂より下り坂(のぼりざかよりくだりざか)
物事が順調に運んでいるときほど、油断して失敗しやすいという戒め。 苦しい状況よりも、むしろ容易に思われる局面でこそ気を引き締めるべきだとする教え。 坂道では上りより下りのほうが足を踏み外しやすいことから。
登れない木は仰ぎ見るな(のぼれないきはあおぎみるな)
自分の力や立場に見合わない望みを持つなという戒め。 できもしないことを求めず、身のほどをわきまえよということ。
呪うことも口から呪う(のろうこともくちからのろう)
言葉は慎むべきであるということ。 人を呪うときは口に出して言うし、自分に災いを招くのも口にした言葉が原因であることが多いことから。
吐いた唾は呑めぬ(はいたつばはのめぬ)
一度口から出した言葉は取り消すことができないというたとえ。発言には十分注意するようにとの戒めのことば。
初め有らざるなし、克く終わりあるは鮮し(はじめあらざるなし、よくおわりあるはすくなし)
言い出すところまでは誰でも行き着くが、最後の一歩まで運べる者はめったにいない。 善を慕う心は誰にもあるのに保ち通せる人は稀だ、と嘆いた一句。
始めに二度なし(はじめににどなし)
物事の始まりの機会は一度きりで、同じ条件でやり直すことはできないということ。 最初の一歩や初動を大切にし、油断せずに取り組むべきであるという戒め。
働かざる者食うべからず(はたらかざるものくうべからず)
怠けて働こうとしない人間に食べる資格はないということ。働かずに遊び暮らす者を戒める言葉。
腹の立つ事は明日言え(はらのたつことはあすいえ)
頭に血が上っている最中の言葉は、たいてい後で悔やむ形をしている。一晩おけば熱は引き、同じ用件でも言い回しが変わる。
腹は立て損、喧嘩は仕損(はらはたてぞん、けんかはしぞん)
腹を立てても、喧嘩をしても自分が損をするだけだから、腹は立てるな、喧嘩はするなということ。
腹も身の内(はらもみのうち)
腹とて他人のものではない。飲み食いの度が過ぎれば、つけを払うのは我が身である。
針とる者車をとる(はりとるものくるまをとる)
針一本をくすねる者は、やがて車ごと持ち去るようになるということ。 小さな盗みのうちに厳しく戒めよ、という教え。
馬鹿も休み休み言え(ばかもやすみやすみいえ)
ばかげたことを言うのもほどほどにして、いい加減にやめよということ。
馬鹿を笑うも貧乏を笑うな(ばかをわらうもびんぼうをわらうな)
愚か者は自分が悪いのだが、貧乏は本人のせいばかりではないので、笑ってはいけないという戒めの言葉。
人必ず自ら侮りて然る後に人これを侮る(ひとかならずみずからあなどりてしかるのちにひとこれをあなどる)
まず当人が己をぞんざいに扱い、世間がその人を低く見るのはそのあとに来る。人から粗末に扱われたくないなら、はじめに己を粗末にしないこと。
人こそ人の鏡(ひとこそひとのかがみ)
他人は自分の姿を映す鏡のようなものであるから、他人の言動を見て自分の行いを正す手本にせよということ。
人事言わば筵敷け(ひとごといわばむしろしけ)
噂をすれば、その当人が現れることがよくあるから、その人の席を用意しておいたほうがいいということ。軽々しく噂話をするものではないという戒めの言葉。
人酒を飲む、酒酒を飲む、酒人を飲む(ひとさけをのむ、さけさけをのむ、さけひとをのむ)
酒の飲み始めは人に自制する心があるが、そのうちに惰性で酒を飲むようになり、やがては酒に飲まれて乱れてしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒めの言葉。
人の噓は我が嘘(ひとのうそはわがうそ)
人の受け売りで話をすると、もしその話が嘘だった時は、自分が嘘をついたことになる。人の話を簡単に受け売りするなということ。
人の事より我が事(ひとのことよりわがこと)
人の世話を焼くより、まず自分の事をしっかりせよということ。
人の空言は我が空言(ひとのそらごとはわがそらごと)
他人の話を受け売りすると、もしその話が嘘だった時は、自分が嘘をついたのと同じことになる。人の話を簡単に受け売りするなという戒めの言葉。「空言」は何の根拠もない噂のこと。
人の短を道うこと無かれ、己の長を説くこと無かれ(ひとのたんをいうことなかれ、おのれのちょうをとくことなかれ)
人の短所をとがめず、自分の長所をひけらかさないようにという戒め。
人の蠅を追うより己の蠅を追え(ひとのはえをおうよりおのれのはえをおえ)
よその欠点に伸ばしたその手で、まず自分の欠点をひとつ直せばよい。 人を直す資格は、そのあとについてくる。 単に「己の頭の蠅を追え」とも、「我が頭の蠅を追え」ともいう。
人のふり見て我がふり直せ(ひとのふりみてわがふりなおせ)
よそでみっともないと感じた振る舞いは、たいてい自分にも同じ形で出ている。人は、こちらを映して見せてくれる鏡だと思っておくのがよい。
人は陰が大事(ひとはかげがだいじ)
人間は人目に付く所の行動だけでなく、他人の見ていない所での行動が大事だということ。
人を怨むより身を怨め(ひとをうらむよりみをうらめ)
うまくいかなかった元を相手のせいにしても、得るものはない。 矛先はまず自分へ向け、足りなかった所から洗い出すのが順序だとする。
人を以て鑑と為す(ひとをもってかがみとなす)
よその人の振る舞いに我が身を照らして、欠けた所や行き過ぎに気づいていく。 銅の鏡が身なりを整えさせてくれるのと同じ働きを人にも求めた言い方で、唐の太宗の言葉として伝わる。
陽の照っているうちに干し草を作れ(ひのてっているうちにほしくさをつくれ)
好機は逃さずに役に立てよということ。 「太陽の照っているうちに干し草を作れ」ともいう。
暇ほど毒なものはない(ひまほどどくなものはない)
暇があって時間を持て余すと、つまらない事を考えたり、しでかしたりする。暇になるとろくなことはないということ。
百丈の木に登って一丈の枝より落つる(ひゃくじょうのきにのぼっていちじょうのえだよりおつる)
気が緩んだ時に、危険が潜んでいるから気をつけよという戒めの言葉。高い木に登った時は用心しているので落ちることはないが、低い所まで降りると油断して落ちるということから。
百里を行く者は九十里を半ばとす(ひゃくりをいくものはくじゅうりをなかばとす)
何事も終わり近くになると困難が多くなるので、最後まで気を抜いてはいけないということ。 百里の道を行く者は、九十里来たところが半分だと思えとの意から。
火を見たら火事と思え(ひをみたらかじとおもえ)
わずかな煙でも、すでに燃えているものと構えよ。兆しの段階で手を打っておく心づもりを説いた言葉。
夫婦喧嘩は貧乏の種蒔き(ふうふげんかはびんぼうのたねまき)
いつも夫婦喧嘩をしている家庭は、だんだん貧乏になっていくという戒めのことば。
文事ある者は必ず武備あり(ぶんじあるものはかならずぶびあり)
文の務めに当たる者ほど、いざという時の武の備えを欠かしてはならない。
兵強ければ則ち滅ぶ(へいつよければすなわちほろぶ)
兵力が強大だと、おごりや油断が生じ、かえって敗戦の原因になるということ。
方位家の家潰し(ほういかのいえつぶし)
方角の吉凶を気にしすぎると身動きがとれなくなり、ついには家をつぶす結果になるということ。
細くても針は呑めぬ(ほそくてもはりはのめぬ)
どんなに細くても針を呑み込むことは出来ないように、たとえ小さくても決して見くびってはいけないということ。 「針は呑まれず」ともいう。
前急ぎは後急ぎ(まえいそぎはあといそぎ)
先へと急ぎすぎると失敗が多いということ。
負けるが勝ち(まけるがかち)
相手に勝ちを譲っておくほうが、結局は得策だということ。
待たるるとも待つ身になるな(またるるともまつみになるな)
人を待つのは腹立たしいから、人を待たせることはあっても自分は待つ立場にはなるなということ。
まだ早いが遅くなる(まだはやいがおそくなる)
まだ早いとのんびり構えていると、結局は手遅れということになりかねない。何事も油断は禁物だということ。
見栄張るより頬張れ(みえばるよりほおばれ)
人目をどう繕っても腹はふくれず、こちらの手元には何ひとつ残らない。 出されたものはその場でいただくのが、結局は身のためになる。
味方見苦し(みかたみぐるし)
味方の肩を持つのは人の情だが、それが行き過ぎて是非の見境まで失えば、はたの目には見苦しく映るということ。
見ざる聞かざる言わざる(みざるきかざるいわざる)
余計な波風を立てないよう、目も耳も口もふさいでおく構え。 それぞれ一か所を押さえた猿を三体並べた像が庚申塚などに残り、打ち消しの語尾を獣の名に掛けてもいる。
見たら見流し、聞いたら聞き流し(みたらみながし、きいたらききながし)
見たり聞いたりしたことは、みだりに口外しないほうがよいということ。
身に過ぎた果報は災いの基(みにすぎたかほうはわざわいのもと)
身の丈を超える幸いは、抱えきれずに転がり落ちるもとになる。大きすぎる当たりは、いずれ身を損なう。
虫でも向かってくるものである(むしでもむかってくるものである)
小さく弱いものでもそれ相応の意地があるから、場合によっては強敵に立ち向かうこともある。どんな相手でもあなどってはいけないということ。
明鏡も裏を照らさず(めいきょうもうらをてらさず)
どんな賢人でも目が届かないことがあるというたとえ。 曇りのない鏡でも、ものの裏までは映さないことから。
目で見て口で言え(めでみてくちでいえ)
何事も自分の目で確認してから口にせよということ。見てもいないことをとやかく言ってはいけないという戒めのことば。
面面の蜂を払う(めんめんのはちをはらう)
人の落ち度をとがめる前に、めいめいが自分の身の始末をつけよということ。
儲けぬ前の胸算用(もうけぬまえのむなざんよう)
不確かな事柄に期待をかけて、計画を立てることのたとえ。
物言えば唇寒し秋の風(ものいえばくちびるさむしあきのかぜ)
余計なことを言うと、思いがけない災難を招くということ。松尾芭蕉の句。
物盛んなれば即ち衰う(ものさかんなればすなわちおとろう)
何事も盛りに達したら必ず衰え始める。いつまでも盛んな時は続かないということ。
物には時節(ものにはじせつ)
ものごとをするには、それにふさわしい時機があり、それを外すと成功しないということ。
物は試し(ものはためし)
なにごとも実際にやってみなければ成否はわからないので、最初から諦めずに一度はやってみるべきだということ。
物も言いようで角が立つ(ものもいいようでかどがたつ)
ものは言い方ひとつで相手の感情をそこなうことがあるから、言葉遣いに気をつけたほうがいいということ。
焼き餅は狐色(やきもちはきつねいろ)
女性の適度なやきもちはかわいいが、焼きすぎると嫌われる。餅を狐色に焼くように、ほどよい程度に焼くのがよいということ。
焼き餅焼くとて手を焼くな(やきもちやくとててをやくな)
やきもちも焼きすぎれば身を焦がし、あとから繕いのきかないところまで行ってしまう。 妬く心はほどよいところで抑えよ、というたしなめ。 「焼き餅を焼く」の焼くと、持て余す意の「手を焼く」の焼くを重ねた言葉遊び。
鑢と薬の飲み違い(やすりとくすりののみちがい)
ほんの一字の違いを取り違えたばかりに、早のみこみが思わぬしくじりを呼ぶ。 「やすり」の「や」を八に、「くすり」の「く」を九に当て、一つしか違わない数で調子よく言った言葉。
柳の下にいつも泥鰌はいない(やなぎのしたにいつもどじょうはいない)
まぐれ当たりは、同じ場所で二度は起きない。うまくいった手口をそのまま繰り返しても、次は空振りに終わる。
病は口より入り、禍は口より出ず(やまいはくちよりいり、わざわいはくちよりいず)
病気は飲食物と共に体の中に入り込み、禍は口から出る言葉によって引き起こされる。口は慎まなければいけないという戒めのことば。
憂患に生き安楽に死す(ゆうかんにいきあんらくにしす)
人は心配事がある時は心をいため、命を守る努力をするが、憂いがなくなると心がゆるみ、思わぬ死を招くこともあるということ。
行き大名の帰り乞食(ゆきだいみょうのかえりこじき)
出はじめに羽振りよく散じてしまい、戻る段になって手元が尽きる。あとの分を残しておかなかったばかりに、帰り道は身を縮めて過ごすことになる。
ゆっくり急げ(ゆっくりいそげ)
急ぐ時こそ、慎重に行動すべきだということ。
湯に入りて湯に入らざれ(ゆにいりてゆにいらざれ)
何事もほどほどがよいというたとえ。 入浴も度を越すと、健康を損なうこともあるので適度がよいという意味から。
良いうちから養生(よいうちからようじょう)
痛みが出てからでは、戻すのに倍かかる。何ともない時期にこそ手を入れておきたい。
養虎の患い(ようこのうれい)
討つべき相手を生かしておいたばかりに、のちのち身に降りかかる災い。虎を手元で養えば、やがて自らが牙にかかるという意。
用心は臆病にせよ(ようじんはおくびょうにせよ)
用心はし過ぎるということはない。臆病なくらいに用心せよということ。
欲は身を失う(よくはみをうしなう)
欲張りは身を滅ぼすもとであるということ。
避けて通せ酒の酔い(よけてとおせさけのよい)
酔っ払いには、かかわらないほうがよいということ。
世の中には月夜ばかりはない(よのなかにはつきよばかりはない)
いつも明るい月夜ばかりではなく、闇夜もあるから気をつけろということ。脅し文句として使われる言葉。
楽あれば苦あり(らくあればくあり)
楽をしたあとには、その分の苦労が待っているということ。 楽ばかりが続きはしないという側から言い、今の安楽に気を緩めるなというときに使う。 江戸いろはがるたの一つ。 「苦あれば楽あり」と続けて「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」ともいう。
履霜の戒め(りそうのいましめ)
小さな萌しのうちに手を打てという教え。霜が下りる時節になれば、やがて水の凍りつく寒さが来る。そう説く一句を、身を慎むための心得として呼び習わしたもの。
梁上の君子(りょうじょうのくんし)
泥棒のこと。または鼠のこと。中国の後漢の陳寔が梁の上に潜む賊を指して、悪い習慣が身に付くと梁の上の君子のようになると子ども達を戒めたという故事による。
良薬は口に苦し(りょうやくはくちににがし)
体に効く薬ほど喉を通りにくい。人からの言葉も同じで、当人のためを思ったものほど、その場では受け取りにくい。
留守見舞いは間遠にせよ(るすみまいはまどおにせよ)
家の主が出ているあいだに足しげく通えば、あらぬ噂の種になる。見舞うにしても間をあけて、めったに顔を出さぬくらいがよい。
若い時旅をせねば老いての物語がない(わかいときたびをせねばおいてのものがたりがない)
若い時に旅をしておかなければ、年をとってから人に話す話題がないということ。
若い時の苦労は買うてもせよ(わかいときのくろうはこうてもせよ)
若い時の苦労は将来役に立つ貴重な経験となるから、自分から進んで苦労するほうがよいということ。
若い時は二度ない(わかいときはにどない)
若い時代は二度とやってこないから、何でも思い切ってやってみるのがいいということ。
若木に腰掛けな(わかぎにこしかけな)
若者は頼りにならないことのたとえ。また、将来性のある若者を踏みつけにするなということ。 若い木は折れやすいから腰掛けてはいけないということ。
若木の下で笠を脱げ(わかぎのしたでかさをぬげ)
若木が将来どんな大木に育つのかわからないように、若者も将来どんなに偉くなるかわからないので、ばかにしないで敬意を表して接すべきだということ。
我が田への水も八分目(わがたへのみずもはちぶんめ)
自分の利益を優先しすぎず、欲を抑えて周囲との調和を図るべきであるということ。 田に水を引く際、自分の田だけに満水まで引くのではなく、他者の田にも配慮し、適度なところで止めるべきであるという考えから。 独占や過度な利己主義を戒める言葉。
我が身の事は人に問え(わがみのことはひとにとえ)
自分の短所やしくじりは当人の目に入らないものだから、まわりに尋ねて直すのがよいということ。 わが事となると見立てが狂いやすいので、人の目を借りよという教え。
我が身を立てんとせばまず人を立てよ(わがみをたてんとせばまずひとをたてよ)
自分の身を立てたいと望むなら、まず人を引き立てるように心がけよということ。
我が身を抓って人の痛さを知れ(わがみをつねってひとのいたさをしれ)
自分の身に引き比べて、人の苦しみや痛みを思いやることが大切だということ。
